アルミ趣味2022/06/19 08:49

本来はジュラル民族と言わんばかりの
ドイツ製RIMOWAの蒐集癖でしたので、
ジュラルミンというアルミ合金素材の進化系に
没頭して魅力に取り憑かれていました。

第二次世界大戦後に、
爆撃機ユンカースの筐体に使用していた
軽くて丈夫な素材の再利用として
トランクケースに採用された由来です。

一方アメリカには、Zero&Hulliburton、
通称ゼロハリなる雄が存在します。
こいつの有名なのは、アポロが月面着陸の際に
月の石を収めて地球に持ち帰ったという
頑丈で信頼性の高いアルミニウム製の鞄という
絶対的な人気を誇ります。

ジュラルミンは軽くて凹んだりしますが、
簡単には破れたりせず、
金属自体を犠牲にしてショックを吸収しながら
中の物を守る性質がありますが、
対してゼロハリのアルミは強くて丈夫、
外的に屈することなく跳ね返して中を守るという
実にアメリカ的な発想が欧米の文化の違い。

ドイツに傾倒している私は、
長いことゼロハリなど見向きもせずに、
RIMOWA一辺倒でしたが、
10年ほど前でしょうか・・・
「敵を知らずして身内を語れ頭」と悟り、
ゼロハリの不足過不足を検証してやろうと
手軽なアタッシュケースを購入した
・・・もちろんヤフオクで十分なのです。

しかしこの悟りの境地が、新天地ゼロハリの
屈強な体躯に傾倒してしまうことになった・・・

なんでしょう・・・
ゼロハリのリモワとは全く違う製品の価値は、
逆の言い方をするとジュラルミンに奢り(失礼)
他の部位、箇所の作りが甘いことが多いリモアより
兎角優れており、
ただ一点の欠点を除けば高級な鞄としての自負は
ゼロハリの真骨頂ともいうべき20世紀USAの
最高傑作の一つと称えても良いと思います。

ということで、、、
すでに手に入れていたゼロハリのクラシックという
シリーズの妙な大きさの変形アタッシュに加えて、
通常のレギュラーアタッシュのクラシックを
オークションで手に入れました。

比較ですが、手前は横長の希少ゼロハリアタッシュ、
そして後ろが従来の大きさのクラシック、
元は後ろの大きさしかなかったはずです。

横に積みましても高さの違いがわかります。
今回購入のアタッシュは復刻ではなく当時もの、
オリジナルクラシック(ビールのようだ・・・)
というところに魅力があります。

復刻での小サイズにクラシックの内装は革が奢られ、
非常に高級感あふれる内装に高価格アタッシュという
付加価値を感じます。
対して下のオリジナルクラシックアタッシュは、
麻のマテリアルか、布張りの簡素な貼りが質素で
実に好感が持てます。
多少汚れが見えますが、長年の過年経過として、
これは劣化ではなく「味」と誉れたいです。

そしてここに感激いたしました。
大抵の場合「鍵はありません、保証書もないです」
という注意書きが添えて落札の条件になりますが、
この筐体には鍵が2つと保証書がついている・・・

ふと思い出したのだが昔は100年保証を謳っていた。

キャッチだったか?、
今でもそうか?と調べたが、
「5年」って買いてあった、ゼロハリよ残念だ。

このクラシックは1996年製ですから、
すでに26年が経過していて、
購入してあまり使わずに新古品のようになっていた
持ち主(ゼロハリあるあるです)さんの
保管状態に良さに感激です。
この時代に黎明期のゼロハリの復刻版として製品し
販売されていたということです。

大事にしようと思いましたし、
使用してなんぼだと思いますので、
私は出し惜しみしない派なので、
ガンガン使用したい、、、のですが、、

一点の欠点。

重い。
重いのです。
アルミの削り出し筐体というのは、
身長190センチ100キロが標準のアメリカの方々
を基準に作られたのか、
車で運ぶ、いやアポロで運ぶのが当然とばかり、
東京での電車移動ではとてもとても、
根を上げてしまう。

ですからデッドストックになるのです。
美的な鞄で絶対に壊れない壊されない自信、
これは使用されずに家に閉まって置くから。

今回も分かっているのに手許に置きたい、
この欲求に負けました:::

