3人娘2007/08/25 23:05

音楽祭第4日。

私は音楽委員長兼制作部長という、
いわば総務をしていますが、
ささいな心配や苦労も多少はありながらも、
事故無き公演を常に願いながら毎日仕切っています。
そんな私の一番の心配事は、まさしく『雨』なのです。

雨の日は、野外劇場での公演は中止。
すぐ近くの別の400人収容のホールで準備し、
公演は屋内で行う手筈は、最初から整っていました。
何度も言いますが、私は超が付く雨男で、
今までいろいろな催しや仕事で雨に降られています。
ついでに申せば、舞台監督のT氏も雨男で、
以前2人で仕事した大事な本番では、
そのホール中心に半径10キロのみ大雪でした。
そのこととは直接関係ないのですが、
企画の段階から、音楽祭4回の野外公演は、
2勝2敗でも仕方ないと、
天気の采配は神に委ねていたわけです。

今日は2つの公演。
長坂会場では、朝から夜まで邦楽の音が響き渡ります。

この音楽祭は、全国から集まってくる、
現代邦楽合奏団のコンベンションも兼ねており、
今日、明日には、各合奏団が競演する対流演奏会、
合同で練習した曲を演奏する交流演奏会があります。
これらは、ホスト団体のオーラJが仕切り、
約80名の参加者が演奏講習を受けたり、
公演の準備をしたりと、切磋琢磨する3日間です。

さて、野外劇場の公演では、
今日はひとつの目玉でもある『中国音楽の夕べ』、
3人の名手がそれぞれの専門楽器の腕を存分に発揮、
ソロにアンサンブル、で競い合うのです。
そして最後には洋楽器、雅楽も参加した、
朗読つきの新曲披露もある盛りだくさん。
クラシック音楽を中心とした音楽祭でありますが、
東西のアーチストが一同に介する公演なので、
普段聴く機会の少ない曲なども多く、
珍しい楽器や音楽に出会う毎日でもあります。

チェン・ミンは美しい容姿に二胡の音が伴うと、
天女が舞い降りたかのような立ち姿になり、
すでにスターの風格をも感じさせます。
また、フェイさんの姿、笑顔は愛らしく、
元来持ち合わせている優しい性格に、
長い間日本で演奏活動をしてきた経験も加わり、
アイドル的な存在で皆から愛されます。
そして音楽祭海外担当音楽監督でもあるヤン・ジンは、
中国琵琶の名手として世界で活躍する技術を
存分に発揮しながら、実力者として君臨します。
この公演の公演監督も努める彼女は、
聴衆に最高の一夜をプレゼントしてくれました。

最後カーテンコールでは、「見上げてごらん夜の星を」。
舞台上、ゆっくりゆらめく赤松の上空には、
美しく素晴らしい月が昇り、
中国3人娘の演奏にみな目が潤みました。

この公演の入場者は、約1000名。
もし雨が降っていたらどうしたのだろう・・・と、
反省や課題も残しながら、
そろそろ雨男は返上しようかと思うのでした。

Z改造計画2007/08/26 23:06

そして最終日、音楽祭5日目です。

朝9時から隣の隣町の公演の仕込みに出掛けます。
北杜市、実よい大きさのホールが、沢山あります。
1時間余の青少年の為のコンサート企画でしたが、
上手く学校とコンタクトが取れなかったらしく、
結局お客さんは大人が中心と解り、
前日の別リハ時に、急遽予定を変更して、
オトナコンサート仕様に変更したのです。
しかし、これが少し長くて、
スタッフは背中に冷たい汗を感じつつ聴いていました。
パルサストリオの演奏は勿論素晴らしく、
会場の方々も満足納得の1時間余ですね。

今日はコンサートが3つ。
この11時からのコンサート以外にも、
隣町の長坂では、コンベンションの交流コンサート、
そしてその裏では、夜の公演の舞台リハが進行します。
出演者は会場を分けても、スタッフ数は一緒ですから、
結局舞台スタッフがあちこち走り回ります。
しかも今年は打楽器の年ですから、
当然とんでもない打楽器の数があり、そもそも、
これらの調達を仕切るだけでも、大変でした。
3箇所の楽器屋、大学からの持ち込みに加え、
急遽地元小学校から借りたシロフォーン・・・。
公演には、鍵盤打楽器を5つも持ちこみ、
さらに通常の太鼓類、ラテンパーカッション、
これらを数人のスタッフで、がんがん組み立て、
公演終われば、ハイエナの様に楽器に群がって、
そら急げで、ばんばんバラしていきます。

