ライブである必要2006/03/01 23:59

時間が許す限り、
なるべく他の人の舞台を観たいと思っている。

意外に音楽関係者は、他の人の舞台を見ず、
噂や、批評が出てから価値を判断したりするものだ。
尤も、
素晴らしいものだけを見ようと心がけるならば、
かさむチケット代のために
音楽家をやめなくてはならないかも・・・

みな自分のプレイに自信を持っているので、
内面から湧き出るものを信じて、
他人のプレイを観ても仕方がないと考えるのか。
だが、「何故、観にいかなければならないのか」
という、肝心な事に気付いていない。

大切な事は、舞台上の音楽を聴き、
出来不出来を評価したり、
「よくやった、よかったよ~」と、
慰めあったりすることではなく、
視野広く、舞台の周辺を観るのだ。

どんな人が聴きに来ているのか、笑っているのか、
疲れているのか、お腹が空いているのか・・・
一番前に座っている人はどういう人か、
ロビーでの会話は何を話しているか、
知り合い同士が多いのか。
演奏中はお客さんは、どんな姿勢になっているのか。
目を閉じているのか、乗り出しているのか・・・

舞台上の雰囲気ひとつで、
会場の空気はガラリとかわるので、
演奏者は何をすべきか、何をしてはならぬか、
音楽以外の何を聴かせるのか、
目に見えない何を見せてあげるのか、
これを考えないといけないのです。

何も考えず、舞台に気軽に出て、
自分の世界に入りるのに時間を要して、
緊張しない為、お客さんをカボチャだと考える。
終わっても感謝の気持ちはあれど、
拍手の量と、暖かい気持ちに匹敵するだけの、
会釈と、良い表情ができない・・・
これは、
巨匠だけに許されたマナーなのである。

大事な事は、ピアノソロだろうが、
弦楽四重奏だろうが、金管5重奏だろうが、
ましてや言葉のあるリーダー・アーベントだろうが、
会場を味方に付けて、そのエネルギーで、
何もしなくても、お客さんを幸福な気持ちにしてあげる。
こんな気遣いが、演奏とワンピースになっていたら、
何度でも足を運んでくれて、音楽を聴く事、観る事を、
楽しんでくれるものである。

CDではない、ホールでしか味わえないものを、
提供する事は益々大切な事である。
これはマネージメントがやる事ではなく、
演奏者自身が考えていく事であり、
表現の大切な部分です。
この苦労を怠ったら、社会から見放されてしまう。

どんな美人でも、服によって輝きが増すように、
裸勝負ではなく、引き立つ服も大切。
宝飾はいらない、華美すぎず、中身が大切。


・・・と、そんな事をいつも観にいくのです。
勿論、音楽の素晴らしさを味わったりするのですが、
とても惜しい人たちが多いので、もっと楽に、
クラシックに触れてもらうため、更に近づいてもらうため、
少し努力して欲しい事です。

銀座のライブハウスで、
友達のライブを観に。
筝、三味線、尺八に、シンセ、ドラム、役者のトーク!
盛りだくさんの、お酒もありのライブハウス。
こういうところで観ていると、コンサートホールの
窮屈さを思い知らされる。
ルールがあって、格が付き、
制約があって、背筋が伸びるのでしょうが、
こんなライブハウスでやりたいな~。
と、感心しながら帰ってきました。

大事にしなきゃ パートⅠ2006/03/02 15:17

がらんとした園庭に人は見えず、
はずされたブランコは、揺れていた事も覚えちゃいない。
砂土の上に残された小さな靴跡や、
最後に五指でかいたのだろうか、
乾燥した砂場のお山と、河の跡。

じっと、佇むと、
私には、いろいろなものが見えてくる。
そして聞こえてくる。

大きな積み木で毎週作った『進め緑のはっぱ号』は、
クラス総出の空想の航海。
16に小分けされた折り紙の棚。
「あ~ あ~ だめなんだ!金色は取っちゃ!」
と、女の子に、怒鳴られ、
廊下で野球をやって、バットを振り回せば、
非常ベルのプラスティックの蓋を破損し、怒られた。
『ユリ組、お部屋~』 と、
部屋に入る時間になると「叫ぶ係」になりたくて、
先生におべっか使う子を尻目に、一番に走っていって、
園庭中に聞こえる大声で叫ぶ。