誕生日経て2022/05/25 10:35

1つ歳を重ねました。
59になることなんて考えなかった。

改めて数字にすれば9が重いな・・・
と思いながら思い返せば、
9を重いと感じたのは19になった時。
あの時は浪人をしていた春で、
時間も考える事もたくさんあって、
中途半端に感じながらも目標があって、
20歳の時には音楽大学に居ようとして
様々な事象があったのでよく覚えている。

さて、、、
29、39、49・・・
何をしていたのだろうか・・
それしか3回しかなかったのか。

いつでも「この時、この瞬間を忘れない!」
なんて思いながら西暦月日時間までも
頭の中で数服させながら記憶するのに、
物事は覚えていても時や歳は同時に記憶できない

そういうものなのだろうか。

昨年行きつけのお店のソムリエ君から紹介されて
気に入って家から注文をいるのですが、
安心院(あじむ)のスパークリングワインです。
仕事から帰宅すると一般的な食事タイムではなく
とりあえずウガイして座って開けました。
いや空けました・・・ですね。

ひょんなことで郷ひろみ氏の記事を読み、
ストイックで真面目な生き方に感心したのです。
「還暦を前に、何か楽しい事をやめてみた」
こういう考えでものを考えるか・・・
楽しい、愉しい、享しい・・・
それも良いなと思いました。

差し詰め、毎日のように唱えている
ジュラルミンと言う回数を年間5回くらいに。
何も物理的には減らない。
身の回りの整理でもするか・・・
でも天井から降るほどある書籍、譜面、音資料
これらは残してスッキリしていく。

言ってみただけです。


母にお煎餅をいただきました。
コワレモノ注意で厳重に運ばれて来たが、
確かに味が変わらなくとも
砕け散ると喪失するのが煎餅。

霰(あられ)露わに砕けても
味は素っ気に変わりなし

こんな内面を大事にする
1年にしようと思います。

読了2022/05/17 11:33

またまた更新!

書籍マニアかと思うくらいの資料蒐集癖ですが、
小説も読むわけです。
しかしながら所謂時代物と言う歴史小説は苦手で、
将軍の話も戦国時代もあまり興味はない。
ですが、、、
時代は時代でも、江戸も末期になると、
これは面白い画展がゆくことも多く、
東京昔話のように興味をそそられるのです。
西洋暦で言えば、19世紀末期ともなると、
明治まであと50年となり身近になるものです。
近世に分類されない気がしますので、
江戸末期好き、としておきます。

でも時代の親近感があっても、
チャンバラ勧善懲悪モノのようなサスペンスより、
気楽な、落語なら世話モノという、
庶民の暮らしが描かれている話が好きなのです。

19世紀の江戸末期なんてピンと来ない
なんて言う向きもあるとは思いますが、
私流の可笑しな見方で変換をさせて貰えば、
モーツァルトの末期、ベートーヴェンの後期、
こうすれば一般的ならぬとも
少しお分かりになる方もあるのか。
例えば第九の初演が1824年と聞くと、
さらにホウっと膝を打つ方もいるかと思います。
難しい話よ理、要するには、
実社会や毎日の生活の心情から想像できる、
なるほど!と合点が行けばドラマは楽しいのです。

直木賞作家になって尚一層忙しいと思いますが、
作家の西條奈加さんは泣き笑いの人情ドラマ、
面白い展開の江戸庶民の話がうまいですね。

第164回直木賞を2020年に受賞した「心淋し川」
(うらさびしがわ)も良い本です。
舞台が、根津、千駄木といった見慣れた下町で、
初っ端からホウっと唸る家族模様に一気に読めました。
この本はその前に読んだ吉川英治賞受賞の
「まるまるの毬(いが)」を先に読み、
やはり読んでおこうと購入しました。

江戸の話って、妙なことですが、
東京生まれ、江戸っ子に書かせりゃ巧いなんて
思っていたことがありましたが、
この西條さんも北海道ですし、
そのほかにも明治大正の話が上手い作家で
江戸っ子、ましてやと東京生まれでもない方も多く
そうなると大文勉強したのだろうと思う次第です。

妙な先入観で東京の街を見ないのが良いのかもしれません。
西條奈加さん、更に押して参ります!

