sasannqua2005/12/17 23:24

実家の庭には、子供のころより椿の木があり、
冬になると立派な花を何輪も咲かせたのだが、
カサッという音で、ポトリと落ちる花の姿は、
なんともはかなく寂しくて、冬の庭に付いた赤い色は、
寒空から落ちた一滴の血の様でもあり、
「怖いものに蓋をする」如く、目を逸らしていたものだ。

しかし、思春期の頃オペラ「椿姫」を好きになり、
原題の「Traviata」の意が、『道を外れたもの』と知ったり、
主役Violettaの、美しくも短く燃え尽きる生涯に
涙する事まで覚えると、次第に庭先の椿まで気になり始め、
そんな「風情と贅」の世界が、椿にはあるのかと、感心した。

ちなみに。
榊の木も、椿科であり、葉の様子などがそっくりである。
お宮さんで、神に捧げる榊は、
<ひさかき>(木ヘンの右に令と書く)が多く、
こちらは手に入りやすく、葉がギザギザである。

そんな事知ると尚更調べ始め、
椿の学名Camelliaは、
17世紀のチェコスロバキアの宣教師「Kamell カメル」さん
の名に由来し、椿はカメルさんが18世紀に東洋からヨーロッパに
もたらし、広まった事まで知ってしまう。
いや、深いぞ深いぞ、と。

花の散り方が汚いなどと思っていたのに、風流な方々は、
「椿拾い」といって、きれいな花を拾い集める趣向があると聞いた。
木々の葉が散った冬、灰色に染められた庭に咲く真紅の八重花は、
感ずる事の出来る貴重な魂の色なのかな。

冬に咲くそれらの花々は、いずれも椿だろうなどと、
昔は思っていたものの、いやこれも違うのですね。
背の高い木、秋から年明けて1月終わりまでのものは、
似ていながらも、山茶花(サザンカ)です。
調べるとこいつも面白い。
学名 sasannqua(!)
長崎は出島からオランダに伝わり西洋に広まったようなので、
こんな学名なんですね。その元は中国。
「山茶花(さんさか)」 →「茶山花(ささんか)」
→「さざんか」→「サザンカ」となる。

写真は今日。
最近課題の「1日20分散歩」の途中に見つけた、サザンカ。
空は今年一番の寒気のお陰で澄み渡り、濁りひとつ無いブルー。
常緑の中に鎮座して、色香を放つ真紅の山茶花。

椿と山茶花、見分けつかない様ですが、
全く違うのは、花の落ち方です。
椿は一緒にポトリ。しかし山茶花は、
一枚ずつハラリハラリと、高枝から舞って降りてきます。

正岡子規でしたね、
“山茶花を 雀のこぼす 日和かな”

そんな事感じて、落ち着いて見上げたいものです。

オヤジ雑誌2005/12/22 08:36

少し滞りました。忙しくても少し書き留めようと思いながら、
忙殺されると、脳に隙間はなくなりますね。

さて、これ、見てお解かりのように、私が表紙でもなく、
猪瀬直樹氏の宣伝でもないのですが、
今日かな?明日かな?発売の扶桑社から出ている、
月刊誌「Straight」です。

以前取材された事は書きましたが、これが、出るようです。
特集の②ですが、
“ホテル通8人が選んだ、目的別私の愛するホテルBEST3”
というタイトルで、やっぱりなぜ私?なんですが、
市川森一さん、秋元康さん、三遊亭好楽師匠など、
有名人に混ざって、お気に入りホテルのご紹介です。

「おまえ!東京人の癖に、東京のホテル泊まるんか~!」
という怒涛のお叱りが来そうな感じで、本読まれると、
更に叱られそう・・・
だって、仕方ないじゃないですか。
私は、横浜のインターコンチと丸の内ホテル、
京王プラザホテルの眺めの良い部屋を愛好していて、
インターコンチから見下ろす、みなとみらい21は、最高なんだし、
丸の内ホテルから見る東京のビジネス中心地は、
「昔の良いものが失われずに、受け継がれていて」
このホテルもその象徴だし、
京王プラザホテルは、「ウィーンからのお客さまを
お迎えして、紹介するには、眺めもサービスも最高」
なんだし、まさに、
「眺めはイマジネーションの源」と、
眺めの良いホテルで、曲想を膨らませているんだから!!