まだまだ、聞こえてきます。


ここは、今は閉園してしまった、
私の卒園した幼稚園。  実家のすぐ、そば。
今じゃぁ、山手線の駅から至近の家の辺りは、
世代交代と共にどんどんマンション化が進み、
一軒屋を探すのが難しいくらい。
かつて、この幼稚園の前を通ると、
子供達の遊ぶ声に、つい足を停めてしまい、
目眩がするほどタイムスリップさせてくれたのに・・・

しかしもう、音はしない。

がらんとした園庭・・・
何度見てもがらんとした園庭。
思い起こさせてくれるものがなくなると、
次第に私の記憶も曖昧になり、
音のしない幼稚園の前にたたずむ事も忘れるのかも。


音の記憶は鮮明ですね。

景色が変わっても、
遠くで鳴っていた音楽や、雑音も
耳が覚えているたくさんの情報は、
忘れてしまいたい思い出も含めて、いつでも一瞬で蘇る。
思い出の音は大事です。
私には全ての糸口。ファイルの見出しのよう。
砂場で砂を揉む音も、ブランコのきしむ音も、
甲高い子供の声も、記憶の中では、
何も変わってはいなかった。


さて、
出身中学校も、合併で名前が変わったしまいました。

ここからが、本題なのですが・・・
長くなるので、また次回。
パートⅡへ、あしたかな、明後日かな。

大事にしなきゃ パートⅡ2006/03/03 10:29


車走り 花咲き 鳥飛び交い
人行き 雲の陰も慌しい
都のちまた 立ちて望めば・・・

皆さんは校歌、覚えていますか?
これ、私の出身中学校の校歌の歌い出しです。
音楽の授業で何度も歌って、
ブラスでは指揮も編曲もやりましたので、
忘得ない名曲です。

でも、
この学校、今は存在しないのです。
5年前に隣の学校との合併により、
名前変わってしまいました。

理不尽な事には、
この隣の学校は、元々母校の分校なんですが、
地域の少子化によって、再度合併になったのです。
ならば、ただ、吸収合併にすればいいのに、
事もあろうに新しい名前の学校を新設したのです。
これは、おかしいでしょ、と、憤るのは、
隣の学校に対してでは無く、
自治体、教育機関は、
卒業生、過去の関係者に対して、
それまでの歴史文化から変わることに、
許可を取ったのでしょうか?

母校の卒業生。
今ではオペラ界に無くてはならぬ、
芸大同級生のピアノ奏者Y口女史、
同じ名前で、女三四郎として、
全日本女子柔道10連覇を果たした、やはりY口女史。
コントラバスの第一人者で、確固たる地位のN島先生。
私の周りだけでも、
こんなに素晴らしい人たちが卒業した母校は、
名前も歴史も、ファイルを上書きするように、
変わってしまっている。

『はっはっは、仕方ないよ、榊原君!』
と、オトナはいうのでしょう。
皆、自分の思い出は心の箱にしまって、
永久保存しておけば、校舎が無くたって、
ましてや名前が違ったって、いいのですね。
それは、十分理解しています。

『はっはっは、では何を憤っているのだ?』
と、普通は思うでしょう。

では、
では、母校の校歌はどうするのですか?
あんなにみんなで歌って演奏して、
それも歴史のほんの1ページの過程で、
終わらせてしまうのですか?
精魂込めて作曲した作曲家、皆に愛される学校にしようと、
一生懸命言葉を探して作詞された作詞家、
この方の作品は、チリとなってしまうのでしょうか。

東京T区の中学校、30年前に、11校あったのが、
9校になり、そのうち2校は、名前変わっています。
つまり。4校の名前が消えています。
歴史が消えても記憶は消えず、されど、
名前変われば、校歌は、歌えず!