箱の噺2022/05/10 11:33

久しく書いていなかったら、
知り合いの御仁から「傘の話で停まってますね」
と半ば諭されて、、
生存報告がてらに書いておきます。

とはいえ、箱の話は大事なもので、
備忘のメモとは言え、拘りもあり、
大事な話でもあります。

箱が好きなのは男子特有なのか考えると、
女子だって可愛らしいお菓子の缶や、
装飾された贈り物の包装箱、
大人でも赤やオレンジの人の名前が入った
ブランド品の箱や袋はきっと捨て難いのでしょう。

斯く言う私も箱が好きすぎて、
(時折、クタッとしたトートバッグ的な
袋を持ちたくなるのはその反作用)
物の角が互いに収まり良い箱型の鞄が
好きなのが箱好きである動かぬ証拠でしょう。


雑多な銀の箱で恐縮でありますが、
真ん中2つがドイツのRIMOWA、日本ではリモワ
と呼ばれる代物です。
左の布が貼ってあるものもRIIMOWAですが、
こいつぁあ実はちょいと旧くて、カメラ機材用の
AMANONASというタイプの前身なのであります。
フレームジュラルミンで側が木と布という珍品
右の三つはゼロハリバートン略してゼロハリなので、
こいつはドイツに対して思想が違うUSA製品。
ハッキリ言えばここに写っているものは、
全て珍品で、私以上の2ブランドのマニアの方は
この写真を真ん中に置いて、
3時間ほどの激論の談義と宴会を催せるでしょうから
その席には私も是非呼んで頂きたい・・・

既製品ってのは一度手にすると満足で、
世界で何千人、貴重だって数百人が
同じものを抱えているとなるとつまらないもので、
誰も持って居ない「箱」というのは、
既製品でありながら、もはや「作品」として
希少性に頬ズリをしたい愛玩具となるのです。

ですから上の写真の真ん中のビューティーケース、
しかもシルバーインテグラルのシリーズとか、
出回らないゼロハリの同じくビューティケース、
その前の小さな葉巻ケースに至っては、
苦笑されるほど珍品として変人扱いです。
多分大抵の方は、この銀色の塊、
ジュラル・・・とか、アルミとか、
はたまたステンレスとか、光っている銀なら、
どれでも良いのでしょうと僕を邪な箱に入れます。
(箱の横に縞が入るのは強度Upのためで邪も正解!)

ジュラルミン好きですが、
ポリカーボネートという新しい軽い新素材も、
これらのメーカーは後出させています。
これも珍しいRIMOWAのものですが、
このダブルジッパーはきっと売れなかったので、
とっくに市場から葬られているのです。
邪魔だったのか、友人から譲られたのですが、
この中には実は小鼓が入っており、
特殊形状のラウンドの形と大きさが、
小鼓をバラして収納させるのに大正解でした。

こういう用途が見つかると箱は箱で生まれた意義を
実感するとと共に、育ての親としては、
収納の用途を世間に憚ることなく、
自慢に転じながら小鼻を膨らませ、
大手を振って箱の必要性を訴え続けられます。

箱に収納をするという所作は、
「箱に命が吹き込まれた瞬間」という儀式です。

中が空洞であると邪魔と思われがちですが、
解って居ますが、開ける時の毎回の期待度は
収まりが良いほど快感に通じます。

年を重ねると、、、
誰でもカバンの中を小分けします。

何がための防衛策か、小さな整理整頓をして、
バッグ・イン・バッグなる手段でポーチなどを
忍ばせるのが得意になるのです。
この小包、ポーチって輩も、同じように
箱であることが望ましいので、
この箱型ポーチも増えていくのですが、

ほら・・・可愛いでしょ?
さっき見せた武骨の眩しい銀箱よりも、
数段モダンな実用性も合理性も引けを取らない
そんなポリカーボネートでしょう?
こういう柄で攻めてくるので、
いつになっても箱は減らないしやめられないし、
そもそも、
何時の日か中身を入れたい時に箱が無いという
不幸や恐ろしさに悩まされないためにも、
箱は用意しておくべきと思います!

