謹賀新年2016/01/01 14:54



あけましておめでとうございます。

大晦日と何も変わりがなくても、元旦というものは心新たな気持ちになれるものですね。家族も本人も健康で新年を迎えられる喜びをこの日は感じています。

毎年元旦は都内実家にて家族が集まりますが、世界中で盆暮れや季節も関せず戦闘があり、貧富差による社会問題や、天変地異などで困窮している現状を目の当たりにするにつけ、こういう集まりが出来ることは奇跡的な平和と感じます。


両親、姉親子、我が家の皆の手を伸ばして乾杯をしてみると、老いを実感する手、歯をくいしばる手に、まだまだ惑する手、頑張って欲しい手に、楽しみな手、、、。
様々な思いと感傷で乾杯しているのであろう個人と家族の心の絵模様が伺えます。

私自身は大風呂敷な事は思いませんが、少しずつ変化していく自分の日常も楽しみながら、振れずに邁進したい根幹を大切に、そして少しの新しい事を始めたい気持ちでもあります。

昨年のお正月に日常的に字を書く事を誓い、ワープロではなく筆や万年筆を使って、下手でもいいので縦書きにて兎に角書く事を強いてみました。毎日書く時間を設けて見ると、下手な字を反省したり癖な書き方を笑ってみたり、漢字の面白さも発見するものだと楽しんでいます。

年を経るたびに日本人になっていく自分に気づいていますが、「日本人化」という反現代人的な変化も実に楽しく、西洋音楽をやっている身でベートーヴェン考えていても、和に反面教師な発見があったりします。日本人が日本人で何が悪い!と言った開き直りに誓い反現代的日本化脳は今年も続きそうです。

毎回このブログを読んでくださる方が多い様子で嬉しいのですが、日常の瞬間の記憶やニヤニヤの妄想を切り取っただけの駄文を綴った文章を読んでくださる事に申し訳なさを感じます。昨年に10年を迎えたので少し文型を変えてみようと思います。

去年までとは違いこのように改行しない綴りをしていくと、さらに駄文が止めもなく垂れ流れた挙句の淀んだ駄文溜まりができ、目から足の裏まで汚す気もしますが、書き直さない読み直さないが信条ですので、どうか先が見えるオチや舌打ちさえしそうな話は読み飛ばして頂きたい。


という事で、初詣の射的にてスナイパー気分で悦に入る高飛車な私の写真にて失礼をさせていただきます。

*この後に撮影した甥と娘と並んで撮った三銃士写真もあるが怖くて載せられない・・・

本年も宜しくお願いします。

特訓2016/01/02 21:58

お正月は身体が時間を持て余します。日頃からスーパーが付くせっかち性格なため、止まっていると死んでしまう超回遊魚体質を自認しております。

でもレジャー施設というのは偉いのですね。大都会の初売りやお台場付近の買い物だけでなく、都会からほど外れた地域であっても、2日からオープンしているものです。案の定午後訪れるとパコーンパコーンと耳心地のいい音が聞こえてきます。
*実際には軟式球なのでバスンバスン・・・ですが。


細い棒で忙しくなるとバットを振っている場合ではないので、オフシーズンにこそ趣味も兼ねてのバッティングセンター。
ウォームアップしながらゆっくり始めますが、100kmで初めてしっかり目を見開いて打ち込み。120kmの打席に移ってさらにヒートアップ。

昨年の夏以降は忙しすぎて地元の草野球チームにまったく合流できず残念な思いをたくさんいたしましたので、今年は初心に戻って身体をつくり、プレーでも迷惑のかからないようにしたいです。

気持ちがいい!!
そして明日3日は親戚恒例のテニス大会&よる宴会。


「お前はテニスまでやるのかい!!??」
と言う呑気を絵に描いたような想像をする方が多いでしょうが、実は1年に1回しかしないのです・・・。しかもテニスを逃げ回っていてこの数年ようやく参加することに。
以外にできるのは野球やっているからでしょうが、でお1年に1回では迷惑千万なので、やはり打ち込んでおきます。

