私と食2007/07/02 23:54

先日も前振りしましたが、
日本農業新聞でのコラム「食と私」が掲載中です。
月曜~金曜までの連続5回で、
私の食にまつわるエピソードなどが載っています。
日本農業新聞・・・ 何処で手に入るのですか?
と、いう話に先日もなりましたが、
JAに必ずあるようで、全国で毎日40万部ですから、
ま、誰かは見ていることになるのでしょう。
そのうち手に入ったら、写真でも載せてみます。

写真は、皇居で撮ったハンゲショウ(半夏生)です。
七十二候の1つである半夏生から作られた暦日で、
夏至から数えて11日目としていたモノらしいです。
今では数え方が変わって、
半夏生は、暦の上では、7月2日の計算になるそうです。

半分化粧をしたような、葉の白さから、
ハンゲショウと呼ばれる説もありますが、
花より美しい葉もあるものかとビックリしました。

写真の話ですが、このブログ、
今日から毎日の写真は、大きくする事が出来るみたい。
今まで折角綺麗に撮れてても画角が小さくて、
残念だな~ってものもあったので、
これは面白いかも知れません。
いや、しかし、大写しにならぬほうが良い物もあるね。
適度に大きくしましょう。

野外劇場2007/07/04 23:02

野外劇場
昨年夏、山梨県の新しき市“北杜市”で、
八ヶ岳「北杜国際音楽際」の記念すべき第1回が
行なわれましたが、今年も第2回の準備に追われます。
昨年は、会場は1つで、3日間5公演でしたが、
今年は、4つの会場で、5日間10公演があります。
この音楽祭の話は追々書きますが、
「東洋と西洋の音楽の共生」をテーマに、
西洋音楽を楽しみながらも、東アジアを体感する事で、
私達の心の中にあるIDを呼び覚まし、逆に、
アジアの中の西洋エッセンスを見つけ出し、
隔てない音楽の素晴らしさを再確認するものです。

義父の三木稔が発案した音楽祭ですが、
数ある日本の音楽祭の中でも、
東洋と西洋という2つの共生をテーマに掲げたものは、
全国探してもここしか無いはずです。
昨年、会場は一箇所でしたが、
今年はアルソアという素晴らしいパートナーを得て、
さらに音楽祭は躍進いたします。
そして会場は、北杜全体に広がりを見せるべく、
駅前の長坂コミュニティホールと、高根町のホール、
そして、北杜市の中心地でもある小淵沢にある、
アルソア本社のホール“森羅ホール”を使います。
そして、もう1つ呼び物は、
この音楽祭に合わせ建築中である、野外劇場です。

化粧品メーカーであるアルソア本社は、
小淵沢本社を中心に、全国に展開していますが、
さらに、健康や医療、食事と言った、
人間がより自然に美しく生きるための方法や
情報を提供する総合美容メーカーとして活動しています。
その活動の一角として、NPO法人を設立し、
音楽祭も「NPO八ヶ岳自然村」の活動の1つとして、
8月21日~26日までの日程で行なわれるのです。

野外劇場は、観客が500人以上は入れる施設。
小渕沢の緑を満喫できる素晴らしい場所に建ち、
音楽が自然と同化するような空間を生み出します。
今日も、建設中の野外劇場の設備の事、
音楽祭の運営、制作の事での詳細打ち合わせでした。
コンクリートパネルに全身を包まれた、
カマボコ型の躯体が冷たい雨に濡れていましたが、
化粧を施しお披露目までもうすぐです。
楽しみですが、音楽祭で効果的な使用をするために、
まだまだ詳細の打ち合わせやフォローが必要です。

私は、音楽監督でありながら、
実質的な制作の中心を担う実行委員長でもあります。
今年も、熱い夏が始まりました。

考古音学2007/07/05 10:34

緑に映える桔梗の紫
音楽監督というのは、何をするのですか?
と、よく聞かれます。
突然聞かれる事も多いのですが、
「音の鳴る部分、すべて管轄します」って、答えます。
広義において、劇場の支配人もそう呼ばれ、
ミュージカルの所在無き責任者はその肩書き、
DSソフトの音楽監修もおそらくその類で、
クラブにおける選曲家もその範囲なのでしょう。

