桃色が粋2007/04/01 23:29

年中利用する中央高速自動車道からの眺めは、
見慣れたものでありながら、
四季の移り変わりによる木々の彩りや、
富士、八ヶ岳、南アルプスの山肌は、
やはり季節と気象による変化で、目に優しいのです。
東名と違い、左右山に囲まれていますが、
代わりに、両側の花々の咲く色に見とれ、
花の展覧会をハシゴしているようなものです。

東京は桜真っ盛りですが、
山梨から長野と、少し標高を登るので、
まだ蕾だろうと思いながら走っていると、
ブドウとワインの里“勝沼”を抜け、
となり町は一宮。
予期もしなかったのですが、
一面ピンク、いや桃色の花が咲き乱れ、
まだ尖った茶色い木々と、青々とした芝の
トリコロールのコントラストが美しく、
時速100キロで先を急ぐのがもったいない。

仕事は松本なのだが、
冬の間使わなかった小淵沢の家を開け、
掃除をしてからその日泊まれる用意。
毎年この1番に開けるのは私の役目です。

思い出せば、完成して1年目の春は、
ドア開けた途端、真っ黒(誇大表現ではなく)に
覆われ床に目を疑い、
さらにそれが数万匹のてんとう虫とわかり、
1日で5万匹(主催者発表!)のてんとう虫を、
掃除機で吸い取り、掃除機のゴミ袋の中で、
巨大なてんとう虫に変身しているのではないかと、
ビクビクしながら春を迎えたのです。
でも、何年も経ち、今では大した数でもなく、
掃除も簡単なものです。

綺麗な桃の花の話しが、
グロい話になってしまった・・。

次の日、帰りはどうしても桃の花を近くで見たく、
高速に乗らずに、20号をゆっくり上れば、
しだれた桜に次第に桃の花が増え、
菜の花は咲き乱れて、なんとも美しい風景が、
甲府までの間に広がります。
桃の収穫は、6月下旬からでしょから、
たっぷりの雨と、日照率高き山梨の太陽で、
立派な実をつけてもらいたいものです。

黄砂2007/04/02 23:40

昨日は、桃の花の綺麗な話を書いたのだが、
裏腹に、実は気象状況による体調の不調も
同時に体感しており、五感によるプラスの理性と、
五臓六腑にまで影響がありそうなマイナス症状も、
この数日同時に感じているわけです。

私は、有名な花粉症アレルギー症候群ですが、
杉とか檜とか以外にも、粉塵やホコリ、
猫の毛などにもにも敏感らしく、
この時期は、大概山の多いところに行けば
たちどころに不調を訴えます。
しかし、日曜の山梨長野方面行きで見たのは、
ただの湿度変化によるものではない、
山々の霞かかった姿です。
普段なら、午後になりガスってきた空は、
うっするらと平均的に雲が貼り霞んで来るのですが、
見たものは、色がついている疎らの霞です。

そう、黄砂なんですね。
韓国では相当量の黄砂被害で、学校閉鎖や、
外出禁止が出されているらしいのですが、
我が国も人事ではないのです。
この黄砂、花粉時期と重なる為、
あまり変調に気付かないのですが、
確実に、アレルギー症状がでます。
花粉の場合も体の粘膜の弱い部分に来るのですが、
黄砂は、ちょっとちがう・・・。
花粉にやられた目は、
ネバネバという表現がピッタリなのですが、
黄砂では、ジャリジャリ!ってな感覚で、
目が痛いのです。
これ、勿論鼻や喉にも来ているのでしょうが、
咳き込んだりするのもその理由。
そりゃ小さな砂が体中に入るばかりでなく、
成分は、
石英、長石、雲母、緑泥石、カオリナイト、
方解石、石膏、カルサイト、硫酸アンモニウム・・・
おいおい!砂なのか、これは。
こんな鉱石が化学物質と共に空から降ってきたら、
カラダだっておかしくなりますね。

あまり社会問題になってないですが、
中国の発展、砂漠化現象が進むと、
もっと大きな問題になり、近い将来、
花粉どころの騒ぎではなくなるでしょう。
日本ではもう20年も前から
報告研究され散るのですが、
大陸に比べ明らかに量のレベルが低く、
今まで問題にされていなかったのですが、
対策を打たないと、もっと大変な事になる。
昨日、山々を見て、自分の体調不良を感じて、
これは問題視しなければいけないと書き留めるのです。
環境省がまとめている「黄砂問題検討報告会」が、
これらをまとめています。
興味ある方、見ればちょいと怖くなりますが・・・。
http://www.env.go.jp/earth/dss/report/index.html

