元旦2007/01/01 23:23

あけましておめでとうございます。
皆さんの御多幸お祈り申し上げます。

年が明ければ、気持ちは晴れ晴れ、、、と、
いや、大して何も変わら無いのですが、
平日や土日もない職業、
仕方ない性と毎年思うわけです。

昨年の元旦のブログ読み返すと、
時間が欲しい、睡眠をとろう、
勉強はしたいが、運動も大切、
酒は飲み過ぎない、など、
したいしたい病ですな。

年間のブログ200更新は達成しているようで、
我ながら感心しますが、
こんな随想モドキを読んでくださる方が
沢山に増えたのにはもっと驚きます。
このことも大変感謝いたします。

相変わらずのしたいしたい病は、
今年も持ち越しですが、
昨年元旦から予想外の展開は、夏に、
All Aboutのクラシックガイドを始めたことです。
http://allabout.co.jp/entertainment/classicmusic/

自分では、2006年をネット元年と定めたので、
これもまた天命と思い、
夏から年の瀬まで19本の記事を書きました。
ライターとしてはまだまだアマアマですが、
でも毎日1000数百人の方が見てくださるのですから、
手も気も抜けません。
ただ、何かと時間が取られますので、
時間の使い方は上手くならないといけませんし、
記事は面白いネタを提供しなければなりません。

凝り性の私、現在の状況では満足しませんので、
この記事をもっと沢山の方に見ていただきたく、
努力する事が目標でもあります。
それから、もうひとつ。
年間200のブログは、今年も何とかなるでしょう。
しかし、デジタル化が進みすぎる昨今、
ネット環境を手にすると、
なんでもPCから配信しようとしてしまう。
確かに大切な道具ですが、所詮は道具、
人の手の入ったものには叶わないと信じ、
今年は、新たに“年間200ハガキ”を
目標にしようと思っています。

ドイツ滞在時代は、
ほぼ毎日誰かに手紙を出していました。
どちらかと言えば、最後に宛名を書くように、
自分の毎日を報告していたのですから、
200枚ハガキを出すなんぞ大した事ない!と、
思うわけです。

その時、お礼を言いたい方に出そうと思うので、
何方に行くのか解りません。
ハガキでのお礼自体、目上の方には失礼なのでしょう。
しかし、5秒後には、携帯でお礼できる事ですが、
人に手も借りて、次の日に届くハガキには、
大した意味があるとも感ずる次第です。

ロンブロになりますので、
この続きは明日って事で、
「正月に思う」シリーズにしておきましょう。

書ければ良し2007/01/03 23:16

お正月三箇日は、あっという間に過ぎ去り、
しかしお正月らしきことは何もせず、
若干の御挨拶と年賀状に追われ、
さらに原稿の入稿にも追い回されながら、
気がつくともう3日であった。

昨年夏から異常な数の原稿を書いており、
All Aboutの他にも、
何かにつけ書かなければならない挨拶文、
なにをお願いするのでも官庁の場合は依頼書、
そして名刺交換した方への連絡メール、
知り合いには、ひとつ何卒お願い文、
それから簡単な舞台の台本やら、
使う音楽や、公演の音楽の構成やらも書く。
おまけにブログも書くし、
今年はハガキ200枚出すと宣言してしまった。

私、子供の頃から喋ることは何でもないのですが、
文章となると、これがカラッキシ駄目なのです。
大体字を書く事さえ好きでなく、
要するに、書くなら喋っちゃえ的なし崩しで
世間を渡り歩いてきたので、
ここに来て、突然のしっぺ返しが来た如く、
書いて書いて、また書いての生活になっている。

譜面を見る作業は、
目の前の幾何学的な音符記号を歌いながら
頭の中に解放して、再構築で新しい絵を描いたり、
好きなキャラクターの人物を登場させ演出する、
私の得意な、誇大妄想症候群であり、
書く、喋るとは全然違う、独りよがりな作業です。

喋る作業は以外に真面目になってしまうので、
とてもリアルに、そのとき考えている事や、
研究課題に沿って構築し述べたりするものです。
最近は頭の中で、都合よく構成する癖が嫌なので、
わざと最初に遠い言葉を出したりするのです。

