休暇 ― 2007/09/06 23:08
久し振りのブログになってしまいました。
年間200更新を目指し、
週に4~5ペースを守り抜いていたのですが、
キーを打つ指にも夏のバテは来るようで、
脳と指がバテたので少しお休みしました。
8月後半の八ヶ岳「北杜国際音楽祭」は、
まさに怒涛と言う言葉がぴったりと来る期間で、
準備が本格化する2ヶ月ほど前からは、
デスクワーク(つまり譜面見ない仕事)の8割は、
この関連の仕事です。
大きな国際音楽祭なれば、当然大きな涼しい事務局で、
国際語が飛び交いながら、テキパキと10数人が働く、
ってイメージ、私にも勿論あるのですが、
そんな素敵なアメリカ映画のような場面、
東京にも山梨にも1度だってやってきませんでした。
音楽祭は5日間で終っても、さらに次の日は撤収。
そして誰もいなくなった舞台裏でコツコツとやる事は、
残務、、、いやこれは残務ではなくて、本務なのですな。
沢山のお礼をしなくてはいけないのと、
マスコミ向けの記事、公演の録音や写真の処理、
そのほか大切な経理はもっとも大変です。
あらためて関係者の皆さん、ありがとうございました。
この場を借りて、まだまだ先になりそうな方へも、
お礼を言わなくてはなりません。
さて、既に次の仕事が待っております。
正確に言うと、多少停まってた事、溜まっていた事を、
片付けて、片付けて、追いつかせないと、
大変な事になるのです。
この1週間でようやく背中が見えたと思ったら、
もう本腰入れての次の仕事です。
さて、だらだらと書きましたが、
「国民文化祭徳島2007」でのフィナーレに、
新作のオペラを上演です。
三木稔作曲・岩田達宗台本演出 <幸せのパゴダ>
オペラと言いましても、グランドオペラではなく、
台詞と音楽が入っているスタイル、解りやすく言えば、
モーツァルトならジングシュピール、
ドイツ、ハンガリーならオペレッタというスタイルで、
三木作品の中では、「フォークオペラ」と言う部類に属します。
国民文化祭は、持ち回りなので、40数年に1度の計算。
県を上げての文化祭ですから、様々な会場で、
いろいろな催しが沢山あります。
芸能から文化芸術、音楽、演劇、舞踊・・・
これらが、10日間に渡って繰り広げられ、
そのフィナーレの昼の目玉に上演です。
この先、11月までは、この話題が多かろうと思います。
そのほか、様々なことが沢山あります。
しっかりやろう・・・。
年間200更新を目指し、
週に4~5ペースを守り抜いていたのですが、
キーを打つ指にも夏のバテは来るようで、
脳と指がバテたので少しお休みしました。
8月後半の八ヶ岳「北杜国際音楽祭」は、
まさに怒涛と言う言葉がぴったりと来る期間で、
準備が本格化する2ヶ月ほど前からは、
デスクワーク(つまり譜面見ない仕事)の8割は、
この関連の仕事です。
大きな国際音楽祭なれば、当然大きな涼しい事務局で、
国際語が飛び交いながら、テキパキと10数人が働く、
ってイメージ、私にも勿論あるのですが、
そんな素敵なアメリカ映画のような場面、
東京にも山梨にも1度だってやってきませんでした。
音楽祭は5日間で終っても、さらに次の日は撤収。
そして誰もいなくなった舞台裏でコツコツとやる事は、
残務、、、いやこれは残務ではなくて、本務なのですな。
沢山のお礼をしなくてはいけないのと、
マスコミ向けの記事、公演の録音や写真の処理、
そのほか大切な経理はもっとも大変です。
あらためて関係者の皆さん、ありがとうございました。
この場を借りて、まだまだ先になりそうな方へも、
お礼を言わなくてはなりません。
さて、既に次の仕事が待っております。
正確に言うと、多少停まってた事、溜まっていた事を、
片付けて、片付けて、追いつかせないと、
大変な事になるのです。
この1週間でようやく背中が見えたと思ったら、
もう本腰入れての次の仕事です。
さて、だらだらと書きましたが、
「国民文化祭徳島2007」でのフィナーレに、
新作のオペラを上演です。
三木稔作曲・岩田達宗台本演出 <幸せのパゴダ>
オペラと言いましても、グランドオペラではなく、
台詞と音楽が入っているスタイル、解りやすく言えば、
モーツァルトならジングシュピール、
ドイツ、ハンガリーならオペレッタというスタイルで、
三木作品の中では、「フォークオペラ」と言う部類に属します。
国民文化祭は、持ち回りなので、40数年に1度の計算。
県を上げての文化祭ですから、様々な会場で、
いろいろな催しが沢山あります。
芸能から文化芸術、音楽、演劇、舞踊・・・
これらが、10日間に渡って繰り広げられ、
そのフィナーレの昼の目玉に上演です。
この先、11月までは、この話題が多かろうと思います。
そのほか、様々なことが沢山あります。
しっかりやろう・・・。
3回目 ― 2007/09/07 13:36
音楽の街-狛江推進委員会は、3回目の会議です。
昨年から持ち越した議題、
やらなければならない数々の案件、
実行しなければいけない今年の課題、
話し合わなければならない未来の展望。
昨年、今年、来年、と、
常に連続性をもってやりたいのですが、
市民協働の会から連動している推進委員会は、
単年度開催で、年に5回しか会議が出来ません。
勿論これは少なからず交通費の手当てが出るので、
予算上5回しか取れないのが現状だという事実です。
しかし、これでは足りません!
2時間×5回のわずか10時間の会議で、
我らの街の未来が決定できるなら簡単なことです。
そんなこと、到底ありえないでしょう。
常に会議は延長戦、それでも話し尽きる事はなく、
部屋を出た後は、10m先の「会議室中華別邸」の円卓で、
左手は、プリントからプリン体のジョッキに持ち替え、
熱き激論は、冷たい視線に曝されサドンデス、なのです。
滑らかになり過ぎたプリンプリンの舌を持つ輩には、
回る円卓を飛び交う濃い口料理で、喉を塞ぎながらも、
気がつけば、いつか「音楽の街」の話題は、
老若の戯けた笑い話へと変化していきます。
いや、これはこれで楽しい楽しい・・・
今年度は、公演を実行に移しながら、
準備を通じて「音楽の街」のあり方や、
宣伝広告による活動の認識アップを図る事が重要です。
10月7日には、市役所広場での楽市(月1回)に便乗して、
「ミニ・ライブ」を決行しますし、これは、
活動の活動の一端を担う大切な1歩になると思います。
また、12月5日は、エコルマホール(700人)で、
大きなコンサートを行ないますが、
昨年の、コンサート付きのフォーラムの2回目、
という位置づけでもあり、とても意義ある目玉公演です。
この公演の準備は、試行錯誤しながらも、
過去と今と未来を探る、「狛江音楽歴史本」の研究発表、
という意味合いもあると私は思うところです。
いずれにせよ、5回の会議・・いや、後2回でも無理。
自主的に増やす回数はドンドン増えるでしょうし、
「会議室中華別邸」に飽き、「会議室和食別邸」や、
「会議室居酒屋別邸」になると、もうなんだかわかりません。
どうなるのやら・・。
昨年から持ち越した議題、
やらなければならない数々の案件、
実行しなければいけない今年の課題、
話し合わなければならない未来の展望。
昨年、今年、来年、と、
常に連続性をもってやりたいのですが、
市民協働の会から連動している推進委員会は、
単年度開催で、年に5回しか会議が出来ません。
勿論これは少なからず交通費の手当てが出るので、
予算上5回しか取れないのが現状だという事実です。
しかし、これでは足りません!
