17年2010/03/20 23:23

サントリーホールで1993年から開催されている
シンフォニーホールを劇場化する「ホールオペラ」。
ホールオペラの名称が、商標登録されているくらい、
如何に大切にしていたかが解る、オペラ上演形式。
今年まで途中2回ほど抜けていますが、
数年をシリーズ化しながら、毎年開催され、
その中には、委嘱世界初演も
(あまり感心しませんでしたが)あり、
常に新しい試みを探りながら牽引したスタイルです。
サントリーホールの特性を生かし、
オーケストラはピット潜る(潜れないが)のではなく、
見た目にも露出しながら、
歌とのバランスの取れた音色を楽しませる。
これが最大の楽しみかも知れません。

シリーズが始まってすぐにも行きましたし、
世界初演時のタン・ドゥン作曲<TEA>も拝見、
そしてここ数年は、縁あって毎回観させていただく。

オペラですから、シングルキャストによる
連日の公演は肉体的にも厳しく、
間を1日、2日と開けながら公演。
サントリーホールの貸し館業務は連日あるので、
毎回終演後に舞台美術を撤収し、公演前に
また組み上げる、という信じられない作業は、
量によっては徹夜に及んだらしい。
昨年の<ドン・ジョバンニ>も、
圧倒的な迫力の美術、
迫(せり)まで駆使しての大道具類には、
仕込み⇔撤収を含めて驚かされた。

今回は<コジ・ファン・トゥッテ>。
勿論W.A.モーツァルトの名作ですが、
3年間取り組んだ名作家ダ・ポンテ3部作の
最終章という拘りが素晴らしいシリーズ。

3日間の公演の最終日、評は専門家に任せますが、
私は様々感心しながらの3時間でありました。
舞台はいたって質素。
開演前の写真ですから勝手に載せますが、
一面の舞台を張った簡素な美術で、
舞台上下からの出ハケの壁、オケの反響版として、
三面鏡が貼られ、ロココ調の装飾の縁取りは、
時代の縁取りとしても必要にして十分。
舞台両奥は、道具の出ハケに使用し、
これを十数人の助演者が、パントマイムを交えて、
運んだりしながら、場面転換していく。
キャストの生成りの感触で統一された衣裳は、
季節と、貴族たちの曖昧な生活観も出し、
助演者の黒い衣裳は、心の闇や欲の塊でもある。
家具類が籐で統一されたのも、日本人には好感触、
様々工夫が施された舞台。

これでいいのだなぁ。

と、どの場面を見ても思うのであったし、
演出、美術、衣裳という、
目で見るオペラの醍醐味は、知的なアイデアと
行き届いた計らいで、邪魔も無く、
聴く側を音楽に集中させるものであった。
昨年と比べれば全てが簡素でありながら、
滑稽な貴歌劇ドラマが何処まで進んでも、
嫌味なく見られる爽快感を演出した。

いや、これは評をしているのではなく、
もっと奥深い事を考えながら観させていただき、
この時代にあった演出、現代の経済に合わせた美術、
それでも本質を見失わない事が絶対の成功の秘訣です。

今回で、このホールオペラは、休むそうです。
様々な理由はあると思いますが、
経済的な事情は大きいと思われます。
17年続いているこの1週間の催しが無いだけで、
ここに集まるスタッフ、オケは解散される。
出演キャスト6名のオペラですが、コーラス、助演、
子役も合わせれば50名、オーケストラも50名。
姿見せないスタッフは、多分100人を下らない。
民間の文化事業ですから、事情は止むを得ないが、
これでまたひとつ、灯りが消されることなり、
オペラとい関連業界の閉塞感は強まるだろう・・・。

舞台にオケも呼ばれての大フィナーレは、
今回ばかりでなく、17年に渡る企画への労い。
いつまでも続く双方の大きな歓びの拍手は、
大切な人との別れの如く、
泣き笑いの涙の音に匹敵していた。
ありがとう、ホールオペラ。
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