OBオケ公演 ― 2008/11/01 18:26

尾原勝吉記念オーケストラ、
通称、明治大学OBオーケストラの公演、
無事に終了いたしました。
「指揮をしている時は何考えているのですか?」
などと訊かれることが結構多いのですが、
ふと気付くと、関係ないことを考えていたり、
目に飛び込んだ些細なモノが気になったりと、
音楽とは関係なき場所に意識が存在している事も多い。
目を閉じ、悦に入り振っている指揮者は知りませぬが、
冷静に交通整理しているときほど、
妙な思考が平行することも多いものなのです。
これは意図的なことではなく、
知らぬ間に、意識が芽生えるのであるから、
原因は、フロイトでも読んで研究してみようかな。
昨日、本番を振り始めた途端に、
指揮者用の大きな譜面台の高さと傾斜が、
若干私向きでなかった事に気付いたが、
直そうにも、もう直せない状況であった。
譜面は、殆ど暗譜状態なので、
保険のためにおいてある程度なのだが、
見え方の問題ではなく、ページを捲り難さと、
譜面台の高さの問題は、棒が振りにくいので、
ちょいと気になる事ではあるのだ。
そこから端を発したのか、
このオケの練習時に使用していた、
指揮者用の譜面台を思い出したり、
他のホールで見た珍しい譜面台までが頭をよぎる始末。
払拭しようと思えば思うほど、
様々な譜面台関係の事が思い出され、
ベルリンのフィルハーモニーの譜面台、
先日の仕事での、今時の譜面灯の事から、
12月の仕事の、譜面灯の不備を再確認・・と、
どんどん譜面台ネタが、一人歩きするのである。
されとて、演奏は関係なく進むのであるが。
アマチュアオケの公演で、いつも思う事ですが、
やっと楽しくなってきたら、もう本番なのです。
この公演も、あと2回ほどの練習があったら、
もう少し深みのある演奏が出来たのかと思い、
いや、しかし結局同じ事かも知れぬなどと、
振りかえったりするのである。
毎回の日曜日の練習、
参加人数がなかなか揃わず、
考えているような練習の進行にならぬのですが、
他の予定を潰してでも、練習に参加するというのは、
なかなか大変な事でしょう。
もっと合理的に上手くなれる方法は無いものか、
指揮者としても悩みどころである。
しかし、練習を積んだ方は成果もあがり、
充実度が増すという事も確かではありますね。
しかし、これも1つの成果。
公演と言うもの、音楽と言うものは、
区切りはあっても、終り無き永遠の産物。
今回も、沢山の事を勉強させていただきました。
皆さんに沢山の拍手を贈りたいと思います。
また、一緒に出来る機会があればと思います。
これからも、良い関係、良い音楽を!!
通称、明治大学OBオーケストラの公演、
無事に終了いたしました。
「指揮をしている時は何考えているのですか?」
などと訊かれることが結構多いのですが、
ふと気付くと、関係ないことを考えていたり、
目に飛び込んだ些細なモノが気になったりと、
音楽とは関係なき場所に意識が存在している事も多い。
目を閉じ、悦に入り振っている指揮者は知りませぬが、
冷静に交通整理しているときほど、
妙な思考が平行することも多いものなのです。
これは意図的なことではなく、
知らぬ間に、意識が芽生えるのであるから、
原因は、フロイトでも読んで研究してみようかな。
昨日、本番を振り始めた途端に、
指揮者用の大きな譜面台の高さと傾斜が、
若干私向きでなかった事に気付いたが、
直そうにも、もう直せない状況であった。
譜面は、殆ど暗譜状態なので、
保険のためにおいてある程度なのだが、
見え方の問題ではなく、ページを捲り難さと、
譜面台の高さの問題は、棒が振りにくいので、
ちょいと気になる事ではあるのだ。
そこから端を発したのか、
このオケの練習時に使用していた、
指揮者用の譜面台を思い出したり、
他のホールで見た珍しい譜面台までが頭をよぎる始末。
払拭しようと思えば思うほど、
様々な譜面台関係の事が思い出され、
ベルリンのフィルハーモニーの譜面台、
先日の仕事での、今時の譜面灯の事から、
12月の仕事の、譜面灯の不備を再確認・・と、
どんどん譜面台ネタが、一人歩きするのである。
されとて、演奏は関係なく進むのであるが。
アマチュアオケの公演で、いつも思う事ですが、
やっと楽しくなってきたら、もう本番なのです。
この公演も、あと2回ほどの練習があったら、
もう少し深みのある演奏が出来たのかと思い、
いや、しかし結局同じ事かも知れぬなどと、
振りかえったりするのである。
毎回の日曜日の練習、
参加人数がなかなか揃わず、
考えているような練習の進行にならぬのですが、
他の予定を潰してでも、練習に参加するというのは、
なかなか大変な事でしょう。
もっと合理的に上手くなれる方法は無いものか、
指揮者としても悩みどころである。
しかし、練習を積んだ方は成果もあがり、
充実度が増すという事も確かではありますね。
しかし、これも1つの成果。
公演と言うもの、音楽と言うものは、
区切りはあっても、終り無き永遠の産物。
今回も、沢山の事を勉強させていただきました。
皆さんに沢山の拍手を贈りたいと思います。
また、一緒に出来る機会があればと思います。
これからも、良い関係、良い音楽を!!