これが大問題なんです。

パートⅢに つづく・・・



・・・今回は長いゾ。
積もり積もっています。


プンプン!!

大事にしなきゃ パートⅢ2006/03/04 13:24

地方の学校に演奏に行く機会が多く、
昔から私の楽しみは、校歌を知る事。

体育館の舞台の脇に飾った卒業制作や、
達筆な先生がかかれたものもありますし、
学校の玄関においてある校歌の歌詞もあります。

歴史ある学校では、
名だたる方々の作詞や作曲、
また、時に演奏聴かせてもらうと、
なかなか素晴らしい曲もあるのです。
Jazzラッパの日野皓正さんのもあったなぁ、
・・・以外にふつうでしたが。

古くは、旧制高校の校歌、はたまた寮歌など、
年配世代には、素晴らしいものがありありました。
これらだって、保存したりみんなで録音したりして、
同窓会で歌ったり、演奏したりします。
忘れがたい想い出は、音楽で扉を開けるのでしょう。

どんなに素晴らしい校歌でも、
少子化と共に学校再編、閉校、合併で、
名前が変われば歌えません。
つまり廃曲、お蔵入りです。

これでいいのでしょうか?

私達の生まれた頃は戦後のベビーブームの頂点で、
20歳の頃には新人類と言われた世代。
全国的に学校が増えていった時期で、
たくさんの校歌もまた作られたでしょう。
1つの学校に1つの校歌。
みなこれで育ち、歌う事で愛校心も芽生え、
恥ずかしくも、良い思い出の1曲。

ならば、校歌を救わねばならぬと、
数年も前から感じているのです。

ヨレヨレのテープで、しかも録音ったら、
調律の合っていないピアノ伴奏で、
ところどころ音程が下がっている録音、
合唱の子達が、部活のついでに録音した、
混声四部なのに、男の子のいない録音、
ブラスの編曲何だけど、メロディーがわからない、
しかも、間奏になると、止まりそう・・・
様々なものがありますね。
ちょうどアナログからデジタルになったこの10年、
なかなか最新の録音で校歌を歌ったり、
記念にしているところないですね。

ですから、なんとかできないかと!
教育委員会の方!自治体の方!
一緒に考えませんか?
同窓会サイトの「この指止まれ」に、
相談してタイアップしようかなぁ・・・

なんて、アイデア言っちゃダメじゃん!

と、憤りの理由もわかってくれたでしょうか。
「校歌を救おう!」をスローガンに、
今やらないと、20年後は、
学校数が半分になってしまいます。

一緒に活動する人募集です。

チャリティー2006/03/05 19:47

ちょっと早いですが、
沢山の方にいらしていただきたくて、
公演予告です。

6月3日(土)の2時30分~ですが、
紀尾井ホールで公演があります。
2年前の前回も参加させていただいたのですが、
国際幼児エイズ救済基金主催の、
「エイズ幼児救済チャリティーコンサート」です。

音楽家って、人々の安らぎや楽しみの時間に
耳を傾けていただいて生活が成り立ちます。
人が休む時間に働き、最高の娯楽を演出する、
いわば“文化芸術のサービス業”なのですが、
数字で答えや成果が出るわけでもなく、
皆さんの笑顔や拍手で、ようやく救われるものです。
お金を払っていただいて、足を運んでいただいて、
ようやくこのサービスが成り立ちますが、
やはり商売である事に変わりはなく、若干の、
文化事業に貢献出来ても、なかなか社会的には、
大した効果が出ないものです。

道端に小さなゴミをつい捨ててしまう人が、
駅前の赤い羽根募金をいつもする人、だったり、
急いでいて信号が赤でも渡っちゃう人は、
実は、交通指導するおまわりなのかも知れません。
はたまた、地域の健全化の為に、
健全な青少年育成の為に、日夜働いている人が、
なんと、隣町の歓楽街では羽目外して、
裸になって、飲んだくれていたりするのかも。

