始皇帝の紹興酒2007/05/02 23:55

ミツバチやハチミツの話しばかりで恐縮です。

昨日の稽古後に、酒を飲もうという事になり
やわら3~4人位で、何て話だったのです。
しかし、昨日から演出助手で加わる事になった、
養蜂家藤原先生の愛娘Aちゃんとの顔合わせに、
藤原先生が来たところから、事態は急変。

パパである藤原氏も一緒に来ると聞いて、
“やはり心配なんだな~”などと思っている所に、
さっそく現れました。
私はお嬢さんとは初対面でしたが、Aさん、
表情は、愛くるしい大学1年生でありながら、
野生的な勘の良さが目に表れています。
高校生時代に演劇部で主役をやるくらいの
活舌のよさと、物怖じしない態度で、
早くも稽古場の人気者になりそうです。

「今日は朝早くから大変だった!」と藤原氏。
暖かくなってミツバチの活動も活発になり、
トラブルもあり、緊急に呼び出されること数回。
皆に説明してくれながら、手にビニール袋。
何年も蜜を採らぬまま巣の中にあり、
しかし芳醇な香りと味を保ったまま岩の様に固まり、
ハチミツの栄養を凝縮した価値がある“岩蜜”です。
中国の始皇帝も岩蜜を愛し、滋養強壮の岩蜜を、
薬として探させたそうです。
写真でもわかるよう、黒糖みたいなのです。
これが袋一杯に入っていて、
日本在来種である日本ミツバチの岩蜜は、
探したくてもなかなか無いらしく、
車庫に10年も巣を作っていた家からの緊急依頼で、
巣を駆除したときに採蜜となったのです。

まぁ、こんな話から「では一緒に行きましょう!」
という事で、稽古が終った後再度集合して、
近所の中華料理屋に行きましたが、
歌手、ピアニスト、制作、それに、
今回演出助手のAさんと、パパ藤原先生。
なんとも大所帯の飲み会になりました。
途中から、この岩蜜を紹興酒に入れ飲み、
暑い焼酎に溶かして飲み、、と、
蜂蜜酒三昧と相成りました。
味は濃い蜜の味ですが、
明らかに、エネルギーが出そうで、
珍しい貴重な岩蜜の魅力をタップリ味わいました。

ミツバチと環境、人と食。
考えさせられる話題ばかりです。
オペラ歌手の赤星さん、宇野さんも、
早速週末には銀座の屋上で、採蜜に参加が決まり、
益々和は広がるミツバチプロジェクト万歳です。

偉大な指揮者2007/05/03 21:29

義父である三木稔の作曲したレクイエムは、
1963年に初演された。
もう44年も前であるが、
「ヴェラを悼む葬送の歌」というドイツの詩集
を原点に、素晴らしい日本語の詞となり、
名作は生れ落ちて行ったのである。

今日の演奏は、浅草混声合唱団の定期演奏会。
元は東京リーダーターフェルからの依頼の形で、
男声合唱用に書かれ長く演奏されたこの曲を、
改訂混声合唱版として日本初演する日でもあった。
伴奏はオリジナルのオケ版を、
ピアノとエレクトーンに改訂したものです。
エレクトーンの演奏は、オーケストラの様な音色、
繊細なピアノの響きからクレッシェンドも活用でき、
豪快なオーケストラの荘厳さも出せるのではないかと
思うほどの表現力です。
しかし、このレクイエムと合わせるためには、
もと工夫が必要ではないかとも思いましたが・・。

素晴らしいソリスト、また練習を積んだ合唱、
全ての方に大きな拍手を送るところですが、
特筆したいのは、指揮。
他の2つのレクイエムもあわせて、
これだけ上演されていながら、44年間、
一度も自分では振ったことが無かったらしいのです。
私は、この曲の魅力も難しさも解るつもりなので、
混声版への興味を大に、また指揮の心配もありながら、
椅子に背をつける事も無く聴いておりました。
身内ですから、褒め言葉を書いても仕方ないのですが、
指揮が素晴らしかった。
他で、幾度も指揮している姿は見ていますが、
こんな素晴らしい指揮は見たことがない位、
感動的な音楽を紡ぐ出す指揮姿でした。
私は心配どころか、不覚にも涙するほど感動し、
自分にはこんな指揮はできない・・・と、
脱帽どころか、年を経ることの素晴らしさ、れ
作品が時を過ごす事の大切さも学びました。

