5月 ― 2006/05/01 23:03
さて5月、早いもので今年も4ヶ月が終わったのですね。
4月最終は少しブログもサボらせていただきました。
あまりに忙しいのと、ちょっとだけ疲れていたのと。
数日書かないでいると、以外にもいろいろな方から、
リアルなコメント、つまりメールや、電話の文末に、
「最近Upしていませんね」と、
意外な程の反応です。
うすうす知っていましたが、
相当数の方が御覧になっているらしいです。
昨年の5月に始めましたが、
決して、日記にならぬよう書き始め、
今年は年間200更新を明言していますが、
書いて見ると、面白い事やら困ったことも・・・
面白いと思ったことは、
意外なアイデアを考える機会になるものなのです。
その日の出来事 = 目で見て感じた事、
その日の出来事 = 耳で聞いて感じたこと、
こんな五感をもうひとつのコンテンツと結びつけると、
以外な考えに気付きます。
例えば、
昼、マグロ丼を喰い、
マグロの赤身の赤さ加減が気になったとします。
外に着色してあるサンプルの色を後で見ると、
以外にも、本物よりも美味しそうな色をしている。
サンプルは、味を出せないわけだから、
せめて色だけでも最高のマグロにすると、
人は口の中一杯に醤油とマグロの味が広がる。
忙しないランチ時には、色なんてお構いなく、
ワサビ醤油をぶっ掛けて食べてしまうので、
そうすると、もうサンプルの美味しそうだった色は、
どうでも良い事になっていくと・・・。
目や耳からの情報で、他の五感を刺激すると、
思わぬ効果があがって、イマジネーションが高まる。
過剰なもので刺激する事は、
その後の本質にとって大事なものなのかと、
実感するわけです。
これは、例え話ですが、
そんな事すぐ忘れてしまうので、
ちょっと書留ておくと、あとで読んだ時でも、
感覚をしっかりと思い出せたりするものです。
困ったこと。
私は、生粋の「喋り」なのですが、
ブログを書く以前は、書いているようなネタを、
いつどこで喋っても、面白がられたのであるが、
読む人が多くなってくると、
同じ事が言えなくなってくる。
「あ、それブログに書いてありましたよね~」
「あ、・・・。 」
と、話が終わってしまう。
これは困りモノです。
ですから、あまりネタは書かないようにして、
話す事と書くことも分けていこうかと思うわけです。
全部違う事を経験するには、1日が3日程ないと、
無理ですし、どれが本当かわからなくもなるのです。
と、言うわけで、
少しサボりましたが、再開です。
4月最終は少しブログもサボらせていただきました。
あまりに忙しいのと、ちょっとだけ疲れていたのと。
数日書かないでいると、以外にもいろいろな方から、
リアルなコメント、つまりメールや、電話の文末に、
「最近Upしていませんね」と、
意外な程の反応です。
うすうす知っていましたが、
相当数の方が御覧になっているらしいです。
昨年の5月に始めましたが、
決して、日記にならぬよう書き始め、
今年は年間200更新を明言していますが、
書いて見ると、面白い事やら困ったことも・・・
面白いと思ったことは、
意外なアイデアを考える機会になるものなのです。
その日の出来事 = 目で見て感じた事、
その日の出来事 = 耳で聞いて感じたこと、
こんな五感をもうひとつのコンテンツと結びつけると、
以外な考えに気付きます。
例えば、
昼、マグロ丼を喰い、
マグロの赤身の赤さ加減が気になったとします。
外に着色してあるサンプルの色を後で見ると、
以外にも、本物よりも美味しそうな色をしている。
サンプルは、味を出せないわけだから、
せめて色だけでも最高のマグロにすると、
人は口の中一杯に醤油とマグロの味が広がる。
忙しないランチ時には、色なんてお構いなく、
ワサビ醤油をぶっ掛けて食べてしまうので、
そうすると、もうサンプルの美味しそうだった色は、
どうでも良い事になっていくと・・・。
目や耳からの情報で、他の五感を刺激すると、
思わぬ効果があがって、イマジネーションが高まる。
過剰なもので刺激する事は、
その後の本質にとって大事なものなのかと、
実感するわけです。
これは、例え話ですが、
そんな事すぐ忘れてしまうので、
ちょっと書留ておくと、あとで読んだ時でも、
感覚をしっかりと思い出せたりするものです。
困ったこと。
私は、生粋の「喋り」なのですが、
ブログを書く以前は、書いているようなネタを、
いつどこで喋っても、面白がられたのであるが、
読む人が多くなってくると、
同じ事が言えなくなってくる。
「あ、それブログに書いてありましたよね~」
「あ、・・・。 」
と、話が終わってしまう。
これは困りモノです。
ですから、あまりネタは書かないようにして、
話す事と書くことも分けていこうかと思うわけです。
全部違う事を経験するには、1日が3日程ないと、
無理ですし、どれが本当かわからなくもなるのです。
と、言うわけで、
少しサボりましたが、再開です。
1枚500円 ― 2006/05/02 16:31

最近、仕事で必要に迫られて
何枚も買ったCDがあります。
昔から、相当数のCDを買うのですが、
毎月、、、
いやひどい時には、毎週、数十枚と増えるのです。
とは言っても、
マーラーの新盤が出たから買うのでもなく、
モーツァルト・イヤーだからと言って、
「ピアノソナタを全部買いたい!」でもなく、
要するに資料として頭に入れておくためのクラシックから、
世界中の民族音楽、国家、フォークダンス、、、
そう、効果音とか、美空ひばりとか、、、。
必要と思われるものはとにかく手元に置きたいので、
凄い勢いで聴いて、一生聴かないであろうモノも、
たくさんあるのです。
i-pod や、昔ではwalk-manとか、ポータブルMDとか、
こういったものを携帯しないばかりか、
殆どサンプルとして参考程度以外の
クラシック(演歌や民族音楽も含めて)は聴かないので、
家に居ても、事務所で仕事していても、
音は流さないのが普通ですね。
多分、私以外の音楽家の皆さんも、こんなものでしょう。
聴覚が疲れるから嫌なんですね。
耳の退化を防ぐということもあるのかも知れません。
で、もって、最近買ったいくつかのCDです。
大手レコード会社なら、長年の仕事で溜まってしまった、
録音物を新たな方法で再プレスしたいもので、
以前は単体で、廉価版として1000円~1500円で、
売っていました。
しかし、輸入版は安くなるし、ましてや今は、
家庭で100円もあればCDが焼ける時代、
この値段ではなかなか売れないものですね。
「どこかで聴いたクラシック」
たしかにどこかで聴いたけど思い出せない曲。
メロディーは良く知っているが、
タイトルが、出てこない、、、
いや、これはなんと言うオペラの中のアリアだ・・・。
こんな事ってあるものですが、
このシリーズは、ほんとに良くできていて、
痒いところに手が届くのです。
勿論、ほぼ全部の曲は知っているのですが、
思わぬ順番でやってくるので、
流していると面白いものです。
ガラコンサートだって、紅白歌合戦だって、
もっとよく考えてプログラムしてくるだろうに、
何だか、最初からシャッフルされているみたいです。
シリーズで、オケ版だったり、オペラだったり、
またカテゴリーが、華麗なる・・・とか、
情熱の・・ とか、CMで使った・・とか、
こんなのもまぁ、よく考えるものです。
しかも、値段は、6枚組みで3000円が主流です。
このブームは、カラヤンの「アダージョ」というCDから
でしょうが、CD販売の最後の砦なのか、
はたまた新たな企画が飽きさせないのか、
さてどうなのでしょう?
