考古音学2007/07/05 10:34

緑に映える桔梗の紫
音楽監督というのは、何をするのですか?
と、よく聞かれます。
突然聞かれる事も多いのですが、
「音の鳴る部分、すべて管轄します」って、答えます。
広義において、劇場の支配人もそう呼ばれ、
ミュージカルの所在無き責任者はその肩書き、
DSソフトの音楽監修もおそらくその類で、
クラブにおける選曲家もその範囲なのでしょう。

舞台芸術においては、勿論音楽面責任者ですが、
グランドオペラでの指揮者兼任音楽監督なんてなると、
従えた数十人の下々に指示を与えながら、
我関せず指揮棒をこねくり回しておれば、
それでオペラらしきものも、晴れて完成です。
が、しかし・・・
我々が直面している、音楽史に載るにはまだ早く、
しかし残念ながら流行とはかけ離れた舞台芸術では、
音楽監督の仕事が、練り物の様にナイ交ぜにやってきて、
10人分の仕事を受け持つのは、当たり前である。
つまり、音楽監督などという役職は、
街の道端に落ちた四分音符を拾うことに始まり、
収拾付かない演奏家の出席を取る役目でもある。
なんでもやらなくてはいけないのです。

19日から3日間の日程で公演する2本立て、
「Cox&Box」と「Artist Life」ですが、
稽古は順調に進んでおり、出演者は真摯に前向きに、
連日の稽古に参加しているのです。感謝。
佐々紅華の作品、「Artist Life」は、なにせ1921年の作品。
初演はされていても、
的確な資料や初演時の譜面が完璧にあるわけでなく、
残りの資料のなかから、足りぬ部分を繋ぎ合わせ、
当時の日本西洋文化と、佐々紅華の接点を探し出す。
虫食いの様に抜けた歌詞をドラマに沿った日本語で埋め、
どうにかフィナーレまでの体裁は整ったのであるが、
フィナーレの最後が完全に抜けているのには動転。
音楽監督と言う名の下において補作を任命され、
この数ヶ月、頭の痛い、痛い、もう1つ痛い、
大問題だったのである。

作曲ならば、創造の世界であるから、
私でもどうにか辻褄をあわせながら進めたのですが、
如何せん断片的な資料があるゆえ、
これは補足であり、まさに復元である。
家の床じゅうに百頁余りのオケのパート譜を並べ、
世界一難しい神経衰弱の様に必要な部分を選ぶ作業。
楽器名無し、ページ無しの譜面から、
動物的感で必要箇所を選び出し、資料とする。
音楽ではなく、考古学なのである
この復元作業には、大事な要点があるのですが、
現代人の感覚ではなく、1920年に何を思うか。
つまり・・・佐々紅華が何をどうしたのかを、
研究して始めて復元が可能なのである。
モダンになりすぎてはいけないし、
面白いと思ってもいけない。
何せ佐々紅華にならなくてはならないのだから。

長いこと歌手をお待たせして、
昨夜、やっと佐々紅華が降臨してくれました。
「おっせ~よ!」と怒鳴るも相手は何もいわず、
しかし、代わりに筆は進めてくれたので、
引っかかりながら進めていた部分を乗り越えました。
数日間は大変でした。疲れました。
ようやく皆渡して少しホッとしました。
直しはあるにせよ、精神的には晴れ晴れです。
しかし、皆さんを待たせた!すまない!
みんな、本番に向け、がんばろう。

桔梗の花がきれいだったのは、先日の皇居。
地下に潜って夜な夜な譜面見ていると、
花なんて見られませんな。イケナイイケナイ!

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