ミツバチ2007/04/07 21:01

銀座での採蜜に参加です。
NPO法人銀座ミツバチプロジェクトは、
銀座のビル屋上で養蜂しながら、
ミツバチを通して食と環境を考えるプロジェクト。

今日は第二回の採蜜ですが、
私は昨年から何度も参加しているので、
作業工程は理解しており、手伝いは慣れたもの。
暖かい陽気になってミツバチ達も活気に溢れ、
元気良く頭上を飛び回ります。
今日は、テレビ朝日のクルーと東京新聞の取材で、
マスコミも含め、初めての方は、
10万匹のミツバチの元気な姿に驚きながら、
刺されないかと心配しますが、
何もしなければ決して刺さないのです。
ただ、黒いものはクマと勘違いして、
戦おうとするので、巣箱に近い人は、
頭を帽子で覆ったり、顔にネットを被ったり、
一応の装備はするのです。

相変わらず美しい、ミツバチの働く姿と、
一心に集めた蜜の輝きは琥珀のようです。
この時期はソメイヨシノや菜の花の味で、
糖度はあまり高くはなく、苦味も少しあります。
半径3キロは跳びますので、
皇居や浜離宮といった場所に咲く花の種類によって、
味が変わることも、関係者は皆知っています。

6月4日から3日間の、
王子ホールでの創作オペレッタの舞台公演の、
プレゼンも欠かしてはいません。
必要な情報はマスコミにもお渡しして、
関連の文化事業、銀座発の文化芸術に、
興味を持っていただきます。
そんな大事な用もあり、集蜜参加なのです。

汐留方面、遠くに東京タワーも見えます。
この屋上、高さで12階ですが、
銀座は高い建物が少ないので、
非常に眺めも良く、気分もとても良い!
手に持っているのは、ハニカム、Honeycomb です。
養蜂では、人口の六角形のハニカム型を使用しますが、
余りあるエネルギーと、繁殖数によって、
この型の外に天然の巣を建設していきます。
寸分違わない6角形は、美しく、
これら全て植物の恩による成分で
出来ていると考えると、神秘的な生態です。
今年もハチに首ったけです!

佇まう事も大事か2007/04/08 23:09

今日は、7月のバレエ公演の為のオケリハ。
4月にリハとは時期が早いのですが、
アマチュアオーケストラの演奏との競演ですので、
早めに準備を仕掛けます。

初めて顔合わせするオケは新鮮です。
これはプロでもアマでも一緒ですが、
緊張感もあり、お互いの手の内を探るようです。
恥ずかしがりでは務まらないのかも知れません。
といって、傲慢な雰囲気はもっといけません。
このKフィルは、地元に愛されるべく活動するアマオケ。
自治体や劇場、指定管理者である文化施設管理者と
一緒に地元の環境や文化芸術活動に寄与する事が、
大事な時代ですが、様々な可能性を持っています。
バレエとの競演もこの活動の現われですね。

練習後は、近くの居酒屋で打ち合わせと書いて、
「飲み会」と読む会合。
とは言え、真面目な話しが多かったのですが、
真摯に音楽に向き合う方々が多くて、
話していてとても頼もしいものです。
音楽哲学の話はこういう場では御法度ですが、
そんな事は心得ているようで、楽しいですね。
日本の音楽シーンに代表されるに様に、
オーケストラ曲を愛する人は多いのですが、
オペラやバレエに興味を持ってピットに入る楽しみや、
競演する楽しみを知ると、
シンフォニーを演奏しても俄然楽しくなるものです。
そんな機会が増える事を期待しますし、
あちこちで、どんどんやって欲しいと思いますね。

オケのメンバーは、20人でも100人いても、
指揮者は一人ですので、私を覚えてくれますが、
逆に、演奏者の顔や名前を全部覚えるのは、
大変なものなのです。
元来顔を覚えるのは早いのですが、
名前を思えるのが全く不得意な私。
忘れてはいけない人でも覚えていなかったり、
カードゲームの神経衰弱の様に、
名前と顔のカードを捲ります。
ホテルのドアマンや、企業の受付、
バーのマスターや商店の御用聞きの方の才能を
見習わなくてはいけませんね。

