フォーラム ― 2006/12/02 23:21

「音楽の街」構想策定委員会主催で、
フォーラムを開催しました。
構想策定委員会は、10名からなる組織で、
「音楽の街」事業の実現に向けて、
市長と市の関係機関の後押しを受けながら、
この半年間会議を続けて参りました。
間もなく委員会としての活動は終わり、
答申書を市長に提出する形になりますが、
大変意義のある話し合いを続けてきたのです。
高度成長期に、新興住宅街、ベッドタウンとして
大きな街になった我町は、次世代に移り、
街としての新しいスローガンを必要としています。
フォーラムでは、パネリストとして、
遠く愛知県知立市から参加していただき、
有意義な話と、活動の報告をいただいた永井さん。
近隣文化都市の火付け役として、
私達のモデルとなるような活動、モットーを、
教えてくださった大久保さん。
2人には心より感謝していますし、
これからも互いの情報交換や交流を続けて、
もっと大きな文化芸術のプロデュース機関として、
横の繋がりを密にして生きたいと思っています。
また、演奏者も盛りだくさん!
長唄は6人で参加してくださり越後獅子を披露。
ピアノのソロでリストの愛の夢や、
ヴァイオリンのチャールダッシュもあり、
また軽快な歌と、ギターのサポートメンバーまで、
連れてきて頂いた鎌田さん、ありがとう。
最後には、役者の吹上さんが、もう一人の役者さん、
狛江市在住の深澤さんを伴って、寸劇。
これに音楽家が参加して、
オリジナルの10分音楽劇の出来上がりです。
私は、委員長として司会進行で盛りたてましたが、
来ていただいた方にも大変感謝したいです。
真剣な眼差しと、来年以降の活動をも、
暖かい気持ちで見守ってくださりそうな、お客さま方、
勿論市長に、教育長もいらっしゃっていました。
市長、突然お呼びしてしまいゴメンなさい!
しかし、お陰で華のあるフォーラムになりました。
演奏付きのフォーラムで、たっぷり120分。
「音楽の街」の1つ目の事業となりました。
“はじめの1歩”、大切な日ですから、
丁寧に準備し、円滑に運ぶよう、
最大限の努力を惜しまず、みな協力し合いました。
さて、まだまだやらなければならない事は、
山ほどあります。がんばろう、みんな!
フォーラムを開催しました。
構想策定委員会は、10名からなる組織で、
「音楽の街」事業の実現に向けて、
市長と市の関係機関の後押しを受けながら、
この半年間会議を続けて参りました。
間もなく委員会としての活動は終わり、
答申書を市長に提出する形になりますが、
大変意義のある話し合いを続けてきたのです。
高度成長期に、新興住宅街、ベッドタウンとして
大きな街になった我町は、次世代に移り、
街としての新しいスローガンを必要としています。
フォーラムでは、パネリストとして、
遠く愛知県知立市から参加していただき、
有意義な話と、活動の報告をいただいた永井さん。
近隣文化都市の火付け役として、
私達のモデルとなるような活動、モットーを、
教えてくださった大久保さん。
2人には心より感謝していますし、
これからも互いの情報交換や交流を続けて、
もっと大きな文化芸術のプロデュース機関として、
横の繋がりを密にして生きたいと思っています。
また、演奏者も盛りだくさん!
長唄は6人で参加してくださり越後獅子を披露。
ピアノのソロでリストの愛の夢や、
ヴァイオリンのチャールダッシュもあり、
また軽快な歌と、ギターのサポートメンバーまで、
連れてきて頂いた鎌田さん、ありがとう。
最後には、役者の吹上さんが、もう一人の役者さん、
狛江市在住の深澤さんを伴って、寸劇。
これに音楽家が参加して、
オリジナルの10分音楽劇の出来上がりです。
私は、委員長として司会進行で盛りたてましたが、
来ていただいた方にも大変感謝したいです。
真剣な眼差しと、来年以降の活動をも、
暖かい気持ちで見守ってくださりそうな、お客さま方、
勿論市長に、教育長もいらっしゃっていました。
市長、突然お呼びしてしまいゴメンなさい!
しかし、お陰で華のあるフォーラムになりました。
演奏付きのフォーラムで、たっぷり120分。
「音楽の街」の1つ目の事業となりました。
“はじめの1歩”、大切な日ですから、
丁寧に準備し、円滑に運ぶよう、
最大限の努力を惜しまず、みな協力し合いました。
さて、まだまだやらなければならない事は、
山ほどあります。がんばろう、みんな!
