火事場の力2016/03/01 23:22

 もう10年も借りている仕事場のスタジオがあります。山手線から徒歩数分なのでとても近く利便性もいいので気に入っているのですが、下町風情溢れる場所なので、一歩路地を入ればとんでもない住宅密集地になります。上手く言えば平穏な下町住宅街ですが、災害時には危うい裏腹な地帯でもあります。

 週に何度もいる場所ですが、本日も6時頃に小腹が空いて目の前のコンビニに行きました。雑誌をパラパラ捲っていたらけたたましいサイレンと赤色灯。そして突然目の前の一方通行を逆走してきた3台の消防車が停まって辺りは騒然。すぐに降りてきた消防隊の方々の行動の早さも慌て方も半端なく、私も店の外へ。
 すぐ目の前の路地を入っていくと、夕方の薄明かりに燻る臭いがして、さらに奥に行くと煙が風で流されています。数人の人が指差していて、見てみると大変!。もう火の粉が舞っています。

 スタジオからは数10m離れていますので延焼の心配はないのですが、目の前の大きなアパート裏の家が燃えているのです。人集りも少なく、なんだか辺りの家は夕ご飯の支度中的な日常・・・。私は燃えている家を確認すると、その場所から近かった南周りに並ぶ家を1つ1つ走って回りました。インターホンを鳴らして「裏の家が燃えていますよ!知っていますか?危ないですよ」と言って回りました。
 数人で走り回り、私も5軒ほど呼びかけますと、2軒の家は火事に気づいていなかった・・・。慌てて皆さん家を出て確認していました。

 5分後には人集りは数十人に増え、消防隊員も消化活動に入っていましたが、なにせ密集地でうまくホースが回らないほど・・・。
心配しながら見守る住人と、警察の規制線張りが始まり、消防の怒号の中、蒼白に家を心配する近所の方々・・・

 私は初期の動画も撮りながら15分ほどいましたが、所用で退散。4時間後に戻ってきた時にもまだ消防車がいました。
 ニュースを確認すると、延焼で2棟が焼けていましたが、軽症のを負われた方が1人いるだけで済んだようです。いやいや済んだなんて言ったらいけないほど、燃えてしまった家や周辺の方々の災害はひどいものでしょうね。

 自分の家の近くでも不審火が多く、警戒されていますが、そんな火でなくとも、まだまだ乾燥している冬ですので、火の元は十分気をつけなければいけませんね。いやいや怖い火事を見ましたが、少し手伝いもできた感じがします。下町風情なんてエセ情緒ではなく、古い町こそまさに人間関係で助け合い、火事・事故などを最小に抑えるものかもしれませんね。そんな事を実感しました。

 早いもので、もう3月。

LFJプレフェス狛江2016/03/08 21:42

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 知っていますか?
 11年前から毎年ゴールデンウィークに東京フォーラムで行われている日本最大のクラシック音楽イベントです。数多くの公演が安価で聴ける音楽祭は、フランスはナント市に起源を持ち、日本でも11年が経過し非常に有名になりました。
 このイベントに合わせて幾つかの地方都市でも関連開催をするのですが、今年はプレ・フェスティバルとして4月23日(土)〜24日(日)に東京の狛江で「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン・プレフェス・ア・コマエ」が開催されます。あまりにも長い名前でよくわからないかと思うのですが、要するにラ・フォル・ジュルネ前祝いを2日間狛江で開催するよ、っていうことです。

 狛江2日間の公演は、音大生なども合わせると80名以上のプロ奏者が出演し、狛江内の公募によるアマチュア団体も13団体出演いたします。クラシックばかりではなく、軽音楽のバンドもあり屋内、野外でステージは4カ所を使います。


 先に発表になった24日(日)の特別公演4公演は事前申し込み(多数の場合は抽選)による指定席になります。全公演“無料!”であります。ピアノを中心とした室内楽中心ですが、非常に楽しい公演と思います。是非この応募用紙をお読みいただきご応募頂きたいと思います。
 
