2つの10月3日2010/10/03 00:00

2010年10月3日は、
我が町狛江の市制施行40周年。
しかしこの日、
ドイツにとっては、
ドイツ再統一20周年である。

1989年春にベルリンに渡った私は、
半年後には激動の真っ只中で、
1000㎡位ある歴史の教科書の中に
立っている様な不思議な毎日だった。
理解してはいたが想像もしなかった、
壁の向こうの方々が、
突然堰を切ったように流れ込む日。
自分の家から、Zoo駅(西の中心駅)
を経由して、
いつものようにフィルハーモニーに
演奏会に行こうと家を出た後に、
栗色の髪の民衆が向かってきた。
最初はいつものデモ隊かと思ったが、
衰えない群集の勢いに、
ようやく事態に気づいた11月9日。

それから約1年後のドイツ再統一
1990年10月3日。

私の20年は決して早くはなかった。
この街での市制施行40周年事業参加。
喜びの単位も意味も違うでしょうが、
こんな形で私の人生に重なる面白さに、
少し振り返り含み笑いの今日を記します。

上の3枚の写真。
この絵葉書はまさに20年前のもの。
上は古く東ドイツで買った怖い葉書。
楽しそうに若者が歩いていますが、
決してその先は近づけない、
分断された東側から西側を見た風景。
そして中は1989年11月10日。
1961年壁が建設された当時の市長
元SPD党首ウイリー・ブラント氏と、
遠くに見えるのは、門を閉鎖した壁、
しかし既に前日壁は開き、
興奮冷めやらぬ市民沢山が壁の上。
そして下は、壁開いて間もない頃、
分断の歴史では考えもしなかった、
ブランデンブルグ門の下を行き交う
人たちの笑顔の写真・・・。

日本人ですが、平和への思いは同じ。
国と民族の分断、愛する家族との別れ、
そんなことが日本で起ったら、
いったいどうなるのか。
平和ボケした日本人は考えもしない。

10月3日その22010/10/03 23:23

連日のリハーサル、公演。
バテ気味ですが、
前に前に進む毎日です。

今日は市制施行40周年記念式典。
式典でありながら、
音楽の街-狛江らしく、
式典に公演を絡めてのイベント。
朝から大忙しでした。
10時には演奏が始まるので、
8時過ぎにはホールへ出動!
私は指揮もしますが、
舞台裏に戻れば進行役なので、
舞台スタッフ、お手伝いの総括。
打ち合わせもして、さて本番!
なんとか上手くいき楽しい舞台。

ホッとして昼ですが、
実は3時からは一般公演。
日本音楽集団に狛江に来て頂いたので、
一般公演も催そうという目論見で、
実現した公演は、
午前と別プログラムでした。
箏の渡辺正子さんは、
自らの使命にハードルを上げながら、
大がつく活躍です。
皆がんばり楽しい公演に。

夕方、お客さんを見送りながら、
なが~い1日が日暮れと共に、、
いやこれからもまだ長い1日・・・。

10日に公演を迎える
セイノー・イエス・イエスOrch.
公演が間近なので練習。
私が物理的に動けないので、
オケに来ていただき、
公演後に空いた
夜のエコルマホール舞台練習。
3時間以上みっちりとやる。
社会人オケは、週末のみで
練習を重ねますので、
公演前に1週空くのは大変。
今日はしっかりとベートーベンに
メンデルスゾーンの交響曲。

さて、ヘトヘトの午後9時半・・・。
既に12時間稼動しています。
が、この練習は、
私が公式打ち上げをキャンセルして、
行ったため、ちょいと不味い。
そりゃ酒より練習優先ですが。
なので深夜のお礼参り行脚。
苦労して40周年の委員をされた、
先生の家に出向きご挨拶の宴。
○長と、役所の○○部長、その他、
大御所があつまり労いの宴。
私も参加しての乾杯に次ぐ乾杯。

しかし明日は9時集合で成田公演・・。
何時に起きればよいのだろう。
6時?5時?と、気になりながら、
旨い筈の酒も上の空の深夜です。
しかしながら、
今日が滞りなく無事に済んでよかった。
10年に一回イベントも終了です。

写真、忙しすぎて本番中の写真、
こんな袖から撮影のものしかない!
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