語感2007/04/28 08:19

「昨日、ちゃぶ台で、帳面に書き物していたら・・」
と、喋り始めた友がいる。
聞いた瞬間は耳を疑ったのだが、
ここ1年そこまで笑ったこと無いくらい、
人目を憚らずゲラゲラ笑った。
いや、これはこの言葉使いに対し、
友人に無礼を持って笑ったのではなくて、
懐かしき響きに笑わざるを得なかったのです。

ワープ打ちでも手書きでも、
頭の中で言葉を思考して書くものですが、
しかし、いつの間にか自分の語録、というよりは、
貧相な辞書が1冊、、、いや数枚出来上がっています。
その中の言葉を使いまわしては、
どれを使おうか、と言うよりも、
どちらにしようかという程度の選択で、
語彙の順列組み合わせを変えながら、
文章を書いているのです。

訳詞をするときなどはもっと酷く、
聴いている方に伝わらない言葉は使えないので、
貧相なMy頭脳辞書は、さらにページが減少である。
ですから、思わぬ言葉を聞くと、
知らない言葉なら新鮮な興味だが、
懐かしいほど使っていなかった言葉になると、
前頭葉が震え出すほど嬉しく、
頭脳辞書がゲラゲラと震え出すのである。

死語なんていわれる言葉が良くありますが、
使用されることの無くなった流行語をさす言葉で、
今で言うと、昭和の匂いを嗅げるものですね。
“ナウなヤングは、ポンギでフィーバーする”・・的な、
書くのも恥ずかしい、ある特定の世代だけが、
期間限定、使用し過ぎで褪せていった言葉です。
対して、流行語の中でも市民権を得た言葉たちは、
色褪せる事無く、つまり無形文化的な分類になり、
時代が移れど、喋るたびに顔を赤らめる必要もなし。
これはプロのコピーライターが作ったりした言葉や、
ある商品に対して的確に時代を反映させた言葉だったり。

例えば「歩行者天国」。
強烈な響きですね。銀座の街から上野までの中央通りを
日曜日に、車の通りを遮断したのが初期と思われますが、
高度成長期に車社会になり、事故も増え、
運転マナーという意識さえも確立していなかった時代、
そりゃ、歩行者にとっては、“天国”かもしれませんが、
運転する側にとっては、突然迂回を強いられる、
“運転者地獄”にほかなりません。
また、「魔法瓶」という言葉もあります。
どんな魔法かって、そりゃお湯が冷えないのでしょう。
こんな、今では???という事でも、その度に、
火を起こしたり、水から沸かした時代から見れば、
これは、確かに“魔法”です。
“ちゃぶ台”も“帳面”も“書き物”も、
死語でも懐かしき無形文化語彙でもないのですが、
耳に入った途端に周囲がセピア色になったり、
居間のボンボン時計が鳴り出したり、と、
言葉は時代と郷愁の連鎖なのでしょかね。

さて、世の中は、GW。
これは即ちゴールデン・ウィーク。
誰が考えたか、“黄金週間”です。
何に対して黄金か、誰にとって利なのか気になりますが、
さしずめ、勤勉、勤労の毎日を送る方への御褒美と、
相成るのでしょうね。

私は、お仕事であります。
車が無い車庫に変わりに鎮座する自転車。
この話しはまたしたいのですが、
子供の頃からの筋金入りの自転車フリークです。
“チャリンコ”って、今でも言うのでしょうか?
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