エノキ2010/03/09 23:43

数日前だが、読売新聞の新国関連の記事、深刻だ。
いや、洒落ではなく、
どこでも抱える大問題なのですから。

記事は抜粋ですが、以下。

新国立劇場が将来の再演に向けて、
千葉県銚子市で保管しているオペラの舞台装置が
倉庫からあふれ、7作品分が40フィートコンテナ
(長辺12メートル)約50個に入れられた状態で
野積みになっていることが6日、分かった。

これまでにカビや腐食も判明している。
劇場側が国に求める倉庫増設が実現しておらず、
暫定措置の野積みは
10年以上にわたって常態化している。

オペラ部門ではこれまで制作した77作品のうち、
借用・売却分を除き、34作品分は廃棄し、
27作品分を保管中。このうち7作品分が
野積み状態だ。
バレエ部門では、24作品分を倉庫で保管している。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
劇場使用の美術類の管理不行き届きの記事、
記事を読むと気付く方も居るでしょうが、
バレエに比べると、オペラは上演史も長く、
作品の幅が広いので作品数も膨大なのです。
いずれにせよ、管理する場所がなく、
国からの助成もないのは、困った問題。
でも、問題はこれだけではない。

知っていましたか?
舞台美術に3000万円もかかったり(掛けたり)、
その装置を公演1度で廃棄してしまうことを・・・。
折角製作したもの、誰だって捨てたくないですが、

管理していく事がまた一大事なのです。

ドイツに居た頃、東ドイツの劇場に行くと、
見た目がチープな装置にとても驚いた。
偶然恵まれた機会があり、
東西統一後のドレスデン国立歌劇場の舞台を
見学させてもらったら、大小の道具、美術類が、
なんともチープな素材ばかりだった。
戦争で焼け落ちた歌劇場が復興して数年、
威信をかけた装飾がピカピカと眩い劇場でも、
東側ドイツの劇場運営問題は常に厳しく、
装置にかけるお金がなかったのは一目瞭然。
でも、そんな装置であっても、
上演時に聴こくとが出来るのは一級の歌手に、
素晴らしい一流のオケなのです。
美術にお金がなくても、本質は落ちていない。
そこが最も大事な部分だと痛感した。

オペラを企てる人々が直面するのは、
あまりにかかる経費の問題。
そうすると、何かを削らなくてはならず、
まず節約するのが美術、衣裳になってしまいます。
美術サイドからしたら本意ではないでしょうが、
この工夫をしていくしか方法がないのです。
でも、大事な音楽の部分、ドラマは差し引かない。
これもまた已む無くも優先順位なのです。

お金ないなら、本質を追求して、
その他は、その次に廻せばよいのです。
美術はその後の管理がとても大変なので、
そこまで含めて経費で計上しないといけない。

思うのです。
活字だけで追うドラマ、読書というものは、
想像力を掻き立てる心の起動。
そこに、言葉を発する役者が入れば、
今度は、聴覚の情報でドラマは立体化します。
同じ言葉でも、情感込めた歌になれば、
旋律、音の力で、心の鼓膜は張り裂けんばかり、
活字を読むの説得力の何倍もエネルギッシュ!
でも、どうでしょう?
そこに眼にも余る美術装置、よりリアルな道具、
何でも揃えば、次第に見える情報で受身になる。
その時すでに心の躍動は半額セールです・・・。

舞台芸術は、満悦のエンタメとは一線を引く。
己の心から燃え立つ力が無ければ、
舞台からのエネルギーに負けて一方通行、
何も与えられなくても芽吹く想像力があって、
ようやく舞台と対峙する相互通行の理解。
目に入る情報は少なく乏しくても、
人間の感覚の才能は一瞬にして開花します。
これすべて人間の魂の進化であり、
2500年も培ってきた五感創造の賜物、
舞台芸術の根源はここから始まっているはず。
カウンター