あれ?なかなかできるじゃん!
と勝手な妄想で気分を良くしながら30分ほどオートテニス。


うぅむ、あまりうまそうなフォームではないですな・・・。

でもダブルスで、親戚といえども甥、姪らの若手が大きくなり武者の如く上手いのです。置いてけ堀にならぬよう、そして迷惑がかからぬようにいたします。

調子いい!
と天狗の鼻に乗る気分で気持ち良く終わりましたが、、、
明日の結果や如何に・・・。

凛々しきギミック2016/01/03 10:05

早朝からテニス三昧。

毎年の恒例でもありますが、ダブルスでテニスを4試合。雨が降らない限りは実施です。昨日オートテニスで体を動かしてみたので、付け焼刃の俄(にわ)かテニス戦士に変身しができてコートに向かう。

毎年幹事家族が変わり、ウチは昨年取り仕切ったので今年は免除。しかし幹事家族によってこうも違うかと思うほどの精密な試合組みと精巧な時間割り。冒頭のジャンケンメンバーからして不平無き緻密な采配。いやはや、もうこの方々でないとできないのではないかと思う丁寧な運びで16名のメンバーは潤滑に5時間に亘り戦ったのです。

上は80代、下は10代(数年前は7〜8歳だった猛者)の三世代に亘る攻防が繰り広げられるわけですが、侮れなき年配テニスプレイヤー。歯が立ちません。亡き義父の三木稔のテニス好きは有名でしたが、同世代の夫婦兄弟達の強さは若輩をことごとく粉砕していきます。

私は第二世代ですが、なにせ付け焼刃だし20年前からようやく4回目の参加では上手いはずが無く、足を引っ張ることのないようにせめて走り回る・・・。毎年この日にしかやらないテニスなのですが、20年かけて少し上達している気もするし、日本人プロプレイヤーの世界への台頭のお陰でテレビ観戦の機会も増えたのも上手くなった(いや気がするだけ)の原因かもしれませんが、これもそれも誰も評価してくださらぬので自己愛により評判を流布しているだけでございます。

 

一旦解散して夕方からはさらに多く集まり新年の会。

もちよりにて様々なお料理が机狭ましと並びますが、ネタとキャラの被りを避ける理由もあり、女性による毎年のレパートリーは安定ベースに新鮮な料理も。三世代と言いながら、10代も半ばを過ぎた青少年達は精神的には胃袋が満たされた年なのか、そうガッツリ食べるわけでもなく、「マグロ!マグロ!」と大騒ぎする微笑ましいキッズが少なくなったのは少し寂しい限り。 

こんな大人数での三世代親戚新年会というのも今では珍しいものなのでしょうが、これも場所を提供してくださる家があってのことです。感謝。

話題変わりますが、昔ながらの家屋に参ると突然懐かしいものに出会いますね。高級でも貴重でもお宝でなくとも、日常品に笑顔がこぼれる時もあります。

ほらこんなアドレス帳・・・帳ではないが。

 懐かしいですね。黒電話の下にきちんと収まる寸法でデザインも秀逸。実家にもありました。ア〜順番のキーを人差し指で押しながら親指で引き出しを挟んで引っ張ると、電話番号が書き込んだ目的ページがで出てくる仕組み。全手動でありながら、最小の所作で合理的な結果を得られるというデジタルアイデアです。70年代の発明品ギミックは節操なき現代のものとは違います。整然としたデザインには背筋の伸びた清潔感があり、凛々しさと奥ゆかしさのバランスも絶妙でありながら、最終兵器を自認するかのような自信に溢れた合理性には頭を垂れて降参しかない佇まいでもあります。

なんだが正月から良いものを見させていただいた。

アイドル史2016/01/05 22:33

予定通りの筋肉痛・・・。
2日目に出るっているのが、逃れようのないオッサン病ですが、スタートダッシュを繰り返すテニスは脹脛(ふくらはぎ)に来ますね。意外や腕や肩腰はなんでもないのは、日頃のトレーニングのお陰と少しホッとします。

