友人葬儀2022/07/23 10:19

長く生きて居れば実に様々な事が起こりますが、
立ち向かってみたり、諦めてみたり、
自分で対処出来るならば
まだそれなりの思い切りもあるでしょうが、
突然の人の死には何もできなかったという
後悔に近い残機にも似た感情が残ります。

30歳も歳下でしたが頼もしく、
この5年間は公的な仕事ばかりか、
私の個人的な演奏にも協力をしてくれて、
歌うことだけではなく、
人を纏めて先頭に立つという能力にも長け、
創作と想像力に全身全霊を傾ける姿に
年配として、ある時は遠くから拍手を送り、
近くにいれば声をかけて肩を抱き、
共演したら熱の篭ったままのフォーマル着に
手を当てながら、彼の情熱を掌に受けて、
頼もしくそして一緒に何度も乾杯をした。

弟さんと電話で話し、人懐っこい抑揚の効いた
兄貴にソックリな声を懐かしく聞き、
昨日は挨拶に立ったお父様の声が、
美しいテノールで彼の声のルーツを知った。
悲しみに暮れる中なのに、
立派な挨拶で、家族の愛情を思い知った。

あと30年40年と歌えた期待をされた人物。
音楽とか芸術ではなく、真っ直ぐに相手を見る姿に
常に真摯に生きる彼の思い出だけが残った。

残された者も悲しみに暮れるが、
どうせ残されたなら、彼のためにもう少し頑張ろう。

アルミ趣味2022/06/19 08:49

本来はジュラル民族と言わんばかりの
ドイツ製RIMOWAの蒐集癖でしたので、
ジュラルミンというアルミ合金素材の進化系に
没頭して魅力に取り憑かれていました。

第二次世界大戦後に、
爆撃機ユンカースの筐体に使用していた
軽くて丈夫な素材の再利用として
トランクケースに採用された由来です。

一方アメリカには、Zero&Hulliburton、
通称ゼロハリなる雄が存在します。
こいつの有名なのは、アポロが月面着陸の際に
月の石を収めて地球に持ち帰ったという
頑丈で信頼性の高いアルミニウム製の鞄という
絶対的な人気を誇ります。

ジュラルミンは軽くて凹んだりしますが、
簡単には破れたりせず、
金属自体を犠牲にしてショックを吸収しながら
中の物を守る性質がありますが、
対してゼロハリのアルミは強くて丈夫、
外的に屈することなく跳ね返して中を守るという
実にアメリカ的な発想が欧米の文化の違い。

ドイツに傾倒している私は、
長いことゼロハリなど見向きもせずに、
RIMOWA一辺倒でしたが、
10年ほど前でしょうか・・・
「敵を知らずして身内を語れ頭」と悟り、
ゼロハリの不足過不足を検証してやろうと
手軽なアタッシュケースを購入した
・・・もちろんヤフオクで十分なのです。

しかしこの悟りの境地が、新天地ゼロハリの
屈強な体躯に傾倒してしまうことになった・・・

なんでしょう・・・
ゼロハリのリモワとは全く違う製品の価値は、
逆の言い方をするとジュラルミンに奢り(失礼)
他の部位、箇所の作りが甘いことが多いリモアより
兎角優れており、
ただ一点の欠点を除けば高級な鞄としての自負は
ゼロハリの真骨頂ともいうべき20世紀USAの
最高傑作の一つと称えても良いと思います。

ということで、、、
すでに手に入れていたゼロハリのクラシックという
シリーズの妙な大きさの変形アタッシュに加えて、
通常のレギュラーアタッシュのクラシックを
オークションで手に入れました。

比較ですが、手前は横長の希少ゼロハリアタッシュ、
そして後ろが従来の大きさのクラシック、
元は後ろの大きさしかなかったはずです。

横に積みましても高さの違いがわかります。
今回購入のアタッシュは復刻ではなく当時もの、
オリジナルクラシック(ビールのようだ・・・)
というところに魅力があります。

復刻での小サイズにクラシックの内装は革が奢られ、
非常に高級感あふれる内装に高価格アタッシュという
付加価値を感じます。
対して下のオリジナルクラシックアタッシュは、
麻のマテリアルか、布張りの簡素な貼りが質素で
実に好感が持てます。
多少汚れが見えますが、長年の過年経過として、
これは劣化ではなく「味」と誉れたいです。