敬愛なるベートーベン ― 2006/12/04 23:27

1日中パソコンに向かって原稿書きをしてると、
朝なのか昼なのかもわからず、
時折外に目を向けた時の太陽光線で、
なんとなく時間を実感したりします。
私は趣味がストレッチかと思うくらい、
時間があれば体をクニャクニャするのですが、
だからといって、
サルティンバンコやアレグリアに出られるようには
柔らかいわけでもなく、
しかも、気分で勝手にやっているだけで、
今流行のホット・ヨガや、
呼吸法を基にした柔軟でもないので、
まぁ、単なる何処までも気分転換です。
先週までが忙しすぎたためか、
あちこちカラダが痛くて、ストレッチが大事なのですが、
今週は、少し休もうと思いながらも、
いろいろな仕事は待たすわけにも行かないですね。
長期的展望でやらなければならない事が、
溜まらないうちに、手をつけたいのですが、
そういうものものには手が回らず、
結局目の前の仕事を右から左にやっつけていくだけで、
日は暮れていくものです。
さて、ALL Aboutの記事をアップしました。
今回は、映画「敬愛なるベートーヴェン」の御紹介。
http://allabout.co.jp/entertainment/classicmusic/
この映画、早くに試写会を見ていたのですが、
久しぶりに、ベートーヴェンネタの映画ということで、
とても注目していました。
中身は、まぁ、見て欲しいのですが、
フィクションですので、
実際の伝記とは異なるモノでありながら、
こういう女性がいたら、
ベートーヴェンも少し違ったろうに・・・と、
人事ですが、思ったりするのです。
この中で、第九の初演シーンが出てくるのですが、
なかなかリアルにできています。
厳密に言えば、もっとも楽器も今とは違うし、
音質も違うのですが、これはご愛嬌。
しかし、映画自体が英語の作品なので、
シラーの“歓喜の歌”のドイツ語詩と、会話の英語が、
どうもちぐはぐで、これは仕方ないですが、
私は、ドイツ語版吹き替えを見てみたい気がします。
そんなこんなで、どうぞ見てみてくださいな。
朝なのか昼なのかもわからず、
時折外に目を向けた時の太陽光線で、
なんとなく時間を実感したりします。
私は趣味がストレッチかと思うくらい、
時間があれば体をクニャクニャするのですが、
だからといって、
サルティンバンコやアレグリアに出られるようには
柔らかいわけでもなく、
しかも、気分で勝手にやっているだけで、
今流行のホット・ヨガや、
呼吸法を基にした柔軟でもないので、
まぁ、単なる何処までも気分転換です。
先週までが忙しすぎたためか、
あちこちカラダが痛くて、ストレッチが大事なのですが、
今週は、少し休もうと思いながらも、
いろいろな仕事は待たすわけにも行かないですね。
長期的展望でやらなければならない事が、
溜まらないうちに、手をつけたいのですが、
そういうものものには手が回らず、
結局目の前の仕事を右から左にやっつけていくだけで、
日は暮れていくものです。
さて、ALL Aboutの記事をアップしました。
今回は、映画「敬愛なるベートーヴェン」の御紹介。
http://allabout.co.jp/entertainment/classicmusic/
この映画、早くに試写会を見ていたのですが、
久しぶりに、ベートーヴェンネタの映画ということで、
とても注目していました。
中身は、まぁ、見て欲しいのですが、
フィクションですので、
実際の伝記とは異なるモノでありながら、
こういう女性がいたら、
ベートーヴェンも少し違ったろうに・・・と、
人事ですが、思ったりするのです。
この中で、第九の初演シーンが出てくるのですが、
なかなかリアルにできています。
厳密に言えば、もっとも楽器も今とは違うし、
音質も違うのですが、これはご愛嬌。
しかし、映画自体が英語の作品なので、
シラーの“歓喜の歌”のドイツ語詩と、会話の英語が、
どうもちぐはぐで、これは仕方ないですが、
私は、ドイツ語版吹き替えを見てみたい気がします。
そんなこんなで、どうぞ見てみてくださいな。
最後の委員会 ― 2006/12/06 23:09

「音楽の街」の構想策定委員会最後の会議。
春に話が持ち上がり、6月から始まり、暑い盛りを越え、
最後は寒い満月の夜でした。
大変有意義な6回の会議は、テーマを持ち、
我が市の施設の問題から、学校に於ける音楽教育、
有料コンサートを企画しながら、
団体を内外から招聘している市の指定管理者団体の
問題点や、改善希望点なども。
若手の在住音楽家への支援事業なども含め、
ありとあらゆる角度から、「音楽の街」つくりの
理想を探ってきました。
もしかすると、多摩川の野外ライブで、
サザンを呼べるまでに成長だってするかもしれない。
もしかすると、駅前にライブ会場を作って、
通りすがりの人500人がガンガンに踊るかもしれない。
もしかしたら、
オリジナルのオペラを創って上演した内容が
海外の目に留まり、
交流や交換公演が行なわれるかもしれない。
沿線の音楽大学や、アマチュアオケの協力で、
素晴らしいオケフェスタや、コンクールだって。
また、市民祭は、市民文化祭に発展し、
街中に音楽は溢れていくのかもしれない。
地域限定アイドルは、超人気で、
楽曲にも恵まれながら、大ヒット!
2年目にしてオリコンヒットチャートベスト10入り、
23区の芸能プロダクションからも引っ張りだこ。
でも、3年間は狛江限定で、外に出られない!
3年終了で、プロダクションからは、
ごっそりの契約金が市に払われ、財政も黒字に向かう・・
いやいや、妄想は広がる広がる・・・
冗談めかしていますが、
どうにか良い方向に行くと良いですね。
来年この委員会がどういう形になるのかは、
まったくもって未定です。
誰がやるのか、参加するのかも未定です。
予算がつくのか、つかぬのかも未定なら、
なにか事業が出来るのかも未定。
仕方ない。
今のところは、市政と共に進まなければ、
どうにもならない話なのですから。
現状の悪口、やっかみは言わないことにして、
次の事を考える前向きな皆さんであります。
この半年、大変勉強させていただきました。
新しい方々との出会いや、協力、
大変感謝しております。
写真は琵琶の糸巻き、
美しい悠久の時を感じる流麗な楽器です。
春に話が持ち上がり、6月から始まり、暑い盛りを越え、
最後は寒い満月の夜でした。
大変有意義な6回の会議は、テーマを持ち、
我が市の施設の問題から、学校に於ける音楽教育、
有料コンサートを企画しながら、
団体を内外から招聘している市の指定管理者団体の
問題点や、改善希望点なども。
若手の在住音楽家への支援事業なども含め、
ありとあらゆる角度から、「音楽の街」つくりの
理想を探ってきました。
もしかすると、多摩川の野外ライブで、
サザンを呼べるまでに成長だってするかもしれない。
もしかすると、駅前にライブ会場を作って、
通りすがりの人500人がガンガンに踊るかもしれない。
もしかしたら、
オリジナルのオペラを創って上演した内容が
海外の目に留まり、
交流や交換公演が行なわれるかもしれない。
沿線の音楽大学や、アマチュアオケの協力で、
素晴らしいオケフェスタや、コンクールだって。
また、市民祭は、市民文化祭に発展し、
街中に音楽は溢れていくのかもしれない。
地域限定アイドルは、超人気で、
楽曲にも恵まれながら、大ヒット!
2年目にしてオリコンヒットチャートベスト10入り、
23区の芸能プロダクションからも引っ張りだこ。
でも、3年間は狛江限定で、外に出られない!