オチなんてないのです。
こんなに長く書いておいて、、、

箱好きを心理学的見地からご教授いただき、
よもや私の不治の病を治療してくださるなら
ご教授歓迎致したく思います。。

ありがとうございました。
次回は晩夏でしょうか・・・

アイカサ2022/01/11 11:11

どうでも良い話というか、
音楽や公演などとは関係ない話で恐縮です。

昨年夏から「アイカサ」の会員になっていまして、
いわゆるサブスクリプション、サブスクです。
これは月額を支払うといつでも傘が借りられる
「相傘」というサービスシステムです。

最初に借りたのは数年前ですが、
このシステムの割と早い時代の利用者です。

仕組みは、駅などに置いてあるアイカサから
傘を「借りるか返す」という単純なことなのですが、
最初は利用時に都度借りていました。
70円で1日、24時間借りられるので、
突然の雨で急を要し駅で借りで家に帰って
翌日また駅に返すのが基本です。
遅延すると課金されますが上限でも月に480円です。
万が一無くしても弁済金も864円と安く、
月に1本ビニール傘を買ってしまうより良い。

さてこのビニール傘が問題。

アイカサで知ったのですが、日本中で年間8000万本も
ビニール傘が消費されているそうです。
私も確かに駅前でしょっちゅう買っていたし、
それ自体が紛失しても壊れてもあまり罪悪感がなかった。
でも8000万というこの数は尋常ではないですね・・・
資源や環境の問題はもとより、モラルとして。

現在は月280円の使い放題プランですが、
これが実に優れているのです。

同時に2本まで借りられる!

つまり置き傘として家に置いた上で、
通り雨などにあった時に駅や商業施設で1本借りられる。
利点を最大限に利用すると、例えば、
行く先にアイカサ設置がされているとわかっていれば、
家の最寄りの駅で傘の雨をふるい落とし傘を返す。
電車に乗って、行き先で新しくアイカサを借りる。

ほら!電車で長い傘の煩わしさがなく手ぶらです。
因みに、アプリで設置場所や残数なども確認できる。

今まで数百本の傘を無くして、壊して、忘れて来たので
無くしてしまったらどうしよう、弁済金は安くても
何度も無くしたら8000万本削減の利点も減ってしまう。

と思っていましたが、不思議なものです!
この数年傘を紛失させていない。

・・・当たり前ですか?

サブスクでレンタル権利を持っていても、
元々誰かの傘と考えると紛失させられないという
多少の賢者のモラルが働くのか不思議と無くさない。
あまり自慢するときっと無くす・・・。

とまぁ利点ばかりですが、
普段の利用範囲が私鉄が多く、
私鉄に設置場所が多いのが利用のきっかけです。
現在は駅や施設にも広がり様々な場所で借りられますが
この設置がもっと広がれば、
さらにビニール傘は減るに違いありません。
共用というのがコロナ禍で禁じ手になっていましたが、
それで良いものは割り切るのは正しいと思います。

時代も変わったというか、教わることも多いものです。

ご興味ある方は下記を!

アイカサ:
https://www.i-kasa.com

2022年元旦2022/01/01 17:33

何をして居るのか分からないうちに
2021年は過ぎ去った気がします。

コロナ禍と言われて慌てて公演の処理に明け暮れた
2020年には様々な記憶があるのですが、
この1年間は仕事も日常も取り敢えずあるが、
いつの間にか師走、正月という速さに
身体も精神もついていかれない元旦です。

おけましておめでとうございます。

年に数回しか記さなくなったブログですが、
読み返すと必要なこともあるので、
詳細まで綴らなくても備忘録程度は残しましょう。

・・・この記事長いです。

元旦は実家ですが、
子供、甥っ子も成人して乾杯から
一緒に揃うようになりました。
様々な人生は自分だけではく子供達にもあり、
成長の過程では心配や応援も含めて
実にドラマティックと感じます。
久しぶりの、というよりこのメンバーでは
年に一回の乾杯航空写真ですね。

