勝利2016/05/22 09:48

春は地元の草野球の春季リーグ大会です。
4月5月、そして決勝リーグに進むと、
6月まで毎週野球です。

私は参加して3年目ですが、
創部して5年のチーム、
自由業のみなさんから遠方参加の選手、
20代から私まで広い範囲で、
白球を追うグランドです。

いいのですよ、
草野球は立場も社会的な上下もなく、
実力主義でありながらも、
互いに切磋琢磨して激励もする。
失敗も責めず成功は讃えて、
勝利に向かって一丸となる。

運動モチベーションは最高です。

今日は勝利!
嬉しいですね。

土手の傾斜からは始終声援を送ってくださる
たくさんのチームサポーター。
今日は10数人も来てくださり、
守備、打撃問わずに声を出してくださる。

こんな方々がいて、
こちらも大変気合もはいります。

終わって皆で記念写真。
泥にまみれて日焼けして、
嬉しい一勝で決勝リーグに
望みを繋いだのでした。

知ったる界隈2016/05/23 23:59

毎日のようにお座敷に御呼ばれの毎日。
誕生日が近いからと言って、
そう連日呑み惚けている訳にも行かず・・
でも今日もまたそんな日なのであります。

上野の山を登り勝手知ったる学校に出向きました。
先日も行っているし、そんなに変わってはいないので、
困りはしないのですが、
セキュリティの面はしっかりしてオートロックが掛かり
滅多に校舎には入れない、という建て前です。

色々と気に掛けてくださる先生に面会。
公演のことで様々意見交換などしながら、
学校の様子も窺うのが目的でした。

とは言え誰かに会うのがこの大学。
同級生先生3人に会い、
時間があったのでそのうちのO橋君の授業を見学。
管打楽器合奏というつまり吹奏楽ですな。
先日も思いましたが30年前の学生とは
今や比較にならない垢抜けた音色!
垢抜けたというのは物事を熟知している、
グローバルなサウンドという意味です。

これが良いのか悪いのかは別として、
子供の頃より情報に溢れた現代社会の申し子は
理想や目標も耳と目から的確でもあり、
ブレる範囲がとっても少ないのでしょう。
私たちの30年前と言ったら、
誰がブレているか正しいかを求めて、
発言し易い酒席という議会を設けて、
日夜討論をしたものですが、
結果なんて出りゃしなまま大喧嘩しながら
決定的なお手本を模索した時代であります。
でも皆個性的でありましたし、
音楽においても個性が抜け出ている事が最高という事は
大変狭小な人間関係での
グローバルな共通認識でもありました。

G大を後にして実家の両親と会食。
江戸中期から続く老舗さんです。

昨今、鰻っていう食ジャンルが最高級化して
蕎麦屋の暖簾を潜り居酒屋気分と同じく、
鰻屋でちょいと一杯なんて言う
下町気分からは遠くなっているものですから、
ちょいと嬉しくヒョコヒョコ出かけました。

酒も頂き、父とは永遠に尽きない芸術論・・・。

もう30年も同じ話ししている気がしますが、
演奏家商売と美術分野の創作者とは
向き合い方も違うものですので尽きぬ訳です。
同級生とも尽きないし、父とも尽きぬ。
どうして堂々巡りのスパイラルのような論議が
男共は好きなのか?俺らだけ、、いや私か(爆)。
齢八十をゆうに超えた先輩にムキにならぬよう、
そういうユトリも持てる歳になろうと自戒しながら、
母も交えて杯を酌み交わす。

私ゃメニュー見て「山独活」って読めて良かったと
少しは年齢重ねて見識もあると実感した。
しかし丁寧で美味しいね、老舗ってのは。

お重に収まった鰻さんに敬意を表しながら、
上野公園蓮池を眼下に見下ろし喰らう。

美味しゅうございました。
両親の食欲も酒量も私と変わらず、
そんな健康に感謝しながら後ろ姿を見送り、
私は夜の闇に再び消えたのでした。

誕生日感謝2016/05/24 23:15

お誕生日週間だった先週から・・・。
今日が本当の誕生日でしたが、何も変化はありません。
譜面見て仕事。

バッティングセンターで修業。
・・・それにしてもオッさんな構えだね。
おまけに言えばその度に動画で撮って
リプレイしながら落ち込むのが
最近のお気に入りになってきました。
フォームを直していますが、
なかなか直らないオッさんです(残念)


