真央ちゃんラベンダー2008/03/01 23:34

新しい記事を載せました。
お時間あればお読みください。
この時期がシーズンのフィギュアスケートは、
日本選手の活躍もあり、人気真っ盛りですね。
特に、愛らしい表情と素晴らしいジャンプで、
瞬く間にトップ選手になった真央ちゃん。
見る度に表現力は増し、大人の芸術と言うべき、
フィギュアの領域になってまいりました。
競技に欠かせないクラシック音楽との関わりを、
端的に記事にしましたが、調べてみると、
実に様々な特集CDがあるものです。

クラシックのCDと言うのは、
本来の目的でミラクルヒットなんてことはなく、
だいたい企画モノが売上げを伸ばすのですが、
このCDも、きっと売れているのでしょう。
内容を見ても、ここ数年のスケーター達の、
美しい姿が目に浮かびます。
真央ちゃんが、
今シーズンのショートプログラムで使用している、
ジャン・クロード・プティ作曲の
「ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア」ですが、
これはとてもいい曲でるばかりでなく、
調べていて気がついた、というか、思い出したのですが、
映画「ラベンダーの咲く庭で」の中での使用している
名曲なのですね。
「ラベンダーの咲く庭で」を御覧なった方はいますか?
例えば、you tube で見てください、これ。
http://jp.youtube.com/watch?v=uCwZiae8ul0
これだけ観ても、よいものですね。
周りの大人たちの表情が、とてつもなく良い。
英国映画で、公開はもう4~5年前ですから、
記憶に薄い方も多いかもしれませんが、
あらためて断片ではあれど、
美しい映像と、音の世界に魅了されます。
自分で紹介して自分でDVDを買いそうな勢い・・。

音楽と映画の関わりは深いですが、
職業病の音楽家たちを唸らせる作品はないものです。
でも、こいつは、この曲聴くと、
ぎゃくにイメージに真央ちゃんが出てきます。
たいしたものだ、真央ちゃん!
知っていたのか?この映画?

毎日の富士2008/03/02 23:12

富士山を見ると日本人は安心するといいます。
どうしてなのでしょう。
新幹線で静岡県を通過する時、上りでも下りでも、
富士山が見えると誰もが少しドキドキと嬉しいもの。
飛行機でもそうだ。
小さな窓に鼻をくっつけ下界を眺めていると、
普段は下から見上げている平面的な富士を、
空から見下ろして、少なからず感激をしたり、
申し訳ないが、優越感に浸ってみたりもする。
火口から360度、土も雪も流れている雄大な姿には、
特別な感慨も抱いたりする事もあるものである。
「この坂の上からは、富士が綺麗に見えるんだ」
「あの駅は、夕刻に綺麗な富士山が見える」
「この部屋、すごい!富士山が見える」
誰もが、特別なプレゼントの様に、
富士山を見ること、見えることへ感謝をする。

富士山を特別な感情で見つめる日本人の感情は、
どこから来るものなのでしょう。
日々変化する社会現象や、不安定な毎日、
明日地殻変動が起ころうともわからない国で、
変化と不安との中に生きながら、
変わらずいて欲しいものへの象徴が富士なのか。
裏通りでも、神社仏閣の前を通過する時は、
立ち止まって一礼まではしなくとも、
心の隅で頭を垂れて歩いていたりするのも、
不動の魂が宿る神への畏れや感謝なのだろう。
人間の愚かさを認識し、卑下したときに、
初めて変わらないものへの尊敬の念も抱くもの。
弱い心や、揺れ動く心理を見抜く力は、
人間の目ではなく、数万年変わらぬ万象の姿。
それを知る人間だから、鎮座する自然に心開くのか。

勧善懲悪の物語が好きな人間は、
人間同士の諍いでも、正義が勝つことで安心し、
正義で善あることで、平和を思うのだろうが、
富士には似たような安堵を求めているのかもしれない。