いや、新鮮な出会いに感謝しながら、
次はどんなリハーサルにしようか思案して、
期待しながら出かけるのが楽しいものなのです。

先日の山梨行きで見かけた黄色が映える花。
これは水仙ですね。
可憐に咲く菜の花の群生した風景は、ザワザワと
小さな声で囁くような春のお告げになりますが、
この水仙の凛とした佇まいは、美少年の様です。
告げもせずに春を感じ取れと言わんばかり。
知っていましたか?
ギリシャ神話では、美少年ナルシッサスが、
水面に移る自分の姿に見惚れてしまい、
その姿のまま水仙の花になってしまったのです。
ですから、ギリシャ語では、<narsissus>
つまりナルシストの意。
うつむき加減で水面を見つめる姿、
なるほど、無口なハズです。

ハンマー2007/04/10 23:22

もう何十年も思ってきた事をはじめた。

調律である。
何もたいそうな事ではなくて、
自分の楽器は自分で調整するという事だ。

小学生なら、リコーダーを吹いた後、
掃除棒にカーゼを巻いて中を掃除し、
ブラスバンドの子だって自分で楽器を管理し、
修理だけ楽器屋さんに持っていく。
プロだってみな管楽器の連中は楽器の調整や、
簡単な修理なら自分でやり、
自分でいじる事が、楽器に対する理解と、
思わぬ発見等に繋がるものなのだ。
4本の弦の弦楽器は、10分に1回は調律し、
ハープ奏者は、練習や本番の時間より、
チューニングにかけている時間の方が
よっぽど長いのかもしれない。
ま、47本もある弦を、演奏中には、
始終ペダル操作で延び縮みさせているのだから、
それも納得なのである。
洋楽器ばかりではない。
筝は13本でも、17本でも、21本、25本、
みな始終音替えで成り立っているようなものだし、
長い時間かかる調律を眺めていると、
演奏の時よりよっぽど集中しているものだ(失礼!)

ま、とにかく自分の楽器は自分で管理という
ごくあたりまえの事を、
私も自分の楽器がトロンボーンという
世界一不自由そうな楽器奏者だった頃は、
毎日面倒を見てやっていたのだが、
指揮活動だけになって、楽器がなくなると、
指揮棒を毎日磨き上げても仕方なく、
となると、毎日の様にお世話になっている
必需品のピアノが気になるものだ。

青年期の頃より思っていたことだが、
定期的にお願いしなければならない調律が
どうも解せなくて、不思議な作業だと、
思っていたが、いろいろな調律師さんを知ると、
技術に明らかな差があることもよくわかった。
毎日稽古があるスタジオのピアノは、
最低でも年に2回は調律しますが、
当初、来る人の技術(耳)が余りに酷くて、
さんざん本人にも苦情、やり直しを言ったのだが、
音が解らない(聴こえない)人に言っても仕方なく、
何人も経て上手い方が来てくださる様になった。

引越しした1月に実家から運んできたピアノは、
(私が背負ったわけではない!詳しくは、
http://hanatsubaki.asablo.jp/blog/2007/01/11/
移動する前は、20年以上調律せずに、
四季による気温湿度の変化と、あるときは、
猫(故ジルベール)にオシッコをかけられても耐え、
移り変わる世界情勢世の大海原をかいくぐりながら、
音もさほど狂わずに来たものです。
ま、言ってみれば誰にも触れられずに、
長い長い冬眠状態だったのだが、
強制連行されての20キロの旅は堪えたらしく、
正調西洋式音階だったはずが、弾きだして数日、
ドはシに近づいて、しかしシはさらに逃げ、
挙句、未だ見ぬ国の不思議な民族調音階に変化し、
ベートーベンを弾いても、
蛇が出そうな音階に変化してしまった。

そこで奮起。
今まで疑問に持ちながらやらなかった調律を、
自分で手掛けて見ることにしたのです。
調律用のハンマーは、正式なものは高いのだが、
調べると安く売っている・・・。
早速購入!
そして、我が愛器との戦いの日々は始まった!