そしてここに感激いたしました。
大抵の場合「鍵はありません、保証書もないです」
という注意書きが添えて落札の条件になりますが、
この筐体には鍵が2つと保証書がついている・・・

ふと思い出したのだが昔は100年保証を謳っていた。

キャッチだったか?、
今でもそうか?と調べたが、
「5年」って買いてあった、ゼロハリよ残念だ。

このクラシックは1996年製ですから、
すでに26年が経過していて、
購入してあまり使わずに新古品のようになっていた
持ち主(ゼロハリあるあるです)さんの
保管状態に良さに感激です。
この時代に黎明期のゼロハリの復刻版として製品し
販売されていたということです。

大事にしようと思いましたし、
使用してなんぼだと思いますので、
私は出し惜しみしない派なので、
ガンガン使用したい、、、のですが、、

一点の欠点。

重い。
重いのです。
アルミの削り出し筐体というのは、
身長190センチ100キロが標準のアメリカの方々
を基準に作られたのか、
車で運ぶ、いやアポロで運ぶのが当然とばかり、
東京での電車移動ではとてもとても、
根を上げてしまう。

ですからデッドストックになるのです。
美的な鞄で絶対に壊れない壊されない自信、
これは使用されずに家に閉まって置くから。

今回も分かっているのに手許に置きたい、
この欲求に負けました:::

誕生日経て2022/05/25 10:35

1つ歳を重ねました。
59になることなんて考えなかった。

改めて数字にすれば9が重いな・・・
と思いながら思い返せば、
9を重いと感じたのは19になった時。
あの時は浪人をしていた春で、
時間も考える事もたくさんあって、
中途半端に感じながらも目標があって、
20歳の時には音楽大学に居ようとして
様々な事象があったのでよく覚えている。

さて、、、
29、39、49・・・
何をしていたのだろうか・・
それしか3回しかなかったのか。

いつでも「この時、この瞬間を忘れない!」
なんて思いながら西暦月日時間までも
頭の中で数服させながら記憶するのに、
物事は覚えていても時や歳は同時に記憶できない

そういうものなのだろうか。

昨年行きつけのお店のソムリエ君から紹介されて
気に入って家から注文をいるのですが、
安心院(あじむ)のスパークリングワインです。
仕事から帰宅すると一般的な食事タイムではなく
とりあえずウガイして座って開けました。
いや空けました・・・ですね。

ひょんなことで郷ひろみ氏の記事を読み、
ストイックで真面目な生き方に感心したのです。
「還暦を前に、何か楽しい事をやめてみた」
こういう考えでものを考えるか・・・
楽しい、愉しい、享しい・・・
それも良いなと思いました。

差し詰め、毎日のように唱えている
ジュラルミンと言う回数を年間5回くらいに。
何も物理的には減らない。
身の回りの整理でもするか・・・
でも天井から降るほどある書籍、譜面、音資料
これらは残してスッキリしていく。

言ってみただけです。


母にお煎餅をいただきました。
コワレモノ注意で厳重に運ばれて来たが、
確かに味が変わらなくとも
砕け散ると喪失するのが煎餅。

霰(あられ)露わに砕けても
味は素っ気に変わりなし

こんな内面を大事にする
1年にしようと思います。

読了2022/05/17 11:33

またまた更新!

書籍マニアかと思うくらいの資料蒐集癖ですが、
小説も読むわけです。
しかしながら所謂時代物と言う歴史小説は苦手で、
将軍の話も戦国時代もあまり興味はない。
ですが、、、
時代は時代でも、江戸も末期になると、
これは面白い画展がゆくことも多く、
東京昔話のように興味をそそられるのです。
西洋暦で言えば、19世紀末期ともなると、
明治まであと50年となり身近になるものです。
近世に分類されない気がしますので、
江戸末期好き、としておきます。