舞台芸術においては、勿論音楽面責任者ですが、
グランドオペラでの指揮者兼任音楽監督なんてなると、
従えた数十人の下々に指示を与えながら、
我関せず指揮棒をこねくり回しておれば、
それでオペラらしきものも、晴れて完成です。
が、しかし・・・
我々が直面している、音楽史に載るにはまだ早く、
しかし残念ながら流行とはかけ離れた舞台芸術では、
音楽監督の仕事が、練り物の様にナイ交ぜにやってきて、
10人分の仕事を受け持つのは、当たり前である。
つまり、音楽監督などという役職は、
街の道端に落ちた四分音符を拾うことに始まり、
収拾付かない演奏家の出席を取る役目でもある。
なんでもやらなくてはいけないのです。

19日から3日間の日程で公演する2本立て、
「Cox&Box」と「Artist Life」ですが、
稽古は順調に進んでおり、出演者は真摯に前向きに、
連日の稽古に参加しているのです。感謝。
佐々紅華の作品、「Artist Life」は、なにせ1921年の作品。
初演はされていても、
的確な資料や初演時の譜面が完璧にあるわけでなく、
残りの資料のなかから、足りぬ部分を繋ぎ合わせ、
当時の日本西洋文化と、佐々紅華の接点を探し出す。
虫食いの様に抜けた歌詞をドラマに沿った日本語で埋め、
どうにかフィナーレまでの体裁は整ったのであるが、
フィナーレの最後が完全に抜けているのには動転。
音楽監督と言う名の下において補作を任命され、
この数ヶ月、頭の痛い、痛い、もう1つ痛い、
大問題だったのである。

作曲ならば、創造の世界であるから、
私でもどうにか辻褄をあわせながら進めたのですが、
如何せん断片的な資料があるゆえ、
これは補足であり、まさに復元である。
家の床じゅうに百頁余りのオケのパート譜を並べ、
世界一難しい神経衰弱の様に必要な部分を選ぶ作業。
楽器名無し、ページ無しの譜面から、
動物的感で必要箇所を選び出し、資料とする。
音楽ではなく、考古学なのである
この復元作業には、大事な要点があるのですが、
現代人の感覚ではなく、1920年に何を思うか。
つまり・・・佐々紅華が何をどうしたのかを、
研究して始めて復元が可能なのである。
モダンになりすぎてはいけないし、
面白いと思ってもいけない。
何せ佐々紅華にならなくてはならないのだから。

長いこと歌手をお待たせして、
昨夜、やっと佐々紅華が降臨してくれました。
「おっせ~よ!」と怒鳴るも相手は何もいわず、
しかし、代わりに筆は進めてくれたので、
引っかかりながら進めていた部分を乗り越えました。
数日間は大変でした。疲れました。
ようやく皆渡して少しホッとしました。
直しはあるにせよ、精神的には晴れ晴れです。
しかし、皆さんを待たせた!すまない!
みんな、本番に向け、がんばろう。

桔梗の花がきれいだったのは、先日の皇居。
地下に潜って夜な夜な譜面見ていると、
花なんて見られませんな。イケナイイケナイ!

酒と球2007/07/07 23:13

大きな声では言えませんが、飲みすぎです。
私は人と人の間には酒が必要だと、
本気で思っている類の人間ですから、
酒を飲む事は絶対に必要な時間と思っています。

それにしても、普段の人間関係の多さから、
割くことの出来ぬ会、集まりはが多く、
そんな予定に限って早くから決まっており、
その後周辺の日が忙しくなっても断れないですね。
結局、忙しくても切羽詰っても、
人の輪(聞こえが良い)は、仕事と同級である、
などという言い訳を念仏の様に唱えながら、
毎日の疲れをアルコールで癒す日は多いのです。
酒は、悦楽の想像力をかき立てるので、
少量の酒量は、冴えた素晴らしいアイデアが生まれ、
しかしこれが増えると、冴えたアイデアは、
「妄想」の2文字に取って代わり、
物言わぬ臓器、肝臓君にとっては、世界征服である。
とはいえ、「はじめまして」の相手と酒を酌み交わし、
2時間前のよそよそしい仕事上のやりとりを、
「乾杯」の一言で労い讃えることで、
実に簡単に問題解決してくれるあたり、
我々は、酒の神バッカスの信徒である事疑わず、
奉納忘れ去る事なく酌の連続で悦に入るのです。

