非禁煙2006/02/18 23:59

趣味の話する前に、今年に入ってから、
煙草をなるべく少なくする努力をしているのです。
煙草って、紙巻ね。

もともと高校生の頃から、、吸って・・・
なんていませんよ。
しかし、何はともあれ紙巻煙草はいけないのです。
何がいけないって、この紙が燃えて肺に入るのがダメで、
有害な物質がたくさん含まれているのです!
肺喫煙は止めましょう、口腔喫煙にすればいいのです。
これ単純に言えば“ふかす”って言うやつね。
こうすれば健康に楽しめるのです、、、と、
信じて口腔喫煙は止めないのですが、
以前ブログに書いた葉巻は30の頃よりはじめ、
その後パイプを始めました。
早く始めないと似合わないのはイヤだったしね。

パイプは、ブライヤーという、まぁ単純言えば、
硬い木の根を加工して穴開けて、
葉を詰めて吸うというものですが、
ホールの形と艶は、素材の良さと加工の技術と、
さらに美術品としての要素もとても多く、
手持ちがいくつあっても見飽きませんね。
私が普段愛用するのは、ダンヒルの30年も前の
アンティークなのですが、ブランドで、
形も様々で、マウスパイプの口径、曲がり方にも
いろいろあって、集めるだけでも実に面白い。

パイプ煙草は、アメリカ、イギリス、ヨーロッパに
分けられますが、いずれも個性があって、
イギリスはヘビーな味わいで、水分も多く、
アメリカはライトで吸いやすく、
火付きも火もちも良いのが吸いやすいところかな。
わたしは中間のフレーバーなヨーロッパタイプが好きで、
ブレンドの仕方によって、無数にある中でも、
バニラブレンドのほんのり甘いものか、
ラム酒の香りのものを選ぶ事が多いです。
気分に合わせて、詰める葉を選べるところが、
どちらかというと、紅茶の茶葉を選んだり、
中国茶を気分に合わせて飲んでいるようなモノだね。

しかしパイプも喫煙マナーに収めなくてはいけないので、
いつでもどこでも吸える訳でもなく、しかし逆に、
5分の合間で吸うようなことをしなくなるので、
紙巻の習慣とは全く違った嗜みになるのです。

喫煙は害ばかり報道され、売っているJTが、
わけのわからない「有害認識」させるキャンペーンを
やってシールを貼るのだから変なものです。
節度とマナーを守れば、酒と同じで悪いものでもなく、
精神衛生上とてもいいものだと思うのですがね。

長いって!2006/02/19 23:25

「電車女」のタイトルで、ブログを書いた気がして
探してみたら、8月9日でした。
ここには、私が見た化粧上手な電車女を先頭に、
大した貴婦人が登場していますが、
こんな事では最近は驚かなくなりまして、
多少メイクしようと、何てことはありません。

そうそう、余談で少し前の話ですが、
私の知り合いのオペラ歌手に、
電車(グリーン車)に1時間揺られて、
都心の稽古場に通われていた方が居まして、
その方、情が体に降りてこないと、歌が歌えない・・
いや、芝居できないタイプで、その電車の中で、
役に合わせたメイクするのです・・・。稽古ですよ。

娘の役の時には、少し明るめのチークいれたり、
髪結んだりするのでしょう、ほのぼのしています。
ノーブルな御夫人の時には、髪はアップで、
キリッとしたアイシャドウで目元もキメて、
脂粉の香りすら漂う落ち着いた貴婦人然です。
しかし、どうでしょう。狂女のときは・・・
髪はダラーンと垂らして、顔はベースも白く白く、
全体に血色悪く、目元は隈取りのように青がはいり、
物の怪が取り付いたように肩を落としながら、
稽古場に登場です。
すでになにかが取り付いていますので、
挨拶も、
「お、お、おはよう、、ございま、、っす」
と、精一杯で、稽古開始です。
電車の中でこれに変身してくるのですから、
周りの人はどう思うのでしょう。
しかも稽古場は駅前ではないのです。
街中も歩きます・・
メイク中、見たい!観察したい!
そっと、2つ後のボックスシートから、メモとりたい。

