ラーメンサラダ2007/10/01 23:17

「音楽の街-狛江」構想推進のために、
今年度も会議を重ねていますが、
この秋から冬に、公演事業を計画したので、
それらの準備でまさに大童とはこのことなり。
そもそも5回の会議で、全ての公演事業の会議、準備、
実行まで抜かりなく整えられるはずも無いのですが、
会議は夏の時点ですでに3回を消化しております。

5つの願いを拾った者が、願いを叶えるべく、
1つ、また1つと大切に使っていく昔話のような気分。

本日は、イレギュラーな集まりでして、
疲れている中、委員の皆さんには頭が下がります。
すでにこの会は、会議中は提案と決議で時間は精一杯、
あとは、報告などありますが、報告に至るまでは、
各人の宿題と、個人活動の連鎖行動で賄っております。
今年計画した公演事業は、最終案で4つ。
2つは、以前から商工会中心で活動している、
月1回市役所前広場で催す「楽市(らくいち)」に
便乗する形のミニライブ。
写真は来る10月7日の楽市ミニライブのチラシです。
これを、11月にもう1回行い、都合2回のミニライブ。
そして、11月下旬に駅前広場で企画をしているのは、
「駅前ライブ」の名で、少し大きな規模。
「音楽の街-狛江」活動を大いに宣伝し、
理解や、意識参加を市内外の方々にアピールします。

そして残りのひとつが大変です!
昨年は、コンサート付きの“フォーラム”の形式で、
公民館を借りて、近郊、遠方からもゲストを招き・・・
(聞こえは良いですが、手弁当で来て頂きました)、
文化芸術の経験や日頃の活動のお話を伺いながら、
狛江の文化事業の理想系を皆さんに発表しました。
しかし、12月の平日夜、駅から15分の公民館では、
熱い内容、良い演奏に対して、集客できませんでした。
そこで、今年は我々が文化事業の中心に考える、
駅から1分でシートに座れる、エコルマホールを予定、
昨年から考えれば、スケールも3倍という感じです。
スケール3倍でも、関わる委員会の規模は変わりません。
必要とされるのは、増大なマンパワーなのです。
委員にとっては、協力とか尽力のレベルを超えた、
身を粉にした大活躍が必要です。

この12月5日のエコルマホールの催しに関しては、
これからも何度も書くでしょうから詳細はまたです。
広報も予定通りには参りませんね・・。
自分の演奏活動は忙しいし、会議以外の宿題も山積み、
予算の組み立てにも頭を悩ましながら、私は既に粉。
市民協働という旗の下、、、年間5回の会議、、、
根本的な問題を考えながら進めないと、
この「組織無き魂の会」は、
実を結ぶ結果が得られないのではないかと危惧します。
ゆっくり考える時間が無いのが、私の最大の敵ですが。

後ろ向き2007/10/02 23:51

本番が近づくM大オケのトロンボーンの方々。
土曜日6時から本番、、、だそうです。

私は意地悪ですから、レッスンに訪れれば、
わざとプレッシャー掛けながら、
怖い顔などしたりして正面から見ているのです。

楽器を演奏して人前で発表するなんて、
とても恐ろしいものじゃないですか。
特にこの楽器は、普段のオーケストラ編成では、
高い見晴らしの良い所にいることをいい事に、
前の方の弦楽器を指差しながら、
「おいおいおい、弾けてね~な!」とか、
「大変だね~、そんなに音符あんのかよ!」
なんて小声で呟いたり、言い合ったりして、
休みの小節を、212、213、214と指折り数えています。
休みを数える事が最大の仕事なのに、
この演奏会は、トロンボーンだけのアンサンブル、
指を折る休みなんて皆無です。

