ラーメンサラダ ― 2007/10/01 23:17
「音楽の街-狛江」構想推進のために、
今年度も会議を重ねていますが、
この秋から冬に、公演事業を計画したので、
それらの準備でまさに大童とはこのことなり。
そもそも5回の会議で、全ての公演事業の会議、準備、
実行まで抜かりなく整えられるはずも無いのですが、
会議は夏の時点ですでに3回を消化しております。
5つの願いを拾った者が、願いを叶えるべく、
1つ、また1つと大切に使っていく昔話のような気分。
本日は、イレギュラーな集まりでして、
疲れている中、委員の皆さんには頭が下がります。
すでにこの会は、会議中は提案と決議で時間は精一杯、
あとは、報告などありますが、報告に至るまでは、
各人の宿題と、個人活動の連鎖行動で賄っております。
今年計画した公演事業は、最終案で4つ。
2つは、以前から商工会中心で活動している、
月1回市役所前広場で催す「楽市(らくいち)」に
便乗する形のミニライブ。
写真は来る10月7日の楽市ミニライブのチラシです。
これを、11月にもう1回行い、都合2回のミニライブ。
そして、11月下旬に駅前広場で企画をしているのは、
「駅前ライブ」の名で、少し大きな規模。
「音楽の街-狛江」活動を大いに宣伝し、
理解や、意識参加を市内外の方々にアピールします。
そして残りのひとつが大変です!
昨年は、コンサート付きの“フォーラム”の形式で、
公民館を借りて、近郊、遠方からもゲストを招き・・・
(聞こえは良いですが、手弁当で来て頂きました)、
文化芸術の経験や日頃の活動のお話を伺いながら、
狛江の文化事業の理想系を皆さんに発表しました。
しかし、12月の平日夜、駅から15分の公民館では、
熱い内容、良い演奏に対して、集客できませんでした。
そこで、今年は我々が文化事業の中心に考える、
駅から1分でシートに座れる、エコルマホールを予定、
昨年から考えれば、スケールも3倍という感じです。
スケール3倍でも、関わる委員会の規模は変わりません。
必要とされるのは、増大なマンパワーなのです。
委員にとっては、協力とか尽力のレベルを超えた、
身を粉にした大活躍が必要です。
この12月5日のエコルマホールの催しに関しては、
これからも何度も書くでしょうから詳細はまたです。
広報も予定通りには参りませんね・・。
自分の演奏活動は忙しいし、会議以外の宿題も山積み、
予算の組み立てにも頭を悩ましながら、私は既に粉。
市民協働という旗の下、、、年間5回の会議、、、
根本的な問題を考えながら進めないと、
この「組織無き魂の会」は、
実を結ぶ結果が得られないのではないかと危惧します。
ゆっくり考える時間が無いのが、私の最大の敵ですが。
今年度も会議を重ねていますが、
この秋から冬に、公演事業を計画したので、
それらの準備でまさに大童とはこのことなり。
そもそも5回の会議で、全ての公演事業の会議、準備、
実行まで抜かりなく整えられるはずも無いのですが、
会議は夏の時点ですでに3回を消化しております。
5つの願いを拾った者が、願いを叶えるべく、
1つ、また1つと大切に使っていく昔話のような気分。
本日は、イレギュラーな集まりでして、
疲れている中、委員の皆さんには頭が下がります。
すでにこの会は、会議中は提案と決議で時間は精一杯、
あとは、報告などありますが、報告に至るまでは、
各人の宿題と、個人活動の連鎖行動で賄っております。
今年計画した公演事業は、最終案で4つ。
2つは、以前から商工会中心で活動している、
月1回市役所前広場で催す「楽市(らくいち)」に
便乗する形のミニライブ。
写真は来る10月7日の楽市ミニライブのチラシです。
これを、11月にもう1回行い、都合2回のミニライブ。
そして、11月下旬に駅前広場で企画をしているのは、
「駅前ライブ」の名で、少し大きな規模。
「音楽の街-狛江」活動を大いに宣伝し、
理解や、意識参加を市内外の方々にアピールします。
そして残りのひとつが大変です!
昨年は、コンサート付きの“フォーラム”の形式で、
公民館を借りて、近郊、遠方からもゲストを招き・・・
(聞こえは良いですが、手弁当で来て頂きました)、
文化芸術の経験や日頃の活動のお話を伺いながら、
狛江の文化事業の理想系を皆さんに発表しました。
しかし、12月の平日夜、駅から15分の公民館では、
熱い内容、良い演奏に対して、集客できませんでした。
そこで、今年は我々が文化事業の中心に考える、
駅から1分でシートに座れる、エコルマホールを予定、
昨年から考えれば、スケールも3倍という感じです。
スケール3倍でも、関わる委員会の規模は変わりません。
必要とされるのは、増大なマンパワーなのです。
委員にとっては、協力とか尽力のレベルを超えた、
身を粉にした大活躍が必要です。
この12月5日のエコルマホールの催しに関しては、
これからも何度も書くでしょうから詳細はまたです。
広報も予定通りには参りませんね・・。
自分の演奏活動は忙しいし、会議以外の宿題も山積み、
予算の組み立てにも頭を悩ましながら、私は既に粉。
市民協働という旗の下、、、年間5回の会議、、、
根本的な問題を考えながら進めないと、
この「組織無き魂の会」は、
実を結ぶ結果が得られないのではないかと危惧します。
ゆっくり考える時間が無いのが、私の最大の敵ですが。
後ろ向き ― 2007/10/02 23:51
