研究会への参加で2018/02/19 21:42

クラシック音楽と言われる西洋音楽は、
確立された数学の合理性と
進化する音楽芸術への平然とした嫉妬で
無責任に認識されていると思うものです。

でも今を生きる子どもたちは、
クラシック音楽とか
創造音楽芸術などとか、
説明しても全く感知せず、
愉しいか飽いてしまうかで
身体に正しいかを問う合理性を
しっかり持ち合わせているのです。

当然と思う欺瞞が滅亡を意味して、
平然と押し付けるかも知れぬ
後ろ盾のある公演事業は、
誰にも判断付かぬ良採点を満面に、
さも旧るかざるを笑顔で演出。

かも知れない、、、。

一方で、

容を見せぬ変幻こそが
型を存ぜぬ未就学への妄信と、
口角を仰角に上げ気丈に魅せて、
不温故な知新を装う手拍子で童子を誘う。

ううむ、
音の創造と音楽学習による教育とは
根本的に根元が違うのかどうか。
もっともっと新しきを知るのが
判断を鈍らせない能力。

だと思うと、

周囲の環境と違う
異次元のシンポジウムに参加して感じるは
記憶と学習の摩擦に蕁麻疹。

対話で整理できるのか、
会話になるか解らないのは、
どちらかが異星人だからか。
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