そんな事書こうと思ったわけでなく、
最近驚いた「電車女」Movie編。

最近、家から電車の乗って各停電車での話。
この方、私の隣に座るや否や、メーク開始。
まぁ、除光液使ったらブッ飛ばそうと、心に決め、
「おう!上手くやっているジャン」と思いながら、
慣れた手つきで、およそ各駅5つ停車でメーク終了。
「出すぞ~ ほら、携帯!だろ、鏡代わりのカメラだよ!」
と、予想的中で喜んだり、つまんなかったり。
するといきなり、
私の目の前に右手を振って携帯を差し出す・・
「と、撮りましょうか・・・?」と、言おうと思った瞬間、
その彼女、
正面向いたまま、右手のカメラを右から左へ移動。
「なんだっ!おい、、、祝詞を挙げるのかよ!」
「かしこみ かしこみ・・・か?!」
「えっ???自分撮り動画かよ、、、」

満足そうに動画再生して自分の左右45度を確認していた。

世の中変わった。
と、この日も思った。

もしかしたら、三面鏡は要らなくなるのかも知れない。
というか、鏡は全部液晶になるのかも。
今の携帯の自分撮りは、
鏡の様に反転して映るのが普通。
これは多分逆に見せると、いつもと違う自分にビックリして
何度もメークをやり直す人がいる為・・・ 失礼。
(あながちウソではないかも!)

ここが本日の論点である。(ずいぶん遠回りした・・・)

電化品量販店で、自分の歩く姿が勝手にテレビに映る
ビデオ、テレビ売り場があるのだが、
この映像に満足する人はきっと、いや絶対居ない。
固定ビデオのレンズと写っているテレビの位置が違う為、
斜めから撮られる自分がシャクで、
なんとか正面から見たいのだが、
どんな事してもちょいとオデブな自分から逃げられなく、
さっ!と、
レンズから画面に顔を振って見る人まで居る始末。

なぜ、満足しないのだろう?
これは、鏡に慣れているからなんだな。

鏡は正直ですが、少し親切。
カメラの様に意地悪をせず、
ちゃんと奥行きも出してくれます。
この遠近感が非常に大事。
姿見では自分以外はボンヤリして、
ちゃんとヒロインのお出掛けにしてくれ、
三面鏡では、遠くの100体の自分が、
理想の笑みを投げ掛けてくれます。

でも、ビデオはだめ。
遠近感はないし、逆じゃないし、ちょっとデブだし。
可笑しなものです。
車のバックミラーの代わりに、最近はバックカメラ。
これ、便利で首痛くないし、いいやね。 でも、
サイドミラーがカメラと液晶だと、まずいのかな。
だったら、フロントガラス全面液晶にしてしまえば、
後部座席でふんぞり返って運転しても、
画面が正直なら問題ないのかな。

携帯の自分撮りが、鏡の様に逆ではなくて、
カメラになったとき、家庭の中から
鏡が減って行くときなのでしょう。
カメラに写る自分が普通に見えるとしたら、
みな正直な自分になっているのか、諦めているのか。

そんな事を、延々と楽屋で「鏡」を見つめながら、
オペラが始まる前に考えて、いざ出陣。

もちあげ、もみ、へりくだり。2006/02/20 23:59

疲れた。
何に疲れたかというと、申請書類である。
世の中にはありがたい助成システムがあり、
正当で真っ当な事には協賛してくれるのであるが、
これが、大変。

その事業が、いかに公共性があり、他に例を見ず、
しかも文化芸術振興に寄与しながら、
他者との交流の意味合いも深く、
先駆的な催しでありながら、
古典的な質の高さを維持しており、
広く理解を得られながら、価値感を共有し、
喜びと達成感は無類のモノであり、
先人の技を踏襲した高い技術は、
現代に於ける新しい分野を切り開き、
独自の創造性によって、斬新な作品を創り上げる。

という事を並べ立てなければならないのだよ。

例えばなんの変哲もない、A子さん。
彼女は、一番前の席でいつも先生の話を
背筋をピンと伸ばして聞いていて、
休み時間は、ハンカチを畳み直して、
机の右角のふでばこの下に敷きなおし、
先生が来る直前にくるぶしまで下がった、
ソックスを直すのが唯一の癖。
・・・みたいな静かな子に対して、

『見た目では判断できない潜在能力の高さに着眼して、
初めて彼女の素晴らしさに、胸が高鳴るものであり、
ただのお下げ髪と思われていた1本1本の御髪にも、
髪が宿っているのではと思われるほどの、
力を感じるものである。
よく見ると、少し深爪してしまった小指の
先からはオーラにも似たエネルギーを感じ、
人差し指の血豆とのコントラストが、大胆にして繊細な、
彼女の自信みなぎる、寸分の狂いもない行動を
まさに象徴するようだ。』

