劇場至上主義2021/01/26 22:59

早いもので、1月ももう下旬です。
コロナの影響もあり予想通り正月が明けてから、
緊急事態宣言が発令され・・・現在に至るですね。
オケの仕事をしていますと、この様な制限が
通常のコンサートにどこまで影響を呼ばすか、
発令される直前まで予想がつきにくく、
万が一を考えたり、そう悪くないと慰めたりしながら、
国や県のお達しを受けました。

客席の使用制限とか、夜の公演の制限など、
一般の方々の生活に合わせてやるのですが、
救いであったことは、先般の春の様な、
とにかく全て停止、休止しろではなかったので、
どうにか現在も生き延びて凌いでいる様なものです。

主催公演もたくさんあります。
演奏する側としては、
これまで培った感染予防の術を駆使しながら、
ガイドラインを作ったりしたものですから、
これを遵守しながら粛々と行っています。

クラシックは決して危ないものではないものですから、
不要不朽ではない音楽の必要性を感じていただく
良い機会にもなっていると感じます。
そう言いましても、決して安全ではない中ですが、
生の音楽を聴きにホールに訪ねてくださるお客様に
心より感謝している次第です。

さて、公演、音を出す場所は、音楽ホール、劇場という
専門性のある空間ですが、
私の場合は、音楽が最優先では決してなく、
どちらかと言えば、劇場に身を委ねている時間が好きで、
所謂、劇場至上主義者と言われたくて、
ずっとこの世界にいる様なものなのです。

最近読み直した本と、最近手に入れた本です。

この本は、以前読んでいたのですが、
どこかに紛失して、改めて買ったのですが、
「劇場の構図という」清水裕之さんの著書です。
劇場という場所の価値観と、2500年まえに
ギリシャで人気を博していたギリシャ悲劇、喜劇が
どの様な場所で行われていたかという、
そもそもの演劇の基礎から話をしてくれています。
20年前に読んだ時には、
分からなくて読み飛ばしたことも多かった気がしますが、
改めて読むと見え方が全く違って、
自分自身の見え方の変化や、
それなりに経験を積んでいることにも気づきます。
同化、異化という、演劇形態の話から、
日本と西洋の演劇をちがいも紐といてくれます。
舞台関係者は全員読むべきかと思う、必携本です。

さて次は「世界で一番美しい劇場」

そのままですが・・・。

写真で見ることのできる詳細なディテールに
目を凝らしてみると、
ため息が出る様な装飾から、尖ったモダンな建築まで、
全ての命が吹き込まれている素敵な劇場ばかり。
劇場という空間自体が個性があって、
上演される芝居から音楽があることで、
劇場自体が全てを演出してくれるということです。

まぁ、劇場に負けないものを上演する必要がありますが、
劇場に抱かれながら、または胸を借りながら
表現する側は神の足許で勝負する様な心境でしょう。

個性を出すことが経費の無駄の様に計られた
公共ホールというものが多い中、
この本を眺めると実に勇気が湧く本なのです。

まぁ全てがそう上手くいかない時でも、
こういう本を眺めて思いを馳せていると、
少しは気持ちも晴れるということです。

さて、、、2月も頑張ろう。





2021年元旦2021/01/01 18:59

穏やかな元旦になりました。
少々寒くても、晴天に恵まれ、
細やかながら小さな親戚として集まり、
遠い春を期待して乾杯をしました。

2020年のこのブログも悲喜交交の中では
筆もキーパンチも進まず、
残念ながら順風な日常の書写しには
ならなかった様です。
近年のSNSの流行と利便性にこのブログも
若干汎用性に欠ける様に感じていましたが、
昨年はそのSNSをも更新が進まないほど、
気持ちが前向きになれない時代、いや状況が
日本どころか世界中に満映してしまった様です。

若い方にとっては、時間ごと早く通り過ぎて、
この世界的な疫病の時代が無くなる日を
一刻も早く迎えたいと思っているかも知れませんが、
何せ歳を重ねると一刻を無駄にしたくなく、
そんな時代でも精々生きないと人生がもったいなく
反面辛い毎日を直視するのかも知れません。

オーケストラを支える仕事に奔走をした昨年ですが、
音楽というより、この時代における芸術文化を
試行錯誤しながら過去のあらゆる困難な時代と比較するならば、
これもまた時代に訴えられるか、それ自身の力と、
自分たちの器量も試させられていると、
常に真摯になろうとは努力を続けました。