例えば、
地方公演のコンサートで、
司会しながら棒を振ったりする場合があるならば、
普通は、天気の話から地元の激褒めが、枕。
そこから海外の自然、作曲家や音楽の話と、繋ぐ。
この枕と本題の黄金比が、とてもイヤらしい、とて、
まぁ、流暢に勝手に言葉が口を吐くので仕方ない。
そこで最近は、最初にわざとかけ離れた、
その日の朝の出来事などを並べ、こう言います。
「目玉焼き、ってものは、あまり堅くなるまで
焼きすぎるのは好きでなく・・・」と・・・。
勝手に言い放ったあと、いかに少ない言葉で、
作曲家や音楽の話に持ち込むかが、課題です。

これは面白いゲームで、とても緊張感を生みます。
遊んでいるわけでもなく、日常のハナシから、
いかに本題の音楽の話題にスムーズに移れるかが、
出来不出来を左右するのです。

ま、そういいながらこのブログに書く作業も、
困難を極める事が多く、エライ困る日もあるのだ。
30分以内に、写真も編集して文章書いてアップ、
と決めているので、これはコレで鍛えられますね。

TQZ2007/01/05 23:12

私のルーツ。

よく聞かれるです、
「なんでトロンボーンを選んだの?」って。

小学校の4年生の終わりには、
小学校の吹奏楽部予備軍で適正を計られ、
それぞれの楽器に別れた上で、
5,6年生参加の部活となるわけです。
プロの金管奏者達は、
専門の楽器を最初から選らんだ人は意外に居らず、
最初は、ラッパ、ホルンなどから、
トロンボーンに流れついたりするものです。

どうしてそこに流れ着くのか不思議なものです。
楽器が人を選ぶのか、人と楽器の縁なのか、、、。

血液型で人類を4種類に別けるのは好きではないが、
アマチュアを見ていても、プロの奏者でも、
トロンボーン吹きは、どこか似ているものです。
性格なのか、ノリなのか、考えれば、
オーケストラは、楽器によって役割があり、
それぞれの譜面は、役どころによって異なりますから、
自然と、適正は表面化してきて、
その役どころは、素の本人と合致してくるのでしょう。

オーケストラは、普通は2管編成といって、
管楽器は、2人1組で並びます。
でもトロンボーンは3人1組。
古くは教会音楽で、4人1組だったのが、
時代と共に、リストラされて、、、いや、
利便性のよさで3人になったのです。

前にも報告した宣伝ですが、
14日の演奏会。
トロンボーン・クァルテット・ジパング。
彼ら、4人諸子は、芸大の先輩後輩や、
トロンボーン時代の、気の合う仕事仲間でした。
8回目の定期演奏会は、
ニューイヤー・ジパングと称して、
4人の素晴らしいサウンドを
トリフォニーの大ホールいっぱいに響かせてくれます。

後半は、“舞踏会にて”として、
J.シュトラススや、F.レハールの
オペレッタやワルツを聴かせてくれます。
ゲストにソプラノの関真理子さん、
テノールの布施雅也さんをゲストに迎え、
稀な設定の舞台展開をします。

舞踏会を目的に、ウィーン観光にやってくる2人、
別れたはずなのに気になる同士・・
という設定の芝居で進行してくれます。

私、この2部の構成演出と台本も書きました。
演出、照明関連の打ち合わせもホールで済ませ、
後は彼らと稽古を積んでいきます。
いやいや大変楽しくなりそう!
日本で一番人気のジパングの演奏を、
是非皆さんにも聴いていただきたく、私からも宣伝。
大ホール一杯のサウンド、
ニューイヤーにふさわしい音楽とドラマ。

トロンボーン吹きと仕事が出来るのは、、、
いや、一緒に居る事が楽しいのです。

「なんでトロンボーンを選んだの?」って答えは、
「一緒に居ると楽しいから!」なのでしょうね。

All Aboutで11月にインタビュー記事にしています。
http://allabout.co.jp/entertainment/classicmusic/
また彼らのHPは、
http://www7.plala.or.jp/tqz/

です。舞台でお待ち、、、あっ、私は出ません。

1988年11月9日2007/01/06 23:35

あまりにすごい懐かしいモノが出てきたので、
書かずには居られなくなりました。

プログラム、ですが、
1988年の秋、11月9日。
私が初めてベルリン訪れた時に、
フィルハーモニーで聞いたベルリンフィル。

それまで、東京で聴いた事はありましたが、
如何せんフランチャイズでの公演は、
響きがまるで違うのです。
音楽家は、耳で音楽を演奏しますから、
聴こえ方で演奏は変わるのです。
有能な演奏家は、何処でも演奏は変わりませんが、
それでも微妙な音の違いやバランスを感じて、
調整しながらやりますから、
本拠地の響きで安心して演奏するときは、
余裕ができ、精神状態が違います。