と、まぁ、こんな風に空いている欄を埋めていかないと、
書類にならないのだよ。
いや、ウソ書く申請ではないのだが、
書けば書くほど、小さな長所をまるで、
100の角度から眺めたように書いているようで、
喉の上の方が幾分痒くなってくるのである。

しかし協賛してくれる企業を探すために、
こればかりは長所見付けと手前味噌で、書き上げ、
終わるとグッタリするのである。


今やっているビッグプロジェクトの協賛金を
どうしてももらわなくてはならず、
企業の方々に、協賛しやすく、免税の優遇があるように、
その段取りの為なんですが、
いくつかの大きな企画で、昨年の秋から、
申請書類を書きとおしである。
同じように書けばいいものだが、
こればかりは国際規格でもなければ、
同じ審査委員ではないので、厄介なのですね。
予算決算なんて、やって見なけりゃ解らない数字も
あるのでしょうが、なんとか書かないとねぇ。
いや、ウソは書いていないのですよ。

兎に角投函しました、だしました。
これ以上どうしようもないほど、添付資料もまとめて、
もう指紋も手相もないくらい、揉みながら、
書いたので、なんとかなるでしょう。
ならなきゃ、困るのだよ!
頼みます!!

さて、写真は、1947年に長門美保さんが、
尽力して、なんとか日本人で初のオペラ「ミカド」を
上演しようとしたときのプログラム。
しかし、当局によって公演は中止に追い込まれ、
このプログラムも幻となったもの。
わたし、偶然ヤフーオークションで見つけた貴重なもの。

カルマス賛 カルマス誤算2006/02/21 22:44

音楽関係者の間では重宝している楽譜出版社に、
Kalmus<カルマス>というアメリカの会社があるのですが、
ここの譜面とても重宝ですが、いい加減なものも多く、
オーダー自体が大博打です。

どこが重宝って、例えばある日オケの譜面セットがなくて、
「参ったなぁ・・ 火曜日だろリハ・・・」
と、金曜日の夜に思ったとする。
とてもじゃないが、探すのも、
見つけて送ってもらっても、国内でギリギリ。
ところが、そんな時カルマス社のカタログで
チェックをして、フロリダにFax.で注文すると、
金曜日の朝出勤してきたMr.ライブラリアンは、
すぐに処理をして午前中に国際便で送ってくれる。
すると、最短で中2日、月曜日に手元に届くのです。
「あ~ さっすがカルマス!速い、安い!・・だぜ」
と、パート譜のチェックも間々ならぬうちに、
火曜はリハ。

「げげ!!なんだよ、この譜面・・・カットされた所が、
黒く塗ったまま、印刷されてんじゃん!よ~!」
と、金管楽器の諸氏。日欧米共通して血の気多いのだ。
「あ、、そこカットじゃないんだよな・・・」と、私。
カルマスは、平気で、どこかの劇場の古い譜面とかを、
勝手に(だろう多分)拾ってきて(すまないカルマス!)、
そのままコピーの様に印刷して出版する、
なんてことは日常茶飯事なのです。
「は~ 速い!安い!・・・上手くないんだな・・」
と、何度も喜んだり、泣いたりと、長いお付き合い。

私は年間通じて、やたら譜面を頼むので、
いつの間にか安くしてくれて、国内大手楽譜屋さんより、
安い事もしばしばある。
しかし、ギャンブル性が高いのだ。
だが、楽譜マニアの私としては、楽しいところでもある。
まぁ、笑顔で許してあげるのだ、カルマスなんだから。

ところが、時に恐ろしく素晴らしい事もある。
3月に、NBAバレエ団で、新たに「白鳥の湖」をやるため、
セットでパートを頼んだら、スコアは、チャイコフスキーの
原点版がついてきた。立派なもので、
クリティカル・エディション(研究版)の体である。
「まぁ、どうせパートも同じだろうから、
NBA版に合わせて切り貼りして譜面作らないと・・・」
と思い、優秀なM本隊員と打ち合わせして作業の手順。

