ダダ/ナチ ― 2020/07/12 21:01
こればかりは仕方ないのですが、
大昔から書籍と楽譜と音源が増える一方でした。
それでも昨今の時代の流れから
新譜CDを買う機会が減ったので、
音源は昔録音された資料を
必要な時に探して購入する程度です。
譜面もフルスコアの新譜を必要とすることが
ほとんどないので、
古典から後期ロマン派に至るまでは、
一応のものがある気もしますし、
オケにあるものはそこでも参考にできるので、
譜面を買う機会も明らかに減っています。
だがしかし、書籍・・・。
こればかりは減る訳がなく、
増える一方です。
1つを調べて研究すれば、切りのない探究に陥り、
初版で無くなっている本を探し回ります。
これらは、参考書籍の巻末<参考資料>を見ると
実に様々な書籍が紹介されているので、
自分の持っているものと知らないものも
一目瞭然です。
敬愛する平井正先生のベルリンシリーズの
3巻セットは、以前から参考書籍として
非常に詳細な記述がわかりやすい資料ですが、
この度ようやく3巻揃ったのは、
1993~94年に掛けて刊行された
ダダ/ナチ<DADA/NAZI>
1913年から1932年までのドイツの芸術文化、産業
そしてナチスドイツの台頭に至る歴史を
追っています。
平井先生の素晴らしいところは、
歴史を庶民や大衆の目から見えるところに置き、
芸術文化、また退廃的と片付けられた世界まで
真っ直ぐに見つめながら詳細まで拾ってくれるところ。
クラシック音楽という限りあるジャンルでは
誰も見ていない、録音、映像も、
写真さえ残っていない200年、250年前の物を
文字と譜面から想像して作り上げたりしますが、
19世期末以降、20世期というのは、
これらが視覚的にも聴覚でも再現できますから、
時間が過ぎてしまった日常が寄り添うと、
さらに事象が証言されて、正当性があります。
500ページもある書籍を端から読んでいる時間は
とてもないのですが、
必要な時に捲ると必ず答えやヒントがあるので、
頼るべき私のバイブルの様なシリーズです!
ウィキペディアでググって終わりにする事では
済ませないことが、私にとっても課題です。
大昔から書籍と楽譜と音源が増える一方でした。
それでも昨今の時代の流れから
新譜CDを買う機会が減ったので、
音源は昔録音された資料を
必要な時に探して購入する程度です。
譜面もフルスコアの新譜を必要とすることが
ほとんどないので、
古典から後期ロマン派に至るまでは、
一応のものがある気もしますし、
オケにあるものはそこでも参考にできるので、
譜面を買う機会も明らかに減っています。
だがしかし、書籍・・・。
こればかりは減る訳がなく、
増える一方です。
1つを調べて研究すれば、切りのない探究に陥り、
初版で無くなっている本を探し回ります。
これらは、参考書籍の巻末<参考資料>を見ると
実に様々な書籍が紹介されているので、
自分の持っているものと知らないものも
一目瞭然です。
敬愛する平井正先生のベルリンシリーズの
3巻セットは、以前から参考書籍として
非常に詳細な記述がわかりやすい資料ですが、
この度ようやく3巻揃ったのは、
1993~94年に掛けて刊行された
ダダ/ナチ<DADA/NAZI>
1913年から1932年までのドイツの芸術文化、産業
そしてナチスドイツの台頭に至る歴史を
追っています。
平井先生の素晴らしいところは、
歴史を庶民や大衆の目から見えるところに置き、
芸術文化、また退廃的と片付けられた世界まで
真っ直ぐに見つめながら詳細まで拾ってくれるところ。
クラシック音楽という限りあるジャンルでは
誰も見ていない、録音、映像も、
写真さえ残っていない200年、250年前の物を
文字と譜面から想像して作り上げたりしますが、
19世期末以降、20世期というのは、
これらが視覚的にも聴覚でも再現できますから、
時間が過ぎてしまった日常が寄り添うと、
さらに事象が証言されて、正当性があります。
500ページもある書籍を端から読んでいる時間は
とてもないのですが、
必要な時に捲ると必ず答えやヒントがあるので、
頼るべき私のバイブルの様なシリーズです!
ウィキペディアでググって終わりにする事では
済ませないことが、私にとっても課題です。
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