年末に感染者の数が圧倒的に増えました。
これが沸点か、また新たなステップでしょうか。
時代を運をまかすか、人間の倫理に身を委ねるか、
考えて見ても、手指を洗いマスクをする位しか
抵抗もしくは攻撃する術がないことが虚しく、
溜息を吐きながら日々カレンダーを捲るばかりです。

公演機会をようやく整えて少しまともな演奏会と、
仕事の整えができる様になりましたが、
このままではまた逆戻りかと思うと、昨春から受けてきた
ボディーブローが鳩尾の辺りに痛みを覚えます。

さて、、嘆いていても仕方がない。
せめて少しでも良いこと、前向きな今年を考えて行きたいです。

お陰様で家族も親も健康にお正月に集まりました。
細やかなこんな事も期待できない食卓が世界中にあるので、
心から有難いと思う次第です。
今年は、大きな抱負も目標も持てないのですが、
強いて言えば、心折れぬ様に先に進む事ですね。

周りの方々が、どうか平穏にいて欲しい事と、
未来ある方々が、僅少でも希を持ってくれる事、
この二つを願いにしようと思います。

色とりどりに料理された美味しい正月の愉しみ、
これだけでも嬉しい正月と感じます。

若い世代2020/10/02 23:43

全くの仕事の話です。

オーケストラの運営をしているので、
毎日のように、公演の相談、新しい依頼と言った
案件が舞い込みます。
ありがたい事ですが、
この中から公演として全てが成立していくわけではなく、
話で終わってしまうものから、見積もるもの、
またお会いして話を伺ったり出掛けて行ったりする訳です。

そんな案件の1つでありましたが、
若い方、地方で創作活動を続ける方に会いました。
その方をサポートしてマネージメントをしようとする
もう一人の方も一緒に同席しての御来訪でした。

遠くから新幹線、また飛行機で駆けつけてくださり、
様々な情報交換やコロナ禍での現状の話に始まり、
様々な質問も受けたりしていると、
マネージメントをやっている方の知識と情報の多さ、
日本のプロオーケストラへの深い愛情も窺えて、
こちらが嬉しくなることばかりでした。

一方のクリエーターの彼も、若いながらに、
音楽に対する様々な考えや理想を持ちながら、
実際に自分の作品に反映させて完成させています。
感心しながら応援をしたくなる発想ばかり。

新しい才能が開花するまでの道のりは本当に大変。
アイドルが突然生まれ出るのではなく、
丁寧な準備や心構えが必要なのと同じく、
クラシックの世界でも、
周到な準備や努力、応援や経済力も必要です。
でももっと大事なのはバイタリティ、つまり「意欲」です。
2人の若い話を2時間近く正面で聞きながら、
「この方達は今、人生を掛けて対峙しているのだ」と
胸に込み上げる感情を覚えました。

自分がプロデュースや企画を立ち上げた若い当時、
大阪に出向いて大会社のサポートを頼んで玉砕したことや、
なんだか分からないうちに事は進み、
結局周りの方々に応援されながら成し遂げた海外公演など、
思い出せばキリが無いほどの経験がありました。
目の前の若者は、経験などとは関係なく、
自分たちの考えや理想、そして現実とのギャップも考えながら、
現在では経験を踏みながら試合巧者になってしまっている
私に全てをぶつけに来ていると感激もしました。

同じ時刻に同空間で同じ空気を吸って生きていても、
見えている風景や描いている空想は、
それぞれの生きて来た時間によって全く違います。
この2人と話をしていくうちに、
次第に自分が恥ずかしくなるような気さえして来ました。

大きなエールを送りましたし、また会いたい青年たち。
教わるのは経験豊富な方ばかりからではなく、
大きな大きな器を磨き上げている若者からでもあると感じ、
大変染み入りました。

写真、全く本文とは関係ないのです・・・。
”とらや”さんのパリ店出店40周年記念で売られていたブースに
あまりにも美味しそうな餡子(あんこ)が売られていて、
荷物になるので買わなかったのですが、
次通りかかった際には買ってやろうと野心を剥き出しにした、
そんな備忘録です。
疲れた心には甘いものです。

花から花へ2020/09/30 22:26

早いもので9月も末日です。

仕事の関係で定番のオペラ<椿姫>を聴く機会も、
若い時には演奏機会もたくさんありました。
むしろ今では名作の古典すぎて改めてプライベートで
聴く気は無く避けるほどでした。

しかしです。
来週アリアをやるのでふと目の前のCD盤に手が伸び
頂いたオペラ<椿姫>の封を切りました。
1990年10月12日の東京文化会館でのライブ録音です。

このCDは昨年2019年9月29日に急逝された
ソプラノ佐藤しのぶさんが主役ヴィオレッタを歌っているCDで
喪主の指揮者現田さんから香典返しとして頂戴したものでした。