この日、1988年11月9日は、
このプログラム2日目の演奏です。
すでにベルリンに留学していた、
ホルンの同級生M岡君に導いてもらい、
私はとっても良い席を買ってもらいました。
タキシードのオトナ、しかも外国人に囲まれ、
汚いカッコの、しかし心は錦の私は、
小鼻を膨らませたまま、膝をかかえるように、
指定の席に座っていました。

出てきたプログラムを、今見直すと、
前半は、ギル・シャハムのヴァイオリンで、
シベリウスのコンチェルトなんてやっています。
これは、まぁ、前座、って意識もあったのでしょう、
ちっとも覚えてないのですから・・・。

私の耳の目標、つまり何を、誰を聴きたいかは、
まさに、一点買いだったんです。
今や引退してしまいましたが、
世界一のバス・ポザウネ(バス・トロンボーン)
として名高かった、S.チースリークは、
なんと言っても子供の頃からのアイドルでしたから、
間近、20m向こうの息遣いも伝わります。

その時は、何もかも盗んでやろうと、
彼の一挙手一投足頭に叩き込み、
ステージの出方、椅子の座り方。
まず何をするのか、楽器の構えは?息継ぎは・・?
私は呼吸困難になるくらい一点を見つめて、
聴いていた、いや、見ていたのですから、
今思うと、凄いものですね。

後半は、ホルストの惑星です。
勿論、冥王星問題もない平和な頃ころでした。
指揮はSir.コリン・デヴィスですから、
英国モノはお手のものです。

演奏が、凄かったのです。
カルチャーショックです。終った瞬間、
腰が抜けて椅子から立ち上がれないのですから。
余韻というか、口があいたまま10分ほどして、
M岡君がやってきて、「どう?」って・・・。

どうもこうもないですね・・・。
この日のこと考えると、
今でも興奮して小鼻が膨らみます。
この演奏は、次の日の録音でCDになって、
今はもう廉価版扱いでしょう。
でも、色あせないのです。
記憶も演奏も、感動もなにもかも。

この演奏で人生は変わったのです。

しかし、
出てきたプログラム、コレだけではないのです。

では、次回。

断崖の天使2007/01/08 23:59

子供の頃から、何かの会があると、
私は、最初から決まっているかのように、
必ず、司会・議長など仕切り役であった。
そのせいか、
結婚式などで、客として呼ばれたのは、
身内の結婚(正確には来賓ではない)も含め、
数会しかなく、披露宴でも、
やはり司会役で、数十組の司会をしてきたのです。

今日は、教え子(といっても大学入るまでの)、
披露宴に呼んで頂いて、湘南方面に行って参りました。
天邪鬼の私は、送迎シャトルバスとかが嫌いなので、
地図で調べた京浜急行の鄙びた駅で降り、
断崖絶壁のような急斜面をよじ登るように、
急階段を昇って、やっと式場に辿り着く。
知る人は知るのだろうが、駅のすぐ裏なのに、
地名の如くホントに山です。

ビルの高さにして15階はあるであろう絶壁を、
タキシード着たまま、
ロッククライミング風階段のぼり(?)なので、
アクションスターのサスペンスシーンっぽい
雰囲気ではあったが、日頃の運動不足がたたり、
上りきった時には、ゼーゼーして前かがみ。
瀕死の容態の、老齢スター風であったのだ。

そして披露宴。
あらためて、人の司会を聞いてみると、
披露宴だけではないのだろうが、
喋り、ってのは、大切なんだなぁ、と思いますね。

新郎新婦主催の会なので、最初の新郎の言葉もあり、
なかなか落ち着いた喋りには感心し、大エールを送る。
次は主賓の校長先生、さすが教育の現場監督である。
厳しさの中に、思春期の子供たちの耳を立たせる話術、
御見逸れいたしました。
次は乾杯の新婦祖父。
単刀直入な自己紹介のあと、助走をつけるか如く、
マイクから2歩下がったので、
きっとすごい事が起きるだろうと覚悟したのだが、
拍子抜けするくらい、ただ朴訥と大きな声で、
ゆっくりと発声する姿は、野武士のようだった。
妙な祝辞もいらず、ただマイクに一礼し、
列席の全員に感謝と乾杯の声を届ける真摯な姿に、
感動いたした次第です。

