嚙みついた娘・楽興2016/01/13 23:10

 小学校4年生の時、放送委員会が流す給食時の放送のテーマ曲はシューベルト作曲のピアノ曲集の有名曲第3番「楽興の時」でした。Allegretto ヘ短調で左手の素朴な前奏がStaccato で流れると、水色格子模様のテーブルクロスを敷いて向かい合った6人グループの中に居る堀くんは、決まって両腕を強張り両耳を塞いでいました。目も強く閉じた姿は本当に嫌いな様子で、0.5dBでも 耳に漏れ入ると夕方まで憂鬱になったそうです。当時から閉所恐怖症であった私は、そんな恐怖症もあるものかと堀くんに同情もしましたし、スピーカーを見上げながら、悪気の無い朴訥と 民族訛りの強い旋律を聴いていたものです。

新国立劇場演劇研修所の終了公演に行って参りました。

 昨年から楽しみにしていたのですが、自分の予定が見えずチケットを買うのが遅くなりました。でもどうにか2階バルコニーに席を確保出来て観ることができました。

「日本演劇界もようやく国立の研修所かぁ~!」と感慨深かったのは一昔前、今回はもう第9期の終了公演になります。好きなんですよ、卒業演奏とか終了公演などの気持ちも入りイベント価値も高い一生に1回限りの類いの公演に行くのは。
 三好十郎作品ですが、日常の延長にある微細な稀有を描く少し昔の戯曲が素晴らしく、以前から演目見つけては行くようにしています。今回は三好作品というオプションも付いていたのも楽しみだった理由です。『嚙みついた娘』・・・。タイトルからして是非行きたいと思っていましたが、演出の栗山民也氏も「タイトルに惹かれた」と修了生への檄と共にプログラム扉に書いています。誰でも惹かれますね、なにせ娘が嚙みつくのだから。

 今月8日初日で本日は千穐楽公演でした。私は劇場に行くときはなるべく初日と千穐楽を避けていきます。一般客で行くので冷静に見たくてもただならぬ空気が漂っていますので。舞台も客席もニュートラルでは無い事が多いですが、大抵は客席の鼻息が荒く空気が摂氏1.5度ほど上がり、背筋の観る気満々筋も角度が15度ほど前のめりになって、舞台上にまで興奮を伝えますね。こうなると呼ばれない宴会に来てしまったようなもので、冷静になろうとするほどこちらはテンションのギャップに疲労困憊です。
 私は欽ちゃんやドリフで育ったお陰かどうか、例えお笑いでもきっちり稽古を積んで真剣にそのままやる舞台が好きです。必要以上のアドリブや、その場限りのアイデアを盛り込みすぎて本末転倒になっているような芝居は、腹の底から笑ったり泣いたりできる役者以外ではあまり歓迎したくないのです。ですので、いつものようにキッチリ見たいので初日、千穐楽は避けるのですが、今日の千穐楽は全くそんな事は杞憂であって、冷静かつ積み上げた稽古の成果を十分に出していました。

 演劇の評価を私がする必要はないので、普段から様々な事に関心したりしながら見るのですが、勿論時代考証の道具類、衣装から言葉に至るまで非常に興味をもって見ています。オペラ、バレエでも共通でしょうが、民間団体(というのが正しいかわかりませんが)に比べても新国立劇場の研修所は、稽古場を含めた研修環境が実に素晴らしいのはわかっています。多分終了した役者の道を歩む彼らも、新国立劇場以上の環境は他にはないと気づいているでしょうし、そのくらい丁寧に3年間をかけた終了公演だからこそ興味をもつ意義があるのです。これは日本の演劇が評価される基準にもなりますし、威信を賭けた研修システムとも言えるものです。そして様々素晴らしかった・・・。

 芝居の転換などで舞台が回りながらかかる音楽はピアノによる音のみで、音楽としてはテーマ音楽のように「楽興の時」が流れています。
 この音の印象があまりにも強烈且つ効果的なために、私はその度に小学校の事を思い出していたのですが、原題は<Moments musicaux>単純に言えば「音楽の時間」という訳になります。ラフマニノフにも同名のタイトルから「楽興の時」と言われるピアノ曲集がありますが、明治の頃か”楽興”とはよく言ったものです。
 どなたの訳でしょう?Symphonyの日本訳を”交響楽”とした森鴎外のようなセンスですね(この訳がなければ交響楽団の名称も無かった訳です)。

 シューベルトの「楽興の時」は、彼が1828年に亡くなるまでの晩年に書いた6曲の作品で、1823年〜彼の命を奪った病が発病した頃からの時代になります。展開の早いメロディーは、2回と同じ部分を繰り返しもせずコロコロと転がるように民族的牧歌を奏でます。もう一度最初のメロディーが出たと思ったら一瞬の明るい旋律も束の間、はにかんだ笑顔が曇るように静かに終わります。フォークダンスの物悲しさというのか、夕方や晩秋の原因無き憂鬱さに似た響きでもありますね。

 この「噛みついた娘」の中に登場する、虚像の家族愛をオブラートで包みもできなかった家人達の翻弄された浮き沈みの危うさもまた、楽興の時であるなぁと思いながら、肘をついた堀くんが突っ張らしているテーブルクロスを見ている自分を思い出すのでした。
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