ということで、81ページを見ると、私が写真付きで、
口を尖らせて喋り捲っている様が解ります。
ANAホテルのお勧めカフェまで、紹介している・・・

ありがとう!ライターE氏。

最近はこの手のオヤジ雑誌が多いですね。
30代後半から40代狙いでしょうし、
的を得ているものも多いですが、
いろんな雑誌に目を通すと、
車、ファッション、食事の3本立ては、
若い人用と何だ変わりはないですね。
ただ面白いのは、働いている男性を
ターゲットにしているから、やたらと、夜に役立つ情報が
多く、アフター5仕様なので、夜景がバックだったり、
仄暗いバーの紹介だったり、健全さに多少欠けつつ、
そこが今流行の「ちょいワルオヤジ」風なのか。
女性誌みたいに、平日の昼間仕様で、
ランチ食べ放題の特集や、追っかけてみたい歌舞伎俳優、
家計を助ける財テク云々・・みたいな、
バックが昼間で、へへへと笑った女性が、
テーブルの前で小銭を広げて、「今日も100円浮いちゃった!」
みたいな可愛い紙面が欲しいなぁ。
でも、若者雑誌の「素敵な髪型で今日からイメチェン・・」は、多分、
「これなら手が届く、絶対にバレナイ手軽なカツラ」だろうし、
「今が旬、イチゴの美味しいベストスイーツ!」は・・・、
「これ捨てろ~、コレステロールが気になる甘味」なんて、
警告じみた暗い話になるかな・・・

中学生の頃のポパイ創刊から読んでいた、
流行カタログ系雑誌に弱い私は、
いまだに、毎週いろいろな雑誌に乗せられて買ってしまう。

長くなりました。この辺で・・・
また

星 星 星2005/12/23 01:16

見上げたら、一面の星空。
20年振りの寒い冬も、こんな空なら大歓迎。

ひときわ輝く一等星ペテルギウスは、
冬の夜空を支配するオリオンの気高き騎士、、
勇者ゼウスの妻、女神ヘラの反感を買い、
猛毒のさそりによって殺されたオリオンは、
さそりから逃げ惑う空の偽善者なのか。
冬の宮廷オリオンの台座に傅く、
おおいぬ座のシリウス、
こいぬ座のプロキオンは、
さながら右大臣左大臣と、いったところ、
冬の東空を疾風の如く駆け巡る。


ちょっと見上げただけで、
こんなギリシャ神話が、星から想像できる夜。

小学生の頃、
初めて連れて行ってもらった渋谷のプラネタリウム。
アナウンスと共に、西に沈む太陽を見送るように、
大勢の星が頭上に現われると、
都会っ子の私は、思わず「怖い!」と、叫び、
汗ばんだ手で肘掛をグッと握りました。
見たこともない宇宙の神秘。
星がそんなに存在する事も知らず、
天の川なんて、架空の物語風景と思っていましたから、
降るような星の数に圧倒され、気を失いそうでした。

オペラを知り、ギリシャ神話を学ぶと、
神に挑戦する人間の果てしない戦いのドラマは、
己の魂に救いを求める、人間界永遠のテーマ、
と言う事も解りましたが、宇宙という大舞台に、
神々のドラマを星座に置き換え、崇拝した人間の心理と欲は、
今夜の様な星空で体感できます。

日本海を中心に、大雪。
星なんてひとつもなく、人々はその時間を必死に生き、
翌日の天気を神に祈りながら、現実の生活に糧を求めます。

おなじ空の下なのに、こちらは東京と思えぬ星空の大河ドラマに、
天空の神秘と、人間社会の儚さと、力量、
また、この星空の元では、
知的戦闘本能を、余儀なく引き出さねばならぬ事を知らされます。

