みかんの花咲く丘2006/02/02 23:20

この曲は、きっと私の年代より上の方々は皆
知っていることでしょう。

みかんの花が 咲いている
思い出の道 丘の道
かるかに見える 青い海
お船が遠く かすんでる

黒い煙を はきながら
お船はどこへ 行くのでしょう
波にゆられて 島のかげ
汽笛がボウと 鳴りました

当時12歳の川田正子さんは、
伊東市での生放送のラジオ番組で新曲を歌うために、
列車の中で曲を作った海沼実さんに音を教え込まれ、
これまた赤飯一盛りで急いで書いた加藤省吾さんの詩を
一所懸命体に入れていたそうです。

この話を川田さんはいつもしていました。
私が20歳の時にはじめて仕事に行ったオケの
ゲストでも、この話をしながら歌っていましたし。

「童謡なんてっ」て、思いがちだけど、
汚れ無く誰にも邪魔できない想い出や情景が
幾重にも重なる歌がたくさんあるから、
老いも若きも一緒に楽しめるのでしょう。
私も子供の頃から、川田さんのレコードで
育ちましたから、20年近く経って共演できたのは、
素晴らしいことでした。
さらに20年後に指揮者として先生の教室の演奏会で共演
出来たことは、私の音楽家としての礎と彼女の関係に、
運命めいたものを感じ、不思議なことがあるものだと、
思いながらいつも接していました。
先生と話す機会も多くなりましたが、何かに付け、
あの曲の思い出話を私にしてくださった。



先週川田先生が急逝された。
その日、亡くなるホンノ少し前に、
私は携帯電話に電話をいただいていました。
丁寧なメーッセージが残った、
いつもと変わりない仕事の話です。
なにも知らない私は、次の日になって、
のん気に電話をして訃報を知った大バカ者でした。

数年前に会った時、話をしていて知ったのですが、
先生は私の母と同い年、
そんな年齢の関係から、私には特別な感情もあり、
いつまでも元気でいて欲しいと願っていました。

3番です

いつか来た丘 母さんと
いっしょに眺めた あの島よ
今日もひとりで 見ていると
やさしい母さん おもわれる

のどかな静岡のみかん畑の歌と思いきや、
この歌には、こんな3番が隠れています。
加藤省吾さんが、母との不幸な想い出から、
思いを込めて書いた詩。

私の母は健在ですが、川田先生が亡くなって、
毎日この歌が頭に浮かびます。

時代が変わっても、こんな歌がいつまでも
無くならないよう願います。
5日は告別式、この曲口ずさみながら御焼香します。
永遠に!川田先生。

合掌。

なぜ シの音なんだ?2006/02/03 20:53

グ・リ・コ!
パ イ ナ ツ プ ル  
グ・リ・コ!
チ ヨ コ レ イ ト  
グ・リ・コ!

午後、部屋で仕事していたら、
学校帰りの小学生が、歌いながらポンポン跳ねて
ジャンケンしながら過ぎていった。
「みんな“シ”の音で歌うんだなぁ~」っと、
チャイコの譜面見ながら思っていたら、
いつまでも聞こえてくるものだから、
頭の中は少年の足のリズムに占領され、
チャイコの音楽がどっか行っちまった・・・

グ・リ・コ!
これ、いつからの遊びなんだろう?
気になると瞬時に調べだす性格。
あわてて譜面を閉じ、PC起動。
Webをさんざんっぱら検索してみると、、面白い!

研究している人がいる。
しかも学会で発表までしている!
「ばっかじゃ~ん」
なんて言っておいて、目は画面に釘付け。

ホ~。

ま、詳しくは皆さんも検索すリャいいことで、省略。
それより、グリコのサイトが面白く、
こっちのほうが、学会よりネタが豊富。
想像するに、戦後以降、昭和30年代後半の
匂いがプンプンですよね。
チョコレート、パイナップルだもん。
グリコのサイトによれば、
例の1粒300メートルのグリコは大正8年から。
昭和37年、アーモンドチョコレートが、
ベルキー・モンドセレクション・ナッツ部門
第1位に入賞。
昭和41年になって、ポッキーが大ヒット、
うんうん、匂う匂う!

