1周年2007/08/01 23:58

1年は、早いものです。
昨年の今日は、バクストンで<ミカド>の公演、
朝早くから、大変な1日だった事を思い出します。
その日ばかりではなく、現地入りしてからと言うもの、
約束した稽古の場所が確保されていなかったり、
稽古場にピアニストをお願いしてあったのに、
立て続けに2日来なかったり、、と。
2日目の夜は、総監督とアシスタントの息子と会談、
「もう、このままではでは出来ない!日本に帰る!」
までは言わないものの、その位言わなければ、
こちらの心情は解ってもらえなかった事態でしたね。
公演の成功や、評判、その後のマスコミの賞など、
日本人初の<ミカド>海外公演という肩書きは、
苦労して渡英した甲斐が十分ありましたし、
Wikipediaで、Mikadoと引けば、
私達の公演が書いてある程の残像を残しています。

何が早いかって、
あれから1年も経ったのかと思うほど、
逆に1年間何をしていたのか良く覚えていない。
よく考えれば、帰国後にあんな公演、そんな公演、
最近でも、あれもこれもと思いだせるのですが、
如何せん思考回路が疲れているのでしょう、
余裕、いやユトリと言うべきものが全くないのですね。
モノを考えたいのに、考える時間なく、常に、
遅れた分を取り返す作業に没頭しているのです。
先に回ってモノを考えられない事ほど辛い事はなく、
やらなくてはならない事に時間を労費することは、
色あせた自分の影を追い回しているみたいに、
次第にクラクラと目が回ってしまうものです。
やらなくてはならない事に追い回されるほど、
退屈で億劫な作業はないということなのです。

いつまた思考し、創造できるようになるのか、
相当な時間を要する気がします。
ミカド英国公演の大変さは、今でも尾を引き、
関係者に迷惑を掛けている部分が多々あります。
これらがすべて笑って語れるようになって、
やっと身体の力が抜き、肩を下ろせる気がしますので、
私の頭も身体も、きっと公演が終了していないのです。
戦争が終っても、戦後は終らないといいますから、
この公演がもたらした善しも悪しきも、
時だけが解決してくれるわけではないのかも知れません。

正月に1年の計を立てる人、誕生日を区切りとする人、
様々な方がいるでしょうが、
私にとっては、8月1日は元旦なのです。
昨年の英国公演に参加くださった方々、
あらためて御疲れ様でした。
心より感謝申し上げます。

非名誉職2007/08/02 23:40

我街の音楽文化の中心を担っている
文化振興財団の理事会でした。
何故に私が理事になったかよく解りませんが、
理事の任期交代に伴うものです。
基本的にみなさん狛江市民なところがキッチュです。
しかし、とても頼もしい方が2人。

一人は、元N響首席Vn奏者のH氏、と、
今のところ伏字にしておこうかな・・。
当たり前の如くベテランH氏が理事長に推薦され、
全会一致で決まりましたのです。
これはよかったし、H氏は私のような新参者でなく、
長きに渡って地元の音楽文化に計上しているのである。
もう一人は、芸大の少し先輩で、
この方は有名人なので、伏せなくても良いでしょう。
作編曲家、いやVn奏者か、?斉藤ネコ氏。
(ま~、楽しい日記があるので、みてくれやし)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~neko22/
ネコさんは、最新の椎名林檎とのアルバムが素晴らしく
以前頂いたCDに、暫く私もハマっておりました。
彼とは、駅近くの飲み屋でよく会うのですな。
大体狛江の場合、何処に行くのも皆自転車で、
店の前に停めてあるチャリで、誰か判別です。
「お、来てるジャン!」と、
チャリで人相が解るという、エコロジーな街です。
彼の多才ぶりは、狂人の域と思いますが、
実に細やかな神経や、音楽産業との才覚も十分で、
尊敬する頼もしい方なのです。

名誉職の理事会なんてもんは、
手を挙げスパッと全会一致、
ニッコリ笑ってハンコを押して、
握手と労い即解散。

なんてイメージですが、そんなの嫌です。
問題山積みの「音楽の街―狛江」構想ですが、
何処に着地していくのやら、まだ先は見えないのです。
小さな街の大きな意志。
少ない人口ですが、沢山の才能。

これからです。これから!

