謹賀新年 ― 2016/01/01 14:54
特訓 ― 2016/01/02 21:58
凛々しきギミック ― 2016/01/03 10:05
早朝からテニス三昧。
毎年の恒例でもありますが、ダブルスでテニスを4試合。雨が降らない限りは実施です。昨日オートテニスで体を動かしてみたので、付け焼刃の俄(にわ)かテニス戦士に変身しができてコートに向かう。
毎年幹事家族が変わり、ウチは昨年取り仕切ったので今年は免除。しかし幹事家族によってこうも違うかと思うほどの精密な試合組みと精巧な時間割り。冒頭のジャンケンメンバーからして不平無き緻密な采配。いやはや、もうこの方々でないとできないのではないかと思う丁寧な運びで16名のメンバーは潤滑に5時間に亘り戦ったのです。
上は80代、下は10代(数年前は7〜8歳だった猛者)の三世代に亘る攻防が繰り広げられるわけですが、侮れなき年配テニスプレイヤー。歯が立ちません。亡き義父の三木稔のテニス好きは有名でしたが、同世代の夫婦兄弟達の強さは若輩をことごとく粉砕していきます。
私は第二世代ですが、なにせ付け焼刃だし20年前からようやく4回目の参加では上手いはずが無く、足を引っ張ることのないようにせめて走り回る・・・。毎年この日にしかやらないテニスなのですが、20年かけて少し上達している気もするし、日本人プロプレイヤーの世界への台頭のお陰でテレビ観戦の機会も増えたのも上手くなった(いや気がするだけ)の原因かもしれませんが、これもそれも誰も評価してくださらぬので自己愛により評判を流布しているだけでございます。
一旦解散して夕方からはさらに多く集まり新年の会。
もちよりにて様々なお料理が机狭ましと並びますが、ネタとキャラの被りを避ける理由もあり、女性による毎年のレパートリーは安定ベースに新鮮な料理も。三世代と言いながら、10代も半ばを過ぎた青少年達は精神的には胃袋が満たされた年なのか、そうガッツリ食べるわけでもなく、「マグロ!マグロ!」と大騒ぎする微笑ましいキッズが少なくなったのは少し寂しい限り。
こんな大人数での三世代親戚新年会というのも今では珍しいものなのでしょうが、これも場所を提供してくださる家があってのことです。感謝。
話題変わりますが、昔ながらの家屋に参ると突然懐かしいものに出会いますね。高級でも貴重でもお宝でなくとも、日常品に笑顔がこぼれる時もあります。
ほらこんなアドレス帳・・・帳ではないが。
懐かしいですね。黒電話の下にきちんと収まる寸法でデザインも秀逸。実家にもありました。ア〜順番のキーを人差し指で押しながら親指で引き出しを挟んで引っ張ると、電話番号が書き込んだ目的ページがで出てくる仕組み。全手動でありながら、最小の所作で合理的な結果を得られるというデジタルアイデアです。70年代の発明品ギミックは節操なき現代のものとは違います。整然としたデザインには背筋の伸びた清潔感があり、凛々しさと奥ゆかしさのバランスも絶妙でありながら、最終兵器を自認するかのような自信に溢れた合理性には頭を垂れて降参しかない佇まいでもあります。
なんだが正月から良いものを見させていただいた。
アイドル史 ― 2016/01/05 22:33
2日目に出るっているのが、逃れようのないオッサン病ですが、スタートダッシュを繰り返すテニスは脹脛(ふくらはぎ)に来ますね。意外や腕や肩腰はなんでもないのは、日頃のトレーニングのお陰と少しホッとします。
私、変な本を読むのが好きなのですが、今年は少し私の手にしている変過ぎる本を例年になく紹介しようかと思います。然しながら専門分野のあまりにマニアック過ぎる本は楽しくないでしょうから避けたいと思っています。
この本「幻の近代アイドル史」。
残念ながら現代歌謡界、邦人ポップスのアイドルオタ的な内容ではありません。私の大好きな明治初期から大正期に於ける流行を映したようなアイドルの世界を描いています。
最初に登場する人からして竹本綾之助・・・といってもさらにわからないかもしれませんが、この方女性。歴史的には女義太夫というジャンル分けがありますが、明治20年にデビューし大流行のアイドルという事になります。
義太夫?で、アイドル?