 締め切りは3月18日(当日消印)です。
 
 2日間は、野外では屋台の出店も多数ありこのイベントは商工と音楽一緒のお祭りです。私はアドヴァイザーの立場で、狛江側出演者のプロデュースをしています!
 追ってその他の出演者の情報はお知らせいたしますが、まずはご興味ある方、往復ハガキにてご応募ください。



和のリハ2016/03/10 23:56

 和楽器とのリハーサル2回目です。

 私のような雑食系指揮者はありとあらゆるジャンルに関わるので、楽しいのですが、煩雑にならぬように準備を怠るべからすと戒めたりもします。
 西洋楽器とは違う邦楽器というのは当たり前なのですが、響きや各楽器の発音方法の違いだけではなく、各楽器の世界が洋楽器とは全く違います。洋楽器は純粋音楽の教会音楽から発生しているものが基本なので、伴奏やアンサンブルするのは性能上はなんでもないものです。その後の進化により生まれた楽器も、オーケストラや室内楽で使用されてきた経緯を考えれば、楽器同士の寄合いみたいなもの。村の掟に沿った当然の行動のようなものです。
 
 でも邦楽器っていうのは違うのですね。生い立ちが・・・。

 歌と語りにくっついて発展した和楽器は、伴奏楽器としての能力と構造はとっても良いのですが、しかしながらアンサンブル楽器ではなかったのですね。そういう楽器たちが集まってやるというのは現代では当たり前のようになっていますが、指揮をしていると時々、「そうかこういうところが楽器生い立ちの違いだな・・・」とか思う瞬間もあるわけですね。
 洋楽器でも考えられる、演奏者個性と楽器の生い立ちは違うのですが、でも関連を考えると面白いものです。

 2回目のリハなので、少し精度を上げてまた楽しみます。本番が楽しみになってまいりました!

大人500円、中学生以下無料! の公演です。
お時間を作って来てください!

3月20日(日)エコルマホール
10:00〜17:00 です。


ミカド拝観2016/03/15 23:26

 喜歌劇「ミカド」を観させていただきました。実は大変興味深く、そして何気なく楽しみに待っていた公演。

 1885年の英国初演から数年後の旅一座の来日時に、タイトル故に時の明治政府井上馨外務大臣から「待った」が掛かり、タイトルを変更しての日本初演。昭和は戦後のGHQ接収のアーニーパーイル劇場での日本人初演公演から、1970年代までの長門美保歌劇団の十八番公演・・・。
 この喜歌劇「ミカド」ほど本来の屈託のない笑いに溢れた喜歌劇と裏腹に、波乱万丈の上演史を記録する歌劇はないのです。

 東京音大の声楽専攻学生若手を中心とした、学校内の公演ながら、男女各6名の合唱に、弦楽五重奏、ピアノ、打楽器という室内管弦楽編成も誂えての構成。机もある大きい講義室ながら、真摯に取り組む彼らの姿勢が目に入り、開場時から大変好感持てました。
 英国のGilbert&Sullivan という作曲家と作家のペアは、類まれな能力に長けた二人であり、英語圏でこの作品を知らぬ者はなしというほどの有名作品。しかしながら、日本を知らぬ英国人がロンドン万博などをきっかけにジャポニズム流行りに乗せて創作した作品ゆえ、世界中での大当たりは良かったが、日本での上演は些か難しいものなのです・・・。

 公演に対する批判は何もないのですが、正直に言って仕舞えばオトナ歌劇界の課題と同じく、演劇的な手法をほぼ持ち合わせていない若手オペラ歌手による芝居ほど大変なものはない。これは多分上演していた彼らが長い稽古中に最も痛感したことでしょうね。歌劇とは芝居という分母の上に成り立つ音楽劇であるというはとても大事なことなのです。
 予算も少ないながら、道具、衣装、ヘアメイクなども色々とうまく処理をしていましたし、勉強と研究により始めて見るお客様は大いに楽しんだと思います。
 台本、歌詞もオリジナルを用意し、その点においても非常にやる気を持って、長い間用意をしたんだなぁと、感心しながら見ていました。