でも時代の親近感があっても、
チャンバラ勧善懲悪モノのようなサスペンスより、
気楽な、落語なら世話モノという、
庶民の暮らしが描かれている話が好きなのです。

19世紀の江戸末期なんてピンと来ない
なんて言う向きもあるとは思いますが、
私流の可笑しな見方で変換をさせて貰えば、
モーツァルトの末期、ベートーヴェンの後期、
こうすれば一般的ならぬとも
少しお分かりになる方もあるのか。
例えば第九の初演が1824年と聞くと、
さらにホウっと膝を打つ方もいるかと思います。
難しい話よ理、要するには、
実社会や毎日の生活の心情から想像できる、
なるほど!と合点が行けばドラマは楽しいのです。

直木賞作家になって尚一層忙しいと思いますが、
作家の西條奈加さんは泣き笑いの人情ドラマ、
面白い展開の江戸庶民の話がうまいですね。

第164回直木賞を2020年に受賞した「心淋し川」
(うらさびしがわ)も良い本です。
舞台が、根津、千駄木といった見慣れた下町で、
初っ端からホウっと唸る家族模様に一気に読めました。
この本はその前に読んだ吉川英治賞受賞の
「まるまるの毬(いが)」を先に読み、
やはり読んでおこうと購入しました。

江戸の話って、妙なことですが、
東京生まれ、江戸っ子に書かせりゃ巧いなんて
思っていたことがありましたが、
この西條さんも北海道ですし、
そのほかにも明治大正の話が上手い作家で
江戸っ子、ましてやと東京生まれでもない方も多く
そうなると大文勉強したのだろうと思う次第です。

妙な先入観で東京の街を見ないのが良いのかもしれません。
西條奈加さん、更に押して参ります!

江戸趣向2022/05/11 09:30

若き頃は、浮世を好きだったせいか、
歴史はどうも苦手意識が強く、
日本史も世界史も考古学のようで実感がなく
勉強を深くする気にもならなかった。

という言い訳から始めるので、
決して得意分野なのでは無いのです。

現生、つまり今に生きるという俗な生物は
必死に毎日の時間を費やしながら、
前を向くのに精一杯なのは仕方のない話です。
年を重ねるごとに自分にも過去ができて、
過ぎ去りし日々が自己完結する歴史となると、
達成感など何もないからこそ、
自分の前はどこに繋がっているのかを
少し知りたくなっているのだと思う次第。

幸にして西洋音楽から入り、芸能全般を
興味深く知る必要があったことから、
大正期、そして御一新以降に遡ったのですが、
この年になり更に遡ることの興味が深くなり、
所謂江戸時代という花形の舞台を見上げています。

私にとっては禁断という前置詞をつけたいほどの
近世以降の時代を指すのですが、
安土桃山からでは長旅になるので、
江戸末期という19世紀を西洋の歴史と重ねて
興味深く恐る恐る頁を捲っている程度の進度です。

こんな本がありまして、上下本のイカツイセットです。
演劇を語るのは地面から三尺位が良いと思って居まして、
つまりあまり高尚な話を続けるより、
座敷に座って芝居を見たり、
居酒屋で囲炉裏端で顔を見合わせて
物言い合うくらいの目線の高さが丁度良いと窺います。

そんなに難しいこと書いてはないのですが、
繁華街と言ったって、砂煙を上げていた頃の
芝居小屋の並びや騒めき位の話です。
明治の演劇史を捲っていると、
西洋の関係が強くなる時代でもあり、
次第に日本の進化を通り越していきますが、
江戸の末の芝居小屋ってのは、
文藝と演芸の間に挟まった高級魚の骨みたいなもので、
私が遡ってみてみると尊いものなんです。

こんな本もあります。

この本は実は知り合いの先輩から頂いたというか、
勝手に持って行って良いと言われて
何気なくいつも書棚からの出動回数が多いのですが、
明治期以降の年表を時々から芸能に関してまで
広く拾ってくれていて、
浮夜咄の抽出にはもってこいなのです。

歴史っていうのは、神社仏閣を見ても
なかなか人が動いて生活していた匂いが薄いですが
芸能の歴史は人間の業の話でもあり特定しない
舞台に携わる関係者の生き様が見え隠れします。