という疑問を抱く方もいるかもしれませんが、今のAKB的な人気といえば解るでしょうかね。大正、そして昭和期とアイドルの変化を辿ると大衆芸能のストーリーばかりでなく、世の中の経済的な浮き沈みも見えてきます。「芸能アイドルに見る近代史」と言った方がわかりやすいのか・・・。
明治初頭は文明開化を掲げながら全国民総西洋化を推し進めた様な時代でもあり、外交は燕尾服にシルクハット、オペラパンプス。銀盆に載せられたシャンパングラスを手に取り、流行りのヨハンシュトラウスで踊るのが外交、社交界のお手本。的な西洋気取りがあるかと思えば、大衆のアイドルは女義太夫。この現実が面白いではないですかねぇ。
明治大正期の芸能やオペラの研究なんて、これまでは年配の生き字引的な先生方が多かったのですが、昨今は実に若い方が多い。私の周りにも30代のこの時代の研究家が居て、時折話をさせて頂きますが実に頼もしいです。この本も30代著者と考えると、益々の研究を続けて欲しいと思う次第です。
「幻の近代アイドル史」笹山敬輔著
1984年5月25日発刊 彩流社
1800円
新年会 ― 2016/01/09 23:47
細部の攻防 ― 2016/01/12 14:12
嚙みついた娘・楽興 ― 2016/01/13 23:10
新国立劇場演劇研修所の終了公演に行って参りました。
昨年から楽しみにしていたのですが、自分の予定が見えずチケットを買うのが遅くなりました。でもどうにか2階バルコニーに席を確保出来て観ることができました。
「日本演劇界もようやく国立の研修所かぁ~!」と感慨深かったのは一昔前、今回はもう第9期の終了公演になります。好きなんですよ、卒業演奏とか終了公演などの気持ちも入りイベント価値も高い一生に1回限りの類いの公演に行くのは。
三好十郎作品ですが、日常の延長にある微細な稀有を描く少し昔の戯曲が素晴らしく、以前から演目見つけては行くようにしています。今回は三好作品というオプションも付いていたのも楽しみだった理由です。『嚙みついた娘』・・・。タイトルからして是非行きたいと思っていましたが、演出の栗山民也氏も「タイトルに惹かれた」と修了生への檄と共にプログラム扉に書いています。誰でも惹かれますね、なにせ娘が嚙みつくのだから。
今月8日初日で本日は千穐楽公演でした。私は劇場に行くときはなるべく初日と千穐楽を避けていきます。一般客で行くので冷静に見たくてもただならぬ空気が漂っていますので。舞台も客席もニュートラルでは無い事が多いですが、大抵は客席の鼻息が荒く空気が摂氏1.5度ほど上がり、背筋の観る気満々筋も角度が15度ほど前のめりになって、舞台上にまで興奮を伝えますね。こうなると呼ばれない宴会に来てしまったようなもので、冷静になろうとするほどこちらはテンションのギャップに疲労困憊です。
私は欽ちゃんやドリフで育ったお陰かどうか、例えお笑いでもきっちり稽古を積んで真剣にそのままやる舞台が好きです。必要以上のアドリブや、その場限りのアイデアを盛り込みすぎて本末転倒になっているような芝居は、腹の底から笑ったり泣いたりできる役者以外ではあまり歓迎したくないのです。ですので、いつものようにキッチリ見たいので初日、千穐楽は避けるのですが、今日の千穐楽は全くそんな事は杞憂であって、冷静かつ積み上げた稽古の成果を十分に出していました。
演劇の評価を私がする必要はないので、普段から様々な事に関心したりしながら見るのですが、勿論時代考証の道具類、衣装から言葉に至るまで非常に興味をもって見ています。オペラ、バレエでも共通でしょうが、民間団体(というのが正しいかわかりませんが)に比べても新国立劇場の研修所は、稽古場を含めた研修環境が実に素晴らしいのはわかっています。多分終了した役者の道を歩む彼らも、新国立劇場以上の環境は他にはないと気づいているでしょうし、そのくらい丁寧に3年間をかけた終了公演だからこそ興味をもつ意義があるのです。これは日本の演劇が評価される基準にもなりますし、威信を賭けた研修システムとも言えるものです。そして様々素晴らしかった・・・。
芝居の転換などで舞台が回りながらかかる音楽はピアノによる音のみで、音楽としてはテーマ音楽のように「楽興の時」が流れています。
この音の印象があまりにも強烈且つ効果的なために、私はその度に小学校の事を思い出していたのですが、原題は<Moments musicaux>単純に言えば「音楽の時間」という訳になります。ラフマニノフにも同名のタイトルから「楽興の時」と言われるピアノ曲集がありますが、明治の頃か”楽興”とはよく言ったものです。
どなたの訳でしょう?Symphonyの日本訳を”交響楽”とした森鴎外のようなセンスですね(この訳がなければ交響楽団の名称も無かった訳です)。
シューベルトの「楽興の時」は、彼が1828年に亡くなるまでの晩年に書いた6曲の作品で、1823年〜彼の命を奪った病が発病した頃からの時代になります。展開の早いメロディーは、2回と同じ部分を繰り返しもせずコロコロと転がるように民族的牧歌を奏でます。もう一度最初のメロディーが出たと思ったら一瞬の明るい旋律も束の間、はにかんだ笑顔が曇るように静かに終わります。フォークダンスの物悲しさというのか、夕方や晩秋の原因無き憂鬱さに似た響きでもありますね。
この「噛みついた娘」の中に登場する、虚像の家族愛をオブラートで包みもできなかった家人達の翻弄された浮き沈みの危うさもまた、楽興の時であるなぁと思いながら、肘をついた堀くんが突っ張らしているテーブルクロスを見ている自分を思い出すのでした。
新年の会 ― 2016/01/17 00:29
大学生と吹き初めの会。
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