2時間×5回のわずか10時間の会議で、
我らの街の未来が決定できるなら簡単なことです。
そんなこと、到底ありえないでしょう。
常に会議は延長戦、それでも話し尽きる事はなく、
部屋を出た後は、10m先の「会議室中華別邸」の円卓で、
左手は、プリントからプリン体のジョッキに持ち替え、
熱き激論は、冷たい視線に曝されサドンデス、なのです。
滑らかになり過ぎたプリンプリンの舌を持つ輩には、
回る円卓を飛び交う濃い口料理で、喉を塞ぎながらも、
気がつけば、いつか「音楽の街」の話題は、
老若の戯けた笑い話へと変化していきます。
いや、これはこれで楽しい楽しい・・・
今年度は、公演を実行に移しながら、
準備を通じて「音楽の街」のあり方や、
宣伝広告による活動の認識アップを図る事が重要です。
10月7日には、市役所広場での楽市(月1回)に便乗して、
「ミニ・ライブ」を決行しますし、これは、
活動の活動の一端を担う大切な1歩になると思います。
また、12月5日は、エコルマホール(700人)で、
大きなコンサートを行ないますが、
昨年の、コンサート付きのフォーラムの2回目、
という位置づけでもあり、とても意義ある目玉公演です。
この公演の準備は、試行錯誤しながらも、
過去と今と未来を探る、「狛江音楽歴史本」の研究発表、
という意味合いもあると私は思うところです。
いずれにせよ、5回の会議・・いや、後2回でも無理。
自主的に増やす回数はドンドン増えるでしょうし、
「会議室中華別邸」に飽き、「会議室和食別邸」や、
「会議室居酒屋別邸」になると、もうなんだかわかりません。
どうなるのやら・・。
忘れ得ぬ人々 ― 2007/09/08 23:45
電車の中では大抵譜面を見ているので、
あまり人をジット見ることも無いのですが、
手ぶらで乗ったため、たまたま目の前に座った人たち。
仕事に出かける時の上り電車で、
乗車して目の前の3人掛けに来た父と娘。
座ると、二人ともほぼ同時に本を広げた。
お父さんは、ハードカバーで、
良く見れば、どうやらフランス語のタイトル。
娘さんは、背格好から12歳頃かと思われたが、
表紙は、「ロイヤルバレエスクール・ダイアリー」。
私も以前立ち読みしたが、もう8巻ほど出てる。
なるほど。スッと伸びた膝下は、素足にサンダルで
ひっ詰める髪が似合いそうな顔立ちだ。
小学生に人気ブランドのバックは、やはり6年生か。
お父さんは50絡みか、細面の顔に優しそうな目、
単なる軽装で、休日の散歩風なのだが、
胸のポケットに差してある1本の金のペンが、
インテリの証のようで、嫌味もないのである。
2駅ほど行くと、娘さん眠くなったのか、
手で塞ぎながらも小さな欠伸をひとつすると、
読みかけのページに指を挟み、
スッと、お父さんの肩に頭をもたげた。
お父さんは一言娘さんに言って、状態を起こすと、
娘さんの首に高さを合わせて姿勢を正し、
娘さん、居心地良さそうに再度目をとじた。
なんとも微笑ましい・・・。
帰りの電車。
中途半端な時間の各駅電車は、比較的空いていて、
誰もが肩を下ろして楽に足を投げ出している。
私が座ったときに目の前に居たその子は、
きっと小学校3年生の男の子。
横には、おばあちゃんだろう、
優しそうな初老の女性は、身体の角度を少し曲げ、
少年をかばう様に座って、目を細めている。
良く見ると若々しいスニーカーにショートソックス。
そして、これは誰なんだろうとよくよく見れば、
さわやかな眼鏡の顔は、韓国スターのヨン様。
ヨン様は、お婆ちゃんのソックスの編み込み柄になり、
残念ながら二枚目の顔も横に多少横に広がって、
双子のヨン様は、足の甲から天を仰ぎ見ている。
少年は、先ほどから何かをずっと呟いているのだが、
最初何を言っているのかわからなかった。
しかし、駅が2つ、3つと進んで行くと、
次第に興奮してきたのか、声のトーンも上がり、
向かいの私にも聞こえるほどの声量になってきました。
さらに目を凝らし、耳を立てて観察すれば、
どうやら、読んでいる本を見て歌っている。
そう、彼は歌を歌っていたのです。
本のタイトルは、子供向けB5サイズで、
「ポケットモンスター大図鑑」と書いてある。
最初は、主題化でも歌っているのかと思ったら、
どうやらそうではない様子。
何度も繰り返す短いメロディーはさらにヒートアップ。
声の大きさに辺りを気にしたお婆ちゃんは、
それとなく指を立てて「シー」っと彼を制します。
あらあら、と思ったら更に声が高くなりました。
そしてピュアな声が、オトナの私にようやく届きました。
彼は、目の前の大図鑑に出ているポケモンの名を、
全て歌詞にしながら、決して展開しないメロディーは、
繰り返し繰り返し歌われながらも、
彼の歌詞は、止め処もなく溢れていくのです。
ページをめくり、まためくり全てのポケモンの名前を、
歌に乗せているではありませんか。
少年の反対隣りの男性は、ついに見かねたのか、
被っていた帽子を振り上げて、うるさい!うるさい!と、
坊やを制し始めました。
お婆ちゃん、今度はその帽子を掴みニコニコしています。
そうです、彼はお爺ちゃんだったのです。
それまで腕組していたおじいちゃんが起きました。
黄色のポロシャツに、テンガロンハット風の麦わら帽子。
足元は、矢張りショートソックスですが、
男性用の黒のスニーカーが邪魔して、
ヨン様が居るのかどうかが確認できませんでした。
微笑ましい・・・
たまには凝視も楽しい、休日の電車風景です。
あまり人をジット見ることも無いのですが、
手ぶらで乗ったため、たまたま目の前に座った人たち。
仕事に出かける時の上り電車で、
乗車して目の前の3人掛けに来た父と娘。
座ると、二人ともほぼ同時に本を広げた。
お父さんは、ハードカバーで、
良く見れば、どうやらフランス語のタイトル。
娘さんは、背格好から12歳頃かと思われたが、
表紙は、「ロイヤルバレエスクール・ダイアリー」。
私も以前立ち読みしたが、もう8巻ほど出てる。
なるほど。スッと伸びた膝下は、素足にサンダルで
ひっ詰める髪が似合いそうな顔立ちだ。
小学生に人気ブランドのバックは、やはり6年生か。
お父さんは50絡みか、細面の顔に優しそうな目、
単なる軽装で、休日の散歩風なのだが、
