ハンス・アイスラー2020/05/04 20:44

ゴールデンウィークになればと思って、様々なレジャーを考えていた方々もいらっしゃると思いますが、今年ばかりは、とことん内面的なゴールデンに徹して楽しむのが、最適なようですね。

かく言う私も大した予定も立てずに、
相変わらず毎年は、本来仕事の数十年間、、、でしたので、
なんだか超特別な時間を頂いた特別休暇のGW。
外にでたれないので、本を読み、転寝を楽しみ、
「時間」という、性根が過ぎ去る性質の過酷な友人との
付き合いはこの際放っておく事は最高です。

一人で楽しめる、、なんて言っても、
とにかく「ヘ〜、へ〜」と唸る本が好きですので、
課題である100年前調べに没頭して居ます。

ところで、こんな作曲家の紹介。
ハンス・アイスラー 先生です。
先生で無くても良いのですが、
誕生が1898、〜1961というドイツ人を代表する一人です。
正統派クラシックを語る人からは出ない名前なのですが、
私にとっては重要な先生の作曲家です。

ベルリンでも東側の音楽大学は学校名に
この方の名前がついて居ます。
なかなか簡単には説明がいかないのですが、
第2次世界大戦前には、充実した音楽活動もしながら、
戦争で全ての概念が壊れてしまった作曲のひとりでしょう。

世に出回っている作品の収録の数が少ないのですが、
戦後は東ドイツ音楽中心人物で、
なんと東ドイツでは国歌も作曲して居ます。
全てのテキストは理解しきれませんが、
労働者階級の悲しみを歌っているものも多く、
今でも非常に大切にされて居ます。

すごい時代です1920年代!
枝葉のように伸びてしまう知識を想像すると
社会問題と同化している文化を知らずにはおられず、
この作曲家の音楽もまた重要な作品です。

明日からも楽しもう、
飽きずにステイホーム、です。




実家の宝物捜索2020/05/07 15:50

実家に行く機会も減らして
しっかりStay homeと自粛していましたが、
たまには顔を出そうと実家行って参りました。

この時期、どこの家でもいつもやらない大掃除と
捨て切れないモノの断捨離の断行で
押入れの奥の方を綺麗にしていると思いますが、
実家もそのようで、様々スッキリしています。
そうなると、昔のものが漫ろ出て参るのですが、
例えば、私の小学校の頃の学校プリント、
10円単位のお小遣い帳、パステル絵の作品、、などなど、
まぁ面白い懐かしいモノ勢揃いです。

100年、いや1000年経っても待っても
博物館、資料館、国会図書館に入りそうなものも、
価値、値が上がりそうなモノもありそうではなく、
実家押入れからマイ押入れのリレーのように
引き継がれて引き取って来たのです。

「モノ持ちが良い」というのは、昭和の人間の
素晴らしい一面と思う片面、困ったものだと
感じることでもあるのです。

写真は私がベルリンから持ち帰ったお土産・・
これ、未開封のアメです・・・。

King's tea garden
https://www.kingsteagarden.de/start.html
ベルリンのクーダムにある有名紅茶店です。

ドイツには珍しい紅茶文化を売り物にしている
有名店ですが、30年前は、
お土産はとにかくこれを買っておけば大丈夫と
太鼓判を押された名店であります。

その紅茶店の、紅茶雨がそのまま未開封で、
しかも包装の紙まで昨日持って帰ったかと思うほど、
真新しい状態で保管されていた。

ほとほと感心しながら、食べたらヤバイな、、

と思ったら、もう一袋あったらしく、
「美味しいわよ!」と言っている。
えっ?食べたのか、30年前の逸品を・・・。

心中のつもりで私も食べたら
何だか懐かしく美味しい紅茶飴のそのままの味。
凄いというか、怖いモノ無しというか、

断捨離とは摩訶不思議な自粛の副産物なのです。

お悔やみ2020/05/09 20:40

過日頂いたラヴェンダーの花を数日鉢で楽しみ、
午後に庭先の地に移しました。
強く匂う花の香が初夏の土と混ざり合い、
高原の空気を嗅いでいるような気分にさえなりました。