私、変な本を読むのが好きなのですが、今年は少し私の手にしている変過ぎる本を例年になく紹介しようかと思います。然しながら専門分野のあまりにマニアック過ぎる本は楽しくないでしょうから避けたいと思っています。

この本「幻の近代アイドル史」。

残念ながら現代歌謡界、邦人ポップスのアイドルオタ的な内容ではありません。私の大好きな明治初期から大正期に於ける流行を映したようなアイドルの世界を描いています。

最初に登場する人からして竹本綾之助・・・といってもさらにわからないかもしれませんが、この方女性。歴史的には女義太夫というジャンル分けがありますが、明治20年にデビューし大流行のアイドルという事になります。

義太夫?で、アイドル?

という疑問を抱く方もいるかもしれませんが、今のAKB的な人気といえば解るでしょうかね。大正、そして昭和期とアイドルの変化を辿ると大衆芸能のストーリーばかりでなく、世の中の経済的な浮き沈みも見えてきます。「芸能アイドルに見る近代史」と言った方がわかりやすいのか・・・。

明治初頭は文明開化を掲げながら全国民総西洋化を推し進めた様な時代でもあり、外交は燕尾服にシルクハット、オペラパンプス。銀盆に載せられたシャンパングラスを手に取り、流行りのヨハンシュトラウスで踊るのが外交、社交界のお手本。的な西洋気取りがあるかと思えば、大衆のアイドルは女義太夫。この現実が面白いではないですかねぇ。

明治大正期の芸能やオペラの研究なんて、これまでは年配の生き字引的な先生方が多かったのですが、昨今は実に若い方が多い。私の周りにも30代のこの時代の研究家が居て、時折話をさせて頂きますが実に頼もしいです。この本も30代著者と考えると、益々の研究を続けて欲しいと思う次第です。

「幻の近代アイドル史」笹山敬輔著
1984年5月25日発刊 彩流社
1800円

新年会2016/01/09 23:47



忘年会も悪くはないのですが、新年会という会は言葉の響きが明るくていいですね。

 アマチュア社会人オケの皆さんとの恒例の大真面目な選曲会議も兼ねた新年会なのです。もう卒業して8年になるのですか、と感慨深い彼らとのお付き合いも長いものです。
 アマチュアオケというのは全国にどのくらいあるのだろうといつも思いますが、考えられない数があると思われます。小中高校生をいれるさらに測り知れないのですが、カテゴリーで言う大学オケも4年制大学では必ず大学に1つはあるのではないかと思うほど多いし、次に社会人オケという範囲で考えてもさらに増える。大きな会社ですと社内オケがある場合もあるし、自治体の線引きでも県の名前のオケ、また東京23区で考えても、区の名前を配したオケは必ずあるでしょう。
 さらに大学オケの卒業生などがつくる俗に言うOBオケというものも大学の数ほど存在し、さらに世代によって枝分かれしたものもいれると星の数・・・。

 悪い事ではないともうのは、私も指揮者を生業としているので、数があるという事は可能性があるという事なので、基本的には歓迎です。でも全国あちこちに参りますと、運営で大変な思いをしている団体、メンバーが足りずに困っている団体、特定の人気奏者が掛け持ちをしながら重責を担い過ぎているなど、それぞれ悩みはあるものですね。
 プロの世界では1分違わず練習が始まり、その時間に予定の編成通りの奏者が演奏可能な状態になっているのが普通ですが、なかなかそこまでできないのもアマチュアオケの現状でもあります。

 今日は徹底して牡蠣を食べようという事で、いつもの場所を予約させて頂き牡蠣日本酒三昧宴会。


私、この店を知るまでは殆ど生牡蠣ばかりか、カキフライをも口にしなかったのです。やはり自己責任ですので、次の日を考えると食べられる機会も少なかったし、新鮮な牡蠣が取れる地方でも仕事で行っているときは食べなかったです。同じ店で信頼のおける提供がされる事が大事ですね。安心して食べるようになりました。
 それにしても三昧し過ぎだろうというくらいの牡蠣鍋の牡蠣の量・・・。