歌謡曲2007/08/03 23:36

阿久悠さんが、亡くなった。
畑は違っても大変尊敬している作詞家である。

子供の頃、スター誕生で、
鋭い意見を吐きながら、
新人達をたしなめるように審査していた姿が鮮明。
阿久っていう苗字が、子供感覚では不思議なので、
「若いのに鋭い、なんだか妙な名前のおじちゃん」が、
大方の子供の頃印象である。

70年代の歌謡番組の多さは異常で、
名前の似通った番組が沢山あり、
1局で週に2~3番組はあったでしょう。
ゴールデンタイムは、歌謡曲尽くしだったのです。
ピンクレディーにキャンディーズ、
山口百恵に天地真理と、どんどん排出する新人。
当時はまだ録画の時代ではなかったので、
人気歌手はハシゴしながら、番組に出演し続けたのです。
ピンクレディーは、まさに阿久悠ワールドでしたが、
今だったら驚きもしない、UFOやサウスポーも、
当時は度肝を抜かれたものです。

もう亡くなって数日経ちましたから、
新聞や雑誌、テレビでも、彼の功績や半生、
作品の紹介等が随分と行なわれ、
いまさらの様に、才能とひたむきな姿勢に、
ただ、驚くばかりです。

歌謡曲は終ったのかもしれませんね。
曖昧な分類の歌謡曲というものが何だったのか、
そう考えると、今はただ古く感じるということが、
時代が産み落とした産物であるのかもしれません。
またひとり、偉大な人を亡くしました。
合掌。

痩せなきゃ2007/08/04 23:10

いつも公演で指揮をさせていただいている
NBAバレエ団主催の公演、
『ゴールデン・バレエ・コー・スター』
を見せていただきました。
2年に1回のバレエ・ガラも8回目を数えます。
世界から集まるダンサーは、日本人も含めて20人、
これにNBAのアンサンブルも加わる、
国際職豊かな公演を2日間行うわけです。

実はこの公演は、オーケストラでやろうという話も
あったのですが、事情でオケ共演話は無くなったのです。
そんなこともあって、興味津々あったのですが、
古典からモダンまで、とても多才なプログラムです。
音楽も純粋バレエ曲から、オリジナルオケ曲まであるのです。
各自(ペア)が自分達の作品を持ち寄りますので、
同じ曲で違う振り付けがあることはしばしばですが、
マーラーの5番の交響曲第4楽章<アダージェット>の
振り付け違いを観るとは思いませんでした。
全く違う発想と振り付けで、
同じ曲ながら、精神社会は異なるものですから、
言葉の無いバレエと、言葉のない器楽作品は、
良い距離感で結ばれ刺激しあうのでしょうね。

現代では、音響機器が進歩しているので、
昔のように酷いテープを持ち込んで、
「この音で!」なんてこと言う人は、
東側諸国や共産圏でも無くなったでしょうから、
16年間前に比べれば、このバレエ・コー・スターも、
音質に対しては、大変な変わりようでしょう。
逆に、音響機器の発展は、少し前の業務用が、
一般家庭用に入っているほど広まった分、安直です。
例えば、以前はスピードコントロールなんて、
音響専門の方しか使えない機能だったのに、
CDプレイヤーも安くなり、クラブDJなどが、
音楽のテンポを自在に操り音楽を創る技術を身につけ、
これが一般機器にも普及したのです。
バレエスタジオではこの機械導入は当たり前で、
ソロを、踊りやすいテンポにどんどん変えていきます!
メロディーやフレーズ、その前後の音楽の脈絡無しに、
指示を出すや、音響機器を担当している若いダンサーは、
一瞬にして目盛りを動かし、オーケストラ全体を、
意のままに操るのです。
これはスタジオ内天才指揮者だ!!