3年終了で、プロダクションからは、
ごっそりの契約金が市に払われ、財政も黒字に向かう・・
いやいや、妄想は広がる広がる・・・
冗談めかしていますが、
どうにか良い方向に行くと良いですね。
来年この委員会がどういう形になるのかは、
まったくもって未定です。
誰がやるのか、参加するのかも未定です。
予算がつくのか、つかぬのかも未定なら、
なにか事業が出来るのかも未定。
仕方ない。
今のところは、市政と共に進まなければ、
どうにもならない話なのですから。
現状の悪口、やっかみは言わないことにして、
次の事を考える前向きな皆さんであります。
この半年、大変勉強させていただきました。
新しい方々との出会いや、協力、
大変感謝しております。
写真は琵琶の糸巻き、
美しい悠久の時を感じる流麗な楽器です。
くるみ割り人形 ― 2006/12/09 23:12

日本の12月の音楽季語ともいうべき、
バレエ「くるみ割り人形」や、オケの「第九」は、
世界共通の12月演目かとおもいきや、
そうでもないことは、割りと皆さんしっていますね。
「くるみ~」は、物語がクリスマスイヴなので、
ぴったりとして、ヨーロッパの12月には、
欠かせない定番公演ですが、
「第九」はどうかというと、
ご存知の方も多いように、12月だからといって、
あまり演奏されるものではないのです。
今では古典音楽の神様みたいなベートーヴェンですが、
当時は、常に革新的な試みで意表を突きながら、
人の何歩も前を歩く人でした。
また、アバンギャルドな活動をしていた
フリードリッヒ・フォン・シラーは、“歓喜の歌”で、
革命意識を助長するような詩を作り、
共感したベートーヴェンが、
最高の傑作に仕立て上げたのですから、
当局としては、「危険人物たちの陰謀」と思っても、
仕方なかったのですね。
日本では、訳もわからず、Fruede!!と、叫んでますが、
単なる「喜びの歌」ではないので、
12月にやる意味はあまり無いわけです。
むしろ、ベルリンの壁が穂崩壊したあとの記念演奏会で、
この曲が演奏されたときなどは、
革命の嵐が吹き荒び、全人民を鼓舞させる曲として、
真の第九の意味を真摯に受け止めたドイツ人達の胸を、
この音楽はさぞや胸を打った事だろうと思います。
それに比べると、
「くるみ割り人形」は、本当に良い。
あの曲は、チャイコフスキーが創った、
3大バレエ最後の曲ですが、
それまでの経験も生きて、
最高のメルヒェンになっています。
チャイコフスキーの哀愁を帯びたメロディーは、
風が、大地の白樺林をゆっくり吹きぬけるような、
土臭い叙情的なものですが、
実に単純な“ドシラソファミレド”という、
音階を降りてくるメロディーが、
何故か泣けてくるほど美しかったりするのです。
クララは、イヴの夜、夢の中で王子に出会って、
きっと初恋の相手になったのでしょう。
王子に手を取られて招待されたお菓子の国で、
自分が知らない観た事もない経験や、
素晴らしい各国の踊りも、何もかもが、
くるみ観り割り人形が変身した、王子との出会いで、
経験することなのです。
でも、目が覚めてお別れになってしまう。
こんな切ないほろ苦さまでが、
「くるみ割り人形」のドラマの中に凝縮されています。
昔は、楽器を吹いて100回以上公演したのかな。
今は指揮していますが、これも勿論良い。
演奏も、指揮も、踊っても、、、いや、これは私には出来ない。
でも舞台観て、音楽聴いていることが、
「くるみ~」の最高の楽しみかもしれません。
新しい記事、
「クリスマスのバレエは、誰と観ますか?」を、
書きました。「くるみ~」公演の情報です。
http://allabout.co.jp/entertainment/classicmusic/
是非、覗いて下さいね。
バレエ「くるみ割り人形」や、オケの「第九」は、
世界共通の12月演目かとおもいきや、
そうでもないことは、割りと皆さんしっていますね。
「くるみ~」は、物語がクリスマスイヴなので、
ぴったりとして、ヨーロッパの12月には、
欠かせない定番公演ですが、
「第九」はどうかというと、
ご存知の方も多いように、12月だからといって、
あまり演奏されるものではないのです。
今では古典音楽の神様みたいなベートーヴェンですが、
当時は、常に革新的な試みで意表を突きながら、
人の何歩も前を歩く人でした。
また、アバンギャルドな活動をしていた
フリードリッヒ・フォン・シラーは、“歓喜の歌”で、
革命意識を助長するような詩を作り、
共感したベートーヴェンが、
最高の傑作に仕立て上げたのですから、
当局としては、「危険人物たちの陰謀」と思っても、
仕方なかったのですね。
日本では、訳もわからず、Fruede!!と、叫んでますが、
単なる「喜びの歌」ではないので、
12月にやる意味はあまり無いわけです。
むしろ、ベルリンの壁が穂崩壊したあとの記念演奏会で、
この曲が演奏されたときなどは、
革命の嵐が吹き荒び、全人民を鼓舞させる曲として、
真の第九の意味を真摯に受け止めたドイツ人達の胸を、
この音楽はさぞや胸を打った事だろうと思います。
それに比べると、
「くるみ割り人形」は、本当に良い。
あの曲は、チャイコフスキーが創った、
3大バレエ最後の曲ですが、
それまでの経験も生きて、
最高のメルヒェンになっています。
チャイコフスキーの哀愁を帯びたメロディーは、
風が、大地の白樺林をゆっくり吹きぬけるような、
土臭い叙情的なものですが、
実に単純な“ドシラソファミレド”という、
音階を降りてくるメロディーが、
何故か泣けてくるほど美しかったりするのです。
クララは、イヴの夜、夢の中で王子に出会って、
きっと初恋の相手になったのでしょう。
王子に手を取られて招待されたお菓子の国で、
自分が知らない観た事もない経験や、
素晴らしい各国の踊りも、何もかもが、
くるみ観り割り人形が変身した、王子との出会いで、
経験することなのです。
でも、目が覚めてお別れになってしまう。
こんな切ないほろ苦さまでが、
「くるみ割り人形」のドラマの中に凝縮されています。
昔は、楽器を吹いて100回以上公演したのかな。
今は指揮していますが、これも勿論良い。
演奏も、指揮も、踊っても、、、いや、これは私には出来ない。
でも舞台観て、音楽聴いていることが、
「くるみ~」の最高の楽しみかもしれません。
新しい記事、
「クリスマスのバレエは、誰と観ますか?」を、
書きました。「くるみ~」公演の情報です。
http://allabout.co.jp/entertainment/classicmusic/
是非、覗いて下さいね。
本気です ― 2006/12/11 23:12

公演の告知です。
3月21日(祝)~25日(日)
5日連続でオペラ『ミカド』公演します。
今年8月1日に英国公演で成功したミカドを、
帰国凱旋公演として上演いたします。
これから、このブログに、
公演まで何度も出てくる話題でしょうが、
とにかく公演告知なのです。
5回? そう、5回です。
喜歌劇、音楽劇といえども、
5回続けて毎日公演するのは、命がけです。
オケやバレエ、お囃子まで付いて、
この規模でこんな事、多分前例はありません。
だから挑戦ですし、
ここまでやってきた事に甘んじるのではなく、
新しい試みをもって、業界に一石を投じます。
オペラ「ミカド」って、オペラですが、
トコトン喜歌劇ですし、
外国人作の現存する日本名オペラでは、最古。
驚異的な、672回の連続上演や、
全米で170の劇場で同時上演されていた人気など、
ドコを切っても「ミカド」は、
至上空前の人気オペラだった、、ではなく、
今も世界中で愛されている喜歌劇なのです。
とにかく公演告知!