このところ、皆さんに時間があるせいか、
昔のことを思い出したり、
然もなくば、片付けの途中で写真見ながら、
彼方を懐かしんで声を聞きたくなるなんてことありますね。

私も数日前には、久しぶりに海外の友人と長話になりました。
楽しい時間で感慨深かったです。

30年前なら、当然インターネットもなくて、
国際電話の割引の時間と時差を睨めっこしながら、
適切な時間にごく短い時間で用件のみ話しましたが、
ネット経由で掛けるのが当然の現代では、
平気で1時間以上でも電話しますし、
相手の顔を見ながらオンライン呑み会もできます。
科学技術の進化、インフラ整備の行き届いた、
グローバル社会というものは、
全ての人間関係を親切に、
そして気をつけないと無造作にも繋ぎます。

このように「久しぶり!、久しぶりです、、」
と始まる便りとは、本来楽しいものの筈ですが、
便りがある事が良いことばかりではありません。

大変お世話になった素敵な知り合いが、
亡くなりお悔やみをして弔って参りました。
よく知った方だけにそのような状態でいることも知らず、
半ば信じ難い話と思いながら、お顔を覗けば
空を見つめた静かな、
そして穏やかな姿で居られました。

このパンデミックの事で、
希望を持ち生き長らえなければいけない毎日であると、
特に感じていますが、
人の生死はそんな流行の価値観とは全く違うところ、
他からは窺い知れぬ、その方の時間という人生の価値の中に
存在していることを思い知らされます。

手を併せ弔いの言葉を呟きながら、
数秒の瞬く時間の中でしたが、
次の素敵な別世界に旅立たれる無事も祈り
美しい寝顔にお別れを申しました。

合掌

スペイン・インフルエンザ2020/05/13 12:59

新コロナウィルス(もうこの文字を打ちたくない)の
様々な情報は2月の時点から目まぐるしく変わり、
政府、行政の発表による予防に関する対策も
未曾有の疫病という困難から、
ただ私たちは従うしかないという日々。

医者でも学者でもないので専門的な知識はないし、
しかしながらデマや迷信も含めて惑わされながら
右往左往するのだけは避けたいと思っています。

様々な業態の方々が実害を被っているいる中で、
当然、演奏家並びに多くの実演家も同じですが、
今するべき術が無いまま自身の健康を最優先に
身を守る事に徹している毎日です。
文化事業、音楽芸術の分野に関わる私も
個人的には同じようにするだけなのですが、
時間が必ず解決することもたくさんあり、
「その後に何をするべきか」という事後の対応を
考える段階になって居ます。

いつの時代も、二世代前までの話は
体験や伝播で教えて頂いたり学んだりも可能ですが、
三世代以上になる100年前となると、
途端に大昔の知らない過去の世界となってしまうのですが、
今までの歴史を振り返っても、
産業や技術が進化しても人間が作り出す以上、
100年単位での繰り返しは非常に多いですね。
ヨーロッパの歴史を見ると勉強になる事が多いのですが
日本でも大正期から昭和に掛けて
どういう事が起こりどう判断して解決したかと
いうことはとても大事なのですね。

歴史の事実や繰返しを確認するのではなく、
芸術や娯楽の分野でも20世紀がどのように作られていったかを
研究するのが私の課題のようなものですが、
現在悩まされているウィルスも、
100年前のスペイン・インフルエンザを省みてみると、
様々な事がわかってきますね。
1918年〜1920年の3年間に時期をあけて3回にわたり、
合計45万人もの方々が亡くなって居ます。
第一次世界大戦が終わった直後、日本も九州に始まり、
広がりを見せたので他人事ではありません。

この歴史を読んでいると、周辺のことから、
2波、3波と来る間のこと、
また細菌や医学の話だけではなくて、
人々の日常生活や文化芸術に関わることまで言及して居ます。