ポッキーったら、海外では「ミカド」の名で
親しまれています。
知っていました? ポッキー=ミカド
なんですよ。しかも名前のヒントは、
海外で流行っていた、“ミカド遊び”から。
また長くなるので、このミカド遊びは、また次の機会。
で、もって、私はこの外国産“ミカド=ポッキー”、
持っているんだなぁ~ と、自慢!

満悦な気分で、
小学生が去っていくのを耳で見送るのだった。

愛しきかな、ウテ2006/02/06 23:59

彼女の名は ウテ・レンパー
ドイツ人のミュージカルスターなのです。
選曲の仕事しながら、CDを次々にかけながら、
思い出した様にかけてみると、
やっぱりいいんですよ。

知ったのはもう15年も前でしょうか。
今では大スターで日本にも来ますが、知名度は、
イマイチで、私は・・嬉しい。

やっぱりあまりキャーキャー騒がれる人は、
ファンになるのが疲れる。
情報が多すぎるのかな。
ある程度放っておいても大活躍していて、
消える心配もないし、
こちらが本気になって探せば、
すぐに活躍情報ぐらい手に入る。

ベルリンで、彼女のコンサートに行った事があって、
何年前だろう??
ドイツオペラ劇場でやったんだけど、
私はチケットなくなるんじゃないかと、
必死に並ぼうと、早めに行ったら、
なんだか肩透かしで、人はまばら・・・
大したお金も払わず、前から2列目の席。

いや、上手い。
歌、踊り。長い手足は現代のディーットリヒのよう。
1930年代にトリップしたようなカバレットソング、
ブレヒトの言葉が、生きて語りかけてくる、
ヴァイルの音楽は、椅子に張り付きました。
ショーなので、客席にまで降りてきて、
お客さんと絡み。
あぁ~、一番前に座ってリャ、あのオヤジよりは
うま~く、躍ったのにな!
などと思いながら、185cmはありそうな長身を
見上げた印象が脳裏に焼きついて離れず。

先週末に、6月にやるコンテンポラリーダンスの
本番打ち合わせで、某ダンサーと会いましたが、
内容はサーカスのドラマ。
私の頭の中は、ウテの歌で妄想だらけになり、
やはり誇大妄想症候群の彼女の話を聞いていました。

CDいっぱい出ているんですよ。
オペラも歌うし、カバレットソングから、
シャンソン、ミューjカル。
いいんだ、これが!

ウテ・レンパー 知っている人いますか?

mai mu2006/02/08 20:49

今日も1日家で仕事。
週末に地方に出るので、その間仕事が溜まらぬよう、
というより、溜まっている仕事を片付ける締め切りを、
出掛けるまでと決めて、鞭打って働く今日。

チョイと疲れては、関係ない雑誌広げ、
椅子に座るのも疲れると、やわら筋トレしたり、
必要があってバレエのビデオを見るのに飽きれば、
ストレッチまでダンサー風になり、
似ても似つかぬ体型を忘れ、王子の気分で足を上げ、、
いや上げているつもりで妄想し、
どうしても打たなくてはいけないメールから
逃げたい気持ちを、「手紙の書き方」の本で紛らわし、
しかしそれはいつの間にか、週刊朝日にかわり、
聴かなくてはいけない資料CDを聴くのがイヤで、
その上の段にあった古今亭志ん生の落語に笑い、
さらにその横の列に何故かあったCD、
「世界のフォークダンス」を聴きながら、
解説書を読み、マイムマイムがイスラエルの民謡だった
ことを思い出す・・・

