二十歳2018/03/29 23:31

今日で娘が二十歳になった。
早いのか遅かったのか、
待ちわびたか寂しいか・・・

立派な大人になるのは年齢ではないと、
身を振り返っても周りを見回しても思うのです。
が、私のようにオトナなんかになれない部類の
反逆中年人は、二十歳の頃の方が
随分大人だった気もするわけです。

娘が10歳になったときのブログを
引っ張り出してみました。
こんな事書いています・・・。

『娘が生まれて、今日で10年になりました。
早いと言うか、ようやくというのか・・。
ほとんどの人間は、三桁は生きないもので、
そう考えると、ようやく二桁になりました。
とは言え、「半分成人式」というセレモニーを
行なう小学校も最近は多いらしく、
少子化で貴重な存在の子供たちの成長は、
以前より特別なのかも知れません。
心のコミュニケーションが取り難い現代では、
少なからず、お互いの現状を意識しあう作業も、
また貴重な時間と催しとも言えるのでしょう。

20歳になった夜、
一緒に酒を酌み交わすのは、まず俺であって欲しい、
など戯言をのたまう、昭和気質の私、
こんな区切りの日には、10年前を思い出します。

暁に生まれて間も無く、
透明の弁当箱の様なベッドに入り、
硝子1枚隔てた向こう側に彼女はいました。
泣くでもなく、寝るでもなく、
右を向き、ジッと私を見据えます。
私も負けじと、親であることを認識させようと、
ジッと視線を合わせながら、
半身になって硝子に顔を押し付けるのです。
そうこうして1時間も過ごす間に、
様々な事を通信し、交感しあい、
想像し、勝手に約束し、妄想し、半強制し・・・。
父親の悲しい古典的強迫観念がそうさせるのか、
自分をも父であることを自ら認識させたのか。
しかし振り返れば、2人だけで対話をした、
もっとも長い、静かな時でもありました。

思わぬ場所で誕生日を迎えた今日、
娘に、そんな話をしました。
「そんなの憶えていない!」と言われ、
「へ~、意外だね」、残念がれば、
「解るわけないじゃん」と、すかさず切り返す。

話の間が可笑しくて、共に吹き出しました。
今までも貴重な10年、これからも大切な毎日。
ここから先が楽しみで、これから先が重要です。
誕生日おめでとう。』


・・・読んでみたら、もうこれで
二十歳の今日のお祝いも充分な気がした。
たしかに生まれた時に話し合ったが、
家には居らず、病院のベッドであった。

10歳の時も家におらず、苦境を乗り越えるべく、
四角い白い戦場のど真ん中にいたはず。
頼もしくその後の10年を見つめて来ました。

そして10年後の今・・・

今日も家にはいないのです。
どうやら大人の小さな権利でもある
車のライセンスを取りに行っているので。
こんな風にだんだんと遠くに行くのかなと、
嬉しくもあり寂しくもあり、
しかしながら全ての方々に心より感謝を
申し上げる20年目の今日であります。
皆さんに報告をしながら祝杯挙げます。

本当にありがとうございます。
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