憧れの外カレー2007/04/11 22:12

凄いものを見た!
「牛すじ入りカレーパン」である。

私は、特にパン好きなので、3食でも歓迎!
お腹がすくとパンでありながら、
コンビニのパンはダメなので、
街のパン屋さんを覗くのが大好きである。
とは言え、食欲が無く、、、
いや、食道楽ではないというべきか、
結局、定番のアンパンなど買うのだが、
一通り、店内は見回すのである。

この店は新宿駅構内で、
店の入り口がオープンで、市場のように入りやすい。
しかも夜8時、9時か?、、、を過ぎると、
全品30%引きとなるのですから目が離せない。

カレーパンの本題。
カレー好き(カツカレーはもっと好き)なのですが、
外では食べられないので、、、何故?ですか?
だって、あの香辛料は3~4時間抜けないでしょう。
食べている人を、羨ましくは見るのですが、
食後、皆さんどうしているのでしょう?
歯を磨いたり、シコタマうがいでしょうかね?
その後人に会ったり、営業にデート、だったら、
どうするのでしょうか?気にしないのかな。
午後、オペラやオケのリハーサルで、
指揮者がカレー臭いのって、嫌じゃないすか?
なんだかね、、どうも、、、で、食べられない。

これ見たときも買えなかったのですが、
「牛すじ入りカレーパン」ですよ!
しかもパンまで真っ黒です。
どういう由来でしょうか・・
と、家に帰って調べると・・・なるほど。

大阪に船場カリーという会社がありまして、
ここは、イカ墨を使った真っ黒なカレーが有名。
またここの名物の“牛すじカレー”をパンの中に入れ、
しかもパンも真っ黒にしたのが、
オリジナルの「牛すじ入りカレーパン」で、
去年の夏にローソンがタイアップで発売したらしい。
私がよく買う新宿のパン屋さんは、
大阪が本社ですから、
当然この店や商品も知っていたのでしょう。
「ほな、うちもやりまひょか~」
となったに、違いないのである!

と、こんな推理を働かせたのだが、
昼間に外で食べなくても、
買ってくれば良かったのだな。
書いておいて、とても食べたい!後悔。
この深夜なら指揮もしないし、誰にも会わない。
明日も商品はあるのだろうか、気になる。
と、珍しく食の話でした。

Aの音2007/04/12 01:39

さて、調律の話です。

20年調律していないピアノを勝手にイジルと
一体何が起こるのだろうかと、
調律以前の問題を含みながらも、
構わずどんどん作業を進めてみたのです。
鍵盤の蓋を開け、上部の蓋も開け、
前面のデカ板を外し、鍵盤の蓋も外します。
こんな事は、いつもやっていること。
ココからが問題です。
さて、どこから行くか?何の音から調律か。

賢明なる読者の皆さんは、知っての通り、
チューニングはAの音でやりますので、
誰でも最初の音はわかりますね。
管楽器に慣れているブラスバンドの子は、
間違って黒い鍵盤のB♭の音から
始めてしまうかもしれませんが、、、
それでも構わないものかもしれません。

インターネットなどにも、
調律の手順ってモノは載っていますし、
どれ見ても大概同じ様なやり方だが、
チューナーを使いながらやりましょう、とある。
これが気に食わない!
チューナーとは、音を聞かせると、
機械の判断で、目盛りが左右に行ったり来たりで
音が高いか低いか、一目瞭然の機械なのだ。
こんなの使えば誰でもできるじゃないか!と、
私は、A=442のピッチの音叉1本で、
遣り通そうと強く決意。
基音は「一点ハ音」のA、つまり、
おへその右前辺りに来る鍵盤である。
ここから耳のみを頼りに、
弦をいじっていくのである。

何度も言うが、20年固まったままの弦。
前触れおなくいきなり頭殴って起こすように、
調律を始めるのだから、堪らないでしょうね。
最初はフェルトを弦の間に入れながら、
調律したい音の中でも、1本だけ鳴る様にします。