本番が近づくM大オケのトロンボーンの方々。
土曜日6時から本番、、、だそうです。
私は意地悪ですから、レッスンに訪れれば、
わざとプレッシャー掛けながら、
怖い顔などしたりして正面から見ているのです。
楽器を演奏して人前で発表するなんて、
とても恐ろしいものじゃないですか。
特にこの楽器は、普段のオーケストラ編成では、
高い見晴らしの良い所にいることをいい事に、
前の方の弦楽器を指差しながら、
「おいおいおい、弾けてね~な!」とか、
「大変だね~、そんなに音符あんのかよ!」
なんて小声で呟いたり、言い合ったりして、
休みの小節を、212、213、214と指折り数えています。
休みを数える事が最大の仕事なのに、
この演奏会は、トロンボーンだけのアンサンブル、
指を折る休みなんて皆無です。
オケでは一番後ろの人達なのに、
こんな人達が前に出てくるのは面白いもので、
いろいろな事態が起こります・・・
演奏前から、オドオドしたり、はしゃいだり、
緊張して顔が引きつっていたり、照れ隠しで笑ったり、
譜面を忘れて取りに帰るのもいましたし、
次の曲の譜面持って来ちゃってウル覚えで演奏したり、
震えて楽器落としそうな奴もいたりします。
最後までお客さんの顔を見られなかったり、
お辞儀を忘れてさっさと帰りそうになったり、、、
汗で滑ってスライドがカランカランと転がったり、、
と、想像すると悪いことしか起こらない気もする・・。
それでも、成果を見せる事が大事ですし、
音楽をみんなで創り上げる喜びは、
他の何ものにも代え難いと信じてやるのです。
何度も書いていますが、この日私は楽器を吹きます。
いや私は否定していますが、
どうやら、これはソロ曲のようで、
正確な編成は、3人のトロンボーンが伴奏で、
私と合わせて、都合4人のアンサンブルなので、
トロンボーン・カルテットなのだ、と言い張るも、
いやそうではなく、矢張り私は「ソロ」だと言われる。
自分では、そう思うのがもっとも嫌なので、
「皆と一緒ならば怖くない!」と、仲間意識でいるのだが、
学生は私を突き放すように、ソロ奏者扱いをするのだ!
これは、きっと普段私が鬼の様に厳しいから、
仕返しをしたいに気持ちがそうさせるに決まっている。
久し振りに楽器を演奏する喜びよりも、
苦しみを味わうことを強いているに違いない!
神よ・・・
あぁ、どうしよう、楽譜やお辞儀を忘れたり、
緊張のあまり、靴下をネクタイにしていたり、
靴を左右逆に履いたり、楽屋のスリッパのままだったり、
おまけに吹くのを忘れて裏声で歌ってしまった上、
慌てて、司会進行してしまったりしたら、、、。
普段オーケストラの後ろにいる人が前に出てくるのは、
たいした事ではないのです。
いつもの様に演奏すればよいのですから・・・
私は、仕事では普段はお客さんに背を向けているのです。
お客さんなんか見ていないのです。
だから、怖くも無く平然と指揮をしていられるのです。
どうして、前を向いて演奏などしていられよう・・・
クワバラクワバラ。
写真は、平然と前を向く4人の勇者です、恐るべし。
土曜日6時から本番、、、だそうです。
私は意地悪ですから、レッスンに訪れれば、
わざとプレッシャー掛けながら、
怖い顔などしたりして正面から見ているのです。
楽器を演奏して人前で発表するなんて、
とても恐ろしいものじゃないですか。
特にこの楽器は、普段のオーケストラ編成では、
高い見晴らしの良い所にいることをいい事に、
前の方の弦楽器を指差しながら、
「おいおいおい、弾けてね~な!」とか、
「大変だね~、そんなに音符あんのかよ!」
なんて小声で呟いたり、言い合ったりして、
休みの小節を、212、213、214と指折り数えています。
休みを数える事が最大の仕事なのに、
この演奏会は、トロンボーンだけのアンサンブル、
指を折る休みなんて皆無です。
オケでは一番後ろの人達なのに、
こんな人達が前に出てくるのは面白いもので、
いろいろな事態が起こります・・・
演奏前から、オドオドしたり、はしゃいだり、
緊張して顔が引きつっていたり、照れ隠しで笑ったり、
譜面を忘れて取りに帰るのもいましたし、
次の曲の譜面持って来ちゃってウル覚えで演奏したり、
震えて楽器落としそうな奴もいたりします。
最後までお客さんの顔を見られなかったり、
お辞儀を忘れてさっさと帰りそうになったり、、、
汗で滑ってスライドがカランカランと転がったり、、
と、想像すると悪いことしか起こらない気もする・・。
それでも、成果を見せる事が大事ですし、
音楽をみんなで創り上げる喜びは、
他の何ものにも代え難いと信じてやるのです。
何度も書いていますが、この日私は楽器を吹きます。
いや私は否定していますが、
どうやら、これはソロ曲のようで、
正確な編成は、3人のトロンボーンが伴奏で、
私と合わせて、都合4人のアンサンブルなので、
トロンボーン・カルテットなのだ、と言い張るも、
いやそうではなく、矢張り私は「ソロ」だと言われる。
自分では、そう思うのがもっとも嫌なので、
「皆と一緒ならば怖くない!」と、仲間意識でいるのだが、
学生は私を突き放すように、ソロ奏者扱いをするのだ!
これは、きっと普段私が鬼の様に厳しいから、
仕返しをしたいに気持ちがそうさせるに決まっている。
久し振りに楽器を演奏する喜びよりも、
苦しみを味わうことを強いているに違いない!
