日比谷2006/07/03 23:21

昼過ぎ、夕立の後に、空を眺めたら、
モクモクと、入道雲発見。
汚れ無きスカイブルーの空に、
白い雲が、恥ずかしい程に舞い踊っています。

夏か、夏なのか!
と、頭の中で叫びながら、
マンションの3階を蟹歩きで移動しながら、
仏門入りした若い僧侶を囃し立てる様に、
入道雲の変化を楽しんだ数分。

極東ロシアで見た積乱雲には敵いませんが、
入道雲は夏の風物詩。
しかも、雨上がりの白は、純白。
混ぜモノなしの純度100です。

気持ちよく、夕方の仕事に出かけ、
お世話になっている方の会社の記念の会で、
素晴らしいテナーの方を紹介させていただきました。

まったく、音楽家泣かせのツウのお客様です。
カンツォーネを中心に、というリクエスト。
Y川さん、素晴らしい!
リハで一声聴いただけで安心した私は、
次の仕事のリハに移動しました。


日比谷公園の緑は、
雨上がりに緑も映え、
都心である事さえ忘れるようです。

帰りがけ、緑の中を早足で歩くと、
陽に焼けた木々の葉は、先ほどの突然の雨で
光合成を中断された事に腹が据わらぬか、
芳香なグリーンの香りを放ち、威嚇しているようですが、
実に香りよく、ここでも夏を感じました。

ふと足を止め、鋭い陽射しに手をかざして、
目を細めながら、雲をもう一度確認してから、
コンクリートの密林地帯、地下へ消えました。

近所の花、これ何でしょう?
椿?ちがうなぁ、時期がなぁ。
夏・・・だもんね。でも、葉は共通なんだな・・・

渦巻いた蕾に目を回しながら美しい花を咲かせます。

透明2006/07/04 23:40

オペラ「ミカド」は、一応順調に進んでいます。

一応、なんていい方ですが、
英国と、日本、メールひとつでも時間差があり、
なかなか上手く事が運びません。

私は、英語得意でなく、
笑顔で、百万人と話せても、
真顔で一人と話せないくらいの実力・・・
困ったものです。

K生さんは、頼りになる、英米育ちの舞台人。
とっとと郷を煮やして物事を運んでくれます。
電話して解決し、飛行機を予約して、下見段取り。

そのくらいやら無いと、実はヤバイ!

フェスティバル側は、
手を尽くしてもてなしてくれるつもりでしょうが、
こちらそれ以前で、それどころでなく、時間が無い。

荷物の運搬、人の運搬。
現地での行程、稽古、本番。

食事は、ベッドは柔らかい?枕は堅い?

全てが悪夢となって出そうです。

来月の今には、もう帰って来てます。
どんな顔で成田にいるのでしょう?

みんな仲良く、
手を振って笑顔で解散したいもの、、ですね。

今日、八重洲のカフェで、
新しくコスメの会社興した、見目麗しい社長と面会。

なにかと、
私を応援してくださるK茂さん、感謝しています。
良いタイアップができると、期待します。

人は誰でも美と幸せを求めます。
しかしどんなに化粧しても、美容整形しても、
一枚剥がせば、人間皆一緒。
まさに、「人体の不思議」状態ですね。


どんどん剥いで行くと、
人の最後に何が残るのでしょう?

それは、「ココロ」ですね。
心は、みな一緒ではないのです。
心に化粧は施せず、美しく保つのは大変です。

でも、美しい心であることは不可能ではないですね。
ほんの少しのユトリある時間の贅沢。
お金あっても時間は買えず、
お金の自由は、教養に代えていけば、
カラダは老いても、心老いずかな。

まだ、大学生の若き麗しき社長。

背筋がピ~んと、伸びました。
澄んだ瞳は、オトナの眼差しを跳ね返す力がありました。
お互い、協力したいと思います。

美しさは宝の共有。
地球をも包み、誰が否定も受け入れず。
美しさは、醜さに寛容でなければ自身が表裏一体であり、
美しきがこそ、醜さを認め、汚点を逆転さす。
美しさの追求は、真の美の信者也。