素晴らしいのは解っていたし、
この名盤はもうすでに販売された時から
話題の名盤だったのも良くわかっていました。
しかし、封を開けて進んで聞く気になれなかった・・・。
前述のように聴き飽きたからではもちろんない。
生前の歌声を聴けることほど有難い事はないのですが、
同時にその声が聞かれない事悲しい事は無いのです・・・。

何の気なしに目の前にあったので、封を切ったのです。
その日が1周忌の命日などとは考えずにCDを掛けていました。

本当に素晴らしい歌声なのです。

イタリアに留学後<椿姫>ヴィオレッタでデビューして
格段の成果を上げながら、オペラディーバの階段を確実昇った。
<椿姫>の録音や歌っている回数も計り知れないとおもうが、
この録音はライブとして聴いても神懸った白眉である。

悲しさから懐かしさ、そして尊さに変化していくのだろうと
しのぶさんの歌声を聴きながら再び冥福を祈るのです。

例年に比べると秋を感じる事が多い気がする9月でした。
コロナ禍で愉しい事も少なく、滅入る事ばかりですので、
身体で施しを感じられる季節の贈り物は他には代えがたい。

10月も頑張ろう。

名月2020/09/22 23:18

秋らしい日と言うのが少ないですね。
「秋ですね〜」と声を掛け合う日が
20年ほど前までは2週間はあったと思うが、
今はほとんどなく、良い日かと思えば、
翌日はまた猛暑であったり、
秋かと思えば台風が来てしまうのです。

と思っていましたが、
今日の月は誠に美しかった。

カメラを持っていなかったので、
I phoneで撮影しましたが、こんな素敵に写るのだから
単体カメラは売れなくなるはずである・・・。

中秋の名月、今年は10月1日であるそうな。
なんだか、それも満月では内装で、
ちょいと拍子抜けですが、それはそれで晴れて欲しい。

私はちっとも連休ではないのですが、
世の中はシルバーウィークであるらしく、
4連休の方が多いし、感染予防策の緩和から、
経済活動に出かけている方々も多いですね。
これがきっと来週あたり数字になって現れるのでしょうが、
共存共生を考える頭にシフトしているとは思うので、
騙し騙しワクチン行き渡るまでは行くしかないのかな。

音楽業界、演奏会も集客の制限がなくなってきて、
都市部から以前の形になっていきます。
・・・地方に行くと恐々なので、
残念ながら未だに50%を死守しようとするのです。
経済的に収支を合わせるには、50%でも無理ですので
少しでもお客様に戻ってくる気持ちになって欲しいです。

さて、連休が開けるので、
また頑張りますか・・・。

シネマミュージック2020/09/20 20:39

早いもので、というか、
気がついたらシルバーウィーク、
9月ももうすぐ終わろうかという時期になっているのです。

ご無沙汰いたしました。
オケの仕事が忙しくなると、途端に余裕はなくなり、
このブログも放置が続きますね。
そうはならない様に気を付けているのですが。

もう間近なのでこのスペースで宣伝というわけにも
なかなか行かないのですが、
ちょっと面白い演奏会の企画です。
9月23日ですので、本当に間近・・・
神奈川フィルHPより:(参考)
https://www.kanaphil.or.jp/concert/1624/

毎年行っている自主公演でもありますが、
ポップスの公演です。
1920年代の終わりから、30年代を中心にして、
戦後(第二次)1950までの映画音楽をやります。
映画音楽全盛期というと、
どうしても戦後でもアメリカの娯楽映画、
そしてミュージカル映画を演奏する、聴く機会も
多くなると思うのですが、
戦前のトーキーに変わった頃というのは、
なかなか聴く機会がないものです。

私はオペレッタを散々やって、
またウィーン、ベルリン、パリといった、
この頃のクラシックと娯楽の音楽の中間を
行ったり来たりしてきたので、
資料も併せてたくさん持っているのですが、
今回はその辺りの時代からピックアップした
企画にすることができました。

ただね、
シルバーウィークという超おおきなイベント。
抑圧された移動制限的この夏の規制が解かれて、
初の休み、、の次の日の平日の夜なので、
少しマニアックな企画は集客も大変です。

いやこの企画に限ったことではないのですが、
50%制限が解かれても、
なかなかお客様が心配もなく足をホールに向けて
きてくださるには時間がかかります。
それでも我々は粛々といつもと同じ様に準備をして、
さらに感染予防を優先に考えながら徹しています。