胸のポケットに差してある1本の金のペンが、
インテリの証のようで、嫌味もないのである。
2駅ほど行くと、娘さん眠くなったのか、
手で塞ぎながらも小さな欠伸をひとつすると、
読みかけのページに指を挟み、
スッと、お父さんの肩に頭をもたげた。
お父さんは一言娘さんに言って、状態を起こすと、
娘さんの首に高さを合わせて姿勢を正し、
娘さん、居心地良さそうに再度目をとじた。
なんとも微笑ましい・・・。
帰りの電車。
中途半端な時間の各駅電車は、比較的空いていて、
誰もが肩を下ろして楽に足を投げ出している。
私が座ったときに目の前に居たその子は、
きっと小学校3年生の男の子。
横には、おばあちゃんだろう、
優しそうな初老の女性は、身体の角度を少し曲げ、
少年をかばう様に座って、目を細めている。
良く見ると若々しいスニーカーにショートソックス。
そして、これは誰なんだろうとよくよく見れば、
さわやかな眼鏡の顔は、韓国スターのヨン様。
ヨン様は、お婆ちゃんのソックスの編み込み柄になり、
残念ながら二枚目の顔も横に多少横に広がって、
双子のヨン様は、足の甲から天を仰ぎ見ている。
少年は、先ほどから何かをずっと呟いているのだが、
最初何を言っているのかわからなかった。
しかし、駅が2つ、3つと進んで行くと、
次第に興奮してきたのか、声のトーンも上がり、
向かいの私にも聞こえるほどの声量になってきました。
さらに目を凝らし、耳を立てて観察すれば、
どうやら、読んでいる本を見て歌っている。
そう、彼は歌を歌っていたのです。
本のタイトルは、子供向けB5サイズで、
「ポケットモンスター大図鑑」と書いてある。
最初は、主題化でも歌っているのかと思ったら、
どうやらそうではない様子。
何度も繰り返す短いメロディーはさらにヒートアップ。
声の大きさに辺りを気にしたお婆ちゃんは、
それとなく指を立てて「シー」っと彼を制します。
あらあら、と思ったら更に声が高くなりました。
そしてピュアな声が、オトナの私にようやく届きました。
彼は、目の前の大図鑑に出ているポケモンの名を、
全て歌詞にしながら、決して展開しないメロディーは、
繰り返し繰り返し歌われながらも、
彼の歌詞は、止め処もなく溢れていくのです。
ページをめくり、まためくり全てのポケモンの名前を、
歌に乗せているではありませんか。
少年の反対隣りの男性は、ついに見かねたのか、
被っていた帽子を振り上げて、うるさい!うるさい!と、
坊やを制し始めました。
お婆ちゃん、今度はその帽子を掴みニコニコしています。
そうです、彼はお爺ちゃんだったのです。
それまで腕組していたおじいちゃんが起きました。
黄色のポロシャツに、テンガロンハット風の麦わら帽子。
足元は、矢張りショートソックスですが、
男性用の黒のスニーカーが邪魔して、
ヨン様が居るのかどうかが確認できませんでした。
微笑ましい・・・
たまには凝視も楽しい、休日の電車風景です。
楽聖街 ― 2007/09/09 23:10

この秋もいろいろな公演が待っているのですが、
オペラやバレエ関係を多く振る指揮者にとって、
シンフォニーを振るのはとても楽しいものです。
オペラ、バレエ、勿論もっと演劇的な要素が強い
音楽劇の分野、例えばモーツァルトでは、
ジングシュピールと呼ばれ、時代によっては、
オペレッタと分類されるものもあります。
英国では演劇的要素にバランスの比重を置く、
英国喜歌劇の分野、<ミカド>なども含まれる、
サヴォイオペラと言われる一連の作品群もあります。
これらの世界では、
ドラマの中で、音楽と言葉が中の良い双子の様に、
寄り添いながら時間を進めて行きます。
感情に訴えかけるのも音楽に添う言葉であり、
器楽音楽世界にはない特別な魂の芸術でもあります。
バレエでは、この世界とは少し距離を置きますが、
言葉はなくても、身体能力によって喋る芸術、
手足指は言葉より時に雄弁であり、
言葉より直接的であることも多く、
あまりの強い態度に、男としては慄く事も多く、
これはバレエが、得てして女性中心ですからですね。
いつもいつも人間のドラマばかりに接していると、
身体は、、いや脳でしょうか、非常に疲れるのですが、
器楽曲、特にオーケストラ作品においては、
そのようなドラマトゥルギーから開放され、
特定の音の種類に耳を傾け没頭していけばよいので、
精神衛生的には、非常に純粋なのかもしれません。
とはいえ、オーケストラ作品にも感情はあり、
言葉が無い分、音楽同士が会話をするのは、
非常に難しいことなのかもしれません。
シンフォニーは、音楽の学問的な要素が沢山あり、
長けた作曲家は、器楽だけで様々な街を作りあげます。
フルートにはフルート家の感情があり、対して、
ヴァイオリン家は、同じような生活パターンのようで、
フルート家とは違う家訓があるものです。
低音楽器のチェロ家の長は、
町内会長を務めるほど信望も厚いのですが、
時として独断采配には反発されてしまう。
もう少し校外でノンビリやっているのが、金管ですが、
実は彼らにはこの街の空気を一変させる連帯感があり、
いざとなるとその結束力は固いのです。
祭りになれば更に打楽器も参戦です。
町を囃し立てながら、練り歩く人気者でもあります。
こんなこと考えながら指揮しているのが、
オーケストラのリハーサルの楽しみですが、
街であるという事に気付きながら出来る演奏家は、
全員ではありません。
指揮者が町長となって、街を治めるのですが、
独裁はいけません。
皆の意見を聞きながら、小さな家同士の付き合い方、
ルールを決めるための意見を細かに聞いて回ります。
騒ぎが起こればなだめ、「もう少し待って」と言い、
誉めそやし激励、街づくりは進むものなのです。
ベートベンの交響曲は街づくりには欠かせない。
素晴らしい都市開発が譜面には書かれています。
近代化だけではなくて、土台を壊してしまわない、
温故知新の中で革新的なアイデアが詰っています。
古臭くなく、災害にもびくともしない街でありながら、
沢山の感情が詰っており、人が会話することが大切と、
器楽作品から訴えかけられます。
来週も楽しみです。
オペラやバレエ関係を多く振る指揮者にとって、
シンフォニーを振るのはとても楽しいものです。