いつか私も演奏するのでしょうか?
この姿は、一生目に焼き付けようと思いながら、
父に労いの言葉をかけ、会場を後にしました。

長い間、不届き者ガイドのサボり癖で止まっていた、
All aboutのクラシックページの記事を更新しました。
実は本格始動はまだですが、とにかく更新したのです。
迷惑を掛けていた方にも、御免なさい!
楽しみにしてくださっている方、お待ちどう様でした!

記事はココから!
ゴールデンウイーク吉例になっている、
ラ・フォル・ジュルネ・オウ・ジャポンの特集です。
http://allabout.co.jp/entertainment/classicmusic/

水割り2007/05/05 23:31

通年で教えているM大オケの合宿ですが、
矢張り志賀高原は遠い・・・
毎回思うのだが、外には出ない、
究極のインドア・サークルなのですから、
ワザワザ経費をかけて遠くに行かなくても、
東京でやっても良いと思うのですがね。
イヤイヤわかっておりますよ、100数十人を
収監、いや収容する快適な施設が少ない事もね。
しかし、2時間でいけるところ、
つまり半径150キロ圏にしてくれたら、
どんなに嬉しいか、とは思います。

大きな合宿用施設なのですが、
施設本来の目的以外の
オフシーズンの利用として合宿を受け入れます。
夏はゲレンデのホテル宿、冬は海岸そばの民宿など
つまり季節の裏打ちをして合宿利用なのです。
毎年は夏の合宿に来ていたところに、
GWに来ると、景色が違うものです。
なにせまだ積雪がありまして、
楽器を持った学生の横を、
スキーウェアに身を固めた輩が通り抜けるような、
妙なミスマッチ風景です。
私は生まれてこの方、スキーをやったことが無く、
皮肉れば、お金を払って山の上まで運んでもらい、
どうして簡単に滑って降りてしまうのだろう、、、と、
負け惜しみのような冗談を言いながら、
ゲレンデを見渡しますので、
“雪”と言うよりウィスキーが似合う、
クラッシュアイスをぶちまけた様な狭小スペース
を滑り降りてくる人達は、
前世がスキーヤーか雪男なのかと思ってしまう程。

そんなこんなで集合写真をとってみましたが、
眺めて見ると、インドアな人達は、
雪が似合わないと、つくづく思いました。
これも私の負け惜しみでしょうか・・・

それよりか、君達!
スリッパで出てはいけな~い!

マガジン考・そのイ2007/05/07 10:01

これは子供の頃から思っている事ですが、
どうして世の中の雑誌類は、
成長をしてくれないのでしょうか?

小学生の頃は、小学一年生から読みはじめ、
次に2年生、3年生と移り変わります。
青年期、曖昧ながらある特定期間を越えると、
愛読雑誌を卒業しますね。
例えば、高校生からずっと読んだ雑誌でも、
対照が年下になると気恥ずかしくなるものです。
大人になのに、巻末の“今週の運勢”などが、
学校生活の中での話だったりすると、
羞恥心も生まれるものですし、
もっと悲劇は、四柱推命学の生まれ年早見表の、
自分の生年が上位3番目になっていたり、
さらには、すでに無かったりした時、
絶望的な気持ちになるものです。

時代と世代にマッチした雑誌を買おうなどと思い、
創刊1号から入れ込んで買っていると、
突然半年で終ってしまい、またもや、
途方に暮れるマガジン迷子となるのです。
最近はどこ見ても、お洒落な40代男性対照の、
“ちょい悪オヤジ”的な雑誌が大ブームですが、
これも売れなくなれば、果ては廃刊でしょう。