お薦めです。
何枚も買ったCDがあります。
昔から、相当数のCDを買うのですが、
毎月、、、
いやひどい時には、毎週、数十枚と増えるのです。
とは言っても、
マーラーの新盤が出たから買うのでもなく、
モーツァルト・イヤーだからと言って、
「ピアノソナタを全部買いたい!」でもなく、
要するに資料として頭に入れておくためのクラシックから、
世界中の民族音楽、国家、フォークダンス、、、
そう、効果音とか、美空ひばりとか、、、。
必要と思われるものはとにかく手元に置きたいので、
凄い勢いで聴いて、一生聴かないであろうモノも、
たくさんあるのです。
i-pod や、昔ではwalk-manとか、ポータブルMDとか、
こういったものを携帯しないばかりか、
殆どサンプルとして参考程度以外の
クラシック(演歌や民族音楽も含めて)は聴かないので、
家に居ても、事務所で仕事していても、
音は流さないのが普通ですね。
多分、私以外の音楽家の皆さんも、こんなものでしょう。
聴覚が疲れるから嫌なんですね。
耳の退化を防ぐということもあるのかも知れません。
で、もって、最近買ったいくつかのCDです。
大手レコード会社なら、長年の仕事で溜まってしまった、
録音物を新たな方法で再プレスしたいもので、
以前は単体で、廉価版として1000円~1500円で、
売っていました。
しかし、輸入版は安くなるし、ましてや今は、
家庭で100円もあればCDが焼ける時代、
この値段ではなかなか売れないものですね。
「どこかで聴いたクラシック」
たしかにどこかで聴いたけど思い出せない曲。
メロディーは良く知っているが、
タイトルが、出てこない、、、
いや、これはなんと言うオペラの中のアリアだ・・・。
こんな事ってあるものですが、
このシリーズは、ほんとに良くできていて、
痒いところに手が届くのです。
勿論、ほぼ全部の曲は知っているのですが、
思わぬ順番でやってくるので、
流していると面白いものです。
ガラコンサートだって、紅白歌合戦だって、
もっとよく考えてプログラムしてくるだろうに、
何だか、最初からシャッフルされているみたいです。
シリーズで、オケ版だったり、オペラだったり、
またカテゴリーが、華麗なる・・・とか、
情熱の・・ とか、CMで使った・・とか、
こんなのもまぁ、よく考えるものです。
しかも、値段は、6枚組みで3000円が主流です。
このブームは、カラヤンの「アダージョ」というCDから
でしょうが、CD販売の最後の砦なのか、
はたまた新たな企画が飽きさせないのか、
さてどうなのでしょう?
お薦めです。
合宿 春 ― 2006/05/05 23:05

いつものM大オケの合宿で苗場に行っていました。
まぁ、みなさん朝から晩までよく練習します。
音楽好きというか、楽器大好きというか、
オーケストラ最高!っていうか、ですね。
6月の演奏会も近くなり、気合十分、冷や汗もたっぷりで、
普段は居ないトレーナーが、何人も目を光らす、、
いや、見守る中で成果を見せるのは、
練習とはいえ、いやいや大変なものです。
でも真摯に音楽に向かう態度は、
音楽家としては見習わなくてはならぬ所、
皆さん、がんばって欲しい。
と、M大関係者も沢山見ているであろうここで、
あまり滅多な説経事は書けない故、
多大なエールを送って茶を濁しておこう。
毎年毎年、同じ宿に10数年行っていると、
入れ違う学生以外、なんの変化も無い気がするし、
案内される私の部屋は、何故か同じ部屋に決まっており、
年に1回しか行かない部屋なのだが、
隣の高層リゾートマンションの人たちと同じ気分。
(そう書くと素晴らしい部屋のように思われて、
これまた関係者の為に「プラス」にしておこう)
宿の風呂は、いつも学生でごった返していて、
石鹸欲しい学生に、湯気で私と判断できないからって、
背中越しに、タメ語で、
「おう、石鹸取ってくれよ!」と、怒鳴られるのはイヤだし、
これに反論出来ず、
無言で渡してしまうかもしれない自分も情けないので、
お風呂は、ちょっと外に出て、近所の日帰り温泉を利用。
都合のいいことに、苗場はあちらこちらに温泉宿があり、
しかもなかなかいいお湯である。
以前は、「安くて質素で必要にして十分な温泉」
に、通っていたのだが、ここは次第に、
「古くて暗くて安いだけの温泉」になってしまい、閉館。
代わりに、その先のきれいな半露天の温泉に
数年通っていたのだが、ここが、ちと高い。
今回も、まぁ仕方ないと思いながら、
サンダルをつっかけて歩いていくと、
なんと、「古くて暗くて安いだけの温泉」は、リニューアル!
表に、無料の足湯場まで作って盛況してるのです。
建物に入ってみると、内装が改装してあり、
出てくる人は、笑顔で、まだ滴る汗をタオルでぬぐっている。
「ほう!」っと思い、800円払って、中に進むと、
お風呂まで改装してあって、露天まであつらえてあった。
(しかし、高層リゾートマンションの上層階からは
男湯は丸見えで、見たくない人には、大した露出なのだ)
なかなかお湯もよく、以前と変わらぬ泉種。
「古くて暗くて安いだけの温泉」は、
「安くて質素で必要にして十分な温泉」を超えて、
「露出度もポイントも高い、檜ふんだんなゴキゲン温泉」
に、変わっていたのである。 感心感心。
しかし、合宿日程をこなすのに忙しく、
1度しかいけませんでした。
この写真、宿の裏手に待機していたブルトーザーに
張ってあったシール。
以前からあった古いサビサビの先代から、
こちらも大きくリニューアルな、新ブルトーザー。
近づくと危険だから注意しろといわんばかりの、
多種多様な言葉とロゴ。
しかし、いくらなんでもこんなロゴにしなくても、
いいと思うのですが、どうでしょう?
巻き込まれリャこうなるのは、誰でもわかるので、
ちょっと、恐すぎです。
、、、と、
練習に疲れた学生達と話のネタに盛り上がったのです。
まぁ、みなさん朝から晩までよく練習します。
音楽好きというか、楽器大好きというか、
オーケストラ最高!っていうか、ですね。
6月の演奏会も近くなり、気合十分、冷や汗もたっぷりで、
普段は居ないトレーナーが、何人も目を光らす、、
いや、見守る中で成果を見せるのは、
練習とはいえ、いやいや大変なものです。
でも真摯に音楽に向かう態度は、
音楽家としては見習わなくてはならぬ所、
皆さん、がんばって欲しい。
と、M大関係者も沢山見ているであろうここで、
あまり滅多な説経事は書けない故、
多大なエールを送って茶を濁しておこう。
毎年毎年、同じ宿に10数年行っていると、
入れ違う学生以外、なんの変化も無い気がするし、
案内される私の部屋は、何故か同じ部屋に決まっており、
年に1回しか行かない部屋なのだが、
隣の高層リゾートマンションの人たちと同じ気分。
(そう書くと素晴らしい部屋のように思われて、
これまた関係者の為に「プラス」にしておこう)
宿の風呂は、いつも学生でごった返していて、
石鹸欲しい学生に、湯気で私と判断できないからって、
背中越しに、タメ語で、
「おう、石鹸取ってくれよ!」と、怒鳴られるのはイヤだし、
これに反論出来ず、
無言で渡してしまうかもしれない自分も情けないので、
お風呂は、ちょっと外に出て、近所の日帰り温泉を利用。
都合のいいことに、苗場はあちらこちらに温泉宿があり、
しかもなかなかいいお湯である。
以前は、「安くて質素で必要にして十分な温泉」
に、通っていたのだが、ここは次第に、
「古くて暗くて安いだけの温泉」になってしまい、閉館。
代わりに、その先のきれいな半露天の温泉に
数年通っていたのだが、ここが、ちと高い。
今回も、まぁ仕方ないと思いながら、
サンダルをつっかけて歩いていくと、
なんと、「古くて暗くて安いだけの温泉」は、リニューアル!
表に、無料の足湯場まで作って盛況してるのです。
建物に入ってみると、内装が改装してあり、
出てくる人は、笑顔で、まだ滴る汗をタオルでぬぐっている。
「ほう!」っと思い、800円払って、中に進むと、
お風呂まで改装してあって、露天まであつらえてあった。
(しかし、高層リゾートマンションの上層階からは
男湯は丸見えで、見たくない人には、大した露出なのだ)
なかなかお湯もよく、以前と変わらぬ泉種。
「古くて暗くて安いだけの温泉」は、
「安くて質素で必要にして十分な温泉」を超えて、
「露出度もポイントも高い、檜ふんだんなゴキゲン温泉」
に、変わっていたのである。 感心感心。
しかし、合宿日程をこなすのに忙しく、
1度しかいけませんでした。
この写真、宿の裏手に待機していたブルトーザーに
張ってあったシール。
以前からあった古いサビサビの先代から、
こちらも大きくリニューアルな、新ブルトーザー。
近づくと危険だから注意しろといわんばかりの、
多種多様な言葉とロゴ。
しかし、いくらなんでもこんなロゴにしなくても、
いいと思うのですが、どうでしょう?