心にブレーキ ― 2008/11/03 18:42

やっとこさ、自転車をイジル。
部品って奴は、つけたり外したりが楽しいのだが、
なにせ調整に時間を取られるゆえ、
そうすぐに作業できないものである。
特に、ブレーキなどの駆動系は、
調整を上手くやらないと、命に関わるので、
時間のある時に、と思うと、なかなか出来ない。
自転車乗りの方々は、パーツ好きも多く、
特に、自分の乗り方や頻度に合わせて、
カスタマイズするのが1つの楽しみ。
そして、もう少しの楽しみが、
パーツのグレードアップなのです。
これは、実に切りがなく、
凝り出すと、最初の車両価格を上回るほどの、
パーツの値段になっていくし、
同時に、不要パーツはもったい無い運命を辿る。
こういう事を繰り返していくうちに、
買い方や、パーツの選び方を憶えるのであるが、
小学生の頃より、こんな事を繰り返している私でも、
数年目を離すと、自転車の流行の移り変わりや、
パーツの進化の度合いが激しくて、
瞬く間に、新しいものに一新しているので、
これまた切の無いドツボとなるのである。
これを読んでいる全く興味の無い方々に、
さらにマニアックな情報を提供すると、
自転車好きは、1グラムに敏感なのです。
抵抗を減らし軽量化をすれば速くなり、
結果、実に乗るのが楽になるのです。
この単位は、ママチャリですと、
多分500グラム単位でしか味わえないでしょうが、
スポーツバイク(自転車)では、
10グラム、5グラムを減らすのに、
苦労を重ねながら、自重を軽くするのです。
既に軽いものをさらに軽くしたいがために、
よいパーツ、進化したシステムを欲しくなる。
まことに、きりの無いしょうがない趣味です。
ちなみに、この日、私はブレーキ本体を交換。
既に老朽していたシューの交換を兼ねたので、
地球に優しい交換なのですが、
前後で436gあったモノが、新しいパーツにより、
350gになり、結果86gの軽量化です!
さらに、ケーブル類も変えたので、
あと3gくらいは軽いかな。
と、たかだか100gに満たない重さの違いに、
心と身体は、満足感で満たされるのです。
部品って奴は、つけたり外したりが楽しいのだが、
なにせ調整に時間を取られるゆえ、
そうすぐに作業できないものである。
特に、ブレーキなどの駆動系は、
調整を上手くやらないと、命に関わるので、
時間のある時に、と思うと、なかなか出来ない。
自転車乗りの方々は、パーツ好きも多く、
特に、自分の乗り方や頻度に合わせて、
カスタマイズするのが1つの楽しみ。
そして、もう少しの楽しみが、
パーツのグレードアップなのです。
これは、実に切りがなく、
凝り出すと、最初の車両価格を上回るほどの、
パーツの値段になっていくし、
同時に、不要パーツはもったい無い運命を辿る。
こういう事を繰り返していくうちに、
買い方や、パーツの選び方を憶えるのであるが、
小学生の頃より、こんな事を繰り返している私でも、
数年目を離すと、自転車の流行の移り変わりや、
パーツの進化の度合いが激しくて、
瞬く間に、新しいものに一新しているので、
これまた切の無いドツボとなるのである。
これを読んでいる全く興味の無い方々に、
さらにマニアックな情報を提供すると、
自転車好きは、1グラムに敏感なのです。
抵抗を減らし軽量化をすれば速くなり、
結果、実に乗るのが楽になるのです。
この単位は、ママチャリですと、
多分500グラム単位でしか味わえないでしょうが、
スポーツバイク(自転車)では、
10グラム、5グラムを減らすのに、
苦労を重ねながら、自重を軽くするのです。
既に軽いものをさらに軽くしたいがために、
よいパーツ、進化したシステムを欲しくなる。
まことに、きりの無いしょうがない趣味です。
ちなみに、この日、私はブレーキ本体を交換。
既に老朽していたシューの交換を兼ねたので、
地球に優しい交換なのですが、
前後で436gあったモノが、新しいパーツにより、
350gになり、結果86gの軽量化です!
さらに、ケーブル類も変えたので、
あと3gくらいは軽いかな。
と、たかだか100gに満たない重さの違いに、
心と身体は、満足感で満たされるのです。
義勇兵士 ― 2008/11/06 23:47

今日は、高校生の授業を担当、、、
と書けば、<音楽の授業>と思いますよね。
違うのです・・・。
とある仕事関係の方が私を紹介し、
私も、何の気なしに「い~ですよ~」と、
軽く引き受けたのが「奉仕」授業の講師だ。
引き受けたものの、よく考えると、
奉仕の授業へ私が出向いて何を話せば良いのか?
そもそも私はなにかボランティアや、
社会的に助けになる様な事をしているのか?
など、大変な1時間を引き受けてしまったと後悔。
依頼主は、このような団体。
「きてきて先生プロジェクト」
http://www.kitesen.org/
ここで活動を助けているK女史から。
学校と地域のコミュニティを考え、
専門の講師を授業に派遣し、子ども達に、
外の社会の一端を見せたりするのです。
ま、つまり、
学校には新鮮な温もりのある風を流し、
地域社会へは、未来への創造の宝を磨かせる。
こんな相互通行をすすめる活動なのでしょう。
素晴らしい活動!と、HPを見回しながら、
昨夜(いや深夜、正確には明け方)感慨にふける。
・・・で、何をしたらいいのだろう。
講師は全員で7名、教育のプロもいれば、
橋を架けている方々もいて、ボランティアの専門家、
はたまた宇宙と飛行機の専門家もいらっしゃる。
そして、わたし・・。
みな同時に1年生のクラスを受け持つのです。
都立葛飾野高校1年生では、
1学期から、地域のクリーン活動を行い、
ボランティア活動を通じて、奉仕することを学び、
ボランティアの意義を考えているようだ。
で、どうして私だ?なぜだ?
うむ、はて、音楽家の活動は全てボランティアと、
判断されたのだろうか・・。
音楽を奏でる事は、教会における奉仕活動と同じ、
つまり音楽家は奉仕活動家という事か・・・。
でも、どうやら違う。
私の日頃の活動、例えば地域振興などが、
文化芸術を通じてのボランティア活動と理解され、
依頼されたのであった。
お話したのは、要するに子どもの頃からの音楽活動と、
そして高校時代の素晴らしい友人たち。
音楽を通じて、様々な国、地域に行った話・・。
うむ、やはりボランティアなのか??
ま、しかし文化芸術で人の心が癒されるなら、
それは形の見えない奉仕活動だろうと、思いました。
と、要領の得ない話を45分もジッと真面目に、
時には楽しんだり、真剣な眼差しを向けたり、
聞いて下さった1年2組の皆さんに、
心から感謝を申し上げます。
帰りがけに、一言書き残して欲しいといわれ、
「笑顔と拍手で、心のボランティア」と書いた。
我ながら素晴らしい、これしかない名文句。
が、良く考えると、これは私達が演奏の後に、
お客様から頂いていることだった・・・。
お客様はボランティア活動なのか!?