今回はちょっと前のスコッティシュ・バレエ版の演出と同じ
なので、参考ビデオを見ると、やはり挿入曲がふんだん。

・・・知らない方の為にちょっと解説すると、
1875年に初演された「白鳥の湖」は、あまり人気がなく、
約20年間、上演機会も多くなく放っておかれた。
そして、プティパ&イワノフという、方々の尽力によって、
1895年に大幅に作りかえられた時に、
当時バレエ作品でも活躍していたドリゴという作曲家に、
収拾のつかなくなった部分を補足改訂してもらったり、
チャイコフスキーの他の曲をアレンジして挿入したり、
音楽家にとっては、『アイタタタタ・・・』な事を、
たくさんしてもらい、これが大当たりで、
現在もベースは、どこの公演でもこの版である。

と、まぁ、こんな経緯があるので、
「どうしよう挿入改訂部分のパート譜」・・・
と悩んで数週間。
ある日、パート譜パラパラめくっていたら、箱の底から、
なにやら怪しげなパート譜・・
「ん?Supplement・・・ 美容と健康か、、、」
と、思ったら、、、
なんと、ちゃんと改訂された部分や、挿入曲は、
一式別に入っているじゃありませんか!

「偉いぞ!カルマス! だからお前を好きなんだ!」
悩みも飛び、膨大な編曲の仕事からも解放され、私は叫ぶ。
ホントは見難いし、間違え多そうな相変わらずの譜面なのに、
不器用な恋人のおでこを人差し指で エイ!と突くように、
『こらっ!まったくぅ!』
と言って、パート譜を抱きしめた。

快眠生活2006/02/22 23:51

私は食欲がない。

いや、これは食あたりではなく、
インフルエンザでもなく、
あまり、食に対する貪欲さが無いという事である。
食事は美味しいし、新鮮な素材を口にすれば、
それが否応無しに脳内アドレナリンαを分泌し、
瞬く間に箸の運びは活発になるのは、
多分普通の人と同じなのであるが、
俗にいう、“グルメ”というものに程遠いのである。

仕事でも食事の機会は苦手で、
いや、そもそもあまり存じ得ていない方と食事を
すること事態が苦手なのであるが、、、
それは、困ってしまう。
少し接待気味の席も多い年代になったので、
ちょっと美味しい所に案内して、
「いや、ここの鮟鱇(あんこう)は、美味しくてね!
ここではこの山陰沖のモノしか使わず、
また鮟鱇汁の後の雑炊。これ食べないと~」
などと、言いたいのですが、食欲無い性格だから、
そこにある美味しいものを脚色したりも出来ず、
話の方がしだいに美味しくなってしまう。
じゃあ何が食べたいか、と、聞かれると、
好物は、卵かけ御飯だったり、納豆だったりする。
誤解しないで欲しい、
美味しいものを食べなれているわけではないのです。

さて、睡眠に対する欲もあまりない。
私も眠りたい時は来るのだが、
進んで寝ようとは思えなくて、
美と健康の為に早寝しようと思っていても、
結局寝るのが好きではないのが、結論のようである。
ただ、寝たら起きない。
死んでいる人より死んだように寝るみたい。
深いのだね、そうすると、5時間あれば十分事足りる。
先日読んだモノの本に、昔のエライ学者の
睡眠パターンが書いてあって、注目すべくは、
一日に15分を6回寝て十分な人。
これは、つまり一日に、というより、計算すれば、
4時間に15分寝ればいいわけだな。
これは素晴らしい!是非得とくしたいものだ!
、、、いや、しかし4時間たつと寝なくてはならないのか?
ヴェルディならいいが、ワーグナー振っていると、
途中で寝なければならないな・・困るか。・・・やめるか。

高校生の頃より、午前3時になると、神が降りてきます。
恐ろしい話ですが、天才スイッチが入るのですよ。
勿論、これはこの時感じるだけで、
翌朝メモしたり記録に残ったもの読んだりすると、
神が見放した様子がよくわかります。凡人なのでしょう。

しかしさらに寝ない方法を学びたい・・・

そんな私のマイブーム。
これご存知方多いでしょ。SUDOKU、 数独。
9×9のマスに、1~9の全部違う数字を並べるゲーム。
この機械欲しくて、欲しくて、でも3千円かぁ・・
と、思っていたら、私の得意なUFOキャッチャーに、
あったのですよ。
しかも、1発で!200円でゲットしました。