知らないうちに体と精神のバランスを取るために、
悪になったり、善になったりするのかな。
また逆に、日常のささやかな罪を償うために、
人知れず神様に手を合わせてみたり、
なんとか社会貢献しようと
募金をしたりするものなのかもしれません。
音楽家だって、
いつもはサービス業なんて言いながら、
鼻高々に、気難しい演奏していたり、
聴衆を見下ろしながら、
悦に入って居るのかも知れませんが、
どこかで社会的に有意義な活動を、
したいと常日頃思っているのです。

この公演を企画している、
谷クリニックの谷先生は、素晴らしい。
長い時間と、莫大な私費を投じて、
エイズに効果のある生薬を見つけ出し、
時間に、3日いや1日でも余裕があれば、
どんどんアジアの国々に出掛けて治療を施します。
その成果は絶大で、どのくらい多くの子供達、
患者の命が救われている事でしょう。

この活動に感動した音楽家が協力して、
チャリティーに賛同するお客様もいて、
この公演は成り立っています。

出演者が素晴らしい。
日本オペラ界を牽引する第一人者、
ソプラノの松本美和子先生の呼びかけで、
ジャンフランコ・パスティネさん、
米良美一さん、佐藤美枝子さん、はじめ、
30代の若手を中心に10数人出演のコンサート。
小編成のオケで伴奏し、司会は、鳥越俊太郎氏。
なんとも贅沢な一夜です。

ご興味ある方は、是非連絡を!
S席10000円から、学生席5000円まであります。

聴こえています? 音。2006/03/06 10:30

久し振りに会ったベルリン時代の友人。
3つ年上ですが、当時3日の内2日は会っていたので、
兄貴というより友達です。
名前も私と一緒。尤も、昔から仲の良い友人らは、
私の事は、ニックネームで呼ぶので、
同じ名前であると、気付いている人が少ないのかも。

彼はもう25年もベルリンにいるので、
普段は演奏家ですが、あらゆる面で、
ベルリン滞在邦人の顔です。
趣味が合うので、滞在中は、カメラや骨董品など、
ずいぶんいろいろな知恵を授かりました。

そんな彼と呑んでいて、
最近の日本の話、カメラから蓄音機、音楽の話、
そして、前から私も危惧していた話題に・・・

わたしは、いや私共世代は、LPレコードで育ちました。
クラッシックに目覚めた小学校高学年から、中高は、
成熟したアナログの最高峰が揃った70~80年代で、
海外直輸入レコードの、会社、レーベルや、
再生するオーディオによる音による違いに一喜一憂し、
自分の知らなかった音の世界は、耳から入ると、
脳を刺激し、やがて経験値や理想となって、
心の記憶として蓄積したのです。
CDが出回り始めたのは、大学生の中頃だったので、
購買世代的にも、
私達がLPとCDを分けるラインかも知れません。

最初は便利なものが出たものだと思いましたが、
やはり、レコードの音が断然音がいいと、
レコード共存時代はあったものの、
時代の流れで、私も、今は殆どCDですね。
ただ、昔と違い、資料として聴く事が多いので、
音色や音質に関しては、気にしないのが現実です。

なにを危惧しているのかというと、
「人間の耳は、確実に退化している」ということ。
退化というのは、時代を遡るのではなく、
哺乳類として持つべき機能を果たさなくなっている、
ということです。
どんな小さな音も聞き漏らさない動物や、
超音波を聞き分けながら、敵から身を守る小動物。
人間も本来、彼らの様に、
聴覚に対して素晴らしい能力があり、
聞こえない、聞こえるはずのない音に対してまで、
想像力を働かせる事ができるのは、
限界まで聴く事が出来る耳があったからです。

CDは、限りある容量に情報を収めるために、
人間が聞こえないであろう音を、勝手に処理し、
またカットしてしまう事で、容量を稼いでいる。

20Hz~20kHz

勝手に決めた人間の可聴音である。
デジタルカメラの映像で考えるとわかりやすいが、
ズームアップしていくと、あるところで、
四角くなっていく。画素が四角いのです。
つまり、「こんな小さな角は誰も気にしない」
ということでしょう。
CDも同じ、四角い粒、角を持った音の粒子が、
集まってデジタル音になるので、
「そんなとこまで聴こえないでしょ」と、
作られてしまうのだ。