マスマスどつぼに入る。
数日間、呪文の様に離れぬ言葉になるな・・・。
「ボランティア、ボランティア・・・」
と書けば、<音楽の授業>と思いますよね。
違うのです・・・。
とある仕事関係の方が私を紹介し、
私も、何の気なしに「い~ですよ~」と、
軽く引き受けたのが「奉仕」授業の講師だ。
引き受けたものの、よく考えると、
奉仕の授業へ私が出向いて何を話せば良いのか?
そもそも私はなにかボランティアや、
社会的に助けになる様な事をしているのか?
など、大変な1時間を引き受けてしまったと後悔。
依頼主は、このような団体。
「きてきて先生プロジェクト」
http://www.kitesen.org/
ここで活動を助けているK女史から。
学校と地域のコミュニティを考え、
専門の講師を授業に派遣し、子ども達に、
外の社会の一端を見せたりするのです。
ま、つまり、
学校には新鮮な温もりのある風を流し、
地域社会へは、未来への創造の宝を磨かせる。
こんな相互通行をすすめる活動なのでしょう。
素晴らしい活動!と、HPを見回しながら、
昨夜(いや深夜、正確には明け方)感慨にふける。
・・・で、何をしたらいいのだろう。
講師は全員で7名、教育のプロもいれば、
橋を架けている方々もいて、ボランティアの専門家、
はたまた宇宙と飛行機の専門家もいらっしゃる。
そして、わたし・・。
みな同時に1年生のクラスを受け持つのです。
都立葛飾野高校1年生では、
1学期から、地域のクリーン活動を行い、
ボランティア活動を通じて、奉仕することを学び、
ボランティアの意義を考えているようだ。
で、どうして私だ?なぜだ?
うむ、はて、音楽家の活動は全てボランティアと、
判断されたのだろうか・・。
音楽を奏でる事は、教会における奉仕活動と同じ、
つまり音楽家は奉仕活動家という事か・・・。
でも、どうやら違う。
私の日頃の活動、例えば地域振興などが、
文化芸術を通じてのボランティア活動と理解され、
依頼されたのであった。
お話したのは、要するに子どもの頃からの音楽活動と、
そして高校時代の素晴らしい友人たち。
音楽を通じて、様々な国、地域に行った話・・。
うむ、やはりボランティアなのか??
ま、しかし文化芸術で人の心が癒されるなら、
それは形の見えない奉仕活動だろうと、思いました。
と、要領の得ない話を45分もジッと真面目に、
時には楽しんだり、真剣な眼差しを向けたり、
聞いて下さった1年2組の皆さんに、
心から感謝を申し上げます。
帰りがけに、一言書き残して欲しいといわれ、
「笑顔と拍手で、心のボランティア」と書いた。
我ながら素晴らしい、これしかない名文句。
が、良く考えると、これは私達が演奏の後に、
お客様から頂いていることだった・・・。
お客様はボランティア活動なのか!?
マスマスどつぼに入る。
数日間、呪文の様に離れぬ言葉になるな・・・。
「ボランティア、ボランティア・・・」
駅前パラパライブ ― 2008/11/09 23:48
今週は、企画、公演事業目白押し!!
どれもこれも地元「音楽の街-狛江」事業
今日は、今年度4回目の駅前ライブ。
ファンがとても多い、楽しみな団体、
「イズミ・スイング・オーケストラ」の出演。
狛江に根付き42年、アマチュアと言えども、
歴史を刻むほどに文化が育ちます。
素晴らしきイズミ・スィング!
駅前ライブは、毎回朝早くから準備が大変です。
市役所の担当課、総出での作業。
自転車移動(駅前駐輪)、人員の整理、
椅子並べ、チラシ配り・・・。
5~6人の委員も非力ながら一緒に活動、
ひたすら、ありがたいものです。
舞台関係は、セッティングに音響の仕込み。
最近は慣れたもので、作業が頗る早い。
駅前ライブは土曜が多いのですが、
担当P、副委員長のH氏の希望で、
「今回は日曜日で!」と、これは正解だった。
昨日の雨は、肌に冷たく心に染み渡る、
冬の到来を確信付ける凍り雨でしたので。
なんとか今日は曇りをキープ!と、
午前9時から準備開始でした。
サウンドチェックも終了し、
バンドのリハも完了し、しばし休憩・・、
1分に2~3滴空から何か降ってきて、
5分後に1分に10滴当たるようになる。
これは来るぞと、時間を巻きスタート。
前座は“きんたの会”の可愛い南京玉簾。
ジャズに玉すだれで何が悪い!
可愛らしい芸能にお客さんは拍手拍手。
小雨と言うほどは振らず、
晴れかと言うと確かに雨な、
パラパラの駅前ライブと言う感じで、
どうにか40分のライブも終了。
音の迫力と認知度から、大勢のお客様が鑑賞。
ありがたい次第ですね。
今年4回目の駅前ライブ、
昨年から数えて通算7回目の公演ですが、
未だ“雨天中止”は無し!
雨男の私にしては、優秀すぎます。
次は来月の開催。
晴れを祈るのみ
どれもこれも地元「音楽の街-狛江」事業
今日は、今年度4回目の駅前ライブ。
ファンがとても多い、楽しみな団体、
「イズミ・スイング・オーケストラ」の出演。
狛江に根付き42年、アマチュアと言えども、
歴史を刻むほどに文化が育ちます。
素晴らしきイズミ・スィング!
駅前ライブは、毎回朝早くから準備が大変です。
市役所の担当課、総出での作業。
自転車移動(駅前駐輪)、人員の整理、
椅子並べ、チラシ配り・・・。
5~6人の委員も非力ながら一緒に活動、
ひたすら、ありがたいものです。
舞台関係は、セッティングに音響の仕込み。
最近は慣れたもので、作業が頗る早い。
駅前ライブは土曜が多いのですが、
担当P、副委員長のH氏の希望で、
「今回は日曜日で!」と、これは正解だった。
昨日の雨は、肌に冷たく心に染み渡る、
冬の到来を確信付ける凍り雨でしたので。
なんとか今日は曇りをキープ!と、
午前9時から準備開始でした。
サウンドチェックも終了し、
バンドのリハも完了し、しばし休憩・・、
1分に2~3滴空から何か降ってきて、
5分後に1分に10滴当たるようになる。
これは来るぞと、時間を巻きスタート。
前座は“きんたの会”の可愛い南京玉簾。
ジャズに玉すだれで何が悪い!