これ電車の中でやっていると、いつの間にか、
スヤスヤ良く寝れるんですよ。
しかも横揺れが睡眠不足を気持ちよ~く解消!
って、私も寝てるんじゃん・・・

睡眠シリーズ Ⅰ(後悔と思い出編)2006/02/23 20:24

勝手にシリーズ化する訳は、
私にとって睡眠問題は大きな課題なのであるから。

人生ほぼ半分生きたような気がするので、
同じ世代はどのくらい寝ていたのか考えると、
例えば1日の3分の1、8時間睡眠を理想とする人は、
42年のうち、14年は寝ていた事になる。
まぁ、赤ちゃんの時はもっと寝ていたであろうが、
夜更かししてラジオの深夜放送聴いた高校時代や、
次の日午前から稼動なのに、朝まで飲んでしまって、
後悔しながら目を擦ってあくびした日も含めると、
まぁ、大体差し引き14年だな。(強引なのは承知だが)
、、って事は生まれてから、中学2年までは、
スヤスヤと寝ていた事になるので、
この計算を見る限りでは、大いに慌てる結果だな。

これが、6時間睡眠で足りると人となると、
10年と6ヶ月寝たんだから、小学校6年の冬、、
いやそうではなく、1日8時間の方と比べると、
1年半得した事になる。
この差は大事だ!

わたしは昨日も書いたが、
高校時分からあまり寝無い生活なので、
まぁ、得した気分ではあるが、
これからの半生、このペース、いや、
もう少し寝たくないのが本音である。
寝なきゃ寝ないでラッキーなのである。

大変大変!
私の良く見るネット辞典「ウィキペディア」を見ると、
平均睡眠7時間が最も平均余命が長くなる。
と、書いてある。本当か?誰が計算したのか?断定か!
この辺りの理想睡眠時間に関しては、
皆のコメントを待とう!
また次回なのである。

もうひとつ。
どうすれば快適に少ない睡眠時間で体も脳も眠れるか、
を、考えているのだが、
今日すごい事思いついた。
水中睡眠はどうだ!
浮力の快適は湯船で立証できるでしょう。
お湯に直接はつらいので、袋に入って、
非接触型水中睡眠。 これはきっといいぞ。
体は水中で抵抗や摩擦も無く、寝返りの必要も無く、
筋肉はどんどんほぐれ、脳もぷかぷか。
頭だけ出して、濡れずに水中睡眠。
これいんじゃないか、

さっそく、フランスベッドに話しよう・・・耳打ちだ。
いや、バスタブ屋か?

法事2006/02/25 20:42

乾燥した空気の中、
甲高いりんの音が連打されると、
眠っている魂は呼び起こされ、
開演前の舞台袖のように緊張感が走る。
粛々と佛説阿弥陀経が唱和されると、
黒檀の拍子木は正確に合の手を入れ、
天井の明り取りの窓から差し込む陽の光が、
神々しく一同を包み込む。

今日は法事。上野のお寺で祖母の一周忌法要。
昨年2月に亡くなりましたが、
90代まで生きられたのですから、
素晴らしいものです。
久し振りに皆集まると、
年を重ねて元気な叔父さん、叔母さん、
従兄弟の子供たちも大きくなりますね。

仏の事を、仏の道を常に考える程は
信心深くないものの、自分の気運を
良い方向に導いてくれる守護霊には感謝しながら、
親類のお墓も周り、ひとつずつに手を合わせると、
心は落ち着いてくるものです。

前住職は素晴らしいバリトンで、
無駄のない柔らかな響きで魅了します。
現住職、リリコ・テノールの美声ですが、
ちょっと疲れているのでしょうか、
AからGの音に下がるところで、
音声障害気味になります。
運命に翻弄されるような切ない声、
そうリリコ・スピンとの様だ!と、
「カルメン」のホセや、「アイーダ」のラダメスも
今日ならいけるかなと、思いながら、
お経を聴いていました。

説教も面白い、
浄土真宗なのですが、お経の由来と、
サンスクリット語の話に絡めて、
西遊記に三蔵法師とはわかりやすい。
心の中に存在するお釈迦様の意識、
無邪気でありつづけられる新生児の顔は、
心の顔、仏であると説かれる。
説経は魅了してこそだと感じ、
エンターテイメントに通ずるものを発見した。