肝心の司会の女性は、ザッツ・プロです。
私には真似の出来ないハイテンションの声は、
5秒毎に半音ずつ高転調し、
本人は気付かないのだろうが、
脳内アドレナリン分泌が最高潮に達しているだろう。
聴いていた私の耳までがピンク色に染まり、
彼女の言葉から出た真っ赤なハートマークは、
生暖かい会場の偏西風に乗り、
私の右脳の奥底に入り込んでしまった。
片足でトントンと叩いても、まだ出てこない位に・・・。
しかし、学ぶべきところは沢山あるものです。
間の繋ぎ方や、多少強引だとわかっての進行、
笑顔笑顔、笑顔・・・。
いやいやお勉強しました。

しかし、結婚式は、笑うもの、泣くもの、
それぞれの立場で感じ方が違うものですが、
新郎新婦の親御さんの心境も、
複雑な思いもあるものでしょうし、
心配も喜びも含めて、これが披露宴なのですね。
久し振りに会った少年だった彼は、
とても立派な青年になっていました。

本当におめでとう!

4回目2007/01/09 23:50

東京人ってのは、出不精が多いと聞きますが、
どうなんでしょう?

私は、普通の方に比べれば、
地方公演や旅公演も多いですし、
1日で、東京→北海道→沖縄→東京
なんていう、
兼高かおる張りの仕事もありました。(古!)
しかし、
意外に思われるのですが、旅に出るのは、
そう好きでもないのです。
旅は、仕事→宴会→仕事→宴会・・・
のエンドレスで楽しいのですが、そんな事より、
東京に居る事が好きなんでしょうね。
典型的な、出不精東京人です。

でも、みなさんも言いませんか?
旅行から家に帰ったとき、
「やっぱり、我が家が一番いいわぁ~」って。

そんな私が20数年暮らした実家、
某JR駅、勝手に“もてなしの街”にされた、
「おばぁちゃんの原宿」なんていう冠の街を後にし、
ベルリンに引っ越したことは一大事でした。

その後、時代を経て移り住み、
現在の地は4箇所目。
それぞれ住み心地は違えど、
住めば都ってなもんで、順応性は高いのです。
6年住むと荷物増えます。
CD,譜面、書籍、資料・・・など、
考えられない膨張率なのです。

ダンボール100個・・・
こんなに何処に入っていたのでしょうか??

そう引越しなのです。

今回は、用意周到に荷造りを進め、
前日深夜に目途がたって、
めでたくこんな風にブログ書いているのですから、
どうにかなるってもんですね。

大した移動ではないのですが、
とにかく引越しなのだ~!

ソリスト2007/01/10 23:10

前日の余裕とは打って変わって、
打ちのめされた後のような疲労困憊具合である・・・

午後からの引越しってのは、
朝早くから叩き起こされないで済む分、
引越し後の片付けが深夜に及ぶし、、、
いや、これは単に最低生活環境を確保するためだが、
それでも作業は深夜に及ぶのである。

海外に行くのに、飛行機は朝便か夜便なのか。
いや、着いてからが重要、夜に着くなら、
換金できるのか、ホテルには行けるのか・・・
こんな選択と似たようなものか。

午前中、すでに一戦こなして来た猛者が、
スッパイ匂いと、冬なのに背中が燃えるような湯気、
ドスの効いた声で、ギラギラした目で、
高い位置から荷物を嘗め回し、
「ふっふっふ、猪口才な・・・」と言う。

こんな彼らを想像していたのに、
到着した引越しのお兄さんたちは、華奢でスマート、
ニッコリ笑う白い歯は、さらにスイート!
こんなジューシー・フレンズが、
私の手塩にかけた強固な荷造りダンボールを
しっかりと運んでくれるのかと、
疑いの眼差しで目を細めながら、
メガネの縁を持ち上げた私だったが、
一気に始まった彼らの仕事っぷりに、
唖然とし、口が塞がらないばかりか、
顎も外れそうだった。

20kgあるダンボールを2つ重ね、手で横から掴み、
まさに「ヒョイ」という音と共に持ち上げるのである。
ヒョイヒョイと運び、みるみるトラックに移動!
あまりの往復の早さに、
階段の途中から投げているんじゃないかと、
違う階段からそうーっと覗くと、
投げることも、ぶつけることも無く、
ニコニコと運んでいくのだ。
しかも、上ってくる度に、会話を絶やさず、
常にクライアントを上機嫌にさせてくれる。

少し暑くなったのか、腕まくりした下からは、
ターミネーターの腕みたいなものが見え隠れして、
体の剛と、精神の柔を使い分けながら、
一切の無駄な動きなく、仕事をこなしていく。

マシーンか・・・!