これで3人分・・・。とことん食べました。

選曲もできたし、やる気も沸いたのはきっとこの亜鉛パワーなのでしょう。話をする時の食べ物っていうのは殊の外大事だということも感じました。

細部の攻防2016/01/12 14:12




 ムキになる性格と凝り性はO型の特権かと思っていますが、思うように事が運んで行かないと気が乗らない気分屋なのも欠点でもあります。人類は4種類ではないと思っていますが、血液型による人格カテゴライズはそうそう間違っていないと思いますし、少なくても新参の動物占いという輩よりは当たっている気もします。
 O型ってイベント好きです。例えば困っている人、悩んでいる方なんて見ると、解決できなくてもなんとかしたいと思いますし、こんな方々から相談なんてされた日には救世主として指名されたと思い込むくらいの助け屋です。然しながらこういう手助け人助け、負を埋めたくなる正義感なども、根本的なイベント好きというO型的な性格に起因しますね。

 三木稔作品を管理していますので、年間通じて譜面の問い合わせや購入の相談があります。簡単に右から左へ進むものでしたら訳ないのですが、そうはいかない時代の古い譜面や、人に渡せない状態の譜面もあるものです。

 今請け負っているのもそんな一つでありますし、年末に依頼されて1ヶ月待って欲しいとお願いしたほど、譜面の直しに根気のいる作品です。とはいうものの、根っからのO型体質の私ですので、イベント上等!とばかりに取り掛かります。

 譜面の古い部分を直すのですが、もう玄孫の孫ほどまで複写された譜面の薄い符頭部分を丁寧に塗り直し、譜線から五線にいたるまで、丁寧に蘇らせます。そうしながらも、写譜時の譜面の間違えは逃さないつもりで皿の目をさらに細かく賽の目にして、見回してから作業。

 この写真にあるのは、私が何年も実施した挙句拘って選び抜いた耐水性の油性ボールペンの種類とあらゆる修正液を試して決めた優秀生です。
 ボールペン、超極細の0.35mmはフルスコアの五線をなぞる用途、その上の極細0.5mmは万能選手。そして滑らかな書き味の0.7mmに加えて、太い線を引く1mmのペン。皆同じメーカーかと思いきや、各社インクとボールの種類が違って、用途の使いやすさで選び抜くと同じメーカーでは揃えられないのです。難しいものですね・・・。

「修正液!君を年間何リットル使っていると思っているのだ」

 この1本もたかだか7mℓしか入っていないのです。詰め替えも業務用もないので、細い胴を押しながら親指の根元が痛くなりながら苦労して何十本も使っています。どうしてこいつには詰め替え、業務用など環境に優しい手段が発売されないのでしょう?

 でもいいのです。その苦労こそがO型魂を呼び起こす最大の自己陶酔型イベントという段取りなのです。

ながなが失礼しました・・・

嚙みついた娘・楽興2016/01/13 23:10

 小学校4年生の時、放送委員会が流す給食時の放送のテーマ曲はシューベルト作曲のピアノ曲集の有名曲第3番「楽興の時」でした。Allegretto ヘ短調で左手の素朴な前奏がStaccato で流れると、水色格子模様のテーブルクロスを敷いて向かい合った6人グループの中に居る堀くんは、決まって両腕を強張り両耳を塞いでいました。目も強く閉じた姿は本当に嫌いな様子で、0.5dBでも 耳に漏れ入ると夕方まで憂鬱になったそうです。当時から閉所恐怖症であった私は、そんな恐怖症もあるものかと堀くんに同情もしましたし、スピーカーを見上げながら、悪気の無い朴訥と 民族訛りの強い旋律を聴いていたものです。