今も昔も、雑誌は、常に先取り情報、身になる常識、
流行が雑誌を作り、雑誌からヒット商品が生まれる。
しかし見方変えると、時代を横に切り取って、
“時刻”で物事を判断していくという、
現代日本の浅知恵思考を象徴するようなものです。
子供が多い時代には、子供中心の消費文化をあおり、
数が減れば対象は上に向き始めました。
今はまさに小金を抱えた団塊の世代がターゲット、
これからもちょっと若くありたい団塊の方の為の、
雑誌が次々に創刊されるに違いありません。

すると、この先はさらに高齢化が進むので、
よくいう30年後の日本においては、
雑誌の大半は60代以降向けであり、
若い編集者が必死になって、
毎日巣鴨に出かけて先取り情報を収集する。
“流行は80代に学べ!”とか、
“ちょい悪ジジィは、午前に遊ぶ!”、
“絶品スイーツ、究極の大納言”、
“料理のコツはテキヤの手付き”
“この人に訊け!線香のソムリエ特選商品”、
・・・誰か止めて! 、 、 、。
なんてタイトルの特集が組まれる雑誌だらけ、
今本屋で平積みされている10~30代向けは、
部数が伸びずに廃刊に追い込まれるのである。

実際に、この20年で、
30~40代が買いたくなるような雑誌は、
実に多くなりました。
以前は、40代に流行という言葉は向けなかったし、
これも単純に人口分布の推移なのでしょうね。
まぁ、世代に入っている私は嬉しいのですが、
根本的解決には程遠いと感じるのです。

長いので、続編は明日。

マガジン考・そのロ2007/05/08 01:41

「何故、雑誌は成長しないのか?」
この話の続編なのですが、
成長の意味とは、現在を時刻で切り取り、
特定世代だけを対象にした編集ではなく、
読者の加年に合わせて雑誌も成長する、
「永年成長型雑誌」を創刊していただきたい、
という事なのです。

一世風靡したマガジンハウスの「ポパイ」は、
1976年7月が創刊ですから、
私達の世代は、少し背伸びの20代の流行から
多くの事を学び影響を受けました。
しかし、30年経過した今でも、
『都会型”若者”に焦点を絞った
20代のメンズファッション雑誌』
というテーマで編集しており、
私達は、立ち読みさえも罪に感じるのです。
他にも「ヴァンサンカン」(仏25)という女性誌は、
まさしく常に25歳を中心にしたものですし、
雑誌名からして対象を変えられないものは、
セブンティーンや、ポップティーンなど、
沢山あるものです。

私など思うに、何故「ポパイ」は、テーマを、
「1855年~1960年生まれの為の雑誌です!」と、
してくれなかったのでしょうか?
誰にでも年齢と共に変化していく問題点があり、
これは良くも悪くも逃れられない共通のテーマです。
年と共に抱えてゆく問題点を特集記事にして、
「ポパイ」も年をとりながら、対象年齢自体が、
少しずつ上がっていくのです。
例えば、大学から社会人になるときの、
就職の問題や、引越し、新入社員時代、
会社での出世や転職、また人間関係からマナーまで、
結婚や離婚などの恋愛話から、結婚生活や、
子供の教育問題、進学から教育費、
次は、次世代へのバトンタッチも始まりながら、
年金から定年後の生活、同居問題から相続まで・・・

40年、50年と年を経て、成熟していく人間は、
みな共通の悩みを抱えるのでしょうから、
同世代を長く一緒に生きた、
読者同志の見えない繋がりはエネルギーになり、
問題解決の手掛かりにもなるでしょう。
勿論、『都会型メンズファッション雑誌』
という位置づけには変わりはなのです。
いつだって、『お洒落で素敵なポパイ世代』という、
外からの好評価は得られるのです。