100年前とはつい最近の昔です。
温故知新をさらに勉強します。

フランツ・レハール①2020/05/14 19:25

クラシック音楽の演奏会というのは、
言うなれば「再生芸術」という側面が強く、
創作された現代の新作ももちろん大事ながら、
多くのクラシック音楽ファンが求めているのは、
何度でも名曲を聴きたいということだと思います。

日本の伝統で言うなら、
能、歌舞伎、また邦楽などの「古典」に相当するもので、
何度聴いても、何回観ても楽しくなり、
その度にさらに発見もできてまた好きになるという事が、
クラシック音楽、再生芸術の真骨頂なのですね。

今年は、L.v.ベートーヴェンの生誕250年です。
彼ほどのビッグネームになると自身の作品だけで、
演奏会ではあらゆる曲の組み合わせも可能ですし、
ファンも聴きたい名曲が多岐に渡ります。

ここで今年も大イベントですが、
もう1人大切な周年作曲家がいます。

フランツ・レハールです。
1870年ハンガリーの生まれですので、
今年は生誕150年(!)となります。

あ、、ご存知ですか?
レハール・・・。

50年前を考えてみると、
当たり前ですがベートーヴェン生誕200年の年で、
今年よりもキリが良いので盛り上がりも多かったはず、
そうなると、このレハールもめでたい生誕100年だったのに、
今年よりより一層陰に隠れてしまったのでは無いかと
想像して居ます・・・残念。

レハールが、なんとも可哀想・・・

そこで、私はレハール大好きなので、
なんとかしようと思っています。

、、、ちょいと長いので、
続き、明日に続くにします・・・。
(広げて調べているレハール のCD写真です)

フランツ・レハール②2020/05/15 21:52

さてレハール ! 続きです。

写真、格好いいですね。
晩年ですが、元々チェコ音楽院に作曲と
ヴァイオリンの勉強で入っていますし、
演奏会でもブルッフのコンチェルトを弾いた記録があります。

さてこのレハール、作曲家の名声では現代では
ベートーヴェンの影に隠れましたが、
ある意味クラシック音楽の敷居を下げた
素晴らしい仕事をなさった作曲家と思うのです。

レハールと言えばオペレッタ「メリー・ウィドウ」!
1905年に初演したこの”陽気な未亡人” という
喜歌劇でウィーンを席巻して時代の寵児となって以来、
「メリー・ウィドウ」=レハールとして知られ
現代まで上演が途切れたことは猪です。

まぁ、妙な展開の面倒なドラマなのですが・・・
彼の紡ぎ出したメロディーは、
いつの時代も聴く方の心を捉え離さないと言う事です。

しかし、彼の全てはメリーだけでは無いのです。

ご存知ですか?
フランツ・レハールが、協奏曲やピアノソナタや
そして歌曲を作って居たことを・・・。

歌曲なんて100タイトルも残して居ます。
しかしながら誰も現在では歌ってくれません。
流行りの歌謡曲ではなく、芸術作品としての
歌曲が歴然とあるのになぜか歌ってもらえないのです。

3曲の交響作品や14曲ある協奏曲も、
ほぼ知られて居無いのは大変残念です。
オペレッタと連動するように
マーチ、ワルツは40曲ずつ書いて居ますので、
彼が時代を代表する作曲家であったかという
裏付けではありますが、周年となると、
ベートーヴェンの影に隠れてしまっています。

そこで、、

私が彼にライトをあてます!
日曜5月17日は担当している地元のFMで
一人でパーソナリティーを担当するので、
〜レハール 作品特集〜
と言うお題でお送りしようと思います。
12〜13曲程紹介できるかと思っています。
同時に喋りますが・・・。

狛江のFM??

