体鍛えようかな~2006/01/01 23:31

元旦の今日は、寒い一日。
空高く抜けるような青空は一瞬だけで、
泣き出しそうな雲が張り付いている時間が、
多かったかな。

さてどんな一年になるのでしょう。

健康である事が何よりと思い、
去年よりかは、睡眠時間を確保しようかと、、。
付き合いの席も多いのですが、
お酒の飲みすぎは良くないから、気を付けようと、、、。

これ昨年の正月に思ったこと。
今年も、これは掲げておこう。

それから今年は、
もう少し、勉強する時間と環境を作りたいなと、、、。
やっぱり忙殺されますから、正気を失います。
仕事をおろそかにした事はないが、
やはり納得いくまでの準備をする時間が取れない時は、
少し後ろめたいものです。
今年は自分にとって新しい曲もいくつかありますし、
勉強勉強ですね。

このブログ、1年間で200回更新を目指そう!
これは新たな目標。

今年も皆さん、よろしく!

写真は雲の隙間から見えた青い空と、
葉を落とした後の、力強い街路樹。
こいつらみてると、勇気わきますから。

帽子2006/01/02 23:47

この写真なんだかわかります?
実は3点とも、バスクベレーです。

帽子好きの私は中でも、ソフトとベレーが好き。
いつも被れるわけでもないですが、
やたらと種類も数も持っています。
帽子掛けに帽子、コートハンガーにコート、
こんな事ができる冬は最高なのですが、
暖冬と言われた数年、厚手のコートにソフトを
被る機会も無く、少し遠慮気味だったのが、
今年は寒くて帽子日和が多く、嬉しい。
外したとき帽子アタマになってしまうので、
困りますが、まぁ気にしないのです。

そしてこの写真のベレーですが、
ベレーは大きく分けて2種類。
作られている地方によって、
バスク地方のバスク・ベレーと、
グルターニュ地方のブレトン・ベレーです。
良く知られているのは、アーミー・ベレーなんて
呼ばれるものもある、こちらのバスク・ベレー。
分りにくいでしょうが、左縦2つは、正統派のベレーで、
裏には製作者の家紋が刺繍されたワッペン貼られます。
年代も家紋もちょっと違う面白いもの。
そして、右の1つは、Kangol<カンゴール>が、
50年代に作って大ヒットしたニットのベレー。
Kangolは、カンガルーのトレードマークですが、
この時代のロゴだけのものは、希少かな。

この3点、実は順番に父から貰った物。
父は画家なので、ベレーがさぞかし似合う職業ですが、
最初の1点を10年前にもらった時は、
まだ若かったし、芸術家を気取っているようで、
なかなか被る勇気もなく、いつも棚の奥でした。
最近は、時々被っていましたら、
昨日元旦に実家で何やらゴソゴソ出してきて、
「ほら、やるよ!」と、2点くれました。

なんか良いね、ベレー。
戦前30年代に流行ったスタイルも良いけれど、
50年代の芸術家はみな被ってる。
黒田清輝に藤子不二雄、エルネスト・チェ・ゲバラなんて、
ベレー被った男前の代表だね。

ピレネー山脈を境に、北はフランス、南はスペイン。
国境が“一応”分けられているそこがバスク。
ベレー帽、モンパルナスの芸術家を彷彿させるけど、
ここが源流。

あぁ、おせちに飽きたから、
バスク料理食べたくなってしまった。

だから無理しないでって・・・2006/01/03 23:03

箱根駅伝。

箱根~東京間を駆け抜ける20団体200人の戦士は、
鍛え抜かれた足腰を武器に、
厳寒の冬空の下、はるか前方を一心に見つめひた走る。
その姿、プライドを背負った高貴な仏僧のようでもあり、
甲冑を身に纏った戦国武士のようにも見える。

そんな事考えながら、走っている彼らの姿を
吸い寄せられるように見つめていると、
「なんだ、あれは・・?」
って、去年も気になりましたが。

二の腕まである、一体型の手袋はなに?
ユニフォームにあわせて、緑やピンク、しろ黄色。
あれは寒さ避けなのか、肘を暖めると足が動くのか?
いや、歩道を埋める100万市民へのドレスコード・・・
そうか、あれは貴婦人の正装なのだ。
国民代表として車道をひた走る駅伝は、正月の風物詩!
これは貴婦人が、パレードを行う正装の模写なのか・・・
そう思うと、シード権を争って走っている日体大と、東洋大の
デッドヒートが、まるで舞踏会でワルツを踊る淑女に、、、
見えるわけはない。

