雷モダン2008/08/11 13:27

名店の多い東京下町の中でも、
特別な繁華街である浅草。
この浅草に来年の舞台の打ち合わせ。

いつ来ても素晴らしい匂いの町、
薫る街でも、香りの町でもない、
この町の匂いは、昭和の東京人の方なら、
必ず懐古できる、ホコリの匂い。
朱塗りの雷門の両脇の、風神雷神に迎えられ、
参道でもある仲見世の、しかし裏道を歩く。
変装した物売りの御老人の愛嬌よろしい声、
水打つ商店の年季の入った御婦人の手、
どれもこれも、映画のコマ送りの様に、
目に焼きつく昭和の風情であるのだ。
ケミカルシューズが並んだ店、
飴色に変色した“商い中”札の喫茶店を
横目に足早に横丁を抜けてゆく。

英国のビクトリア朝時代に、
ウィーンの代名詞であるフランツ・ヨーゼフⅠ世、
プロイセンで言えば、ウィルヘルムⅠ世、Ⅱ世時代。
19世紀後半から20世紀の西欧文化と、
芸術全般が好きな私にとって、
浅草は特別な時代の同義語である。
明治から大正を、“モダン”という時代言葉に象徴され、
芸能から芸術までを大衆に導いた文化都市としての、
この町の華やかな喧騒は、
まさに西欧の誇り臭さがプンプンするのである。

人は言うでしょう、「何を仰る!」と。
しかし、鼻を患っている気付かぬ輩は、
西洋と東洋が融合した浅草文化を、
和洋折衷と一言で侮ることでしょう。
とんでもない匂い違いですな。
濁ってしまった筆洗いの水ではなく、
水の中で混じりあった、墨とパステルと油性色、
極上の手漉きの和紙で時代をそっと映せば、
きっと華やかなマーブリング模様が映し出され、
その作品こそが『大正モダン』という傑作なのです。
大正の極楽は、現代人が求める究極の過去かも知れず、
浅草の御隠居たちの笑顔と皺には、
その100数十年の歴史が刻まれているのです。

なんと素晴らしき浅草の喧騒!

と、暑苦しい思いを胸に5分程歩き、
老舗の味を守り、町の賑やかしを護る旦那と初対面。
浅草の町の映し鏡のような素晴らしい方でした。
夢をきっと叶えましょう。
来年の秋の大きな公演、始動いたします。
私の仕事は、山と町に恩返しです。

コメント

_ さとし ― 2008/08/13 01:40

浅草よいですね。帰りたくなります。
何と言っても場外裏のオープンカフェの雰囲気は最高です。
それと下足番のいる老舗。
観光に来た人も、観音様におまいりするだけでなく、昼はオープンカフェで一杯、夜は老舗で一杯と楽しんでもらいたいと元浅草っ子は思います。

_ さとし さん ― 2008/08/14 00:48

下町の匂いは、染み付いたらファブリーズしてもとれない程の、生活と文化の香りですな。

私も、無性にそこまで戻りたくなる時がありますが、戻ってみると、そこには昨日と変わらない日常があり、それこそが求める匂いなのですね。

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