バレエのレッスン、公演の為のリハーサルは、
ピアノのよるものが基本ですし、
演奏するコレペティも稽古の指揮者も、
それにより技術や、バレエの事を覚えたのでしょうが、
現在、ピアニストを入れているスタジオ、いや、
ピアノがあるスタジオ自体が、
0.1%にも満たないのではないでしょうか・・・。
カセットテープに合わせて踊った時代は、
テンポの合う演奏を見つけたり、
苦労して音程変えずにテンポ変えてもらったりと、
皆さん時間もお金もかけて音楽を考えていました。

でもこんな苦労が実ってオケで踊るときの楽しさや、
喜びに繋がっていたのでしょうが、
可変テンポ機能を持ったCDプレイヤーの出現で、
一気にデジタル化・・・いや、そうではない、
私達生音を生業にしている演奏家にとって、、
特にバレエを振る指揮者にとっては、
怖い時代になりました。
「稽古のテンポでやってください」と言われます。
「私のテンポ」なら構わないのですが、
天才指揮者がいるスタジオの「テンポと同じ」、という、
非音楽表現が怖いのです。

この公演のプロの音響さんも天才指揮者でした・・・。
これはある意味でバレエ音楽の宿命でもあり、
踊り優先の世の中では、音楽が合わせていくのです。
面白いもので、チャイコフスキーのバレエ曲には、
彼の指定のテンポが入っていますが、
現在のバレエ演出では考えられないテンポばかり。
多分、相当工夫して音楽を書いて、
振り付けの元となるシノップスを気にしながら、
書いたのでしょうが、
残念な事にそのようにはなっていないのです。
でも逆に、時々バレエ振らない指揮者の演奏で、
考えられないテンポで振っているのを聴きますから、
ま、どっちもどっちですが。

これだけの公演を準備するのは大変なことです。
海外のゲスト対応だけで骨折りでしょう。
でも、バレエファンで埋め尽くされた会場は、
世界の高い技術と芸術に堪能していました。
お客様の笑顔が主催者の救いとなるものです。
おめでとう御座います。

ジッと、ゴーで、バシッ2007/08/06 23:33

このところ、22日から行なわれる
八ヶ岳「北杜国際音楽祭」の準備で、
席を立てないほどの事務処理の多さである。
昨年は、3日で5回の公演だったが、
第1回という不慣れや、様々な諸問題を抱えて、
なんとか終ることが出来たのだが、
その時に、「これ以上大変な事はないだろう~」と、
反省もありながら、2回目に向けて、
まだ前向きな志は余りあった気がしますが、
今年、
5日で、10回に公演が増えました・・・

国際と名が付くのだから、国際なのであって、
日本人だけではないのです、
スイスに住む中国人で、中国琵琶の名手“シズカ”や、
アメリカの打楽器トリオ、またタレントとしても有名な、
二胡奏者のチェン・ミンさんまでいらっしゃる。
その他にも、日本を代表するオペラ歌手の方々から、
地元甲信地方を代表する音楽家に至るまで、
なにせ・・・  大変です。

どうして、大きな事務局がないのでしょうかね。
って、予算がないからなのです。
Sキネンフェスティバルは、5億、
K津の湯煙高い音楽祭も25年で1億以上。
こんな予算規模で、1~2週の事をやっているのです。
とてつもない大きなスポンサーや、
観光地として名高い場所であれば、
こんな規模も考えられますが、
八ヶ岳「北杜国際音楽祭」、トンでもありません。
お金があればと言うわけではないのですが、
大変は大変です。とても、、、ハイ。

なので、最近は、すぐに疲れると自転車!
多摩川をゴーっと疾走しながら、
全身で風を受けて、体中に太陽を浴び、
心臓の鼓動を高鳴らせれば、生きてる、って、
思い出しますね。
堤防のコースを、川面に移る夕日を見て、
長くなってきた日日の影を追いながら、
何も考えずに走り続けます。

そして、バッティングセンターへ!

