音の寿命2015/03/08 23:09

高齢化社会であります。
命は順番であれば摂理に従い、
繋いでいくものと思います。
時折、摂理を乱す事件が起こり、
社会現象にまでなりますと、
若い命は尊いものと考え込みます。
与えられたのは1つの命であり、
家柄や社会的地位が違っても、
1つの人生は誰にでもある権利ですね。

その昔東南アジアに行った時に、
100キロの速度で走るバイクに
ノーヘルで乗るカップルを見ました。
特別ではなく、殆どそんな人たちです。

バイクに跨っているのは男性で、
後ろにはうら若き女性。
俗に言う横座りで彼の腰に手を廻し、
ニコニコしながら幸せそうな笑顔。
決して良い道路ではない舗装路に、
交通量の程多い交通情況、
小排気量バイクの制動力も考えると、
併走した車から見ていて心配が募ります、
でも皆楽しそうにスピードを出して、
そして2人乗りのバイクなどは、
無邪気に叫びながら会話していました。

大切にし過ぎて過保護なのも命なら、
明日の生活を考える余裕も無く、
毎日を必死に、でも笑って
幸せを感じながら過ごすのも命。
発展途上国などに行くと、
考えさせられた頃がありました。

さて三木 稔の資料を見ていると、
いろいろな過去の公演などのチラシ、
ポスターなど出てきます。
整理を丁寧にしてあるので、
彼の歴史だけでなく、
社会情勢と音楽家の関係が見えてきます。

写真の公演チラシは、
1986年の「合唱の祭典」という
大イベントの広告チラシ。
東京合唱協会定期公演とありますが、
ものすごい方々の名前と、
和田誠氏によるものであろう
作曲家の似顔絵も面白いが、
今は亡き方々も多く、
しかしながら歌い継がれている作品、
その他音楽分野でも演奏されている
素晴らしい名作曲家が連なっている。

命亡き後もこうやって魂のような
作品群が残り、
演奏によっていつでも息吹を感じる。
生命力と言うのは心臓の力ではなく、
創造力が産み落とした作品という
子供達であるというのが良く分かる。

音楽と命のお話でした。

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