鬼軍曹 ― 2007/12/07 23:43
そして今日も稽古、明日も稽古です。
そんな日々も通し稽古まで辿り着きました。
今度の公演は、12月11日から3日間ですが、
オペレッタ「田谷力三物語」です。
オペレッタと冠がつくのだから、
まかりなりにもストーリーありますし、
出演者が扮しますのは、全て実在した方々。
浅草オペラなんて!と、いう人ありますが、
日本でオペラ上演が始まって100年と少し、
このオペラ活動を大衆の流行にして広めたのは、
紛れも無く浅草なのですから、
この時代無くしては語れない大事な歴史です。
田谷さんは、89歳で亡くなった時が1988年、
私の世代でも肉声をテレビから聴いた記憶ありますし、
矍鑠(かくしゃくとした)立ち姿は、
オペラ界出身のスターとして人気も続いたものですね。
日本に招かれたローシー氏の手ほどきで、
帝劇でやっとスタートした日本のオペラ運動は、
赤坂のローヤル館に移り、そこでも夢は砕かれます。
しかしオペラの波は、今度は日本人の手によって、
ようやく浅草で花開くこととなるのですが、
ローシーに見いだされた田谷にとっては、
人気を求めて場所を移って行く年上の歌手達には、
少し抵抗があったようです。
こんな田谷の半生を舞台にした、「田谷力三物語」。
私、、、実は、出演しています。
最初に書いたように、
出演者は、実在した人物のみを演じています。
私の役は、指揮者の竹内平吉(1887-1972)。
少し調べましたら、竹内は、東京音楽学校を卒業し、
楽壇でもてはやされた人物らしく、
帝国劇場の管弦楽部の初代の楽長であり、
ローヤル館では、ローシーの腹心として働き、
当然、浅草時代にも指導者としての立場を発揮、
その後浅草オペラが関東大震災後に陰り見えた後、
宝塚歌劇団に移籍したらしいのです。
日本のオペラ界には無くてはならなかった人らしく、
“日本オペラ界の元老”と言われています。
私は、この方の役をする事は別に構わなかった・・・。
というか、指揮者が指揮者の役やるのだから、
役作りも出来るだろうに、苦労を楽しもうと思った。
だが、そんな事ではすまなくなったのです。
何度も言いますが、
出演者は、実在した人物のみを演じています。
力三の父親、田谷鏡太郎という人物がいるのですが、
この役を文学座のベテラン俳優加藤武さんを招き、
演じていただいているのですが、
その大事な場面に私が絡んでいるのです・・・。
どうして田谷鏡太郎は、突然現れた劇場で、
私にモノを尋ねたのでしょう、誰でもよかったではないか。
しかし、私なのですよ相手が。
舞台で2人で会話ですから、全く弱ってしまいます。
指揮者が指揮者役だからといって出演して、
歌手に混じって舞台立っているだけでも、
申し訳ないのに、加えて加藤さんですからね・・・。
金田一耕介シリーズの警部補「わかった!犯人は・・」、
この台詞がなんとも私には印象深いのですが、
素敵な江戸っ子の役者さんですね。
鼻から怒られっちゃう、かと思ったらそうではなく、
とても丁寧に、私なんぞ相手に段取りしてくださります。
「はいはい、その通りで御座います・・・」と、
揉み手しながら加藤さんの指導に耳を傾ける私です。
しかし、調べたら、加藤さんと私、
誕生日一緒!5月24日なのです・・・
この事、早速本人に申し報告いたしましたら、
「いやいや、珍しいやな~役者で日が一緒なんて!」
と驚いてくださり、目はランランと輝いています。
“いやいや、役者ではないが、まぁいいか・・”と、
私は多少テレ作り笑いながらも、
加藤さんには、同じ誕生日を気に入って頂いたらしく、
私を見る目は、指導教官鬼軍曹風(冗談)から、
昔から飼っている一番大事なペットを見るような、
ハートマークになっているのです。(これも冗談です)
がんばろう・・・。