オケでは一番後ろの人達なのに、
こんな人達が前に出てくるのは面白いもので、
いろいろな事態が起こります・・・
演奏前から、オドオドしたり、はしゃいだり、
緊張して顔が引きつっていたり、照れ隠しで笑ったり、
譜面を忘れて取りに帰るのもいましたし、
次の曲の譜面持って来ちゃってウル覚えで演奏したり、
震えて楽器落としそうな奴もいたりします。
最後までお客さんの顔を見られなかったり、
お辞儀を忘れてさっさと帰りそうになったり、、、
汗で滑ってスライドがカランカランと転がったり、、
と、想像すると悪いことしか起こらない気もする・・。
それでも、成果を見せる事が大事ですし、
音楽をみんなで創り上げる喜びは、
他の何ものにも代え難いと信じてやるのです。

何度も書いていますが、この日私は楽器を吹きます。
いや私は否定していますが、
どうやら、これはソロ曲のようで、
正確な編成は、3人のトロンボーンが伴奏で、
私と合わせて、都合4人のアンサンブルなので、
トロンボーン・カルテットなのだ、と言い張るも、
いやそうではなく、矢張り私は「ソロ」だと言われる。
自分では、そう思うのがもっとも嫌なので、
「皆と一緒ならば怖くない!」と、仲間意識でいるのだが、
学生は私を突き放すように、ソロ奏者扱いをするのだ!
これは、きっと普段私が鬼の様に厳しいから、
仕返しをしたいに気持ちがそうさせるに決まっている。
久し振りに楽器を演奏する喜びよりも、
苦しみを味わうことを強いているに違いない!
神よ・・・

あぁ、どうしよう、楽譜やお辞儀を忘れたり、
緊張のあまり、靴下をネクタイにしていたり、
靴を左右逆に履いたり、楽屋のスリッパのままだったり、
おまけに吹くのを忘れて裏声で歌ってしまった上、
慌てて、司会進行してしまったりしたら、、、。

普段オーケストラの後ろにいる人が前に出てくるのは、
たいした事ではないのです。
いつもの様に演奏すればよいのですから・・・
私は、仕事では普段はお客さんに背を向けているのです。
お客さんなんか見ていないのです。
だから、怖くも無く平然と指揮をしていられるのです。
どうして、前を向いて演奏などしていられよう・・・
クワバラクワバラ。

写真は、平然と前を向く4人の勇者です、恐るべし。

小宇宙2007/10/03 23:19

<幸せのパゴダ>立ち稽古が始まりました。
大きな組織や稽古場を持つような裕福さもなく、
毎日、流浪の民の如くあちこち稽古場を移動します。
あるときは上野だったり、ある日は池袋、
また突然、おばぁちゃんの原宿の稽古場の日があったり、
駅から20分も歩く場所もあったりするのです。
そりゃ、稽古場環境や、恵まれた状態などがあれば、
それに越した事はありませんが、どの団体も苦労して、
稽古をしているのが現実です。

オーケストラの稽古は3~4日で終ります。
しかし、オペラはそうはいかないのです。
稽古を積み重ねて、また積んで、一回壊して、
また積み上げて、その上からまた積んで・・・
繰り返して、繰り返して、磨くのです。
全ての歌手は、違う人となり、
その人が存在する新しい地球を作るのですから、
そりゃ時間かかります。
1ヶ月、2ヶ月、、足りませんね。

稽古の最初は、荒立ちといって、
登場の仕方や、立つ場所、位置を与えてもらいます。
そこから、どう動いて、最後は何処にハケ(退場)るか、
演出家のプランに沿って、みな自分の位置を貰います。
自分の位置とは、信頼関係、上下関係、男女の関係、
過去の関係、未来の関係、、、と、大事な場所です。
歌手は、与えられた位置から自分の居場所を探します。
自分の役は、どこが安心できる場所なのかを探るのです。
ホームポジションとでも言うのでしょうかね。
日常では、誰もが自分と他人との距離をはかり、
前に出る必要がある時には、安心を確保しながら、
何処を通るのか、誰を味方につけるのか考えるものです。
電車の中で、自分の位置の気持ち悪い時ありますね。
友達関係でも、居場所と人間関係は、
実にバランスよく配置されるものですよね。

そこから動くことでドラマが生まれます。
平然とバランスよく均衡を守っていたなら、
何の問題もなくいられるのでしょが、
ひとつバランスが変わると、
全ての関係が変わらざるを得ないので、
みなまた安心を求めて動き出すものなのです。