♪マイムマイムマイムマイム マイムベッサソン♪

知ってました?
マイムって、ヘブル語で水のことですって。
さらに、ベッサソン とは、喜び。
つまり、乾燥が続くイスラエルにおいては、
雨も川も、水は生きる為の貴重なものであり、
水の喜びを天に感謝するような歌詞なんですね。

あぁ、なんて愚かな小学生だったんだろう!
ただなんとなく大きな輪になって、
♪マイムマイムマイム・・・ と、
叫びながら、隣の人が倒れるくらい
真ん中まで引っ張って、さらに、
反対から来る人に当たってしまうほど足を高く蹴り上げ、
勝ち誇っったように戻り、また踊り狂う・・・

勉強になりました。
仕事の寄り道は知識と更なる興味を生み出し、
さらに山のような仕事も産み落とす。

疲れて果てて、このまま夕方は惜しいだろうと、
車でチョコット走り、川を見に行く。
マイムの話を考えながら、
ボウ~っと、川を見つめますが、
特別な感慨や宗教心も芽生えず、
ましてやひとりでは、フォークダンスも踊れず、
写真を1枚撮って散会。 って、ひとりか。

どんよりした空模様と、
川崎方面にうっすらと見えるスモッグ。
しかし天井の空は、冬の空らしい綺麗なブルーが
雲の合い間から覗いています。

さて、残りの仕事は夜か。
いや、明日か。
いや帰ったらやろう・・・と。

HP更新2006/02/09 20:57

今年の夏、英国Buxtonで行われている、
Gilbert&Sullivan Festival から招聘されている
話は前にも書きまして、
このことで関係者一同一丸となって準備している
次第ですが、
今日、先方のHpが更新され、
私達がハイライトで扱われています。

http://www.gs-festival.co.uk/FestivalHighLights/?HL=3

12回目を迎える音楽祭ですが、
総監督の方は、『「今年の目玉」で迎えます!』
と、言っていましたが、
どうやら本気で「目玉」にするらしい・・・

私も詳しく読んでいませんが、
いや、正確には読めていませんが、
オペラ「ミカド」の副題 Town of Titipu の町、
秩父がほんとにある話。
秩父夜祭、秩父囃子が、有名な事、
ここの町のみんなが協力して類稀な成功に
終わり、再演までしている話。

オペラ「ミカド」の初演当時、欧米からの上演グループが、
上演禁止、タイトルの改ざんを迫られた話なども
書かれており、非常に期待されています。

大変なんですよ。
経済的に・・・
だって、40名もいるんですよ・・・
みな飛行機でいくわけで、
自転車や原チャリでは行けない英国。

でもきっと大丈夫、
何とかします。
この素晴らしきかなプロジェクトが
正しく理解され、渡英する事が、
日本のオペラ史、両国の文化交友において
どんなにか有意義で価値ある公演か、
きっと企業、団体、個人、
みなさん協力してくださいます。
時間かかっても、
やり遂げなきゃ、って、時間ないのですが。

関係者の皆さん、これ見ている皆さん、
興味もった方、是非協力したいと、
いてくださる皆さん。
私に御連絡を!

合宿な毎日2006/02/12 16:55

教えているM大学のオーケストラの合宿で、
那須高原に来ています。

寒い、寒い。
昼でさえ気温は1~2℃。
空は見えるものの、真綿のような粉雪が舞い、
肌を刺すような風が吹いています。

私はノーマルタイヤで来るので、
天気の事は気が気でなく、
吹雪いてしまうと非常に困る。
毎年来ていますが、いつも気になるのは、
天気ばかり。
あと2日、帰るまでもってくれればありがたい。

大学のころよく来ていた、学校の施設が、
すぐ裏手にあるので、ちょっと行ってみた。
懐かしい玄関周りと建物が見え、
大学時代が思い出されます。
温泉が引いてあって、とてもいい湯。
これに入るだけでも、実によく、
学校が長期休みになると、いつも来ていました。