音楽の街2006/07/05 22:22

「音楽の街」を掲げている地域は、
全国に数多あるのでしょうか。

洋楽、邦楽、クラシック、ロック、ジャズ、
カラオケ、民謡、ミュージカル、オペラ、、、

どれもこれも音楽。

プロ演奏家、アマチュア愛好家、
実演家、学識研究家、CD鑑賞家、生派、

聴く形態、参加する形態、いろいろです。

音楽ったって、どれもこれも音楽で、
聴き方楽しみ方も千差万別であり、
それを、どうやって意識を感じながら、
「音楽の街」であることに誇りを感じるのか。
他地域から、文化意識高い街として認知されるのか。

施設はあるのか、宣伝広告は十分か、
使用費は高いんじゃないのか、
畳に座布団が無いと稽古にならないのじゃないか。

稼働率はいいのか、人が入れば済むのか、
じゃ、何やるんだ、誰が中心になるのだ、
それって、役所の仕事なのか・・・。

みんな考えなければいけないこと、
解決せねば次にいけないのです。

私の住むK市で、市長が3期目を迎えるにあたり、
提唱してきた「音楽の街」が次年度から、
動き出します。
その構想を策定する諮問委員会が、
知識者、市長推薦、
一般公募のメンバーで選出されました。

今日は、その委員会の第1回会議。
私は、委員長に任命されましたので、
これから約半年間、周辺地区の文化芸術の現状を
見回しながら、来年度への構想つくりに尽力します。

会議前、短い時間でしたが市長とお会いしました。
どこの区、市でも一緒ですが、
三位一体政策、地方行政主体で予算組みなど、
行政の予算は減るばかりの中、
市長の苦労をうかがい知るのは簡単です。

音楽、文化芸術は、お金があれば出来るものではない。
お金が無くても、アイデア、企画で楽しみ方いろいろです。

施設の充実、コンテンツの再評価、
既成の施設や組織に対して正面からぶつかる事にも
なりかねませんし、いわば喧嘩役かも知れません。

しかし、
7万8千市民の音楽文化活性のため、
少しずつ動き出します。

責任は思いのですが、
会議の中、10人の皆さんの顔はほころんでいます。
だって、楽しい話じゃないですか。
水の町、緑の町、そして今度は音楽の町。

楽しみながら進めます。

でも半年後は、結構大変。
さらに、その後はもっと大変。
そして、実現させるのはさらに大変。

いやしかし、成果が見えていった時には、
苦しみは、全て笑顔になるのです。

帰り道、暗い夜道に白い糸が光るベランダに、
目を奪われました。
5本の白いまっすぐな紐に絡みつき、
自由を求めるように天を仰ぐのは、朝顔のツル。

夏です。
夏になりました。

バクストン、誰?2006/07/06 23:35

2005年の春に、頗る丁寧な招待状をいただいた。
“国際ギルバート&サリヴァン・フェスティバル”

ほぅ、と、私は尊敬しているが、
英国で偉大過ぎなのか(?)、日本では不有名な、
演出家と音楽家のペアを讃える祭りがあるんだなぁ、
と、ロンドン・サヴォイ劇場を中心に、
14の作品を生み出した彼らを讃えるのだから、
ロンドン、もしくは郊外で開催なんだろうと、思ったら、、
更にとんでもない事だった。

「バクストン」って、書いてあるけどそれは何?

それは何処?ではない、何?である。

私はドイツに住んでいたが、英国に渡ったことがなく、
いや、例え行った事がある人でも知らない地名だろう。
有名本屋を何軒も巡り、ひたすら旅行ガイドを探したが、
何処にも書いていないのである。

これは、えらい事になってしまった!

ここが、バクストン探しの旅の入り口であった。

今では、オペラ「ミカド」の公演を成功させることより、
バクストンを知る事へ執着心が、
強いのではないかと思うほどである。

ソーシャル・ネットワーキングサイトのMixiで、
バクストン公演のコミュニティが賑わっています。

盛り上がっているうちに、
「私、バクストンに住んでいます!」
という人が現れた。 勿論日本人。

仰天しながら、いろいろ食事処情報等を聞くうち、
「私も、バクストンに住んでいます!」と、
二人目まで現れて、さらに仰天!