しかし、朝8時からよく走る。
カメラが同時に動くからよく解らんのだが、
空から映したり、固定カメラの前を通過すると、
テレビの前の私の前髪まで、乱れそうだ。
いてもたってもいられなくなり、
郵便を出すついでに走ってみた。

いつもより遠くのポストまでダッシュ!
投函し、ダッシュで帰ってきた。

気持ちが悪くなった・・・


写真は、空(ソラ)ではない。
駐車場の入り口に、「カラ」と書いてあるのだ。
しかし、長い間これが「字」だと言う事に気付かなかった。
「絵」だと思っていたのだ。
走っているときにふと、気付いたのだけど、
歩いて気付かない事が、走ると気付いたりするものなのか・・・
気持ち悪くても収穫があるものだと、
わざわざカメラを持ってきて撮影。

人の事笑えないが、まずいでしょこの字は・・・

神戸2006/01/06 23:39

所用で神戸に行っていました。

10年振りです。
10年前に行ったときは8月で、
まだ震災の傷跡が生々しく残っているときでした。

もうすぐ、1月17日は震災記念日。
思い出しますね。早朝、未明でしたね。
死亡者 4,500人以上出した痛ましい地震でした。

私の芸大時代の友達は、神戸出身で、
卒業後初めて地元神戸で仕事だってのに、
震災に合い、それ以来人生が変わった、と言っていました。
私の親類は山のほうで、被害は少なかったものの、
ピアノがするすると横滑りで移動したと、言っていました。
被害がひどかった長田区の長田神社の宮司さんは、
ベルリン時代からの知り合いで、どうにも心配しました。

10年前の神戸か・・・、と考えながら、
今日は三宮から元町付近を、ずっと歩いていました。
今は、ウソの様に活気がありますね。
私の好きなガード下の雑貨屋、飲み屋、
看板も一度は外そうかと考えたでしょうが、
いやいや、しっかりと、壁にかかり、
大きな赤提灯も、ゆっさゆっさと、揺れていました。
今だって、傷の癒えていない方々は、沢山いるでしょうが、
でも、綺麗な良い町に復興していました。
と、いうより、パワーアップして、さらに素敵な街かも。

そんな事考えて、三宮の生田神社の前を手を合わせて通り、
行きかう人の笑顔を見続けました。

神戸の夕暮れの写真。
黄色の信号は別に意味ないのだけど、
いや、寒かった。東京より寒いね。
海風かな。

エンタメ2006/01/08 23:44

「日本人が発進すべき舞台は、何処向かうべきか・・・」
なんてこと、常日頃考えていますが、
元旦の朝日新聞の記事が気になって仕方ありません。

ちょっと目ウロコの記事で、
世界が日本の「カワイイ」をキーワードに
動き出していると・・・

「かわいい」「可愛い」「カワイイ」、
どれも同じようで、世界は「カワイイ」いや、「Ka-Wa-ii」
に耀くモノを感じたんだな。
奇妙な日本の和洋折衷文化は、外国人には不思議に
写るらしく、、(尤も私達もそう思うが)
外国文化ミニスカートと日本の制服を組み合わせ、
ラルフのニットベストを長めにして、スカートを押さえ、
肩にはバッグの柄を片がけして、ルーズソックスの踵で、
ローファーを踏んで歩く。

この「sexual-kawaii」が、日本の魅力かな。
考えリャ、歌麿だって、北斎だって、
これを浮世絵に写し描いていったわけだし、
西洋画に多大な影響を与えたとかんがえると、
現代にこれも不思議でない。

日本人が気付かないすごいドル箱文化かも。
これは、もっともっと来るね。
日本西洋化150年の歴史の集大成の波かも。
はやくこれを輸出しないと、
パリの絵描きや、クリムトだって真似したように、
また日本文化が利用されて終わってしまう気がするな。

と、これ以上は私のアイデアは、秘密だが、
日本文化の輸出は、古典だけではないと言う事。
現代文化に慣れしたしんだ日本の姿を、
外国人に見せていくというより、海外に持っていくんだな。
パフィー、すごいじゃんね。
摩訶不思議なんなろな・・・

