雑言2009/01/07 17:58

私の仕事は、場所を選ばない時間が多い。
つまり、譜面見るだけなら何処でも構わないのだ。
古式ゆかしきヨーロッパの指揮の先人達は、
多分、森林浴で十分な酸素を全身に浴び、
ハイリゲンシュタットの森を体感したり、
鳥のさえずりや風の音にも耳を立てたのでしょう。
はたまた、ロシアやフランスの作曲家なら、
革命の嵐吹きすさぶ中、興奮の坩堝(るつぼ)と化した
街の人々の紅潮した横顔を音符に認めたであろうか。
いずれにせよ、過去なら出来たことも多いし、
東京では無理やりな状況は、かえって身体に悪い・・・。

ま、指揮者もいろいろな方がいてよいのですが、
私の知り合いに、「自分の机で無いとどうしてもダメ、
環境が違うと身に入らない」という方がいます。
このような方の場合、静寂という環境が大事らしく、
きっと家人は小鳥ならぬ、コトリとも音も立てられず(失礼)。
一方彼は、ニヤニヤと脳内妄想劇場に浸って、
革命規模の大スペクタクルを明日のリハーサルのために
準備しているのでしょうか。

しかるに私の場合、何度も言いますが何処でも構わない。

譜面なんか無くても良い事は多いですし、
音が頭に入っているときなら、
トンでもない時や、考えられない場所で、
面白い音楽のアイデアが思い浮かぶものです。
例えば、目の前にいる人の話口調が随分コミカルだと、
その理由に気付いて、地方イントネーションを味わい、
「なるほど、こんな旋律もありか・・・」、などと思う。
軽快でテンポの良い商店の物売りの行動に魅せられたり、
テキヤの兄さんが、一切無駄の無い素晴らしい技術で、
今川焼の型に小麦粉を流し込んでいるのを見ると、
なんとも音楽的な動作だと感嘆するのです。
そんな時、「ほう、あれと同じだ!」と思い出し、
大事にその様子を覚えて引き出しにしまう。
ま、つまり街の中にも音楽は落ちており、
ましてや、大仰なオペラよりも、ドラマなんざぁ、
近くの商店街の喧騒の方がよっぽど現実的で、
飾らない人々の日常や、滑稽に着飾った若者、
それもこれもが舞台のような状況なのですね。
私は、こんな街好きですから、譜面を見るときでも、
どちらかと言うと、ザワザワしていたほうが、
アイデアも浮ぶし、実は集中できるのです。
考え事していると、誰でも耳は勝手に塞ぐものですし、
音が頭で鳴っている時には、
周囲の騒音なんて全く関係ないものなのです。
その状態で、そこに飛び込んでくる情景や、
目の前で変化する様子こそが、
実は、気候、天候の変化であり、
季節の移ろいを感じることだってできるのです。

また、ちょいと一杯引っ掛けながら譜面を開けば、
いつもとは違う状況が浮かび上がり、
おやおやと思いながら、刺激された妄想中枢に感心もする。
そんな事もきっとOKなのです。

都内の仕事スタジオ近くで偶然見つけた、
英国スタイルのパブなのです。
こんな処があったこと、知りませんでした。
1周年だそうで、
長居せぬよう、そんな譜面読み仕事をしました。

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