そして教えに行って飯食いながら乾杯。
20代女子の見目美しい腕が伸びていますな。
オッさんの日に焼けた腕が眩しいです。

53歳になりました。

皆に言われます「身体に気をつけて!」
本当に自愛しなければいけないのかも。
気にしたら体調悪くなりそうだから
いつものままですが、
休むこと、食べること、笑顔。
この3つを欠かさないようにします。

あちこちでお祝いしていただきました。
この場を借りて心より感謝申し上げます。

庭石2016/05/25 23:24

こういうことだってやるんです。
というところを見せつける・・・。

半分、やらされるですが、
嫌いではないので丁寧に仕事始めます。


大事ですよね最初の丁寧な作業が。


素人庭師なので歪みもありますが、
作業日が浮いたと思えばいいでしょうな。

でも敷石が足りなくてまだ続きます。

腰痛ったいよ・・・。

大正浪漫2016/05/26 23:40

いろいろな公演を通して知っているつもりの事も、
1つ覚えるとまた1つ忘れる訳であり
年中引っ張り出しては眺める本があります。

この本もその中の1冊。
「浅草六区はいつもモダンだった」

昭和59年(1984年)の春から3ヶ月に亘り書かれた
朝日新聞のコラムを元に冬に刊行された本で、
社の編集委員だった雑喉 潤(ざこうじゅん)さんの
著作です。


史実という時代の切り出しと、
浅草という町の喧騒の抜き出し方は
浅草オペラからレビューショー、
ストリップの世界に至るまで描かれており、
コマ落としの活動写真を観ているようです。

大正を切り取った年表というクールな本や、
音楽やオペラという見地から書かれた
浅草オペラ関連の本もありますが、
埃の匂いまで伝わってくる本は少ないので、
ついつい開いては面白がります。


この写真全く関係ないのですが、
こういうお猪口で呑みながら
大正に想いを馳せると、
いろいろなアイデアも湧くというものです。

来年は浅草オペラ百年という周年です。
もう誰も知らない浅草オペラ、
わだかまりや嫌悪もないであろう時代の産物を
楽しく紐解く絶好の機会でもあります。

水分不摂取2016/05/28 23:11

とある方の公演、いやライブに行きました。
ということでジャンルでいえば軽音楽です。
たくさん感激したのですが、
もう見習うべきところと考える部分もたくさんあり、
収穫沢山のライブだったのです。

年齢で言えば60を回りましたが、
長年のロックスターとしての演奏活動は多岐に亘り、
毎日テレビで観られる方ではないのですが、
体型から声、何も変わってはいないのが第一印象。
ギター1本での弾き語りという言い方は、
もはや似合うわけがないダイナミックなサウンドは、
アコギの音色をフル活用した演奏スタイル。
「この方はこんなにはギター上手くなかった」
と40年前から知る私は思うのですが、
ギターの演奏機会も相当多く、
そもそもそれ以上の練習を日々積みながら、
声とギターの対峙も一体化も思考しながら、
演奏しているという素晴らしさで感激でした。

終わったのは開演から140分後。
つまり2時間20分フルサイズの弾き語り。
しかも休憩はしない・・・。

舞台センターにセットしたサークルの真ん中に
座ったらそのままアンコールまで下がらない。
サブのギターを置いて、音色の優しい
もう1本のギターを途中で変えて、
後はチラ見する譜面を時折見るだけです。

一般的には弾き語りって聞くと、
ポロロオオ〜ンなんて爪弾いて、
何やら小さな切ない声で歌いながら、
肩の力の抜けた演奏と歌声というイメージでしょうが、
いやいやもうアコースティックギターのハードロック。
1人で数人分のバンドと
パーカッションのリズムワークもループさせながら、
歌う、叫ぶ、そしてトークも際立って面白い。
ギターを弾いていない時間はなく、
喋りが寸断するのはギターをチューニングする
ほんのちょっとの間だけです。

どんだけ気力と体力があるのでしょう?
休憩無しですよ!??