“バクストン”という名の長いトンネルに、
ようやく小さな陽が差し込んで来た感じだ。

いやぁ~、よかった、情報が集まってきた~、と、
喜んでいたら、更に、何気ないやり取りの間で
気候の話になった時、
「バクストン、イングランドの中で、
    一番標高が高いんですよ~」、っと・・・。
「えっ!?」
この一言で、私のボルテージは、
一気に高まり、当初のお題、
「バクストンって何?」の探求に、拍車がかかりました。

まだ出発までに時間ありますから、
このネタは小出しにさせていただきますが、
まず、「Buxton」の名で有名なのは、
テニスのウィンブルドン大会の
オフィシャルウォーター「Buxton」。
英国での地質学調査によると、
この水は5000年前の降水が、
地下1500mの層に育まれ湧き出ているのだ。

調べると、弱アルカリで、硬度200だから、
ウィスキー割るのに丁度良い硬さかな。

そう、水の町なのである。
さらに調べた。

バクストンの古代ローマ時代の名称は、
「Aquae Arnemetiae」で、
神聖な水と木立という意味の古いケルト語に近い。
この名称は約2500年前のものらしく、
このような泉と林と神聖さの結びつきは、
ブリテン島に広まったキリスト教のように、
数千の神聖な泉や井戸、渓流や島で、保持されている。

素晴らしいかな、水の町なのです。
これだけで、十分だが、更に面白い事も、
いろいろ発見! なのです。

が、続く・・・

写真は、バクストンのオペラハウス。
私達もここでやります。
多き過ぎず、素晴らしい!

この劇場の話も、またいずれ、

続く・・・

バクストン、ヘザーだって。2006/07/07 18:41

標高がイングランド高い話を、昨日しましたが、
ここは、実は国立公園です。

ピーク・ディストリクト、「ピーク国立公園」です。
小高い丘と、水、緑に囲まれた、
ダービー州を代表するピーク国立公園は、
イギリスで始めて国立公園に指定された、
由緒正しきところ。

ちなみに日本初は、1934年に、
瀬戸内海、、雲仙天草、霧島屋久が指定されている。
ピーク国立公園は、1951年で、意外に日本の方が、
制定が、早かったのですね。意外な発見!

もっと調べてみると、ホウッ!
ピーク国立公園を訪れる人の数は、
国立公園としては、世界第2位なんですって。
何故日本では、メジャーではないのだろうか。
しかし、今回日本人が短期に80人近くいくのだ、
世界第1位になる日も近いのかも知れない!
では、1位って、何処なの??
と言うはなしは、さておき、

いろいろな、事を調べていると、
最近はインターネットですから、
旅行日記を寄稿したりする人とか、
トレッキングが趣味の方のページで、
バクストンに出会うのですが、
皆さんが掲載している、写真が綺麗な事!
朝の霧がかった山も、森の深い緑も、
そしてヘザーという、日本のつつじの様に生える、
低木の美しい花々が、燃えるように咲き、
文献によれば、このヘザーの草原に、
足を踏み入れた者は、ピークの魅力に取り付かれ、
何度でもそこを訪れてしまうそうだ。

私が見た写真も、8月の撮影だったから、
時期はまさにこれからなのかもしれないですね。

デジタルの一眼レフカメラのつもりでしたが、
今は、フィルムのカメラを持って行きたくなっています。

そういえば、数年前ですが、
オーストリアから、ハンガリーに、
仕事で一人行ったときに、まぁ、
摩訶不思議な旅をしたのですが、
ハンガリーの国境出る時に送ってくれた車から、
見えたのは、この世のモノとは思えないほど美しい、
ケシの花の草原、プスタでした。

萌えるような紫が続く数キロに及ぶプスタは、
脳裏に焼きついて離れませんから、
ピーク国立公園の、ヘザー草原の花々も、
バクストンのいくつもの思いと、
いつまでも重なっていくのかもしれません。

ウェッジウッドのティーカップにも、
バクストン、という名のカップが作られている
らしいのですが、年代的には、1930~50年らしく、
バクストンの町の名が、
どうしてついたか解りませんが、
ターコイズに彩られたこのカップは、
説明書きを読んだだけで、見て見たいものです。

なんだか、調べると、
まだまだ楽しそうな歴史や魅了する素材があるなぁ、
第二回で止めようと思いましたが、
劇場の説明も、前振りしておいてまだなので、
これも含めて、第三回に持ち越しですね。

さぁ、これを読んだ人たちは、
バクストンにだんだん興味が沸いて来たかなぁ?

そうそう、バクストンは温泉沸く、スパの町でも
あったのですよ!