可愛らしい芸能にお客さんは拍手拍手。
小雨と言うほどは振らず、
晴れかと言うと確かに雨な、
パラパラの駅前ライブと言う感じで、
どうにか40分のライブも終了。
音の迫力と認知度から、大勢のお客様が鑑賞。
ありがたい次第ですね。
今年4回目の駅前ライブ、
昨年から数えて通算7回目の公演ですが、
未だ“雨天中止”は無し!
雨男の私にしては、優秀すぎます。
次は来月の開催。
晴れを祈るのみ
オノマトペ ― 2008/11/10 23:22
12月公演、「のはらうた」を題材にした
『のはらのファンタジー』稽古が進んでいます。
私は訳詞の必要性に迫られることがあり、
そんなとき、日本語の秀逸さに微笑み、
音楽には乗りにくい言葉には逆に泣かされます。
言葉選びの中でも、日本の擬音語に関しては、
想像力の豊かさ、表現の細やかさに感心し、
ことあるごとに、日本語“らしさ”の代表として、
邦訳不可能なドイツ語や英語の言葉遊びに、
対応、いや対抗させています。
「のはらうた」は、言わずと知れた、
工藤直子さんの詩集ですが、
この膨大な詩を読み進めると、
いつ読んでも、擬態語、擬音語の豊富さに、
腰をぬかしそうになります。
今稽古に入っている「のはらうた」は、
既に20年前に、
作曲家三木稔によって書かれたものです。
しかし、音も言葉も色あせるものは何一つなく、
そればかりか、前にも増して、
工藤さんの言葉は七色の光を発し、
音楽は、喜怒哀楽から春夏秋冬、
早朝から帳が降りるまで、
全ての情景と感情が、心の奥深い部分に、
話しかけてくるようです。
ありきたりのドラマと、
解りきった人間の欲望の言葉など、
もう今の世界には通用しないのかもしれない。
それは、仮想現実の体験という娯楽の進化より、
インクが乾き切りそうな未来という軽薄な言葉。
先は見えなくても、過去を体験した人は、
仮想ではない超現実的な失望感を、
現代に実践しているからかも知れない。
稽古の中で、ハッとさせられるのは、
腐った左脳の底に沈殿した、
「記憶と経験」という高飛車な産物に、
直接投げかけてくる直球の言葉。
今や真新しい作品ではないのに、
古くなればなるほど、鮮度を上げる日本語。
歌手も、ピアニストも勿論私も、
音を楽しみ、言葉に驚き、
虫や太陽や、水や虹、カマキリの言葉にも、
耳を傾け、ようく事情を聞いてやる。
「のはらうた」、こんなのはらがあったら、
現代の楽園としてユネスコ登録間違え無し!である。
朝は劇場下見。
舞台監督、美術家そして私。
関係する皆が、床を計り、天を見つめ空間を感じる。
なにも無い空間が、音と言葉の楽園になる日、
「のはら」が出来上がる日が楽しみだ。
『のはらのファンタジー』稽古が進んでいます。
私は訳詞の必要性に迫られることがあり、
そんなとき、日本語の秀逸さに微笑み、
音楽には乗りにくい言葉には逆に泣かされます。
言葉選びの中でも、日本の擬音語に関しては、
想像力の豊かさ、表現の細やかさに感心し、
ことあるごとに、日本語“らしさ”の代表として、
邦訳不可能なドイツ語や英語の言葉遊びに、
対応、いや対抗させています。
「のはらうた」は、言わずと知れた、
工藤直子さんの詩集ですが、
この膨大な詩を読み進めると、
いつ読んでも、擬態語、擬音語の豊富さに、
腰をぬかしそうになります。
今稽古に入っている「のはらうた」は、
既に20年前に、
作曲家三木稔によって書かれたものです。
しかし、音も言葉も色あせるものは何一つなく、
そればかりか、前にも増して、
工藤さんの言葉は七色の光を発し、
音楽は、喜怒哀楽から春夏秋冬、
早朝から帳が降りるまで、
全ての情景と感情が、心の奥深い部分に、
話しかけてくるようです。
ありきたりのドラマと、
解りきった人間の欲望の言葉など、
もう今の世界には通用しないのかもしれない。
それは、仮想現実の体験という娯楽の進化より、
インクが乾き切りそうな未来という軽薄な言葉。
先は見えなくても、過去を体験した人は、
仮想ではない超現実的な失望感を、
現代に実践しているからかも知れない。
稽古の中で、ハッとさせられるのは、
腐った左脳の底に沈殿した、
「記憶と経験」という高飛車な産物に、
直接投げかけてくる直球の言葉。
今や真新しい作品ではないのに、
古くなればなるほど、鮮度を上げる日本語。
歌手も、ピアニストも勿論私も、
音を楽しみ、言葉に驚き、
虫や太陽や、水や虹、カマキリの言葉にも、
耳を傾け、ようく事情を聞いてやる。
「のはらうた」、こんなのはらがあったら、
現代の楽園としてユネスコ登録間違え無し!である。
朝は劇場下見。
舞台監督、美術家そして私。
関係する皆が、床を計り、天を見つめ空間を感じる。
なにも無い空間が、音と言葉の楽園になる日、
「のはら」が出来上がる日が楽しみだ。
がんばれロビコン ― 2008/11/11 23:25

「音楽の街-狛江」市役所ロビーコンサート。
なんて書くと、簡単な企画事業のようで、
実はここまで、大変な道のりでした。
2006年に始まった、
「音楽の街-狛江」構想推進委員会は、
当初から、「行政主導で始まった活動なら、
本拠地である市役所ロビーでの公演を!」
という意見が多かったのです。
亜空間での予想外の音楽事業は、
誰の目にも刺激的に映るものです。
行政の心臓である市役所ロビーは、
様々な人間模様、思惑が行き交う場所。
普段なら足も止めず、関係課に急ぐものです。
しかし、だからこそこの場所での音楽は、
驚きを与え、意外性は十分であり、
同時に、市の意気込みを伝えるのには最適です。
様々な市町村で、
市役所ロビーコンサートは実施されています。
多摩武蔵野地区でも多いのですが、
役所は、昼休みといえども、
平日である限り、夕方まで限りなく人が訪れます。
特に玄関周りは、市民との関わりが多い課が多く、
昼休みだからこそ混む場合も多数あるのです。
“心癒す音楽”などと、主催者が浮かれていても、
悩みや相談を抱えている方々にとっては、
音が精神をかき乱す原因にも成りかねません。
ですから、公共の真ん中である正面ロビーでの音は、
敬遠されてしまう原因でもあるのです。
今日は、市役所に生の音楽が流れた記念すべき日。
伝え聞くところでは、10年も前にも話が上がり、
しかし実現せず、「音楽の街-狛江」活動で、
2年半の歳月をかけ、ようやくの今日なのです。
20席用意した席は勿論満席。
それよりも、役所関係者の方々が興味津々・・・。
面白い空気が流れていました。
私は司会をしながら、様々リサーチ。
来所する市民の方々の表情・・・
気がついた瞬間の顔は?眉は上がったか?