ヨコハマ・ポップス・オーケストラ
(神奈川フィルハーモニー管弦楽団)
〜〜スクリーンミュージックの誕生〜〜
9月23日19時開演
横浜みなとみらいホール 大ホール

気が向けばいらしてください!!!



https://www.kanaphil.or.jp/concert/1624/

ビアズレイ2020/08/31 21:23

少し前に読んでいた原田マハさんの小説〈サロメ〉を
読了してから、戯曲、そしてオペラのサロメと
作者であるO.ワイルドが気になって、
改めて聴いてみたり調べたりして、
記憶と関係性をはっきりさせていましたが、
この小説のメインストーリーである、
画家ビアズレイの事もさらに気になっていたので
こちらも少し調べていました。

そんな折、古書店で面白い本を見つけました。
「ビアズレイの芸術と系譜」

昭和51年発刊の本ですが、
ビアズレイの26年間の短くも濃密な生涯を紹介し
作品製作の経緯や人間関係も描いています。
ここまでは他の本と同じですが、
この系譜という部分が面白く、
日本にサロメの挿絵始め彼の作品が紹介された歴史、
そしてその後の彼に影響をされた文芸家、美術家など
の作品などを紹介しています。
当時の現代アートの旗手としてもてはやされた
ビアズレイと日本の表現者たちの関係を
様々な角度から描いています

古本屋巡りは昔から好きですが、
再販されない専門書の内容は
インターネットサイトでも見つける事が困難です。
こういう本を偶然見つけたり、
他の本を探しているときに出会うから
また楽しくなりますね。

ビアズレイ、
しかしながら恐ろしい26年の激動です。

ビアズレイの芸術と系譜
関川左木夫著
東出版
昭和51年発刊

下読み審査原稿2020/08/27 15:46

事前審査をする事が、音楽ならいろいろあります。
テープ審査なんてものも、コンクールではありますし、
オーディションなどでも当然ありますね。

ですが、届いたのは原稿。
毎年やらせて頂いている某所で公募しておる
短篇小説の審査ですが、
1次審査、所謂事前審査の一人をさせて頂いています。
もう、、、7〜8年になる気がします。

楽しい作業です。
誰も読んでいない創作物を手にするのは、
書き下ろし、作曲したての楽譜を手にするのと
似ているところがありますが、
文芸は音を拾いながら頭で鳴らさなくても、
テキストを読む楽しさがあるので、
本好きの私にとってはこの作業は毎年愉しいのです。

もう何人分か読み始めていますが、
短編の縛りと、テーマも決まっているので、
審査する方もある程度基準が出来ます。
そして点数をつけてい来ますが、愉しいのです。

未来の文豪へのお手伝いです!

定期演奏会2020/08/23 10:51

あまり自分の仕事場であるオケの話を、
深々とする機会はないのですが、
今日はしたくて仕方がないくらいの演奏会でした。

2月下旬、辺りの様子を見廻しながらも
どうにか主催の公演をいたしましたが、
3月に入ると新型コロナウィルスの影響が凄まじくなり、
全ての実演家、団体は横並びになり公演を自粛しました。
私どもも3月6日の主催公演を取りやめにして、
様子を見るつもりでいましたが、
想像したくない方向に状況は向かい、
そこからは世界中の方々がそうであるように、
感染予防という努力が優先されることになりました。

7月23日から依頼されていた演奏会を実施再会しましたが、
今日ようやく主催公演の再会、というより今年度初めての
演奏会を実施することができました。

これまで、それ以前の日常に比べてしまえば、
厳重なロビーの体制からスタッフの姿、客席の使用方まで、
全て所謂新しい日常というものに囲まれながら、
それでも淡々、粛々と舞台の準備を進めていきました。

プロオーケストラは演奏家も固定給で支払い運営し
財団化している団体をが多く、また補助金、助成金、寄附金、
などの収入で補填をして、
どうにか運営をしているところが殆どです。
数ヶ月休止をして収入が途絶えただけで財務状況が悪くなり、
存続の危機に陥るところもほどんでしょうから、
これは社会問題として扱われるぐらい、
現状の打開にどのオケも必死になって情報を集めて、
また再開に向けては、状況と世論を見定めて、
舵を切らなくてはいけなかったと思います。
また首都圏と地方のオケでは少し状況が変わるかと思いますが、
人口集中により感染者の数が高い東京はじめ関東では、
なかなか再開までは諸条件も厳しかったですね。

4月がシーズン最初のコンサートでしたが、
ようやく新シーズンが始まりました。
残念ならが海外から招聘予定のアーチスト2名の出演を
断念しなければならなかったのですが、
指揮を鈴木秀美氏に委ねながらプログラムも再考しました。