続く・・・

この写真が、色とりどりのヘザーです。
ヘザーは多種多様ですが、
これらの常緑定期の総称らしいです。

バクストン、巫女鈴2006/07/08 23:46

「バクストン・ブルー」という、
チーズを見た事がありますが、
これが、多分私のバクストンという地名の最初の記憶。

昨日、一昨日と書いたように、
今ではミネラル・ウォーターとして、
Buxtonブランドが、世界的に有名な気がするが、
チーズに限らず、バクストンを象徴するものは、
他にも沢山あるものです。

そこで、もうひとつ見つけたのは、「石」。
温泉が沸き、良い水にろ過される自然、
高度がイングランドで一番高く・・と、くれば、
やはり、石はキーワードなのでしょうが、

古く日本では、家並みや町並みは、
土地の土で変わったでしょうし、これは、
イタリアのテラコッタなどを使用している、
瓦の色なども、土地の土が大きく作用しますね。
漆黒の瓦や、赤褐色の瓦、
どれも、雨が降れば、目を見開いたような、
深い黒、萌えるような赤に変わります。
土の色と言うのは、不思議ですが、
町の自然の色であり、ブランドカラーなのでしょう。

ミッドランズ地方では、黄色っぽい岩が多いらしいし、
北部は、鉛色と訳されるグレイトーンです。
そして、このダービー州では、
ブルー・ジョンといわれる、
紫と黄色の縞模様のフローライトが、
採掘された場所であるようです。

ほら、「ブルー」ですね。

フローライトというのは、蛍石ともいい、
光学レンズなどに使われるもので、
ブルー・ジョンは、その中でも、
一際美しいものとされているようです。
純度の高いブルー・ジョンは、
無色透明に近づいていくようですが、
微量の不純物に光があたり、反射すると、
様々な色へ変化するのが魅力のひとつです。

バクストンの石積みの建造物も、
古いものは、このブルー・ジョンの含有率が
高い事でしょうし、どんな風に、
自然に解け込んでいるのかを見るのは楽しみです。

毎日、バクストンの良いとこ探していると、
「出没、アド街ック天国 in ~バクストン~」
の様になって来てしまいましたので、
この辺で、いったん終わりましょう。

写真は、巫女鈴。
こん神聖な道具も、小道具として登場します。
オペラミカドの、第2部は、
ヤムヤムの結婚式で幕を上げます。

憎めないが非道な法務大臣のココから逃れて、
ナンキ・プーと、結婚できることになりましたが、
二人ともその後に肩代わりで死ななければならない・・・

こんな悲しい結婚式ですが、
大丈夫。結ばれて。最後は解決します。
日本らしく、巫女衣裳を纏った女性が、
髪を結い上げるヤムヤムに寄り添うシーンです。

moon2006/07/10 23:34

遠い彼方の空から輝き 
尽きることなく炎は激しく     
恥らう者に優しく微笑み 
全てを包み勇気を与える
     
永遠の輝きと 愛と平和を与え
世界をあまねく照らす お天道様が大好き
  
遠い彼方に静かに輝き 
月は宇宙の気高い貴婦人
震える者に優しく手を貸し 
そっと抱き寄せ落ち着き与える

静かなる輝きと 知恵と勇気を与え
闇夜をあまねく照らす お月様が大好き


これは、オペラミカドの2幕、
ヤムヤムが歌うアリア
「お天道様は永遠に輝き」の私が訳した歌詞です。

本当の英語の歌詞は、
「太陽の燃えるような輝きも、
月の溢れる優しさだって、
私は持ち合わせているのよ」
と、言う高飛車な歌詞。

私は訳したときに、
この美しい歌は、そんな屁理屈でなく、
ヤムヤムは結婚すれば、
死刑にならなくてはいけなくとも、
決して屈しない愛情を持ち合わせ、
太陽も、月も自分の見方についている。

という歌詞にしたかったのです。

このオペラは、120年前の作品。

ビクトリア王朝への皮肉や、あてつけ、
また、階級制がとても強い英国において、
当時の登場人物の立場や言葉使い、人間関係は、
日本が舞台の作品とはいえ、
あまりにかけ離れていて、
とても日本人の理解できる範囲には無いですね。

前述の高飛車な歌詞にすると、人は、
「ヤムヤムって、なんて生意気な小娘!」って、
思うでしょう。
たしかに、ちゃっかりしているのですが、
本質的には、
親思いで、幸せを願う機織の娘、
愛されるヤムヤムにしたかったのですね。