目尻は下がって、口元は緩んでくれたか?
演奏の林妙子さん、心より感謝します。
主催者側の勝手な言い分ばかりですが、
演奏者にとっては、集中力を削がれる、
生活騒音も実に多いものでしたが、
気にせず、とても親切な暖かい演奏。
静かに聴く方、遠巻きに眺める方、
人の声、足音も音楽への愛情深き拍手。
御存知な曲か、鼻歌、口笛で通り過ぎる方々もあり、
とても楽しい反応でした。
年に2回、やらせてもらえるかな。
慎重且つ予想外の刺激を常にもたらせたいのです。
次回1月中旬!乞うご期待なのです。
なんて書くと、簡単な企画事業のようで、
実はここまで、大変な道のりでした。
2006年に始まった、
「音楽の街-狛江」構想推進委員会は、
当初から、「行政主導で始まった活動なら、
本拠地である市役所ロビーでの公演を!」
という意見が多かったのです。
亜空間での予想外の音楽事業は、
誰の目にも刺激的に映るものです。
行政の心臓である市役所ロビーは、
様々な人間模様、思惑が行き交う場所。
普段なら足も止めず、関係課に急ぐものです。
しかし、だからこそこの場所での音楽は、
驚きを与え、意外性は十分であり、
同時に、市の意気込みを伝えるのには最適です。
様々な市町村で、
市役所ロビーコンサートは実施されています。
多摩武蔵野地区でも多いのですが、
役所は、昼休みといえども、
平日である限り、夕方まで限りなく人が訪れます。
特に玄関周りは、市民との関わりが多い課が多く、
昼休みだからこそ混む場合も多数あるのです。
“心癒す音楽”などと、主催者が浮かれていても、
悩みや相談を抱えている方々にとっては、
音が精神をかき乱す原因にも成りかねません。
ですから、公共の真ん中である正面ロビーでの音は、
敬遠されてしまう原因でもあるのです。
今日は、市役所に生の音楽が流れた記念すべき日。
伝え聞くところでは、10年も前にも話が上がり、
しかし実現せず、「音楽の街-狛江」活動で、
2年半の歳月をかけ、ようやくの今日なのです。
20席用意した席は勿論満席。
それよりも、役所関係者の方々が興味津々・・・。
面白い空気が流れていました。
私は司会をしながら、様々リサーチ。
来所する市民の方々の表情・・・
気がついた瞬間の顔は?眉は上がったか?
目尻は下がって、口元は緩んでくれたか?
演奏の林妙子さん、心より感謝します。
主催者側の勝手な言い分ばかりですが、
演奏者にとっては、集中力を削がれる、
生活騒音も実に多いものでしたが、
気にせず、とても親切な暖かい演奏。
静かに聴く方、遠巻きに眺める方、
人の声、足音も音楽への愛情深き拍手。
御存知な曲か、鼻歌、口笛で通り過ぎる方々もあり、
とても楽しい反応でした。
年に2回、やらせてもらえるかな。
慎重且つ予想外の刺激を常にもたらせたいのです。
次回1月中旬!乞うご期待なのです。
精鋭 ― 2008/11/12 17:17
「音楽の街-狛江」公演は、今日もハツモノ。
様々な公演事業を組む中で、
子供達に音楽を届けたい、と言う願いがあり、
ようやく今年、実現しました。
丁度第五小学校は創立40周年の今年、
周年事業と一緒に、2公演の鑑賞会です。
今日は第一弾。
全校生徒を対象にした約50分の演奏。
出演は、若くて溌剌とした打楽器アンサンブル、
「パーカッション・カルテット・ユニック」から、
3名が来てくれました。
それぞれが得意な分野と、特徴を持ち、
楽器と技術のキャラクターを生かしながらの演奏で、
躍動感に満ち溢れています。
小学生の鑑賞会は、実は難しく、
6歳と12歳では、感じ方も成長の度合いも違い、
公演を一度に一緒に聴くのは難しい場合もあります。
でも打楽器アンサンブルは、大丈夫。
低学年の子ども達は、目で感じ歓声で応え、
高学年の子どもは、技術に驚き、音楽が通じます。
さらに、先生や父兄の皆さんにとっても、
普段近くで耳にしない楽器や、
卓越した技術を肌で感じる時間は特別です。
皮切りの今日は打楽器でと、決めていました。
第五小学校の生徒は、歌も上手で、
大きな声、正しい音程、また輪唱も完璧!