音楽と酒漬けの合宿は、
学生時代も、
今日も変わりなく過ぎていきます。

合宿 Ⅱ2006/02/13 23:55

合宿から帰ってきた。

たまにはどんな生活だったか、書いておこうかな・・・

1日目。
雪が降らなくても、凍ると最悪である。
陽が落ちるとえらい事になると思い、早めに都内を出発。
やはり道は空いていて、必要以上に
スピードが出てしまうものだ。
いやこれは、「凍らないうちに、現地に!」
という強迫観念からなのである。
メーターの針が4時くらいをさしている・・
「ヒェ~ はぇ~! 」と感動しながらも、
18年前に東北道でオービスに写真撮られて、
捕まった私は、慎重に慎重にアクセルを、
4時まで踏むのだ。

余談:捕まった時、いや、写真撮られた瞬間、
真っ赤に光ったオービスの赤外線フラッシュの色は、
ほんとに赤かった。あれ以来、「赤い色」と、
言われると、あの色しか思い出せない、トラウマ。

この日は、飯食って、楽器さわって、
みんなと喋って、レッスンして、
10時から、5時まで飲む。

2日目。
9時半過ぎに起き、ノロノロと行動。
狭い和室の中をクルクルとまわりながら、
考え事+頭に抱えた前日の酒を追い出す。
午後はアンサンブル教えたり、Tutti振ったり。
この夜のTutti・・・凄まじかった。
何が? 恐くて言えない・・・
10時から、最期は部屋で、6時まで飲む。

3日目。
イカン!俺としたことが、O久保に起こされた時、
「あ、、いま何時?」
「昼飯です」
「・・・   」

普段私は徹夜したあとに朝寝ても、
9時~10時には起きるのに、なんで昼。
まぁ、飲みすぎなんだろう。
しかし頭の中は冴えている。
この日もアンサンブルみたり、Tutti振ったり、
部屋では、別の仕事の譜面見てうなっていたり。
夜は部内演。
マーラーとドボルザークをF年中心でやり、
ヒヤヒヤしながら振る。
恐ろしい事に、決して止まらない・・
俺は止まったら仕方ない、そこからもう一度!と、
しかし、なぜだ、止まりはしない・・・ 本番は強いMオケ。

相変わらず要領のいいヤツラだと、
振りながら思う。演奏している人80名。
聴いている人・・・ 約10名。
夜はまた宴会。いや、反省会。
10時過ぎから飲んで、7時まで飲む。

よく考えた。
あと、1時間起きていて、
食べた事のない朝ご飯を初めて食べるか?
いや、よくよく考えた。
そうすると、寝ないで東京帰る事になり、
月曜の仕事はどうなるんだ?!

寝た。2時間。

4日目。
激走!
メーターは5時過ぎ。
そうしないと、寝てしまいそうだから。
1時間で都内。早過ぎる・・・

みな、お疲れであった。
良く飲んだね、僕以外。 感心感心。
F年生、元気で。

幸多かれし!!

新国オペラ2006/02/14 23:43

今日から、新国劇場での新作オペラのお手伝い。

「愛怨」三木稔作曲で、瀬戸内寂聴台本です。
私は新国の音楽スタッフではなく、
ハイビジョンで収録するための音楽スタッフ。
収録時には、カメラ用の台本を使うのですが、
カメラのタイミングや、曲の切り替えなど、
音楽スタッフは欠かせません。
よく、アマチュアのオケなどで撮っているVTRは、
リハーサルの時に譜面見ている人が居て、
この人が全てカメラ割りしておきます。
本番中に、3~4台のカメラに、次撮るものを
指示していき、同時にカメラチェンジのタイミングも、
指示します。こうすれば、後で編集要らずで、
経費も安く済むのです。