彩の鮮やかな料理、最近はお取り寄せが楽しい
お節料理も海の幸も有り難く手を伸ばします。

毎年ですが、乾杯と料理を頂き様々報告。
少しゆっくりしてから、近所に初詣です。
いつもの場所ですし有名な商店街なので
説明も要らずです。


皆と別れて一人で散策ですが、
コロナの間に街が一転してしまいましたので、
子供の頃からの街のパトロールは欠かせず、
変わり果てた数十年を経た老舗、
既に新店が賑わいを見せているテナント、
左右を見回しながら立ち止まって確認したり
声を上げたり感心をしながら進みました。

逆に声を上げた店「ますや」さん
小学校の裏手にあり、
毎日のようにプラモデルを眺めたり、
大人しか操れないラジコンの大型飛行機を
遠いオトナの趣味と憧れたり、
そして小学校の高学年の頃は鉄道模型の
Nゲージ(9mm)を少しづつ買い求めて、
家で線路を組み立てながら楽しんだのです。

間口を大きく開き、昔から変わらない
雑然とした美しき宝の島は健在でした。
元旦から開けている気概は、
子供たちを楽しませようとするご夫婦の
玩具屋としての心意気でしょうね。
挨拶の声かけをしながら中に入り、
上手から下手の棚をひとしきり眺めて
思い出に浸り感嘆となりました。

あの頃から変わらぬおじさんとおばさん。
話を聞くとお子さんは私の一学年下らしい。
そんな事よりお二人の元気な姿と変わらぬ店に
感激もひとしおで涙が出そうであった。
この写真のジオラマの下にはガラスケース。
中を覗かせていただけば、
数は少ないが当時のままの鉄道模型が鎮座。

モハ114 たぶん今では走っていない客車
KATOのNゲージを手に取り再び感慨深かった。
この後実際にジオラマの電車を走らせてくれて、
おじさんが長い時間愛している模型と
商売の一端を見せてもらった。
何だか嬉しい・・・。

後ろ髪を引かれながら挨拶をして先へと進む。

商店街を抜けて中学校。
もうすでに名前も変わり、そして新校舎。
こうなると思い出は記憶の中にしかなく、
あの頃を過ごした部活も人間関係も
全てが幻かと錯覚してしまうほど・・・

素敵な校舎になっていました。

初詣行脚のようですが、
大きなお寺の後に猿田彦大神
道祖神のような人知れずの居所ですが、
立派な神がいる場所で手を合わせる。

この後さらにパトロール。
都電に乗って大塚まで行って、
この辺り、池袋、大塚、巣鴨の氏神である
天祚神社まで出かけてお参りでした。

こんなにゆっくり近所を歩くのは、
1年に1度くらいでしょうが、
自分の年齢と共に感じ入る事も
思い出すことも変わってくるものです。

でもこの非常事態の2年間という事が
特別な感情を抱かせた事は間違えないですね。


さて長くなりました。
親も良い年になりましたが健やかで何より。
抱負とまではいかないのですが、
永遠には続かない時間を楽しみ慈しみ、
今年も今を大事に生きようと思います。

没後10年となる義父の三木稔
お母さんにも手を合わせて元旦の儀でした。


家でもう一度、客車を近写しておきました。
当時の値段、値札のままのタイムマシーンが
色々と話しかけて来ます。

最後になりましたが
本年も宜しくお願いいたします。

2021年元旦2021/01/01 18:59

穏やかな元旦になりました。
少々寒くても、晴天に恵まれ、
細やかながら小さな親戚として集まり、
遠い春を期待して乾杯をしました。

2020年のこのブログも悲喜交交の中では
筆もキーパンチも進まず、
残念ながら順風な日常の書写しには
ならなかった様です。
近年のSNSの流行と利便性にこのブログも
若干汎用性に欠ける様に感じていましたが、
昨年はそのSNSをも更新が進まないほど、
気持ちが前向きになれない時代、いや状況が
日本どころか世界中に満映してしまった様です。

若い方にとっては、時間ごと早く通り過ぎて、
この世界的な疫病の時代が無くなる日を
一刻も早く迎えたいと思っているかも知れませんが、
何せ歳を重ねると一刻を無駄にしたくなく、
そんな時代でも精々生きないと人生がもったいなく
反面辛い毎日を直視するのかも知れません。