オペラ、バレエ、勿論もっと演劇的な要素が強い
音楽劇の分野、例えばモーツァルトでは、
ジングシュピールと呼ばれ、時代によっては、
オペレッタと分類されるものもあります。
英国では演劇的要素にバランスの比重を置く、
英国喜歌劇の分野、<ミカド>なども含まれる、
サヴォイオペラと言われる一連の作品群もあります。
これらの世界では、
ドラマの中で、音楽と言葉が中の良い双子の様に、
寄り添いながら時間を進めて行きます。
感情に訴えかけるのも音楽に添う言葉であり、
器楽音楽世界にはない特別な魂の芸術でもあります。
バレエでは、この世界とは少し距離を置きますが、
言葉はなくても、身体能力によって喋る芸術、
手足指は言葉より時に雄弁であり、
言葉より直接的であることも多く、
あまりの強い態度に、男としては慄く事も多く、
これはバレエが、得てして女性中心ですからですね。
いつもいつも人間のドラマばかりに接していると、
身体は、、いや脳でしょうか、非常に疲れるのですが、
器楽曲、特にオーケストラ作品においては、
そのようなドラマトゥルギーから開放され、
特定の音の種類に耳を傾け没頭していけばよいので、
精神衛生的には、非常に純粋なのかもしれません。
とはいえ、オーケストラ作品にも感情はあり、
言葉が無い分、音楽同士が会話をするのは、
非常に難しいことなのかもしれません。
シンフォニーは、音楽の学問的な要素が沢山あり、
長けた作曲家は、器楽だけで様々な街を作りあげます。
フルートにはフルート家の感情があり、対して、
ヴァイオリン家は、同じような生活パターンのようで、
フルート家とは違う家訓があるものです。
低音楽器のチェロ家の長は、
町内会長を務めるほど信望も厚いのですが、
時として独断采配には反発されてしまう。
もう少し校外でノンビリやっているのが、金管ですが、
実は彼らにはこの街の空気を一変させる連帯感があり、
いざとなるとその結束力は固いのです。
祭りになれば更に打楽器も参戦です。
町を囃し立てながら、練り歩く人気者でもあります。
こんなこと考えながら指揮しているのが、
オーケストラのリハーサルの楽しみですが、
街であるという事に気付きながら出来る演奏家は、
全員ではありません。
指揮者が町長となって、街を治めるのですが、
独裁はいけません。
皆の意見を聞きながら、小さな家同士の付き合い方、
ルールを決めるための意見を細かに聞いて回ります。
騒ぎが起こればなだめ、「もう少し待って」と言い、
誉めそやし激励、街づくりは進むものなのです。
ベートベンの交響曲は街づくりには欠かせない。
素晴らしい都市開発が譜面には書かれています。
近代化だけではなくて、土台を壊してしまわない、
温故知新の中で革新的なアイデアが詰っています。
古臭くなく、災害にもびくともしない街でありながら、
沢山の感情が詰っており、人が会話することが大切と、
器楽作品から訴えかけられます。
来週も楽しみです。
パゴダと人は呼ぶ ― 2007/09/10 23:59

11月4日に徳島で初演を迎える作品<幸せのパゴダ>
音楽稽古が進んでいます。
今日は私が始めて入り、アンサンブル稽古中心に、
スタッフの為の録音もいたしました。
指揮者って、歌手にとっては公演では必要ながらも、
稽古のときには、厄介な存在だと思います。
音も出さずに歌手に指示をしなければならず、
職務でやっているとはいえ、
歌手は元来自由奔放であるものなので、
この自由からの制約と言うのは、
道理が通るものでなければ、納得してもらえません。
しかし歌手は自分の歌を客席では聴けないわけで、
客観的に冷静な耳と感覚が必用とされるのです。
指揮者は耳であり、客であり評論家でもあるわけです。
指揮者は次第に言う事が無くなっていくのですが、
稽古が進んでいくと、
演出家から容赦の無い要求が飛びます。
これは、歌手が自分ではなくて、
ドラマの中の登場人物を演じているのですから、
これらの人々の性格や根ざしているところを、
演出家は要求したいからなのです。
歌手と言う職業を本当に尊敬いたします。
頭がよくなければ決して出来ないと思う次第です。
譜面を覚えるという生半可な事ではなく、
その先にあるものを目指していかなければ、
歌手と言う仕事は務まるものではありませんね。
<幸せのパゴダ>、きっと素晴らしい舞台になります。
ケーリ、作曲家、プリマ、そしてポチ。
稽古に出席した歌手の役名ですが、
“素晴らしき個性を持った劇団のメンバー達は、
何を目指し何故集まるのか・・・“
酷い水害に見舞われ、自分達の行き所を失い、
途方に暮れるところから物語は始まります。
一筋の光も刺しては来ない、蒼白の心。
そしてそこから始まる3日間の稽古・・・。
さて、実際の稽古もまだ始まったばかり。
まさにこれから、これから。
素晴らしい作品は、まだ世には出ておらず、
徳島での公演が世界初演です。
音楽で観客に何が伝わるのか、
皆は、この舞台をどう観るのか・・・。
楽しさと苦しさを、出演者と一緒に味わいながら、
このドラマと共に、心豊かになりたいものです。
最高の舞台を出演者と成就したときは、
指揮者にとっては最高の喜びであり、
大玉送りの様に、舞台の熱を背中の観客に送ります。
楽しみ、楽しみ、楽しみ。
音楽稽古が進んでいます。
今日は私が始めて入り、アンサンブル稽古中心に、
スタッフの為の録音もいたしました。
指揮者って、歌手にとっては公演では必要ながらも、
稽古のときには、厄介な存在だと思います。
音も出さずに歌手に指示をしなければならず、
職務でやっているとはいえ、
歌手は元来自由奔放であるものなので、
この自由からの制約と言うのは、
道理が通るものでなければ、納得してもらえません。
しかし歌手は自分の歌を客席では聴けないわけで、
客観的に冷静な耳と感覚が必用とされるのです。
指揮者は耳であり、客であり評論家でもあるわけです。
指揮者は次第に言う事が無くなっていくのですが、
稽古が進んでいくと、
演出家から容赦の無い要求が飛びます。
これは、歌手が自分ではなくて、
ドラマの中の登場人物を演じているのですから、
これらの人々の性格や根ざしているところを、