関係ないですが、
先ほどの上下間の背表紙です。

帯と合わせてこんな色合いでして、
柿渋と葵を重ねたような賑やかでワクワクします。
デザインという動かぬ説得力も200年後に活躍して
こんな生き様が完結するという典型と感服しました。

あら、このブログを2日続けて書いてしまった・・・

それではまた、晩夏に・・・

箱の噺2022/05/10 11:33

久しく書いていなかったら、
知り合いの御仁から「傘の話で停まってますね」
と半ば諭されて、、
生存報告がてらに書いておきます。

とはいえ、箱の話は大事なもので、
備忘のメモとは言え、拘りもあり、
大事な話でもあります。

箱が好きなのは男子特有なのか考えると、
女子だって可愛らしいお菓子の缶や、
装飾された贈り物の包装箱、
大人でも赤やオレンジの人の名前が入った
ブランド品の箱や袋はきっと捨て難いのでしょう。

斯く言う私も箱が好きすぎて、
(時折、クタッとしたトートバッグ的な
袋を持ちたくなるのはその反作用)
物の角が互いに収まり良い箱型の鞄が
好きなのが箱好きである動かぬ証拠でしょう。


雑多な銀の箱で恐縮でありますが、
真ん中2つがドイツのRIMOWA、日本ではリモワ
と呼ばれる代物です。
左の布が貼ってあるものもRIIMOWAですが、
こいつぁあ実はちょいと旧くて、カメラ機材用の
AMANONASというタイプの前身なのであります。
フレームジュラルミンで側が木と布という珍品
右の三つはゼロハリバートン略してゼロハリなので、
こいつはドイツに対して思想が違うUSA製品。
ハッキリ言えばここに写っているものは、
全て珍品で、私以上の2ブランドのマニアの方は
この写真を真ん中に置いて、
3時間ほどの激論の談義と宴会を催せるでしょうから
その席には私も是非呼んで頂きたい・・・

既製品ってのは一度手にすると満足で、
世界で何千人、貴重だって数百人が
同じものを抱えているとなるとつまらないもので、
誰も持って居ない「箱」というのは、
既製品でありながら、もはや「作品」として
希少性に頬ズリをしたい愛玩具となるのです。

ですから上の写真の真ん中のビューティーケース、
しかもシルバーインテグラルのシリーズとか、
出回らないゼロハリの同じくビューティケース、
その前の小さな葉巻ケースに至っては、
苦笑されるほど珍品として変人扱いです。
多分大抵の方は、この銀色の塊、
ジュラル・・・とか、アルミとか、
はたまたステンレスとか、光っている銀なら、
どれでも良いのでしょうと僕を邪な箱に入れます。
(箱の横に縞が入るのは強度Upのためで邪も正解!)

ジュラルミン好きですが、
ポリカーボネートという新しい軽い新素材も、
これらのメーカーは後出させています。
これも珍しいRIMOWAのものですが、
このダブルジッパーはきっと売れなかったので、
とっくに市場から葬られているのです。
邪魔だったのか、友人から譲られたのですが、
この中には実は小鼓が入っており、
特殊形状のラウンドの形と大きさが、
小鼓をバラして収納させるのに大正解でした。

こういう用途が見つかると箱は箱で生まれた意義を
実感するとと共に、育ての親としては、
収納の用途を世間に憚ることなく、
自慢に転じながら小鼻を膨らませ、
大手を振って箱の必要性を訴え続けられます。

箱に収納をするという所作は、
「箱に命が吹き込まれた瞬間」という儀式です。

中が空洞であると邪魔と思われがちですが、
解って居ますが、開ける時の毎回の期待度は
収まりが良いほど快感に通じます。

年を重ねると、、、
誰でもカバンの中を小分けします。

何がための防衛策か、小さな整理整頓をして、
バッグ・イン・バッグなる手段でポーチなどを
忍ばせるのが得意になるのです。
この小包、ポーチって輩も、同じように
箱であることが望ましいので、
この箱型ポーチも増えていくのですが、

ほら・・・可愛いでしょ?
さっき見せた武骨の眩しい銀箱よりも、
数段モダンな実用性も合理性も引けを取らない
そんなポリカーボネートでしょう?
こういう柄で攻めてくるので、
いつになっても箱は減らないしやめられないし、
そもそも、
何時の日か中身を入れたい時に箱が無いという
不幸や恐ろしさに悩まされないためにも、
箱は用意しておくべきと思います!