チラシ、お渡ししたいですし、
時間を開けて観に来ていただきたいのです。
私に言ってくださるか、
3月21日(祝)~25日(日)
5日連続でオペラ『ミカド』公演します。
今年8月1日に英国公演で成功したミカドを、
帰国凱旋公演として上演いたします。
これから、このブログに、
公演まで何度も出てくる話題でしょうが、
とにかく公演告知なのです。
5回? そう、5回です。
喜歌劇、音楽劇といえども、
5回続けて毎日公演するのは、命がけです。
オケやバレエ、お囃子まで付いて、
この規模でこんな事、多分前例はありません。
だから挑戦ですし、
ここまでやってきた事に甘んじるのではなく、
新しい試みをもって、業界に一石を投じます。
オペラ「ミカド」って、オペラですが、
トコトン喜歌劇ですし、
外国人作の現存する日本名オペラでは、最古。
驚異的な、672回の連続上演や、
全米で170の劇場で同時上演されていた人気など、
ドコを切っても「ミカド」は、
至上空前の人気オペラだった、、ではなく、
今も世界中で愛されている喜歌劇なのです。
とにかく公演告知!
チラシ、お渡ししたいですし、
時間を開けて観に来ていただきたいのです。
私に言ってくださるか、
のだめ考2 ― 2006/12/13 23:36

のだめが、視聴率20%を稼いで、
ドラマ部門の1位になっている・・・。
よく聞かれる質問で、
「実際、どうなの?音楽家から見てあのドラマ」
と、真顔で聞いてくる輩が多いのである。
実際どうなの・・・と言われても困るのだが、
「まぁね、」と答えるのは面白くないが、
「素晴らしいと思う!最高だよ!!」
なんて、いう事もないのだ。
先日某音楽関係者(出版系)の方と
話をしていたら、この方も真顔で、
「実際、リアル千秋は、誰か、って事だよ!」
と、のたまう・・・。
なにがリアルだか、わからぬが、
要するに、「実力伴うイケメン指揮者がいたら、
一気にブレークする」という事を言っているのだ。
しかし、どうだろう、業界の古式ゆかしき常識では、
指揮者は、若くては決していけないのである。
あのドラマも、皆若い大学生の中で、
大学院生の千秋氏(何故氏と敬意を表する・・・)が、
皆の憧れの存在であるだけであって、
彼の音楽が世界的に認められて、
日本中が大変な事になっているわけでは決してない。
つまり、学園ドラマでいいのである。
あまり加熱するとおかしいのである。
便乗した演奏会、増えすぎです。
Sオケでもなく、千秋君振るのでもなく、
ましてや、野田さんがコンチェルト弾くのでもなく、
いつものオッサン指揮者と、
疲れ果てたベテラン演奏家が演奏するだけで、
何故、タイトルの左肩に「のだめ」と書いてある?
せめて着ぐるみで振るとか、千秋君の真似するとか、
、、、。
ドラマ見ていると、思うのですが、
みんな(ン?俺?)、あんな自由奔放な学生でした。
みな、明日なんて何も考えてなくて、
飲んだ暮れて、でも朝は早くから練習して、
スター演奏家に憧れながら、次第に現実に気付き・・
のだめちゃんのような子、いるよね。
千秋君みたいな子見ると、早く己に気付けよっ!
って声かけたくなる。
なので、
「実際、どうなの?」と、聞かれると、
「あのまま、、残念ですが、、」と、答えます。
あまりに綺麗な緑の畑。
家の前で。
ドラマ部門の1位になっている・・・。
よく聞かれる質問で、
「実際、どうなの?音楽家から見てあのドラマ」
と、真顔で聞いてくる輩が多いのである。
実際どうなの・・・と言われても困るのだが、
「まぁね、」と答えるのは面白くないが、
「素晴らしいと思う!最高だよ!!」
なんて、いう事もないのだ。
先日某音楽関係者(出版系)の方と
話をしていたら、この方も真顔で、
「実際、リアル千秋は、誰か、って事だよ!」
と、のたまう・・・。
なにがリアルだか、わからぬが、
要するに、「実力伴うイケメン指揮者がいたら、
一気にブレークする」という事を言っているのだ。
しかし、どうだろう、業界の古式ゆかしき常識では、
指揮者は、若くては決していけないのである。
あのドラマも、皆若い大学生の中で、
大学院生の千秋氏(何故氏と敬意を表する・・・)が、
皆の憧れの存在であるだけであって、
彼の音楽が世界的に認められて、
日本中が大変な事になっているわけでは決してない。
つまり、学園ドラマでいいのである。
あまり加熱するとおかしいのである。
便乗した演奏会、増えすぎです。
Sオケでもなく、千秋君振るのでもなく、
ましてや、野田さんがコンチェルト弾くのでもなく、
いつものオッサン指揮者と、
疲れ果てたベテラン演奏家が演奏するだけで、
何故、タイトルの左肩に「のだめ」と書いてある?