 10年前の話・・・

 Gilbert&Sullivan Festival から私たちの喜歌劇「ミカド」は招聘され、私がプロデュースと指揮をして、歌手スタッフ総勢40数名で英国に渡りました。非常に稀有な体験でありましたし、日本人初の英国ミカドプロジェクトとして、現地では非常に興味を持たれました。今では信じてもらえないかもしれませんが、1000人入る劇場は早々にSold Outになり、当日券を求める群衆に、止む無く隣りの300人収容できる小劇場に有料で(!)入れて、大劇場の様子を同時映像でスクリーンで見せたという、ワールドカップの様な盛り上がり。お陰で地方紙ながら年間最優秀エンターテイメント賞をも受賞した次第。
 この海外公演の6年も前からミカド上演を経て携わっていた私は、この頃すでに粉々に疲弊しており、帰国から半年後の東京芸術劇場での最後のミカド5日連続公演以降、精神状態はほぼ崩壊にまでなったのも、今だから話せる話です。

 この2006年時の上演はそれまで日本人のミカド上演を見たことなかった英国人はじめ、世界中のミカドファンにとっては、度肝を抜いたらしく、現地で見られなかった方も、劇場横で公演1間後(!)に即販売されるDVDによって、私たちはいたるところで研究されていました。
 着物を着ると着付けから鬘(カツラ)が大変ゆえ、ベテランのヘアメイク、衣装、演出の先生方が編み出してくださった的確且つ見劣りなし、もっといえば本当にそれでも良い歴史認識をしてしまいそうな「着崩し」衣装により、大変合理的な舞台設定にできました。可笑しいのは、その後のどの公演を見ても、ミカドを安価(失礼)に上演するチームは、真似をしているのです・・・。ううむ、これは正式ではないのに、、、と思いながら、お手本にしていただいている事に誇りも持てますね。

 本日のミカドも大分私たちのプロジェクトの研究をした様子です。門外不出、、というか、ありえない振り付けまで面白そうな事は、手本にしてくれているところがたくさんありました。これはとっても嬉しい事。苦労して稽古したがゆえに、若い方々が工夫をして改定してくだされば、これまた面白いわけです。
 譜面や原作台本はすぐに手に入るのに、上演回数も少なくなかなか取り組んでもらえない喜歌劇「ミカド」ですが、こうやって真面目に取り組んでいる音大生の姿を見ると、ただただ応援したくなりますね。まだまだやりたいない事や、数年経って再演の気持ちがフツフツと湧いてくださったら、また見に行きたいです。

 とってもブラボー・プロジェクトでした。

怖いね週刊誌2016/03/16 10:42

 ショーン・マクアードル川上さんという最近毎日のようにテレビで見る人気コメンテーターの方が、方々で吊るし上げられています。率直にいえば、そこまでやっつける必要があるのか・・・と思います。
 報道、週刊誌によれば、彼の履歴に捏造された部分が多いというのが直接の理由らしいですが、確かにそれにより彼に舞い込んだ仕事や、利益も生じているので良いとは思いません。しかしながら、出演を依頼して彼を信用してきたオトナ社会、いつも正当性を主張するような道徳感溢れる報道番組などでも、彼の人気にあやかったのではないですか?
 横並びの民放各社は、1つの掘り出し物を時間差で取り上げながら、流し素麺のように味わっていきます。「取材拒否の味の名店」「特殊域でギネスを持っている稀な人」「驚きの技を持つ芸達者素人」・・・、何度でも取り上げ、局を変え、見る角度を変え、レポーターを変え、クイズ回答者を変え、、、。
 この川上さんは実は日本人だという事で、ややこしいカタカナ名もまやかしには使用できませんが、ナイスなマスク、名前、そして何より的確なコメント力に各社各局は群がりましたね。

 先日医療費詐欺の疑いで逮捕されてしまった美人医も、様々なバラエティで面白がられて、されらしい演出もVTRも挟みながら紹介していきました。捕まると、今度は悪者にして吊るし上げです。