続く。

俺たちゃ新人類って呼ばれたんだ2006/01/09 23:59

「成人の日」である。143万人もの人が、
一斉に新成人になり、一斉に酒も煙草も許され、
一斉に大人の自覚を持たされ、一斉に少年少女Aから、
一人の名前を持った社会的大人に変貌する日である。

そりゃ昔の数えでは、1月1日に全員誕生日が来て、
すぐの成人式でさぞ実感があったろう。

20年も前の「成人式」ではあるが、振り返ってみると、
私の誕生日は5月なので、年明けて1月に式といっても、
全く、さっぱり実感はわかないものだった。
ましてや、一浪して芸大に入った1年生ではあったが、
先輩に連れられて、いっぱしに楽器で仕事を始めていて、
生意気にも忙しそうだったし、
酒は既に毎日死ぬほど飲んでいたし、
煙草は成人の時には吸うこと自体に飽きていた。

当日は、お決まりの地元でのお祝いの会があり、
わたしにも区役所からのハガキが来ていたのだが、
あまり興味も無く、、
しかし祖母が見立てた、
ピンストライプのチャコールグレーの生地であつらえた、
センス良い、スリーピースには袖を通したく、
なんとか出席しようと、前夜、、、
いや、飲んで帰った明け方には、そう思ったのだった。

「トオル!行かないの!?」
の声に起こされた時は、既に11時。
「あ、、、行くよ、、、」  
「・・・いけね、そろそろしたくしねぇと、
              間にあわねぇジャン・・・」
と、午後からだと思った式は午前中から。
今も古いが、当時はもっと古かった(ハズはない)、
豊島公会堂に着いたときには、新成人が、ゾロゾロと
草履引きずって出てきている時だった。

「ん、だよ。終わったのかよ・・・」
とつぶやき昔の仲間を探したが、
既に皆と違う道を歩んだ俺は、
地元の同級生共と、当時あまり付き合いも無く、
声をかけることさえ億劫になってしまった。

「はぁ、、、 帰るか・・・」
と、式場に入りもせず、感慨も無く、
下ろし立てのスーツの緊張も忘れ、家路に着いた。
家を出て帰るまで、所要時間20分だった。

うぅぅ・・
思い出すと、結構悲しい・・・

昨日のニュースの、沖縄の新成人が、
卒業中学校ごとのそろいの派手な羽織着て、
酒飲んで一緒に大騒ぎしている映像見ると、
「こら、お前たち!バッカじゃないか~」と思いながらも、
自分を思い出すと、うらやましくて仕方なかったな。
だんだん希薄になる仲間意識や地元意識、
再確認して、成人を喜び合ったり、力を誇示したり。
幼稚っぽくも見えるが、
これで最後っていう儀式にも見えるね。
暴力はいけないが。

如何せん、新成人がんばって欲しいな。

今朝、新聞で読んだが、
“バブル崩壊後の10年、大人は若者を育てる事を
やめてしまった、いや出来なかった結果が、
今の就労状況に繋がっているのだ、、”
と研究者の弁を読んだ。
・・・そうかも知れない。
自分の10年はどうなのか。

また、野洲高校のサッカー見ていて、
「日本は変わる」って、確信もした今日。

いろいろ考えた一日でした。

祝 新成人。

第二電電ってあったよね2006/01/11 06:00

子供のころよくやっていたアメリカテレビ映画で、
戦争もの。
ベトナム戦線のアメリカ兵で、ベトコンに
仲間がやられると、肩を抱いて目を閉じさせてやり、
必ず、首から提げているネックレスの金属片もぎ取って、
泣きながら別れを惜しみ、思いを振り切って先を急ぐ。

こんなシーン。
あれがなんの意味か分らず、後になって、あれは、
軍の認識番号つまり、IDを書いたペンダントで、
消息をハッキリさせる為、死亡報告の為に、
仲間が持って帰ると知った。