こんな出だしで申し訳ないのでしたが、
音楽を生業とし、酒を飲める体とわずかな時間に、
心底感謝する毎日なのです。

そして、相反する話題に移りますが、
日頃のスポーツは何しているのですか?
などと、音楽家に対する興味からでしょうが、
こんな最悪な質問をされることも多く、
冗談で、「フェンシングです」とか、
「乗馬、、、それも障害を近くで習ってます、、」
などともいえず、まさか、
「殆どしません!」なんて言う事もできず、
最近は「バッティイングセンターに行きます」と、
真顔で答えているのです。
この直後の、質問者の顔は面白く、
眉間にシワを寄せながら、想像を膨らませて、
私とバッティイングセンターを結び付けている様です。

バッティイングセンターに行ったことがない方、
明日言った方が良いと思うほど、楽しいのです。
事務所兼スタジオのある大塚も南口に昔からあり、
何かにつけ、気晴らしに出掛けていきますし、
新宿には2軒あるので、飲んだ後にも出かけ、
酔拳ならぬ酔棒に酔うわけです。
実は家の近所にもあり、土曜に初めて参りました。

駐車場もありますが、ネット支柱はコンクリートで、
時代を感じさせます。
グランドに入る球児の様にお辞儀しながら、
誰もいないところに近づくと、事務所のソファーに、
オヤジさん、、、いや監督さんは寝転び、
不意の来客にも気付かぬ様子でした。
打っても打てなくても白球は急斜面を転がり、
グランボーイのミットの様な穴に吸い込まれていく。
これを見ているだけでも気持ちよいのですが、
誰もいないのをいい事に、3種の速度を堪能。
1球10円ですから、150キロの球を、
松坂に投げてもらっていると思ったら、
なんと言う安さでしょう。しかも文句を言わず、
肩も壊さずに、タンタンと投げ込んできます。

ほんの数秒に集中し、真剣勝負するバッティングは、
音楽にはない、アンサンブルですので、
酒と同じくらい悦楽を体感するものです。
行ったことない方、いってくださいな。

移動の鬼2007/07/08 23:38

相変わらず移動移動の毎日で、
電車に乗っている間は、心停止状態かと思う位、
意識はないのですが、確実に移動疲れは溜まります。

土曜日、いつものM大オケのTrb関係者との
大リハーサルを抜け出し、つくばエクスプレスに乗り、
一路2つ先の県へ入り込む。
バレエリハを見せて頂き、3~4歳の子の可愛らしさと、
プニプニしたタイツに笑みをこぼしながら、
公演はいいものにしてあげようと心に誓い帰路に。
駅まで送っていただいたプリマのMちゃんが、
いつものM大の大学院博士課程に通っていると聞いて、
驚き、専門は19世紀後半の英文学と聞き更に驚く。
ギルバート&サリヴァンは重なるな、と思ったら、
「3月のミカド行きました」と言われ、尚更吹っ飛んだ。
バレエと学問の両立、出来るものではなかなかない!
感心を越えて、尊敬してしまいました。

翌日は、楽器を選びたいと言うこれもM大のCi君
のため、一肌脱ごうと楽器屋さんに。
20年も吹いた楽器はそう簡単には吹けなくならず、
まぁ、いつでも意外にまともに音が出るのだが、
やはりトロンボーンは美しい楽器と思いながら、
興味はドイツの楽器。
スタンダードの素晴らしさを最度感じながら、
足早に新宿経由松本行きです。