せめて着ぐるみで振るとか、千秋君の真似するとか、
、、、。
ドラマ見ていると、思うのですが、
みんな(ン?俺?)、あんな自由奔放な学生でした。
みな、明日なんて何も考えてなくて、
飲んだ暮れて、でも朝は早くから練習して、
スター演奏家に憧れながら、次第に現実に気付き・・
のだめちゃんのような子、いるよね。
千秋君みたいな子見ると、早く己に気付けよっ!
って声かけたくなる。
なので、
「実際、どうなの?」と、聞かれると、
「あのまま、、残念ですが、、」と、答えます。
あまりに綺麗な緑の畑。
家の前で。
惜しい真央ちゃん ― 2006/12/16 23:16

フィギュアスケートである。
あまりに映像が多く、
新しいニュースか、昨日のVTRなのか、
毎年、何の大会があるのかサッパリだが、
日本の女子勢が強いお陰で、始終放送をしている。
健康優良中年の松岡修三が大騒ぎするのは、
迷惑であるし、彼が昨日テレビで着ていた
紫色のスーツには閉口したが、
フィギュア関連のニュースや解説が多いお陰で、
技には詳しくなっているのである。
私だけではないだろうが、
国民の目も相当肥えている筈だ。
問題はフィギュアで使う音楽なのだ。
どうしてみな全て古臭いクラシックを
使用するのだろう。
いやまて、一般にクラシックは古臭いのであるが、
いやもっとまて、それは誤解でもあるのだ。
余談だが、
荒川さんがイナ・バウアーを完成させ、
お陰でオペラ「トゥーランドット」が、
国民的支持を得たのは歓迎するが、
あの曲のタイトイルを覚えてなく、
プッチーニ作曲の“イナ・バウアー”と、
口走る人も多いのには参ってしまう。
トリノオリンピック以来、
オペラ歌手は、演奏会の度に歌う羽目になり、
十八番にしているイタリアンテノールの方はいいが、
ドイツリート歌いの方もリクエストされ、
おまけに、バリトンや、ましてやソプラノの方まで、
お構い無しにリクエストされてしまう。
なんて、面白い。
フィギュアスケートの競技曲ってのは、
誰が決めるのでしょうかね?
おっきいトンボ眼鏡の先生でしょうか?
帰還した競技者を怪しい笑みで抱きしめる、
外国人コーチなのでしょうか?
気になります。
もう少し、レパートリーを増やしたらどうでしょう?
エキサイティングな曲に、1音鳴っただけで泣ける曲、
笑いが止まらない曲だったら、5回転も夢ではない!
しかも曲を繋ぐときには、調性に気をつけないと、
茶の間で見ている音楽家は、みな転倒してしまいます。
トリスタンとイゾルデなんてどうだ?
プッチーニより、ヴェルディ、
それよりロッシーニなんて、足元軽そうだ。
通のコーチなら、
シュニトケや、ブーレーズもエキセントリック。
私に相談してくれりゃいいのに、、、
と、音楽家は皆、思うでしょうね。
あまりに映像が多く、
新しいニュースか、昨日のVTRなのか、
毎年、何の大会があるのかサッパリだが、
日本の女子勢が強いお陰で、始終放送をしている。
健康優良中年の松岡修三が大騒ぎするのは、
迷惑であるし、彼が昨日テレビで着ていた
紫色のスーツには閉口したが、
フィギュア関連のニュースや解説が多いお陰で、
技には詳しくなっているのである。
私だけではないだろうが、
国民の目も相当肥えている筈だ。
問題はフィギュアで使う音楽なのだ。
どうしてみな全て古臭いクラシックを
使用するのだろう。
いやまて、一般にクラシックは古臭いのであるが、
いやもっとまて、それは誤解でもあるのだ。
余談だが、
荒川さんがイナ・バウアーを完成させ、
お陰でオペラ「トゥーランドット」が、
国民的支持を得たのは歓迎するが、
あの曲のタイトイルを覚えてなく、
プッチーニ作曲の“イナ・バウアー”と、
口走る人も多いのには参ってしまう。
トリノオリンピック以来、
オペラ歌手は、演奏会の度に歌う羽目になり、
十八番にしているイタリアンテノールの方はいいが、
ドイツリート歌いの方もリクエストされ、
おまけに、バリトンや、ましてやソプラノの方まで、
お構い無しにリクエストされてしまう。
なんて、面白い。
フィギュアスケートの競技曲ってのは、
誰が決めるのでしょうかね?
おっきいトンボ眼鏡の先生でしょうか?
帰還した競技者を怪しい笑みで抱きしめる、
外国人コーチなのでしょうか?
気になります。
もう少し、レパートリーを増やしたらどうでしょう?
エキサイティングな曲に、1音鳴っただけで泣ける曲、
笑いが止まらない曲だったら、5回転も夢ではない!
しかも曲を繋ぐときには、調性に気をつけないと、
茶の間で見ている音楽家は、みな転倒してしまいます。
トリスタンとイゾルデなんてどうだ?