知らない方の為に・・・
ピアノは、グランドもアップライトも、
寝ているか立っているかで、基本的な構造は同じ。
弦は、一番低い音は、1音に対し1本。
そこから1オクターブ上がると、1音に2本。
更に上がれば今度は1音に3本です。
2本、3本は、連鎖していませんから、
同じ音を3回合わせなければいけないのです。
このフェルトで左右の弦を押さえてしまって、
3本の内の真ん中の弦だけ鳴るようにします。
この音が合っていないとどうしようもない!
最初の一歩が違った為に、
取り返しの付かないミスを重ねたりするが、
こんな事になら無い様に、
慎重に、まず1本の弦から調律するのです。

音叉を耳元で鳴らし、
ピアノのAの音を1音鳴らしながら、
両方の音程差を縮めて行くのですが、
ピアノの弦の張力はとても強いため、
ほんの0.001ミリ動かしただけで、変わるのです。
しかも20年振りの覚醒ですので、
最初は、大変な目覚まし作業となりました。

Dは春2007/04/13 23:41

ピアノって、それこそ触らない日は無いほど、
指揮者にとっては必需品です。
もちろんピアニストにとっても当たり前ですし、
作曲家にとっても否定できないでしょう。

あまりご存知ない方のために、、、。
音楽の基本である音階は、
1オクターブ(ドレミファソラシ)を12等分して
できているのですが、
これは、均等と言う意味で「平均律」といいます。
ピアノは、まさにこの平均律で調整されています。
しかし実際は、2つ以上の音が響きあう場合、
この平均律では音が合わないので、
少しずつ音の高さを調整しながら合わせます。
これには法則があり、この法則を「純正律」といいます。
オーケストラや合唱など、音の高さの変えられる
楽器や人の声は、これら音程を調整しながら、
ハ長調でも、へ長調でも純正律であわせられるのです。

しかしピアノは、そうは行きません。
全ての調正を演奏し、どんな曲にも対応するため、
平均律になっているのですからね。
しかし、やはり良い音の響きがするものと、
合わない音、響きにくい音などあるのですね。
調律をしていると、ひとつづつの音を、
良く聴きながら、また響きを揃えながらなので、
この音の違いによる音楽の性格の差が、
とてもよくわかるのです。
モーツァルトは、単純明快な響きを好み、
♯、♭も、1つ2つといった調を好んで選びましたし、
特にピアノの音楽では、自分の曲想を何調で
演奏するかを直感的に考えたのですね。
こんな感覚も、1本1本弦を調整しながら、
話しかけるように調律すると、
目からウロコが落ちるような発見がたくさんあるのです。


最初はAの音から、そして4度、5度といった関係の
DやE、そして次第にFから黒鍵のB♭と言った具合に
進んでいくのですが、ひとつ進んでは、
基本の音に戻り、また言っては戻ります。
こうして、少しずつ狂うのを防ぎ、
A=442Hzという音叉の微妙な音程の感覚を
確かめながら進んでいくのです。

弦が3本もあると、真ん中合わせてから、
左、右とあわせます。この左右をあわせるのを、
調律業界ではユニゾンといいますが、
これがピタリと合った瞬間の快感は素晴らしい!
1日でなんか、終わらせません!
こんな楽しいこと、数日かけて、ゆっくり楽しみます。
これは、思いがけない今年最高の趣味かもしれない。

まだまだ続く!

調律終了2007/04/14 20:46

調律ネタばかりで済まないのですが、
数日に渡る調律は実に面白く、
また難しさと、未熟さ(当たり前です)も、
身に沁みながらの発見ばかりの数日間でした。

単なる1つの音のようで、音には意味があり、
調律しやすい音とハーモニーになりやすい音が
混在しているのがピアノであるのです。
考えてみれば、全て弦が張ってありますから、
弦の長さや太さ、またピアノの容積によって
響きが変わるのですから平均律といったって、
均等な響きではないのですね。
Aの音は何事にも揺るがない大黒柱のようであり、
関係する近い音Dは明るいしっかり屋、
Aと相性の良い音Eは、天真爛漫で、
ピアノの中じゃ、一番の度派手な正確です。
Gは勢力ではNo.2の響きですが、
他との関係の深さではAには負けるようです。
Fはなんとも柔らかいおっとりした正確で、
ドン臭いくらいですが、B♭と相性が良く、
重宝な奴です。
Cになると、わが道を行く奴ですが、
その実コロコロと何処にでも寝返りますね。