オーケストラを支える仕事に奔走をした昨年ですが、
音楽というより、この時代における芸術文化を
試行錯誤しながら過去のあらゆる困難な時代と比較するならば、
これもまた時代に訴えられるか、それ自身の力と、
自分たちの器量も試させられていると、
常に真摯になろうとは努力を続けました。

年末に感染者の数が圧倒的に増えました。
これが沸点か、また新たなステップでしょうか。
時代を運をまかすか、人間の倫理に身を委ねるか、
考えて見ても、手指を洗いマスクをする位しか
抵抗もしくは攻撃する術がないことが虚しく、
溜息を吐きながら日々カレンダーを捲るばかりです。

公演機会をようやく整えて少しまともな演奏会と、
仕事の整えができる様になりましたが、
このままではまた逆戻りかと思うと、昨春から受けてきた
ボディーブローが鳩尾の辺りに痛みを覚えます。

さて、、嘆いていても仕方がない。
せめて少しでも良いこと、前向きな今年を考えて行きたいです。

お陰様で家族も親も健康にお正月に集まりました。
細やかなこんな事も期待できない食卓が世界中にあるので、
心から有難いと思う次第です。
今年は、大きな抱負も目標も持てないのですが、
強いて言えば、心折れぬ様に先に進む事ですね。

周りの方々が、どうか平穏にいて欲しい事と、
未来ある方々が、僅少でも希を持ってくれる事、
この二つを願いにしようと思います。

色とりどりに料理された美味しい正月の愉しみ、
これだけでも嬉しい正月と感じます。

下読み審査原稿2020/08/27 15:46

事前審査をする事が、音楽ならいろいろあります。
テープ審査なんてものも、コンクールではありますし、
オーディションなどでも当然ありますね。

ですが、届いたのは原稿。
毎年やらせて頂いている某所で公募しておる
短篇小説の審査ですが、
1次審査、所謂事前審査の一人をさせて頂いています。
もう、、、7〜8年になる気がします。

楽しい作業です。
誰も読んでいない創作物を手にするのは、
書き下ろし、作曲したての楽譜を手にするのと
似ているところがありますが、
文芸は音を拾いながら頭で鳴らさなくても、
テキストを読む楽しさがあるので、
本好きの私にとってはこの作業は毎年愉しいのです。

もう何人分か読み始めていますが、
短編の縛りと、テーマも決まっているので、
審査する方もある程度基準が出来ます。
そして点数をつけてい来ますが、愉しいのです。

未来の文豪へのお手伝いです!

村上春樹新作2020/07/21 23:07

書籍を数多く買いますが、
大抵は研究所であったり、資料なのですが、
平積みを見渡しながら本屋を歩くのは楽しいです。
久しぶりに書店の一番入り口近くに積んである
新作小説を買ったのではないでしょうか。

村上春樹/一人称単数

なんともソソるタイトルですが、
この装丁のイラストもとてもよいですね。
作者の星野徹也さんは漫画家ですが、
イラストがとてもよいですね。

この本は8作の短編集で購入した日に一気読みですが、
村上春樹氏の独特の心理描写が楽しく、
数日経ったらもう一度読もうと思うのです。

じっくり読んで二度と読まない小説もありますが、
読了した後にじわじわと言葉を思い出して、
もう一度その章を開いてみたり、
気になる会話を読んでみたり、という本もありますね。

お勧めです!

文藝春秋社創刊1500円+税

三島の映画2020/07/15 23:29

夕方から時間が出来てようやく観られました。
「三島由紀夫vs東大全共闘」

左翼の学生運動として活動をしていた東大全共闘の集会に
シンポジウムとして招かれた右翼思想の三島由紀夫が、
如何なる発言をしたかというドキュメントです。
1968年のこのシンポジウムから1年半後、
市ヶ谷の自衛隊駐屯地で自決するまでの話ですが、
有名なドキュメントの再編集と、
このシンポジウムを主催した学生代表、
三島を支えた彼の義勇団ともいえる楯の会の方々の
証言を挟みながらの息もつけない90分。

2月から観たかった映画を
ようやく見ることが出来て本当に良かった。
とりあえずの備忘録です・・・。
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