江戸趣向2022/05/11 09:30

若き頃は、浮世を好きだったせいか、
歴史はどうも苦手意識が強く、
日本史も世界史も考古学のようで実感がなく
勉強を深くする気にもならなかった。

という言い訳から始めるので、
決して得意分野なのでは無いのです。

現生、つまり今に生きるという俗な生物は
必死に毎日の時間を費やしながら、
前を向くのに精一杯なのは仕方のない話です。
年を重ねるごとに自分にも過去ができて、
過ぎ去りし日々が自己完結する歴史となると、
達成感など何もないからこそ、
自分の前はどこに繋がっているのかを
少し知りたくなっているのだと思う次第。

幸にして西洋音楽から入り、芸能全般を
興味深く知る必要があったことから、
大正期、そして御一新以降に遡ったのですが、
この年になり更に遡ることの興味が深くなり、
所謂江戸時代という花形の舞台を見上げています。

私にとっては禁断という前置詞をつけたいほどの
近世以降の時代を指すのですが、
安土桃山からでは長旅になるので、
江戸末期という19世紀を西洋の歴史と重ねて
興味深く恐る恐る頁を捲っている程度の進度です。

こんな本がありまして、上下本のイカツイセットです。
演劇を語るのは地面から三尺位が良いと思って居まして、
つまりあまり高尚な話を続けるより、
座敷に座って芝居を見たり、
居酒屋で囲炉裏端で顔を見合わせて
物言い合うくらいの目線の高さが丁度良いと窺います。

そんなに難しいこと書いてはないのですが、
繁華街と言ったって、砂煙を上げていた頃の
芝居小屋の並びや騒めき位の話です。
明治の演劇史を捲っていると、
西洋の関係が強くなる時代でもあり、
次第に日本の進化を通り越していきますが、
江戸の末の芝居小屋ってのは、
文藝と演芸の間に挟まった高級魚の骨みたいなもので、
私が遡ってみてみると尊いものなんです。

こんな本もあります。

この本は実は知り合いの先輩から頂いたというか、
勝手に持って行って良いと言われて
何気なくいつも書棚からの出動回数が多いのですが、
明治期以降の年表を時々から芸能に関してまで
広く拾ってくれていて、
浮夜咄の抽出にはもってこいなのです。

歴史っていうのは、神社仏閣を見ても
なかなか人が動いて生活していた匂いが薄いですが
芸能の歴史は人間の業の話でもあり特定しない
舞台に携わる関係者の生き様が見え隠れします。

関係ないですが、
先ほどの上下間の背表紙です。

帯と合わせてこんな色合いでして、
柿渋と葵を重ねたような賑やかでワクワクします。
デザインという動かぬ説得力も200年後に活躍して
こんな生き様が完結するという典型と感服しました。

あら、このブログを2日続けて書いてしまった・・・

それではまた、晩夏に・・・

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