富士山の周りにも、厳しい自然の変化はあれど、
やがて何事も無かったように日が沈み、また朝を迎える。
風が吹こうと、嵐になろうと、夏があって冬が来る。
そして、必ず春は来るのだ。
富士は全てを受けとめて、人間の怯えや、
小さな心の動揺を笑い飛ばしているのだろうか。
夜が更けなければ朝は来ず、されとて、
夜明け前は一番暗く寂しいものである。
暁の知らせは待ち遠しくも、必ずや朝も来て、
冬の後には誰にも差別無く春が来る。
何事も無かったように、また春が来るものなのだ。

そんな事を思い富士を見る事が多い毎日。
今日も深呼吸しながら、まだ先の春を待つ。

公開前の後悔2008/03/03 23:10

様々な関係から、映画を試写室で観ることが多く、
特に音楽関係映画の事前試写は、興味深いものです。
今日も、記事にする必要があり、
時間ギリギリに間に合って、試写室に走りこみ、
受付を終えようとすると何か変・・。

「あれ、映画が違いますね・・」と私。
すぐさま手帖を観ると、1日ずれていた。

そう遠い場所ではなかったので、
明日また来ればいいと思ったら、
「よかったら観て行ってください!」と配給元の受付の方。
ま、折角来たから、、と思い、パンフもらって中へ。

試写室のよさは、勿論関連業界の方が多いし、
下馬評もあるのでしょうが、
基本的にマスコミに踊らされていない作品なので、
純粋に判断できることなのです。
甲乙丙か、松竹梅。観てみればランクはいろいろだが、
だいたい出来の想像もつくというものですし、
内容、キャストも、事前に資料でもらいって解っています。
そう、広告映像が一切無いのは尚更良い。

しかし、今日は全く予備知識無しで、飛び込み、
しかも、折角だからと暗くなる寸前で着座し、
コート脱いだらいきなり始った・・・。
次第に、雰囲気からミステリーもの、、いや、
もっとすごいオカルト系の雰囲気でした。
ただ、観はじめたら出れないのも試写室、
こうなったら最後まで見るかと、2時間5分。
長いです、今時のロードショーにしたらロング。
結果的に・・

観るのでは無かった・・。
途中から、B級のホラー系のネバネバ生物登場。
人は襲うし、皆逃げ惑うわで、あらあらです。
でも、何が見なければ良かったというと、
ラストシーン。
特に子供、子供を持つ親は見てはいけない。
エロいとか、精神衛生上ではなく、
ありえない展開で、単に不快感を残すエンディング。
途中から、意味の無い展開が見え始め、
たった少しの心理を表すための殺戮で目を塞ぐ。
タイトルを言うのも嫌なくらい、あれは無しでしょ・・。

ま、間違えて、しかも誘われて入った私の責任です。
しかし、後味悪いので、早く忘れましょう。
明日も、本来観るべきものを観に行きますが、
これは、報告できるでしょう。

音楽根性映画2008/03/04 23:32

ホッとしています。
日を間違えて、あらためて今日来て観たのは、
昨日の間違えついでに観た試写会での精神的ショックを
払拭できる映画でした。

一言で言うと、何でしょうか・・
学園モノ、、、音楽モノ、、根性者、、、
スポーツ系の根性モノを、「スポ根」と言いますので、
これは、学園音根モノとでも言うのでしょうか。
合唱部の話です。
ストーリーは、まぁ、言えばグチャグチャ、、いや失礼。
そうドラマ性が高いわけではないのですが、
何せ、歌が入ってくれば、全部吹き飛ぶ。
高校生が、額に汗して歌っている物語なんて、
私としては、単純に心もって行かれます。
昔から学園モノには涙腺弱く、
だいたいにおいて、基本的学園モノ世代なので、
「青春」という昭和の産物に敏感なのです。
自分のブラス時代を重ねながら観るものです。

夏帆ちゃん、かわいいね。
ガレッジセールのゴリさんも良い芝居でしたし、
男と、女のコントラストがよかったのですね。
タイトル、、すか?
まだ、明かせませんが、
3月後半の記事にしますので、ソン時に報告します。

それから、昨日間違って行った試写会で、
同じ配給元がブラスバンド部の話を映画化したものを
3月15日から公開するという・・。
詳しく聞いたら、試写は終っていたので、
「すぐにサンプルを郵送します!」、と言っていたのが
今日の夕方には、もう着いた。早い・・・。
これから観て、いつも記事にしちゃましょう!
コミック原作ですが、有名なの・知らなかった。
やっぱり、クラシックブームは、まだ続いているのかしら?