狛江は、素晴らしい施設があるのです。
これが良い。
足を鍛え、背中を鍛えたあとは、上半身。
動体視力が落ちないように、
球を見据えて目まで鍛えます。
ブシュっと飛んで来る球を、バシッと打つのですが、
これがどうやらいけています。
まぁ、元々バッティングセンターフリークですので、
効果は出てくるってもので、
気持ちいいのです。

こんな日が、続いております。
ジッとしてると思ったら、
ゴーっと走ってバシっと打つ。
ジッと、ゴーで、バシッの毎日なのです。

仕込は太陽と汗2007/08/21 23:32

長らくお休みしていたブログですが、
心配までされまして、
元気だった事を報告せねばなりませんね。

なにせ、大変な音楽祭準備期間。
他の仕事もやりながらで、
丁寧にブログを書いている時間さえありません。
そんな音楽祭『北杜国際音楽祭』も明日に迫りました。

今日は、朝から野外劇場の仕込。

数十名のスタッフが、
額に汗しながらモノを運び、組み立て、
少しずつ野外の大きなモニュメントが、
「劇場」という空間に変化していきます。
昼間の仕込では、夜の公演の臨場感などまでは
なかなか想像できないのでしょうが、
私の頭の中では、
沢山のお客さんの拍手がなり響きます。
数百の椅子も並び、照明タワーが持ち上がると、
準備していた机上の音楽祭の心臓に
少しずつ血が通うように、
舞台に生命が宿り始めます。

昨年の第1回が終わった次の日、
野外劇場構想がもちあがり、
その1年後には、このように、
現実のものとなっております。
すばやい対応や、
数々の要望に応えてくださった関係者に
私からもお礼を言いたいですし、
ここに純粋な血を通わしていくのは
私達の役目と、背筋が伸びる思いです。

仕込みは夕方まで。
そして夜の帳が下りると、
そこには亜空間の劇場が浮かび上がります。

帳が降りれば2007/08/21 23:50

さて、2本目。

夜の帳がおりると、
カナカナ、と鳴き叫んでいた(そう聞こえる)
ヒグラシ達も、不思議と声を潜めます。

ゆっくりと日が沈み、浮かび上がる劇場は、
周囲の赤松が最高の舞台美術。
照明高山氏の技術とセンスで、
尚一層の存在感を示してまいります。

19:00~、サウンドチェックも兼ねたリハーサル。
アメリカから来ている打楽器アンサンブル、
「パルサストリオ」と、スイス在住の中国琵琶奏者、
シズカ楊静が演奏しながら、響きを確かめています。

写真は「パルサストリオ」の3人。
技術もさる事ながら、打楽器アンサンブルの
醍醐味である魅せる技術もさすがなものです。

さて、明日から公演。
5日連続10回の公演です!!

真摯な太鼓2007/08/22 23:04

北杜国際音楽祭の第1日

今回の海外メインゲストは、アメリカからの「パルサストリオ」。
とても気さくな打楽器演奏家ばかりです。

アメリカ大陸踏んだ事がないせいか、
ヨーロッパ贔屓のためなのか、
私は、アメリカをどうしても好きなれないのです。
単純な理由ですよ。
銃をもっていたり、民主主義という名の戦争を肯定したり、
歴史と文化無き国の浅はかな苛立ちが、
とても軽薄な行動に露出してしまったり、
そんな権力構造が好きになれないのです。
でもこれは、アメリカ人が嫌いなわけではなく、
アメリカの国気質が好きではないだけなのです。