12時20分に終った公演の全楽器をバラしてから、
車4台に乗っけて、高速道路はきっと法定速度を守り、
20キロ離れた野外劇場にとんぼ返りです。
14時開始にあわせ、打楽器8重奏の為の仕込をします。
しかし、スタッフワークは完璧ですね。
13時半過ぎには仕込みも終わり、昼食。

最終日の夜のコンサートは、
名古屋からのジェゴクアンサンブルが、約20名。
それにパルサストリオの3人に加え、
日本のソリスト、中国のソリスト・・
舞台には、延べ30人以上の出演者が順番にでます。

このジェゴクアンサンブルと言うのは、
竹の筒を鍵盤とするバリ島のガムラン音楽の一種。
楽器の数も凄く、一番でかい竹の筒は直径で25cm。
このデカクて低い音のする楽器群を、
打者(奏者とは思えない)は楽器に乗っかって叩くのです!
写真を見ればお分かりの様に、
演奏者は、恍惚とした表情になっています。
連続したリズムと音列は、なんどもなんども繰り返され、
メビウスの輪の様に、抜け道の無い永遠の運動となり、
次第に演奏者、聴く者までが、トランス状態に陥る。
ある合図で、この迷宮から抜け出していくのですが、
演奏中は、舞台が揺れているかと思うほど、
楽器は左右に揺れ、人間は頭を縦に振り出します。
いや、恍惚と言う言葉は、こういう時の為と、
神の宿る島、お祭りと奉納を信条とする、
バリの魂が、小淵沢で再現されました。

尺八の坂田誠山さん、21弦箏の木村玲子さん、
ティンパニーの有賀誠門さん、それにシズカ。
みなさん素晴らしく、明るい満月に照らされた会場は、
5日間の音楽祭の閉めに相応しい、ゲストの競演。
そして最後は、パーカッションの祭典の年らしく、
三木稔の『Zコンヴァージョン』を、8人で演奏。
最後は、この曲の魂でもある、阿波踊りのリズムに乗り、
シズカも演奏に加わり、有賀さんが会場を刺激すれば、
まずは徳島から参加の邦楽合奏団の方々は、
居ても立ってもおられずに、男踊りを披露し始めます。
これが合図で、会場中は阿波のリズムに包まれ、
狂乱の5日間の〆に相応しい全員参加のお祭り状態。
最高の盛り上がりを見せ、拍手拍手の終演です。

私は・・
トランシーバー片手に、次の段取りの指示をしながらも、
手拍子はやまず・・。
身体は、演奏家の性で動いて、今にも演奏したいが、
職務を忘れて舞台に行くことも出来ずに、
最後までサポートサポート・・です。

しかし、誰も病気せずに予定の公演が行なわれ、
沢山の方々に来ていただけたことにホッとして。
トランシーバーを外した瞬間に肩の力が抜けました。

感謝、挨拶、労い、賞賛、そして別れ。
沢山の思い出と共に全員での打ち上げも終わり、
長い長い5日間の音楽祭は終りました。

月の女神2007/08/27 23:11

音楽祭は終っても、
仕事はまだまだ終わりません。
終演時間が遅い野外劇場特設ステージなので、
次の日の朝から撤収作業がはじまります。
音楽祭前日の仕込みからほぼ1週間、
お世話になった野外劇場の撤収は、
フィルムのコマを戻すように進んでいきます。
大きな公演のあとに来る虚脱感が多少ありながらも、
みな撤収に汗を流して勤しみます。

劇場に潜む神の話はよくここにも書きますが、
この劇場に宿る神はどんな神なのでしょう?

夜の公演では、午後8時を回るころから、
劇場上空北側に必ず美しい月が現れます。
観客は、柔らかな緑の芝に囲まれて座り、
舞台の上空にしっとり輝く月を楽しみながら、
左右に静かに揺れる赤松を舞台美術になぞらえて、
舞台を楽しみ音楽に耳を傾けます。
きっと冬になれば、さらにキリッとした空気に、
さらに美しい月が顔を出すのでしょう。
そう、ここは月によって護られる劇場かもしれません。
河口湖の美しいすり鉢状の劇場が、
満点の星を臨む“ステラシアター”なら、
ここは、もっと大きな自然の空間、
南アルプスから、八ヶ岳、甲州路を照らす月、
毎日の天候も月に委ね、月が見守る劇場。

勝手に命名しましょう。
月の神になぞらえ、“ルナシアター”

道理で極超雨男の私が居ても降らないはずです。
月に抱かれれば、人間の運などちっぽけなもの、
劇場の運も月に任せ、女神ルナの采配に全てを託す。
どうでしょう、“ルナシアター”!