違う

人間の耳はもっともっと可能性があり、
音は耳で聴いているだけではない。
骨を伝わって聴こえてくる、「骨伝導音」は、
理論では説明できない聴覚より優る、
「聴く骨」として存在し、耳の情報と合わせて、
壮大な音の世界に脳を誘ってくれる。

i-pod

言わずもがな、デジタルオーディオを代表する機器。
これらは、CDよりもさらに情報を削ってる。
光ケーブルも普及し、高速回線が実現した今、
お願いだから、
ダウンロードの時間を惜しまないで欲しい。
記録メディアだって、メモ帳の如く安くなったんだから、
情報量をケチらないで、
タップリ大放出の情報を提供して欲しい。

どうして?

「人間の耳は、確実に退化している」って、
・・・言ったでしょ。
生の音楽を聴いたときに、
情報を処理する脳が閉塞してしまいます。
だって、普段はカットされた情報音ばかり、
聴いているのですから、
聴いた事無いような音ばかりに反応できません。

耳、ダメになっちゃいますよ。
聞こえる音しか聞こえない耳になっちゃいますよ。
聴こえない音を聴こうとするから、耳なのです。
音楽は聴こえない世界にこそ存在する、
聴快楽の桃源郷なのです。

少なからず提言したいのは、
一生クラシックを愛好したい、
素晴らしい生の音に触れていたい!
って、思う人は、デジタルな耳になっちゃいけません。
聴きたいときに、聴こえなくなるのです。
スラディバリ、ガダニーニ、アマティの差が、
解らなくてもいいけど、
絶対的に美しいものを捕らえる耳、感じる脳は、
欲しいでしょ。

「やっぱり、生っていいね~」と、今はいいます。
でも、10年経つと、
「なんか聞こえなくない? 音、遠いよね」
「全部同じ音じゃん! どれ、ヴィオラって?」

と、なるかもしれないのです。

やまなし2006/03/07 23:51

山梨県某市の市長さんと、
仕事の関係の面会1時間

仕事柄、現場でも楽屋を訪ねてくる地元の有力者や、
教育長さん、それこそ市長さん、県会議員、
いろいろな方々と会いますが、
今日お会いした某市の長は、
魅力溢れる、、
いや、すでに溢れてしまっている人でした。

簡単にいうと、彼ら2パターンですね。
話に深入りしないで、目がとろ~んとしながらも、
こちらの話を聞いている眼差しはするどく、
決して巳を崩されぬ方。
興味津々で、身を乗り出して、
「ほ~」「んん!」「なるほどねぇ」
と、実は解っていないのかもしれませんが、
なんとか同調しようとしてくれる方。

もともと偉い方と会うのは、得意ではないので、
話を聞いてくださる方はいいのですが、
「た、頼むから、頼むから、早く帰ってくれ!」
光線を出される方に、言う事いわねばならぬ時は、
ちと、これが辛いんだな。

この市長さん、山梨の言葉をふんだんに使って喋る。
これが、良いんだな。
民主党の、渡部恒三国対委員長ぐらいになると、
お腹一杯なのですが、当地で長の口から出る
国言葉は、それ自体が環境ですね。
居心地が、とてもいい。

この市長が余談で喋っていたのですが、
「月見里」と、書いて「やまなし」と読む。
こういう苗字があるのです。
これ、むか~し何かで読んだけど、
すっかり忘れていた事思い出させてくれました。

山が無くて、月がよく見えるから、説ですね。

そんな話聴きながら、多分、訛りのせいもあり、
いきなり、宮澤賢治の“やまなし”を思い出した。
すると、市長の話も頭に入らなくなり、
頭の中は、
「クラムボンは わらったよ
クラムボンは かぷかぷわらったよ」
の出だしが頭の中に浮かんできて、
何度も繰り返す。
「クラムボンは わらったよ
クラムボンは かぷかぷわらったよ」