4人で来ていたのは解ったのだが、
2人は、下でトラックに運び込んでいるので、
実際には若手2人で往復しているのだ。
ものの30分でダンボールは完了!
良く考えると、100個あったので、
2人で2個ずつ運んでも25往復である。
普通に昇降しただけで息が切れるのに・・
と、呆然としていると、家具を梱包しはじめた。
これは2人で息を合わせて、、、と思ったら、
1人で担いでいる。

マシーンだ・・・。

程なく、積み込み移動して、
今度は荷下ろし。

これもやはり唖然としているうちに終わったのだ。
この方、やはりニコニコと冗談を言いながら・・。
終わって、トラック見れば、アルミの荷室の側面に、
「テレビチャンピオン優勝」の文字!
そうだ、そうだ、と前に見た番組を思い出したら、
「これ今日のチーフですよ」と、マシーン2号。

なるほどなるほど・・・

引越し屋さんとは、単なる物運びに非ず。
これはひとつの職人芸であり、
エンターテイメント・ショウなのだ!
マシーンに見えたのは、精進し鍛え上げられた、
肉体の権化であり、素人には見破れない、
素晴らしいトランスポート芸術なのである。
完成されたソロのテクニックは、舞台マナー、
挨拶さえも最高であった。

アンサンブル2007/01/11 23:25

ダンボールの山、山、、
いやこれはダンボール山脈だ・・。

途方にくれた一夜が明け、
強制的に起きなければならなかったのは、
今日は引き続きピアノが運ばれてくるのだ。

目を擦り、移動元に出かけ運送屋さんを待つ。

昨日の引越し芸術を目の当たりにしたので、
実はワクワクしながら開演を待ったのである。
やがてクレーンを配したトラックが、
花道とは言えないが、
舞台下手、、、いや、左手から、
ゆっくりとしかし確実な足取りで、、、
いや、素早いハンドル捌きでの登場である!

思わず声をかける、
「待ってました!いよぉ、運送屋!」
屋号が解らないのだが、まぁ、これでもよい。
ピアノは、アップライトでも200kgあるのですが、
熟練の運び屋さんは、2人でこれを運ぶのです。
この技は既に何度か目撃して知っていましたから、
再演が見られる事もとっても嬉しい。

簡単に運び出されたピアノは、
次のステージに移動です。

今回は2階と地下と入れたのですが、
2階はクレーンで上げ、サッシを外して横倒しで、
また地下は、狭いドライエリアからですが、
隣家との間が狭いので、若干難しいのでした。

電線が何十本も張り巡らせてあって、
クレーン作業泣かせの中、
無駄ない動きと、的確なリモートコントロールで、
ピアノは、寸分違わず吊り上げられます。
とっても楽しそうなクレーン操作だが、
数センチの幅を見事に操るものです。
3人の作業ですが、役割が決められていて、
適役と思わんばかりの作業工程に、
観客の私は、息を呑みながらの応援です。

近くで作業を見ていると、
業界使用の言葉や、作業用の備品が気になる。
サッシや壁を傷つけないように、
分厚い1尺幅のマットのような物を敷くのですが、
これは通称"子座布団”、なんて呼ばれてます。
また、聞き違いかと恐る恐る質問しましたが、
鍵盤部分をぶつけないため保護する、
ひも付きのクッション材を“ブラジャー”だって!
ま、隠語でしょうが、
業界に1歩近づいた様で、これまたちょっと嬉しい私。

日本独自の音頭取り、
声を合わせ、『あっ、せいの!』っと、声掛かると、
これで、次の1拍目には、
ヘソの下3センチの下丹田にグッと力が入り、
200kgがスッと浮くのである。

いや~、イナセだなぁ~と、私は悦・・・

そして備品を格納して終演。拍手を送り、姿も見送り、
本日の絶妙なアンサンブルを思い起こし、
良いモノ魅せていただいたな~っと、思うも束の間、

振り返れば、積みあがったダンボール山脈に、私は鬱。

吹き初め式2007/01/13 23:31

某M大オケトロンボーン関係者が集う新年会。
“関係者”と言うのは、
現役だけでなく卒業生も沢山来るからなのだ。

通称“めいとろ”とは誰が言い出したのか、
最初は単なる呼称の簡略化だったのだが、
時を経て活動が活発化すると、
次第にこの名前が存在価値を帯びてきて、
性格をも持つようになるのである。