松本では、「こうもり」のオケリハですが、
楽しくなってまいりました。
オペラでもそうですが、歌入りのモノを、
オケだけで練習するのは次第にストレスが溜まるもの。
それも様子がわかってくると、肝心のメロディーがない、
ドラマの進展がなかなか掴めないなどと、
オケの練習でもなにか手応えが欲しくなります。
しかし、辛抱ですね。
磐石の態勢が整うまで、何度でも同じことの繰り返し。
オペラの歌手のリハでもそうですが、
何度も何度も、10回、20回とやります。
この過渡期を抜けると、見えてくる世界があり、
一緒に演奏したときの開放感は最高なのです。

みんな、我慢我慢ですね。
細部の楽しさ、細やかなドラマとの連れ合い、
これが体に沁みてくる頃、最高の演奏が出来ます。
まだまだ、頑張りましょう。

そして宿泊、帰京です。

2本立て2007/07/10 23:18

連日の稽古である。
7月の19日~21日に代々木上原のけやきホールで、
<Artist Life>と、<Cox&Box>の2本立て。

2本立ては大変です。
1本の上演時間が短いので2本やるのですが、
出演するほうにとっては、30分も60分も同じ、
精神的には集中力が要求されます。
特に、長いものは出演者が多かったりで、
自分の出番は平均的に少なくなりますが、
この2本、基本的に出演者3人ですから、大変!
そして小林由樹さんは両方に出演!恐れ入ります。
これがかけ離れたキャラクター、例えば、、、
1本目が、「江戸の金持ち油屋の2代目若旦那、
       遊びつくして呆けてしまい、
       今じゃ、せっせと遊郭通い・・・」
2本目が、「ゴビ砂漠の南端の貧乏な家の少年。
       毎日ラクダの世話をしながら、
       客を乗せ生計を助け、、、」
なんて2役だと、20分休憩があっても
衣裳メイクは整えても、精神的変身は無理でしょう。

ま、しかし片や<Artist Life>は貧乏画家夫妻を訪ね、
誂えた洋服の代金を取り立てに来る洋服屋。
2本目、<Cox&Box>では、
空き部屋1部屋しか持って居ないのに、
生活時間帯の違う2人に同じ部屋を貸してしまい、
慌てふためくアパートの大屋。
というキャラクターですし、
どちらも間に割り込む、「3人目のオトコ」、
しかし、いずれにしても良くやってくださいます。

2本分の稽古は大変です。
同じ日に両方稽古は出来ず、
普段の1本の公演に比べると、手間は2倍です。
でも、観ている方には面白いでしょうね。

<Artist Life>と、<Cox&Box>に関しては、
また順番に、Deepな面白い裏側があります。

しばらくこの公演の話題続きますが、
週末の朝日新聞文化欄に記事が出る予定。
昨日取材(補足)がありました。

師匠2007/07/11 14:14

最愛の師匠が亡くなって早1年半。
亡くなった時は、悲しみに包まれ、門下生、関係者、
すべての方々が肩を落とし、手を合わせました。
ただ、陽気で人の和が大好きな先生でしたから、
みな前向きに、いつでも笑顔の先生の顔を忘れず、
毎日の活動の糧にしてきたと思います。

以前からメモリアルコンサートの話があり、
しかしとても弟子も多く、学校関係、仕事関係でも
交際範囲の広かった先生の記念コンサートは、
これらの人間関係を整理するだけでも大変でしたが、
ようやく話が前向きに進みました。
今日ホールも取れ、始動です。

私には、楽器の先生が何人かいますが、
それぞれ、手ほどきの仕方は先生よって違い、
頑なに自主性を重んじる先生、
すべてにおいて古式ゆかしきスタイルを貫く先生、
またドイツ人には2人習っていますが、
国によって方法が違うのではなく、矢張り、
先生の性格と、発散するエネルギーの種類で、
教え方が違うものなのかと感じたものです。
永濱先生は、芸大時代からお世話になり、
留学時代はドイツでも会い、私生活共に、
大変お世話になりました。
この先生が居なくては今の自分はありません。
楽器とか、音楽とか、そんなコジャレタ事の前に、
人間としてどう考えて生きていくか、という事、
そんな事を全部学びましたし、
悩み深き頃も、笑いながら何度も勇気付けられ、
見えなかった将来や、進む道がわからなくても、
必ずや「大丈夫、大丈夫!」と笑って背中押し。
これだけで救われるのです。
笑顔を見れば勇気が沸き、進めるのですから、
なんとも不思議な力です。