毎日、青空と雲を見上げる事を課していたこの12月でしたが、
夜空、ましてや首をすくめて目を瞑りそうな、
こんな寒空に、それにも劣らぬ世界がある事を発見。

素晴らしい星空だ。10年に一回かな。
いや、見たことないな。
写真撮影なんてかなわず、脳裏に焼きつけて、
天空の女神に包まれながら、
毛細血管が悲鳴を上げるまで見上げました。
冷たくなった足先は地の感覚を失い、
大地から足が浮いているのかと思うほど、
空高く、星空に吸い込まれそうでした。

しかし寒い日だ。
雪だって東京にも降らしたかろうに・・・
いや、明後日は大事な公演だから、
お願い!雪だけはやめて。
と、雨男はボヤキながら帰路に着きました。

クララとフリッツ2005/12/26 09:30

24日は、「くるみ割り人形」の本番でした。
イブの夜に、人形を贈られたクララが見る夢は、
楽しくて、少し怖くて。

1892年の初演ですから、まだ113年しか経っておらず、
古典中の古典と思っていても、クラッシックバレエの
歴史はそう古くないものです。
いつも思うのですが、スコアを見ていくと、
くるみ割り人形も、白鳥の湖も、眠りの森の美女も、
書かれている指定のテンポと、
現代の振り付け演出のテンポが全然違います。
チャイコフスキーの真意を損ねているものなのか、
彼がそこまで考えられずに書いていったのか、
どの文献を探しても、なかなかそこの問題解決までは
たどり着けませんが、舞台上は考えずに、
スコアだけたどっていくと、調性、テンポ、拍子が
実によく考えて書かれています。

今回の演出は、1934年以来観る事の出来なくなっている、
イワーノフ版。音楽が始まると、ほぼ絶え間なく、
全てが進行します。
素晴らしい踊り、いつもの様にお客様は御祝儀の拍手を
おくりますが、拍手を断るかのようにドラマを進行させていきます。
曲間のマイムも殆ど無く、全てはオペラのようです。
そう、イワーノフ版は言葉の無いオペラ、
全てを踊りで表現するステップオペラです。

1幕2場、<雪の森>での雪の精の踊りは、
38人ものダンサーが総踊り。
本来のドラマとは関係ないのでしょうが、
雪も憎かろう極寒の地で、
クリスマスの夜に、雪片に宿る精霊の踊りは、
冬である事を喜び、クララばかりか、聴衆も幻想的な
世界へ誘なったのでしょうし、この美しきワルツは、
チャイコフスキーが、ここから書き始めたといわれる意味が、
よく解ります。彼の優しさ、恐れ、憧れ、全てが、
音楽の中に濃縮還元です。

クリスマスに「くるみ」を観る事は悦びですし、
しかしこれは、演奏家にとっても最高の時間。
観てよし、演ってよし、聴いて良し。
よしよし尽くしの最高の作品。

そんな次の日の25日は、
お祝い事で司会をしました。
サプライズ、サプライズで、準備して仕掛けた甲斐もあり、
新郎新婦も涙、お客さんも涙、駆けつけた30人のオケも涙。
みな料理に手をつける事も忘れ、宴に心を奪われていました。

おめでとう、夫妻。
御苦労、同志。
ありがとう先生方。

24日も25日も、私は少しだけ高い所から、
皆さんを見て、喜ばしい笑顔と美しい涙を見て、
クリスマスを満喫いたしました。

くるみ終わって片付けて、
外に出たら、東京タワーのイルミネーションが、
お疲れさん!と、肩を叩いてくれました。

ロカビリー、感電、失神!2005/12/27 00:40

今日は打ち合わせがあって、
夕方、丸の内へ行っていました。

すごい人は予想していましたが、これが想像以上。
しかも仲通りは封鎖して、丸ビルから出られないし、
丸ビル自体、完全防寒のおじ様方がやたら多い。
わたしは込み合うのは好きでないので、
丸ビルのちょいと上から、覗いて見ました。
この写真はそこから撮ったのですが、
上から眺めていたら、
ドキュメンタリー映画で見た記憶にあるものが、
蘇ってきました。