神よ・・・
あぁ、どうしよう、楽譜やお辞儀を忘れたり、
緊張のあまり、靴下をネクタイにしていたり、
靴を左右逆に履いたり、楽屋のスリッパのままだったり、
おまけに吹くのを忘れて裏声で歌ってしまった上、
慌てて、司会進行してしまったりしたら、、、。
普段オーケストラの後ろにいる人が前に出てくるのは、
たいした事ではないのです。
いつもの様に演奏すればよいのですから・・・
私は、仕事では普段はお客さんに背を向けているのです。
お客さんなんか見ていないのです。
だから、怖くも無く平然と指揮をしていられるのです。
どうして、前を向いて演奏などしていられよう・・・
クワバラクワバラ。
写真は、平然と前を向く4人の勇者です、恐るべし。
小宇宙 ― 2007/10/03 23:19
<幸せのパゴダ>立ち稽古が始まりました。
大きな組織や稽古場を持つような裕福さもなく、
毎日、流浪の民の如くあちこち稽古場を移動します。
あるときは上野だったり、ある日は池袋、
また突然、おばぁちゃんの原宿の稽古場の日があったり、
駅から20分も歩く場所もあったりするのです。
そりゃ、稽古場環境や、恵まれた状態などがあれば、
それに越した事はありませんが、どの団体も苦労して、
稽古をしているのが現実です。
オーケストラの稽古は3~4日で終ります。
しかし、オペラはそうはいかないのです。
稽古を積み重ねて、また積んで、一回壊して、
また積み上げて、その上からまた積んで・・・
繰り返して、繰り返して、磨くのです。
全ての歌手は、違う人となり、
その人が存在する新しい地球を作るのですから、
そりゃ時間かかります。
1ヶ月、2ヶ月、、足りませんね。
稽古の最初は、荒立ちといって、
登場の仕方や、立つ場所、位置を与えてもらいます。
そこから、どう動いて、最後は何処にハケ(退場)るか、
演出家のプランに沿って、みな自分の位置を貰います。
自分の位置とは、信頼関係、上下関係、男女の関係、
過去の関係、未来の関係、、、と、大事な場所です。
歌手は、与えられた位置から自分の居場所を探します。
自分の役は、どこが安心できる場所なのかを探るのです。
ホームポジションとでも言うのでしょうかね。
日常では、誰もが自分と他人との距離をはかり、
前に出る必要がある時には、安心を確保しながら、
何処を通るのか、誰を味方につけるのか考えるものです。
電車の中で、自分の位置の気持ち悪い時ありますね。
友達関係でも、居場所と人間関係は、
実にバランスよく配置されるものですよね。
そこから動くことでドラマが生まれます。
平然とバランスよく均衡を守っていたなら、
何の問題もなくいられるのでしょが、
ひとつバランスが変わると、
全ての関係が変わらざるを得ないので、
みなまた安心を求めて動き出すものなのです。
演出の岩田さんは、的確に役の根っこを押さえながら、
歌手に指示をしていきます。
その通りだ、その通り、と思いながら、
私は譜面に反映させて、音符と音符の隙間に、
沢山詰っている心理を探しだすのです。
オペラの稽古の楽しさは、このドラマと音楽の接点、
心理を歌で描写するところに演劇にはない一苦労があり、
これを乗り越えれば、日常にはない、
新しい地球の人間関係が楽しめるのです。
大きな組織や稽古場を持つような裕福さもなく、
毎日、流浪の民の如くあちこち稽古場を移動します。
あるときは上野だったり、ある日は池袋、
また突然、おばぁちゃんの原宿の稽古場の日があったり、
駅から20分も歩く場所もあったりするのです。
そりゃ、稽古場環境や、恵まれた状態などがあれば、
それに越した事はありませんが、どの団体も苦労して、
稽古をしているのが現実です。
オーケストラの稽古は3~4日で終ります。
しかし、オペラはそうはいかないのです。
稽古を積み重ねて、また積んで、一回壊して、
また積み上げて、その上からまた積んで・・・
繰り返して、繰り返して、磨くのです。
全ての歌手は、違う人となり、
その人が存在する新しい地球を作るのですから、
そりゃ時間かかります。
1ヶ月、2ヶ月、、足りませんね。
稽古の最初は、荒立ちといって、
登場の仕方や、立つ場所、位置を与えてもらいます。
そこから、どう動いて、最後は何処にハケ(退場)るか、
演出家のプランに沿って、みな自分の位置を貰います。
自分の位置とは、信頼関係、上下関係、男女の関係、
過去の関係、未来の関係、、、と、大事な場所です。
歌手は、与えられた位置から自分の居場所を探します。
自分の役は、どこが安心できる場所なのかを探るのです。
ホームポジションとでも言うのでしょうかね。
日常では、誰もが自分と他人との距離をはかり、
前に出る必要がある時には、安心を確保しながら、
何処を通るのか、誰を味方につけるのか考えるものです。
電車の中で、自分の位置の気持ち悪い時ありますね。
友達関係でも、居場所と人間関係は、
実にバランスよく配置されるものですよね。
そこから動くことでドラマが生まれます。
平然とバランスよく均衡を守っていたなら、
何の問題もなくいられるのでしょが、
ひとつバランスが変わると、
全ての関係が変わらざるを得ないので、
みなまた安心を求めて動き出すものなのです。
演出の岩田さんは、的確に役の根っこを押さえながら、
歌手に指示をしていきます。
その通りだ、その通り、と思いながら、
私は譜面に反映させて、音符と音符の隙間に、
沢山詰っている心理を探しだすのです。
オペラの稽古の楽しさは、このドラマと音楽の接点、
心理を歌で描写するところに演劇にはない一苦労があり、
これを乗り越えれば、日常にはない、
新しい地球の人間関係が楽しめるのです。
イヴ ― 2007/10/05 23:48
毎日いろいろな仕事がありますが、
どれも全力投球するわけで、
手を抜くことなんてひとつも無いわけです。
