終演! ― 2007/07/21 23:14
お陰さまで、3回公演無事に終了しました。
2演目、5人の出演者の歌手には、
心から敬意を払うと共に、大いに労いたい気持ちです。
英国喜歌劇(決してオペレッタでなない)は、
日本では他に公演している団体も少なく、
私達も、ミカドつながり、つまり、
ひょんな事から、足を踏み入れていますが、
やってみると面白いことに気付くものです。
シェイクスピアに代表される演劇王国英国は、
19世紀後半まで、
自国のクラシック音楽が壊滅状態でしたが、
演劇に関しては、王国の名に相応しく、
代々、脈々と血は受け継がれていたのです。
この土壌に誕生した19世紀の喜歌劇は、
やはり演劇の中に音楽があるという順序で、
音楽劇と言うより、音楽付き演劇といった具合です。
これは、ミュージカルの元となる考えですので、
決して否定はしないのですが、
オペラという観点で考えると、
日本人にはなかなか理解が難しいのですね。
日本で19世紀英国喜歌劇を上演する場合、
役者がとても素晴らしい演技をして、
A.サリヴァンなどを面白く歌ったとしても、
これは音楽としては、完成度が落ちるわけで、
本来のサリヴァンとは離れてあまり楽しくないのです。
昨年8月に英国で上演した「ミカド」が、
何故英国人に受けたか、ですが、
英国では、こんなに真面目にサリヴァンを歌っている
オペラ歌手は殆どいないので、
彼らにとっても真摯な私達の歌唱は新鮮でした。
サリヴァンはクラシック作曲家であって、
ポピュラーソングを書いていたわけではないのです。
どんなに歌いやすい、親しみやすいメロディーでも、
彼にとっては、大真面目な作品だったのですね。
それを英国人ですら認識していないのです。
メロディーメーカー故の悲劇と言うか、
彼のメロディーが一般に受け入れられて広まると、
クラシック作曲家として評価されなくなるという、
なんとも可笑しな話ですが、そういうものでしょう。
でも、今回取り組んでみると、サリヴァンの音楽は、
実は日本人にとても合う作品群です。
清潔潔白ですが、しかし生真面目ではなく、
演劇的な骨太さがありながら、メロディーは、
郷愁を誘うような懐かしさもある。
これは、きっと、ドイツで学んだ英国人の彼が、
程よくドイツ的で、またバランスよく懐古的、
もう1つ足せば、敬謙なキリスト教であったことが、
清潔感もあるところで、現代の日本人気質、
日本人のバランス感覚に似ているのかもしれません。
さて、もうこのくらいにしましょう。
3年前に英文学会にパネリストで呼ばれた際発表した
『サリヴァンの光と陰』というテーマで調べていた事は、
こんなところまでは気付かなかったのですが、
思わぬところで、日本的な事に気付いてしまったのでした。
みなさん、お疲れ様でした。
2演目、5人の出演者の歌手には、
心から敬意を払うと共に、大いに労いたい気持ちです。
英国喜歌劇(決してオペレッタでなない)は、
日本では他に公演している団体も少なく、
私達も、ミカドつながり、つまり、
ひょんな事から、足を踏み入れていますが、
やってみると面白いことに気付くものです。
シェイクスピアに代表される演劇王国英国は、
19世紀後半まで、
自国のクラシック音楽が壊滅状態でしたが、
演劇に関しては、王国の名に相応しく、
代々、脈々と血は受け継がれていたのです。
この土壌に誕生した19世紀の喜歌劇は、
やはり演劇の中に音楽があるという順序で、
音楽劇と言うより、音楽付き演劇といった具合です。
これは、ミュージカルの元となる考えですので、
決して否定はしないのですが、
オペラという観点で考えると、
日本人にはなかなか理解が難しいのですね。
日本で19世紀英国喜歌劇を上演する場合、
役者がとても素晴らしい演技をして、
A.サリヴァンなどを面白く歌ったとしても、
これは音楽としては、完成度が落ちるわけで、
本来のサリヴァンとは離れてあまり楽しくないのです。
昨年8月に英国で上演した「ミカド」が、
何故英国人に受けたか、ですが、
英国では、こんなに真面目にサリヴァンを歌っている
オペラ歌手は殆どいないので、
彼らにとっても真摯な私達の歌唱は新鮮でした。
サリヴァンはクラシック作曲家であって、
ポピュラーソングを書いていたわけではないのです。
どんなに歌いやすい、親しみやすいメロディーでも、
彼にとっては、大真面目な作品だったのですね。
それを英国人ですら認識していないのです。
メロディーメーカー故の悲劇と言うか、
彼のメロディーが一般に受け入れられて広まると、
クラシック作曲家として評価されなくなるという、
なんとも可笑しな話ですが、そういうものでしょう。
でも、今回取り組んでみると、サリヴァンの音楽は、
実は日本人にとても合う作品群です。
清潔潔白ですが、しかし生真面目ではなく、
演劇的な骨太さがありながら、メロディーは、
郷愁を誘うような懐かしさもある。
これは、きっと、ドイツで学んだ英国人の彼が、
程よくドイツ的で、またバランスよく懐古的、
もう1つ足せば、敬謙なキリスト教であったことが、
清潔感もあるところで、現代の日本人気質、
日本人のバランス感覚に似ているのかもしれません。
さて、もうこのくらいにしましょう。
3年前に英文学会にパネリストで呼ばれた際発表した
『サリヴァンの光と陰』というテーマで調べていた事は、
こんなところまでは気付かなかったのですが、
思わぬところで、日本的な事に気付いてしまったのでした。
みなさん、お疲れ様でした。
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