さて携帯の話である。

私はもう10年になるので、
ベテランであるし、ドコモの10年まで延びた
長年割引に微笑んでいるくらいの、携帯ユーザでもある。
ただ、ヘビーユーザーではないし、主はメールだな。
しかしもうすぐはじまるお財布ケイタイがやりたくて、
機種変。 正確には、ポイントがあったので、
1円も払わずまんまともらったのだが・・・
【そうだ!そのときauの素敵なモック(店頭用の模型)
があったので、黒とオレンジの二つをねだって、
もらって来たんだった。3年前の時代設定の舞台で、
小道具で使える・・・大いに使える】

携帯を忘れただけで1日気持ち悪いし、
片腕もぎられた気分で過ごすほど、ないと困る。
いや、電話掛けたりメールしたりしなくても、
気持ち悪いのだ。なんだこりゃ・・・
IDなんだな。今や。
つまり、認識番号と、移動ポストをもって、
都会の真ん中でも、樺太の空の下でも(電波ハイランか)
誰だかわかる、っちゅうわけだ。
ならば、もっと機能増やして、カード決済は電話でいいし、
テレビは要らないけど、ワインの栓抜けるとか、
メトロノーム機能とか、名刺代わりの赤外線通信で、
名刺交換会もペーパーレス。黒板消しになるとかもいい。
面倒なハンコもバーコードでレーザー認証、
着ウタ要らないけど、思いついて歌った歌を聴き取り、
携帯が音符を液晶に映してくれるとか。
こっちが日本語で喋ると、
相手の耳ではドイツ語になっているとか、
さらにロシア人には、ロシア語、、と自動トランスポート。
パスポートがわりに、入国。
危ない国では、一応何かの時の為に、
暗証番号4つで携帯で自害できる機能とか・・・
亡くなったら、
側の人が携帯を届けると、誰だが判明だな。

いっそ、電話機能&メール機能が無しで、
多機能満腹満載の、『他機能電話』とかな。

10年前に買った、電話しか出来ない
困った、だけどカワイイ携帯の写真です。

この1ヶ月位前まで、
肩に携帯担いで、ふぅ~ふぅ~言ってた人大勢いたんだぜ!
『神輿かつぎかオマエは!』いや、
『スチュワーデスか!』って、皆でツッコミを入れていたのは
もう白亜紀の記録。

沙汰無し失礼2006/01/17 23:28

この1週間、毎日大変な事がいろいろ目白押しで、
なんだか、とても更新できませんでした。
こんな事では年間200更新はできませんね!イカン。

先週の週末は、教えている大学生のオケの
Trbの新年会。
っていっても、侮るなかれ、OBも参加の30人による、
大宴会!上海からわざわざ帰国のA木!偉いぞ!
次の日バングラディシュに帰るってのに、KK部すごいぞ。
みんな日々の生活あり、しかし、
決して忘れ得ぬ想い出と、
思いを馳せて、期待をしたりして、現役は目を丸くして・・・
でも、いつかはみんなOBですし、就職するときも、
転職のときの助けもしてくれたり、楽しみは更に拡大。
悩みは解消、悲しみは分かち合い、の精神です。
いや、しかし怒涛の如く、
闇夜に木魂するM大オケ魂でした。

あとは近所のBバーの常連美人の送別会。
人口75000人市民の我K市、生え抜きの、
問題児ばかり参加して、飲めや歌えの大騒ぎ。
さすが人気者、男性は悲しみにくれ、
女性も片腕もぎ取られるくらいの気持ちで、、、
しかし悲しさ、悲壮感はまるでなく、楽しい宴会。

って、宴会の話ばかりじゃ。

もっと大事な事もあって、忙し過ぎてました。

そのうち、たんと、ゆっくり報告しますが、
夏に英国のフェスティバルに参加することになり、
段取りと、詳細キメで、やりとり。

なんていったって、経済的な問題はいつでも
漏れなく付いて来るので、ご他聞に漏れず、
今回も大変な苦労を背負います。
指揮者ですが、プロデュース。
楽しくて苦しくて、なんでしょう。
江戸時代には、「仕切屋」って、商売があったそうな。
俺はきっとこれなんだな。

また報告します。

さて、新年から誓った、“紙巻煙草吸わない(なるべく)”
がまだ続いている。
17日で、1本。これはカウントしていこう・・・
つまり、葉巻、パイプはOKなんです。
これは私の体の一部だからね。

がんばろう。

ブログもたまに書くと、支離滅裂になるものだ。
やはりがんばって、しっかり書こう。

写真は、宴会のさなか。
グラスの向こうに一気加勢に飲む姿。
プライバシーを守るため、油絵仕上げに加工しています。
って、普段そんなものないヤツラだが!