そんな日々も通し稽古まで辿り着きました。
今度の公演は、12月11日から3日間ですが、
オペレッタ「田谷力三物語」です。
オペレッタと冠がつくのだから、
まかりなりにもストーリーありますし、
出演者が扮しますのは、全て実在した方々。
浅草オペラなんて!と、いう人ありますが、
日本でオペラ上演が始まって100年と少し、
このオペラ活動を大衆の流行にして広めたのは、
紛れも無く浅草なのですから、
この時代無くしては語れない大事な歴史です。
田谷さんは、89歳で亡くなった時が1988年、
私の世代でも肉声をテレビから聴いた記憶ありますし、
矍鑠(かくしゃくとした)立ち姿は、
オペラ界出身のスターとして人気も続いたものですね。
日本に招かれたローシー氏の手ほどきで、
帝劇でやっとスタートした日本のオペラ運動は、
赤坂のローヤル館に移り、そこでも夢は砕かれます。
しかしオペラの波は、今度は日本人の手によって、
ようやく浅草で花開くこととなるのですが、
ローシーに見いだされた田谷にとっては、
人気を求めて場所を移って行く年上の歌手達には、
少し抵抗があったようです。
こんな田谷の半生を舞台にした、「田谷力三物語」。
私、、、実は、出演しています。
最初に書いたように、
出演者は、実在した人物のみを演じています。
私の役は、指揮者の竹内平吉(1887-1972)。
少し調べましたら、竹内は、東京音楽学校を卒業し、
楽壇でもてはやされた人物らしく、
帝国劇場の管弦楽部の初代の楽長であり、
ローヤル館では、ローシーの腹心として働き、
当然、浅草時代にも指導者としての立場を発揮、
その後浅草オペラが関東大震災後に陰り見えた後、
宝塚歌劇団に移籍したらしいのです。
日本のオペラ界には無くてはならなかった人らしく、
“日本オペラ界の元老”と言われています。
私は、この方の役をする事は別に構わなかった・・・。
というか、指揮者が指揮者の役やるのだから、
役作りも出来るだろうに、苦労を楽しもうと思った。
だが、そんな事ではすまなくなったのです。
何度も言いますが、
出演者は、実在した人物のみを演じています。
力三の父親、田谷鏡太郎という人物がいるのですが、
この役を文学座のベテラン俳優加藤武さんを招き、
演じていただいているのですが、
その大事な場面に私が絡んでいるのです・・・。
どうして田谷鏡太郎は、突然現れた劇場で、
私にモノを尋ねたのでしょう、誰でもよかったではないか。
しかし、私なのですよ相手が。
舞台で2人で会話ですから、全く弱ってしまいます。
指揮者が指揮者役だからといって出演して、
歌手に混じって舞台立っているだけでも、
申し訳ないのに、加えて加藤さんですからね・・・。
金田一耕介シリーズの警部補「わかった!犯人は・・」、
この台詞がなんとも私には印象深いのですが、
素敵な江戸っ子の役者さんですね。
鼻から怒られっちゃう、かと思ったらそうではなく、
とても丁寧に、私なんぞ相手に段取りしてくださります。
「はいはい、その通りで御座います・・・」と、
揉み手しながら加藤さんの指導に耳を傾ける私です。
しかし、調べたら、加藤さんと私、
誕生日一緒!5月24日なのです・・・
この事、早速本人に申し報告いたしましたら、
「いやいや、珍しいやな~役者で日が一緒なんて!」
と驚いてくださり、目はランランと輝いています。
“いやいや、役者ではないが、まぁいいか・・”と、
私は多少テレ作り笑いながらも、
加藤さんには、同じ誕生日を気に入って頂いたらしく、
私を見る目は、指導教官鬼軍曹風(冗談)から、
昔から飼っている一番大事なペットを見るような、
ハートマークになっているのです。(これも冗談です)
がんばろう・・・。
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