英語が得意ではないコンプレックスもありますが、
アメリカ人と話す時には勝手に防衛本能が働き、
頭の中で、相手をジッと観察してしまったりするのです。

さて、パルサストリオの3人。

彼ら、とてもまじめです。
3人共優秀な奏者であり、
大学で教鞭をとる教育者の姿も持ち合わせており、
学者肌の打楽器奏者達というべきなのかも知れません。
打ち合わせをして、よりよい演奏環境の手伝いをし、
仲良くなっていくと、とても真摯に音楽に向かい、
日本でよい演奏を魅せたいという意気込みも伝わってきます。
それに、日本を楽しみに、
日本語ハンドブックを小脇に抱えた彼らは愛らしく、
とても嬉しくなるものです。

公演は、彼ら3人の素晴らしいパフォーマンスで、
会場は大変盛り上がりましたし、、
もう一人のゲスト、中国琵琶のシズカ楊静の演奏は、
相変わらず、超絶技巧と甘美な音色で、
聴く者を圧倒していきます。

天気。
初日、予想通り少し雨模様でした。
途中からぱらぱらと降り、
前半は少し強めに降り始め心配しましたが、
お客さんは傘を差したりレインコートを着たりと、
しのいでいますし、何せとても集中しています。

朝から晩遅くまで働くスタッフに感謝しています。
通常業務をこなしながら参加しているNPO関係者、
協賛会社アルソアのみなさんには益々頭が下がります。

きっと明日は晴れるでしょうし、
もっともっと良い公演になるでしょう!

第二、第三2007/08/23 08:31

さて、2日目。

今日は昼間のコンサートが隣町の長坂であり、
夜は、また小淵沢での野外劇場です。

昼間は#2公演は、私の仕切りですので、
これまた早朝から出かけ、
出演者との打ち合わせをしながら、リハーサル開始です。
「甲信音楽家、滞在音楽家による昼のコンサート」
と題された公演では、山梨、長野両県から、
4組の演奏家の参加となりました。

歌、邦楽器、ヴァイオリン、マンドリンと、
さまざまな楽器の音色が会場に響き渡り、
音楽祭の重要な公演である事が確認できます。
音楽祭は、国際と銘打ち、
海外からのゲストも交えながら、
地元の方に素晴らしい音楽を聴いていただく、
ということが、ひとつの目的でありながら、
北杜に方々から人々が集まり、
北杜の紹介をする場でもあります。
また、これは地元の芸術家を紹介する機会でもあり、
そういう意味でもこの昼の公演は、
とても大事な意味を持つモノなのです。

暖かい拍手に包まれた終演後、
一息つく間もなく、小淵沢の野外劇場へ・・・。

今日の夜の公演は、オペラアリアの夕べ。
日本の顔といった歌手も多く、
素晴らしい男女5人の歌手によるオペラアリアの祭典。
しかも、これは単に曲を並べるお祭りではなく、
西洋の有名オペラアリアと、
日本のオペラアリアをほぼ交互に演奏しながら、
聴き比べる、言わば「アリア合戦」なのです。

赤松をライトアップした美しいバックステージは、
どんな素晴らしいオペラハウスでも実現できない、
天然の美術セットです。
ドラマに沿ったライティングを考えて、
最適な効果を演出していただける照明のT氏や、
舞台のプロとしての経験以上に、
人間としての真摯な態度が、
出演者からも信頼される、こちらもT氏。
また、決して好条件とは言えない野外劇場で、
最高の音響条件を提供し続けてくださるI氏。
いやいやそのほかにも沢山のスタッフに、
感謝しております。

公演は粛々と進み、肌寒い今夜の公演でしたが、
歌の外交市場とばかりに
次々に観客の表情を変えさせる西洋のオペラアリアに対し、
内面的な情念や愛情、はたまた憎しみや悲しみを、
魂の内側から揺さぶるような日本のアリアは、
遠赤外線のような効果で、心が熱くなり、
いつの間にか、寒さも感じないくらいに、
会場を静かに熱狂させていました。