誰だって、現実を見ながらも少し若い気持ちで、
同じ時間を共有した仲間を大事にするものです。
つまり、現在時刻までには、どの世代にも、
生きて来たそれぞれの時間経過があり、
偶然同じ時刻を様々な世代が共有しているだけです。
それを、時間軸を無視して、時刻だけを切り取り、
世の中は現在の連鎖で未来に向かうという
錯覚を引き起こさせる雑誌作りは、
いい加減にした方が良いのではないでしょうか。

こんな事を子供の頃から思っていましたが、
20年前と今では確実に時代が変化しています。
以前は対照に年寄りなんて気にもせず、
時間を持て余し、浪費家で体力もある若者が、
常に流行を作り出し日本を支えるという図式を
雑誌は特に作り出していました。
しかし、そんな世代も中年になり、
世代別人口の推移で、表の図形が目に見えて変わると、
出生率の低下から、若者だけ相手ではダメなので、
次第に上の世代へのメッセージが多くなり、
雑誌の刊行も次第に世代は上向けです。
そして「ちょい悪から団塊の世代」目当てに、
相変わらず横切りの時刻雑誌を作り出します。

きっと20年後は、ホントに、
60代以上が流行を作り出し、巣鴨はパラダイス。
原宿は、「若者の巣鴨」と言われる逆転現象。
任天堂DSのソフト売り上げNo1は、
『コレでボケない80代の脳トレ!』でしょう。
どんなに発行部数が激減しても、
残さなくてはならない小学生向け雑誌は、
「小学1~2年生」もしくは「小学低学年」とか、
「小学だいたい4年生」・・と、統廃合が進む。
10~20代向けファッション誌は、ほぼ全滅で、
若者は必死に30年前のバックナンバーから、
リバイバルファッションを研究する。

きっと無くなってしまいますね、
若者向けの雑誌類。

だから、今の雑誌を成長させたほうが、
きっと面白い内容になると思いますし、
タイトル変わらず読者も決して離れない。
年齢の節目で自分にあった雑誌を探し、
タイトルに違和感を覚えながらも、
現時刻に愛着を覚えようと、必死になるのは、
もう止めにしたいものなのです。
成長する雑誌は、廃刊とは言わず、
昇天が名誉な事です。
タイトルは、私達向けならば、
「月刊昭和40年代」とか、「新・新人類」。
料理本なら、「カルピスとケチャップ」、
スポーツなら、「永遠の3&世界の1」・・・
楽しいじゃないの!

『永年成長型雑誌』
これを是非作っていただきたいのです。

神の御加護2007/05/09 09:34

映画「神童」は、さそうあきら氏による
全4巻からなるコミックが原作です。

昨今、音楽ドラマでは、記憶に新しいのが、
一世風靡した音楽大学物語“のだめ”こと、
“のだめカンタービレ”ですね。こちらが、
全編コミカルテイストな学園モノなのに比べると、
この「神童」は、いたってシリアスなドラマです。
のだめと同じ、ピアノをドラマの軸にしながらも、
キャラクターの精神性を、深く静かに追い、
読む者の心を惹きつける、知る人ぞ知る、
1998年発刊の名作コミックなのです。

この神童が映画化されました。
出演の方々のラインナップを見れば、
“日本初の本格クラシック音楽映画”と銘打つ
こだわりに相応しく、新鋭の音楽家と、
ベテランの俳優のバランスが良く、
また、実際の演奏もふんだんに取り入れられ、
偽り無き音楽映画のジャンルを守りました。

主役の成海璃子さんは、まだ14歳ですが、
既に大女優の肩書きが付くくらいのキャリア。
ドラマ「瑠璃の島」「1リットルの涙」の出演で、
まさしく神童と讃えられた彼女は、
幼少時からピアノを習い、手元のアップこそ
吹き替えられていますが、ピアノを弾く、
堂々とした姿は、演奏家の姿として、
主役に抜擢された意図が汲めるところです。