演出家は要求したいからなのです。
歌手と言う職業を本当に尊敬いたします。
頭がよくなければ決して出来ないと思う次第です。
譜面を覚えるという生半可な事ではなく、
その先にあるものを目指していかなければ、
歌手と言う仕事は務まるものではありませんね。
<幸せのパゴダ>、きっと素晴らしい舞台になります。
ケーリ、作曲家、プリマ、そしてポチ。
稽古に出席した歌手の役名ですが、
“素晴らしき個性を持った劇団のメンバー達は、
何を目指し何故集まるのか・・・“
酷い水害に見舞われ、自分達の行き所を失い、
途方に暮れるところから物語は始まります。
一筋の光も刺しては来ない、蒼白の心。
そしてそこから始まる3日間の稽古・・・。
さて、実際の稽古もまだ始まったばかり。
まさにこれから、これから。
素晴らしい作品は、まだ世には出ておらず、
徳島での公演が世界初演です。
音楽で観客に何が伝わるのか、
皆は、この舞台をどう観るのか・・・。
楽しさと苦しさを、出演者と一緒に味わいながら、
このドラマと共に、心豊かになりたいものです。
最高の舞台を出演者と成就したときは、
指揮者にとっては最高の喜びであり、
大玉送りの様に、舞台の熱を背中の観客に送ります。
楽しみ、楽しみ、楽しみ。
秋の気配 ― 2007/09/13 21:28
今日は、日帰りで小淵沢。
先日の音楽祭の大きな反省会+慰労会でした。
あの音楽祭のあと、低気圧と台風で、
関東中大変な事になっていると思ったら、
八ヶ岳の南麓は、それほどの酷い天気でもなく、
少し雨が降った程度という話でした。
矢張り素晴らしい場所なのかもしれません。
避暑だけでなく、雪や嵐も来ないのですから・・。
朝のスーパーあずさは、込んでいるものなのですね。
いつも日曜の夕方の下りに乗ることが多いので、
指定取らなくても大丈夫なくらいですが、
この日、指定席は全席売り切れです。
それにしても、新宿発の特急のホーム位置は、
何とかならないものでしょうか?
サザンテラス口となどと言う、
新宿と言うより、もはや代々木駅に程近い場所にあり、
このホームの場所など知らぬ人が、
新宿西口の端っこにいたら、特急電車に乗るまでに、
確実に10分以上は歩きますね。
さらに丸の内線や、大江戸線などにいたら、
駅を1つ分は歩く様な事になりますからね。
東京中新宿にするつもりかと思ってしまいます。
奇妙な揺れの電車でも、駅を降りてしまえば、
小淵沢は、都会とは別世界の空気。
もう既に秋の気配いっぱいで、陽射しは強くも、
風が肌に気持ちよく、赤松がユラユラと揺れています。
今回の音楽祭の反省に始まり、
早くも野外劇場のマイナーチェンジの話。
これは、勿論更に使いやすく、お客さんが見やすく、
愛される劇場にするための知恵絞りですが、
合理的な変更と工事で来年に備えるのです。
そのほか、さまざまな反省点や、課題、
また良い点も勿論挙げながら慰労も兼ねました。
ダイジェストにまとまった10分のビデオでは、
5日間の熱狂が蘇り、クラクラするほどでしたが、
頭の中では、もはや懐かしい記録になりつつあります。
来年は、どんな音楽祭になるのだろうと考えながら、
相変わらず健康的な社員食いただきました。
先日の音楽祭の大きな反省会+慰労会でした。
あの音楽祭のあと、低気圧と台風で、
関東中大変な事になっていると思ったら、
八ヶ岳の南麓は、それほどの酷い天気でもなく、
少し雨が降った程度という話でした。
矢張り素晴らしい場所なのかもしれません。
避暑だけでなく、雪や嵐も来ないのですから・・。
朝のスーパーあずさは、込んでいるものなのですね。
いつも日曜の夕方の下りに乗ることが多いので、
指定取らなくても大丈夫なくらいですが、
この日、指定席は全席売り切れです。
それにしても、新宿発の特急のホーム位置は、
何とかならないものでしょうか?
サザンテラス口となどと言う、
新宿と言うより、もはや代々木駅に程近い場所にあり、
このホームの場所など知らぬ人が、
新宿西口の端っこにいたら、特急電車に乗るまでに、
確実に10分以上は歩きますね。
さらに丸の内線や、大江戸線などにいたら、
駅を1つ分は歩く様な事になりますからね。
東京中新宿にするつもりかと思ってしまいます。
奇妙な揺れの電車でも、駅を降りてしまえば、
小淵沢は、都会とは別世界の空気。
もう既に秋の気配いっぱいで、陽射しは強くも、
風が肌に気持ちよく、赤松がユラユラと揺れています。
今回の音楽祭の反省に始まり、
早くも野外劇場のマイナーチェンジの話。
これは、勿論更に使いやすく、お客さんが見やすく、
愛される劇場にするための知恵絞りですが、
合理的な変更と工事で来年に備えるのです。
そのほか、さまざまな反省点や、課題、
また良い点も勿論挙げながら慰労も兼ねました。
ダイジェストにまとまった10分のビデオでは、
5日間の熱狂が蘇り、クラクラするほどでしたが、
頭の中では、もはや懐かしい記録になりつつあります。
来年は、どんな音楽祭になるのだろうと考えながら、
相変わらず健康的な社員食いただきました。
秋晴れ ― 2007/09/15 23:03

週末からM大オケの合宿へ。
みなよく練習し、笑い、食べ、そして飲む。
とても大学生らしい素晴らしき合宿である。
なるべく時間が合えば、参加したいのだが、
なかなかそうも行かない年に3回の合宿。
10月6日にトロンボーン連中は、演奏会があるので、
ひと時も気の抜ける時間などなく、
オケの譜面と、アンサンブルの譜面に格闘している。
この演奏会、私は全曲暗譜でやりたいくらいですが、
今回は、難易度高いカルテット曲演奏の上級生4人に、
「暗譜!」の指令を出しました。
言った瞬間学生は固まっていましたし、
鬼の顔を見るような顔つきでしたが、構わずに、
「暗譜!、暗譜!、暗譜!!」と連呼しました・・・。
これは大事なことなのです。
暗譜すれば、次の大切なものが見えてくるのですから、
難しい曲になればなるほど必要なことなのです。
まぁ、煮詰まった状況を打破してあげたのですから、
きっとさらに上手くなるでしょう。
合宿参加学生の数が150人を越えたと聞きました。
近年稀にみる人数の多さですし、
オケ全体では200人も居るというところが凄い!