2週続けて、学園音根モノ。
合唱にブラスバンド・・、偶然とは言えすごい世界です。
あるのですね、こんな映画も。

ラ・フォル・ジュルネ2008/03/06 18:16

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン
All About に新しい記事を掲載しました。

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン
「熱狂の日」音楽祭2008 は、今年で4回目。
5月最初のGWを利用したクラシックイベントで、
日本、、いや世界最大級のクラシックイベントに
発展しつつあります。
今年のテーマは、、「シューベルトとウィーン」。
様々な作曲家がウィーンで活躍しましたが、
生粋のウィーンっ子というのは、
有名作曲家ではシューベルトくらいなもの。
彼ほど、ウィーンの18世紀の匂いを持つ作曲家も、
珍しいのです。
ただ、残念ながら短命。
才ある方々は早く散る事も多いのでしょうが、
シューベルトも早くから咲いた天才肌ですし、
10代の頃の歌曲を聴くと、考えられない感性ですね。

私は、とても好きなのですが、とても難しい作曲家。
演奏家にとって、特に歌詞のない器楽奏者にとって、
シューベルトは、決して簡単な作品ではないのです。
定規を使ってしっかり書けば90点取れるような、
単なる構成上手の古典派では勿論なく、
一瞬の閃きと、瞬時の輝きを譜面に写していった、
右脳至上主義の爆発系作曲家でもない。
何だか、常に自分を卑下しながら済まなそうに歩き、
言えない事は友達に言ってもらいながら、
でも内面では、誰よりも熱く語っている。
この熱さは、暑苦しさではなくて、
いつまでもあたっていると低温火傷しそうな、
つまり、過度の温もり深き情熱とも言うべき感情。
この絶妙の温かさを演奏するのは難しく、
常に制御をしながら、腹八分目でなければならない。
横柄な音、厚かましい歌い方や、これみよがしは、
全部許されないのである。

強く触ったら壊れてしまいそうなものを、
大事に扱う感覚でしょうかね。
宗教曲など、特に神がかった才能ですし、
管楽器の使い方は、ベートーヴェンよりも革新的かも。
ドラマを作り出す才能もあり、
歌曲王と呼ばれただけあり、言葉を敏感に感じとり、
美しい旋律にする能力、
そしてそれらの言葉を紡ぎながらドラマにする才能、
どこをとっても、揺ぎ無いシューベルトの世界です。

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンは、
とんでもない数の公演をしていますが、
公演の数と共に、質の高い公演もたくさんあり、
特に、普段聴けないマニアックな公演に定評があります。
お祭りとは言えども、ホール内では粛々と公演が催される。
フランスのナントの町で始ったイベントが、
こんな形で日本に定着するなんて、4年前は、
思ってもいなかったのですが、今年は興味津々。
ようやく、来たぞ!って感じのないようです。
大いに期待したく、記事にしましたし、
シューベルトの横顔を見つめながら、もう一度、
公演案内書こうと考えております。

記事はこちらから!
http://allabout.co.jp/entertainment/classicmusic/

現代邦楽2008/03/10 09:10

このところ数日間、公演の為のリハーサル。
明日が公演なので、今日はいろいろと全部が忙しい。
時間はタップリあるのだが、
どうも稽古の組み方が良くないらしく、
時間は余ったり、妙な休憩ばかりだったりと、
集中したり、散漫なったりの繰り返しは、
とて疲れるものです。
忙しい方々の集まりでしょうから、仕方ないと、
与えられた仕事をやりきるのみですが、
新曲2曲あるので、気遣いもします。

