初日完璧2007/07/19 23:27

初日が終わりました!
あらためて面白い作品2つです。

以前から私の中では最大のテーマである、
大衆的は芸術であるのか、という事が、
この2本では非常に大きなキーワードです。
芸術の仮面を被る事は簡単ですが、
大衆はそう簡単には着いて来ない。
問題は、それが芸術か否かではなく、
賞賛に値する本物かどうかであると思います。
この辺りを、プログラムノートに書きました。
佐々紅華と、A.サリヴァンという、
2人の巨匠をどのように取り扱うかが問題です。

以下、大変長いですが。

「大衆的は、芸術か否か」 
~二人の作曲家の点と線~

 邦人作曲家初めてのオペラ作品と言われるのは、山田耕筰が、1912年ドイツ留学中に作曲を開始したオペラ「堕ちたる天女」で、1915年にようやく歌舞伎座で公演にこぎつけている。また耕筰は1920年、日本での本格的なオペラ運動を展開すべく、『日本楽劇協会』を設立している。浅草でのオペラ活動「浅草オペラ」は、この時代とほぼ重なっており、1916年頃から数年で最盛期を迎えた「浅草オペラ」が、日本の正統オペラ界に与えた影響は計り知れない。そして今度は、浅草を離れた佐々紅華が新天地でのオペラ上演を目指したのだから面白いものである。1921年作曲の<Artist Life>は、一言で言えば驚愕の作品である。そもそも音楽家ではない彼に、どうしてこれだけの作品を書くことが出来たのかが不思議である。国や財閥の擁護により海外での研鑽を積み、創作を続けた山田耕筰に対し、海外から取り寄せたオペラの譜面を相当研究したとはいえ、恐るべき才能の開花である。この作品には、19世紀中期のオペレッタスタイル、イタリア古典オペラ風レチタティーボと、彼の研究の成果が存分に現れているが、彼が後世に名を残すようになる大衆歌謡と言うべき音楽も挿入している事が、佐々紅華らしい渾身の作品と言えるのではないかと思うところだ。

 作曲家アーサー・サリヴァンと言っても、日本では、一般のクラシックファンには、まったく無名の名前かもしれない。では、喜歌劇<ミカド>の作曲家と言ったらどうであろう。残念なことに、この世界一有名な喜歌劇も、日本ではおよそ知られていないのである。
 サリヴァンは、軍楽隊の父の影響で音楽を始め、8歳で聖歌隊入りし、賛美歌の作曲を始めている。10代の終わりにはライプツィッヒにあるメンデルスゾーン音楽院で優秀な成績を収めて卒業しており、卒業作品、<テンペスト>の付随音楽は、英国の初演でも大層評判だった。彼の骨太な管弦楽の基は、留学時代に影響を受けた初期ドイツロマン派である。
 英国は、ヘンリー・パーセル以降、18世紀初頭から150年間に渡って、自国の優秀作曲家がいないに等しい。例えば18世紀に活躍したヘンデルも帰化したドイツ人であり、英国で活躍したイタリア人作曲家も多数いる。ベートーベンの第九交響曲が、ロンドンのフィルハーモニー協会からの委嘱作品である事などからも解る様に、英国は英国人の音楽というものを失っていたのである。このような状況であったから、純国産であり才能溢れるサリヴァンの出現は、英国人にとっては、最高の出来事だったはずである。<Cox&Box>は、彼の出世作なのだが、この作品の成功により、6歳年上W.S.Gilbertから誘いを受け、後にG&S作品と呼ばれる<ミカド>を含む14作品を発表していく事になる。最後の共同創作<The Grand Duke>を終え、4年後には亡くなっているのだが、ギルバートと組んでいた20年間も筆を休めた事は無く、オラトリオからオペラ、バレエ音楽に至るまで作品を沢山残している。だが現在の音楽史では、復興した英国人作曲家と讃えられるのはエドワード・エルガー以降であり、サリヴァンは、含められていない。エルガーが<エニグマ変奏曲>の成功により、自国出身の作曲家として確固たる地位を確立したのが、サリヴァンの亡くなる2年前である。G&S作品は、今でも沢山のファンがいるのであるが、大衆に支持されればされるほど、皮肉な事にサリヴァンはクラシック音楽家の分類からは、外されていったのである。サリヴァンは、讃美歌集で最も歌われている作曲家であり、純粋クラシック音楽である教会音楽でも人気がある作曲家だが、大衆的であるが故にクラシック界から黙殺されているのは、不思議なことである。
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