親愛なるアーサー ― 2007/06/18 23:43
7月の公演のリハーサルがもう1つ始まりました。
この1週間死にそうな思いで取り組んだ訳詞呪縛から
ほぼ解脱・・・。
ほぼと言うのは、どうしても拘りたくて残している、
ほんの少しの部分があるから。
その部分のことで、頭の中は常に言葉が飛び交い、
脳の中を言葉の韻がストンピングしながら、
オヤジギャグとラッパーの気の利いた言葉遊びが、
語呂ゴロ語呂ゴロと、左脳と右脳を行ったり来たり。
英語から日本語もドイツ語から日本語も難しいのですが、
英国喜歌劇モノは、メロディーよりも、
リズムや音の響きが優先の箇所も多いのが特徴。
日本語の母音の美しさが生き難い分、
割り切った言葉遊びも十分に必要なのです。
原語が折角遊んでいる部分を、尺時定規に訳したら、
空気の読めない奴、堅物!となってしまいます。
7月の公演の告知は改めてですが、2本立てです。
訳詞を施していたのは、
アーサー・サリヴァン(1842~1900)が
作曲した「Cox & Box コックスとボックス」という、
1幕物の喜歌劇ですが、日本にとって大事な作品。
というのも、日本で始めて上演されたオペラ、
という記録があるのがこの作品です。
勿論、横浜開港以来居留した居留民の為の劇場、
「横浜ゲーテ座」での上演です。この日本初演は、
当時の居留アマチュア劇団(歌劇団?)によるもので、
実力の程は定かではないですが、少なくとも、
正真正銘の日本で始めての音楽劇の位置づけです。
2004年に日本英文学会全国大会にパネリストで
呼んでいただいた時に、私の研究発表のお題は、
まさしくこのサリヴァンでした。
『サリヴァンの光と陰』というタイトルで、
仰々しくもしかし大切な、研究を少ししましたが、
そのときに知れば知るほど思ったのは、
もしもこの人が居なかったら、
今日のイギリス人作曲家による英国の音楽は無かった、
という事実なのです。
英国って、間違ってもヨーロッパでは全く無く、
ドイツ、フランス、イタリアみたいなものと思っていると、
これがあまりに歴史も文化も、ましてや音楽の土壌も
違いすぎて仰天する事が沢山あるのですね。
サリヴァンは、明らかに英国人ですが、大志を抱いて
青年期にドイツはライプツィッヒに留学です。
ここは、勿論バッハの聖地であり、彼が留学した頃は、
メンデルスゾーン音楽院の名の通り、
亡くなったばかりのメンデルスゾーン(1809~1847)の
影響が色濃く残っていた学校で、
サリヴァンの初期の作品はメンデルスゾーンの匂いが
プンプンとするほどです。
卒業制作として作曲したものが、シェイクスピアの
『テンペス』を題材にした組曲であるところが、
メンデルスゾーンの『夏の夜の夢』に影響を受けて、
英国人であるプライドからシェイクスピアを題材に、
という点なのです。
この曲、とてもメンデルスゾーン風です・・・。
この曲を引っさげて、帰国したサリヴァンは、
時代の救世主として英国クラシック界に、
大きな拍手と共に迎えられたのです。
長くなりました。
面白いサリヴァンの話なのですが、
続きは、またにしましょう。
この1週間死にそうな思いで取り組んだ訳詞呪縛から
ほぼ解脱・・・。
ほぼと言うのは、どうしても拘りたくて残している、
ほんの少しの部分があるから。
その部分のことで、頭の中は常に言葉が飛び交い、
脳の中を言葉の韻がストンピングしながら、
オヤジギャグとラッパーの気の利いた言葉遊びが、
語呂ゴロ語呂ゴロと、左脳と右脳を行ったり来たり。
英語から日本語もドイツ語から日本語も難しいのですが、
英国喜歌劇モノは、メロディーよりも、
リズムや音の響きが優先の箇所も多いのが特徴。
日本語の母音の美しさが生き難い分、
割り切った言葉遊びも十分に必要なのです。
原語が折角遊んでいる部分を、尺時定規に訳したら、
空気の読めない奴、堅物!となってしまいます。
7月の公演の告知は改めてですが、2本立てです。
訳詞を施していたのは、
アーサー・サリヴァン(1842~1900)が
作曲した「Cox & Box コックスとボックス」という、
1幕物の喜歌劇ですが、日本にとって大事な作品。
というのも、日本で始めて上演されたオペラ、
という記録があるのがこの作品です。
勿論、横浜開港以来居留した居留民の為の劇場、
「横浜ゲーテ座」での上演です。この日本初演は、
当時の居留アマチュア劇団(歌劇団?)によるもので、
実力の程は定かではないですが、少なくとも、
正真正銘の日本で始めての音楽劇の位置づけです。
2004年に日本英文学会全国大会にパネリストで
呼んでいただいた時に、私の研究発表のお題は、
まさしくこのサリヴァンでした。
『サリヴァンの光と陰』というタイトルで、
仰々しくもしかし大切な、研究を少ししましたが、
そのときに知れば知るほど思ったのは、
もしもこの人が居なかったら、
今日のイギリス人作曲家による英国の音楽は無かった、
という事実なのです。
英国って、間違ってもヨーロッパでは全く無く、
ドイツ、フランス、イタリアみたいなものと思っていると、
これがあまりに歴史も文化も、ましてや音楽の土壌も
違いすぎて仰天する事が沢山あるのですね。
サリヴァンは、明らかに英国人ですが、大志を抱いて
青年期にドイツはライプツィッヒに留学です。
ここは、勿論バッハの聖地であり、彼が留学した頃は、
メンデルスゾーン音楽院の名の通り、
亡くなったばかりのメンデルスゾーン(1809~1847)の
影響が色濃く残っていた学校で、
サリヴァンの初期の作品はメンデルスゾーンの匂いが
プンプンとするほどです。
卒業制作として作曲したものが、シェイクスピアの
『テンペス』を題材にした組曲であるところが、
メンデルスゾーンの『夏の夜の夢』に影響を受けて、
英国人であるプライドからシェイクスピアを題材に、
という点なのです。
この曲、とてもメンデルスゾーン風です・・・。
この曲を引っさげて、帰国したサリヴァンは、
時代の救世主として英国クラシック界に、
大きな拍手と共に迎えられたのです。
長くなりました。
面白いサリヴァンの話なのですが、
続きは、またにしましょう。
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