私の仕事は最後は演奏を聴きながらお客様の様子を伺ったり、
演奏する皆の状態を確かめたりしますが、
演奏家が入った瞬間から最後は、全員が舞台からハケても
盛大な拍手は止まず、もう一度鈴木氏がカーテンコールを
行うところまで皆さんの強い拍手は続き、
心より感謝を申し上げた次第です。

日常だと思っていたコンサート1つ作るのにこんなにも苦労し、
音楽がある生活を有り難いと感じた日はありませんでした。
恐れているだけでは何も起こらず、
しかしながら身長丁寧に進めていこうとも感じています。

関係者も皆さん
ありがとうございます。これからも応援ください。

猛暑と妄想2020/08/13 08:53

ハンス・アイスラーを聴き続けたり、
旧東ドイツとソビエト連邦の書籍や記録を
読み漁っていますと、少し涼しくなるかと思ったら、
背筋の幅15mmほどはとてつも無く涼しい、、
と言うより凍って局地的凍傷ほどになってくるのですが、
それにしても暑い毎日です。

密を避けるための策として、
夜半22:00までの営業を強いられている飲食店は、
ついこの間までは店先を広く取り、
縁日で寛ぐ遠大の客の様な雰囲気を作り出し、
椅子机を外に出しながら営業力で凌ぎ出していましたが、
夕方になっても温度が30度を超える今では、
縁側で干上がった金魚の様になってしまいます・・・。
こう言う時に酒を飲む。ビールを煽る。
体の火照りを喉越しにストレスが波乗りする様に、
泡立った爽快さを求めて何リットルも流し込む。

卒倒します・・・。
都内での熱中症の緊急搬送数が鰻上りであり、
(ウナギ食べたい)これ以上
ソーシャルネットワーカーの方々の手を煩わせてはいけない。

さておき
一人の稀有で(と言っては大変失礼ながら)時代と政治に
翻弄された人生を追い音楽と掛け合わせて調べていくと、
政治と思想、つまりヒットラーの時代に入っていきます。

他の件もあり、映画の歴史を再認識していますが、
無声時代の最盛期1920台からトーキーになった1930年、
そして彼らが政権掌握した1933年冬、
そこからのプロパガンダに繋がる歴史に触れます。

戦後75年と言う数字は、0の区切り好きな日本では、
あまり特別ではなくなりますが、
25を一単位としてる欧米では重要な節目です。
8月の世界の負の遺産とも省みる事象は、
戦争の悲惨さを目の当たりにする、
伝えていくのには大切な忘れ難き歴史ですが、
この時代と残されていった文化を芸術の面から
紐解いていくのは我々の責任とも感じます。

多分いまだに正面を向く勇気がないのでしょうが、
24歳でベルリンに渡った思ったことがあります。
「戦争が終わってからより、生まれてからやっと経った」
つまり生まれたのは戦後20年も経っておらず、
そこから考えるとようやく自分は20年以上経ったのかと。
あっという間の時間な気もして振り返ると、
戦争は生まれるほんの少し前まであったものだ。

1963年に生まれた子供の頃、3歳〜4歳の記憶でも
自分の周囲がまだ戦後であるなんて事は思いもしなかった。
縁日の入り口で傷痍軍人が数人で並び座り、
アコーデオンとハーモニカで軍歌を吹きながら、
茶色の革の義肢義足を不思議な思いで見つめても、
そこから遡る歴史を見ようとはできなかったし、
白い軍服と茶の対比が視覚に焼き付いたまでである。

期せずしてもらった自由研究の夏休みですが、
この時期に自分らしく戦争を振り返るのは良いものです。
「ナチスと映画」と言う飯田道子さんの新書ですが、
非常にわかりやすい。
彼らの思想や政治をまともに勉強しようとすると嫌悪感と
さらに遡らなくてはならない歴史背景がありますので、
上っ面しか知らない音楽家もたくさんいるでしょうが、
映画という側面、、彼にとっては側近の文化は、
この時代にしかない発展途上と時代の大発明ですので、
芸術の関連を見ながら必携本として横に置くのも良いし、
実際にYouTubeなどで漁りながら見ても良しである。

「旧共産主義と自由主義という独裁政治を比較しながら、
近現代の大衆と芸術の前時代を見つける旅」
きっとこの旅のための副課の夏季集中研究、続きます。

参考:
飯田道子著ナチスと映画(2008年)中公新書
神奈川県近代美術館ほかの編集 芸術の危機
〜ヒトラーと退廃美術〜(1995年)
発行(株)アイメックス・ファインアート
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