本番指揮していても1時間やれば休憩したいかも。
1時間20分の大曲はありますが、
2時間20分の休憩無し大曲はオペラでも無い。
振るだけでも演奏だけでもなく、歌だけでもなく、
全部一緒にやって休憩無し。

素晴らしすぎてどうしようもなく感動しました。
けどそれだけではないのです。

この方水飲まない・・・。

予備ピック、カポタストもありますので、
脇に小さなテーブルがあるのですが、
そこの小さなペットボトルが置いてありました。

でもそれに触りもしない・・・。
見ようともしない。

シャウトしながらずっと歌い続けて、
ギター弾く腕なんて数万回は振りまくって、
汗もかくだろうし喉も渇きも尋常じゃ無いはず。

でも水飲まない、触りもしない。
心底感動しました、そこにも。

前にも書いた気がしますが、
現代では飲む(drink)というマナーやルールが
多様化しています。
日本の変化の方が大きいのかも知れません。

子供の頃は飲み物はコップに注ぐのがマナーであり、
瓶に直接口をつける事は衛生面でもマナーでも
違反と習いましたし今でもそう思う。
然し乍ら「ラッパ飲み」という言葉が何故死語になったか?
何故直接口をつけて飲むのが何故当たり前になったか?

ペットボトルの普及です。

自動販売機では瓶の物は扱いが面倒なので、
捨てる処理が簡単な缶製品が増えました。
さらにアルミ缶でもっと簡単になり、
後にスクリューの蓋で保管ができるペットボトルが
普及すると利便性の良いペットは、
缶を凌ぐ様に主流になりましたね。

持ち歩いて飲めるという手軽さは、
コップを必要とする不便さが無くなったけど、
直接飲まないというマナーも無くなった。

これは社会のルールの変化ですから
私が力説する必要もないのですが、
変化が及ぼすマナーの変化は重要です。

劇場ではその昔弁当を食べていました。

今でも歌舞伎座に行けば食事休憩があり、
また観劇中にお茶を頂ける席もあります。
まぁ西洋にもオペラを見ながら飲み食いする
感心しない貴族社会の特権ルールもありましたね。

現在はホール公演などの場合ではホール内での
飲食はしない事が当たり前のルールになっています。
これは昨今の喫煙できないお店ルールにも似ています。

これらはお客さん側のルールでもあります。

でも出演者側って意外に曖昧なルールなのです。
ホール使用の練習でも客席や、
ましてや舞台上でもペットボトルに口つける方がいます。
もっというと練習中の時間が空いた時に、
その場で楽器を置いて水飲んだりします。

もしかしたら指揮者でも飲む方がいるのか?

以前の小さなコンサートを主催した時の話です。
20代の若い演奏者の方々の室内楽でしたが、
演奏する席の脇にみなペットボトルを置いています。
曲間のトーク中に水飲んだりしているのです・・・。
でもお客さんはそんな事せずに聴いてくださっている。

本末転倒ではないでしょうかね?
と終わってから注意もしましたけど、
あまり罪悪感はないと思うのも仕方のない世代。

海外のコンクールの演奏映像で、
楽章間にペットボトルの水を飲んでいるシーンを
何度か見ましたが、これは注意しないのか?
甲子園大会だって猛天下の中、
保水せずに試合するのがルールだから倒れたり、、
でもそれがマナーと感じるものです。

私も好き勝手に水飲む習慣は気をつけていますが、
古いと言われればその通りです。
でもそうではないと昨日思った。

140分水飲まずに公演する集中力と
休憩無しのお客さんへの配慮。

こういう演奏家の姿勢を学びたいものです。

可笑しな視点でしょうが、
魅せるという事はこういう事だと感じます。
プロの意識とはこういう配慮だと思いました。

なっげ〜な、面倒なブログだな・・・
失礼いたしました。( > < )