♭系の音楽、♯系の音楽と、
様々な調性があるのですが、
調律していると、ピアノの1音の響きは、
それらの音が持っている個性を教えてくれます。
あらためて面白い事を教えてくれる時間でした。

調律は、実は切りがなく、
少しでも弾けば狂い出しますし、
ましてや20年もやっていなかった調律ですから、
1回でピタリと合うはずが無いのです。
プロの調律師の方々は、2時間もあれば、
調律して更に鍵盤やハンマーの調整までやります。
手際と耳のよさ、集中力も必要ですね。
御見逸れし、奥深さも教えてもらいました。

さて最後に全ての蓋を閉めているとき、
気付かなかった前面蓋の裏のメモを見ると、
調律の記録の紙がでてきました。
これは、通常誰が調律してもよい様に、
名前と日付、ピアノの状態を記録します。
前回は、、、え??
昭和57年5月20日と・・?
20年前ではなかった!25年前でした。
ピアノってすごいのですね、手入れもせず、
25年経っても、ガソリンも入れないで、
走り出すように弾けるのですから。

最後に、私も記録して印鑑を押しました。
これがしたかった様なものでしょうか。

ジャブjob2007/04/15 01:37

2年ぶりに洗車をしました・・・。

車を大事にしないわけではないのですし、
キレイに磨き上げて乗ることに
興味が無かった訳でもないのです。
ただ、余裕が無かったのです。

車を洗って、気持ちよくドライブする直前の気分、
人を労わり、更に車まで労わってあげる優しさ。
大した日常の+αでもないでしょうができないのです。
また、お世話になっている車ですから、
現在走行距離も10万キロを越えて、
調子やゴキゲン伺いまでしていますので、
洗車なんて約1時間、朝飯前じゃないですか。

ところがこの気持ちの1時間分が無かったのです。

昨年は、年明けに英国公演を決め、
それからと言うもの、すべては8月1日に向けて、
知らない現地からの混沌とした情報の中、
経験の浅い我々は、全ての物事と格闘し、
更に社会的にも認知される活動にすべく、
24時間、いや、48時間単位でフル稼働。
英国公演は大成功で、喧騒から数ヶ月・・・
予定通りの東京5回公演を実施すべく、
気がつけば、やらなくてはいけない事は
山積み、いや山脈になっておりました。
作業をこなしながら、苦労の中心である、
経済的な問題を打破しようと動き回ります。
ミカドをやっても一切報酬を得られる仕事でなく、
しかし生きていかなくては行けないので、
減らせない他の仕事もやりながらですから、
当然いろいろな部分が滞りますね。

ミカドが終って3週間。
残務は決して終っておらず、
まだまだ遠近にお礼とお願い、手紙に電話、
また経済的にクリアしなければいけない事だって、
多々あるのですが、、
でも、精神的には少し楽になったようです。

洗車のためのシャンプーを泡立てていて、
ふと、そう思いました。
この2年近くは、
洗車しようと言う気にもならなかったのだから。

先週1週間で、溜まっていた他の仕事の片付け、
申請ものの報告書、些細な事の様ですが、
出したかった衣類のクリーニングや、
まとめたかった資料のファイリング、
削りかけのエンピツも削る事できたし、
使っている本番用の譜面の傷み止めのシール貼り、
朝御飯の時に自分で作るプレーンオムレツ・・・
ようやく出来るようになりました。
それこそ、今週は調律だってやりました。

実は、余りの激務に更新が停まっていました
All Aboutの記事も来週から再開しますし、
6月公演、7月公演の為の準備にも取り掛かれます。
1日、1週間単位で生きているわけでなく、
毎日仕事は持ち越しながら、常にチェーン・ビジーで、
膨大な仕事に押しつぶされた1年以上の生活でしたが、
変り目が昨日だったのかも知れません。

次、洗車できるのは、いつなのだろうか・・・
ユトリを持っていつまでも勉強したいなぁとか、
美しい日本!そういう考えで余裕ある生き方したいなぁ。
そう思いながらも、某首相の言葉は、
あまりに自分の現実とかけ離れていて、現実味が無い。

いやいや、少し、ほんの少しでいいから、
ゆっくりする時間を持とうかな。
週に1回は6時間寝る!とか、
駅まではあと2分時間をかけてよいとかね。
こういうのを「幸せ」と言うのだろうか・・・。
カウンター