月の満ち欠けは、人間の本能に沿う、
とは、本当なのでしょうか?
確かにバイオリズム、体のリズムがありますから、
月の形で心の姿も変化して構わないのでしょうが。

今日は、満月。
しかも、素晴らしくでっかいアンバーな月でした。

友人が、メールの隅に、
「月が素晴らしい」と教えてくれました。
車で都内を走っていたので、
Moon freakの私は、
何枚も写真を撮りましたが、
被写体は、そう簡単にはジッと撮らせてくれません。
やっと一枚、新宿西口の月です。

どこの国でも、
夜になれば月が出て、また朝もやの中沈み、
日に満ち、日に欠けるのですね。
不思議なものです。

満月は、気分を高揚もさせます。

茶箱2006/07/11 22:46

飯能、高麗、名栗、さらに寄居、長瀞そして秩父・・・
これらの地名は、
池袋付近の小中学校に通っていた者にとっては、
懐かしく、酸っぱいくらいの思い出である。

緑眩しい山と、清涼感漂う川が、
コンクリートジャングルのモヤシの様な都会っ子を
自然という教室に誘い、
遠足や、キャンプ、川遊びや、林間学校など、
あらゆる教科で、先生の代わりに、
岩や水や太陽、昆虫から花々などの講師陣が、
半強制的に体が覚えるまで教育してくれた。

電車に乗ると、車窓見学と称して、
景色が変化していくのかを見るのだが、
窓の外に、出してはいけない手の先を、
少しだけ出しながら、
風の匂いを嗅ぎわけて、
埃っぽいグレイトーンの景色が、
深緑の鼻を突く匂いに変わる頃には、
さぞかし遠い所まで来たのだろうと、
横揺れする電車が、タイムマシーンの様にも、
感じたものである。

私が通ったT区(今更T区も無いのだが)と、
秩父市は、姉妹都市。
これは、西武池袋線が、家系図みたいなもので、
あらゆる町と、自然は、この親戚関係で、
結びついているのだろう。

オペラミカドで、秩父の方々と、
密接に関わりあって、5年。
今では、私が秩父の人と勘違いする人も居るほど、
私は、血中秩父人濃度が高いらしく、
『お世話になります』と、
頭を下げながら敷居を跨ぐと、
みな、昨日会った人の様に迎えてくれるものである。

話は尽きないのであるが、
オペラミカドには、様々な方が尽力している。

勿論西洋音楽劇として、演出から台本、
稽古の進め方などのノウハウは、
オペラ公演の為の稽古、本番の如く進み、
それに沿った人間関係が構築されるのであるが、
それだけでは、済まないのである。

秩父は日本三大夜祭のひとつ、毎年12月の最初に、
全国から数十万という夜祭フリークが結集するのである。

このお祭り好きの市民には、
もうひとつ自慢できる、お囃子がある。
子供を中心に構成された秩父のお囃子連は、
一度聞いたら忘れない調子の良い笛太鼓で、
秩父のリズムを連呼する。
勇壮な山車をお囃子の調子に乗りながら
引き回すこの伝統芸能こそが、
お祭り盆地「秩父」の真骨頂であるのだ。

そして、もうひとつ地歌舞伎。
歌舞伎には、400年前に興った庶民の芸能が、
根底にあるが、今でも日本全国の山間の山村で、
地歌舞伎が互いの栄華を競いあう。

秩父でも山車の上で歌舞伎を見せるほど盛んであり、
この地歌舞伎の皆さんにも、衣裳や鬘(カツラ)で、
散々お世話になっておるのです。

今回の英国にも、この衣裳はお借りしていきます。
主に男性の衣裳はこの歌舞伎の装束を纏います。

この衣装一式を借りに行きました。

2003年の東京公演でもお世話になった先代は、
その夏に倒れられ亡くなりましたが、
しっかりと衣裳も保管してくれて、
また、鬘類もいつでも使えるように、
きちんと結われ、主人を待つ家臣のように、
しっかりと鎮座して置いてありました。

息子さんが引き継ぎ、また伝統は新たな舞台へと
進んでまいります。
その伝統の敷居を踏まぬよう、
下足を揃え、深くお辞儀して、
借りてまいりました。

2年前と同じように、お線香をあげ、
香が立ち込める仏壇を見上げれば、
厳しい眼差しの先代が、私を見下ろしています。

肩なんて竦みません。
そんなことしたら、「英国公演、大丈夫ですか」
と言われそうで、
手をしっかり合わせながらも、
「任せてくださいな!」と、
言わんばかりに小鼻を膨らまして、目で応えました。