音楽界は、日本の経済状態の影響をモロに受けますが、
これはアマチュア音楽界でも全く同じ様です。
数年前まで、団員数100人に満たない年もありましたし、
オケをやりたくても余裕が無い人が多かったのです。
学生オケを続けるのは大変で、
ましてや飲みに行くお金なんて持っていなかった・・・。
この人数が倍になったという事は、
学費も含めて世話になっている親の状態が、
安定しているということなのです。
文化芸術派、物理的営利を生み出さないものですし、
携わるのには、お金が必要で贅沢なことなのです。
教授する側も、彼らの気持ちに応えなくてはいけません。
しかし皆さんよく飲む・・・
毎日、明け方までビール、焼酎、日本酒、洋酒・・・
よくもそんなに飲めると、感心しますわ。
2次会で分かれて飲んでいた先生方も寝てしまい、
早々と終了した部屋が次々に片付いても、
私の部屋だけは、一番遅くまで営業しているので、
行き場を失った、語り足りないたくさんの子羊たちが、
部屋の歓声を頼りに方々から集まってきます。
さらに喋り、笑い、泣き、飲み、吐き・・(汚い!)
そんな時間は、一生忘れない宝の時間なのですね。
音楽と人を愛する若者が酒を片手に語り尽くす。
20数年前の毎日を思い出しながら、
私もつい朝まで・・、という3日間でした。
みなよく練習し、笑い、食べ、そして飲む。
とても大学生らしい素晴らしき合宿である。
なるべく時間が合えば、参加したいのだが、
なかなかそうも行かない年に3回の合宿。
10月6日にトロンボーン連中は、演奏会があるので、
ひと時も気の抜ける時間などなく、
オケの譜面と、アンサンブルの譜面に格闘している。
この演奏会、私は全曲暗譜でやりたいくらいですが、
今回は、難易度高いカルテット曲演奏の上級生4人に、
「暗譜!」の指令を出しました。
言った瞬間学生は固まっていましたし、
鬼の顔を見るような顔つきでしたが、構わずに、
「暗譜!、暗譜!、暗譜!!」と連呼しました・・・。
これは大事なことなのです。
暗譜すれば、次の大切なものが見えてくるのですから、
難しい曲になればなるほど必要なことなのです。
まぁ、煮詰まった状況を打破してあげたのですから、
きっとさらに上手くなるでしょう。
合宿参加学生の数が150人を越えたと聞きました。
近年稀にみる人数の多さですし、
オケ全体では200人も居るというところが凄い!
音楽界は、日本の経済状態の影響をモロに受けますが、
これはアマチュア音楽界でも全く同じ様です。
数年前まで、団員数100人に満たない年もありましたし、
オケをやりたくても余裕が無い人が多かったのです。
学生オケを続けるのは大変で、
ましてや飲みに行くお金なんて持っていなかった・・・。
この人数が倍になったという事は、
学費も含めて世話になっている親の状態が、
安定しているということなのです。
文化芸術派、物理的営利を生み出さないものですし、
携わるのには、お金が必要で贅沢なことなのです。
教授する側も、彼らの気持ちに応えなくてはいけません。
しかし皆さんよく飲む・・・
毎日、明け方までビール、焼酎、日本酒、洋酒・・・
よくもそんなに飲めると、感心しますわ。
2次会で分かれて飲んでいた先生方も寝てしまい、
早々と終了した部屋が次々に片付いても、
私の部屋だけは、一番遅くまで営業しているので、
行き場を失った、語り足りないたくさんの子羊たちが、
部屋の歓声を頼りに方々から集まってきます。
さらに喋り、笑い、泣き、飲み、吐き・・(汚い!)
そんな時間は、一生忘れない宝の時間なのですね。
音楽と人を愛する若者が酒を片手に語り尽くす。
20数年前の毎日を思い出しながら、
私もつい朝まで・・、という3日間でした。
アンチHM ― 2007/09/20 10:28
誰が考えたのか知りませんが、
この3連休の連続をなんとかして欲しい!
はかどらないのです、物事が。
確かに働きづめでいる人にとっては、
秋の3連休はありがたいでしょうし、
行楽、レジャー、エンタメなどを業にしている人には、
ありがたい稼ぎ時かもしれませんが、
小の月9月で、30日の内12日も休みがあるってのは、
いったいどういう事なのでしょう?
4割休みってことですよね・・・
夏バテに対する連続休暇対策なのか、
だとしたら温暖化の影響がここにも、なのか。
そもそも祝日は、その日付に意味があったわけで、
祝日の意味に対する敬意も祓われたもの。
祝日が連休になるか、単発になるかは、
カレンダーによる毎年の楽しみの様でもあり、
連休なら、更に祝日に対してあり難さが増したもの。
ところがこんなに休んでは、
もう既に祝日、旗日の内容の意味も薄れ、
ただ休日を有り難い人たちだけが利を得るものだ!
音楽家は土曜休日の演奏会も多いもので、
そもそも公演はこれらを中心に組まれますが、
3連休は必ずしも良いわけではないのです。
休みの日が増え、レジャーの幅も増えるという事は、
結果的に遠出が多くなり、
近場で楽しむ類のエンタメは非常に不利になります。
演奏会の為に3日のレジャーを潰すより、
後回しにして大きな休暇とする方が圧倒的に多い。
特に若いアクティブな人になればなるほど、
この傾向は高まり、
慢性的に若い人が少ないクラシック系の公演などは、
3連休は全く期待できない結果になっている。
小学校だって、休みを減らして勉強傾向、
世の中だって、遊びすぎておかしくなった日本を反省、
だったら、7年前に決まったこの制度を見直して、
もう一度元に戻す勇気を持っていただけないかな。
週休2日も無い時代は、サタデーナイト・フィーバーって、
映画でも言うくらい土曜日しか楽しみはなく、
みな祝日を有り難い日と感じたものですよね。
欧米に比べ祝日が少ないからという理由で、
祝日を増やしても、結果的に良い事は合ったのでしょうか?
私は困っているのです。
平日夜しか話が出来ない会社勤め、役所の方々と、
平日夜や休日に公演が多い専門家が会う事は、
それでなくても大変なのに、
こう休みだらけでは、仕事は捗らないし、
平日と休日の時間軸のズレと普段の精神状態の変化で、
平日がボケていく為に、仕事が繋がらないのです。
異種業種格闘している方々はきっと皆同じ意見、
だと思うのですが如何でしょう。
このハッピーマンデーをハッピーと考えているのは、
制度作った人たちダケだと思うのですがね。
この3連休の連続をなんとかして欲しい!
はかどらないのです、物事が。
確かに働きづめでいる人にとっては、
秋の3連休はありがたいでしょうし、
行楽、レジャー、エンタメなどを業にしている人には、
ありがたい稼ぎ時かもしれませんが、
小の月9月で、30日の内12日も休みがあるってのは、
いったいどういう事なのでしょう?