新国立劇場演劇研修所の終了公演に行って参りました。

 昨年から楽しみにしていたのですが、自分の予定が見えずチケットを買うのが遅くなりました。でもどうにか2階バルコニーに席を確保出来て観ることができました。

「日本演劇界もようやく国立の研修所かぁ~!」と感慨深かったのは一昔前、今回はもう第9期の終了公演になります。好きなんですよ、卒業演奏とか終了公演などの気持ちも入りイベント価値も高い一生に1回限りの類いの公演に行くのは。
 三好十郎作品ですが、日常の延長にある微細な稀有を描く少し昔の戯曲が素晴らしく、以前から演目見つけては行くようにしています。今回は三好作品というオプションも付いていたのも楽しみだった理由です。『嚙みついた娘』・・・。タイトルからして是非行きたいと思っていましたが、演出の栗山民也氏も「タイトルに惹かれた」と修了生への檄と共にプログラム扉に書いています。誰でも惹かれますね、なにせ娘が嚙みつくのだから。

 今月8日初日で本日は千穐楽公演でした。私は劇場に行くときはなるべく初日と千穐楽を避けていきます。一般客で行くので冷静に見たくてもただならぬ空気が漂っていますので。舞台も客席もニュートラルでは無い事が多いですが、大抵は客席の鼻息が荒く空気が摂氏1.5度ほど上がり、背筋の観る気満々筋も角度が15度ほど前のめりになって、舞台上にまで興奮を伝えますね。こうなると呼ばれない宴会に来てしまったようなもので、冷静になろうとするほどこちらはテンションのギャップに疲労困憊です。
 私は欽ちゃんやドリフで育ったお陰かどうか、例えお笑いでもきっちり稽古を積んで真剣にそのままやる舞台が好きです。必要以上のアドリブや、その場限りのアイデアを盛り込みすぎて本末転倒になっているような芝居は、腹の底から笑ったり泣いたりできる役者以外ではあまり歓迎したくないのです。ですので、いつものようにキッチリ見たいので初日、千穐楽は避けるのですが、今日の千穐楽は全くそんな事は杞憂であって、冷静かつ積み上げた稽古の成果を十分に出していました。

 演劇の評価を私がする必要はないので、普段から様々な事に関心したりしながら見るのですが、勿論時代考証の道具類、衣装から言葉に至るまで非常に興味をもって見ています。オペラ、バレエでも共通でしょうが、民間団体(というのが正しいかわかりませんが)に比べても新国立劇場の研修所は、稽古場を含めた研修環境が実に素晴らしいのはわかっています。多分終了した役者の道を歩む彼らも、新国立劇場以上の環境は他にはないと気づいているでしょうし、そのくらい丁寧に3年間をかけた終了公演だからこそ興味をもつ意義があるのです。これは日本の演劇が評価される基準にもなりますし、威信を賭けた研修システムとも言えるものです。そして様々素晴らしかった・・・。

 芝居の転換などで舞台が回りながらかかる音楽はピアノによる音のみで、音楽としてはテーマ音楽のように「楽興の時」が流れています。
 この音の印象があまりにも強烈且つ効果的なために、私はその度に小学校の事を思い出していたのですが、原題は<Moments musicaux>単純に言えば「音楽の時間」という訳になります。ラフマニノフにも同名のタイトルから「楽興の時」と言われるピアノ曲集がありますが、明治の頃か”楽興”とはよく言ったものです。
 どなたの訳でしょう?Symphonyの日本訳を”交響楽”とした森鴎外のようなセンスですね(この訳がなければ交響楽団の名称も無かった訳です)。

 シューベルトの「楽興の時」は、彼が1828年に亡くなるまでの晩年に書いた6曲の作品で、1823年〜彼の命を奪った病が発病した頃からの時代になります。展開の早いメロディーは、2回と同じ部分を繰り返しもせずコロコロと転がるように民族的牧歌を奏でます。もう一度最初のメロディーが出たと思ったら一瞬の明るい旋律も束の間、はにかんだ笑顔が曇るように静かに終わります。フォークダンスの物悲しさというのか、夕方や晩秋の原因無き憂鬱さに似た響きでもありますね。