 利益を追うが善は基本。

 と言うのは報道の宿命でしょうし、コンプライアンスなどという言葉で見る者の道徳心をも量られます。然しながら、一転して悪者、出演は控えて、今度は吊るし上げっていうのはどうなんでしょう?編成した方、出演を交渉して許諾した責任者、よもや人気にあやかろうとした協賛も含めて、法令遵守という道徳心を纏うなら、その方々の濁った正義の審美眼への責任も問われるべきですね。
 1つの発言で出演が減る方、思想が危険人物として空席になってしまうコメンテーター。出演者を選ぶのは番組編成の勝手ですので、嫌なら視聴者も見なければ良いだけの話ですが、社会的には匿名のように過ごしている組織内部の方々に比べ、タレント、文化人など、個人名や過去のプロフィールまでが晒されていく方々のリスクの多さはちょっと異常だとも思います。

 昔はもっと適当だったなぁ〜、と思いますよ。今だったら出演アウトギリギリの個性を売り物にするタレントや、芸人タレントなどはさらに過激な芸風でした。そして番組自体もエログロナンセンスを地で行くのようなタイトルから内容もとっての多かった。
 週刊BSは、連続するスクープが今の売り上げになっているのでしょうし、紙媒体である書籍、雑誌業界も生き残りに必死でもあります。しかしながら、狙いを定めて、掘り下げて晒して、さらに引き摺り回して、よもや社会から抹殺されてしまうような個人の未来をどう思うのでしょうかね。

 川上さんは人気でした。私も時折目にしましたが、彼のエキゾチックな表情から発せられる言葉は、断定する強さや、上から見下ろす横柄さもなく、柔らかい言葉で窘(たしな)めている程度。視聴者が思っている点線を、太い鉛筆でなぞってくれる丁寧さに人気があったのだと思います。強い個性で惹きつける所謂有識者や専門の学者の真実味を帯びた言葉は、見ていてスッキリしたり、へ〜へ〜と相槌も打ちましたが、現代は彼の印象が局のリスクがないのでしょう。
 言われているように、整形したのか分かりませんが、イケメンの少しヤツれた表情から発するバリトンの声。そしてキャスターの捲し立てテンポからは、メトロノームで2目盛落として、ゆっくりしっかり話す。

 「ダメなことはダメでしょ?」

 なんて窘められたいと思ったご婦人方はたくさん居たから人気だったのです。声って大切。そして話し方で人間は実にイメージを変えられるし、見られからも変わります。大切ですよね。

 しかし川上さんはこんなに人気だったのだから、過去なんて関係なく採用していけばいいと思うのですがいけないもの?胡散臭いという向きもありますが、もっと胡散臭い方々が画面を占拠しているのを見ると、学歴職歴よりも、視聴者の目線を素敵な声で口にしてくれる方も居ていいと思うのですね。

 難しいですよテレビって。そして怖いですよ週刊誌って。

無事公演終了2016/03/20 23:15

エコルマオープンハウスも無事に終了。
・・・日曜日の話ですが。

 のほほ〜んとした3月を過ごしていたのに、突然のように驚異的に忙しくなることがある週末なのです。
 土曜は大学生のコンサート終わった瞬間にホールを飛び出して、電車に飛び乗って次の仕事行ったりしながらも、やめればいいのにさらに深夜の打ち上げに戻って、夜の帳なんてもう降りすぎちゃって揚げるスタッフも寝静まった時間に寝る・・・。

 この日は朝一で小学生との交流もあり、司会しながら演奏後の子供達にインタビューすることもすっかり忘れ、多分酒気帯びのオッさんを嫌がられたでしょう。
 ともあれ、1年間掛けたイベントも無事に終わり、ホッとしたこの日の打ち上げでした。プロ邦楽奏者人口の多さゆえ盛り上がり方も半端ないのですが、これは充実という言葉に置き換えてみると、他地域を圧倒しているのですね。スタッフ、演奏共にたくさん活躍していただいた皆さんに心から感謝をしています。

 写真は都立狛江高校の箏曲部の皆さんの演奏。来年8月には全国大会もあり、毎回気合の入った素晴らしい演奏を聴かせていただけます。まだまだ頑張って欲しいと思うのです!
*個人特定もし難いよう大写しにできないのでこの大きさ。