様々なジャンルに関わらせて頂いているので、
尽きぬ興味と探究心は、満足することなく、
「日々精進」と、身を奮い立たせて進めるのです。
音楽の世界は、最後は習えるものではないですし、
必要とされる表現力は、自分の想像の具象化で、
経験値だけで出切る事ではないのですね。
これは、見聞きして無い事でも、夢の中の出来事や、
希望、願望、切望、、、と、欲求のフルコースです。
オーケストラでは、指揮者は町会長であったり、
おまわりさんのような交通整理係でありながら、
流れ出る音の洪水の真ん中に身を投じれば、
静かで暗い深海をゆっくりと泳いでいる感覚や、
浅瀬の舟遊びの様に無邪気な心境にもなれます。
またオペラの稽古になれば、
人間の心理を掘り下げていきながらも、
冷静に客観的に演じ、淡々と積み上げる楽しさ。
洋楽の演奏と邦楽関係の仕事でも気持ちは違いますね。
普段は、それこそ西洋的な食事を箸で突いていても、
茶を点ててくれるとなれば、正座ですし、
懐石ともなれば、舌の感覚は純粋日本人そのもの。
和洋が入り乱れた日本の音楽文化こそ、
もっとも日本らしい音楽界と思うものです。
さて、明日本番の演奏会は、私の故郷のような世界。
ここでは指導しながらも、
指揮者と言う演奏管理人の立場ではないのですが、
今回は楽器を真面目に演奏するので、
またひとつ違う気持ちで臨む舞台です。
皆、今日までよく練習しましたので、
檄を飛ばしながらも、口元は緩みます。
明日の成功を祈るばかりですが、
ここまでやれば、教会に住まわれる音楽の神様も、
大いに協力してくれると信じております。
どれも全力投球するわけで、
手を抜くことなんてひとつも無いわけです。
様々なジャンルに関わらせて頂いているので、
尽きぬ興味と探究心は、満足することなく、
「日々精進」と、身を奮い立たせて進めるのです。
音楽の世界は、最後は習えるものではないですし、
必要とされる表現力は、自分の想像の具象化で、
経験値だけで出切る事ではないのですね。
これは、見聞きして無い事でも、夢の中の出来事や、
希望、願望、切望、、、と、欲求のフルコースです。
オーケストラでは、指揮者は町会長であったり、
おまわりさんのような交通整理係でありながら、
流れ出る音の洪水の真ん中に身を投じれば、
静かで暗い深海をゆっくりと泳いでいる感覚や、
浅瀬の舟遊びの様に無邪気な心境にもなれます。
またオペラの稽古になれば、
人間の心理を掘り下げていきながらも、
冷静に客観的に演じ、淡々と積み上げる楽しさ。
洋楽の演奏と邦楽関係の仕事でも気持ちは違いますね。
普段は、それこそ西洋的な食事を箸で突いていても、
茶を点ててくれるとなれば、正座ですし、
懐石ともなれば、舌の感覚は純粋日本人そのもの。
和洋が入り乱れた日本の音楽文化こそ、
もっとも日本らしい音楽界と思うものです。
さて、明日本番の演奏会は、私の故郷のような世界。
ここでは指導しながらも、
指揮者と言う演奏管理人の立場ではないのですが、
今回は楽器を真面目に演奏するので、
またひとつ違う気持ちで臨む舞台です。
皆、今日までよく練習しましたので、
檄を飛ばしながらも、口元は緩みます。
明日の成功を祈るばかりですが、
ここまでやれば、教会に住まわれる音楽の神様も、
大いに協力してくれると信じております。
To be ― 2007/10/06 23:59
第13回にもなる、演奏会が終り、
私も久し振りに大真面目に楽器を吹いて参りました。
現役にOBも混じって総勢24名は圧巻でした。
この同仁キリスト教会に初めて行ったのは、
もう25年も前でしょうが、
教会と言うところは、時間の流れが違うのか、
訪れる人が老いを否定するのか、
過年していることを感じさせない空間です。
“満を持す”という意気込みがありますが、
今回の学生は、実に用意周到に計画していました。
13曲のプログラムにはそれぞれ意味があり、
1年生中心のグループには、登竜門といわれる曲、
全員で演奏できるものは、聴き応えのある曲、
OBにも演奏を少し助けてもらいながら、
音楽と知の交流をする事も、大事な事です。
また教会で演奏する意味を考えながらの選曲は、
全ての曲に対しての共通理念なのです。
演奏が決まった難曲には春先から取り組み、
何度も壊しては組み立てるという繰り返しを試み、
ステップアップしながら完成させていきました。
1年生は、未経験なので何だか解らずとも、
責任義務を果たす事を目標にしていたかも知れません。
400年も前から神に捧げる音楽の伴奏楽器として、
教会で発展したトロンボーンですので、
この場所で真摯に音楽と楽器に向かい合う事は、
何ものにも代え難い、真理なのです。
開場直前まで続くリハーサルでの私の役目は、
口うるさい小姑の様な存在で、毎年判で押したように、
繰り返し同じような事を言うものです。
入るときの歩きから舞台の立つ位置、
お辞儀のタイミングや、背中を折る角度、
楽器の構える向きや、スライドの角度、譜面台の高さ。
勿論、演奏中の姿勢、ミスしたときの対処(誤魔化し)、
演奏中の顔から、お客さんへの計らい。
全てこれらは、来て下さる方々への、
感謝を込めた礼儀なのですが、
出来るようで、出来ないものなのですよ。
演奏が充実していると、こういった態度もスムーズで、
私はあまり口出しする必要が無かったくらいです。
全て終った後、お客様は、
アンコールの手拍子と歓声まで贈ってくれました。
これは、13回の演奏会でも初めての事です。
ありがたいことです。
127名のお客さま全員に感謝しながら、
学生は全ての演奏を終えたと思いますし、
いつもの様に見守ってくれる、天井高くに住む主にも、
終演を報告し、また来年帰ってくる事を約束したでしょう。
今回はなにもいう事無しBravo!OBさんもありがとう!
現役諸子、写真のみんなも笑顔笑顔だな!!