演出の岩田さんは、的確に役の根っこを押さえながら、
歌手に指示をしていきます。
その通りだ、その通り、と思いながら、
私は譜面に反映させて、音符と音符の隙間に、
沢山詰っている心理を探しだすのです。
オペラの稽古の楽しさは、このドラマと音楽の接点、
心理を歌で描写するところに演劇にはない一苦労があり、
これを乗り越えれば、日常にはない、
新しい地球の人間関係が楽しめるのです。

イヴ2007/10/05 23:48

毎日いろいろな仕事がありますが、
どれも全力投球するわけで、
手を抜くことなんてひとつも無いわけです。
様々なジャンルに関わらせて頂いているので、
尽きぬ興味と探究心は、満足することなく、
「日々精進」と、身を奮い立たせて進めるのです。
音楽の世界は、最後は習えるものではないですし、
必要とされる表現力は、自分の想像の具象化で、
経験値だけで出切る事ではないのですね。
これは、見聞きして無い事でも、夢の中の出来事や、
希望、願望、切望、、、と、欲求のフルコースです。

オーケストラでは、指揮者は町会長であったり、
おまわりさんのような交通整理係でありながら、
流れ出る音の洪水の真ん中に身を投じれば、
静かで暗い深海をゆっくりと泳いでいる感覚や、
浅瀬の舟遊びの様に無邪気な心境にもなれます。
またオペラの稽古になれば、
人間の心理を掘り下げていきながらも、
冷静に客観的に演じ、淡々と積み上げる楽しさ。
洋楽の演奏と邦楽関係の仕事でも気持ちは違いますね。
普段は、それこそ西洋的な食事を箸で突いていても、
茶を点ててくれるとなれば、正座ですし、
懐石ともなれば、舌の感覚は純粋日本人そのもの。
和洋が入り乱れた日本の音楽文化こそ、
もっとも日本らしい音楽界と思うものです。

さて、明日本番の演奏会は、私の故郷のような世界。
ここでは指導しながらも、
指揮者と言う演奏管理人の立場ではないのですが、
今回は楽器を真面目に演奏するので、
またひとつ違う気持ちで臨む舞台です。
皆、今日までよく練習しましたので、
檄を飛ばしながらも、口元は緩みます。
明日の成功を祈るばかりですが、
ここまでやれば、教会に住まわれる音楽の神様も、
大いに協力してくれると信じております。

To be2007/10/06 23:59

第13回にもなる、演奏会が終り、
私も久し振りに大真面目に楽器を吹いて参りました。
現役にOBも混じって総勢24名は圧巻でした。

この同仁キリスト教会に初めて行ったのは、
もう25年も前でしょうが、
教会と言うところは、時間の流れが違うのか、
訪れる人が老いを否定するのか、
過年していることを感じさせない空間です。
“満を持す”という意気込みがありますが、
今回の学生は、実に用意周到に計画していました。
13曲のプログラムにはそれぞれ意味があり、
1年生中心のグループには、登竜門といわれる曲、
全員で演奏できるものは、聴き応えのある曲、
OBにも演奏を少し助けてもらいながら、
音楽と知の交流をする事も、大事な事です。
また教会で演奏する意味を考えながらの選曲は、
全ての曲に対しての共通理念なのです。
演奏が決まった難曲には春先から取り組み、
何度も壊しては組み立てるという繰り返しを試み、
ステップアップしながら完成させていきました。
1年生は、未経験なので何だか解らずとも、
責任義務を果たす事を目標にしていたかも知れません。
400年も前から神に捧げる音楽の伴奏楽器として、
教会で発展したトロンボーンですので、
この場所で真摯に音楽と楽器に向かい合う事は、
何ものにも代え難い、真理なのです。