プッチーニより、ヴェルディ、
それよりロッシーニなんて、足元軽そうだ。
通のコーチなら、
シュニトケや、ブーレーズもエキセントリック。
私に相談してくれりゃいいのに、、、
と、音楽家は皆、思うでしょうね。
ジルベスター、、早ッ! ― 2006/12/18 23:07

本当に早い、師走とはよく言ったもので、
何処見ても、みな走っている。
天皇誕生日は喜ばしい事だが、
23日が祝日になったので、
やたらと休みが多く、御用納め前の大イベント、
クリスマスには、もう大晦日ムード漂うのである。
なので、みな焦り走り廻るのか。
いや、のた打ち回るが正しいのか・・・
ジルベスターなんてドイツ語、
日本人には馴染み無いはずなのに、
毎年恒例になっている、大晦日公演の代名詞、
「ジルベスター・コンサート」のお陰で、
誰でもわかる位に浸透しているものだ。
数年前には、ドイツ語だったのに、
今では、季節感ある和製ドイツ語になったものだと感心。
そう、アルバイト、バウムクーヘンに次いで
浸透しているドイツ語第3位かもしれない。
もう前だが、ベルリンに住んでいる時に聴いた、
ベルリン・フィルのジルベスター・コンサートは、
とても感慨深くて、ニューイヤーコンサートと合わせて、
宗教と娯楽、信教と煩悩などと共存しながら暮らす、
彼らの日常を端的に垣間見た気がしたものです。
クラシックの原点を「宗教」、
コンサートホールや劇場の起因を「教会」と解りながら、
身体の一部、大切な五臓六腑のようなものとして、
心や街の中での存在を肯定しながら、
自らの楽しみや、崇め奉る存在であり続ける。
さらに娯楽として拡大解釈する自由で清潔な魂は、
西洋のモノだからこそ、と、
当時は、心底敗北感に近い感情を持ったものなのです。
日本の「ジルベスター・コンサート」は?
結論的には、大歓迎!
西洋に対抗するのではなく、エキサイティングな街、
不夜城としての、ジャパン・メトロポールだからこそ
楽しむことの出来る、クラシック娯楽なのかも。
タイトルは、堅すぎるけどね。
「ジルベスター・コンサート」ってのはね。
年明けに合わせてカウントダウンしながら、
曲を終わらせて、最後の音で、午前0時!
拍手と共に「おめでとう~!」なんて、
この指揮、演奏って、実に神業です。
私も、この手の時間合わせは得意で、
音楽教室としてのコンサートなどで、
司会して指揮をして、寸分違わずピッタリに終わるとか、
録音で、決められた秒数にはめ込んだり・・・。
しかし、この音楽で、生のテレビ中継なんかあったら、
1秒も狂わず終るのは大変すぎますね。
お客さんは、沸きあがっていますが、
毎年これ終った瞬間の指揮者を見ると、
冷たい汗を散々かいたみたいで、魂が抜けた後みたい。
そりゃそうでしょうね。
ま、しかし、そんなわけであと2週間も切りました。
今年の〆の意もこめて、良い年末にしたいものです。
今日UpしたAll Aboutの記事、
『熱い!ジルベスター・コンサート06』って、
なにが熱いのかは、良く解らないのですが、
とにかく見てくださいな。
http://allabout.co.jp/entertainment/classicmusic/
何処見ても、みな走っている。
天皇誕生日は喜ばしい事だが、
23日が祝日になったので、
やたらと休みが多く、御用納め前の大イベント、
クリスマスには、もう大晦日ムード漂うのである。
なので、みな焦り走り廻るのか。
いや、のた打ち回るが正しいのか・・・
ジルベスターなんてドイツ語、
日本人には馴染み無いはずなのに、
毎年恒例になっている、大晦日公演の代名詞、
「ジルベスター・コンサート」のお陰で、
誰でもわかる位に浸透しているものだ。
数年前には、ドイツ語だったのに、
今では、季節感ある和製ドイツ語になったものだと感心。
そう、アルバイト、バウムクーヘンに次いで
浸透しているドイツ語第3位かもしれない。
もう前だが、ベルリンに住んでいる時に聴いた、
ベルリン・フィルのジルベスター・コンサートは、
とても感慨深くて、ニューイヤーコンサートと合わせて、
宗教と娯楽、信教と煩悩などと共存しながら暮らす、
彼らの日常を端的に垣間見た気がしたものです。
クラシックの原点を「宗教」、
コンサートホールや劇場の起因を「教会」と解りながら、
身体の一部、大切な五臓六腑のようなものとして、
心や街の中での存在を肯定しながら、
自らの楽しみや、崇め奉る存在であり続ける。
さらに娯楽として拡大解釈する自由で清潔な魂は、
西洋のモノだからこそ、と、
当時は、心底敗北感に近い感情を持ったものなのです。
日本の「ジルベスター・コンサート」は?
結論的には、大歓迎!
西洋に対抗するのではなく、エキサイティングな街、
不夜城としての、ジャパン・メトロポールだからこそ
楽しむことの出来る、クラシック娯楽なのかも。
タイトルは、堅すぎるけどね。
「ジルベスター・コンサート」ってのはね。
年明けに合わせてカウントダウンしながら、
曲を終わらせて、最後の音で、午前0時!
拍手と共に「おめでとう~!」なんて、
この指揮、演奏って、実に神業です。
私も、この手の時間合わせは得意で、
音楽教室としてのコンサートなどで、
司会して指揮をして、寸分違わずピッタリに終わるとか、
録音で、決められた秒数にはめ込んだり・・・。
しかし、この音楽で、生のテレビ中継なんかあったら、
1秒も狂わず終るのは大変すぎますね。
お客さんは、沸きあがっていますが、
毎年これ終った瞬間の指揮者を見ると、
冷たい汗を散々かいたみたいで、魂が抜けた後みたい。
そりゃそうでしょうね。
ま、しかし、そんなわけであと2週間も切りました。
今年の〆の意もこめて、良い年末にしたいものです。
今日UpしたAll Aboutの記事、
『熱い!ジルベスター・コンサート06』って、
なにが熱いのかは、良く解らないのですが、
とにかく見てくださいな。
http://allabout.co.jp/entertainment/classicmusic/
憧れ ― 2006/12/19 23:19

ナ~イスショット!ナイスオン!