そして、手や膝を叩き足を踏み鳴らす、
ボディーパーカッションでも、とても良いリズム感。
皆で楽しみながら、拍手も沢山して、
驚けば歓声を上げたりも平気ですが、
演奏が始まった途端に、スッと静まり、
音楽に耳を傾けて集中できます。
これは、演奏家にとってもやりがいが出ること。
先生が押し付けなくとも、ルールを守る自由さが、
演奏者をさらにノセたのでました。
「この楽器の名前は~~??」と皆に聞くと、
返ってきた答えが「シューマイ!!」。
「シューマイではないです、マリンバですね~」
という小さい子どもとの掛け合いが可笑しく、
マリンバをシューマイと言う子の凄さに脱帽です・・・。
司会もしてくれながらの演奏。
後輩というだけで、無理難題をお願いしますが、
いつも良い演奏で応えてくれる高梨 晃さん、
美しく力強い女性の2人、服部 恵さん、相川 瞳さん、
心より感謝申し上げます!!
様々な公演事業を組む中で、
子供達に音楽を届けたい、と言う願いがあり、
ようやく今年、実現しました。
丁度第五小学校は創立40周年の今年、
周年事業と一緒に、2公演の鑑賞会です。
今日は第一弾。
全校生徒を対象にした約50分の演奏。
出演は、若くて溌剌とした打楽器アンサンブル、
「パーカッション・カルテット・ユニック」から、
3名が来てくれました。
それぞれが得意な分野と、特徴を持ち、
楽器と技術のキャラクターを生かしながらの演奏で、
躍動感に満ち溢れています。
小学生の鑑賞会は、実は難しく、
6歳と12歳では、感じ方も成長の度合いも違い、
公演を一度に一緒に聴くのは難しい場合もあります。
でも打楽器アンサンブルは、大丈夫。
低学年の子ども達は、目で感じ歓声で応え、
高学年の子どもは、技術に驚き、音楽が通じます。
さらに、先生や父兄の皆さんにとっても、
普段近くで耳にしない楽器や、
卓越した技術を肌で感じる時間は特別です。
皮切りの今日は打楽器でと、決めていました。
第五小学校の生徒は、歌も上手で、
大きな声、正しい音程、また輪唱も完璧!
そして、手や膝を叩き足を踏み鳴らす、
ボディーパーカッションでも、とても良いリズム感。
皆で楽しみながら、拍手も沢山して、
驚けば歓声を上げたりも平気ですが、
演奏が始まった途端に、スッと静まり、
音楽に耳を傾けて集中できます。
これは、演奏家にとってもやりがいが出ること。
先生が押し付けなくとも、ルールを守る自由さが、
演奏者をさらにノセたのでました。
「この楽器の名前は~~??」と皆に聞くと、
返ってきた答えが「シューマイ!!」。
「シューマイではないです、マリンバですね~」
という小さい子どもとの掛け合いが可笑しく、
マリンバをシューマイと言う子の凄さに脱帽です・・・。
司会もしてくれながらの演奏。
後輩というだけで、無理難題をお願いしますが、
いつも良い演奏で応えてくれる高梨 晃さん、
美しく力強い女性の2人、服部 恵さん、相川 瞳さん、
心より感謝申し上げます!!
viva浅草 ― 2008/11/13 15:00
チラシが届きました、11月24日(祝)の公演です。
国際浅草学プロジェクト『浅草オペラの世界』です。
「国際浅草学プロジェクト」とは?と思いますね。
不思議なタイトルのプロジェクトですが、
これは明治大学と台東区の共同事業なのです。
http://www.meiji.ac.jp/osri/asakusa/index.html
明治から大正期にかけて花咲いた浅草の文化、
国際的な視野から見ても、とても優れた浅草を、
多角度から検証する都市学というわけです。
今回の公演、いわば研究活動発表ですが、
タイトルは「浅草オペラ」です。
大正期の浅草オペラを、学問として検証する、
大真面目な国際学会なのです。
第1部では、記念講演にとして招聘された、
ウィーン大学教授のセップ・リンハルト氏の講演は、
「日本的西洋音楽の可能性」・・・。
大いに気になるタイトルです。
私が関係するのは第2部。
「復活!!浅草オペラ」と、!×2の勢いである。
いや、いつもやっている関係ですので、
そんなに興奮するほどの事ではないと思うのですが、
とりあえず、演奏があるのです。
先陣は、明治大学混声合唱団などによるステージで、
P.マスカーニ<カヴァレリア・ルスティカーナ>
のハイライトを演奏します。
合唱の魅せ場、聴き所が多いので、
きっと素晴らしい声で魅了するでしょう。
そして、その後が本番です。
藤原歌劇団ステージは、5人の歌手による演奏で、
浅草オペラで流行したアリアの数々を楽しみます。
これらの世界が大好きな方には堪えられない曲、
歌唱力のある歌手による歌は聞き応えもあります。
私は、これらの構成を手伝わせていただき、
音楽のまとめをしていますが、
当日は、曲間で出て行ってコメント、つまり司会。
何だか、一部でさんざん講演があって、
海外の先生方もいらして、〆が私?
どうしたら良いのでしょうね・・・。
ま、その頃(90年前)を覚えていた方は、
殆ど来ないので、スバラシかな浅草の劇場世界を
存分に味わっていただければ、良しですね。
これから稽古がありますが、
よい公演になりますよう。
また、入場は無料ですので、
沢山の方々の来場をお待ちします。
一応申し込み必要らしいですが、
当日、急に来場できるようになったのでであれば、
私の名前を言えば入れるようにいたします。
某M大オーケストラの皆さんも、
母校のホールに是非おいであれ!
