道義賛々2015/03/06 23:18

オーラJの第33回定期演奏会が
終わりました。
私がお誘いしたお客様含め、
沢山のお客様にいらして頂き、
ありがとうございました。

井上道義先生の素晴らしさは
私が今更話す事でないのですが、
あらためて邦楽の面白さと、
日本人の楽しさを確認しました。

《巨火》(「ほて」と読みます)は、
1976年に三木 稔が作曲した作品ですが、
この時の日本音楽集団の定期演奏会では
“かぐら1976”として、
あたらしい神楽への創造に挑戦しています。
他の作品も合わせての一晩の公演ですが、
最後に演奏された巨火には並々ならぬ
三木の創造性と遊び心が凝縮していて、
当時の現代邦楽合奏として
真骨頂でもあったと思います。

大きな編成の曲でしたが、
何度も再演されながら、1980年に録音。
この時に指揮をしているのが道義先生。
三木との長年の交流を続けており、
快く指揮を引き受けて下さった
追悼演奏会最終回として最高のゲストでした。

日本音楽集団が創始されてから50年。
素晴らしい歴史であると思います。
追随すべく創られたオーラJも18年。
現代邦楽を先駆した団体に、
負けじと三木に引っ張られた団体。
オーラJも現代の邦楽を考えながら、
進んでいる団体です。
そして追悼シリーズが終わり思います。
今の時代は音楽に何を求め、
邦楽合奏と言うものは
現代の聴衆に何を魅せる事ができるか。

流行と衰退は表裏一体でもあり、
流行ればあとは降りるのみです。
落ちずして先を目指すには、
常に刃の上を歩くようなもので、
鼓舞しても全員が渡らないものです。
流行らなくて当然ですが、
繰り返しながら歴史に甘んじれば
刃渡りの壁に阻まれては先など見えず、
見向く方々も減ってしまいます。
磨いで創った刃ならば、
何度でも磨きながら毀れず痛まず、
いつでも真剣として鞘に収めたいもの。

洋式で育ち洋楽を習ったものでも
年齢を重ねれば日本が面白くなります。
歴史を知るからでしょうか、
悲喜こもごもに沢山の情も経験しながら、
人生の哀れさも気づき始めるからなのか。
日本人にして日本を知らずに年を取るのが
恥ずかしくなって来たのが私の本音ですが、
誇れる日本の歴史と日本人の姿と思います。
そして未来はいつでも世界を魅了する日本で
あって欲しいものです。
そんな事を考えながら袖の小窓から
道義先生を見つめておりました。

もうすぐ震災から4年という時期。
日本と音楽家 という関係を
様々考えるには良い時期とも思います。

皆によい春が来るのを期待します。
私も精進するのみです。

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