自分の反省もありながらでしたが、
また1年頑張ろうと、教会を後にしたのでした。
私も久し振りに大真面目に楽器を吹いて参りました。
現役にOBも混じって総勢24名は圧巻でした。
この同仁キリスト教会に初めて行ったのは、
もう25年も前でしょうが、
教会と言うところは、時間の流れが違うのか、
訪れる人が老いを否定するのか、
過年していることを感じさせない空間です。
“満を持す”という意気込みがありますが、
今回の学生は、実に用意周到に計画していました。
13曲のプログラムにはそれぞれ意味があり、
1年生中心のグループには、登竜門といわれる曲、
全員で演奏できるものは、聴き応えのある曲、
OBにも演奏を少し助けてもらいながら、
音楽と知の交流をする事も、大事な事です。
また教会で演奏する意味を考えながらの選曲は、
全ての曲に対しての共通理念なのです。
演奏が決まった難曲には春先から取り組み、
何度も壊しては組み立てるという繰り返しを試み、
ステップアップしながら完成させていきました。
1年生は、未経験なので何だか解らずとも、
責任義務を果たす事を目標にしていたかも知れません。
400年も前から神に捧げる音楽の伴奏楽器として、
教会で発展したトロンボーンですので、
この場所で真摯に音楽と楽器に向かい合う事は、
何ものにも代え難い、真理なのです。
開場直前まで続くリハーサルでの私の役目は、
口うるさい小姑の様な存在で、毎年判で押したように、
繰り返し同じような事を言うものです。
入るときの歩きから舞台の立つ位置、
お辞儀のタイミングや、背中を折る角度、
楽器の構える向きや、スライドの角度、譜面台の高さ。
勿論、演奏中の姿勢、ミスしたときの対処(誤魔化し)、
演奏中の顔から、お客さんへの計らい。
全てこれらは、来て下さる方々への、
感謝を込めた礼儀なのですが、
出来るようで、出来ないものなのですよ。
演奏が充実していると、こういった態度もスムーズで、
私はあまり口出しする必要が無かったくらいです。
全て終った後、お客様は、
アンコールの手拍子と歓声まで贈ってくれました。
これは、13回の演奏会でも初めての事です。
ありがたいことです。
127名のお客さま全員に感謝しながら、
学生は全ての演奏を終えたと思いますし、
いつもの様に見守ってくれる、天井高くに住む主にも、
終演を報告し、また来年帰ってくる事を約束したでしょう。
今回はなにもいう事無しBravo!OBさんもありがとう!
現役諸子、写真のみんなも笑顔笑顔だな!!
自分の反省もありながらでしたが、
また1年頑張ろうと、教会を後にしたのでした。
明けの楽市 ― 2007/10/07 23:23
我町の「音楽の街」事業の第1歩がありました。
朝からの仕込みの方々に感謝しつつ、
私は少し送れて到着し、皆に御挨拶。
委員長なんて役ですので、協力者、尽力者には、
腰を深く折り、お礼と感謝の雨あられなのです。
月に一度、商工会が中心に開いている「楽市」に便乗し、
楽市でのミニライブの形で、公演事業を展開です。
昨年は何の予算も無い中、何とか事業を、と、
無理矢理に演奏家の委員に演奏していただき、
何とか体裁を整えたフォーラムが唯一でした。
今年は若干の予算(若干!)を如何に有意義に使うかと、
みなで頭をひねって、4つの公演事業を考えました。
そのひとつがこの楽市でのライブで、来月もやります。
このあとにも、駅前噴水広場での「駅前ライブ」と、
何だかゲリラ活動のようですが、いえいえ、
真面目に真剣に、「音楽の街」の浸透を考えています。
出演いただいたKUMA BANDの方々、
素晴らしい歌声とギターに感心しました、
英香&BENJAMINのお二人にも心よりお礼です。
来月は4日が楽市です。
更にたくさんの方に聴いていただき、
活動をしていただきたいものですね。
携わった委員の方、市民協働課のお二人、
私は先に抜けて御免なさい!御疲れ様でした。
一足先に抜け、駅までチラシを配りながら歩いて、
午後のリハーサルに向かいます。
午後は、オケのリハーサルでしたが、
どうも事あるごとに、楽市が気になっていました。
とはいえ、片付けまで滞りなく行っている筈ですし、
こちらのオケリハーサルの方が、滞っていますので、
今度は、なんとか良い演奏会にしようと全力です。
さらに新宿に移動して、夜も働く働く!!
11月「こうもり」のリハーサル。
立ち稽古の最初は、指揮者の仕事は少なく、
きっかけをチェックしたり、歌手に歌詞を教えながら、
稽古を見守る立場になるものです。
そう汗もかかずに、なるほど、なるほどと思ってました。
昨晩の打ち上げで、明け方近くまで飲んでいて、
次の日に朝は早くからハードなスケジュール。
は、身体に悪そう、
みなに、身体の心配されますが、私は大丈夫なのです。
指揮していると代謝が良くなるので、冴えてきますし、
さらに、精神的は疲労は忘却させることにしています。
寝るときは意外にたくさん寝ていますので、
精神衛生状態がよければ健康なものですね。
「音楽の街」の“のぼり”を新調しました。
まだ、布に折り目がついているくらいで、
優しい風にハタメク姿を見ていると、つい笑顔。
これでも十分雰囲気は出るというものです。
今日はよい天気で、野外イベントひとつクリアです!
朝からの仕込みの方々に感謝しつつ、
私は少し送れて到着し、皆に御挨拶。
委員長なんて役ですので、協力者、尽力者には、
腰を深く折り、お礼と感謝の雨あられなのです。
月に一度、商工会が中心に開いている「楽市」に便乗し、
楽市でのミニライブの形で、公演事業を展開です。
昨年は何の予算も無い中、何とか事業を、と、
無理矢理に演奏家の委員に演奏していただき、
何とか体裁を整えたフォーラムが唯一でした。
今年は若干の予算(若干!)を如何に有意義に使うかと、
みなで頭をひねって、4つの公演事業を考えました。
そのひとつがこの楽市でのライブで、来月もやります。
このあとにも、駅前噴水広場での「駅前ライブ」と、
何だかゲリラ活動のようですが、いえいえ、
真面目に真剣に、「音楽の街」の浸透を考えています。
出演いただいたKUMA BANDの方々、
素晴らしい歌声とギターに感心しました、
英香&BENJAMINのお二人にも心よりお礼です。
来月は4日が楽市です。
更にたくさんの方に聴いていただき、
活動をしていただきたいものですね。
携わった委員の方、市民協働課のお二人、
私は先に抜けて御免なさい!御疲れ様でした。
一足先に抜け、駅までチラシを配りながら歩いて、
午後のリハーサルに向かいます。
午後は、オケのリハーサルでしたが、
どうも事あるごとに、楽市が気になっていました。
とはいえ、片付けまで滞りなく行っている筈ですし、
こちらのオケリハーサルの方が、滞っていますので、
今度は、なんとか良い演奏会にしようと全力です。
さらに新宿に移動して、夜も働く働く!!