遠い国の秘境の地、
神宿る山頂を目指す信者達、10万の行列は、
将棋倒しにならぬ様、ゆっくりゆっくり、
そして規則正しく体を多少左右にふりながら、
大地を一歩一歩踏みしめ、
手に握った十字架は頭上にかざし、
静に祈りの言葉を唱えながら歩く・・・

ま、こんな姿の様に見えたのは、
上腕三頭筋をしっかり伸ばし、
携帯を少しでも前の人の頭より上で、と、
カシャカシャ、ピコピコピ~ン、ポロロオ~ン、
という音と共に、携帯のカメラで、
ミレナリオの光を捉えている群集の姿であったのです。
「ほ~、この寒空、しかもビル風吹きすさぶ
仲通に、ようこそ皆さん!」だな。

最近はどこの街でも過度に電飾された家が見られますが、
私にはあの気持ちがわからない。
特に、一軒ばかりか、向こう三軒両隣まで光り輝き、
気持ち悪くなるほど、明るい道がある。
競争するのでしょうか?それとも、回覧板で促して、
次第に広がり、まさに伝飾していくのでしょうか??
物騒な世の中、セキュリティも含め、治安維持のつもりかも
知れませんが、だったら一年中やればよい。

日本人、電飾好きですね。
また数年前からは、木々を守るためもあってか、
温度の上がり過ぎない寒色系が増えています。
しかし、六本木ヒルズの横の青と白の光の道や、
新宿ヒルトンホテルのコーナーも、
青一色に電飾されたケヤキが、なんだか、
ブルーハワイシロップをかけた、かき氷みたいである。
寒いのだ、視神経が凍りそう。

やっぱり、暗いから光が美しいんだよね。
暗いバックがないと、光は輝けないのさ。
減らそう電球、守ろう消費電力。
デンコちゃん、テレビで言ってくれないかな。
「じゃ~ん!電飾はホドホドにね」って。

丸ビルホールでやっていた展示、
「渡辺プロダクション創立50周年記念、
抱えきれない夢」
~~日本のエンターテイメント50年~~
をついでに観てきました。

ピーナッツに、クレージーキャッツ、
キャンディーズに辺見マリ。
GSブームから、ロカビリー、、、
展示物から、いろいろな編集ビデオまで見ていたら、
流石に知らないものから、懐かしいものも多く、
でも1時間程ボーっと見ていたら、
当時の芸能人、みなやたらと芸の本質で、
勝負している様が見えてきます。
なんの電飾もなく、看板ひとつ下げて、
歌うたって、走り回って、笑わせて、拍手させて。
「やっぱりこれだよな、大事なのは」
と、ミレナリオに群がる現代が良いのか、
ロカビリーに失神する事に価値があるのか、、、
考えさせられました。

さようなら2005/12/29 23:59

師匠が亡くなりました。
まだ信じられませんが、でも亡くなりました。

20年間、私の活動の礎はこの先生のお陰です。
私が何をやっていても、「大丈夫ですよ」と、
ニコニコしています。
プライベートでもお世話になりましたし、
ベルリンにいた頃は、遊びに来てくれました。

懐の広い、器の大きな大きな人です。
街行く人を見てニコニコ。
騙そうとしている人がいても、ニコニコ。
そんな人騙せませんね。
ある日、先生に聞きました。
「先生はなぜいつもニコニコしているのですか?」
答えてくれました。
「笑っていた方がいいでしょ、恐い顔しているより」
そんなこと、分っていても出来ません。

とてもダンディーです。
常に背筋を伸ばし、女性に優しく。
いや優しすぎますが、でも男にも優しい。
徳、というのでしょうか、誰にでも好かれ、
悪口は言いません。
ご病気で辛い事もあったでしょうが、
一言も言いません。
お見舞いに行っても、ニコニコして、
「いや~大丈夫なんですよ」
と、こっちが元気付けられる始末です。