どうぞ、大真面目な大衆芸術の楽しみを検証に、
存分に味わってくださいませ
下記:講演詳細です。
http://www.meiji.ac.jp/osri/asakusa/activity/2008/act_1124.html#
余談ですが:
昨日、一昨日の「音楽の街-狛江」関連の公演事業、
連日新聞の紙面で取り上げてもらっております。
勿論上記公演もですが、本当にありがたい取材です。
普段、質の高い公演をしてもなかなか記事にならないので、
文化事業、教育、という側面を持つ事は社会的に
感心が高くなるということですね。
芸術だの、大衆などとノタマッテいるだけではダメ、
認識をせざるを得ませんね・・・。
参った参った。
国際浅草学プロジェクト『浅草オペラの世界』です。
「国際浅草学プロジェクト」とは?と思いますね。
不思議なタイトルのプロジェクトですが、
これは明治大学と台東区の共同事業なのです。
http://www.meiji.ac.jp/osri/asakusa/index.html
明治から大正期にかけて花咲いた浅草の文化、
国際的な視野から見ても、とても優れた浅草を、
多角度から検証する都市学というわけです。
今回の公演、いわば研究活動発表ですが、
タイトルは「浅草オペラ」です。
大正期の浅草オペラを、学問として検証する、
大真面目な国際学会なのです。
第1部では、記念講演にとして招聘された、
ウィーン大学教授のセップ・リンハルト氏の講演は、
「日本的西洋音楽の可能性」・・・。
大いに気になるタイトルです。
私が関係するのは第2部。
「復活!!浅草オペラ」と、!×2の勢いである。
いや、いつもやっている関係ですので、
そんなに興奮するほどの事ではないと思うのですが、
とりあえず、演奏があるのです。
先陣は、明治大学混声合唱団などによるステージで、
P.マスカーニ<カヴァレリア・ルスティカーナ>
のハイライトを演奏します。
合唱の魅せ場、聴き所が多いので、
きっと素晴らしい声で魅了するでしょう。
そして、その後が本番です。
藤原歌劇団ステージは、5人の歌手による演奏で、
浅草オペラで流行したアリアの数々を楽しみます。
これらの世界が大好きな方には堪えられない曲、
歌唱力のある歌手による歌は聞き応えもあります。
私は、これらの構成を手伝わせていただき、
音楽のまとめをしていますが、
当日は、曲間で出て行ってコメント、つまり司会。
何だか、一部でさんざん講演があって、
海外の先生方もいらして、〆が私?
どうしたら良いのでしょうね・・・。
ま、その頃(90年前)を覚えていた方は、
殆ど来ないので、スバラシかな浅草の劇場世界を
存分に味わっていただければ、良しですね。
これから稽古がありますが、
よい公演になりますよう。
また、入場は無料ですので、
沢山の方々の来場をお待ちします。
一応申し込み必要らしいですが、
当日、急に来場できるようになったのでであれば、
私の名前を言えば入れるようにいたします。
某M大オーケストラの皆さんも、
母校のホールに是非おいであれ!
どうぞ、大真面目な大衆芸術の楽しみを検証に、
存分に味わってくださいませ
下記:講演詳細です。
http://www.meiji.ac.jp/osri/asakusa/activity/2008/act_1124.html#
余談ですが:
昨日、一昨日の「音楽の街-狛江」関連の公演事業、
連日新聞の紙面で取り上げてもらっております。
勿論上記公演もですが、本当にありがたい取材です。
普段、質の高い公演をしてもなかなか記事にならないので、
文化事業、教育、という側面を持つ事は社会的に
感心が高くなるということですね。
芸術だの、大衆などとノタマッテいるだけではダメ、
認識をせざるを得ませんね・・・。
参った参った。
不惑の40周年 ― 2008/11/15 23:41

40年前は1968年、昭和43年。
歴史を紐解いてみると・・・
小笠原諸島が23年振りに日本復帰、
などという戦後の色濃い出来事に、
東大紛争、安田講堂占拠、
成田空港反対派の学生1000人が、
建設事務所に突入し500人負傷という、
学生運動真っ只中を感じる記事。
団地に住むサラリーマンの給料が5万円、
東証ダウ平均株価が1843円39銭で史上最高。
と、なるほど、高度成長真っ只中である。
そんな学生運動に熱中した団塊の世代も、
定年で40年間という計算も成り立つ。
狛江市立第五小学校も、今年で40歳。
今日は、40周年記念式典でした。
子供もいますが、私は親で行ったのではなく、
「音楽の街-狛江」と学校の協力で行なわれる、
式典記念ミニコンサート公演で出向いたのである。
市長、教育長、議長に議員、公立校の校長先生、
PTA会長、元教諭から、卒業生の代表に至るまで、
行政、教育機関の中心の方々が列席する日でもあり、
式典列席させて頂いた私は、恐縮しながら着席。
1時間の式典は、5、6年生の素晴らしい歌の披露もあり、
節目の周年記念行事のメインイベントとして、
相応しい厳かさと気品のある式典。
そして式典が終り、私達の出番である。
ピアノトリオと言う編成で参り、私は司会。
30分の持ち時間をフルに生かしながら、
子供たちに解り易いプログラム。
愛の挨拶、チャールダッシュ、白鳥、
ノクターン2番に、ハンガリー舞曲・・・。
目の前で演奏されるヴァイオリン、チェロに、
生徒の目はまん丸で釘付け。
食い入るように見つめながら、耳を立て、
全身で音楽を感じようとしています。
最後は副校長先生の編曲した校歌を演奏し、
子ども達がまたも澄んだ声で歌い終了。
演奏者の方々に感謝。
場所を提供していただいた学校にも勿論感謝。
夜は祝賀会があり、学校関係者、議員さんなどと、
少しゆっくりお話をする機会があったが、
演奏と、この「音楽の街-狛江」の活動に関しては、
大半は好印象であり、ホッといたしました。
狛江の要人メンバーが一同に会する機会は少なく、
式典の中に組み込んだコンサートとは言え、
「音楽の街-狛江」の真摯な活動の一端と、
今年から始めた「学校に音楽を届ける」事業を
披露出来て、最高のプレゼンにもなったのです。
今週は「音楽の街-狛江」公演漬けの1週間。
私は勝手に「狛江音楽週間」と呼んでいました。
駅前ライブ、市役所ロビーコンサート、
2回に及ぶ2種類の小学校公演。
丁寧に進め、委員の協力体制で、
全て恙無く終了しました。
全部観た方、聴いた方はいるのかしら?
もしや・・、私だけ?
