箱の噺2022/05/10 11:33

久しく書いていなかったら、
知り合いの御仁から「傘の話で停まってますね」
と半ば諭されて、、
生存報告がてらに書いておきます。

とはいえ、箱の話は大事なもので、
備忘のメモとは言え、拘りもあり、
大事な話でもあります。

箱が好きなのは男子特有なのか考えると、
女子だって可愛らしいお菓子の缶や、
装飾された贈り物の包装箱、
大人でも赤やオレンジの人の名前が入った
ブランド品の箱や袋はきっと捨て難いのでしょう。

斯く言う私も箱が好きすぎて、
(時折、クタッとしたトートバッグ的な
袋を持ちたくなるのはその反作用)
物の角が互いに収まり良い箱型の鞄が
好きなのが箱好きである動かぬ証拠でしょう。


雑多な銀の箱で恐縮でありますが、
真ん中2つがドイツのRIMOWA、日本ではリモワ
と呼ばれる代物です。
左の布が貼ってあるものもRIIMOWAですが、
こいつぁあ実はちょいと旧くて、カメラ機材用の
AMANONASというタイプの前身なのであります。
フレームジュラルミンで側が木と布という珍品
右の三つはゼロハリバートン略してゼロハリなので、
こいつはドイツに対して思想が違うUSA製品。
ハッキリ言えばここに写っているものは、
全て珍品で、私以上の2ブランドのマニアの方は
この写真を真ん中に置いて、
3時間ほどの激論の談義と宴会を催せるでしょうから
その席には私も是非呼んで頂きたい・・・

既製品ってのは一度手にすると満足で、
世界で何千人、貴重だって数百人が
同じものを抱えているとなるとつまらないもので、
誰も持って居ない「箱」というのは、
既製品でありながら、もはや「作品」として
希少性に頬ズリをしたい愛玩具となるのです。

ですから上の写真の真ん中のビューティーケース、
しかもシルバーインテグラルのシリーズとか、
出回らないゼロハリの同じくビューティケース、
その前の小さな葉巻ケースに至っては、
苦笑されるほど珍品として変人扱いです。
多分大抵の方は、この銀色の塊、
ジュラル・・・とか、アルミとか、
はたまたステンレスとか、光っている銀なら、
どれでも良いのでしょうと僕を邪な箱に入れます。
(箱の横に縞が入るのは強度Upのためで邪も正解!)

ジュラルミン好きですが、
ポリカーボネートという新しい軽い新素材も、
これらのメーカーは後出させています。
これも珍しいRIMOWAのものですが、
このダブルジッパーはきっと売れなかったので、
とっくに市場から葬られているのです。
邪魔だったのか、友人から譲られたのですが、
この中には実は小鼓が入っており、
特殊形状のラウンドの形と大きさが、
小鼓をバラして収納させるのに大正解でした。

こういう用途が見つかると箱は箱で生まれた意義を
実感するとと共に、育ての親としては、
収納の用途を世間に憚ることなく、
自慢に転じながら小鼻を膨らませ、
大手を振って箱の必要性を訴え続けられます。

箱に収納をするという所作は、
「箱に命が吹き込まれた瞬間」という儀式です。

中が空洞であると邪魔と思われがちですが、
解って居ますが、開ける時の毎回の期待度は
収まりが良いほど快感に通じます。

年を重ねると、、、
誰でもカバンの中を小分けします。

何がための防衛策か、小さな整理整頓をして、
バッグ・イン・バッグなる手段でポーチなどを
忍ばせるのが得意になるのです。
この小包、ポーチって輩も、同じように
箱であることが望ましいので、
この箱型ポーチも増えていくのですが、

ほら・・・可愛いでしょ?
さっき見せた武骨の眩しい銀箱よりも、
数段モダンな実用性も合理性も引けを取らない
そんなポリカーボネートでしょう?
こういう柄で攻めてくるので、
いつになっても箱は減らないしやめられないし、
そもそも、
何時の日か中身を入れたい時に箱が無いという
不幸や恐ろしさに悩まされないためにも、
箱は用意しておくべきと思います!

オチなんてないのです。
こんなに長く書いておいて、、、

箱好きを心理学的見地からご教授いただき、
よもや私の不治の病を治療してくださるなら
ご教授歓迎致したく思います。。

ありがとうございました。
次回は晩夏でしょうか・・・

江戸趣向2022/05/11 09:30

若き頃は、浮世を好きだったせいか、
歴史はどうも苦手意識が強く、
日本史も世界史も考古学のようで実感がなく
勉強を深くする気にもならなかった。

という言い訳から始めるので、
決して得意分野なのでは無いのです。

現生、つまり今に生きるという俗な生物は
必死に毎日の時間を費やしながら、
前を向くのに精一杯なのは仕方のない話です。
年を重ねるごとに自分にも過去ができて、
過ぎ去りし日々が自己完結する歴史となると、
達成感など何もないからこそ、
自分の前はどこに繋がっているのかを
少し知りたくなっているのだと思う次第。

幸にして西洋音楽から入り、芸能全般を
興味深く知る必要があったことから、
大正期、そして御一新以降に遡ったのですが、
この年になり更に遡ることの興味が深くなり、
所謂江戸時代という花形の舞台を見上げています。

私にとっては禁断という前置詞をつけたいほどの
近世以降の時代を指すのですが、
安土桃山からでは長旅になるので、
江戸末期という19世紀を西洋の歴史と重ねて
興味深く恐る恐る頁を捲っている程度の進度です。

こんな本がありまして、上下本のイカツイセットです。
演劇を語るのは地面から三尺位が良いと思って居まして、
つまりあまり高尚な話を続けるより、
座敷に座って芝居を見たり、
居酒屋で囲炉裏端で顔を見合わせて
物言い合うくらいの目線の高さが丁度良いと窺います。