今日通夜で、会って来ましたが、
笑っていました。
歯が見えていました。
いつものお顔で寝ていました。
また明日会えます。
いつもの顔でニコニコと、
まだ寝ているのでしょうか。

最後にまたお参りして、お手伝いも終えて
お寺を後にしました。
ここもまた、東京タワーのふもと。
また今日も見上げてみました。

タワーは、一緒に泣いてくれました。

いつまでも2005/12/30 22:11

今日は、先生とのお別れの日。

のつもりでしたが、あんなににこやかな顔見てたら、
元気が出てきました。
「なに、泣いているんですか、大丈夫、大丈夫」
って、聞こえてきました。

弔問の方々は、長い長い列をつくってくださり、
みなお別れより、感謝の意を伝えに来たみたい。
誰にとっても最高の先生。

亡くなった日、
一人で写真見ながら追悼演奏してみましたが、
何吹いても笑っている顔しか頭には浮かんでこないし、
拍子抜けするくらい。

出棺を前にして、弟子達10数人が、
代表して演奏しました。
素晴らしいトロンボーンアンサンブルです。
僭越ながら、指揮が必要な曲は、私が振らせてもらいました。
本当だったら、先生がそこに立って、ニコニコして
指揮しているのが普通なのに、
そこには自分が立っていて、
先生は横になって聴いていました。

先輩後輩、前後40年もの元学生達が、
集まっていました。
後輩達は優秀な成績で、音楽界の中心にいますし、
先輩方は、重要な役職など得ながら、
音楽と共に生きています。
みな仲良く、握手して会って、
散会のときにも、笑って離れて・・・
こんな和を作っていただいた先生に感謝しなくては。

列席した私達はみな、先生の魂に巳の精進を誓い、
永遠に尽きる事ない師弟関係に感謝し、
自分達のこれからの役割に背筋を伸ばしました。

見送って、元気が出ました。
いつでも笑っていこうと、決めました。

ニコニコ、ニコニコ。
ニコニコ、ニコニコ。

先生ありがとう。

大晦日2005/12/31 22:06

ブログ流行の今年、きっと今日の書き込みは、
どなたも一年を振り返るのでしょう。

27日に亡くなった師匠はじめ、8月には、先輩指揮者で、
高校大学も同じ方も亡くなられました
また、1月に私の2番目の楽器の先生、
芸大学生時に客員教授でいらしていた先生が、
94歳で永眠されたとも聞きました

人は永遠の命であるはずもなく、誰にも別れはあり、
それを正面から受け止めなければ、前には進めませんね。
からだは見えなくても、魂は生き続け、
永遠に信頼関係が変わることなく、
それは、強い味方となって活動の糧となるはずです。

悲しい事ばかりではありません。
沢山の親しい方に、新しい生命は誕生しましたし、
私の活動でも、新鮮な出会いが数多くありました。
仲間が仲間を呼び、良い活動に繋がっていきます。
これは、来年ばかりでなく、この先ずっと、
関係できる楽しい仲間の誕生です。

最高の財産は「仲間」なのですね。
困っていれば助け、泣きたいときは一緒に泣き、
嬉しい事は一緒に笑い喜び合う。
たくさんの仲間に支えられていますが、
大事なのは人と人の間にあるものです。
これで人間、間に仲があって、仲間。
一年の最後に大切な人を亡くしたことは、
大事な言葉を再認識いたしました。

そんな事を考えながら、大晦日。
忙しい一年でしたが、時間があり、
つい半年も出来なかった事を・・・
私が無類のアルミフェチと知ってか、
可愛い生徒達が誕生日に贈ってくれた、
アルミ模型のリモコンロボットです。
メカニカルな体躯ですが、手足を器用に使い、
前後左右へ動きます。
精巧な模型をゆっくり1時間かけて造り、
この一年を振り返りました。

来年が人類にとって、前進できる年であるように、
次の世代と地球を愛する事を、皆ができる事を願い、
今年最後の文章を閉じたいと思います。
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