「音楽週間」は、ヨーロッパでは古くからある、
芸術に親しむための文化際のようなものですが、
「狛江芸術週間」Komae-festwochenなんて、
行事に発展すると最高だ、と思いながらも、
少々活躍し過ぎたかもと戒めもするものです。
日常の光景から、ほんのちょっと見えている事が、
地域振興長続きの絶対バランスと、知っています。
歴史を紐解いてみると・・・
小笠原諸島が23年振りに日本復帰、
などという戦後の色濃い出来事に、
東大紛争、安田講堂占拠、
成田空港反対派の学生1000人が、
建設事務所に突入し500人負傷という、
学生運動真っ只中を感じる記事。
団地に住むサラリーマンの給料が5万円、
東証ダウ平均株価が1843円39銭で史上最高。
と、なるほど、高度成長真っ只中である。
そんな学生運動に熱中した団塊の世代も、
定年で40年間という計算も成り立つ。
狛江市立第五小学校も、今年で40歳。
今日は、40周年記念式典でした。
子供もいますが、私は親で行ったのではなく、
「音楽の街-狛江」と学校の協力で行なわれる、
式典記念ミニコンサート公演で出向いたのである。
市長、教育長、議長に議員、公立校の校長先生、
PTA会長、元教諭から、卒業生の代表に至るまで、
行政、教育機関の中心の方々が列席する日でもあり、
式典列席させて頂いた私は、恐縮しながら着席。
1時間の式典は、5、6年生の素晴らしい歌の披露もあり、
節目の周年記念行事のメインイベントとして、
相応しい厳かさと気品のある式典。
そして式典が終り、私達の出番である。
ピアノトリオと言う編成で参り、私は司会。
30分の持ち時間をフルに生かしながら、
子供たちに解り易いプログラム。
愛の挨拶、チャールダッシュ、白鳥、
ノクターン2番に、ハンガリー舞曲・・・。
目の前で演奏されるヴァイオリン、チェロに、
生徒の目はまん丸で釘付け。
食い入るように見つめながら、耳を立て、
全身で音楽を感じようとしています。
最後は副校長先生の編曲した校歌を演奏し、
子ども達がまたも澄んだ声で歌い終了。
演奏者の方々に感謝。
場所を提供していただいた学校にも勿論感謝。
夜は祝賀会があり、学校関係者、議員さんなどと、
少しゆっくりお話をする機会があったが、
演奏と、この「音楽の街-狛江」の活動に関しては、
大半は好印象であり、ホッといたしました。
狛江の要人メンバーが一同に会する機会は少なく、
式典の中に組み込んだコンサートとは言え、
「音楽の街-狛江」の真摯な活動の一端と、
今年から始めた「学校に音楽を届ける」事業を
披露出来て、最高のプレゼンにもなったのです。
今週は「音楽の街-狛江」公演漬けの1週間。
私は勝手に「狛江音楽週間」と呼んでいました。
駅前ライブ、市役所ロビーコンサート、
2回に及ぶ2種類の小学校公演。
丁寧に進め、委員の協力体制で、
全て恙無く終了しました。
全部観た方、聴いた方はいるのかしら?
もしや・・、私だけ?
「音楽週間」は、ヨーロッパでは古くからある、
芸術に親しむための文化際のようなものですが、
「狛江芸術週間」Komae-festwochenなんて、
行事に発展すると最高だ、と思いながらも、
少々活躍し過ぎたかもと戒めもするものです。
日常の光景から、ほんのちょっと見えている事が、
地域振興長続きの絶対バランスと、知っています。
梱包の音 ― 2008/11/17 23:33
午前中早くから、保管しながら使用している、
楽器の貸し出しの為の点検と梱包。
楽器類を1つずつ丁寧に、確認すると、
当然の事ながら過年劣化も見つかるし、
また工夫しながら故障箇所を直した後も再発見。
何十回、何百回と叩き叩かれる楽器や撥は、
劣化して当然なのだが、
楽器に付いた小さな傷に、色褪せてきた皮、
打面がささくれてポロポロと乾き落ちそうな撥。
どれもこれもが愛おしいばかりか、
リストを見直しながら大切に梱包していると、
数十回演奏した、音楽劇のドラマと音楽が、
心のもっと奥、記憶と感情の隙間から掻き分け、
怒涛の様に噴出して鳴り響いた。
特別な感情を抱いて演奏を続けたこのドラマは、
指揮者も常に打楽器を演奏し、
時空の中に「音」の役で参加を実感するばかりか、
強烈な個性で、実際の役処の歌手達と対峙をするのだ。
負けんとばかりに、舞台上は躍動感に満ち、
十数年の間に工夫され、研ぎ澄まされた役は、
常に阿吽の呼吸で、的確なドラマポジションに立つ。
社会風刺は、兎角「教訓」という邪魔な副産物を創り、
ドラマの本質よりドラマ後の言い訳を成長させる。
しかしこの音楽劇は、社会的な刺激があっても、
必要な教訓しか呼び起こさず、
むしろ、人間の閉鎖的な感情を剥き出しにさせる事で、
知恵のある人間がどんなに愚かであるかを映し出す。
毎日公演しても、半年に1回公演しても、
毎回が楽しく、制御した感情を爆発寸前にする事を、
皆で楽しみながら、演劇である音楽を勉強しあった。
良い作品は、創りだす一人が作り上げるのではなく、
上演され血が通うことで、確実に鼓動を感じる。
紙の上の命は、舞台で揉まれて魂が宿るのだ。
既にこの世に産み落とした作曲家、作家は、
過去の作品として位置づけているかもしれない、
しかし、上演に携わるものは、一緒に並び、
歩き出し、ドラマと共に生きるのだ。
楽器を梱包していながらも、
留めることなく溢るる音楽を鼻歌の様に歌う。
どうしても寂しい気持ち・・。
電話では笑顔で質問に答え、全ての経験を預ける。
嫉妬?嫉み?そんなみっともないものは、
元来持ち合わせていないのに何故?
作品は、常に公平でリベラルなものであり、
新しい息吹を感じたい筈である。
ここに魂がまだ居るのか、背中を押すのか、
怒るのか、怒るのか、呆れるのか・・・。
泣いているのは、そいつかもしれない。
構わぬ、私は前に行く。
着いて来るなら、とことん来れば良い。
いつか振り返り、肩の荷を降ろす時が必ず来る。
まだ先。もう少しだけ先。でも確実に来る。
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