邦楽は洋楽と比べて、工夫しながら演奏するので、
様々なアイデアが織り込まれますが、
譜面に書けない部分もあり、表現を合わせるのは、
洋楽より難しい事もありますね。
しかし、情緒溢れる歌い方や、
1/4音の表現も可能だったりして、
規律、調和とアンサンブルだけが音楽ではないことを、
あらためて感じます。

今日は、前日リハと、レコーディングした曲もあり、
たいそう疲れました・・・

あすは、公演。
頑張ろう

オーラJ定期2008/03/11 23:44

オーラJ第21回定期公演も無事終わりました。
今回は、邦楽と歌唱、舞踊と、
3要素が詰った出演に、新曲3つ、
またコンチェルトもあり、物語もありで、
観に来てくださったお客様も、
内容の濃さに驚かれた様子である。
確かに、濃すぎる気がする・・。

年度末になると、やはり何処でも忙しいのか、
男性は先ず演奏会に来られなくなりますね。
仕事もプライベート、みな忙しいものです。
そんな中、会場にはたくさんのお客さま。
もしかしたら、招待券が多数出ているのかも
知れませんが、これは嬉しいものなのです。
演奏は聴いてくださるお客様あっての事、
皆さんが観てくれて、聴いてくれるのが、
演奏家の一番のご馳走となり、
頑張って演奏してしまいますね。

オーラJは様々な世代がおりますが、
今回は比較的若い世代が多かったでしょうか。
ウォーマック氏のロックな新曲は、
現代的ポップなエネルギーを要求されたので、
これはかえって面白かったですが、
ベテランの味のある演奏は矢張り欠かせません。
コントラストがあって初めて引き立ちますから、
ベテランも、若い方々も一緒の舞台の方が、
各曲の面白さを引き出し、強い陰影がつくものです。

いずれにせよ、ホッとしています・・。
しかしチョイと集中力に欠け、失敗もありました。
これはこれで反省です・・ハイ。

エネルギー不足2008/03/15 23:45

最近、更新が少ないと、怒られます・・。
誰に、、、って、なんとなく怒られている気がします。

頻繁に書いていると、少し空いたりすると、
心配をかけたりしますし、
私でも、いつも読んでいる方が1週間空けたり、
数日音沙汰ないだけだけでも、ちょっと心配ですから、
私のブログを読んでいる方々も同じ気持ちでしょうかね。

毎日が音楽であり、生き様自体が舞台と思って、
「毎日が舞台」と日常を捉えるブログですが、
なかなか日常に、辛い事があったりすると、
書けなくなったりするものです。
とは言え、確実に毎日は音楽化しており、
書き留めたいことも多々あることも事実なので、
少しでも書いておこうとは思っています。

最近、高いところから風景を見ることが多いのです。
目の前に高層ビルが広がったり、
都会の真ん中の広大な敷地の公園を見下ろしたり、
楽しいものですね、高いところは。
閉所はダメでも、高所は好きですので、
山でも、ビルでも、朝日も夕陽も、
高いところから眺める事は、
人間の思考回路を代えてくれますね。
塞いだり、落ち込んだりしそうな時は、
高いところに上がって景色を見渡せば、
気分も晴れ晴れしてきます。
ちっぽけな自分に気付いて、
悩みも馬鹿らしくなったりする事もありますね。

夕陽が綺麗な10階の窓からの風景。
明日も昇ると解っている太陽に、
「明日もよろしくな!」と声をかけたくなるもの。
ほどよい暖色の光と色は、
心穏やかにさせてくれるものです。