11月「こうもり」のリハーサル。
立ち稽古の最初は、指揮者の仕事は少なく、
きっかけをチェックしたり、歌手に歌詞を教えながら、
稽古を見守る立場になるものです。
そう汗もかかずに、なるほど、なるほどと思ってました。
昨晩の打ち上げで、明け方近くまで飲んでいて、
次の日に朝は早くからハードなスケジュール。
は、身体に悪そう、
みなに、身体の心配されますが、私は大丈夫なのです。
指揮していると代謝が良くなるので、冴えてきますし、
さらに、精神的は疲労は忘却させることにしています。
寝るときは意外にたくさん寝ていますので、
精神衛生状態がよければ健康なものですね。
「音楽の街」の“のぼり”を新調しました。
まだ、布に折り目がついているくらいで、
優しい風にハタメク姿を見ていると、つい笑顔。
これでも十分雰囲気は出るというものです。
今日はよい天気で、野外イベントひとつクリアです!
会えばわかる ― 2007/10/08 23:59
兎角用事はメールで済ませてしまいますね。
ちょっと前までは電話で用心深く話していたのに、
こんな便利なツールがあって良いものかと思います。
使い過ぎる事を畏れながらも、
活字に思いを込めて、「伝われ伝われ!」と、
やはりメールは大変便利なものです。
電話もあり、メールもあるとなると、
人と人が面会する機会が減りますね。
しかし、会わないでいると問題も生じます。
話の行き違い、伝言ゲームのような一人歩きで、
真意が伝わらないばかりか、
逆の方向に進んで大慌て、なんて事になるものです。
本日もそんなこんなで、こじれた糸を解すため、
とある音楽関係者の許を訪ねました。
ゆっくり恣意をもって話せば、労せず伝わるものです。
なんとなく人伝と、時間が経過した為、
情報が成長し、独り歩きしてしまい、
思わぬ誤解に発展するところでした。
私の個人的な音楽の仕事の上ではなく、
私が関わり、責任を預かっているプロジェクトです。
余計に本職ではない部分もあり、
人とのかかわりは繊細な部分を残しています。
迅速に、且つ丁寧に行こうとあらためて思いました。
トラブルは回避、全て良い方向に進むでしょう。
矢張り人と人は顔を見て話し考えあったり笑いあったり、
こんな時間が、実はメールを100通打つより、
早く、しかもこれから先の人間関係に大いに大切。
ちょっと前までは電話で用心深く話していたのに、
こんな便利なツールがあって良いものかと思います。
使い過ぎる事を畏れながらも、
活字に思いを込めて、「伝われ伝われ!」と、
やはりメールは大変便利なものです。
電話もあり、メールもあるとなると、
人と人が面会する機会が減りますね。
しかし、会わないでいると問題も生じます。
話の行き違い、伝言ゲームのような一人歩きで、
真意が伝わらないばかりか、
逆の方向に進んで大慌て、なんて事になるものです。
本日もそんなこんなで、こじれた糸を解すため、
とある音楽関係者の許を訪ねました。
ゆっくり恣意をもって話せば、労せず伝わるものです。
なんとなく人伝と、時間が経過した為、
情報が成長し、独り歩きしてしまい、
思わぬ誤解に発展するところでした。
私の個人的な音楽の仕事の上ではなく、
私が関わり、責任を預かっているプロジェクトです。
余計に本職ではない部分もあり、
人とのかかわりは繊細な部分を残しています。
迅速に、且つ丁寧に行こうとあらためて思いました。
トラブルは回避、全て良い方向に進むでしょう。
矢張り人と人は顔を見て話し考えあったり笑いあったり、
こんな時間が、実はメールを100通打つより、
早く、しかもこれから先の人間関係に大いに大切。
ウフ ― 2007/10/11 23:24
私は自転車フリークですが、
小学生の頃より、競技用自転車などを分解したり、
組み立てたり、部品変えたりして散々楽しみました。
自転車は、立て続けに何台も買うものではないので、
部品の交換によるグレードアップや、軽量化で、
楽しむのが正しいフリークです。
昔の自転車フレームは、
大抵クロモリ(クローム・モリブデン)でしたから、
今の様にカーボン何て素材も無く、重かったのです。
ですから、少しでも軽くするために、
アルミ部品への変更が必須でしたし、部品は高かった。
軽くするためには、「肉抜き」といって、
更に自分で部品に穴を開けて軽くするのですが、
肉抜き紋様が美しい部品は、それこそ高値取引対象、
昔のロードレーサーは、見た目が美しかったのです。
今では、自転車の種類も増え、競技に合わせて、
競輪を中心とする最速を競う為のピストレーサー、
公道でのレースを目的としたロードレーサー、
野山の障害を乗り越えられる、マウンテンバイク
なんてものは、非常に普及していますね。
このオフロード系の競技に深入りすると、
高低差50cmなんて崖を含んだ林の中の坂を
モノすごい速さで駆け下りる為のダウンヒルバイク、
他にも、くるくる回したり逆立ちしたりの、
ヒップホップ系のBMXなんてのもあり、
見かけなくなりましたが、昔ながらの旅行用自転車、
ランドナーという、バッグを吊るして走るタイプも、
旅行好きな自転車乗りは大切にしたものです。
明日、自転車来ます・・・
大した事でも、大して高級なものではないのですが、
しかしとても嬉しい!