この映画、演奏家の役で出演している方々へ、
大変注目が集まるでしょう。
マリア・カナルス国際音楽コンクール第1位
ほか、数多くの入賞歴を誇る三浦友理枝さん、
05年の日本ショパン協会主催、
ショパンコンクール第1位の清塚信也さんが
映画に初出演し、超一級の演奏を披露します。
さらに興味深いのは、わずか5歳で
ウィーン国立音楽大学予備科に入学した
1994年生まれの、まさに”神童”といわれる、
和久井冬麦さんが、全編に美しい音を響かせます。

この神童の映画紹介記事をアップいたしました。
是非御覧くださいません!
http://allabout.co.jp/entertainment/classicmusic/

・・・あまりの忙しさに、長らくサボっていた
[All About]のクラシックガイドですが、
ようやく、少し時間が出来て書いています。
これからの新緑の季節、演奏会シーズンに、
良い記事をたくさん提供できればと思っております。
何卒ご贔屓に!

写真:C/2007「神童」製作委員会

charisma2007/05/10 01:00

フランスのオーケストラを聴いたのが、
果たしていつ以来なのか考えてみたが、
直ぐに答えが出ないほど久し振りの演奏会。

フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団は、
現在、フランスで最も注目されているオーケストラ。
これはある意味においては、発展途上を意味し、
一方で新鮮な感動をもたらしてくれる可能性も示す。
日本でも数年前にも都内のオケ合併があったが、
オケが合併するのは、企業合併より難しい一面もある。
雇用問題と平行して、それまでの音楽のカラーを、
新しく塗り替えていく作業は、存続の根底である、
ファンとの信頼関係を揺るがしてしまう恐れもあり、
この繊細な作業を導引していく責務は大変なものである。
フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団も、
30年前に3つのオケが合併したものであり、
84年以来首席指揮者として、後に音楽監督として
関わってきたマレク・ヤノフスキが、
このオケの歴史の半分以上を創造してきた。
これらの活動は、ディスコグラフでわかるとおり、
フランス作品ばかりで無く、ドイツから、北欧、
また時代も、古典、ロマンからヒンデミットなどの
近現代に至るまで、また、オペラ、オペレッタと、
新しいオケとしての可能性と、柔軟な姿勢を楽壇に
アピールするには十分であっただろう。

2000年から、本日公演の指揮者、
チョン・ミョンフンが音楽監督に就任し、
21世紀に向けて新時代の幕開けとなっている。
今更チョン・ミョンフンの履歴は申し上げるでもないが、
私は、この演奏会に多くの忘れ得ぬ感動をしたのです。
感動などと言うと、あまりにも安直な公演評のようで、
いささか物怖じしてしまうが、畏れずに書いておく。

プログラムは、3つ。
フォーレ「ペレアスとメリザンド」
ラヴェル「ダフニスとクロエ」組曲第2番
ストラヴィンスキー「春の祭典」

と、このオケを堪能するには申し分ない組み合わせ。
品格のよさ、日本に向けての大いなるアピールと、
日本人の憧れとやっかみも含めたフランス音楽への
羨望を満足させるにも、これまた十分な構成に、
アジア人としてのチョン・ミョンフンに同感するのです。

はっきり言ってしまえば、フォーレの始まりなど、
上手くないというより、やる気無がいのかと、
思われるほどの非現実的な音の浮遊で、
チョン・ミョンフンは、1拍は先に振っている。
しかし、この浮遊する弦楽の響きを耳にした途端、
幼いときに何度もレコードに針を落として聴いた、
アンドレ・クリュイタンスの指揮する、
パリ音楽院管弦楽団の不思議な色彩に心は回帰した。
音色という言葉で語るなら、パステルで描いた、
印象派の色彩は、僭越ながら私にも見えたのだが、
音楽はもっと深く、巳を抑制する弦の響きは、
悲劇的な死を迎えるペレアスの行く末を暗示する、
哀しくなるほどのドラマ性である。