4割休みってことですよね・・・
夏バテに対する連続休暇対策なのか、
だとしたら温暖化の影響がここにも、なのか。
そもそも祝日は、その日付に意味があったわけで、
祝日の意味に対する敬意も祓われたもの。
祝日が連休になるか、単発になるかは、
カレンダーによる毎年の楽しみの様でもあり、
連休なら、更に祝日に対してあり難さが増したもの。
ところがこんなに休んでは、
もう既に祝日、旗日の内容の意味も薄れ、
ただ休日を有り難い人たちだけが利を得るものだ!
音楽家は土曜休日の演奏会も多いもので、
そもそも公演はこれらを中心に組まれますが、
3連休は必ずしも良いわけではないのです。
休みの日が増え、レジャーの幅も増えるという事は、
結果的に遠出が多くなり、
近場で楽しむ類のエンタメは非常に不利になります。
演奏会の為に3日のレジャーを潰すより、
後回しにして大きな休暇とする方が圧倒的に多い。
特に若いアクティブな人になればなるほど、
この傾向は高まり、
慢性的に若い人が少ないクラシック系の公演などは、
3連休は全く期待できない結果になっている。
小学校だって、休みを減らして勉強傾向、
世の中だって、遊びすぎておかしくなった日本を反省、
だったら、7年前に決まったこの制度を見直して、
もう一度元に戻す勇気を持っていただけないかな。
週休2日も無い時代は、サタデーナイト・フィーバーって、
映画でも言うくらい土曜日しか楽しみはなく、
みな祝日を有り難い日と感じたものですよね。
欧米に比べ祝日が少ないからという理由で、
祝日を増やしても、結果的に良い事は合ったのでしょうか?
私は困っているのです。
平日夜しか話が出来ない会社勤め、役所の方々と、
平日夜や休日に公演が多い専門家が会う事は、
それでなくても大変なのに、
こう休みだらけでは、仕事は捗らないし、
平日と休日の時間軸のズレと普段の精神状態の変化で、
平日がボケていく為に、仕事が繋がらないのです。
異種業種格闘している方々はきっと皆同じ意見、
だと思うのですが如何でしょう。
このハッピーマンデーをハッピーと考えているのは、
制度作った人たちダケだと思うのですがね。
楽しみ増える ― 2007/09/22 23:52

松本に振りに行っているオペレッタ「こうもり」の
東京での歌手との稽古が始まりました。
このオペレッタは、過去数十、いや数百回と
様々な公演の為に稽古を積んだが、
流石にオペレッタの最高峰だけあって、
何度演奏しても発見があるものなのです。
今回は、副指揮に就いていますので、
自分の音楽と言うよりも、冷静な判断で聞いてますが、
尚更いろいろな事を考えることが出来て、
楽しいものです。
「こうもり」は、しばらくオケのリハばかりで、
歌手との稽古をしていなかったのですが、
言葉がつけば、勿論ドラマが直接訴えかける訳で、
色彩鮮やかなオケの音楽の鮮明さとは違う意味で、
シュトラススの考えた音楽のアイデアに驚きです。
1年以上歌の譜面見ていないお陰で新鮮に、
同じ譜面を先入観なく違う角度から見られます。
執着して昔の決め事に拘るよりも、
新鮮さを感じる為に、あえて掘り起こさない方が、
発見があって楽しいと、昨日も実感しました。
例えば、、、
ハンガリー出身となっているロザリンデの歌は、
全編が顕著なハンガリーの音楽で良い事にも気付き、
1幕フィナーレと、3幕の3重唱で歌うアルフレッドは、
実にうまくメロディーを変奏させているので、
その間出演しないアルフレッドのキャラクターを
お客さんは音楽で思い出す仕組みになっている、とか。
ヨハン・シュトラスス2世は、1800年代中頃から、
父親譲りの流行ダンス音楽作曲家として菜を馳せました。
後年オペレッタを書くことがなければ、
単なる流行ダンス作曲家のレッテルを貼られて、
年を経ることになったかもしれないと思いますし、
あまりのメロディーメーカーさに長け過ぎていて、
実は評価が低く見られている部分もあります。
もっと気難しい方法や、音楽の仕掛けをわざわざ作り、
技術を宣伝する方法もあったのかも知れませんが、
生粋の天才には、そんな小癪なプレゼンは必要なし!
真っ向から、メロディーで押しまくりながら、
旋律の連鎖でドラマに意味を持たせていくのです。
あまりに単純すぎて、仕掛けに誰も気付かない事も多く、
オペレッタ自体が非常に軽々しく見られてしまうことが、
残念だとは思いますが、
矢張り1000以上あるオペレッタ作品の中でも、
130年間全世界で上演され続けるNo.1作品には、
演奏され続ける意味がありますね。
これから1ヶ月半の間に何度も稽古に行きますが、
演出が付いていき、音楽が立体的に起き上がれば、
いろいろなシュトラウスの魅力が存分に現れだします。
久し振りに演奏する演目は、楽しいものです。
松本のオケとの合体、合唱との共演は、
大変楽しみなってまいりました!
東京での歌手との稽古が始まりました。
このオペレッタは、過去数十、いや数百回と
様々な公演の為に稽古を積んだが、
流石にオペレッタの最高峰だけあって、
何度演奏しても発見があるものなのです。
今回は、副指揮に就いていますので、
自分の音楽と言うよりも、冷静な判断で聞いてますが、
尚更いろいろな事を考えることが出来て、
楽しいものです。
「こうもり」は、しばらくオケのリハばかりで、
歌手との稽古をしていなかったのですが、
言葉がつけば、勿論ドラマが直接訴えかける訳で、
色彩鮮やかなオケの音楽の鮮明さとは違う意味で、
シュトラススの考えた音楽のアイデアに驚きです。
1年以上歌の譜面見ていないお陰で新鮮に、
同じ譜面を先入観なく違う角度から見られます。
執着して昔の決め事に拘るよりも、
新鮮さを感じる為に、あえて掘り起こさない方が、
発見があって楽しいと、昨日も実感しました。
例えば、、、
ハンガリー出身となっているロザリンデの歌は、
全編が顕著なハンガリーの音楽で良い事にも気付き、
1幕フィナーレと、3幕の3重唱で歌うアルフレッドは、
実にうまくメロディーを変奏させているので、
その間出演しないアルフレッドのキャラクターを
お客さんは音楽で思い出す仕組みになっている、とか。
ヨハン・シュトラスス2世は、1800年代中頃から、
父親譲りの流行ダンス音楽作曲家として菜を馳せました。
後年オペレッタを書くことがなければ、
単なる流行ダンス作曲家のレッテルを貼られて、
年を経ることになったかもしれないと思いますし、
あまりのメロディーメーカーさに長け過ぎていて、
実は評価が低く見られている部分もあります。
もっと気難しい方法や、音楽の仕掛けをわざわざ作り、
技術を宣伝する方法もあったのかも知れませんが、
生粋の天才には、そんな小癪なプレゼンは必要なし!