巻き込まれリャこうなるのは、誰でもわかるので、
ちょっと、恐すぎです。
、、、と、
練習に疲れた学生達と話のネタに盛り上がったのです。
不思議 ― 2006/05/06 11:26
先日、成分解析のサイトの記事を書いた後、
周囲が以外に盛り上がったので、もう一丁。
これは冗談でなく、大真面目なサイト・・・
とは言え、マジックかイリュージョンなのか、
からくり知らない私がダメなのか・・・。
不思議すぎて私には訳解らない!
兎に角、やってみてください。
サイトにも書いてありますが、一応やり方を。
10~99までの数字の中から、
思い浮かぶ数字をひとつ決める。
1の位と10の位の数字を足す。
最初に思い浮かべた数字から、
この足した合計を引く。
上の0~99の数字の横の記号を見る。
大きな青い円をワンクリック・・・
http://blog5.fc2.com/y/yonehan/file/psychic.html
どうでしょう、
何故同じ記号が出てくるのでしょうか?
思い浮かべただけなのに、
どうして答えを当てられるのですか?
数学的に当たり前なのでしょうか?
心理学なのでしょか?
それとも、すべて見られているのでしょか?
面白いサイトがあるものです。
周囲が以外に盛り上がったので、もう一丁。
これは冗談でなく、大真面目なサイト・・・
とは言え、マジックかイリュージョンなのか、
からくり知らない私がダメなのか・・・。
不思議すぎて私には訳解らない!
兎に角、やってみてください。
サイトにも書いてありますが、一応やり方を。
10~99までの数字の中から、
思い浮かぶ数字をひとつ決める。
1の位と10の位の数字を足す。
最初に思い浮かべた数字から、
この足した合計を引く。
上の0~99の数字の横の記号を見る。
大きな青い円をワンクリック・・・
http://blog5.fc2.com/y/yonehan/file/psychic.html
どうでしょう、
何故同じ記号が出てくるのでしょうか?
思い浮かべただけなのに、
どうして答えを当てられるのですか?
数学的に当たり前なのでしょうか?
心理学なのでしょか?
それとも、すべて見られているのでしょか?
面白いサイトがあるものです。
モダン・バレエ ― 2006/05/08 23:13

クラシック・バレエの歴史もなかなか難しいが、
モダン・バレエとなると、どう違うの?
更に、コンテンポラリー・ダンス
ん~、何なのでしょうか・・・
簡単に説明、、、つくかな・・・
まず、クラシック・バレエですが、
これはいつからあるのでしょう?
オペラ、バレエも、また演劇もそうなのですが、
辿ると、紀元前5世紀頃のギリシャにまで
原型を遡ることができます。
総合芸術的としての要素がふんだんでしたが、
その後、原始キリスト教から高度な神学に発展すると、
人々が踊る事はけしからんと、禁止されたのです。
宗教中心の考えは芸術全般に及び、
オペラ(というか音楽付き演劇)も無くなりましたが、
今から400年前、フィレンツェで復興します。
オペラの最初もこれ、「復興」バレエも、「復興」
だからルネッサンスですね、そうそう美術もそう。
ここが現代に続く舞台芸術の根源といっても、
過言ではありません。
ま、難しい話は置いておいて、
さらに時代が進むと、技術も高度になり、
職業舞踊家が現われて、
今度はつま先で立つようになる。
ココからが、私達が見ることの出来る、
現代のクラシック・バレエの原型。
クラシックバレエ芸術の頂点は、
110年ほど前に完成した、
チャイコフスキーによる、3大バレエですね。
20世紀になれば、アメリカ大陸の影響もあり、
様々な音楽とリズムが入ってきます。
ヨーロッパがアメリカに影響を及ぼし、
またその跳ね返りが、
ヨーロッパの文化とアメリカ文化を融合する、
という事を繰り返しますので、
クラシック音楽からも、軽音楽やミュージカルが
産まれたように、その時代に求められるように、
新しい種類の踊りが誕生するわけです。
こうして、モダン・バレエの原点は生まれて行きます。
クラシック・バレエに対して、
「じゃ、どこが違うのか?」となると、
とりあえず靴ですかね。
モダンは裸足もシューズもありえますが、
ポワント(トゥ・シューズ)は履きません。
クラシックは、勿論裸足にはなりません。
クラシックは脚を中心とした型の芸術美。
モダンは全身表現によるドラマ芸術。
踊りのテーマも違う事が多いですね。
クラシック・バレエは、オペラと同じように、
ギリシャの神の話から、宮廷の娯楽となり、
それから後、大衆が楽しむ芸術に発展しましたが、
この辺りからは、恋愛モノが主流で、今に至ります。
モダンは、対して恋愛モノでも、よりドラマ性が強く、
「好きだ惚れた」のヌルイ話より、「愛と死」といった、
人間の魂自体をテーマに置くことが多く、
よりリアルに、心の中をえぐっていきます。
ですから、踊り手のキャラクターが露になり、
より高度な内的表現が求められるものです。
しかも、ストーリーは自由ですから、
「全員がトマトになって、完熟していくなかで、
主人公の娘ポモドちゃんが、痛んだ箇所が元で、
腐っていってしまう悲哀話」もOK。
「家中ゴミだらけと、近所から嫌われながらも、
これは私の大切な収集と思い出なのだ、と、
言い張る『ゴミ屋敷』の老婆が主人公」にしても、
一向に構わないわけです。
さて、コンテンポラリーになると、
ちょっとカテゴリーが難しいのですが、
この新しい踊りも、
クラシック・バレエに対して用いられた、
その字の如く、当世風、現代風といった意味で、
クラシック・バレエに対して、先駆的なモダンバレエを
行っていた人たちのジャンルがこう言われたのでしょう。
今では、線引きは極めて難しくなっていますが、
コンテンポラリーという看板を掲げる人たちは、
この言葉の持つ魅力や先駆的な意識に対して、
共闘していく感覚を活動に位置づけているのでしょう。
ま、そんなモダン・バレエ。
えっ?「で、何がモダンかって?」
そんな質問は野暮なのです。
観て楽しみ、魂を揺さぶられ、
非日常的な空間に身を委ねると、
自ずから答えが出てくるのです。
と、、、逃げる。
さて、公演告知、6月29日と、30日。
吉祥寺駅前の吉祥寺シアターで公演です。
私は、音楽プロデュースと、少し作曲。
あっ、「噂の支配人」役で出ています。
もう、毎日毎日稽古で、全身筋肉痛で、、あいたたた、、。
ウソウソ、踊りません!
(踊れません、ではなく、オッファーが来なかった、
と、いう事にしてくださいな)
お友達、ダンサーの浅野つかさ嬢の手伝いです。
興味ある方は、私まで御連絡を!
この公演の準備はまた報告します。
モダン・バレエとなると、どう違うの?
更に、コンテンポラリー・ダンス
ん~、何なのでしょうか・・・
簡単に説明、、、つくかな・・・
まず、クラシック・バレエですが、
これはいつからあるのでしょう?