明治演劇史2016/03/24 23:24

 数日前に買い読み耽っています「明治演劇史」。

 歴史の本と思われそうですが、いやいやこれは人情話とも思えるほんでありまして、読み出のある内容です。
 もう3年ほど前に出たのですが、買いそびれたままであったので、ようやく読み始めた具合です。著者の渡辺保さんは単なる研究者でも教論家でもなく、演劇の現場を知っている方だけに、時代と共に生き、明治に翻弄された役者の気持ちも汲みながら書いているところが実に嬉しい。

 川上音二郎の奥さんであった貞奴の書籍も相当な面白さでしたが、この時代を生きていた方々の芝居に対する熱意や、伝統を守らんとする芸能者の歯痒さもいいですねぇ。
 最初が幕末から始まりますが、倒幕と明治天皇、そして幕府に擁護されていた能世界がどのように変わったということから、枝葉が広がっていきます。松井今朝子さんなどの幕末本を書く方が好きな私に取っても、知っている事のさらに裏側を紐解いてくださったり、思わぬ人間関係を披露してくださったりと、膝を打つ事ばかりなり。

 明治天皇即位の16才という年齢から明治期を見渡しても、この大変な時代が見えてきますし、明治維新、文明開化という先端の時代と流行の写り変わりを考えても、文化芸術論として大変感慨があります。

渡辺 保著
「明治演劇史」
講談社:2800円(ハードカバー478頁)

・・・頁を捲って書いてあったのは、装丁 南伸坊
ううむ、外側のセンスも大事な演出です。

35回定期2016/03/25 23:35

 私にも高校生時代というのがありました。よく覚えていることがたくさんありまして、しかし縁遠くなった同級生を思うと時間の流れも感じるわけです。そんな高校の現役高校生の吹奏楽部の定期演奏会があると教わり、少し寄れそうだったので行ってまいりました。
 一回りほど年の離れた後輩から、近年は部員減少で活動も大変でこの先どうなるかわからないと時折部活の近況も聞いていました。自分の事ではないので恐縮ですが、相当上の先輩方は全国大会で2位(銀ではない)の栄冠を勝ち取ったりした典型的な「元」強豪校でして、吹奏楽という活動が学校文化活動の花形だった時代を創った学校でもあるのですね。
 
 最近の吹奏楽しか知らない方は驚くかもしれませんが、20年ほど前までは、共学校の部活男女比は5:5だったではないでしょうか?いや少し少なくなっても、男子は3分の1は居たかな。もっと前は男子が多い時代も確かにあった・・・。サッカーを敵に回すわけではないですが、華やかなスポーツが取り上げられた、次第に学校でも運動部が盛んになって、運動系文化部といわれた吹奏楽も男子より女子の割合が増えていったわけです。
 単純な話ですが、小さな楽器は女子中心大きな楽器は身体の立派な男子中心だったのが、次第に金管の女性率が上がりトロンボーン、チューバを女子生徒が吹いても驚く事はなくなりました。女性中心の吹奏楽社会という中に男子生徒が入る事で、確立したコロニーだったわけです。

 しかし現代のアナログコミュニティ危機はもっと深刻。

 オーケストラや吹奏楽は、現代の便利なコミュニティーとは違う人間関係を日常にしないと成り立たない世界です。SNSでつながり、話よりも文字や絵による感情表現を駆使し、言いにくい事難しい話になれば、直接口を開くより電子機器媒体のツールを使用した方が冷静に話が成り立ってしまう現代。そんな毎日から見たら、電気を一切使わない人間の身体で楽器を鳴らして音を出し、人と人の間には何の機械もない人間関係は摩訶不思議というより奇跡かもしれません。
 運動でもそうですが、口を開かないとコミュニケーションは取れず、指示やディスカッションも直接やりとりする世界。音楽では口を開く事が少なくても、複数人で合奏をするという関係は、喋らなくても心を開いた五感のコミュニケーションですので、うまく事が運んでいても、演奏が終わると相当に疲労するものです。この疲労こそ心地よくもあり、しかし非現代的な面倒だと感じられる部分でしょう。

 現代の子供たちが、音楽が好きになり、演奏をしたくて楽器を習ったり、吹奏楽に興味を持ってくれるのは素晴らしいと思います。これは同時に、現代からは遠く離れた不自由で面倒で疲れるコミュニティに参加する事でもあります。それでも続ける彼らに面倒な人間関係をなぜやめないかと問えば、「音楽を続けたい」という一言が返ってくるものです。音楽の魅力が本来の人間関係を取り戻す手段にもなっていると言えますね。