現代的合理演奏2016/05/31 23:21

時間のある時にはとにかく舞台を見ますし、
観れば必ず何か得ると言うのが
私の信条でもあります。

普段から洋楽も邦楽も演奏するので、
どちらにも行くのですが、
幼少時から慣れ親しんでいる洋楽より、
身に沁みて知識と理解と勉強になるのは
どうしても邦楽です。
洋楽だって知らないことはたくさんあるし、
教会音楽やバロック以前の器楽作品も
私にとっては手付かずばかりです。
でも邦楽は違う意味で
古典から現代作品に至るまで、
全てが面白いのですね。

よく「聴き方を知りたい」
ってな方をお見受けしますが、
なんだっていいのですよ。
好きな楽器でも声でも見つけりゃ、
それが興味の入り口だと思います。

長唄でも現代邦楽でもいいのです、
聴いてみりゃ、観てみりゃナルホド!と
膝を打つ合点があるのが日本人なんですね。

私の聴き方は多分職業意識ですが、
アンサンブルなんです。

どのようにして演奏者が合わせているのか、
舞台の中の音楽はどうやって合わせていくのか。
具体的には箏曲アンサンブル30人が
どうして一糸乱れぬテンポ変化を可能とするか、
だったり・・・
歌舞伎を見ていても、
演者に対して義太夫と三味線の掛け合いが、
阿吽の呼吸で乱れないコツはなにかとか、
まぁそんなです・・・

なぜかと言うと、
邦楽には基本的に指揮者要らないから、
じゃどうして洋楽は要るのだろう?
という疑問にもなりますし、
意地悪を言えば、
だから邦楽はココまでしかできないな・・
なんて指揮者が居ない場合の
アンサンブルの利点と残念を
探し出したりするわけです。

指揮者が偉いわけではないのですが、
要るなら居るで必要とされる価値を
演奏者が感じないと立ってる意味がない。

そもそも真ん中で邪魔だからね・・(自爆)

洋楽の場合には、
10人程度の小編成でも指揮者が居た方が
精神的にも楽だという人が多いし、
特に稽古回数の少なかった場合や、
歌、器楽ソロとの合わせ物なんて、
要るのが普通だと思っています。

でも邦楽って違うのです。
指揮者を入れることは恥じる事でもあるのです。

逆に言えば、
入れないとできないと思われてしまう、
つまり演奏に不備があると思われるから、
指揮者は入れないでやるということもあります。

更に古の雅楽にも指揮者いないですからね。

とは言えアンサンブルの指示を送る手順は
洋楽と同じように決まっていて、
その点はアンサンブルの仕方に差はないのです。

邦楽は兎に角稽古積みます。
プロの団体と考えても、
洋楽の何倍もやるのではないでしょうか?
アンサンブルのタイミングを合わせるだけではなく、
音色なども含めて合わせて行くのですが、
これが最終的に一糸乱れぬ演奏に
繋がっていく理由でもあります。

現代邦楽と言われる
1960年代半ば以降の音楽の場合、
洋楽的な発想で合理的にテンポやリズムを
処理していく必要があり、
洋楽のように扱えない楽器の弱点除けば
その点では非常に現代人は上手いものです。

そりゃそうだ、日常生活は洋式なんだから。

50年間に亘って十分に進化した
演奏者の現代感覚と西洋合理的意識は、
もしかしたら西洋音楽の皆さん以上に、
邦楽の皆さん方は上手いかもしれない。
でも逆に真っ直ぐ過ぎるのではないかと、
思う事が多々有ります。

逆に洋楽演奏家は、
合理的な西洋論理が行き過ぎると
杓子定規な演奏になるのが分かっていて、
存分に枠から出て揺らしてしまいます。
これは邦楽古典的な間(ま)の掴み方と
似ていると思うところもあり、
その点において日本人演奏家は
上手いなぁと洋楽の方に思うのです。

邦楽合奏の面白みは、
西洋音楽的な合理が織りなす音の具象でありますが、
現代の西洋音楽の面白さはすでにそこには目標が無く、
音の処理やテンポや音量までもが、
空間的な音の自由さに回帰している気がします。

現代の邦楽合奏というものが見据える
目標や価値観というものは、
現代の音楽的な価値観からみれば、
すでに古き良き時代になっている気もいたします。

まだ私が働く分野がある事も発見したりして、
人の演奏をよく聴いてみる事は、
深くモノを考えるヒントになるモノです。

まだまだよくよく考えてみよう。
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