満腹ワルツ2007/07/12 09:09

土曜日公演のバレエのオケリハ最後の日。
「30周年の記念公演に地元のオーケストラで」、
という先生の強い希望で実現しましたが、
当初、このプログラムでアマオケは厄介だなぁ・・と、
思ったものです。(失礼)
<くるみ割り人形>や、<白鳥の湖>ならば、
響きも慣れていて、ドラマの展開がわかりやすい、
言わばアマチュアにも経験ある世界観ですが、
ワルツポルカだけを集めた音楽をやるのは、
とても難しいものなのです

20世紀前半がジャズの時代、後半がロックであれば、
19世紀中頃は、ウィンナーワルツの時代です。
伊達や酔狂でなく、皆が踊れや踊れだったのですから、
人口の3分の1が踊りに行ってしまうという流行期も
頷けるものです。
こんな父から受け継いだ流行音楽でありながら、
シュトラスス2世は、次の時代への礎を築くのです。
これがウィーンオペレッタであり、ダンス音楽から、
聴く為の、観る為の音楽へと変貌していったワルツです。
今回のプログラムは、時間で40分ですが、
以前選曲したものの構成で、「ウィーンからの手紙」
というタイトルのバレエ作品になっております。

金曜にバレエと会場リハやって、土曜にゲネプロ、本番。
とても良い演奏になると思います。
少ない練習の中、向こうに光が見えてきました。
大切なバレエ公演の縁の下になれる様に頑張ります。
以下、私が書いたプログラムの曲目解説ですが、
興味ある方は読んでください。
知らない曲ばかりでしょう?でも素敵な曲ばかりです。


「ウィーンからの手紙」は、ヨハンシュトラウスⅡ世の魅力をたっぷりと味わっていただきたいと思います。ヨハンシュトラウスⅡ世(1825-1899)は早くから父ヨハンシュトラウスの影響でワルツを書き始め、晩年はオペレッタを中心に580曲もの作品を書いた流行作曲家です。彼の最大のヒット、オペレッタ『こうもり』の序曲に続いては『こうもりのバレエ曲』です。スペイン、スコットランド、ロシア、ボヘミア、ハンガリーの5つの国と地方の舞踊から構成されていて、「こうもり」の第2幕<世界各国からの貴賓が集まるパーティー>での余興の踊りとして、シュトラウスはとても苦労して作曲しましたが、今では他の曲が演奏される事が多く、殆ど演奏される事のないバレエ曲です。『舞踏会の小さな花束』は本当に舞踏会のために書かれた速いポルカですが、この中のトリオの旋律はオペレッタ「ウィーン気質」でも取り上げられています。『新ピツィカートポルカ』は最初の「ピツィカートポルカ」が書かれた23年後、当時の流行を意識して作曲し、オペレッタ「伯爵夫人ニネッタ」の中の子供のバレエ曲としても使われました。当時はとても人気があった曲で演奏会ではアンコールに応えて何回も演奏したそうです。<ピツィカート>とは弦楽器を弓で弾かず、指ではじいて音を出す奏法です。シュトラウスは27歳の時大きな病で1年間療養していますが、春の訪れと共に病気は回復し『すみれのポルカ』を作曲しました。小さな花が大地に根を張って美しく咲く姿を描写した曲は、新たな力と生命の喜びを小さなすみれの花にたとえた希望に満ちあふれた名曲です。『回転木馬の行進曲』の題名になっている<回転木馬>は、中世から続く伝統的な宮廷での馬術競技のひとつです。宮廷主催の春祭りで招待客のために披露された競技にヒントを得て、シュトラウスは作曲しました。ギャロップのリズムは本当に馬が優雅に走っているような音楽です。美しいメロディーが有名な『南国の薔薇』は、オペレッタ「女王のレースのハンカチーフ」に書かれたメロディーでしたが、このオペレッタは初演で全く人気が無く、4日後すぐにオペレッタの中のメロディーを「南国の薔薇」ワルツとして書き換えました。するとこの美しいワルツはたちまちウィーン中の人々の心を捕らえて大ヒットしました。そして最後はシュトラウスⅡ世が子供の時に影響を受けた最大のライバル、父シュトラウスⅠ世の代表曲『ラデッキー行進曲』です。
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