何処までいても、お世話になりっぱなし、
誰に会っても感謝したりない毎日ですね。

記事2006/07/12 23:27

毎日毎日、オペラ「ミカド」ネタで、
全国推定5000人のブログファンの方には、
申し訳ないのですが、
なにせ、仕事の比重が8割ミカドになっており、
致し方ないところであり、
私にとっては、
仕事内容忘れない為の若干の反省会でもあるのです。

先日取材をしていただいた、
朝日新聞の論説委員の方が、
記事にしてくださいました。
今日の夕刊、「窓」と言うコラムです。

2年前だったか、正月に浅草でカルメンを公演したとき、
お正月が開ける前に朝日に載る話を聞き、
「へ~、そんなのちっちゃな凧揚げ大会の記事の隣に、
 5行位で載るんじゃないの~」 なんて言って、
早朝、新聞を広げたら、あら、びっくり
三面記事のど真ん中にゲネプロの写真入りで、
あまりに大きくて最初気が付かなかったほど。

このときは、オペラ「カルメン」ならぬ、
オペレッタ「カルメン」で、死なないカルメンを、
浅草オペラ復興という企画ででやったので、
特別注目されたのかもしれません。

逆に言えば、平和なお正月だったって事ですね。

新聞にしても、専門誌にしても、
評判で載るのは楽しいものですが、
批評として載るのは微妙なものですね。
特に日本の新聞の文化欄は、ひどく狭く、
どんなに素晴らしい意義ある公演でも、
演出に関して歴史を紐解いていかないと、
批評も何も語れないものでも、
まったく同じスペースに詰め込みますので、
憤懣やるかたない批評もあります。

今回は、論説委員のM村さんの取材で、
あいかわらず、私のミカドの話を、
飽きもせずに聞いてくださり、
とてもまとまりのある記事にしてくださいました。

毎日、稽古に勤しむ出演者にとっても、
こういう公演予告が出るのは、
とっても嬉しいものです。

いや、ありがとうございます。

2006/07/13 23:55

不快指数というのは、
アメリカ人の学者が考えた計算だという。

不快指数=0.81×T+0.01×H×(0.99×T-14.3)+46.3
T:気温(℃) H:湿度(%)

ん~、私には解らないのだが、
不快な式である事に違いはない。

1950年代の終わりにアメリカで、
冷暖房の消費電力を予測するために作らられ、
気象局はずいぶん使ったらしいが、
この計算、そもそも風の強さが計算されておらず、
今ではあまり使われていないらしい。

日本では、指数も何も、
快適な気候の日が少ない高温多湿なので、
この言葉自体が大いに不快指数を高めるのだな。

今日は、とても暑かったのだが、
今にも夕立が来そうなときとか、
ふと、雨の匂いを感じる事がありますよね。

古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、
「雨の匂いは虹の匂い」と言ったそうで、
これは、まったく笑っちゃうぐらいの詩人ですが、
調べると、この匂いは2種類の物質だそうです。

また、ギリシャですまないのだが、
ギリシャ語で「石のエッセンス」という意味の「ペトリコール」。

これは土の中の粘土の匂い、
湿度が80パーセント以上になると
鉄分と反応して匂いが強まると言う。

雨が降り出してしまうと匂いが流されるため、
雨降る直前に強く香るそうです。

もうひとつは「ジオスミン」。、土の中の細菌。
これは土に雨がしみ込むと匂いが強まりますので、
降り始めよりも雨上がりの方が匂いが強いらしい。

ですから、雨の匂いという、
振る直前の勘、見たいなものではなく、
雨上がりの名残みたいなものなのかな。

しかし、わたしはいつも雨の直前、
ホコリの匂いが立ち込める感じがするのですが、
どうでしょう?

雨男の私は、雨にとても敏感ですので、
楽しいこと、大切な日になればなるほど、
鼻が利いてきます。

振ってしまうとこの匂いがなくなるのは、
ちょっと残念でもあるのですが、
雨降らない日が続いた時の、
アスファルトの端の酸っぱい匂いや、
街中ほこりまみれのくすんだ空気、
こんなのが、一切洗われて行くとなると、
雨は大切ですね。

でも、湿気はNoですが。
カウンター