 この「噛みついた娘」の中に登場する、虚像の家族愛をオブラートで包みもできなかった家人達の翻弄された浮き沈みの危うさもまた、楽興の時であるなぁと思いながら、肘をついた堀くんが突っ張らしているテーブルクロスを見ている自分を思い出すのでした。

新年の会2016/01/17 00:29

 

 大学生と吹き初めの会。

毎年のことなのですが、ただ宴会ではなくてみんなで演奏してから新年会をやりましょうという、いたって真面目な会なのです。そういう会があると私も演奏の機会があるので、年明けから少し真面目に練習をしてみました・・・。

 最初は「イケるじゃない!な〜んだ」とか「昔より上手いんじゃない?」などと自画自賛で自己練習を始めます。
 そのうちに慣れてくると、、つまり時間が経過して耳が慣れてくると自分の下手な演奏が聴こえてきます。「あれ・・・」という状態になり気持ちが落ち込みますので、そうなる前に練習をやめる。という事を何度も繰り返すのですが、何度やっても難しいものは難しく、昔から苦手なものは変わらないものです。練習ってそう簡単ではないですな。

 ま、しかしそうは言っても学生とOBの皆でお演奏するのはいたって楽しいものなのです。

 それから新年会。


 まぁ皆、相変わらずよく呑みますが、色々な話をしながら久しぶりに会うOBさんとも会話が弾んで楽しい日でした。

現代舞台2016/01/18 21:13

 時間があるときはとにかく何でも観ておきたいと思うもの。オペラ、バレエ然り、演劇も、能も文楽でもよいのです。でも時間がないと観に行かれない大衆的な芸能、寄席は一番のウェルカムでもあります。

 今日は新国立劇場の中劇場。この劇場はオペラ専用の大劇場、演劇に適した小劇場の真ん中に位置する音響や照明の演出を得意する劇場でもあります。廻り盆を有する主舞台と同じ大きさの舞台を上下と奥にも位置する4面舞台であり、セットをそのまま下降させられる大迫りまで考えると実に変幻自在に4
面分の舞台を動かせる機構を持っているのです。
 どうしてここまで造ったかと思うほどの劇場機能の反面、舞台をフル稼動させられる大道具や美術セットを持つ演目を作るとなると、莫大な経費の回収から数ヶ月のロングランをするミュージカルなどの所帯でなければ、宝のもちぐされとなりそうな場所でもあります。


 実はあまり過度な期待をせずに観に行ったのですが、あまりのスペクタル・・・というより食べられない量の食事やお酒をたんまり接待してくださるような過度演出に能がフル回転して舞台研究モードになってしまいました。
 現代と100年後の未来、そして江戸時代にタイムトリップしながら展開するお話です。細かな舞台評は相変わらず割愛したいと思いますが、照明に加えプロジェクションマッピングを駆使した光の演出の豪華絢爛さは、準備を考えただけで目が回りそう。客席は小学生から主演のナオトインティライミさんはじめ、出演者のファン、そして保護者から年配の方々までオールエイジです。そして私はいろいろな事を考えました。

 私が小学生の時、つまりもう45年も前(いつの間にこんなに経過した・・・と嘆く)に楽しみだったのは、團伊玖磨さんの指揮で様々な曲を奏でるオーケストラのポップスコンサートや、度肝を抜かれたSKDのラインダンスなど、つまり超アナログ(デジタルないからこんな比較言葉あ無かったが)でありながら揺るぎない日本の音楽とエンタメの歴史を背負った方々の濃い内容の上質の世界でした。
 耳に入るオーケストラの音や耳馴染みと聴き心地のよい中庸なテンポの音楽。・・・いやいや70年代初頭はすでにバリバリのハードロックもありましたが、連れて行ってもらっているので、教育上こんな世界が最大の子供エンタメなのですね。ま、とにかく将来を左右するような大印象を受けて育ち、以下省略の人生という事です。