なんて声が響き渡るゴルフ場です。
私はゴルフやらないので、場違いなのですが、
聞くところによれば、ゴルフ場は、
ゴルフをやる方しか入る事が許されない、
神聖な場でもあるらしいのです。
ジーンズ入場厳禁や、ゴルフ場以外、
つまりクラブハウスなどでのマナーも重視し、
さながら、英国直輸入の作法道場の体でもある。
今日は、こんな堅苦しいと思われがちなゴルフ場で、
コンサート。題して、
『ゴルフ場のメリー・クリスマス』
笑った方は、40代以上ですな。
そう、「戦場のメリークリスマス」のひねりです。
こういうのを考える天才、K氏の企画。
クラブハウスのレストランでのコンサートです。
お客様は、朝早くからコースを回り、
18ホール終了後、
昼過ぎてゆっくり湯を浴びて着替えてから、
三々五々レストランに集合。
ドリンクを口に運び、
オードブルを啄ばみながら、談笑し、
パーティーの開始を待ち、コンサートを待ちわびます。
控え室から開場を覗けば、皆笑顔。
ゆったりとした時間が流れ、師走を忘れさせます。
出番自体は、40分ですので、
それほどヘビーではないのですが、
百戦錬磨の先輩方に聴かせるのですから、
寸分の手抜かりもできず、構成も大事です。
相変わらず、進行のお喋りは私。
最近は、あまり喋る事考えずに、
いや、あまりどころか、何も考えずに出て行き、
トンでもない言葉から話を繋ぐのが楽しく、
今日口を撞いた初言葉は、「のだめ」・・・。
ここから自分は何を言うのだろうと思いながらも、
演奏者の紹介したり、公演の宣伝したり、
まぁ、手前味噌ですが、楽しく相対しました。
コンサート、流石の歌手二人!
マリ&マサの二人に(便宜上&表記で、コンビではない)、
魅せていただきました。
演奏の二人も、安心して私は何もいう事はなし。
マリちゃん、なんだか私生活も充実、
声も精神も安定している様子。聴いていると、
何故かこちらが含み笑いになるのです。
マサは、相変わらずの美声。
緑深い森の中から聴こえる様な声は、
清涼感に溢れた、純度高いトパーズ色の声なのだ。
黄玉と言ったらいいのか、和製トパーズは、
さながら褐色のインペリアルトパーズだ。
お客様、コンサート終った後もニコニコと、
食事も進み、話にも花が咲き、
私達も一緒にテーブルにつかせて頂きました。
赤や黄色、はたまた葉の落ちきった遠景は、
どこを切り取っても、日本の冬景色なのに、
グリーンは、何処までも美しく光り輝いている。
こんな色を1年中キープする人たちの努力は、
並大抵ではないな、と、窓の外を見ながら何度も感心。
プレイしている方々は、
皆ゆったり歩きながら、ホンの少しの闘争心を使い、
五感をフル回転させながら集中している。
私の1秒は、彼らの1分みたいだ・・・。
あぁ、忙しない!忙しない!
と、典型的「江戸っ子せっかち体質」を恨みながらも、
素早い撤収。
漆黒の闇の中を足早に下界に戻るのであった。
なんて声が響き渡るゴルフ場です。
私はゴルフやらないので、場違いなのですが、
聞くところによれば、ゴルフ場は、
ゴルフをやる方しか入る事が許されない、
神聖な場でもあるらしいのです。
ジーンズ入場厳禁や、ゴルフ場以外、
つまりクラブハウスなどでのマナーも重視し、
さながら、英国直輸入の作法道場の体でもある。
今日は、こんな堅苦しいと思われがちなゴルフ場で、
コンサート。題して、
『ゴルフ場のメリー・クリスマス』
笑った方は、40代以上ですな。
そう、「戦場のメリークリスマス」のひねりです。
こういうのを考える天才、K氏の企画。
クラブハウスのレストランでのコンサートです。
お客様は、朝早くからコースを回り、
18ホール終了後、
昼過ぎてゆっくり湯を浴びて着替えてから、
三々五々レストランに集合。
ドリンクを口に運び、
オードブルを啄ばみながら、談笑し、
パーティーの開始を待ち、コンサートを待ちわびます。
控え室から開場を覗けば、皆笑顔。
ゆったりとした時間が流れ、師走を忘れさせます。
出番自体は、40分ですので、
それほどヘビーではないのですが、
百戦錬磨の先輩方に聴かせるのですから、
寸分の手抜かりもできず、構成も大事です。
相変わらず、進行のお喋りは私。
最近は、あまり喋る事考えずに、
いや、あまりどころか、何も考えずに出て行き、
トンでもない言葉から話を繋ぐのが楽しく、
今日口を撞いた初言葉は、「のだめ」・・・。
ここから自分は何を言うのだろうと思いながらも、
演奏者の紹介したり、公演の宣伝したり、
まぁ、手前味噌ですが、楽しく相対しました。
コンサート、流石の歌手二人!
マリ&マサの二人に(便宜上&表記で、コンビではない)、
魅せていただきました。
演奏の二人も、安心して私は何もいう事はなし。
マリちゃん、なんだか私生活も充実、
声も精神も安定している様子。聴いていると、
何故かこちらが含み笑いになるのです。
マサは、相変わらずの美声。
緑深い森の中から聴こえる様な声は、
清涼感に溢れた、純度高いトパーズ色の声なのだ。
黄玉と言ったらいいのか、和製トパーズは、
さながら褐色のインペリアルトパーズだ。
お客様、コンサート終った後もニコニコと、
食事も進み、話にも花が咲き、
私達も一緒にテーブルにつかせて頂きました。
赤や黄色、はたまた葉の落ちきった遠景は、
どこを切り取っても、日本の冬景色なのに、
グリーンは、何処までも美しく光り輝いている。
こんな色を1年中キープする人たちの努力は、
並大抵ではないな、と、窓の外を見ながら何度も感心。
プレイしている方々は、
皆ゆったり歩きながら、ホンの少しの闘争心を使い、
五感をフル回転させながら集中している。
私の1秒は、彼らの1分みたいだ・・・。
あぁ、忙しない!忙しない!