どうしてこういうことになるのでしょう?
上の空で部屋を後にしました。
まぁ、重要な話は終わっていたのですが、
30年ぶりにいきなり出てきたフレーズ。
「クラムボンは わらったよ
クラムボンは かぷかぷわらったよ」
帰りの車の中でもずーッと離れず。

もちろん、家に帰って、
棚の奥から引っ張り出して、読みました。

「クラムボンは わらったよ
クラムボンは かぷかぷわらったよ」

不思議な短編ですね。
やまなしで、賢治を想うとは、変な日でした。

夕日の南アルプス。

白鳥2006/03/08 23:07

3日連続でNBAバレエ団のリハです。
1日目。

チャイコフスキーって、
小学校の頃から毎日のようにレコードに
針落として聴いているのに、
不思議な事に演奏すればするほど、
面白くなってくる。

白鳥の湖の見所、聴き応えは、あまり多いのだが、
2幕のNo.13に、<パ・ダクシオン>という、
オデットと王子の2人の有名な踊りがある。
今日も、コールドの稽古。
何度も見ているうちに、いろいろな謎がとけ、
また新たなドラマを発見するものです。

白鳥の湖は、初演から何回かの改作を経て、
1895年にプティパとイワノフによる演出が、
現代の振り付け演出の基礎となっている。
いくつかのチャイコフスキー作品からの転用も
あり、今ではオリジナルナンバーの様に
有名になっているものもあるくらい。
このNo.13の<パ・ダクシオン>も、
最後の部分はドリゴによる終止形。

元々は未完のオペラ<オンディーヌ>から、
水の精オンディーヌと騎士ギルブランの、
愛の二重唱の転用である。
しかし、切ない曲なのだ。
このオペラの知識が無くて申し訳ないのだが、
ヴァイオリンのソロは、まるで妖精である自分を
恥じているようであり、人間に寄せる恋心を、
否定しながらも、一歩一歩心は引き寄せられていく。
そんな、恥らいと罪の意識に悩まされている
オンディーヌに、そっと近づくのではなく、
騎士の威信にかけて、愛するオンディーヌを
守り抜こうとする背筋が張ったチェロの音は、
どこまでも落ちていく、陶酔した二人に、
道徳的な観念を与えるかのような、
毅然としたフレーズに聴こえる。

しかし白鳥の湖において大事な事は、
この甘美で切ない歌を舞う二人以上に、
重要な役目を担っているコールドバレエなのです。
勿論二人を取り囲む白鳥の群舞ですが、
整然と列を成し、やや視線を落としながら、
オンディーヌと王子を護りながらも、
その罪深い愛の姿に冷たい視線すら投げかける。
取り囲み離れ、近づき遠のく。
その無機質な群舞の動きが、
尚一層の悲しさと、愛の力を引き立てる。
全員の一糸乱れぬ動きと、
手と足の指先まで神経が行き届いた緊張感は、
ガラス細工のようでもありながら、
ブロンズのような力を心に持つ。

そう、これは「道行き」なのかもしれない。
愛を誓った二人は、待ち受ける困難を気にもかけず、
知らずのうちに地獄の果てまでも歩き始める。
阿弥陀仏を唱えながら、茨の道の露を払うのが、
愛を護りながらも、一切の手出しを出来ぬ庇護者たち。

南ドイツ地方に原作イメージを持つ白鳥の湖は、
こんなドラマが実は隠れてるのかもしれない。

さて、明日も楽しみだ。

荒川2006/03/10 23:10

イナ・バウワーの荒川ではありません。

昨日の夕方、バレエのリハ終わってから、
秩父に向かいました。
久し振りにチーム「ミカド」関係者の皆さんに会い、
報告したり、盛り上がったりして、
夏の英国公演には、
秩父屋台囃子の少年らも一緒に行かせたいと、
お願いすると、「当たり前じゃない!」風の答え。
さすが、郷土芸能とオペラを愛する市民代表、
頭が下がります。