オチなんてないのです。
こんなに長く書いておいて、、、

箱好きを心理学的見地からご教授いただき、
よもや私の不治の病を治療してくださるなら
ご教授歓迎致したく思います。。

ありがとうございました。
次回は晩夏でしょうか・・・

アイカサ2022/01/11 11:11

どうでも良い話というか、
音楽や公演などとは関係ない話で恐縮です。

昨年夏から「アイカサ」の会員になっていまして、
いわゆるサブスクリプション、サブスクです。
これは月額を支払うといつでも傘が借りられる
「相傘」というサービスシステムです。

最初に借りたのは数年前ですが、
このシステムの割と早い時代の利用者です。

仕組みは、駅などに置いてあるアイカサから
傘を「借りるか返す」という単純なことなのですが、
最初は利用時に都度借りていました。
70円で1日、24時間借りられるので、
突然の雨で急を要し駅で借りで家に帰って
翌日また駅に返すのが基本です。
遅延すると課金されますが上限でも月に480円です。
万が一無くしても弁済金も864円と安く、
月に1本ビニール傘を買ってしまうより良い。

さてこのビニール傘が問題。

アイカサで知ったのですが、日本中で年間8000万本も
ビニール傘が消費されているそうです。
私も確かに駅前でしょっちゅう買っていたし、
それ自体が紛失しても壊れてもあまり罪悪感がなかった。
でも8000万というこの数は尋常ではないですね・・・
資源や環境の問題はもとより、モラルとして。

現在は月280円の使い放題プランですが、
これが実に優れているのです。

同時に2本まで借りられる!

つまり置き傘として家に置いた上で、
通り雨などにあった時に駅や商業施設で1本借りられる。
利点を最大限に利用すると、例えば、
行く先にアイカサ設置がされているとわかっていれば、
家の最寄りの駅で傘の雨をふるい落とし傘を返す。
電車に乗って、行き先で新しくアイカサを借りる。

ほら!電車で長い傘の煩わしさがなく手ぶらです。
因みに、アプリで設置場所や残数なども確認できる。

今まで数百本の傘を無くして、壊して、忘れて来たので
無くしてしまったらどうしよう、弁済金は安くても
何度も無くしたら8000万本削減の利点も減ってしまう。

と思っていましたが、不思議なものです!
この数年傘を紛失させていない。

・・・当たり前ですか?

サブスクでレンタル権利を持っていても、
元々誰かの傘と考えると紛失させられないという
多少の賢者のモラルが働くのか不思議と無くさない。
あまり自慢するときっと無くす・・・。

とまぁ利点ばかりですが、
普段の利用範囲が私鉄が多く、
私鉄に設置場所が多いのが利用のきっかけです。
現在は駅や施設にも広がり様々な場所で借りられますが
この設置がもっと広がれば、
さらにビニール傘は減るに違いありません。
共用というのがコロナ禍で禁じ手になっていましたが、
それで良いものは割り切るのは正しいと思います。

時代も変わったというか、教わることも多いものです。

ご興味ある方は下記を!

アイカサ:
https://www.i-kasa.com

2022年元旦2022/01/01 17:33

何をして居るのか分からないうちに
2021年は過ぎ去った気がします。

コロナ禍と言われて慌てて公演の処理に明け暮れた
2020年には様々な記憶があるのですが、
この1年間は仕事も日常も取り敢えずあるが、
いつの間にか師走、正月という速さに
身体も精神もついていかれない元旦です。

おけましておめでとうございます。

年に数回しか記さなくなったブログですが、
読み返すと必要なこともあるので、
詳細まで綴らなくても備忘録程度は残しましょう。

・・・この記事長いです。

元旦は実家ですが、
子供、甥っ子も成人して乾杯から
一緒に揃うようになりました。
様々な人生は自分だけではく子供達にもあり、
成長の過程では心配や応援も含めて
実にドラマティックと感じます。
久しぶりの、というよりこのメンバーでは
年に一回の乾杯航空写真ですね。