ですよね。
インターネットで聴くのが良いと思うのですが、
スマホなどのアプリ<Listen Radio>を入れて頂いて
FM狛江 85.7MHzを探して欲しいのです。
アプリですと、地方別の放送局になっています。

5月17日(日)22:00〜22:55
FM狛江 コマエ・クラシック・ラウンジ
こちらで聴いてくだされば幸いです。

50年前の5月2020/05/18 00:59

日曜日22時からの地元のFM放送が終わりまして、
真面目に放送したので充実感より疲労感ですね。
フランツ・レハールの生誕150年のお祝い特集でした。
しかしながら過去の作品を取り上げながら、
紹介をすることは意義もあり、
特に埋もれがちな作品に関しては、
機会があればまたその次も可能性があります。

レハールと言うより、時代の移ろいが好きで、
100年前の大正から昭和、1920年代までと、
それ以降というものに大変興味があります。
レハール目線の数日間でしたが、
少しまた側面を変えて見ていこうと考えます。

さて写真ですが、
どうやら私の5歳の初節句の時です。
白黒なんですよね、、小学校中学年までは。

「大人が集まっちゃって、とりあえず静かにしているから
早く、チャッチャッと撮っちゃってヨ!」
と少し不機嫌だったのをよく覚えている5月です。

あれから50年。
実家にはあれから50年経っても、
少しも老けた感じが出ない戦国武将が
同じ体制で鎮座をしていました。
立派ですね、昔の造作物っていうのは物が良くて
収納や管理を丁寧に行えばいくらでも持つのでしょう。

レハール150年、などと言っていますが、
自分が歳を重ねてみると、19世期末なんて、
ついこの間のことに思えてきました。
そのくらいの方がきっと老けないで良い気がします。

美味しい時間2020/05/22 21:17

家に居る時間が少しずつ外出を必要として
外に出る事も多くなった事は
自粛しながらも良い機会ではあります。

ちょっとした仕事の打ち合わせを
安全且つ信頼できる相手としたい時に、
19時を超えてしまうとカフェも開いていない。
それで仕方のない特殊な事情も今ですが
様々な手を先に打たなければいけない時も
厳粛に厳守する事の辛さが最近です。
緩んでなんかいませんが、
一手を打つには行動が必要ですよね。
難しいものです。

美味しい蜜柑をいただきました。

これは甘夏?ハッサク?
甘さと酸味がちょうど良く
考え過ぎて甘く高級に作り込んだ果物が多い中
蘊蓄も過剰な礼儀も要らない
「気の置けない味」これが嬉しいです。

料理、時々します。
先日も執拗に拘ったミートソースを作りましたが
反省点も多く、今回は改良したソース。
責めながら考え過ぎず、
合理的に何度でもできる手順に味を目指して
ホウ、良い感じでした

そろそろ何処でもコロナ後の話になってきました。
行政、民間、様々考え方がありますね。
個人も団体も自分の団体のガイドラインが必要です。
安全に少し動く、冒険ではない毎日ですが、
護られていても何もできないと言う難しさです。

さぁ頑張りましょう。

カニカンとナスカン2020/05/23 22:30

まぁ人間ってやつぁ時間があるってぇと、
酷く周りのことが気になり出して、
普段なら目ぇ瞑って見ないで放って置いてあることでも
急拵えなマメ蔵に早変わりして周りの小さな事が
目障りで仕様がなくなる、、、これ貧乏性ですな

着物ってものは、特に昔の誂えの物持ちが良く
寸法の立て直しは当たり前だった訳ですね。
絹に限らず、平織の綿だって麻だって保管次第では
持ち方は洋装の比ではないですよね。

特に需要が段違いに多かった戦前、
もっと言えば大正期までは素敵な染物、紡ぎ物、
日本中に豊富にあったはずです。
今ほど殿方の着物は賑やかでは無いかもしれませんが、
やはり絶対数が違うので旧い着物が好きな方の
気持ちはよくわかります。

着物の話はキリがなくやめます。
その周りのモノに気になってしまう話ですが、

・・・羽織の紐が切れました。

普通切れないでしょうが、年代物の古い頂き物なので、
真田紐の端っこの「つぼ」が切れてしまい、
S字鐶(かん)が取れてしまいました。
捨てても良いほど散々使い古した紐なんですが、
なんでしょうね、性分が出ちゃうんですよね。
捨てられないのです。