オペラ、バレエも、また演劇もそうなのですが、
辿ると、紀元前5世紀頃のギリシャにまで
原型を遡ることができます。
総合芸術的としての要素がふんだんでしたが、
その後、原始キリスト教から高度な神学に発展すると、
人々が踊る事はけしからんと、禁止されたのです。
宗教中心の考えは芸術全般に及び、
オペラ(というか音楽付き演劇)も無くなりましたが、
今から400年前、フィレンツェで復興します。
オペラの最初もこれ、「復興」バレエも、「復興」
だからルネッサンスですね、そうそう美術もそう。
ここが現代に続く舞台芸術の根源といっても、
過言ではありません。
ま、難しい話は置いておいて、
さらに時代が進むと、技術も高度になり、
職業舞踊家が現われて、
今度はつま先で立つようになる。
ココからが、私達が見ることの出来る、
現代のクラシック・バレエの原型。
クラシックバレエ芸術の頂点は、
110年ほど前に完成した、
チャイコフスキーによる、3大バレエですね。
20世紀になれば、アメリカ大陸の影響もあり、
様々な音楽とリズムが入ってきます。
ヨーロッパがアメリカに影響を及ぼし、
またその跳ね返りが、
ヨーロッパの文化とアメリカ文化を融合する、
という事を繰り返しますので、
クラシック音楽からも、軽音楽やミュージカルが
産まれたように、その時代に求められるように、
新しい種類の踊りが誕生するわけです。
こうして、モダン・バレエの原点は生まれて行きます。
クラシック・バレエに対して、
「じゃ、どこが違うのか?」となると、
とりあえず靴ですかね。
モダンは裸足もシューズもありえますが、
ポワント(トゥ・シューズ)は履きません。
クラシックは、勿論裸足にはなりません。
クラシックは脚を中心とした型の芸術美。
モダンは全身表現によるドラマ芸術。
踊りのテーマも違う事が多いですね。
クラシック・バレエは、オペラと同じように、
ギリシャの神の話から、宮廷の娯楽となり、
それから後、大衆が楽しむ芸術に発展しましたが、
この辺りからは、恋愛モノが主流で、今に至ります。
モダンは、対して恋愛モノでも、よりドラマ性が強く、
「好きだ惚れた」のヌルイ話より、「愛と死」といった、
人間の魂自体をテーマに置くことが多く、
よりリアルに、心の中をえぐっていきます。
ですから、踊り手のキャラクターが露になり、
より高度な内的表現が求められるものです。
しかも、ストーリーは自由ですから、
「全員がトマトになって、完熟していくなかで、
主人公の娘ポモドちゃんが、痛んだ箇所が元で、
腐っていってしまう悲哀話」もOK。
「家中ゴミだらけと、近所から嫌われながらも、
これは私の大切な収集と思い出なのだ、と、
言い張る『ゴミ屋敷』の老婆が主人公」にしても、
一向に構わないわけです。
さて、コンテンポラリーになると、
ちょっとカテゴリーが難しいのですが、
この新しい踊りも、
クラシック・バレエに対して用いられた、
その字の如く、当世風、現代風といった意味で、
クラシック・バレエに対して、先駆的なモダンバレエを
行っていた人たちのジャンルがこう言われたのでしょう。
今では、線引きは極めて難しくなっていますが、
コンテンポラリーという看板を掲げる人たちは、
この言葉の持つ魅力や先駆的な意識に対して、
共闘していく感覚を活動に位置づけているのでしょう。
ま、そんなモダン・バレエ。
えっ?「で、何がモダンかって?」
そんな質問は野暮なのです。
観て楽しみ、魂を揺さぶられ、
非日常的な空間に身を委ねると、
自ずから答えが出てくるのです。
と、、、逃げる。
さて、公演告知、6月29日と、30日。
吉祥寺駅前の吉祥寺シアターで公演です。
私は、音楽プロデュースと、少し作曲。
あっ、「噂の支配人」役で出ています。
もう、毎日毎日稽古で、全身筋肉痛で、、あいたたた、、。
ウソウソ、踊りません!
(踊れません、ではなく、オッファーが来なかった、
と、いう事にしてくださいな)
お友達、ダンサーの浅野つかさ嬢の手伝いです。
興味ある方は、私まで御連絡を!
この公演の準備はまた報告します。
割り箸 ― 2006/05/10 22:57
年間260億膳の割箸が国内で消費されているという。
確か1980年に差し掛かる頃と、バブルの頃にも、
割り箸論争がありましたね。
保護団体、一般消費者の、
「割り箸は、森林破壊を促進して資源を破棄している」
と言う主張と、林野庁の、
「割り箸は、低利用材や間伐材の利用で林業の促進」
という回答です。
この結果がどうなったかは、覚えていませんが、
いつも必ず“持ち箸運動“が起こっていた気がします。
今回のニュース、
中国が、環境破壊に考慮して、
割り箸の生産量を抑えたために、
90%を中国の輸入に頼る日本は、
市場価格の値上げを余儀なくされた。
と、言うものである。
ふ~ん、なのであるが、
またまた割り箸論争が起こる気配もある。
しかし、私は、はなから、持ち箸賛成派なので、
ふ~んなのである。
夕方のニュースを見ていて、飲食店の反応は様々。
とある外食チェーンでは、値上げに伴い、
思い切って、プラスティック箸に替えたという。
これに対してお客の反応は様々・・・
「矢張り、誰も使っていない箸で食べたい・・」
という輩も多く答えていた。
・・・こういう人は、どうするのだろう?
ナイフ、フォークも、プラスティックで、
使い捨てを希望しているのだろうか?
では、人が使った茶碗も嫌ではないか、
ぐい飲みもシャンパングラスも、ダメではないか・・・。
どんなにキレイに洗っても、美しい料理でも、
自分のモノは自分のモノで、、、なのか。
器と箸では意味が違うのは、当然解っている。
では、韓国料理はどうだろう?
必ず銀の箸ではないか。割り箸なんて見たことない。
(余談だが、あの箸は、何故あぁなんだろう。
長時間使うと、指は痛いし、
だいたい掴みにくいし重いし、云々)
そう、韓国料理では、日本人でも
だれも、割り箸持ってきて!って、言わないのである。
要するに、特別な意識、サービスの徹底した日本では、
オシボリにお冷、割り箸に箸置き、なんてセットが、
オモテナシになっているのだろう。
でも最近、オシボリだって出てこない店は多くなったし、
箸の使い回し「結構」なのである。
ゴミだって有料化が進んで、なんとか減らそうとするし、
スーパーの袋だって、エコバックが主流になりつつあるし、
箸だって、それでいいじゃないか、と思う。
欲しい人は、お金を払って買えばいい。
定食屋では10円で、高級店では一膳500円、
よもや銀座のクラブで、肴に頼んだ漬物の箸に、
新品を添えてもらおうものなら、20、000円!
これでいいじゃないか、お持ち帰りすればいい。
女の子ひとり持ち帰るより安いのだろう・・・。
だったら、素敵な箸をいくつか買っていって、
お姐さん方にプレゼントすりゃいい!
これは、きっと時事ネタアイデアで、きっとモテル!
来月は、「ちょいワルオヤジのMy箸選び!」だな。
く~! Leonさん、使っていいよ、このネタ。
潔癖な日本人は、ものを共有する意識まで、
欠落させる気がします。
「割り箸が、現代日本の文化なのに、、」なんて、
キャスターのショボイ締めでニュースは終わっていたが、
そんな狭い事より、『素敵なmy箸、持ち歩きブーム』
の方が、生活に根付いた立派な文化意識だと思う。
表参道の、素敵な箸屋が気になりますな!
明日、いこうかな。
確か1980年に差し掛かる頃と、バブルの頃にも、
割り箸論争がありましたね。
保護団体、一般消費者の、
「割り箸は、森林破壊を促進して資源を破棄している」
と言う主張と、林野庁の、
「割り箸は、低利用材や間伐材の利用で林業の促進」
という回答です。
この結果がどうなったかは、覚えていませんが、
いつも必ず“持ち箸運動“が起こっていた気がします。
今回のニュース、
中国が、環境破壊に考慮して、
割り箸の生産量を抑えたために、
90%を中国の輸入に頼る日本は、
市場価格の値上げを余儀なくされた。
と、言うものである。
ふ~ん、なのであるが、
またまた割り箸論争が起こる気配もある。
しかし、私は、はなから、持ち箸賛成派なので、
ふ~んなのである。
夕方のニュースを見ていて、飲食店の反応は様々。
とある外食チェーンでは、値上げに伴い、
思い切って、プラスティック箸に替えたという。
これに対してお客の反応は様々・・・
「矢張り、誰も使っていない箸で食べたい・・」
という輩も多く答えていた。
・・・こういう人は、どうするのだろう?
ナイフ、フォークも、プラスティックで、
使い捨てを希望しているのだろうか?
では、人が使った茶碗も嫌ではないか、
ぐい飲みもシャンパングラスも、ダメではないか・・・。
どんなにキレイに洗っても、美しい料理でも、
自分のモノは自分のモノで、、、なのか。
器と箸では意味が違うのは、当然解っている。
では、韓国料理はどうだろう?