オーケストラを見ながら聴いてしまうと、
そこに現実的な音の響きを捉えてしまい、
オーケストラが奏でる音楽の向こう側に
見え隠れするドラマの本能を見失いそうになるが、
チョン・ミョンフンは、決して違う。
目を瞑りながらジッと音楽を見ている彼の脳裏には、
鮮やかな色彩の中でも決して埋もれない、
モーリス・メーテルリンクの描いたペレアス像が、
音楽という言葉で語りかけているのだ。
浮遊する音を求め、泳いでいるような彼の指揮は、
ペレアスを追い求めていると私は確信した。
決して追いつかない虚像のヒロインに、
創造の魂を重ねあわせる為に・・・。

昨夜は、全ての曲を通して、チョン・ミョンフンの
素晴らしさに目眩がするほどでした。
私が、感動したのは、彼が何をしようとしたのか、
全ての音楽を通じて、聴衆に語りかけた手法が、
なんと思慮深いものであったかを知ったからです。
カリスマなんて今時の陳腐な言葉を浴びせては、
マエストロに対し、とても失礼ですが、
カリスマとは、ギリシャに起源する言葉であり、
神からの賜物という最高の賛辞であるはずです。

フランスのオケの素晴らしさと、特異さは、
読んでいただいている方々には、説明が要らぬこと。
でも、再発見したことを書置きしておくならば、
芸術においては、
様変わりしない事、グローバル化を否定する事も、
次時代への大きな投資になる、という意味を、
今更のように考え直しました

温故知新2007/05/11 11:58

真似をする事は決して悪い事ではないと思うが、
どこ盗んで、咀嚼してどう出すかがセンスですね。
記事が面白すぎて、書留めないわけにはいかない。

中国のシマウマの話。
ちょっと子供乗っけて、写真を撮って商売にする、
なんて事は、ゾウでもイルカでもありそうなものだが、
この動物公演では、シマウマが呼び物だそうな。
本物のシマウマならば別段不思議ではないのである。
ニュースから勝手に写真を拝借したが、
左側が私も初めて見る、中国のシマウマなのです。
遠目から見ると、確かにいい感じの縞模様で、
乗っている子供は多少楽しそうな雰囲気ですが、
牽いているオジサンは、背中に冷たい汗をかき、
イタイケな子供の顔を決して直視できない・・・
と、信じたい。

写真見比べると、面白いのですね。
右は正真正銘のアフリカのシマウマですが、
凛々しい縞模様に引き締まった尻尾、
モヒカン刈りを髣髴させる鬣は、
常に野性の本能に身の毛も逆立つ臨戦態勢である。
コントラストの利いた縦縞は、
サヴァンナの弱肉強食に脅かされる毎日でも、
生き延びていける保護色を保ち、
色識別不可能な動物には十分な美しき天然色。
さて、左の中国のシマウマ君は、
ノンビリダラ~ンとした鬣に、フワフワな尻尾。
モンローウォークを楽しめそうな無防備さ加減。
なんだか、使用前と使用後ほどの違いである。
「金払っている人楽しんでいる何が悪い!」
という、オジサンの話しにも納得しましょう。

もう一件、中国のミッキーです。
北京の石景山遊楽園では、ミッキーマウスなど
ディズニーキャラクターのコピーが使われ、
このことを国営通信社の中国新聞社など、
多くのメディア報道したところ、
国内でも波紋が広がっているということです。
この取材に対して、石景山遊楽園広報部は、
ミッキーのコピーだとされたキャラクターを、
『ネズミではなく、耳の非常に大きな猫だ』と反論。
さらに・・・
これは、全国からデザインを募集して、
専門家を交えた検討の結果採用した猫という。
「猫」の家族は計4匹で、大型連休のパレード用。
しかし現在・・・
北京市政府の調査も進み、石景山遊楽園も、
問題となったアニメキャラクターの使用を自粛、
版権局の調査に全面的に協力しているらしい。
これまで石景山遊楽園は、
「ディズニーは遠すぎる!石景山遊楽園に
いらっしゃい」をキャッチコピーにしていたらしい。
じつはドラえもんも使用していたらしいのだが、
猫でなく「水色の豚」とでもいうのであろうか。
日本はそう遠くないので、ディズニーとの距離は、
地理ではなく精神なのかもしれない。