 すごいですよDNA-SHARAKUを観に行かれている小学生。私の2つ隣にも5〜6歳のお子さんがいましたが、後半は立ち上がって目を輝かして見ていました。大音響で体を揺らす打ち込みの電子音楽から、8ビートで聴こえてくるメロディックなポップスの連続に加え、レーザーまで駆使しながらめまぐるしく変化する光の渦、どんだけ製作にかかったのかと現場の若手スタッフの睡眠時間まで心配してしまう動画の数々・・・。
 これを見ている子供達は、現代日本最先端のポップなデザインと視覚効果を駆使した演出を目の当たりにしながら、左脳に丁寧に収めながら育っていくのです。ううむ、どう考えてもすごい印象を残すでしょうね。
 そういうものですよ。過去のクラシック音楽年表だって、50年経てば古典からロマン派になり、50年で後期ロマン派と、歴史が動いていくのですからね。本当に私の感銘した45年前の記憶の衝動なんて、今の現代を考えてみると数万分の1の最先端だった気もする・・・。

ですから大事なのですね。

 どんなに技術が変わり演出方法が変わっても、デジタル化されたプログラムを準備すると複雑なセッティングも可能という時代になっても、言葉と音楽という絶対価値は揺るぎない。この価値と成果が全ての舞台芸術の根源であるとも思います。
 クラシックの歌手の生の声が一番素晴らしい訳ではなく、PAされる事を否定なんかしていたら、それこそ価値の履き違いも起こりそうな基準が現代です。それでも価値の基準はもっと根源にありますね。
 期待していなかったのは最初だけで、面白い展開と出演者の歌唱力に聞き惚れる所多数あり、感心しっぱなしでした。

 批評ではないのですが、場面の転換をどう行うかということは難しい問題ですね。今回のように時代も場所も目紛しく展開するドラマは特に大変ですが、必要最小限の美術セットをうまく利用していました。そうそう東京の後大阪、そして福岡にも行くので、それももちろん考えてのことですね。
 最近はテレビドラマでも思いますが、原作がアニメだったり漫画だったりします。自由なんですね場面の繋ぎ方が。このミュージカルも非常にポップで、ジャンルとしてはアニメ的なコマ割りがされていますが、すると何度も何度も転換します。暗転して音楽で繋いでまた暗転を繰り返すとページを捲る時間とと同じワクワクより、現実の出演者がハケたりするシェイクスピア演劇的な嘘も要求されるので、斬新で未来志向の演出とのギャップが難しい所です。
 オペラがオペレッタ、ミュージカルと大きく違うのは、オペラはどんな場面でも転換でも底辺に一貫した音楽上のドラマがあり、音楽ドラマの上に全ての演出は乗っかっていきます。こんな斬新な未来ミュージカルだったら、もっとオペラ的手法を取り入れながら転換して貰えたらもっと素晴らしいと思ったのは、出演者の素晴らしいソロも、ほとんど1コーラスで終了してしまう断片的ソングに散っていたから。
 ナオトインティライミさん。素晴らしいですよ。舞台初と思えない姿。歌手にはなかなかできませんが、何の違和感もなく主役を全う。以前から彼の超自然体と普段の会話の優しさが好きでしたが、演技などというリスキーなものは、パーソナリティを凌駕するものではないのだという証明のような、等身大の舞台上の姿がこのミュージカルにピッタリです!
 3時間20分のスペクタクル。小学生にこの時間はちょっと長いかも・・・。私は6時間のワーグナー時間までは平気。

 ううむ、批評めいてきた・・・やめよう。

 でもこうして人の舞台を観ると様々顧みて、また自分も見つめて回想したり凹んだり、上むいたり下みたりと脳はフル稼働します。
 
 
 帰りにはそんなことを考えにこういう通りが、セットではなく、LEDでもレーザーでもない蛍光灯の明かりで迎えてくれます。

 この創業52年の私と同い年のこのお店の焼き鳥は本当に美味しいから載せちゃえ!店内のお客さん、テレビ生放送の5人の話に聞き入ってました。はい私もまたいろいろ考えました。