晩年は、大分指揮もなされ、その豪快な手振りは、
マジシャンのようでしたが、大きな腕を広げ、
オケでも室内楽でも、すべてを包んでしまう力に、
みな圧倒されたものです。
指揮法とか音楽性とか、そんなケチな約束事は、
このエネルギーの前では何の役にもたたないのです。

日大芸術学部、東京芸大、のトロンボーン卒業生を
中心に、あらゆる関係者が集い開催する公演です。
題して『永濱メモリアル・コンサート』
来年1月27日です。
なにせどうしても3回忌に合わせてやろうという、
皆の思いで、昨年から幾たびと重ねた会議の結果、
大きく前進いたしました。
また1つ大きな公演事業の始まりです。
同じ釜の飯を食った前後30年以上の方々が、
思いを1つに集まり演奏する公演、
何とも楽しみですが、準備は大変。
責任持って万端抜かりなくやらねばなりません。

少しずつ報告しますが、
今日やっとここに記す事ができました。

満腹ワルツ2007/07/12 09:09

土曜日公演のバレエのオケリハ最後の日。
「30周年の記念公演に地元のオーケストラで」、
という先生の強い希望で実現しましたが、
当初、このプログラムでアマオケは厄介だなぁ・・と、
思ったものです。(失礼)
<くるみ割り人形>や、<白鳥の湖>ならば、
響きも慣れていて、ドラマの展開がわかりやすい、
言わばアマチュアにも経験ある世界観ですが、
ワルツポルカだけを集めた音楽をやるのは、
とても難しいものなのです

20世紀前半がジャズの時代、後半がロックであれば、
19世紀中頃は、ウィンナーワルツの時代です。
伊達や酔狂でなく、皆が踊れや踊れだったのですから、
人口の3分の1が踊りに行ってしまうという流行期も
頷けるものです。
こんな父から受け継いだ流行音楽でありながら、
シュトラスス2世は、次の時代への礎を築くのです。
これがウィーンオペレッタであり、ダンス音楽から、
聴く為の、観る為の音楽へと変貌していったワルツです。
今回のプログラムは、時間で40分ですが、
以前選曲したものの構成で、「ウィーンからの手紙」
というタイトルのバレエ作品になっております。

金曜にバレエと会場リハやって、土曜にゲネプロ、本番。
とても良い演奏になると思います。
少ない練習の中、向こうに光が見えてきました。
大切なバレエ公演の縁の下になれる様に頑張ります。
以下、私が書いたプログラムの曲目解説ですが、
興味ある方は読んでください。
知らない曲ばかりでしょう?でも素敵な曲ばかりです。


「ウィーンからの手紙」は、ヨハンシュトラウスⅡ世の魅力をたっぷりと味わっていただきたいと思います。ヨハンシュトラウスⅡ世(1825-1899)は早くから父ヨハンシュトラウスの影響でワルツを書き始め、晩年はオペレッタを中心に580曲もの作品を書いた流行作曲家です。彼の最大のヒット、オペレッタ『こうもり』の序曲に続いては『こうもりのバレエ曲』です。スペイン、スコットランド、ロシア、ボヘミア、ハンガリーの5つの国と地方の舞踊から構成されていて、「こうもり」の第2幕<世界各国からの貴賓が集まるパーティー>での余興の踊りとして、シュトラウスはとても苦労して作曲しましたが、今では他の曲が演奏される事が多く、殆ど演奏される事のないバレエ曲です。『舞踏会の小さな花束』は本当に舞踏会のために書かれた速いポルカですが、この中のトリオの旋律はオペレッタ「ウィーン気質」でも取り上げられています。『新ピツィカートポルカ』は最初の「ピツィカートポルカ」が書かれた23年後、当時の流行を意識して作曲し、オペレッタ「伯爵夫人ニネッタ」の中の子供のバレエ曲としても使われました。当時はとても人気があった曲で演奏会ではアンコールに応えて何回も演奏したそうです。<ピツィカート>とは弦楽器を弓で弾かず、指ではじいて音を出す奏法です。シュトラウスは27歳の時大きな病で1年間療養していますが、春の訪れと共に病気は回復し『すみれのポルカ』を作曲しました。小さな花が大地に根を張って美しく咲く姿を描写した曲は、新たな力と生命の喜びを小さなすみれの花にたとえた希望に満ちあふれた名曲です。『回転木馬の行進曲』の題名になっている<回転木馬>は、中世から続く伝統的な宮廷での馬術競技のひとつです。宮廷主催の春祭りで招待客のために披露された競技にヒントを得て、シュトラウスは作曲しました。ギャロップのリズムは本当に馬が優雅に走っているような音楽です。美しいメロディーが有名な『南国の薔薇』は、オペレッタ「女王のレースのハンカチーフ」に書かれたメロディーでしたが、このオペレッタは初演で全く人気が無く、4日後すぐにオペレッタの中のメロディーを「南国の薔薇」ワルツとして書き換えました。するとこの美しいワルツはたちまちウィーン中の人々の心を捕らえて大ヒットしました。そして最後はシュトラウスⅡ世が子供の時に影響を受けた最大のライバル、父シュトラウスⅠ世の代表曲『ラデッキー行進曲』です。