390年間、本堂にジッと立ち続けるお釈迦様は、
毎日毎日やってくる、煩悩に溢れた人間達を見て、
何を思うのか、聞いてみたいものだ。

お寺の庭に、あまりにも美しい乙女椿。
色褪せて、ポタリと落ちる椿の花、
一番美しい数時間かもしれません。

白鳥の如く2006/02/27 19:53

バレエ団のリハーサル。

「羽根のように、羽根のように!」
先生の檄が飛ぶ。
森に潜む魔界の使者ロットバルトに、
白鳥の姿に変えられた乙女たちは、
悲しげに湖を泳ぎ、人間の体を乞うように、
羽根を羽ばたかせるのです。

バレエ団の稽古を観にいきました。公演準備です。
本日はコールド(バレエの合唱だな)の稽古中心、
「白鳥の湖」の楽しみは、コールドのアンサンブルであり、
これが悲しくも美しい白鳥に見えなければならず、
「カラス」にならぬよう、肩甲骨を使って、
美しく、美しく・・・一糸乱れず、美しく。

バレリーナって、遠目に見ると、
美しい衣裳をまとい、流麗に動き、
華麗なるジャンプは、まさに妖精のよう・・・

なんて、思いがちですが、彼女らの近くで見ていると、
その体は、まさにアスリートです。
鋼のような、肩甲骨や上腕三頭筋、
全ての体重やバランスを支える足は、
やわな成人男子の何百倍も強いはずですね。
その強靭なバネや、筋力は、ドラマに沿い音楽に乗ると
みるみる美しい肢体に変わります。
何も語らず、指先まで神経を使って、
自我と喜怒哀楽を表現する様は、
繊細で可憐な白鳥が語りかけているようです。

「アラベスクから、アティテュード!そう、もっとゆっくり!」
「シャッセですよ。もっと横に!」
ロシアで復興して全盛期を迎えたバレエも、元はフランス、
用語は全てフランス語です。
ロシア人の先生は、英語とロシア語、フランス語の用語を
混ぜながら、団員は、ロシア人も中国人もいます。
私は、簡単な言葉ならロシア語でもわかりますが、
難しい相談は、英語で話してくれるのでありがたい。
そうだった、スコッティッシュ・バレエで
振り付けをしていた人だったから。

言葉の無いバレエの稽古に、
様々な国の言葉が飛び交うのは面白い。
しかし、皆、無言の共通言語を持っているので、
通じない事があっても何の問題も無い。
稽古に集中し、何度も繰り返し、
背中に金色の汗がほとばしります。


オペラの稽古は、対照的。
原語にこだわり、言葉で意味を伝えていく。
声を出す事が表現手段、稽古場は、
歌っている時以外でも少々やかましい。
ま、これも面白しものですが、
いろいろな世界の真ん中に立つと、
それぞれの違いを発見するものです。

私も勉強 勉強!

旭山桜2006/02/28 23:59

今日で2月も終わり。

夜半から降り出した雨は、長雨の予感ですが、
この天気になってくると、春が近いですね。
桜の木を気にしながら歩くと、
少しずつ内側から膨らんでいるのでしょうか、
目には勿論見えないでしょうが、
葉を落とした枝の周りは、
薄らボンヤリと灰色ピンクに見えてきます。

桜の花は、春の喜びを眼で感じるには最高ですが、
咲いてしまうと、散る為に咲くようなものです。
私は咲く直前の、桜の樹に、
生命の強い息吹を感じます。

青山霊園の桜並木は、
坂ノ下から車で登れますが、
開花の直前が美しい。
ホンノ1日か、半日。もしかしたら、数時間。
気候によって、見られない年もあるのでしょう、
百数十本の桜の樹が、
一斉に喜びの雄叫びをあげる直前です。

昨日桜盆栽を見つけました。
旭山桜の鉢植えですが、
ハウスで早めに育てたのでしょう、
茶色い枝にアクリルの絵の具で塗ったような、
黄緑色の芽が吹き出していて、ニセモノかと、
指で確認したほど。
いくつかは花が咲いていて、
八重にひしめくピンクの花は、
とても窮屈そうで、少し早く咲いてしまったのを、
照れ隠しで恥ずかしそうにモジモジしているようです。

3月が始まります。
年度末、日本特有のこの月は、
商売も気候も凍りつきそうな2月から、
両手を広げての新装開店の準備期間でしょうか、
人々の顔の筋肉もようやく緩んできますね。
良い月になるよう、精進 精進。
カウンター