すててこてこてこ2015/10/22 22:48

徳島へは飛行機で本当に近く、
飛んでいる時間はほんの45分ほど。
そう考えれば近いのだが、
この所通い詰めているは南の海陽町であり、
片道2時間、復路はラッシュもあり3時間かかるのです。
日帰りも出来ますが辛いのと運休の心配もあり、
東京での予定にゆとりがある時は前泊です。

今日も前の日に入りましたが、
とっても楽しみにしていた日です。
と言うのもホールで芝居の公演があったから。

この「すててこてこてこ」 は、
江戸末期から明治期に活躍した伝説的な噺家
三遊亭圓朝一門を取り巻く話であり、
時代に翻弄されながらも噺家として生き通す
言わば舞台人の写し鏡のような内容。
未だに寄席大好きで通う私には楽しみな内容で
興味津々でありました。
江戸弁を通しながらベランメェで語る
役者の言葉や所作にも興味津々でした。

東京公演が1週間どあったが観られなくて、
ちょうど徳島の公演に自分が合ったという奇遇ですが、
観たかった理由は他にもあります、、、。

圓朝を演ずる予定だったのは文学座の加藤武氏で
然しながら7月31日に急逝してしまいました。
本当に稀有な舞台人を失ったと思うのですが、
夏前から公演を知っていたので是非加藤武の円朝を
観たいと思ったのは当然の成り行き。

以前私が音楽監督をしていた舞台で、
加藤氏にゲストで出ていただき、
脇役で出ていた私は畏れおおくも舞台で
加藤さんと2人きりの台詞のやり取りをさせて頂き、
私は細く長かった役者人生に万感の思いで引退を誓った。
、、、なんてことも圓朝=加藤武を観たかった理由。

さて舞台。

あわぎんホールに廻り舞台を仮設していました。
こんな仕込みにも感心しながら、
舞台美術や照明機材の仕込みもみると、
裏方の心意気も感じられるモノです。
明治初期の和式建築と思いきや
鹿鳴館応接室シーンでの
外務大臣井上馨と三遊亭圓朝の対峙では
上手く西洋様式に扉まで変えています。
なるほど!
日本間の市松模様の襖文様も
こうなるとロンドンやパリの万博で
影響をさせた日本文化の海外仕様見える。
噺家の質素な和装も良いし、
それぞれ弟子たちの上下関係も良くわかります。
井上馨の燕尾もエナメルもしっかりしていたけど、
白蝶ネクタイは手結びであって欲しかったのと、
エナメルプレーンシューズは内羽根にして
彼をもっと毒々しい西洋かぶれの
総フォーマル権化にして欲しかったかな。

因みに。
井上馨公はA.サリヴァンのMikado日本上演を
阻止しようとしてタイトルを変えさせた外務大臣。
彼個人のキャラクターはあちこちに知られていますが、
大変興味深い差し色でしたし、
もっとお国訛りと毒々しさがあっても嬉しかった。
私は個人的に彼を追いかけています。

細かな話で恐縮ですが、
鹿鳴館の応接室シーンで、
舞踏会場から漏れ流れてくるワルツが、
1874年作曲 のオペレッタこうもりを下書きにした
ヨハン・シュトラウス二世の
〈こうもりカドリーユ〉であった事は大正解というより
ほほう!素晴らしきアイデア選曲と思いました。
でもせっかくなら〈美しき青きドナウ〉〈皇帝円舞曲〉
にも時代考証と一捻りが欲しかったかなと思います。

あれ難しい批評 になっています?
悪気は全くない!音楽家の偏屈です。

いやいや本当に舞台は素晴らしい。
前半ですでに感激いたしました。
中堅中心の中で三遊亭圓朝一門の一番弟子
三遊亭円遊演じる千葉哲也さんには参りました。
この人は噺家か?とお客さんは思ったでしょう。
最後の 真打昇進お披露目高座の日本橋の寄席では
泣かずにはいられないほど。
高座にあがりお客様と対峙する場面ですので
多分毎日の客席の雰囲気で、
声をかける人や矢印と拍手や怒号などが
あれば彼も応じていたに違いないですね。
旅公演の難しさでもありますが、
徳島の方々奥ゆかしいと思いました。
私なんぞ拍手をして迎えて「圓遊!!」
なんて言いたかったな。

江戸の芸人噺家の世界と江戸弁ばかりで、
阿波の方々は大丈夫かと心配しながら周りも見回し、
こんな素晴らしい舞台を徳島で観られた事にも感謝感激。

でも切ないね舞台人の生き様を見るのは。
最後は涙してしまったよ。

私の大好きな松井今朝子さんの書籍
〈圓朝の女〉は彼に纏わる五人の女性が登場します。
芸に生きる円朝の姿も勿論描かれますが、
幕末から明治新政府の混沌とした時代に生きる
女性たちの姿が描かれた本でもあります。
ここに描かかれる円朝と今日の舞台は違っても、
伝説の円朝の芸に対する信条と厳しさは同じ。
立体的に観られる演劇的手法での噺家は、
読むモノとは違う、寄席で想像するのとも異なる
舞台の楽しさであり演劇人が演ずる生身の姿に
やはり心の臓がキューーーっとなる感激でした。

舞台人は精進あるのみと心する今です。
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