オペラはそうはいきません。
念入りなカメラ割と、タイミングのチェック。
歌手は動きが多いですし、
照明もめまぐるしく変化します。
ましてや、ドラマですから、
めったなカメラ割りをしてしまうわけにはいきません。
また撮影後の編集も大変ですし、
外国語の邦訳の場合は字幕を入れますね。
この作業も過去に何度もやりましたが、
なんとも大変です。訳詞から、入れるタイミング、
また何名も違う言葉で歌うデュエットやトリオ、
7人が違う言葉で一斉に歌う、セプテットなんてなると、
これに正確に7名分字幕入れたら、
画面が見えませんね・・・。

ということですが、
今日は下見も兼ねて、HP(ハーペー)です。
新国は音の響きも良く、2階3階で観ても、
歌とオケのバランス、しかも日本語の場合には、
言葉の認識度なども比較的良いほうですので、
ストレスは少ないですね。
HPと言うのは、通し稽古で、
本番の舞台、道具、オケを使って、
実際の間尺で動き、歌い、感覚を掴んでいく稽古で、
通した後に、少し直したり、また練習もしたりします。
A組とB組があるので、2回やりますが、
合唱や比較的辛くない役は一人でやりますし、
勿論オケも1つですので、2日目の今日は、
いろいろとこなれてきます。

あすは、GP(ゲネプロ)です。
本番の様に、照明も入り、客電の消し方から、
休憩時間まで、本番通りです。
メイク、衣裳もさながらにしますし、
まさに本番の様にやる稽古。
更に良くなるでしょう。

遣唐使にのって中国に渡る途中に難破し、
命からがら助かった大野浄人は、
自分の妻とそっくりな女性 柳玲に出会う。
琵琶の秘曲「愛怨」を伝授してもらう事を目的に、
中国に行ったのだが、次第に柳玲にひかれていく・・・

奈良時代の日本と中国、
両国を舞台にした、大スペクタクルです。
私の友達、中国琵琶の名手、楊静(ヤンジン)も、
名演奏を聴かせます。

よい初日になると思います。
素敵な映像になるよう、私も働きますわ!

愛怨 愛猿2006/02/16 23:59

さて、オペラ「愛怨」<AI-EN>は、無事リハーサルも進み、
明日が初演、いよいよ本番になりました。

私は今回、収録の為の音楽スタッフなので、
最後の通し稽古からしか参加していませんが、
オペラのリハーサルは新国でも大変です。
イタリアのレパートリーオペラなどの場合は、
信頼できる出版社の譜面があれば問題なく、
またオケも手馴れたものですから、
演出に斬新なアイデアや相当の違いがない限り、
通常の稽古で事なきを得ます。
しかし新作初演の場合は、そうはいきません。
1ヶ月近くの音楽稽古とそれ以上の立ち稽古、
音楽の直しや言葉の当て方の直しも多く、
稽古以外にも大変苦労の時間が多いものです。
また日本語歌唱の難しさも、
外国語オペラしか歌ったことのない歌手には、
苦労するものです。

もともとイタリア語などは、
世界一美しい声で歌える言葉(ベルカント)として、
代表されますので、歌手はイタリア語での歌唱法を
学び、また伸びやかな母音を中心とした発生を
勉強しながらオペラを覚えていきます。
例えば英語はどうでしょう?
言葉としては、ラテン系の言葉より、
こもる発音が多く、母音を前に出しながら
歌えるものばかりではなく、オペラには特に
向いているとはいえません。
では日本語はどうなんでしょう?
難しいのですよ。
人によっては、避けてとおりたいでしょうし、
こればかりは意味は解っていても、経験と、
得て不得手が、優先されるようです。

そもそも日本語は1音に対し、1つの詩子母音しか、
入れませんから、単語の意味を伝えるには、
相当に子音を際立たせなければ、母音にしか
聞こえなくなってしまいます。
「メロディーとして音楽をうたいながら、
音を分解して、言葉を効かせて歌う」
これがなかなかね。 難しいものです。
ドイツ語、フランス語、ロシア語、チェコ語、
いろいろなオペラがあり、それぞれが難しいでしょうが、
日本語によるオペラはまだまだ一般的にはなれず、
歌手も早くから勉強しないのが現実。
大変なものだ。

みんながんばって!