彩の鮮やかな料理、最近はお取り寄せが楽しい
お節料理も海の幸も有り難く手を伸ばします。

毎年ですが、乾杯と料理を頂き様々報告。
少しゆっくりしてから、近所に初詣です。
いつもの場所ですし有名な商店街なので
説明も要らずです。


皆と別れて一人で散策ですが、
コロナの間に街が一転してしまいましたので、
子供の頃からの街のパトロールは欠かせず、
変わり果てた数十年を経た老舗、
既に新店が賑わいを見せているテナント、
左右を見回しながら立ち止まって確認したり
声を上げたり感心をしながら進みました。

逆に声を上げた店「ますや」さん
小学校の裏手にあり、
毎日のようにプラモデルを眺めたり、
大人しか操れないラジコンの大型飛行機を
遠いオトナの趣味と憧れたり、
そして小学校の高学年の頃は鉄道模型の
Nゲージ(9mm)を少しづつ買い求めて、
家で線路を組み立てながら楽しんだのです。

間口を大きく開き、昔から変わらない
雑然とした美しき宝の島は健在でした。
元旦から開けている気概は、
子供たちを楽しませようとするご夫婦の
玩具屋としての心意気でしょうね。
挨拶の声かけをしながら中に入り、
上手から下手の棚をひとしきり眺めて
思い出に浸り感嘆となりました。

あの頃から変わらぬおじさんとおばさん。
話を聞くとお子さんは私の一学年下らしい。
そんな事よりお二人の元気な姿と変わらぬ店に
感激もひとしおで涙が出そうであった。
この写真のジオラマの下にはガラスケース。
中を覗かせていただけば、
数は少ないが当時のままの鉄道模型が鎮座。

モハ114 たぶん今では走っていない客車
KATOのNゲージを手に取り再び感慨深かった。
この後実際にジオラマの電車を走らせてくれて、
おじさんが長い時間愛している模型と
商売の一端を見せてもらった。
何だか嬉しい・・・。

後ろ髪を引かれながら挨拶をして先へと進む。

商店街を抜けて中学校。
もうすでに名前も変わり、そして新校舎。
こうなると思い出は記憶の中にしかなく、
あの頃を過ごした部活も人間関係も
全てが幻かと錯覚してしまうほど・・・

素敵な校舎になっていました。

初詣行脚のようですが、
大きなお寺の後に猿田彦大神
道祖神のような人知れずの居所ですが、
立派な神がいる場所で手を合わせる。

この後さらにパトロール。
都電に乗って大塚まで行って、
この辺り、池袋、大塚、巣鴨の氏神である
天祚神社まで出かけてお参りでした。

こんなにゆっくり近所を歩くのは、
1年に1度くらいでしょうが、
自分の年齢と共に感じ入る事も
思い出すことも変わってくるものです。

でもこの非常事態の2年間という事が
特別な感情を抱かせた事は間違えないですね。


さて長くなりました。
親も良い年になりましたが健やかで何より。
抱負とまではいかないのですが、
永遠には続かない時間を楽しみ慈しみ、
今年も今を大事に生きようと思います。

没後10年となる義父の三木稔
お母さんにも手を合わせて元旦の儀でした。


家でもう一度、客車を近写しておきました。
当時の値段、値札のままのタイムマシーンが
色々と話しかけて来ます。

最後になりましたが
本年も宜しくお願いいたします。

無事終演2021/08/08 22:42

7日のライブ配信公演が無事に終わりました。

2年以上前から企画が生まれて、
昨年は一度流れまして、
今年度やる話が湧いた時にも半信半疑でしたし、
オリパラに紐付いた共催公演だけに、
7月早々に無観客が決定した時には、
失望感と公演への焦燥感が同時に去来しました。

以前の私ですと、
自分で企画して逃げるも投げるも、
実行するら決断するのは自分でしたが、
組織の中にいると勝手にはできないどころか、
様々な助け舟を出してくださり、
落ち着きながら対処して行ったのだと思います。