 こういう道は奥に入ると素晴らしお店がたくさん。
開業9年目のワインバーでまだまだ考えました。
 この席の隣の方に数名の小母様方のグループがおりまして、そういう話もまた面白いのですが、井戸端芸能時事ハナシに興じる中、「ゲスの極み」と言いたいのだろうが、何度も「ゲスの悔やみ」と勘違いしているのもおかしい。

 なので場所を変えてさらに奥。
素敵なバーは24年目。どんなバーにも歴史あり、ハナシを聞いてくれるバーテンもまた粋なものです。

はいはい、、、帰ります、もう。

 と言いながら近所のお店で誕生日の女史のお祝い。今年20回目くらいの祝バースデーソング係を全うしました。

本当に長いわ、、、このブログ。

新春大歌舞伎2016/01/22 23:40



 新春大歌舞伎に行って参りました。
古い歌舞伎座は一幕見をしによく通っていましたが、新しい歌舞伎座できちんと座って見るのはとっても嬉しいものです。

 建て直しの前には色々な声もありましたが、伝統を伝承しつつ現代的な最新の設備と技術を投入して建て替えられた歌舞伎座に異論のある方はないでしょうね。民間というものはすんなりうまくいくものなのか、国家、政治がが介入すると上手くはいかぬものなのか、、、です。
 

 お正月らしい演目が並び、珍しい廓の三番叟ではじまり、松羽目物でおわるという趣向。通常のドーンとした演目もじっくり見るには良いですが、やはり新春の舞台というのは華やいだ雰囲気が全てにあって良いものです。近代的な舞台ですので、照明もくっきりして色も鮮やか・・・。でも伝統色の浅葱色が明るすぎて水色にほど近かったり、萌黄色なども少し印象が変わったいます。生地や彩色の段階でも伝統色は淘汰されつつあるのか、LED照明になるものなのか、明るすぎる役者の顔も賛否はあるかもしれません。

 歌舞伎の楽しみは色々ありますが、私はとにかく音。
 音、というのは音楽だけではなくて、下座からの効果音としての音から、ツケを聞きにながら大上手に鎮座してこの妙技を披露するツケ打ち名人の姿を見るのも大好きです。
 勿論、長唄、清元、常磐津といった三味線を中心とした所作から舞踊の音楽、また語りを中心とした義太夫の臨場感溢れる声に野太い太棹の音もたまらなく良いものです。
 能にルーツを持てば能管や鼓などの鳴り物がきっちり聞こえ、浄瑠璃などになれば、上手から聞こえる竹本というのも楽しく、正面、上手下手、全ての劇場の音こそ歌舞音曲に欠かせない花形と感じています。
 様々な日本の伝統音楽を知りたければ、歌舞伎座に足を運べば音楽の生きた博物館を全部見られるものですから、見たことのない若者には大変おすすめですね。いやいや私もたくさん勉強させていただいています。
 

 東銀座の駅を降りると、地下で歌舞伎座と繋がっていますが、このホールに出店している数々を冷やかすのも面白いものです。さしずめ浅草の参道と言った風情ですが、もともとの日本の和紙や染めもの、菓子などを扱い、向上を捲し立てながら売り物にしているおっちゃんたちも面白いのですが、やっぱりこの数年の大ヒットはこれでしょうね。
 「歌舞伎フェイスパック」。今では面をつけるようにいろいろな遊びがあるこのパックですが、この遊びのルーツは隈取りに始まっています。こういうニッチな遊びココロが日本の得意ですね。

 便乗したのでしょうが、これが面白い・・・

「くまどりっぷ」・・・って・・・。
まったく隈取りとリップクリームは関係ないのですが、洒落でつくってしまって便乗しています。でも口上が好き。

『感動の舞台を熱く語る唇ヘ』
 理由なんて何でもよいのでしょうが、こういう理不尽を通してしまうような粋な口上が舞台の嘘、傾(かぶ)くという常識を外れた事を意味する歌舞伎の語源に繋がるものです。

 いや〜歌舞伎座、上から下まで面白い。

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