夜はいつもの近所のバーへ、飲みに、、いや、
仕事の打ち合わせに・・ ホントだよ。
普通にみんな並んで飲んでいたら、
2つとなりの女性のTシャツから、
サルが出てきました。
ジャワ産の ピグミー云々・・・というサル。
サルまでは詳しくないのですが、
常に部屋の温度25℃以上でないと、
死んじゃうんだって! すごい、過保護!
目の周りが涙みたいで可愛かった。

Fantastic2006/02/17 23:59

思い出すことがありました。


2004年12月3日・・・

私は、教えている大学生とのレッスンが終わった後、
いつもの居酒屋で飲んでいた。
午後11時過ぎに、突然1通のメール
「やったー!ついに完成したぞ!!!!!!!!!」
それは義父の作曲家三木稔からの携帯メール。
70も過ぎた御大がビックリマーク10個、
しかし、
私はそれを見た瞬間、涙が溢れてとまりませんでした。
居酒屋なのに、大学生の前なのに、
涙は止め処もなく流れてきました。

30年間にも亘って、連作の作品を書き続けるのは
どんな心境なのでしょう。
前に誰も歩いていない道を、たったひとりで、
30年も歩く事が出来るのでしょうか。
演奏家は仲間がいます。
作った人を悪く言い、己の非は隠します。
あるものを脚色して、よもや自分のモノにします。
しかし、何もないところから、
振り返っても誰もついて来ない道を、先ず進み、
蒔いても芽を出すか解らない種を蒔き続ける。
そんな前人未到を30年も誰が続けられましょうか。
長い長い道のりを歩いて、ひとつの大きな門を
くぐるまでの事を考えたら、泣けてきました。

日本の歴史に沿った作品を書いてきたわけです。
1000年前のオペラ「源氏物語」19世紀の「春琴抄」、、
その最期に残った時代が8世紀、
遣唐使が唐の国に渡り、多くの流通をしていた時代。
日本は既に国際社会であり、多くの国々との
関係により、開かれた日本を形成していた時代です。
寂聴さんの台本は、
仏教、唐と日本、大変素晴らしい原案を与え、
作曲家のインスピレーションを掻き立てたのでしょう。

でも音にしていくのは大変ですね。
こんな3年以上の作業が全て終わったら、
30年続けていた作品が仕上がったら、
ビックリマーク10個つきますね。


2006年2月17日・・・

三木稔作曲 瀬戸内寂聴台本 オペラ「愛怨」<AI-EN>
の世界初演です。
1997年の開場以来、新国立劇場は、
4つのオペラを日本人作曲家に委嘱してきました。
全て入魂の一作でしょう、だれもが、
全てをつぎ込んで作ったのでしょう。
でも、 でも、 今日の作品は素晴らしい。
関係者が言うことほど恥ずかしいものはないが、
日本のオペラ上演史と、日本人作曲家のオペラ作品の
歴史を見渡しても、全てが記念すべき日かも知れない。
悪いが、他の方にはこれは書けない。

観ていない方に、
観て来たドラマを説明するほど難しい事はなく、
聴いてもいない人に、
三木音楽の素晴らしさを知らせるのも難しい。
どうやって説明しよう・・・・

やめよう。

ただ、素晴らしいのです。
何が素晴らしいかは、私に連絡して聞いてくれ。

でも何か伝えたいとすれば、こんな事を
思いました。

日本人でよかったと思ったこと。
音楽家でよかったこと。
劇場を愛しているという事。



写真は、「愛怨」の譜面の一部。
あ・い・え・ん と歌うには、音符が必要です。
こうやって、ひとつずつ書いていくのです。
こうやって数千ページ。数万数十万の音符が並び、
ようやく楽譜です。
不思議だね、誰かが考えて初めて音楽になるんだから。
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