小学生の頃より、競技用自転車などを分解したり、
組み立てたり、部品変えたりして散々楽しみました。
自転車は、立て続けに何台も買うものではないので、
部品の交換によるグレードアップや、軽量化で、
楽しむのが正しいフリークです。
昔の自転車フレームは、
大抵クロモリ(クローム・モリブデン)でしたから、
今の様にカーボン何て素材も無く、重かったのです。
ですから、少しでも軽くするために、
アルミ部品への変更が必須でしたし、部品は高かった。
軽くするためには、「肉抜き」といって、
更に自分で部品に穴を開けて軽くするのですが、
肉抜き紋様が美しい部品は、それこそ高値取引対象、
昔のロードレーサーは、見た目が美しかったのです。
今では、自転車の種類も増え、競技に合わせて、
競輪を中心とする最速を競う為のピストレーサー、
公道でのレースを目的としたロードレーサー、
野山の障害を乗り越えられる、マウンテンバイク
なんてものは、非常に普及していますね。
このオフロード系の競技に深入りすると、
高低差50cmなんて崖を含んだ林の中の坂を
モノすごい速さで駆け下りる為のダウンヒルバイク、
他にも、くるくる回したり逆立ちしたりの、
ヒップホップ系のBMXなんてのもあり、
見かけなくなりましたが、昔ながらの旅行用自転車、
ランドナーという、バッグを吊るして走るタイプも、
旅行好きな自転車乗りは大切にしたものです。
明日、自転車来ます・・・
大した事でも、大して高級なものではないのですが、
しかしとても嬉しい!
プーリー ― 2007/10/12 14:41
ピンポーンっと、来た!
自転車って奴は、乗って帰らなきゃならないので、
昔は家の近所で買うものだった。
だからどの街でも自転車屋さん、多いのだ。
モノの流通論理からはほど遠い商店至上主義だが、
空気入れてあげてたり、パンク直していたり、
そんな光景見ると、フリークとしては嬉しいものなのだ。
宅急便で来たのだった。
だいたい注文もインターネットですから、
商店至上主義もなにもあったものではない、
流通と経済の構造破壊甚だしいお買い物です。
フレームサイズや部品のディテール、車両重量で、
どの大きさの誰に相応しいかも解り、
見かけだけでなく、内容伴った値段かもすぐ解ります。
散々吟味したこの2週間。数千台のチャリンコの写真を、
ネットで見つめましたわ。
そもそも何故買う事にしたかと言う事を、
非難を省みず話せば、もう2週間も前の事なのです。
近所の某駅に、早朝からほんの半日停めたのです。
用事済んで帰ってきたら、無いのです・・・
散々駅の周りを周った挙句、
「撤去いたしました!」と書いてある看板を発見。
私は、普段駅まで歩いて通っているので、
駅に自転車を置きっぱなしにする、所謂、
「放置自転車」なんて事をするはずもなく、
その前の用事から、仕方なく駅前に置いたのです。
どうしてその引き換えとして、
3000円を出さなくては、ならないのでしょうか?
移動してくれと頼んだ覚えはないのである。
これでは手数料ではなく、罰則金ではないか。
と、冷静に考えた挙句、出した答えは「さようなら」。
もう12年も雨ざらしのまま乗り続けた自転車は、
推定走行距離、10万キロ・・いや、3万くらいか。
まてまて、自転車だから、1万くらいかな。
タイヤももう変え時、サビは酷く、カゴも曲がり、
おまけに200m先まで聞こえるブレーキ音に、
深夜では足をズルズル擦って減速することを迫られる。
代え時なら、引き取り費用は3000円かかるだろうか。
「そうか、代え時なんだ、代え時だ~!」と、
結局、小走りに“代え時歌”を歌いながら、帰宅。
よく考えれば、そんな事はいけない事ですし、
もっと考えると、電池が少なくなってきたとは言え、
まだまだ使えるライトは、自転車についたままだから、
帳が降りた頃にそっと忍び込み取り戻したい気分。
しかし、「代え時」を思えば、12年前に、
1万円+笑顔で買った自転車に、どうして、
今更、6000円を投資できよう!
と、もっともな説を自分に納得させ、
自転車と大きな背徳心にも、「さようなら」です。
きっと月末には、東京を出発して、
豪華客船「万景峰号」で、初めての海外旅行に出る。
北の方が後生大事に乗ってくれりゃ、
あたしゃ、それで思い残す事はねぇんだよ・・・。
すてきな赤い部品です。
これ、リアディレーラーの「プーリー」と言います。
可愛いでしょ、どうぞよろしく。
自転車って奴は、乗って帰らなきゃならないので、
昔は家の近所で買うものだった。
だからどの街でも自転車屋さん、多いのだ。
モノの流通論理からはほど遠い商店至上主義だが、
空気入れてあげてたり、パンク直していたり、
そんな光景見ると、フリークとしては嬉しいものなのだ。
宅急便で来たのだった。
だいたい注文もインターネットですから、
商店至上主義もなにもあったものではない、
流通と経済の構造破壊甚だしいお買い物です。
フレームサイズや部品のディテール、車両重量で、
どの大きさの誰に相応しいかも解り、
見かけだけでなく、内容伴った値段かもすぐ解ります。
散々吟味したこの2週間。数千台のチャリンコの写真を、
ネットで見つめましたわ。
そもそも何故買う事にしたかと言う事を、
非難を省みず話せば、もう2週間も前の事なのです。
近所の某駅に、早朝からほんの半日停めたのです。
用事済んで帰ってきたら、無いのです・・・
散々駅の周りを周った挙句、
「撤去いたしました!」と書いてある看板を発見。
私は、普段駅まで歩いて通っているので、
駅に自転車を置きっぱなしにする、所謂、
「放置自転車」なんて事をするはずもなく、
その前の用事から、仕方なく駅前に置いたのです。
どうしてその引き換えとして、
3000円を出さなくては、ならないのでしょうか?