 心配をしながら行った定期演奏会。

 プログラムをもらってみたら「第35回都立〜」と書いてあり、違う学校に来たと思ったほどでしたが、年月がそれほど経っていると思ったものです。高校3年の時に当時の顧問と後輩と話をしながら、定期演奏会を立ち上げたのですから、毎回の回数は過去の思い出と連動し、増える数字は現役にエールを送り続ける進化でもあります。
 11人の現役に一所懸命引っ張ってくださる顧問の先生と、若いOBOGの皆さんも賛助で入ってくださり、立派な演奏でした。2時間の演奏会を、演出も含めてやり遂げた準備を思うと、素晴らしい努力の成果が出ていて感動的でもありました。

 四半世紀も経てば世の中も変わります。昔と同じことを望んだり、前が素晴らしかったなどと宣う輩ほど私も野暮ではないつもりです。だからこそ今の時代にあったやり方で音楽を楽しんで欲しいと心から思った次第です。

こまえ市民大学2016/03/30 10:39

 手前味噌な宣伝になりますが・・・。

 地元で長い間開催されている「市民大学」という講座があります。大きな話題は政治や経済の事、また地元の歴史から地域的な話題に至るまで、有識者など専門家を講師に招いて長年行っている企画です。

 4月9日になりますが、私の会になります。今年になってから打診をされて、年度始めの早々ではありますが、2時間ほどお喋りをさせていただくことになりました。
 さて何にしようかと企画の段階から考え始めるものの、そのそもいつもの話が四方山過ぎて、大学などという名前になると構えるものです・・・。とはいえ、昨今年に何度もまともな大学から呼ばれて講義の機会も多く、万年汗をかいている状態です。

 私の主な仕事を分けると、演奏とプロデュースが多いのですが、両方を一緒にしているから楽しいと思える部分もあって、演奏の時間は座って居れば良いプロデュースと、演奏の時間に従事する指揮だから両方できるとも思います。いずれにせよ、この経験をお話ししながら「庶民的クラシック効果」というジャンル(なのか)をお話ししてまいるつもりです。
 
 最近考えるのはあと2年経つと明治という年号から150年という時代の節目になるということ。文明開化と西洋音楽の普及というものが切っても切れない縁な訳で、たかだか数十年で鎖国社会から堰を切ったように近代西洋が溢れ出た、明治という時代の文化芸術をもう一度再認識してみたいのです。
 人は何を聴き、どこに差異を感じ、西洋美と日本美の境目に何を埋めようとしてきたのか。こんな場所に戻ってみると、枝葉が分かれて間違えてしまった事や、偶然でも正解を突き進んだ事などハッキリするのかと感じています。
 四方山音楽家の私でも土壌というものは気になるもので、ドイツに居ればさらにイタリアを感じたいと出かけ、キリスト教音楽と宗教を学べば、さらに紀元前ギリシャ時代の芸術と哲学を知りたいという欲求も出たものです。ここらで、もう一度日本の西洋化と文化芸術の帰路起点に回帰してみようと思う次第です。

 さて逸れました・・・。

 4月9日土曜日ですが、市役所の敷地にある中央公民館2階の講座室というところで14時から始まり、2時間の予定です。受講料というのがあり、200円だそうです。有料分はしっかり話して、「得した!」と思っていただかなければなりませんね。定員50人なので、あまりに申し込みが多いと締め切りなのかも知れません。

申し込み・お問あわせ:
狛江市中央公民館03−3488−4411
でございます。

 4月になったら、真面目に内容をまとめてまいります。今少しご猶予をいただいて、様々妄想を膨らませていきたいと思います。近所のお時間のある方、ぜひいらしてください。

十字屋ホール譚2016/03/31 16:54

 早いもので年度末日。3月は卒するイベントも多く、区切りや分け目といった節目になるのも年度制の日本ならではですが、春の訪れと共に新しい生活を始めるには最高の季節でもありますね。
 もっとゆったりと3月下旬を味わいたくても、それどころではない方々が殆どではないでしょうか?片付けや引っ越しもそうですが、始めるというのはその前を片付けるという儀式が付いて廻りますね。小生は全くの苦手分野・・・