必ず銀の箸ではないか。割り箸なんて見たことない。
(余談だが、あの箸は、何故あぁなんだろう。
長時間使うと、指は痛いし、
だいたい掴みにくいし重いし、云々)
そう、韓国料理では、日本人でも
だれも、割り箸持ってきて!って、言わないのである。
要するに、特別な意識、サービスの徹底した日本では、
オシボリにお冷、割り箸に箸置き、なんてセットが、
オモテナシになっているのだろう。
でも最近、オシボリだって出てこない店は多くなったし、
箸の使い回し「結構」なのである。
ゴミだって有料化が進んで、なんとか減らそうとするし、
スーパーの袋だって、エコバックが主流になりつつあるし、
箸だって、それでいいじゃないか、と思う。
欲しい人は、お金を払って買えばいい。
定食屋では10円で、高級店では一膳500円、
よもや銀座のクラブで、肴に頼んだ漬物の箸に、
新品を添えてもらおうものなら、20、000円!
これでいいじゃないか、お持ち帰りすればいい。
女の子ひとり持ち帰るより安いのだろう・・・。
だったら、素敵な箸をいくつか買っていって、
お姐さん方にプレゼントすりゃいい!
これは、きっと時事ネタアイデアで、きっとモテル!
来月は、「ちょいワルオヤジのMy箸選び!」だな。
く~! Leonさん、使っていいよ、このネタ。
潔癖な日本人は、ものを共有する意識まで、
欠落させる気がします。
「割り箸が、現代日本の文化なのに、、」なんて、
キャスターのショボイ締めでニュースは終わっていたが、
そんな狭い事より、『素敵なmy箸、持ち歩きブーム』
の方が、生活に根付いた立派な文化意識だと思う。
表参道の、素敵な箸屋が気になりますな!
明日、いこうかな。
Rose garden ― 2006/05/11 21:18

薔薇である
家の近くのマンションの1階の庭に、
物凄いローズガーデンと化している家があるのです。
「物凄い」とは、広い素敵な庭を、
オールド・イングリッシュ・スタイルのバラ園にする、
優雅な方々もいますが、そうではなく、
<薔薇のジャングル>状態なのです。
今日よくよく見てみたら、幹の太さが、
4~5センチに達しているものがたくさんあり、
もう十数年やっているでしょう、いや数十年か・・・。
「名前ってなに? バラと呼んでいる花を
別の名前にしてみても美しい香りはそのまま」
有名な、シェイクスピアの<ロメオとジュリエット>
で、ジュリエットが呟く名場面ですが、
シェイクスピア作品は実に多くの薔薇が登場しますね。
その数は、70回以上と聞きますし、
英国人と薔薇の歴史を感じさせます。
ただ、品種改良によって今のような豪華絢爛な姿に
なったのは、シェイクスピア以降のことでしょから、
勿論当時登場するのは、素朴なオールド・ローズですね。
ウィリアム・ シェイクスピアという、
名の薔薇もあるようですし、
調べてみると面白いのは、
アガサ・クリスティ、ジェーン・オースティン、
また、人名でも、ドン・キホーテとか、
ピーターパンまで、新種に付けられています。
やはり、薔薇はどこにいっても主役、
花の王様の意味が込められるのですね。
<ハムレット>の一節に、オフィーリアが狂女と化して、
兄であるレアティーズに向かって歌を歌いだし、
その中で、自身が摘んだ花のひとつひとつを
歌詞に託す場面がありますが、
マンネロウ、三色スミレ、ウイキョウ、オダマキ、
ヘンルーダ、ヒナギク、、、と詠い、
それから、川に落ちて亡くなりますが、
歌いながら亡くなった様子を、
キンポウゲ、イラクサ、紫蘭、ヒナギクの花冠を
手にして歌いながら川面を流れ、、、
と、あります。
薔薇の花は出てこないのですが、
有名なジョン・エヴァレット・ミレイの絵画
「オフィーリア」の写真を見直すと、
水に浮かんだ彼女の左手には、
一本のオールド・ローズの様な花が握られています。
ミレイは、4ヶ月もの間、
モデルのエリザベスを毎日バスタブに浸からせて、
迫真のオフィーリアを書き出そうとしましたが、
これらの登場する花の配置をどう考え、
何を握らせたかったのでしょう
ああ、五月の薔薇
わたしの優しい妹よ
かぐわしいオフィーリア!
と、嘆くオフィーリアの兄レアティーズですから、
彼女に相応しい最後の花は薔薇なのかもしれません。
ロンドンに行けば、この名画に会えるのでしょうか。
家の近くのマンションの1階の庭に、
物凄いローズガーデンと化している家があるのです。
「物凄い」とは、広い素敵な庭を、
オールド・イングリッシュ・スタイルのバラ園にする、
優雅な方々もいますが、そうではなく、
<薔薇のジャングル>状態なのです。
今日よくよく見てみたら、幹の太さが、
4~5センチに達しているものがたくさんあり、
もう十数年やっているでしょう、いや数十年か・・・。
「名前ってなに? バラと呼んでいる花を
別の名前にしてみても美しい香りはそのまま」
有名な、シェイクスピアの<ロメオとジュリエット>
で、ジュリエットが呟く名場面ですが、
シェイクスピア作品は実に多くの薔薇が登場しますね。
その数は、70回以上と聞きますし、
英国人と薔薇の歴史を感じさせます。
ただ、品種改良によって今のような豪華絢爛な姿に
なったのは、シェイクスピア以降のことでしょから、
勿論当時登場するのは、素朴なオールド・ローズですね。
ウィリアム・ シェイクスピアという、
名の薔薇もあるようですし、
調べてみると面白いのは、
アガサ・クリスティ、ジェーン・オースティン、
また、人名でも、ドン・キホーテとか、
ピーターパンまで、新種に付けられています。
やはり、薔薇はどこにいっても主役、
花の王様の意味が込められるのですね。
<ハムレット>の一節に、オフィーリアが狂女と化して、
兄であるレアティーズに向かって歌を歌いだし、
その中で、自身が摘んだ花のひとつひとつを
歌詞に託す場面がありますが、
マンネロウ、三色スミレ、ウイキョウ、オダマキ、
ヘンルーダ、ヒナギク、、、と詠い、
それから、川に落ちて亡くなりますが、
歌いながら亡くなった様子を、
キンポウゲ、イラクサ、紫蘭、ヒナギクの花冠を
手にして歌いながら川面を流れ、、、
と、あります。
薔薇の花は出てこないのですが、
有名なジョン・エヴァレット・ミレイの絵画
「オフィーリア」の写真を見直すと、
水に浮かんだ彼女の左手には、
一本のオールド・ローズの様な花が握られています。
ミレイは、4ヶ月もの間、
モデルのエリザベスを毎日バスタブに浸からせて、
迫真のオフィーリアを書き出そうとしましたが、
これらの登場する花の配置をどう考え、
何を握らせたかったのでしょう
ああ、五月の薔薇
わたしの優しい妹よ
かぐわしいオフィーリア!
と、嘆くオフィーリアの兄レアティーズですから、
彼女に相応しい最後の花は薔薇なのかもしれません。
ロンドンに行けば、この名画に会えるのでしょうか。
柳 ― 2006/05/12 23:55

昨日の薔薇に続いて、今日は柳で申し訳ありませんが。
今日、車で都内を走っていた昼時に、
環状線があまりに込んでいたので、
せっかちな私はとっとと迂回したのです。
神田川流れる町の入り組んだ小さな路で、
ハンドル切るのも人避けるのも、大儀だったのですが、
ふと見ると、小路の両脇には、立派な柳の木が、
均等に植わっていて、久し振りのそよ風に、
ユラユラと、気持ち良さそうに揺らめいているのです。
ほう、ココも神田川の分水したところだったんだなぁ、
などと感心し、規則正しい程よいS字続きの路を
調子よく人掻き分けながら、ふと、
ディズニーランドの柳を思い出したのでした。
写真は、いつぞや行ったディズニーで撮った柳ですが、
ディズニーランドは、何見ても良く出来ていて、
パレードの白雪姫の外人さんだって、人形に見えてくるし、
本物かと思った水牛は、ゼンマイ仕掛けの模型だし、
次第にふつうの緑まで、偽者に見えてくるものだから、
こんな見事な柳だって、
規則正しく回数どおり揺らめいているのかと思うと、
騙されてなるものかと、眉吊り上げて、凝視したものです。
オペラ・ミカドに登場する、成り上がり法務大臣のココは、
気が弱いが女は大好き。
人妻に手を出して死刑判決がくだると、今度は、
法務大臣になって自分の処刑を免れます。
そんなココが、ミカドの女官カティシャに惚れ、
自分の追い詰められた境遇を歌に託し、
女傑のカティシャを口説く場面で、彼が歌うのは、
<Tit-Willow>
まさに、“小鳥と柳” というこの曲、
ココは可愛そうなミミズクに扮し、柳に哀れを訴え、
それを聴いているカティシャを涙させると、
見事に、彼女を口説き落とすのです。
西洋磁器の<ウィロー・パターン>をご存知だろうか?