今年は、新年会の前に“吹き初め”と称し、
学生が使う練習場に馳せ参じたOBも含め、
相当数で、まずアンサンブル。
これは、まぁ、新年会のオゥ・ド・ブルの如し。
写真の様に、まず早くに来られる人で、
老若男女が吹き初めるのであるが、
下は19歳から上は2.5倍の年の方まで居るのです。
これがあって、酒が美味しいのですから。

単に懐古的集いなのでしょうか?
・・・いや違います。
現役は煙たいのではないですか?
それも違います。

社会に出てクチャクチャになるまで、
揉まれて揉まれて、
人間関係に磨耗されながらツルツルの心になっても、
皆、心に太陽はあるものです。

真剣な面持ちで転職を報告しに来る者に、
海外生活を経験して帰国したばかりと言う輩、
はたまたこの春には遥か地球の裏側に
出かけていく近況を嬉しそうに報告する奴。
めいとろ同士で結婚したHQとT1は、
なんと“めいとろⅡ世”を連れて来た(可愛い!)。
私がトレーナーに来る前に学生であったT先輩。

泣きながら練習したり、上達を讃えあったり、
履修や試験、就職で悩んだり、恋話に明け暮れたり。
左手に楽器を持った仲間が過ごす4年間は、
その後の50年のシリアスなドラマに、
どれだけ多くの解決方法を与えることか・・・。

宴会は、あっと言う間の数時間が過ぎていきます。
語りつくせぬ気持ちは、また持ち越して、
今度会おうと、笑顔で手を振るのです。

素晴らしい機関紙作ってくれました。
会長のI君、事務局のS君有難う。
また現役もO君からHさんに、バトンは渡され、
充実した1年を皆目指します。

エールを送り、感謝で返す。
エネルギーを贈り、元気を貰う。
現役、卒業生、みな対等です。
皆さん!また次回笑顔で集まろう。
今年も皆幸せであれ!

ジパングったら。2007/01/14 23:00

舞台に立った事がない方は、
舞台から見る客席はどんなものか、
想像がつきますか?

たとえば、舞台の下見に出掛けた時、
舞台中央から見る誰もいない客席は、
満員のお客様は笑顔であるか、
鋭い視線でブーイングを飛ばす輩なのか、
まだ来ぬ客人に、思いを馳せるものです。
またある演奏会、演奏終了の瞬間には、
小さなミスでも自らを責めてしまい、
正面向いて胸を張れなかったりするのです。
そんな期待と評価を下す、
恐ろしく素直で、正直な「お客」とは、
舞台から見てると、
お代官か、仁王様、はたまた如来様なのです。

トロンボーン・クァルテット・ジパングの公演、
無事終了して参りました。

演奏4人の精鋭は、光り輝き、
客席の若者たちは、興味と羨望、
驚きと賞賛の目と耳で、見つめます。
恐れも驕りなく、大胆で謙虚、
繊細な勝負師たちの演奏は、
1曲ずつ確実に平らげ、
申し合わせと積み上げた稽古の実績を、
客席に届けていくのです。

2ヶ月あまりの期間、
主宰の吉川氏と企てながら、
2部の演出を手掛けました。

20年前の毎日が蘇るような私たちの会話。
果敢に攻めて、存在を必ず記していきながら、
昼も夜も徘徊し、思考錯誤しながら、
常に、論議と笑いの肴は、酒と友。
20年前は、上下関係がありますから、
「友」なんて事は口にはしませんが、
尊敬し、敬愛する人間には、上も下もないものです。
信頼できる人間関係を加えて協働できる喜びは、
薄っぺらなデジタル社会が1億年かけたって創れない。
超速で変換していくこの世と思考の中で、
“変わらない事がどんなにすばらしい事か。”
これは魂の欲求に応える己の精神に他ならないのです。

ドラマは、面白い。
音楽も素晴らしい。
2500年に創造された、演劇、音楽、舞踊の原子。
変わり得ぬ魂の欲求は、どんな時代にも、
届くものだと、心より実感した日でした。

私のつたない台本で出演していただいた、
関さん、布施さん、心から感謝しています。
協力していただいたトリフォニーホールの方々、
ジパスタの方々、身内の方々も有難うございました。
舞台挨拶で出演者と並んだとき、
客席の皆さんの拍手の暖かさに
ジパング8回の軌跡を肌で感じました。
頭を垂れ、自分も負けまいと心に誓いました。

ジパングの皆さん、吉川君、ありがとう。
カウンター