開場直前まで続くリハーサルでの私の役目は、
口うるさい小姑の様な存在で、毎年判で押したように、
繰り返し同じような事を言うものです。
入るときの歩きから舞台の立つ位置、
お辞儀のタイミングや、背中を折る角度、
楽器の構える向きや、スライドの角度、譜面台の高さ。
勿論、演奏中の姿勢、ミスしたときの対処(誤魔化し)、
演奏中の顔から、お客さんへの計らい。
全てこれらは、来て下さる方々への、
感謝を込めた礼儀なのですが、
出来るようで、出来ないものなのですよ。
演奏が充実していると、こういった態度もスムーズで、
私はあまり口出しする必要が無かったくらいです。
全て終った後、お客様は、
アンコールの手拍子と歓声まで贈ってくれました。
これは、13回の演奏会でも初めての事です。

ありがたいことです。

127名のお客さま全員に感謝しながら、
学生は全ての演奏を終えたと思いますし、
いつもの様に見守ってくれる、天井高くに住む主にも、
終演を報告し、また来年帰ってくる事を約束したでしょう。

今回はなにもいう事無しBravo!OBさんもありがとう!
現役諸子、写真のみんなも笑顔笑顔だな!!
自分の反省もありながらでしたが、
また1年頑張ろうと、教会を後にしたのでした。

明けの楽市2007/10/07 23:23

我町の「音楽の街」事業の第1歩がありました。
朝からの仕込みの方々に感謝しつつ、
私は少し送れて到着し、皆に御挨拶。
委員長なんて役ですので、協力者、尽力者には、
腰を深く折り、お礼と感謝の雨あられなのです。
月に一度、商工会が中心に開いている「楽市」に便乗し、
楽市でのミニライブの形で、公演事業を展開です。

昨年は何の予算も無い中、何とか事業を、と、
無理矢理に演奏家の委員に演奏していただき、
何とか体裁を整えたフォーラムが唯一でした。
今年は若干の予算(若干!)を如何に有意義に使うかと、
みなで頭をひねって、4つの公演事業を考えました。
そのひとつがこの楽市でのライブで、来月もやります。
このあとにも、駅前噴水広場での「駅前ライブ」と、
何だかゲリラ活動のようですが、いえいえ、
真面目に真剣に、「音楽の街」の浸透を考えています。
出演いただいたKUMA BANDの方々、
素晴らしい歌声とギターに感心しました、
英香&BENJAMINのお二人にも心よりお礼です。

来月は4日が楽市です。
更にたくさんの方に聴いていただき、
活動をしていただきたいものですね。
携わった委員の方、市民協働課のお二人、
私は先に抜けて御免なさい!御疲れ様でした。

一足先に抜け、駅までチラシを配りながら歩いて、
午後のリハーサルに向かいます。
午後は、オケのリハーサルでしたが、
どうも事あるごとに、楽市が気になっていました。
とはいえ、片付けまで滞りなく行っている筈ですし、
こちらのオケリハーサルの方が、滞っていますので、
今度は、なんとか良い演奏会にしようと全力です。
さらに新宿に移動して、夜も働く働く!!
11月「こうもり」のリハーサル。
立ち稽古の最初は、指揮者の仕事は少なく、
きっかけをチェックしたり、歌手に歌詞を教えながら、
稽古を見守る立場になるものです。
そう汗もかかずに、なるほど、なるほどと思ってました。

昨晩の打ち上げで、明け方近くまで飲んでいて、
次の日に朝は早くからハードなスケジュール。
は、身体に悪そう、
みなに、身体の心配されますが、私は大丈夫なのです。
指揮していると代謝が良くなるので、冴えてきますし、
さらに、精神的は疲労は忘却させることにしています。
寝るときは意外にたくさん寝ていますので、
精神衛生状態がよければ健康なものですね。

「音楽の街」の“のぼり”を新調しました。
まだ、布に折り目がついているくらいで、
優しい風にハタメク姿を見ていると、つい笑顔。
これでも十分雰囲気は出るというものです。
今日はよい天気で、野外イベントひとつクリアです!