白地に青で、柳・二羽の鳥・楼閣・橋・小舟が書かれた、
これらの皿を、通称ウィローといいます。
この絵には、中国の「ロメオ&ジュリエット」といわれる、
悲恋物語が書かれているのですが、
秘書官のチャンと、使える高官の娘クーン・セの
身分違いの恋愛は引き裂かれても思い続け、、、
最後は二人とも死んでしまい、
鳥となって柳の木の上を飛び回り、永遠の愛を約束する、
という話です。
二羽の鳩が空高く舞い
中国の船は流れに棹さす
柳は泣いているように枝を落とし
橋上には四人ではなく三人の男達
中国の寺院が立ち
すべてを支配してみえる
実をつけたリンゴの木
私の歌を終わらせる愛の囲い
この物語が絵で表されているのが、ウィロー・パターンです。
でも、この話は18世紀初頭に、
英国人が考えたと言われています。
中国に場所を借り、シェイクスピアの向こうを張った話を、
創り上げたのかもしれませんが、
そんな話をルーツに持つ、柳と鳥の悲恋話が、
オペラ・ミカドにも登場するところが、
英国演劇の歴史、奥深い所でもありますね。
私達のミカドの舞台では、柳の木を、
枝一杯の<銀の葉>にしました。
一枚一枚、地元の人たちが丹精込めて作った葉は、
舞台で揺らめくと、本物より美しい柳でした。
本物が、本物に見えなくなり、
本物であるはずないものが、本物以上に見えて来たり。
神田川水流の豊富な地下水を吸い込みながら、
ユラユラ揺れる、路地の柳は、
そんな事お構い無しに、ユラユラ、ユラユラ、
揺らめいていました。
今日、車で都内を走っていた昼時に、
環状線があまりに込んでいたので、
せっかちな私はとっとと迂回したのです。
神田川流れる町の入り組んだ小さな路で、
ハンドル切るのも人避けるのも、大儀だったのですが、
ふと見ると、小路の両脇には、立派な柳の木が、
均等に植わっていて、久し振りのそよ風に、
ユラユラと、気持ち良さそうに揺らめいているのです。
ほう、ココも神田川の分水したところだったんだなぁ、
などと感心し、規則正しい程よいS字続きの路を
調子よく人掻き分けながら、ふと、
ディズニーランドの柳を思い出したのでした。
写真は、いつぞや行ったディズニーで撮った柳ですが、
ディズニーランドは、何見ても良く出来ていて、
パレードの白雪姫の外人さんだって、人形に見えてくるし、
本物かと思った水牛は、ゼンマイ仕掛けの模型だし、
次第にふつうの緑まで、偽者に見えてくるものだから、
こんな見事な柳だって、
規則正しく回数どおり揺らめいているのかと思うと、
騙されてなるものかと、眉吊り上げて、凝視したものです。
オペラ・ミカドに登場する、成り上がり法務大臣のココは、
気が弱いが女は大好き。
人妻に手を出して死刑判決がくだると、今度は、
法務大臣になって自分の処刑を免れます。
そんなココが、ミカドの女官カティシャに惚れ、
自分の追い詰められた境遇を歌に託し、
女傑のカティシャを口説く場面で、彼が歌うのは、
<Tit-Willow>
まさに、“小鳥と柳” というこの曲、
ココは可愛そうなミミズクに扮し、柳に哀れを訴え、
それを聴いているカティシャを涙させると、
見事に、彼女を口説き落とすのです。
西洋磁器の<ウィロー・パターン>をご存知だろうか?
白地に青で、柳・二羽の鳥・楼閣・橋・小舟が書かれた、
これらの皿を、通称ウィローといいます。
この絵には、中国の「ロメオ&ジュリエット」といわれる、
悲恋物語が書かれているのですが、
秘書官のチャンと、使える高官の娘クーン・セの
身分違いの恋愛は引き裂かれても思い続け、、、
最後は二人とも死んでしまい、
鳥となって柳の木の上を飛び回り、永遠の愛を約束する、
という話です。
二羽の鳩が空高く舞い
中国の船は流れに棹さす
柳は泣いているように枝を落とし
橋上には四人ではなく三人の男達
中国の寺院が立ち
すべてを支配してみえる
実をつけたリンゴの木
私の歌を終わらせる愛の囲い
この物語が絵で表されているのが、ウィロー・パターンです。
でも、この話は18世紀初頭に、
英国人が考えたと言われています。
中国に場所を借り、シェイクスピアの向こうを張った話を、
創り上げたのかもしれませんが、
そんな話をルーツに持つ、柳と鳥の悲恋話が、
オペラ・ミカドにも登場するところが、
英国演劇の歴史、奥深い所でもありますね。
私達のミカドの舞台では、柳の木を、
枝一杯の<銀の葉>にしました。
一枚一枚、地元の人たちが丹精込めて作った葉は、
舞台で揺らめくと、本物より美しい柳でした。
本物が、本物に見えなくなり、
本物であるはずないものが、本物以上に見えて来たり。
神田川水流の豊富な地下水を吸い込みながら、
ユラユラ揺れる、路地の柳は、
そんな事お構い無しに、ユラユラ、ユラユラ、
揺らめいていました。
都電沿線 ― 2006/05/16 20:26

午後13時半よりT区区長と、面会。
午前中が他の用事で慌しく、走るように移動。
電車も走り、ホームでも走り、
駅前に出てから挿しだした傘は、
明後日の方向に飛んで行った。
もちろん拾いに走った。
どうやら間に合って、汗を拭うと、
息整えて、襟元正し、満面の作り笑顔。
秘書室長にまでニッコリ笑って、多少気味悪がれる。
区長、あちこちで顔は見ているのだが、
直接会うのは初めてなので、多少緊張もして、
半音高くなりそうな声を落ち着かせ、
低く小さな咳払いを3つして、入室です。
T区は、山手線副都心のターミナル駅を有す、
東京では、城北方面において最大の街でもある。
演劇、音楽の文化事業は盛んであり、
私の小中の頃は、学校のブラスが日本一盛んな区で、
全国大会常連の学校もあり、素性は満点。
前にもココに書いた気がするが、
街が古いという事は、施設も古く、
由緒正しいという事は、頑固でもあるのだが、
公演を催す施設になかなか恵まれておらず、
子供の頃からすでに古かった、築60年の公会堂や、
その隣には、名画座のような文化センターホール。
再開発のシンボルであった、
某芸術劇場が駅向こうに鎮座するも、
実は悲しいかな、区の施設では無し。
区長には、8月に英国で公演するオペラ「ミカド」の
後援名義貸し申請をT区にしていたので、
その関係の報告とお願いを兼ねてご挨拶。
「創造都市」というテーマを掲げておられて、
今は様々な施設がその様変わりの過渡期でもある。
このT区、60階の大きな商用ビル地域の
再開発を今行っていて、
300人入る劇場を、只今建設中。
出来上がりは来年で、来年の秋に杮落し。
様々な人間模様と、文化事業団体、
演劇に音楽に舞踊の関係者が、
この建物に注目しています。
まぁ、わたしも、「区長~、何かやらせてよ~!」
と、宣伝もしておいたのではあるが、
そんな結果がどうなるかは、知る由も無く、
もしかすると再来年の公演で、何かやっているかも。
・・・といった話を、どこでも誰とでもするわけです。
その後、今日はたまたま重なりましたが、夕方、
<NPO法人 アートネットワーク・ジャパン>の、
事務局長で役員のH女史と会いに行く。
ここは、演劇、舞踊の舞台芸術を支援し、
自らも、「東京国際芸術祭」を企画し、
とても前向きな活動をしています。
このNPOの事務局で、本拠地となっているのが、
T区、旧A中学校で、少子化により統合になった後、
校舎を利用して教室などを貸しながら、
各団体のリハーサル支援をしているのだ。
T区より借り受けた学び舎は、新しく、
舞台芸術の創造の場所となって生き返っている。
入ると、そこはモロ学校。
旧職員室は、サロンになっていて、
理科実験室の椅子に座りながら懇談。
体育館も見せていただいたが、
空調設備などを最新に、大きな稽古場として利用でき、
演劇、舞踊の公演場所にもなるそうだ。
この規模の稽古場は、都内に2箇所しかないらしい。
貴重な場所だし、都心の商業演劇の稽古も
ここでやるらしい。
テレビの撮影で、体育館が必要なときも重宝だと。
意見交換を終えて、学校をでる。
何せこの学校は、私の出身中学校のすぐ目の前。
懐かしくなり、国道を斜め横断し、裏門へ。
合併で学校名は変われど、昔の校舎のままです。
4階のブラスバンドの部室が見えました。
部活の時間でしょうか、裏庭ではテニス部、
塀伝いにぐるっと表に回ると、懐かしい焼却炉や、
不良の(私ではない)溜まり場、非常階段。
なにもかも30年前のままです。
グランドの土でも握って、涙ぐもうと思いましたが、
感傷的になれる程の原因も無く、
学校正門から写真だけ撮っておきました。
『そうだ!』と思い、
学校の斜め前、と聞いていた<大正サロン>へ・・・。
なんてモダンな名前でしょう、<大正サロン>。
囲碁クラブか、入っただけでパーマあてられそうな店か。
そこで、私の父が教える木版画の会の展示会を
やっている話を聞いていたからです。
勇気をふりしぼり足を踏み入れる。
80代の老夫婦が迎えてくれる、と思ったら、
なんと、学生さんが2人?