北杜国際音楽祭062006/01/19 11:06

北杜市は、山梨県の北西部。
一昨年の11月に、5町3村が合併して出来た町で、
合併名称で全国的に話題になった、南アルプス市の北。
また今年3月15日には、長野県に近い
小淵沢町も合併する事が決まり、
これで、大きな北杜市の出来上がり!

作曲家三木稔の発案で、
「西洋東洋のの文化が癒合する音楽祭をしましょう!」
って事で、

今年の8月18日~20日に長坂町のホールを
中心に行う予定でいます。
詳細はまたご連絡しますが、
私は実行責任者。

出演団体は、スイスの弦楽四重奏、
中国琵琶の名手、モンゴルの馬頭琴の名手、
日本からも現代邦楽の第一人者含め、
邦楽器、また雅楽の楽器郡にいたるまで、
最高のプロが集まります。

このブログでも次第に御紹介したり、
経過を報告したりしますが、
経済的な問題から、宿泊施設の事、
人事から肩書き、、、まぁ、いろいろとやらなけりゃ。

現代邦楽・・・知らない方の為に。
70年代より、活発化し、今では普通のジャンルですが、
古典邦楽(簡単に言えば縦書きの漢数字譜で演奏)
ではなく、西洋音楽の様に、12音階を使用し、
五線と♪が共通言語です。

三木は、この道の先駆者ですから、
この日本のIDとさらにアジア人としてのID、
源流から西に広がった音楽の演奏家も呼んで、
一堂に会しての音楽祭です。
裾野も広く、全国にある現代邦楽合奏団の
大会も同時に開催します。
北杜市の応援、山梨県の応援もありますよ。
多くの方に楽しんでもらえる音楽祭にしなきゃなりません。

問題はイギリスのFestivalから帰国して2週間後・・・
大変ジャン!まぁ、どちらもがんばろう!!

勿論私は、指揮もします。

よく言われるんだよね、
「榊原さんって、何でも振るんですね・・・」って。
「はい、人生も棒に振っているかも知れません・・・」
ってオチで応えます。

また報告します。
写真は、中国琵琶の名手、楊静(ヤン・ジン)
と去年小淵沢で一緒にやったときのモノです。
すごいよ、彼女のプレーは!!

卓球命2006/01/20 00:38

昨年の夏、いつものように“麦の会”・・・
正確には、“前世麦の会”・・・
の宴会・・・いや定例前世に感謝する会、を、
神田駅のガード下の居酒屋でやったときに、、
(これは、、、昨年8月5日ということが、
ブログをひっくり返して見てわかった)
そこの居酒屋の卓球台が、
(意味がわからない人は、8月5日に飛べ!)
あまりに良くて、まぁ、買えばよいのだが、
わざわざは高いし、、と思っていたら、店長が、

「いや~ 素敵なTシャツですね~」
「これ?イヤ ちょっと派手でしょ!みんながいうんだよ、、
オレンジだし、絵がポップだし、、」・・・と、俺。
「イヤカッコいいっすよ!」
「じゃ、じゃぁ、あげましょうか~ 」

と、買ったばかりの少しだけ高かったけど、バーゲンで、
まぁ、そこそこで買って、しかしたいそう気に入っていた、
Tシャツをあげた。

帰りがけ、店長が、
「いや、実は秋に店閉めるんですよ・・・」とポツリ、、、
「え~っ !!」と一同、、

わたしはすかさず、
「あの卓球台はどうなるの?」
「あ~ 欲しいですか?・・・」店長

と、言うわけで、私のスタジオにおいでなさいました。
秋は使っていなかったが、本日の卓球鍋大会で、
皆で卓球したさ。
いや、周って、周って、廻る、回る!
酒飲んで、鍋食って、卓球やって、
鍋やって、酒飲んで、卓球、
鍋飲んで、卓球食べて、酒やって・・
と、何がなんだか分らないくらいになrました。

卓球!体によいなぁ! レッツ健康!
結局みんな30年ぶりなんて人も、
エンジョイさ
カウンター