中国は、次回の北京五輪開催に向け、
近代国家の証でもある著作権整備を進め、
模造品などの取り締まりを強化している最中であるが、
同じような事は、高度成長期の日本でもたくさん
あった様な気がする。
ここまであからさまなのは、
お国柄と言うか、大陸精神なのか感心してしまう。

温故知新は絶対不可欠だと思います。
振り返らないと新しきものは見つからないのですが、
古きものから何を学ぶか、ヒットコンテンツは、
何が要因していたのかを考えなければいけませんね。

リサイクル2007/05/12 16:47

世界中どこの国見渡しても、
日本ほどアマチュア音楽家の底辺が広い国はなく、
この歴史がどこに発生しているか詳しく解らないが、
戦後に限定して考えるならば、想像に容易いのは、
1960年代以降の高度成長期に於けるピアノの普及、
同時に2DK文化に相応しい鍵盤楽器の販売促進を、
トランジスター、真空管普及と共に、
音の強弱が調整できる“電子オルガン”という形で
開発していった事は大きな功績であるのでしょう。
道徳につながる情操教育という形で、
文化芸術に触れる機会の必要性を、学校教育の中に
取り入れていったのも時期的には大きな原動力ですね。

私も子供の頃から通っていた音楽教室ですが、
財団法人ヤマハ音楽振興会財団理事長というより、
日本楽器=ヤマハ社長でもあった川上 源一氏の精神が、
良し悪しはあれど、深く礎となっている事は否定できまい。
これらは彼の書籍などに詳しく書かれているので、
興味ある方々は読んでいただきたいところです。
しかし、日本が発展を遂げた高度成長とか、
教育機関における音楽教育などがあったとしても、
ブラスバンド普及までは理解できるのだが、
多くの弦楽器を必要とするオーケストラの
アマチュアの方々の人口までどうして発展したのか?

もっと最近まで話をのばせば、
少なくても私達が子供の70年代後半は、
音楽の時間に歌を歌うのが楽しくてしょうがない、
なんていう中学生は都会では皆無だった。
クラスに数人居る、ギターが弾けて歌まで歌う奴は、
特殊な技術者として、歌を歌う権利を皆が特別に与える、
音楽の精神的認可制度だったような気もする。

ただ現代に通じる原点を思い出すと、
劇的に変わった時代があった。
1980年には認知が完了していた、
ニューミュージックというジャンルの確立と、
弾き語りが当たり前のフォークブーム。
おまけに、1977年の映画で火がついた、
ディスコブームで、それまで口も動かさなかった連中が、
「踊る事は厭わない」という姿勢に出たからだ。

こうなると、歌うわ踊るわの竜宮城状態である。

この時代、、高校生活が始まった私が、
音楽の道に一気にのめり込むきっかけには十分であり、
観るだけで楽しむだけでは物足りなった。
毎日が、踊る浦島太郎生活の始まりでもあったのだ。
・・・余談だが、この1977の流行の映画、
<Saturday night Fever>であるが、先日酔っ払って、
上記の様な過去の戯言を、不覚にも若い奴に話したら、
「どうして、土曜日にフィーバーするのですか?」と、
真顔で訊かれ、
「そりゃ、週休2日ってのは、、、」と、説明しながら、
矢張り喋るんじゃなかった・・・と、赤面した。

その後、カラオケがブームになったのは、
90年年代に入ってからで、今やカラオケなんて、
コンビニに拠るようなもの、ブームなんていう新鮮さも
廃れていますし、歌わない中高校生いないくらい。
それに踊るのも普通です。この発端は難しいですが、
明らかにクラブ(オッサンの社交場でなく!)文化が、
火をつけたのでしょうね。