母校の中学校の隣、大正大学の大学院の施設だと。
社会福祉科の授業の一環で、
地域との繋がりを実践で体験するための、
多目的スペースです。
版画は、誰が先生でどれが生徒の作品か判らぬほどの
出来栄えで、ビックリ!
教え方が良いのか、最初から教える必要が無かったのか、
首をかしげて悩んでいるところに、
「お茶でも如何っすか~?」と、院生の彼。
ブラスバンドでクラリネット吹いていたという、
もう1人の彼女と3人で、地元ネタはシコタマ盛り上がり、
「それでは父をよろしく」と言い残し、サロンを後に。
帰りの道すがら、旧街道の商店街は、
中学校の通学路だったので、
目に入るもの全てが懐かしく、
2~3年前に出来た店までよく知っている気分。
意味もなく頷き、感心しながら上を見上げて、ニタニタ笑う。
そう、笑わずにいられない懐かしさである。
感心放題の一日だったのである。
午前中が他の用事で慌しく、走るように移動。
電車も走り、ホームでも走り、
駅前に出てから挿しだした傘は、
明後日の方向に飛んで行った。
もちろん拾いに走った。
どうやら間に合って、汗を拭うと、
息整えて、襟元正し、満面の作り笑顔。
秘書室長にまでニッコリ笑って、多少気味悪がれる。
区長、あちこちで顔は見ているのだが、
直接会うのは初めてなので、多少緊張もして、
半音高くなりそうな声を落ち着かせ、
低く小さな咳払いを3つして、入室です。
T区は、山手線副都心のターミナル駅を有す、
東京では、城北方面において最大の街でもある。
演劇、音楽の文化事業は盛んであり、
私の小中の頃は、学校のブラスが日本一盛んな区で、
全国大会常連の学校もあり、素性は満点。
前にもココに書いた気がするが、
街が古いという事は、施設も古く、
由緒正しいという事は、頑固でもあるのだが、
公演を催す施設になかなか恵まれておらず、
子供の頃からすでに古かった、築60年の公会堂や、
その隣には、名画座のような文化センターホール。
再開発のシンボルであった、
某芸術劇場が駅向こうに鎮座するも、
実は悲しいかな、区の施設では無し。
区長には、8月に英国で公演するオペラ「ミカド」の
後援名義貸し申請をT区にしていたので、
その関係の報告とお願いを兼ねてご挨拶。
「創造都市」というテーマを掲げておられて、
今は様々な施設がその様変わりの過渡期でもある。
このT区、60階の大きな商用ビル地域の
再開発を今行っていて、
300人入る劇場を、只今建設中。
出来上がりは来年で、来年の秋に杮落し。
様々な人間模様と、文化事業団体、
演劇に音楽に舞踊の関係者が、
この建物に注目しています。
まぁ、わたしも、「区長~、何かやらせてよ~!」
と、宣伝もしておいたのではあるが、
そんな結果がどうなるかは、知る由も無く、
もしかすると再来年の公演で、何かやっているかも。
・・・といった話を、どこでも誰とでもするわけです。
その後、今日はたまたま重なりましたが、夕方、
<NPO法人 アートネットワーク・ジャパン>の、
事務局長で役員のH女史と会いに行く。
ここは、演劇、舞踊の舞台芸術を支援し、
自らも、「東京国際芸術祭」を企画し、
とても前向きな活動をしています。
このNPOの事務局で、本拠地となっているのが、
T区、旧A中学校で、少子化により統合になった後、
校舎を利用して教室などを貸しながら、
各団体のリハーサル支援をしているのだ。
T区より借り受けた学び舎は、新しく、
舞台芸術の創造の場所となって生き返っている。
入ると、そこはモロ学校。
旧職員室は、サロンになっていて、
理科実験室の椅子に座りながら懇談。
体育館も見せていただいたが、
空調設備などを最新に、大きな稽古場として利用でき、
演劇、舞踊の公演場所にもなるそうだ。
この規模の稽古場は、都内に2箇所しかないらしい。
貴重な場所だし、都心の商業演劇の稽古も
ここでやるらしい。
テレビの撮影で、体育館が必要なときも重宝だと。
意見交換を終えて、学校をでる。
何せこの学校は、私の出身中学校のすぐ目の前。
懐かしくなり、国道を斜め横断し、裏門へ。
合併で学校名は変われど、昔の校舎のままです。
4階のブラスバンドの部室が見えました。
部活の時間でしょうか、裏庭ではテニス部、
塀伝いにぐるっと表に回ると、懐かしい焼却炉や、
不良の(私ではない)溜まり場、非常階段。
なにもかも30年前のままです。
グランドの土でも握って、涙ぐもうと思いましたが、
感傷的になれる程の原因も無く、
学校正門から写真だけ撮っておきました。
『そうだ!』と思い、
学校の斜め前、と聞いていた<大正サロン>へ・・・。
なんてモダンな名前でしょう、<大正サロン>。
囲碁クラブか、入っただけでパーマあてられそうな店か。
そこで、私の父が教える木版画の会の展示会を
やっている話を聞いていたからです。
勇気をふりしぼり足を踏み入れる。
80代の老夫婦が迎えてくれる、と思ったら、
なんと、学生さんが2人?
母校の中学校の隣、大正大学の大学院の施設だと。
社会福祉科の授業の一環で、
地域との繋がりを実践で体験するための、
多目的スペースです。
版画は、誰が先生でどれが生徒の作品か判らぬほどの
出来栄えで、ビックリ!