と、典型的「江戸っ子せっかち体質」を恨みながらも、
素早い撤収。
漆黒の闇の中を足早に下界に戻るのであった。
聖夜 ― 2006/12/24 22:14

銀座教会は、メソジスト教会として、
1890年7月に現在の場所、
銀座4丁目の有楽町駅のすぐ近く、
外堀通り沿いの角に、誕生しています。
正統的なプロテスタントのキリスト教会として、
60年以上続けられている毎日正午の礼拝には、
数多くの銀座在住在勤の教会員の他、
誰でも礼拝できる開かれた場所でもあるのです。
典型的仏教徒、浄土真宗の私ですが、
西洋音楽を中心とした生業の為、
常にキリスト教の隣りに鎮座するような生活で、
神の御前にて恩恵を与ることは、
お寺で手を合わせて念仏を唱える事と、
それほど変わりはないと勝手に決めているのです。
「銀座ミツバチプロジェクト」。
もう何度もこのブログでも登場しているので、
耳慣れた方も多いでしょうが、
今年春の集蜜から作った蜜蝋(ハチミツの蝋燭)を、
銀座教会のクリスマス礼拝で灯していただく。
これも、プロジェクトの大きな、大切な行事でした。
銀座教会の礼拝堂に、
初めて入らせていただきました。
打ちっぱなしの灰色のコンクリートが吹き抜け、
天高くオルガンパイプがそびえる様相ですが、
祭壇と礼拝の椅子の温もりが、聖なる空間を中和させ、
均整のとれた緊張感と優しさが静寂を包みます。
礼拝に参加している某女子学院高校の生徒15名の、
ハンドベルの楽奏は、あまりに素晴らしく、
寸分の汚れなき音色は、冷や汗が出るほど美しい。
ハンドベルは、音域3オクターブに渡り、
大きなベルは8キロにもなるという。
ハンドベルは、胴とスズから作られる青銅製。
青銅(ブロンズ)は、名の如く、
酸化し深い緑青色になるものが多いが、
丹念に磨き上げられたベルのスズ色は、
祭壇の蜜蝋の灯火が反射して、
プラチナのような眩い輝きである。
15人の美しい彼女達が、
寸分違わないアンサンブルを奏でれば、
振り下ろす腕に合わせてキラキラと輝き、
満天の星空から流れ星が降り注ぐようである。
牧師の先生が仰った。
「この世の中で、不安定な世界の中で、
クリスマス礼拝を捧げられる事の不思議さ・・・」と。
そう、これは奇跡なのだ。
こうしている間にも、
世界中の100以上の地域で戦争と紛争は収まらず、
人が人を傷つけ合い、災害や飢餓で、
数千数万の命が奪われていく。
静寂と音楽の中で祈り、
キリストの生誕と御加護に感謝する。
そうもはやこれは奇跡なのですね。
夕刻、教会を一歩出れば、
現の世界では、肩を寄せゆっくりと歩く恋人達、
笑いながら買い物に興じる家族、
色とりどりのイルミネーション・ツリーと、
物に溢れかえる銀座の街、街、街。
静かに手を合わせながら過ごした75分。
賛美歌を歌い、手を合わせながら、
日頃の不埒な毎日を懺悔し、平和を祈る事で、
一時の魂の浄化が許されたような満足も、
瞬く間に、現実へと引き戻されていく。
「そうだ!先祖の墓参りしよう・・」と、
ささやかな宗教心に俄か芽生えた事だけは、
本日神から授かった揺ぎ無い心境の変化なのだ。
1890年7月に現在の場所、
銀座4丁目の有楽町駅のすぐ近く、
外堀通り沿いの角に、誕生しています。
正統的なプロテスタントのキリスト教会として、
60年以上続けられている毎日正午の礼拝には、
数多くの銀座在住在勤の教会員の他、
誰でも礼拝できる開かれた場所でもあるのです。
典型的仏教徒、浄土真宗の私ですが、
西洋音楽を中心とした生業の為、
常にキリスト教の隣りに鎮座するような生活で、
神の御前にて恩恵を与ることは、
お寺で手を合わせて念仏を唱える事と、
それほど変わりはないと勝手に決めているのです。
「銀座ミツバチプロジェクト」。
もう何度もこのブログでも登場しているので、
耳慣れた方も多いでしょうが、
今年春の集蜜から作った蜜蝋(ハチミツの蝋燭)を、
銀座教会のクリスマス礼拝で灯していただく。
これも、プロジェクトの大きな、大切な行事でした。
銀座教会の礼拝堂に、
初めて入らせていただきました。
打ちっぱなしの灰色のコンクリートが吹き抜け、
天高くオルガンパイプがそびえる様相ですが、
祭壇と礼拝の椅子の温もりが、聖なる空間を中和させ、
均整のとれた緊張感と優しさが静寂を包みます。
礼拝に参加している某女子学院高校の生徒15名の、
ハンドベルの楽奏は、あまりに素晴らしく、
寸分の汚れなき音色は、冷や汗が出るほど美しい。
ハンドベルは、音域3オクターブに渡り、
大きなベルは8キロにもなるという。
ハンドベルは、胴とスズから作られる青銅製。
青銅(ブロンズ)は、名の如く、
酸化し深い緑青色になるものが多いが、
丹念に磨き上げられたベルのスズ色は、
祭壇の蜜蝋の灯火が反射して、
プラチナのような眩い輝きである。
15人の美しい彼女達が、
寸分違わないアンサンブルを奏でれば、
振り下ろす腕に合わせてキラキラと輝き、
満天の星空から流れ星が降り注ぐようである。
牧師の先生が仰った。
「この世の中で、不安定な世界の中で、
クリスマス礼拝を捧げられる事の不思議さ・・・」と。
そう、これは奇跡なのだ。
こうしている間にも、
世界中の100以上の地域で戦争と紛争は収まらず、
人が人を傷つけ合い、災害や飢餓で、
数千数万の命が奪われていく。
静寂と音楽の中で祈り、
キリストの生誕と御加護に感謝する。
そうもはやこれは奇跡なのですね。
夕刻、教会を一歩出れば、
現の世界では、肩を寄せゆっくりと歩く恋人達、
笑いながら買い物に興じる家族、
色とりどりのイルミネーション・ツリーと、
物に溢れかえる銀座の街、街、街。
静かに手を合わせながら過ごした75分。
賛美歌を歌い、手を合わせながら、
日頃の不埒な毎日を懺悔し、平和を祈る事で、
一時の魂の浄化が許されたような満足も、
瞬く間に、現実へと引き戻されていく。
「そうだ!先祖の墓参りしよう・・」と、
ささやかな宗教心に俄か芽生えた事だけは、
本日神から授かった揺ぎ無い心境の変化なのだ。
最近のコメント