妄想カラオケ2008/03/18 23:30

M大オケの金管打楽器コンサート。
第20回だったのです。
出演の学生達には、「へ~20回、ふ~ん」だろうが、
こちらにとっては、そんな簡単な感嘆ではなく、
「なるほど20回!そうだね20回!フムフム・・・」
と、かなり感慨深き回数なのである。
単純に言ってしまえば、
私が20年以上も教えているという事なのであるが、
第1回目を思い出すと目頭が熱くなるものの、
第1回のヤツラを思い出すと、頭に血が上る。
・・・そのくらい、大変だったという比喩である。

そもそも、オケ好きの学生などと言うものは、
始終オーケストラのメロディー吹いて満足し、
どんなに音程悪くても、考え方が間違っていても、
吹いている本人の頭の中には、ベルリンフィルや、
ウィーンフィルの音が同時に鳴り響いているのである。
つまり、妄想と幻聴のミックスされたカラオケの中で、
気持ちよく演奏(と言えるのか)をしている状態である。
しかしこんな吹き方しているだけでは、上手くなるわけない。
なんとか、上手くなるために必要な練習や考え方を、
日夜頭をひねりながら考え、事あるごと丁寧に説いたが、
結局は練習後の酒の洪水に押し流されて、
素敵な練習方法の記憶などは、忘却の彼方へ水没した。
当時、ほぼ学生らと同じ年の私は、
金管全体を管理する唯一のトレーナーであり、
立派な前任の故S氏が多忙になったため、
同じ苗字と、酒が飲めるのを見込まれて(ウソ!)、
送り込まれたのであるが、
なんとか報いたいと一所懸命やっていたのである。
(勿論今だって誰よりも真面目にやっているのだ)
そこで一大奮起をして、私は居酒屋で声を上げた。
「金管コンサートやろう!!」
あたりは静まり返り、学生の失笑すら聞こえてくる・・。
また、単なる飲みノリで歌い始める前に、再度叫ぶ。
「金管コンサートやるぞ!コラてめーらボケ!!」
日頃上品な僕が、「ボケ」まで言ったか定かではないが、
こうして第1回目の火蓋はパックリ切られたのである。

練習はM大試験と重なり、場所の確保からして大変。
某母校、東京にある国立芸術風大学に全員で参上し、
ほっかむりをして、抜き足で講義室に忍んだものだ。
そこまでは成功しヤレヤレなのだが、困った。
音出せば、他の音大生とは違うのは一目瞭然。
最初から、上手に演奏しないとバレてしまうのである。
なんども通い、上手な演奏で練習を重ねるも、
なにせ、何故アンサンブルをやる必要があるのか
解って居ないのだから、困りものだし、
その上、たいして吹けていないのだから、
完全にお手上げなのである。

そうこうしながらも、
辛い練習後の酒は、皆で飲むとさらに美味い事も覚え、
アンアンブルの意味と、大切さを身体で体験しながら、
なんとか発表できるところまで漕ぎ着いたのだ。
公演は、お世話になっている某坂の上の素敵な教会。
しかし・・
各曲のタイトルとは完全に関係ない衣裳だし、
アンサンブルを夜覚えたからって、
公演前に酒飲む奴もいるし・・。
ど、どなっているのだ、、と絶句しながら公演は終了。

その日から数えて、20数年。
そのころ生まれた学生達が舞台に立っている。
しっかりウォームアップをして調子を整えたりして、
酒飲んで演奏する奴も居ないし、
素晴らしいマナーで、姿だけなら音大生の身のこなしで、
羽目外して叫んだり、踊ったりする奴もいない。
決して否定できない演奏で、熱き情熱もぶつけて、
耳を塞ぎ逃げたくなる様な演奏も皆無である。
椅子、譜面台のセッティングに見かねて、
私が急遽手伝うようなこともなく、
素晴らしいオケ内スタッフに信頼を置いている。