教え方が良いのか、最初から教える必要が無かったのか、
首をかしげて悩んでいるところに、
「お茶でも如何っすか~?」と、院生の彼。
ブラスバンドでクラリネット吹いていたという、
もう1人の彼女と3人で、地元ネタはシコタマ盛り上がり、
「それでは父をよろしく」と言い残し、サロンを後に。
帰りの道すがら、旧街道の商店街は、
中学校の通学路だったので、
目に入るもの全てが懐かしく、
2~3年前に出来た店までよく知っている気分。
意味もなく頷き、感心しながら上を見上げて、ニタニタ笑う。
そう、笑わずにいられない懐かしさである。
感心放題の一日だったのである。
感心 ― 2006/05/17 23:55
毎日感心した話で恐縮ですが。
今日夜は、丸の内のコンテンツビジネス交流会でした。
これは、丸の内の丸ビルの中にクラブがあるのです。
解りにくいかもしれませんが、要するに、いろいろと、
新しい技術、アイデアを持った方々が、集い、
お互いに情報発信しながら、こうりゅうして、
また新しい事業を画策していきましょう、
という、どちらかというと、ベンチャー向けの会です。
私くらい、モロ音楽屋さんは、あまりおらず、
音楽産業(レコード会社、プロダクション、ブローカー)、
また、ネットを使った音楽や映像の関係の方々は、
比較的メンバーにも多いですね。
今や、コンテンツビジネス流行りですが、
いわば、ハードとソフトの関係。
良いコンテンツを持っている方々は、持たない人に
とても歓迎される世の中であり、これは、クラシック全般、
舞台芸術においても、然りなのです。
これまでの戦後60年のやり方ではなく、
どうすればクラシック界が置いてけ堀にならずに、
価値と真価を保ったまま、
広くエンドユーザーに届ける事ができるのか。
という事を、日夜考えながら学びに行くのです。
ま、そんな私もメンバーとしてプレゼンもしますし、
関係公演もやらせて頂いています。
超アナログ舞台が基本なので、
今では珍しがられているのでしょうが、
それなりに、提言に価値はあると信じて今日も参加です。
オペラミカドの英国公演の報告も兼ねて、
10分位、冒頭にお話を入れさせていただきましたが、
それはさておき。
今日のゲストプレゼンターは、お二人。
業界を引っ張っているので、興味津々の会場。
ひとり目は、<ミュージックセキュリティーズ>という、
会社の社長さん、小松 真実さん。
http://www.musicsecurities.com/
お若い・・・。
この会社は、要するに、音楽ファンドです。
自分達が見込んで制作し、売り出していくアーティスト、
そして発売されるCDに対し、一般の方に、
投資してもらう。
一定期間の売り上げに対して配当金を支払うという構造。
簡単なようだが、大変なシステム。
知的財産としての権利や著作権、最近のネット配信や、
i-podなどへのダウンロードでも話題になっていますが、
このようなものを問題なく、漏れなく、法を犯さずに
事業で使っていくだけでも大変です。
ましてや投資としての音楽です。
今現在の基本事業は、ポップスですが、
クラシックにも触手を伸ばしたいという私の質問への答え。
どうなの?それ? じゃ、一緒にやろうよ!、って、
思いますが、なかなかクラシックは大変です。
でも、映画ファンドなど、当たりが大きなものへの投資は、
比較的感覚が普通になりましたが、
音楽で、これをやるのは大変。
でも、存在しやっているのがすごいですね。
感心!!
もうひとりは、
ネット上の、ストリーミングソリュージョン、
つまり動画ですね。
これが、従来に比べて段違いに素晴らしいシステムを
もってらっしゃる、<サンストリーム>さんです。
http://www.sanstream.co.jp/
考えられないほど、素晴らしい。
MS社のMP等を普通みなPCで使うが、
比較して見たが考えられない処理の早さ。
つまり、待たない、キレイというのが最大のウリ。
DVDクラスの画像を一瞬でダウンロードでき、すぐ再生。
32倍の早送り、飛ばしても、戻しても、びくともせず。
しかも、ハイビジョンも見せてもらいましたが、
HNKBSで見ているのかと思うほどの出来栄えです。
すごいよ。
これがもっと広まったら、皆これになっちゃうでしょう。
しかも、非難できるものが何も無い。
しかも、ライブ映像もいけてしまう。
プレゼン終わってから、名刺交換してお話しましたが、
気が付いたら、「オペラ公演のライブ配信しましょう!」
等と、先走って言っていた。
可能だし、ストレスなし。
来年3月の公演、考えよう・・・。
でもお金かかるのね、、。無理?
いや、面白いから、暖めておきましょうね。
いや、2人とも、素晴らしいので、感心しすぎて、疲れた。
だが、さらに疲れたのは用語のカタカナ化。
IT産業だから仕方ないと思うのだけど、
やたら英語、、、というよりカタカナ。
専門用語もあるし、Allegro とか、Largoなら、
お手のものですが、
ロードバランスサーバー、スケラビリティ、
クレデンシャルサーバー、、、、。
ほんの数行にこれだけですから。
わたし、数学もダメだが、語学だって、苦手。
知ったかぶって、首振っていましたが、
家で、即効調べました。
今日夜は、丸の内のコンテンツビジネス交流会でした。
これは、丸の内の丸ビルの中にクラブがあるのです。
解りにくいかもしれませんが、要するに、いろいろと、
新しい技術、アイデアを持った方々が、集い、
お互いに情報発信しながら、こうりゅうして、
また新しい事業を画策していきましょう、
という、どちらかというと、ベンチャー向けの会です。
私くらい、モロ音楽屋さんは、あまりおらず、
音楽産業(レコード会社、プロダクション、ブローカー)、
また、ネットを使った音楽や映像の関係の方々は、
比較的メンバーにも多いですね。
今や、コンテンツビジネス流行りですが、
いわば、ハードとソフトの関係。
良いコンテンツを持っている方々は、持たない人に
とても歓迎される世の中であり、これは、クラシック全般、
舞台芸術においても、然りなのです。
これまでの戦後60年のやり方ではなく、
どうすればクラシック界が置いてけ堀にならずに、
価値と真価を保ったまま、
広くエンドユーザーに届ける事ができるのか。
という事を、日夜考えながら学びに行くのです。
ま、そんな私もメンバーとしてプレゼンもしますし、
関係公演もやらせて頂いています。
超アナログ舞台が基本なので、
今では珍しがられているのでしょうが、
それなりに、提言に価値はあると信じて今日も参加です。
オペラミカドの英国公演の報告も兼ねて、
10分位、冒頭にお話を入れさせていただきましたが、
それはさておき。
今日のゲストプレゼンターは、お二人。
業界を引っ張っているので、興味津々の会場。
ひとり目は、<ミュージックセキュリティーズ>という、
会社の社長さん、小松 真実さん。
http://www.musicsecurities.com/
お若い・・・。
この会社は、要するに、音楽ファンドです。
自分達が見込んで制作し、売り出していくアーティスト、
そして発売されるCDに対し、一般の方に、
投資してもらう。
一定期間の売り上げに対して配当金を支払うという構造。
簡単なようだが、大変なシステム。
知的財産としての権利や著作権、最近のネット配信や、
i-podなどへのダウンロードでも話題になっていますが、
このようなものを問題なく、漏れなく、法を犯さずに
事業で使っていくだけでも大変です。
ましてや投資としての音楽です。
今現在の基本事業は、ポップスですが、
クラシックにも触手を伸ばしたいという私の質問への答え。
どうなの?それ? じゃ、一緒にやろうよ!、って、
思いますが、なかなかクラシックは大変です。
でも、映画ファンドなど、当たりが大きなものへの投資は、
比較的感覚が普通になりましたが、
音楽で、これをやるのは大変。
でも、存在しやっているのがすごいですね。
感心!!
もうひとりは、
ネット上の、ストリーミングソリュージョン、
つまり動画ですね。
これが、従来に比べて段違いに素晴らしいシステムを
もってらっしゃる、<サンストリーム>さんです。
http://www.sanstream.co.jp/
考えられないほど、素晴らしい。
MS社のMP等を普通みなPCで使うが、
比較して見たが考えられない処理の早さ。
つまり、待たない、キレイというのが最大のウリ。
DVDクラスの画像を一瞬でダウンロードでき、すぐ再生。
32倍の早送り、飛ばしても、戻しても、びくともせず。
しかも、ハイビジョンも見せてもらいましたが、
HNKBSで見ているのかと思うほどの出来栄えです。
すごいよ。
これがもっと広まったら、皆これになっちゃうでしょう。
しかも、非難できるものが何も無い。
しかも、ライブ映像もいけてしまう。
プレゼン終わってから、名刺交換してお話しましたが、
気が付いたら、「オペラ公演のライブ配信しましょう!」
等と、先走って言っていた。
可能だし、ストレスなし。
来年3月の公演、考えよう・・・。
でもお金かかるのね、、。無理?
いや、面白いから、暖めておきましょうね。
いや、2人とも、素晴らしいので、感心しすぎて、疲れた。
だが、さらに疲れたのは用語のカタカナ化。
IT産業だから仕方ないと思うのだけど、
やたら英語、、、というよりカタカナ。
専門用語もあるし、Allegro とか、Largoなら、
お手のものですが、
ロードバランスサーバー、スケラビリティ、
クレデンシャルサーバー、、、、。
ほんの数行にこれだけですから。
わたし、数学もダメだが、語学だって、苦手。
知ったかぶって、首振っていましたが、
家で、即効調べました。
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