記事2007/07/13 23:28

来週本番の2本立ての公演、
ヴァイオリンの譜面作りに追われるここ数日。
しかし半徹夜も続け、ようやく完成する。
このような小さな公演のアレンジは、外注できません。
昔から自分でやっています。ピアノの譜面編曲から、
単旋律の独唱を重唱に編曲したり、オケを3重奏に、
はたまた数曲をくっ付けてメドレーにしたりと、
必要なものは譜面に興すことが出来ないと務まりません。
こんな事も広義においては音楽監督の仕事だったり。
ま、訳詞や台詞作り、何をやっても、
舞台芸術の為の訓練に、無駄なものは1つも無いと、
嫌わなかった陰、、、いや、せいで、何でも回って来ます。
しかし小品とはいえ、全部で17曲もあると、
結構骨折れました。

こんな事やりながらも、頑張れるのは、
学者の方々の興味津々とした目の奥を見たり、
公演日のお客さんの満足そうな顔が見たいから。
来ていただいた方に楽しんでいただく事が大事です。

今日の朝日夕刊文化欄に記事で載せてくれました。
2本立てですが、<Artist Life>の特集の様でした。
<Artist Life>は、1921年の初演の頃以来の上演。
日本人作曲家によるオペラ作品のさきがけである、
相変わらず、佐々紅華に対する興味は尽きません。
紅華は、コロンビアレコードのデザイナーのであった。
音楽関係者と関係が深くなるうちに、才能を伸ばし、
次第に浅草でのオペラ実験活動の中心人物になり、
数々のヒット曲を飛ばしていくのです。
ただ、明治時代後期までは、日本の西洋音楽は、
海外のメロディーに日本語を当てなおして、
西洋式7音階を自分達の身近な旋律にしたもので、
大正期の浅草での流行音楽も似たり寄ったりだった。
この傾向もあり、酷い訳詞や、
オペラ風の断片的なものを繋ぎ合わせたもので、
「オペラ」を楽しんでいた。
概念がないのだから、楽しければよいわけで、
興行の為、浅草では娯楽性が高まったのです。
しかし、紅華はそれには満足せず、
志を貫こうとする中心人物と、新天地、
奈良県の生駒山山頂に生駒山歌劇団を成立させる。

記者の取材に私も答え、紙面に掲載されていますが、
紅華が全身全霊を注いで創り上げた喜劇は、
全くのオリジナルであり、85年前とは信じられず、
素晴らしい才能が譜面から溢れているのです。
現在でしたら、情報もあり、教材もあり、
どんな真似だってできる時代、海外に行けば、
数時間後には本物が見られ、それらしい事は、
誰にでもできるような気さえしてくるものです。
しかしデザイナー出身の作詞家、台本作者が、
どうしてここまでの音楽を書けたのか、
不思議でならないのです。
国の代表の様に海外に出て研鑽を繰り返し、
日本人初のオペラ作品として山田耕筰さんが、
書き上げたのは、紅華の<Artist Life>の数年前。
やはり謎である・・・。
佐々紅華は、山田耕筰が着ぐるみを着た名前かと、
大胆な想像をしてしまうくらい、やはり不思議。