そんなに難しいこと書いてはないのですが、
繁華街と言ったって、砂煙を上げていた頃の
芝居小屋の並びや騒めき位の話です。
明治の演劇史を捲っていると、
西洋の関係が強くなる時代でもあり、
次第に日本の進化を通り越していきますが、
江戸の末の芝居小屋ってのは、
文藝と演芸の間に挟まった高級魚の骨みたいなもので、
私が遡ってみてみると尊いものなんです。

こんな本もあります。

この本は実は知り合いの先輩から頂いたというか、
勝手に持って行って良いと言われて
何気なくいつも書棚からの出動回数が多いのですが、
明治期以降の年表を時々から芸能に関してまで
広く拾ってくれていて、
浮夜咄の抽出にはもってこいなのです。

歴史っていうのは、神社仏閣を見ても
なかなか人が動いて生活していた匂いが薄いですが
芸能の歴史は人間の業の話でもあり特定しない
舞台に携わる関係者の生き様が見え隠れします。

関係ないですが、
先ほどの上下間の背表紙です。

帯と合わせてこんな色合いでして、
柿渋と葵を重ねたような賑やかでワクワクします。
デザインという動かぬ説得力も200年後に活躍して
こんな生き様が完結するという典型と感服しました。

あら、このブログを2日続けて書いてしまった・・・

それではまた、晩夏に・・・

読了2022/05/17 11:33

またまた更新!

書籍マニアかと思うくらいの資料蒐集癖ですが、
小説も読むわけです。
しかしながら所謂時代物と言う歴史小説は苦手で、
将軍の話も戦国時代もあまり興味はない。
ですが、、、
時代は時代でも、江戸も末期になると、
これは面白い画展がゆくことも多く、
東京昔話のように興味をそそられるのです。
西洋暦で言えば、19世紀末期ともなると、
明治まであと50年となり身近になるものです。
近世に分類されない気がしますので、
江戸末期好き、としておきます。

でも時代の親近感があっても、
チャンバラ勧善懲悪モノのようなサスペンスより、
気楽な、落語なら世話モノという、
庶民の暮らしが描かれている話が好きなのです。

19世紀の江戸末期なんてピンと来ない
なんて言う向きもあるとは思いますが、
私流の可笑しな見方で変換をさせて貰えば、
モーツァルトの末期、ベートーヴェンの後期、
こうすれば一般的ならぬとも
少しお分かりになる方もあるのか。
例えば第九の初演が1824年と聞くと、
さらにホウっと膝を打つ方もいるかと思います。
難しい話よ理、要するには、
実社会や毎日の生活の心情から想像できる、
なるほど!と合点が行けばドラマは楽しいのです。

直木賞作家になって尚一層忙しいと思いますが、
作家の西條奈加さんは泣き笑いの人情ドラマ、
面白い展開の江戸庶民の話がうまいですね。

第164回直木賞を2020年に受賞した「心淋し川」
(うらさびしがわ)も良い本です。
舞台が、根津、千駄木といった見慣れた下町で、
初っ端からホウっと唸る家族模様に一気に読めました。
この本はその前に読んだ吉川英治賞受賞の
「まるまるの毬(いが)」を先に読み、
やはり読んでおこうと購入しました。

江戸の話って、妙なことですが、
東京生まれ、江戸っ子に書かせりゃ巧いなんて
思っていたことがありましたが、
この西條さんも北海道ですし、
そのほかにも明治大正の話が上手い作家で
江戸っ子、ましてやと東京生まれでもない方も多く
そうなると大文勉強したのだろうと思う次第です。

妙な先入観で東京の街を見ないのが良いのかもしれません。
西條奈加さん、更に押して参ります!

誕生日経て2022/05/25 10:35

1つ歳を重ねました。
59になることなんて考えなかった。

改めて数字にすれば9が重いな・・・
と思いながら思い返せば、
9を重いと感じたのは19になった時。
あの時は浪人をしていた春で、
時間も考える事もたくさんあって、
中途半端に感じながらも目標があって、
20歳の時には音楽大学に居ようとして
様々な事象があったのでよく覚えている。

さて、、、
29、39、49・・・
何をしていたのだろうか・・
それしか3回しかなかったのか。

いつでも「この時、この瞬間を忘れない!」
なんて思いながら西暦月日時間までも
頭の中で数服させながら記憶するのに、
物事は覚えていても時や歳は同時に記憶できない

そういうものなのだろうか。

昨年行きつけのお店のソムリエ君から紹介されて
気に入って家から注文をいるのですが、
安心院(あじむ)のスパークリングワインです。
仕事から帰宅すると一般的な食事タイムではなく
とりあえずウガイして座って開けました。
いや空けました・・・ですね。

ひょんなことで郷ひろみ氏の記事を読み、
ストイックで真面目な生き方に感心したのです。
「還暦を前に、何か楽しい事をやめてみた」
こういう考えでものを考えるか・・・
楽しい、愉しい、享しい・・・
それも良いなと思いました。

差し詰め、毎日のように唱えている
ジュラルミンと言う回数を年間5回くらいに。
何も物理的には減らない。
身の回りの整理でもするか・・・
でも天井から降るほどある書籍、譜面、音資料
これらは残してスッキリしていく。

言ってみただけです。


母にお煎餅をいただきました。
コワレモノ注意で厳重に運ばれて来たが、
確かに味が変わらなくとも
砕け散ると喪失するのが煎餅。

霰(あられ)露わに砕けても
味は素っ気に変わりなし

こんな内面を大事にする
1年にしようと思います。
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