 だらだらと過ごす音楽家の生活では、年末も年始も無い事も多く、ましてや年度末を感じる事は少ないと思いがちですが、身の回りに様々な区切りがあると、当然同じように感じて参ります。また、私たちは色々な助成などによって成り立っている公演も数多く、これらの元は必ず年度に添って動いて行くものなので、音楽家の生業の基もまた年度の区切りとも思う所です。

 「卒する」のは人であったりする事が多いのですが、この3月に卒する場所に実は私は深く感謝をしています。

 銀座十字屋さんは、あと数年で創業150年を数える、日本の西洋音楽の基盤を支えた歴史を持つ銀座の老舗楽器店であります。現在はハープの楽器と教育も含めた演奏普及を中心に、広く素晴らしい活動を続けておりますが、明治期には築地居留地から起こった東京でのキリスト教の布教を、音楽と楽譜により支えるように始まった会社でもあります。
 子供の頃より銀座界隈を歩き回っていた私は、現在の姿になる前の昔の路面に店舗を構えていた姿も朧げにお記憶しており、ヤマハ、山野と並んで、銀座の音楽の入り口として銀座十字屋を認識していました。様々な人の縁が繋がり、十年少し前に紹介をして頂き、いくつかの公演を持たせて頂いたりしました。その公演が行われていたのが、数十年の長きに亘り、様々な公演企画を催して来た十字屋ホールでした。

 銀座のど真ん中、三丁目の中央通に面した場所に建つビルの9階ですから、眺望もさることながら、70坪に及ぶホール面積の贅沢さや丁寧に選ばれた様々な趣味のよい内装も含め、お客様を特別な時間にお連れするには最高の空間でした。これは出演者にとっても同じ事で、殺風景な借りて来た銀座ブランドではなく、高い空間にあっても、歴史の重みと音楽の歴史を刻んでいらした関係者の自負が感じられるホールでした。
 
 でした・・・。
 と言ったのは、この3月でホールは閉じられることになったからです。

 お知らせを頂いた時には大変驚きましたが、戦争や震災など何度も何度も潜り抜けて来た歴史を思うと、銀座十字屋さんにとって、また一つの転換期が来ているのだと思った次第です。
 数年前まで5年間に亘り、十字屋通信という季刊誌に「銀座と音楽」というコラムを掲載させて頂いておりました。私が駄文を好き勝手に書かせて頂いていた音楽四方山昔話のような頁でしたが、十字屋さんの歴史を書く事も大変多く、明治から大正、戦前戦後と時代ごとに日本の西洋音楽と大衆音楽の移り変わりを改めて学ばせて頂く機会にもなったのです。
 東京生まれにとって銀座は憧れの花の街であり、文化や流行の揺るがない拠点でもあります。その昔でも、銀座を闊歩する方々のファッションや会話は、流行の移し絵でもあり、次の流行りの予言でもあった訳ですし、今でもやはり銀座の価値観は変わらぬ憧れブランドですね。

 コラムを書いたり、公演をさせて頂く中から自分が勉強した事を思うと、十字屋ホールという劇場が奏でた様々なジャンルの音楽は、銀座の街に相応しい人と音楽の交差点であり、欠かすことの出来ない大衆文化でもあったと大変感慨深い思いが致します。そしてこのホールが閉じられる事を思うと大変感傷的な気分になりますが、私以上に想いを強く持ちながらホールを愛していた身近な方々はもっと胸が締め付けられる断腸の想いだと存じてもおります。

 春爛漫という姿は見えないのですが、美しく揺れ動く桜の花にも陰影があり、寒さを凌いで咲き誇っている姿さえ感じられればそれがとても良い事だとも思います。そして花が散ってもまた新緑に恵まれながら少しずつ幹を厚くして、桜とは根強く咲き誇るものだと思ってます。
 
 十字屋ホールさん、本当にお世話になりました。
 心より感謝申し上げます。
カウンター