無観客ライブ配信であることが早くからわかり、
逆にいえばそこに徹せねばならず、、
良い公演であると同時に
最高の番組である必要も生まれたわけです。

新しい組織の縁と、
20年以上も昔からの長い付き合い、
いわば阿吽の呼吸で仕事を進められる方々の世話になり、
どうにか息切れもせずに進めました。

公演の2日前からは、現場ですので、
様々なことに気を気張りますが、
もうまな板の鯉でもあり、
全ての関係者、出演者の力を信じながら進むのみでした。
こういう時にジタバタしても仕方なく、
ジックリと音楽と言葉に向き合うと、
そこまで思考した事で自然に答えも導き出され、
混沌とした中でも見えるものは常にクリアでした。

劇場の素敵な空間が色付けられ、
最後に演奏者や歌手が舞台に立ち、
息吹を差すことで作品に力が生まれます。
こうなると楽しさしかないもので
順調に公演までたどり着いたのでした。

ライブ生配信は、アーカイブとして再度配信されます。

目処は2週間後ですが、
底からは1年間みなさんにみてもらえますので、
様々な感想を寄せて頂きたいです。

しかし、実現に漕ぎ着けてよかったです。
全ての分母にコロナ禍という
状況が構えていることを思うと、
中止の恐れもあり、内部での感染者が出れば、
やむなく中止を選ぶ可能性さえありました。

どんな公演でも、一様に大切ですが、
準備が長かった公演ほど、終演に安堵します。
長くなりましたが、
全ての出演者、関係者に深くお礼をいたします。
ありがとうご合いました。

8月7日配信ライブ公演2021/08/07 15:01

何も書かないうちに半年以上が経過したのですね。
どうにか元気です。

オリパラ関連で公演があります。
下記を貼り付けさせていただきます。
チケット値段が書いてありますが、無観客ライブ配信です。



オリパラの熱戦が続いておりますが、下記公演を神奈川県主催、神奈川フィルで制作しておりますので是非皆さんにご視聴頂きたいです。

組織委員会の公式共催プログラムに選出されながらも、残念ながら無観客ライブ配信公演になりました。どなたでも無料でご覧になれますので、多くの皆様にご覧いただきたく存じます。


東京2020 NIPPONフェスティバル共催プログラム

「静、愛と死 ~能とオペラの融合による創作舞台~」

2021年8月7日(土)15時〜17時 神奈川県民ホールより、

〈神奈川フィルYouTubeチャンネル〉により生配信いたします。

https://youtube.com/c/kanagawaphilharmonic

※この配信は改めて後日アーカイブとしても配信いたします(配信日未定)


また、無観客にはなりましたが、公演特設HPを開設しております。

この公演の見所、詳細を案内しておりますので、参考になさってください。

公演特設ページ:https://special2108.kanaphil.or.jp


■静御前の半生を、能とオペラの融合を試みながら、創作公演といたしました。

第一部の能は「船弁慶」の前能を半能として、シテ方に中森貫太氏(鎌倉能舞台)、第二部は、三木稔作曲/なかにし礼台本によるオペラ「静と義経」(1993年鎌倉芸術館開館委嘱初演作品)を、2019年に再演した日本オペラ協会ソリスト、神奈川フィルの演奏によりダイジェスト上演いたします。

■能は特設舞台ではありますが、四拍子、地謡が入り、オーケストラには、邦楽器として二十絃、小鼓が加わり、語り部分には薩摩琵琶が入ります。照明も含めて本格上演となる創作舞台です。


■能「船弁慶」では、都を追われた源義経が西方へ静を伴い船で立とうとしますが、弁慶に咎められ、義経は静を都に返す決心をします。別れの白拍子の舞が、前能のクライマックスです。

オペラ「静と義経」の物語は、数ヶ月後に東を目指して旅立った二人の、吉野山での別れの場面から始まります。厳冬の山越に、堪らず義経は静を都に返す決心をすると、平泉を目指し旅立ち、これが二人の今生の別れになってしまいます。

子供を孕っている静でしたが、春に鎌倉に召喚され、義経の兄頼朝請われて白拍子を舞います。母磯の禅師は静を気遣い、静は産まれ落ちた義経との子供の行く末に悲観すると、さらに義経の死を知らされ絶望の淵に立たされます。

義経と子供への愛、そして絶望を見た末の死。

能とオペラで繋がる二つの静を、音楽も含めた様々な融合でご覧いただきます。





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