撤収完了した午後の劇場をもう一度眺めてみる。

昨年、ここに劇場など無かったと思うと、
不思議な気分ですが、これは偶然出来たのではない。
ここにあることが当たり前でもないのです。
大きな決断の下に、多くの方が集まり、
知力と経験によって沢山の時間と尽力があり、
この形と文化になったわけです。
杮落しから5日間の公演を経て今日、
あらためて見回してみると、
傷ひとつ無かった綺麗な完成時に比べ、
小さな傷と少しの汚れは、次第に風格となる、
劇場の歴史が始まった事を記す勲章です。
沢山の素晴らしい舞台を創造する責任を感じます。

音楽祭は、まさに怒涛の5日間の内に終了しました。
NPOを形成し、特別協賛という形で、
様々な協力をしてくださったアルソアの皆さん、
何百人という社員の方々が携わったのでしょう。
長坂、須玉の会場は、地元ボランティアの方々が、
手馴れた仕事振りで、協力してくれました。
地元には地元の顔が似合うものだと感じました。
野外劇場の設営から公演中、最後の日まで、
事故1つ、滞りも無く遂行していただいた、
私の信頼する最高のスタッフ方、
また音楽面で手の届かない部分にまで手を伸ばし、
様々なケアをして頂いた音楽スタッフの方々。
北杜市役所のかた、また関係機関や公的機関も、
協賛の名の下に、随分と助けられました。
何百、何千の方々が協力し終了しましたが、
多くの反省と、大きな手応えを生かしながら、
来年に向けていかなければなりません。
まだまだ2回目、ようやくつかまり立ちを始めた、
幼児の様な音楽祭ですが、
他音楽祭にはない「東西の出会いの場」という、
音楽祭のアイデンティティーを失ってはならず、
新しい文化を発信していく事をしなくてはなりません。

尽力くださった方、足を運んでくださった方、
この場を借りて深く深くお礼申し上げます。

100万の顔2007/08/29 23:03

東京に戻って2日目。
中旬の猛暑を経験してからの避暑仕事だったので、
帰京後の気温に拍子抜けです。
「来るなら来い!」とばかりに、
気合入れて猛暑を乗り切ろうと思っていたのに。
しかし、音楽祭が終った途端西から東へと雨。
昨夜は落雷に見舞われ、我が家もしばしの停電であった。
オール電化の家は、電気が無くなると弱虫なので、
長引くと困るのですが、すぐ点いてホッとしたのでした。

2日前までの音楽祭の残務に追われながらも、
ドンドン仕事をこなさなくてはならず、
感慨や、燃え尽き症候になっている時間さえなく、
停まっていた仕事の取り返しから手をつけるのです。

夕方の小雨模様の中出掛けていき、
あるオペラ団体のオーディションに参加です。
勿論、私は歌うのではなく聴くのですが。
団体や公演形態によっても様々ですが、
オペラ歌手の皆さんには、オーディションがあります。
そんな事、知らない方も多いのではないでしょうか?
大きなオペラ公演や、ガラコンサートなどがある場合、
適した歌手を探したり、新人発掘の為でもありますが、
受けるのは若い人ばかりではなく、中堅の歌手の方も
オーディションを受けながら、役に結び付けます。
本当に大変だと思いますし、これを採点する側は、
致し方ないのですが、辛いものがありますね。

ヴェルディ、プッチーニなどのイタリア作品、
モーツァルトなどのドイツ作品、はたまた、
ドイツ語でもワーグナーのような楽劇と称するもの、
これにフランス語のオペラや、日本の作品、
ロシア語にチェコ語、勿論英語と、
様々な作品がある中から自分の得意分野や、
歌いたい作曲家を見つけて行きますが、
常にそのような作品を上演している訳はなく、
容赦なく、自分の持ち歌ばかりではないものに
挑戦しなくてはなりません。
公演に合った希望曲や、キャラクターに近い曲、
それらを選択するだけで、今度は音楽とドラマの中身を
知る為の勉強も欠かせないのです。

歌手といえども、役者と同じ、
100万通りの役があれば、
100万の性格を歌い分けなくてはならず、
語学から、運動能力、演技力からダンスまで・・・
その上で自分の歌を歌うのですから、
10代でデビューできてしまうような、
器楽奏者とは根っこからして違いますね。

この公演は、来年の夏なのでまた報告しますが、
楽しく質高い公演にしなくてはいけません。
企画を十分に練り、じっくり作り出そうと思うのです。
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