日本から英国に、初めて帰るオペラ・ミカド。
これに秩父の伝統芸能もくっつけて、
盆と正月と夜祭が一緒に来るような騒ぎで、
5段式のお重にフォアグラ沢山詰めて行く勢い。
ン~ 大変楽しくなってきた。
そうそう、白鳥の湖で御一緒するNBAバレエ団も、
初演からのお付き合い。
ステキなダンサーもいっしょに行くって事は、
ドンペリのロゼを一升枡で、塩の代わりに、
枡の角っ子に、キャビアのっけて飲む感じ!
うッ、気持ち悪い・・・胸焼けが・・・

しかし経済的な問題はまだ山積みで、
胸が焼けている場合ではないのです。
真面目に考えると、眠れなくなるので、
多少なりとも、真剣に不真面目に考えてます。

さて、そんな秩父の皆さんを後に、
隣町の寄居にある、台本作家の、
K島さんのお宅へ。
ここは料亭です。
戦前からある瀟洒な木造建築は、
今では考えられないくらい素敵な細工で、
先代のセンスが光ます。
私はお客ではないので、
厨房で御飯ご馳走になりました。
なんでもかんでも奥様の料理美味しいのだ。
そのあと、10数年ぶりでコタツに入り、
3時過ぎまで、芋焼酎をグビグビ、、いや、
ガブガブと、飲み続けながら、
訳のわからぬことを喋り続ける私。
一応仕事の関係の事で行ったのですが。

予定通り泊めていただき、ヌクヌクした、
暖かい布団に包まれて寝ました。

この家、本当に素敵なんだよ。
荒川の大きな流れを見下ろす広い庭は、
桜の花が咲く頃になるとこれが絶景!
美味しい料理に、静かな風景、
ホンノ半日いるだけでご機嫌だし
休まるし、東京から1時間とは思えないな。
そうそう、去年かな?
某ビール会社のCMで、ロケに使われていました。
本当にありそうな同窓会の設定で、
おいしそうにビール飲んでいましたが、
本当にここで飲むと美味しいのですよ。

尋ね人2006/03/11 23:25

「1885年ロンドン日本人村」
この本を書いたのは、倉田喜弘さん。

これは朝日新聞社出版物ですが、
もう20年以上前のモノ。
私もやっと見つけ出しました。

1867年のパリ万博に、徳川昭武に随行して、
渋沢栄一が渡仏した話は、有名な話ですが、
このときに日本館にできた茶店は、
たいそう人気があったそうな。
この辺りから、
日本趣味、所謂ジャポネスクが
ヨーロッパ全体に広がっていくわけですが、
1885年のロンドン・ナイツブリッジの日本人村は、
日本から渡った90数名の職人を中心に、
匠の技を英国人に毎日披露したのです。

この中に3人の芸妓さんがいて、
三味線弾いたり踊りを披露したりと、
たいそうな人気。
これを見ていたのが、
ミカドの戯曲家ギルバートです。

これがオペラ・ミカドが出来るきっかけになり、
この芸妓さんから歩き方や着物の着方まで、
習ったってんだから、ウソのようなホントのような。
オペラ・ミカドは672回のロングラン興行、
そして次年、
アメリカでは一夜に170の劇場で、
興行が打たれるほどの大人気になり、
まさに今の新作映画状態。
そして初演から2年後には日本の居留地劇場、
横浜ゲーテ座で、旅の一座がやってくる・・・

こんな話は延々と続くのですが、
この倉田喜弘さんは、日本の芸能と、民衆娯楽、
はたまた流行り歌の類まで広く研究なされている、
素晴らしい方。
こんな先生他にいないので、
どうしても会いたいのです。
しかも、オペラ・ミカドに関しての、
日本上陸初期の話は、大変貴重な研究です。
他の学者方々も多数参考にしているかを考えると、
私共が夏に渡英することを、直接伝えなくては、
気が納まらないのです。
なかなか著者に会うことって、
出来そうで出来ない。
しかし調べないといけませんな、所在地。

誰か知りませんか?
うむ・・・調べよう。
カウンター