会えばわかる2007/10/08 23:59

兎角用事はメールで済ませてしまいますね。
ちょっと前までは電話で用心深く話していたのに、
こんな便利なツールがあって良いものかと思います。
使い過ぎる事を畏れながらも、
活字に思いを込めて、「伝われ伝われ!」と、
やはりメールは大変便利なものです。

電話もあり、メールもあるとなると、
人と人が面会する機会が減りますね。
しかし、会わないでいると問題も生じます。
話の行き違い、伝言ゲームのような一人歩きで、
真意が伝わらないばかりか、
逆の方向に進んで大慌て、なんて事になるものです。

本日もそんなこんなで、こじれた糸を解すため、
とある音楽関係者の許を訪ねました。

ゆっくり恣意をもって話せば、労せず伝わるものです。
なんとなく人伝と、時間が経過した為、
情報が成長し、独り歩きしてしまい、
思わぬ誤解に発展するところでした。
私の個人的な音楽の仕事の上ではなく、
私が関わり、責任を預かっているプロジェクトです。
余計に本職ではない部分もあり、
人とのかかわりは繊細な部分を残しています。

迅速に、且つ丁寧に行こうとあらためて思いました。
トラブルは回避、全て良い方向に進むでしょう。
矢張り人と人は顔を見て話し考えあったり笑いあったり、
こんな時間が、実はメールを100通打つより、
早く、しかもこれから先の人間関係に大いに大切。

ウフ2007/10/11 23:24

私は自転車フリークですが、
小学生の頃より、競技用自転車などを分解したり、
組み立てたり、部品変えたりして散々楽しみました。
自転車は、立て続けに何台も買うものではないので、
部品の交換によるグレードアップや、軽量化で、
楽しむのが正しいフリークです。
昔の自転車フレームは、
大抵クロモリ(クローム・モリブデン)でしたから、
今の様にカーボン何て素材も無く、重かったのです。
ですから、少しでも軽くするために、
アルミ部品への変更が必須でしたし、部品は高かった。
軽くするためには、「肉抜き」といって、
更に自分で部品に穴を開けて軽くするのですが、
肉抜き紋様が美しい部品は、それこそ高値取引対象、
昔のロードレーサーは、見た目が美しかったのです。

今では、自転車の種類も増え、競技に合わせて、
競輪を中心とする最速を競う為のピストレーサー、
公道でのレースを目的としたロードレーサー、
野山の障害を乗り越えられる、マウンテンバイク
なんてものは、非常に普及していますね。
このオフロード系の競技に深入りすると、
高低差50cmなんて崖を含んだ林の中の坂を
モノすごい速さで駆け下りる為のダウンヒルバイク、
他にも、くるくる回したり逆立ちしたりの、
ヒップホップ系のBMXなんてのもあり、
見かけなくなりましたが、昔ながらの旅行用自転車、
ランドナーという、バッグを吊るして走るタイプも、
旅行好きな自転車乗りは大切にしたものです。

明日、自転車来ます・・・

大した事でも、大して高級なものではないのですが、
しかしとても嬉しい!

プーリー2007/10/12 14:41

ピンポーンっと、来た!

自転車って奴は、乗って帰らなきゃならないので、
昔は家の近所で買うものだった。
だからどの街でも自転車屋さん、多いのだ。
モノの流通論理からはほど遠い商店至上主義だが、
空気入れてあげてたり、パンク直していたり、
そんな光景見ると、フリークとしては嬉しいものなのだ。

宅急便で来たのだった。
だいたい注文もインターネットですから、
商店至上主義もなにもあったものではない、
流通と経済の構造破壊甚だしいお買い物です。
フレームサイズや部品のディテール、車両重量で、
どの大きさの誰に相応しいかも解り、
見かけだけでなく、内容伴った値段かもすぐ解ります。
散々吟味したこの2週間。数千台のチャリンコの写真を、
ネットで見つめましたわ。