欧州のオペラの歴史は優に400年を超え、
数千という作品の中からふるいにかけられたように、
今日のスタンダードアリアの人気が決まってきます。
対して日本でのオペラ上演の歴史は100年であり、
ましてや日本人による作曲作品の歴史は、80年足らず。
いや、本格的に作品として上演され始めた歴史は、
50年にも満たないのですから、
まだまだこれからこれから。
しかし、歴史を大切に文化芸術を育めば、
ギャップを埋めるのに400年など必要ないはず、
「これからこれから!」と、
フィナーレでは、拳を握り締めました。

歌手のみなさん、ありがとうございました。
笑顔で乾杯していただき、ホッとしています。
制作の代行やインペクに公演監督までしていただた
T女史にも敬意を表したく存じます。

さて、また明日!
明日は<羽衣>だぁ~

天女と若者2007/08/24 23:16

音楽祭第3日。
ここまで3日で5回の公演を消化し、
残り5公演をあと2日で催します。
打楽器アンサンブルの「パルサストリオ」も
名古屋の公演から小淵沢に戻り、
朝から最終日公演のリハーサルです。
この朝は、名古屋音楽大学の20数名も小渕沢入りし、
音楽祭のフィナーレに向けて役者が揃い踏みです。 

今年のテーマは、打楽器でしたから、
アメリカからの3人に加え、日本からも、
打楽器界の重鎮有賀誠門さん、若手の高梨晃さん、
また邦楽打楽器にも強いベテランの高橋邦明さんも参加。
また名古屋音大の栗原教授の下に集まる、若手20名は、
バリ島のガムラン音楽のひとつ、
竹を楽器としてアンサンブルを形成する、
ジェゴクアンサンブルメンバーで、日本唯一のグループ。
これらの方々が一同に集まり明日の公演に備えます。
朝のリハーサルは有賀ワールド全開(失礼!)で、
パルサスの連中も巻き込まれながらも、
エネルギー溢れる指揮に皆楽しそうに参加しています。

このリハーサルの裏では、今夜の野外劇場での公演、
『中国音楽の夕べに』出演する、
3人の美女がリハーサルを重ねています。
音楽祭は、公演だけでなく、時間を縫いながら、
リハーサルも数箇所の会場で同時進行に行われるため、
日程調整が大変です。
現地入りするゲストは勿論毎日違い、
入る時間や帰る時間、要望も異なるのですが、
なんとか出来る限りのことはしたいと思います。
送迎に始まり宿泊や食事、リハに公演、
すべてに気遣いながら進めていくのが必然です。

さて、午後からは隣町の長坂に移動して、
夜公演のためのゲネプロ(通し稽古)です。
私が指揮する唯一の公演ですが、
小編成やソロも多い音楽祭なので、
指揮者が必要なこと自体、本来は少ないのです。
今夜の演目『羽衣』は、すでに東京と千葉での本公演、
また昨秋は学校公演もこなし、3月にも公演があり、
オーラJとしては、十八番の演目です。
とは言え、沢山の邦楽器奏者とのアンサンブル、
2人のオペラ歌手との上演は、気が抜けません。
誰もが知る羽衣伝説は、
初めて聴く人にでも内容がとても解りやすく、
邦楽器やオペラ歌手の素晴らしさを
余裕を持って体感できるのではないでしょうか。

公演は、賞賛してくださる方も多く、
演奏中にも会場の熱気は、背中から伝わってきます。
今やベテランのソプラノの宇佐美瑠璃さん、
信頼するバリトンの小林由樹さんの熱演にも感謝し、
日本を代表する邦楽器奏者のソロも完璧。
儚く悲しくも不思議な、天女と若者の物語は、
会場の皆さんの耳に優しく届いた様子です。

明日は、また野劇場の公演、
いやいやそればかりでなく、昼の公演もあります。
がんばろう。
カウンター