20年という年月は凄いのです。
勿論、今ではトレーナーも4人いますし、
各楽器の学生数も多くなり、競争も激しく、
レベルはどんどん向上している気が、、、少しする。
全てがハチャメチャな20年前も楽しかったし、
今はそれが無いのが寂しいと思いながら、
とても時代に合った進化を遂げていると思う。
20年の間に自分も変わっていきました。
外国に住み、表現方法は楽器から棒になり、
人間関係も、悩める内容も変わりました。
状況も変わり、何もかも変わったような気がして、
この変化を思うと怖くなる時もあるのですが、
このM大の様に変わらないヤツラとの付き合い、
音楽を真ん中にして、車座で演奏して酒飲んで、
笑って怒って泣いて受容して・・。
こんな変わらぬモノがあるから、人は毎日を過ごせる。
変化を余儀なくされる毎日、予想もつかない明日だが、
不動と言うモノがどんなにありがたいものなのか、
あらためて考えさせられる日になりました。

いやいや演奏が上手かったから考えたわけではないよ。
演奏している姿を見ていたら、
記憶妄想が広がって、音の決して聴こえない、
美化されたキラキラの過去を発見したのです。
と、関係者を戒めておいて終ろうかな・・。

30年前の施設とラッパ2008/03/22 23:56

午後、大変意義あるシンポジウムでした。
地元の行政主催の
「公共施設と公共サービスのあり方を考える」
と言うもので、私は末端のパネリストです。
、、と、どうして公共施設で、私?ですが、
「音楽の街-狛江」の構想推進委員長として、
堂々の参加(と言うほど偉くはないが責任は重大)。
基調講演はとても為になる話。
学者と言う方々は、
ただ怒鳴り散らすように理想を喋ったり、
根拠無き想定や妄想など決してせずに、
理路整然と、集計を数字で示しながら、
過去の例、他地域の凡例など示していくので、
私の様な有象無象とは、説得力が違います。

老朽化に伴い、修繕を必要とし、
時代変われば、施設に求められるものも変わります。
単にハードとしての施設の補強や、整理だけでなく、
利用者の気持ちや、公共施設の担う役割を再考し、
街と時代に適合した施設にして欲しいものです。
7万7千市民の為に用意されている施設は、
学校など除いて、文化活動可能な場所が11施設。
地域と密着した活動が既に行なわれていますが、
次の時代、次世代に残さなくてはいけない、
伝えなくてはいけない事も多々あります。
7割以上の施設が、これから10年以内に、
修繕や改築を必要とする施設になるという事は、
次世代の為の「まちづくり」に対し、
どこに視点を置いて「直す」のかが、ポイントですね。
基調講演した先生が言っていました。
「これは、市民皆さんの義務なのです」
その通りです。
施設を、ただ使い古すのではなく、
四角四面な施設に心を宿すこと、
新しい血を注ぐことが市民の責任なのです。

これからスタートするらしい、
「公共施設再編方針策定委員会」なるもの。
「街は劇場!」と豪語する私にとって、また、
丁寧に進めている音楽の街推進委員会にとっても、
目が話せない関係委員会の出現なのです。

夜は、30年振りの集まり。
中学時のブラスの先輩方数人との集まり。
私は下っ端で、辛うじて音楽家をしているので、
何だか、当時から成長していないようで変な気分。
このブログにて、過去に、「校歌を無くすな!」と、
統廃合によって消える母校の名と校歌を嘆いたのだが、
世にも稀な歌いだしの校歌の一節を載せたことが、
検索エンジンのヒットに繋がったらしいです。
それ見た先輩が、私を発掘したらしい・・・。
偉いぞ!グーグル。
瞬く間の2時間でしたが、
30年振りという長い歳月のはずなのに、
会えば一瞬で話は当時に戻るのです。
でもよくぞ催してくれたと、幹事の先輩に感謝。
当時は、1学年違えば神と小市民の差がありましたが、
40代になれば、1こや2この年の差なんて、
昨日と今日の誕生日の違い程度の感覚ですね。
されど、先輩は先輩なところが面白いのです。
久し振りに和みました。
今度は、楽器吹いて酒でも飲みましょうか。
でも、誰も私には指導されたくないでしょうな・・・。
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