そもそも何故買う事にしたかと言う事を、
非難を省みず話せば、もう2週間も前の事なのです。

近所の某駅に、早朝からほんの半日停めたのです。
用事済んで帰ってきたら、無いのです・・・
散々駅の周りを周った挙句、
「撤去いたしました!」と書いてある看板を発見。
私は、普段駅まで歩いて通っているので、
駅に自転車を置きっぱなしにする、所謂、
「放置自転車」なんて事をするはずもなく、
その前の用事から、仕方なく駅前に置いたのです。
どうしてその引き換えとして、
3000円を出さなくては、ならないのでしょうか?
移動してくれと頼んだ覚えはないのである。
これでは手数料ではなく、罰則金ではないか。
と、冷静に考えた挙句、出した答えは「さようなら」。

もう12年も雨ざらしのまま乗り続けた自転車は、
推定走行距離、10万キロ・・いや、3万くらいか。
まてまて、自転車だから、1万くらいかな。
タイヤももう変え時、サビは酷く、カゴも曲がり、
おまけに200m先まで聞こえるブレーキ音に、
深夜では足をズルズル擦って減速することを迫られる。
代え時なら、引き取り費用は3000円かかるだろうか。
「そうか、代え時なんだ、代え時だ~!」と、
結局、小走りに“代え時歌”を歌いながら、帰宅。

よく考えれば、そんな事はいけない事ですし、
もっと考えると、電池が少なくなってきたとは言え、
まだまだ使えるライトは、自転車についたままだから、
帳が降りた頃にそっと忍び込み取り戻したい気分。
しかし、「代え時」を思えば、12年前に、
1万円+笑顔で買った自転車に、どうして、
今更、6000円を投資できよう!
と、もっともな説を自分に納得させ、
自転車と大きな背徳心にも、「さようなら」です。
きっと月末には、東京を出発して、
豪華客船「万景峰号」で、初めての海外旅行に出る。
北の方が後生大事に乗ってくれりゃ、
あたしゃ、それで思い残す事はねぇんだよ・・・。

すてきな赤い部品です。
これ、リアディレーラーの「プーリー」と言います。
可愛いでしょ、どうぞよろしく。

パパは正しい2007/10/13 11:33

ほぼ毎日<幸せのパゴダ>の稽古。
徳島国民文化祭での初演まで、あと20日あまり。
なにせ初演ですから、手本も無ければ、見本も無い。
音と言葉を元に、人が動く。口を開くと、
紙芝居のような平面が立体的なドラマに変貌し、
四角い世界から宇宙的規模の永遠の地上になる。

ドラマを演じるのは、面白いもので、
音楽や言葉を使って時間を費やす事は、
確かに前に進み、未来に向かっているのに、
見ている人が理解していくのは、その過去の事です。
「その」とは、人であり現象でもありますが、
1秒佇めば、その人の成りが想像でき、
一言喋れば、想像は確信を得ながら興味に変わる。
喋って動けば動くほど、その人への興味は、
ドンドン過去に遡っていくのです。
過去を知り、現実に見ている時間が埋まると、
性格に共感したり、嫌悪したりの思い入れです。

気候はどうでしょう?今は何時でしょう?
空気を嗅げば、東から白んできた朝の匂いであり、
空を見上げれば、晴れである事が解ります。
目を細めれば、真昼の強い太陽光線であり。
見上げた顔を背けりゃ、ポツリと振り出した雨。
視線を水平に保ちながら、たそがれてみるなら、
西からの美しい夕焼けが頬を染めているのかも。
帳が降りれば歩調は緩み、
深夜になれば警戒から背筋も伸びるのでしょう。

そんな事を考えながら演じ、歌うのがオペラですが、
歌手が好き勝手に演じるのではなく、
演出家が、その人柄を決定して深く掘り下げさせます。
自分ではなく役を演じるのですから、
冷静に判断してもらう事は大切なのです。
次第に全ての人は役になり、人間関係も生まれて、
現実ではない、現実のようなドラマが出来上がるのです。
泣いたり怒ったり、笑ったり哀しんだりしながら、
みな自分の愛すべき分身になろうと努力します。
変わらぬ人間の魂に興味を持つ人だけが、
もうひとりの自分を演じていけるのでしょう。
バカボンのパパがよく言っていました、
「ホントのウソの真実なのだ」ということです。
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