いろいろな譜面を取り寄せ、
音楽を勉強したらしいのですが、それでも謎、謎、謎。
やはり興味は尽きぬ・・・。
朝日新聞、良いのですが、2本立てのもう1本、
<Cox&Box>の話題は1行もなし。
これを楽しみにしている方も大勢居るのに。
これはこれで、1870年の日本でのオペラ上演の第1作。
それ以来、こんなにまともな形で上演するのは、
私達が始めて。実に137年ぶりなのです・・。
2本立て、興味ある作品のファンが双方に別れ、
作品の良し悪し巡って大喧嘩にでもなると、
最高に楽しいはずです。
大正時の浅草でも、贔屓の歌手を巡って、
声援と野次で大喧嘩に発展していたらしく、
その位、観る方も本気になってもらいたいです!

そうそう忘れてはいけないもう少し。

今朝の日本経済新聞東京欄には、
「音楽の街-狛江」の始動という記事がある。
まだ実行に移せるか解らないことまで多少書いてあり、
私の名前も委員長で載っているのだから、
これは逃げられないという事だな・・。
記事はありがたいが、頑張らないといけない。
叱咤激励と考え、先に進もうぞ!いざゆかん!

劇場の神2007/07/14 23:06

何処の劇場でも、必ず神が宿っているものです。
劇場の神は、天井高いところから、
毎日、舞台を使用するものたちを眺め、
悪戯をして見せたり、お眼鏡にかなうと、
とても好意的に協力をしてくれたりします。

昨日は、劇場の仕込みから始まって、
夜がバレエ団とオケの合わせでした。
バレエは、30周年記念事業で、
この公演の為に1年間に渡り準備をしてきた。
出演者は小さな子供から大人までいて、
大きな公演になると、準備に大童です。
オーケストラは葛飾フィル、
地元によって支えられているアマチュアオケです。
オケのいつものホームグラウンドである、
葛飾シンフォニーヒルズのモーツァルトホールは、
都内でも屈指の響きの良いホールとして人気があります。
ただ開館以来、江東区、墨田区にもホールが整備され、
私の目には、少し元気のないホールに映ります。
30周年事業で大きな舞台を初めて使うバレエ団、
オームグランドでありながら、あまり使用しない、
オーケストラピットに入って演奏するオケ。
この日の合同リハは、様々な案件解決の必要もあり、
時間をフルに使いながら、調整を重ねます。
オーケストラも、上下(カミシモ)に広がり、
いつもとは違う響きに途惑って演奏・・・。

劇場の神は、遠くから笑っています。

今日は、午後にゲネプロ、夕方から公演。
台風の影響から残念な天気ではありましたが、
劇場に入れば一切関係ありません。
公演に向けて精一杯やるだけです。
前日の洗礼が効いたのか、オケもさらに調整し、
お互いを信じあいながら、演奏が始まりました。
明らかに、昨夜とは違う音の響きです。
1曲目の<こうもり>序曲が終った時、
私は、「これはツイテイル、劇場の神有難う」と、
遠い天井を見上げウィンク。

何処の劇場でも、頭を垂れて入っていき、
三つ指ついて挨拶すれば、神は笑って迎えてくれます。
こんな風に全日の厳しい洗礼を受けても、
練習後にいつまでも音を出して練習し、打ち合わせし、
次の日の為の準備を怠らない
彼らの真摯な態度をみていたのでしょう。
天井で笑いながら魔法をかけてくれたようです。
すばらしい公演になりました。
本番が一番良い演奏、バレエも見応えがあり、
記念の公演に花を添えられて良かったです。
葛フィル、いつも地元に愛されるオケでいてください。
カーテンコールの舞台で挨拶したときに、
また一緒に演奏できる機会があることを、
劇場の神にも頼んでおきました!
カウンター