移動してくれと頼んだ覚えはないのである。
これでは手数料ではなく、罰則金ではないか。
と、冷静に考えた挙句、出した答えは「さようなら」。
もう12年も雨ざらしのまま乗り続けた自転車は、
推定走行距離、10万キロ・・いや、3万くらいか。
まてまて、自転車だから、1万くらいかな。
タイヤももう変え時、サビは酷く、カゴも曲がり、
おまけに200m先まで聞こえるブレーキ音に、
深夜では足をズルズル擦って減速することを迫られる。
代え時なら、引き取り費用は3000円かかるだろうか。
「そうか、代え時なんだ、代え時だ~!」と、
結局、小走りに“代え時歌”を歌いながら、帰宅。
よく考えれば、そんな事はいけない事ですし、
もっと考えると、電池が少なくなってきたとは言え、
まだまだ使えるライトは、自転車についたままだから、
帳が降りた頃にそっと忍び込み取り戻したい気分。
しかし、「代え時」を思えば、12年前に、
1万円+笑顔で買った自転車に、どうして、
今更、6000円を投資できよう!
と、もっともな説を自分に納得させ、
自転車と大きな背徳心にも、「さようなら」です。
きっと月末には、東京を出発して、
豪華客船「万景峰号」で、初めての海外旅行に出る。
北の方が後生大事に乗ってくれりゃ、
あたしゃ、それで思い残す事はねぇんだよ・・・。
すてきな赤い部品です。
これ、リアディレーラーの「プーリー」と言います。
可愛いでしょ、どうぞよろしく。
パパは正しい ― 2007/10/13 11:33
ほぼ毎日<幸せのパゴダ>の稽古。
徳島国民文化祭での初演まで、あと20日あまり。
なにせ初演ですから、手本も無ければ、見本も無い。
音と言葉を元に、人が動く。口を開くと、
紙芝居のような平面が立体的なドラマに変貌し、
四角い世界から宇宙的規模の永遠の地上になる。
ドラマを演じるのは、面白いもので、
音楽や言葉を使って時間を費やす事は、
確かに前に進み、未来に向かっているのに、
見ている人が理解していくのは、その過去の事です。
「その」とは、人であり現象でもありますが、
1秒佇めば、その人の成りが想像でき、
一言喋れば、想像は確信を得ながら興味に変わる。
喋って動けば動くほど、その人への興味は、
ドンドン過去に遡っていくのです。
過去を知り、現実に見ている時間が埋まると、
性格に共感したり、嫌悪したりの思い入れです。
気候はどうでしょう?今は何時でしょう?
空気を嗅げば、東から白んできた朝の匂いであり、
空を見上げれば、晴れである事が解ります。
目を細めれば、真昼の強い太陽光線であり。
見上げた顔を背けりゃ、ポツリと振り出した雨。
視線を水平に保ちながら、たそがれてみるなら、
西からの美しい夕焼けが頬を染めているのかも。
帳が降りれば歩調は緩み、
深夜になれば警戒から背筋も伸びるのでしょう。
そんな事を考えながら演じ、歌うのがオペラですが、
歌手が好き勝手に演じるのではなく、
演出家が、その人柄を決定して深く掘り下げさせます。
自分ではなく役を演じるのですから、
冷静に判断してもらう事は大切なのです。
次第に全ての人は役になり、人間関係も生まれて、
現実ではない、現実のようなドラマが出来上がるのです。
泣いたり怒ったり、笑ったり哀しんだりしながら、
みな自分の愛すべき分身になろうと努力します。
変わらぬ人間の魂に興味を持つ人だけが、
もうひとりの自分を演じていけるのでしょう。
バカボンのパパがよく言っていました、
「ホントのウソの真実なのだ」ということです。
徳島国民文化祭での初演まで、あと20日あまり。
なにせ初演ですから、手本も無ければ、見本も無い。
音と言葉を元に、人が動く。口を開くと、
紙芝居のような平面が立体的なドラマに変貌し、
四角い世界から宇宙的規模の永遠の地上になる。
ドラマを演じるのは、面白いもので、
音楽や言葉を使って時間を費やす事は、
確かに前に進み、未来に向かっているのに、
見ている人が理解していくのは、その過去の事です。
「その」とは、人であり現象でもありますが、
1秒佇めば、その人の成りが想像でき、
一言喋れば、想像は確信を得ながら興味に変わる。
喋って動けば動くほど、その人への興味は、
ドンドン過去に遡っていくのです。
過去を知り、現実に見ている時間が埋まると、
性格に共感したり、嫌悪したりの思い入れです。
気候はどうでしょう?今は何時でしょう?
空気を嗅げば、東から白んできた朝の匂いであり、
空を見上げれば、晴れである事が解ります。
目を細めれば、真昼の強い太陽光線であり。
見上げた顔を背けりゃ、ポツリと振り出した雨。
視線を水平に保ちながら、たそがれてみるなら、
西からの美しい夕焼けが頬を染めているのかも。
帳が降りれば歩調は緩み、
深夜になれば警戒から背筋も伸びるのでしょう。
そんな事を考えながら演じ、歌うのがオペラですが、
歌手が好き勝手に演じるのではなく、
演出家が、その人柄を決定して深く掘り下げさせます。
自分ではなく役を演じるのですから、
冷静に判断してもらう事は大切なのです。
次第に全ての人は役になり、人間関係も生まれて、
現実ではない、現実のようなドラマが出来上がるのです。
泣いたり怒ったり、笑ったり哀しんだりしながら、
みな自分の愛すべき分身になろうと努力します。
変わらぬ人間の魂に興味を持つ人だけが、
もうひとりの自分を演じていけるのでしょう。
バカボンのパパがよく言っていました、
「ホントのウソの真実なのだ」ということです。
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