最近は、写真にあるようなS字鐶なんて使わなくて、
大抵、カニカンかナスカン(缶詰ではない・・・)を
使います。
蟹の手のような形、茄子のような形からこういうらしいですが、
フックがバネになっていて取り付けも外しも簡単ですね。

ただ端っこの「つぼ」が切れてしまっていたので、
この輪っかのツボを作るのはもう諦めまして、
真田紐の端っこから綿糸を縫いつけながら縫製し、
なんとなく結び合わせたのです。
このカニカンをつけた紐を乳「ち」という羽織のキッカケに
引っ掛けて繋ぐのですね。

羽織紐を付け替えるのはそれはそれで楽しいので、
昔のように直付けではなく、カニカンはありがたいのですが、
出先でスッと羽織を脱ぐときは、無粋は無しでして、
羽織紐の両端「乳」の辺りをスッと引っ張ると、
スススと、ちゃんと紐が解けるのです。
この紐の結び方を「喧嘩結び」というのですが、
喧嘩っ早い江戸っ子が腕まくりして
「おう、テメェこのやろう!畜生!」なんて啖呵切るときに
威勢よく羽織を脱ぎ捨てたんでしょうね。
上品な商人の旦那衆がやることじゃありゃしませんね。

然し着物は楽しいな・・。

最近、ステイホームですと、
出掛ける用事が目っきり少なくて、
草履を引っ掛ける機会がなくて困るわけです・・・。

誕生日御礼2020/05/24 23:33

お祝いのメッセージを下さった皆様

心から御礼を申し上げます。

本日24日に誕生日を迎えて57歳になりました。ー


もう30 代のことも、もしや40

の頃の心境も

忘れかけて居る気がします。

10年前の2010年と考えてもソラでは何も出てこず、

人生に記憶などそんなものかと思う次第です。

お世話になった方が7年前60歳になった時、

私は50になったばかりだった訳ですが、

その方が染み染みと早いもんだよ50代の10年なんて、、、

と半ばボヤくが如く呟いておられましたが、

実感しかしない今日でもあります。


また1年頑張って生きて参ります。


さて色々な本を読み、

先人たちに影響をされながらここまで来ました。

音楽、芸能、娯楽、

様々な形で興味を形にした方と言いますかか。


例えば、、宝塚歌劇団創始の小林一三氏

1873-1957

生き方も思い入れも拘りもそして実行力も、

知れば知るほど影響を受ける方です。


益田太郎冠者 こと益田太郎氏(1875-1953

帝国劇場創立に寄与し日本にオペラを根付かせる為

凌いで凌いで、大正期の浅草オペラでは

戯作者でありプロデューサーでもあり、、、


徳川頼貞公(1892-1954 

紀州徳川の末裔であり、

大正から昭和にかけて音楽の殿様と呼ばれた

1913-2年間をヨーロッパ英国に住み、

あらゆる資料と人間関係を構築し日本に持ってきた、、、


そして、秦豊吉氏(1892-1956

この方の人生はなんと言っていいのか、

豪快で破天荒インテリジェンスと俗物も魂が同居、

ベルリンでの長い生活もその後の日本での活躍も。

会社員として働きながらも

ドイツ語翻訳などに精を出し

学者としても記録に残しながら、

額縁ショウーを創始した人物として、

とことんエンタメの世界をも追いかける、、。


秦豊吉というより丸木砂土と言うペンネームは

アングラ今で言うサブカルの世界では有名人ですが

俗に堕としながらも退廃的な見せ方の根元にある

人間の魂の欲求に率直です。


こんな方になりたいと改めて思う今日この頃です。

彼を描いた本を紹介しておきます。


今年も話の長い奴になりそうです、、。

この時期は紫陽花の風呂敷を持ったりして、

誂えた阿波しじらでチョイと用事に出ました。


皆さんの健康、地球に平和を強く祈ります。


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