大した様変わり、と地元のアマチュアオケを
聴きながらいろいろと考えて、しみじみ。

狛江フィルハーモニーの皆さん、奮闘です。
大変ですね、ココまで仕上げるのも。
苦労もわかるし、準備した団員の方々に心より拍手。
創団から、ちょうど10年の節目でもあり、
小さな市の中に、これだけの愛好家と、
邁進する方々がたくさん居る事を誇りに思います。
プロはアマチュアの活動を助け、指標となりながらも、
アマチュアがプロの活動を応援し底辺を支える。
日本特有の音楽文化のローテーションは、
情操教育の延長の役目も果たし、
文化ある地域づくりに、貢献していますね。

また「音楽の街―狛江」の活動が始まります。
しかも、去年より1歩先に進んでいますし、
新しい重責も担わなくてはなりません。

この話しは、いずれまた・・・。

北アルプスが似合う2007/05/13 15:09

何回も通っていると、次第に体が慣れてきて、
電車の時間が短く感じられるものですが、
特急あずさの横揺れだけは、どうにも慣れない。
多分、譜面や台本読んだりしているからでしょうが、
もう少しだけ快適な車両になればと思うものです。
しかしながら、
松本駅のコンコース、とっても綺麗になりました。
アルプス口側の大きな窓から見える、
北アルプスの勇壮な姿は、壁画のようです。
エスカレーターを完備の近代的な間口の広い入口も、
来訪者にとっては親切な、気持ちの良いものです。

相変わらず日曜に行って月曜の朝に帰る行動で、
松本の楽しさや名所をあまり知らないのですが、
『人口に対して日本一Barの多い町』と、言うだけで、
とてもウキウキと微笑んでしまいます。
しかしまぁ、Barも日曜休みが多く、
オケの方々お薦めの店には、
なかなか行けないのですがね・・・。

昨年の秋からお世話になっている、
松本室内合奏団の定期演奏会が近づきました。
宣伝しておきますので、お近くの方は、
是非いらしてくださいね。

松本室内合奏団第35回定期演奏会
6月3日 午後2時開演

Beethoven 交響曲第2番 ニ長調
Brahms セレナーデ第1番 ニ長調

珍しい組み合わせで、体力的にも難曲ですよ。
ブラームスは、ハンブルクの町に生まれた、
北ドイツ代表の作曲家ですがすが、
大抵の方は、晩年の髭もじゃのムサイおっさんの姿を、
写真で見ているので、そんなイメージでしょうね。
しかしこのセレナーデの1番は、若かりし20代始めに
書いた作品を、弦楽合奏からオケに書き直した、
ブラームスが、ブラームスである様を知る作品として、
大変貴重な要素が沢山詰まっています。

ベートーベンを敬愛してやまなかった彼は、
自分らしい交響曲を創るまでたっぷり時間をかけて、
40代になってからようやく第1番を発表するのですが、
熟考し、何度も改訂し、新時代を背負った重責を胸に、
誰もが否定しない至高の1番である事も周知の事実。
そして今回のセレナーデの譜面を見ていると、
習作ではないにせよ、ほとばしるようなエネルギーと、
うちに秘めた愛情や、含み笑いのような悪戯まで、
言葉の無い器楽曲に、多くの言葉のメッセージを
感じずにはいられません。

このブラームスの音楽を“笑み”と感じるのは、
私だけではないと思います。
また、50年前に創られていますが、
やはりベートーベンが若かりし30代最初に
書き上げた交響曲第2番です。

楽聖と言われたベートベンは、
溢れんばかりの才能を譜面に叩きつけ、
既に自己の様式を確立した30才。
ベートベンが亡くなった5年後に生まれたブラームスは、
繊細に絹糸を紡ぐように音を重ねて作曲し、
敬愛したベートベンの背中を追い続け、
自分の内面を見据えて作品を磨き続けた30才。

同じニ長調。
とても興味深い二人に同じく敬意をはらいながら、
指揮台に立ちたいと思っているのです。
オケの皆さん!頑張りましょう。
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