真っ向から、メロディーで押しまくりながら、
旋律の連鎖でドラマに意味を持たせていくのです。
あまりに単純すぎて、仕掛けに誰も気付かない事も多く、
オペレッタ自体が非常に軽々しく見られてしまうことが、
残念だとは思いますが、
矢張り1000以上あるオペレッタ作品の中でも、
130年間全世界で上演され続けるNo.1作品には、
演奏され続ける意味がありますね。
これから1ヶ月半の間に何度も稽古に行きますが、
演出が付いていき、音楽が立体的に起き上がれば、
いろいろなシュトラウスの魅力が存分に現れだします。
久し振りに演奏する演目は、楽しいものです。
松本のオケとの合体、合唱との共演は、
大変楽しみなってまいりました!
Tanto!Tanto! ― 2007/09/23 23:18
アマチュアオケ、ブラスでもそうでしょうが、
リハーサルは、3時間が1単位です。
例えば、午前中のリハでも、午後のリハでも、
また夜のリハでも、3時間は1つの稽古単位です。
これはプロのオペラの稽古も一緒で、
3時間は通常の稽古1単位となっております。
実際には、1時間やると休憩を入れるので、
1時間×2コマ+30分のような時間体制です。
しかし、プロオケの場合は少し違います。
この1時間1コマが何回取れるかで決めますので、
3コマ取りたかったら、3時間半必要ですし、
また午前中からはお昼休憩が入ってくるので、
午前2コマやって、午後2コマのような体制なのです。
これでじっくり半日かけてリハーサルをやります。
なぜアマオケやオペラが3時間なのか考えると、
簡単に答え出てきます。
公共の稽古場をお借りすることが多いので、
この枠に合わせていることが殆どなのでしょう。
9時~12時、13時~16時、17時~20時の様に、
この枠で申し込むからですね。
しかしこれは、常にタスキには短い状態で、
あと1時間あれば、もう少し足りないの部分も出来て、
準備やウォームアップにも必要な時間が取れるのです。
オペラの稽古でも、市民オペラなどの団体は、
大きな稽古場を持っているハズも無く、
施設を借りますが、2枠(6時間)借りると費用は倍で、
そこまでは時間を使いきれないし、
しかしやはり3時間では、稽古は正味2時間半になり、
充実した内容をこなすのが難しい事も多いのです。
可笑しなこの公共施設体制が習慣化しているのが、
不思議なリハーサル体制でもあります。
しかし面白いことには、3時間で完結という考えは、
脳にとっては良い単位かもしれません。
長い時間使って多くの事を詰め込み過ぎると、
しだいに集中力は薄れて行きますね。
プロも2時間、2コマやったら長い休憩です。
これは、ウィーンやベルリンのオケでも同じ体制。
だから、3時間以上の稽古を連続させるのは、
かなりきついものがあります。
3時間という数字は、課題を残しつつ、
考える余力を残しながら、
疲れすぎない、そして充実した時間が送れる単位かも。
今日のOBオケのリハは、プロオケ並に、
午前2時間、昼を挟んで午後2時間のコマでした。
確かにしっかり練習できて、上達が目に見えますし、
丁寧に細部を出来ますので、みな明らかに上達します。
でも休憩を入れても、最初に音を出してから6時間も経てば、
誰でも疲れますね。
私も細々といろいろ要求しますし、
脳はパンパンになるのでしょう。
最後はみな虚ろな目で私を見上げていました・・・。
でも、意味深い練習なのです。
そしてもっと大事な事は、次回忘れぬことなのです。
次の要求をドンドンしていきたいのですから、
次は益々上手くなって欲しいのですね。
限りある練習、限りある人生の大事な時間、
充実させて公演に望めば、限りない満足感と共に、
演奏したものにしか解らない達成感が待っているものです。
そこまで熱くなってくれるのだろうか?
みな心さらけ出して演奏してくれるだろうか?
私は、準備満タンなのです!
みなさん、もっともっと!もっともっと!、と。
リハーサルは、3時間が1単位です。
例えば、午前中のリハでも、午後のリハでも、
また夜のリハでも、3時間は1つの稽古単位です。
これはプロのオペラの稽古も一緒で、
3時間は通常の稽古1単位となっております。
実際には、1時間やると休憩を入れるので、
1時間×2コマ+30分のような時間体制です。
しかし、プロオケの場合は少し違います。
この1時間1コマが何回取れるかで決めますので、
3コマ取りたかったら、3時間半必要ですし、
また午前中からはお昼休憩が入ってくるので、
午前2コマやって、午後2コマのような体制なのです。
これでじっくり半日かけてリハーサルをやります。
なぜアマオケやオペラが3時間なのか考えると、
簡単に答え出てきます。
公共の稽古場をお借りすることが多いので、
この枠に合わせていることが殆どなのでしょう。
9時~12時、13時~16時、17時~20時の様に、
この枠で申し込むからですね。
しかしこれは、常にタスキには短い状態で、
あと1時間あれば、もう少し足りないの部分も出来て、
準備やウォームアップにも必要な時間が取れるのです。
オペラの稽古でも、市民オペラなどの団体は、
大きな稽古場を持っているハズも無く、
施設を借りますが、2枠(6時間)借りると費用は倍で、
そこまでは時間を使いきれないし、
しかしやはり3時間では、稽古は正味2時間半になり、
充実した内容をこなすのが難しい事も多いのです。
可笑しなこの公共施設体制が習慣化しているのが、
不思議なリハーサル体制でもあります。
しかし面白いことには、3時間で完結という考えは、
脳にとっては良い単位かもしれません。
長い時間使って多くの事を詰め込み過ぎると、
しだいに集中力は薄れて行きますね。
プロも2時間、2コマやったら長い休憩です。
これは、ウィーンやベルリンのオケでも同じ体制。
だから、3時間以上の稽古を連続させるのは、
かなりきついものがあります。
3時間という数字は、課題を残しつつ、
考える余力を残しながら、
疲れすぎない、そして充実した時間が送れる単位かも。
今日のOBオケのリハは、プロオケ並に、
午前2時間、昼を挟んで午後2時間のコマでした。
確かにしっかり練習できて、上達が目に見えますし、
丁寧に細部を出来ますので、みな明らかに上達します。
でも休憩を入れても、最初に音を出してから6時間も経てば、
誰でも疲れますね。
私も細々といろいろ要求しますし、
脳はパンパンになるのでしょう。
最後はみな虚ろな目で私を見上げていました・・・。
でも、意味深い練習なのです。
そしてもっと大事な事は、次回忘れぬことなのです。
次の要求をドンドンしていきたいのですから、
次は益々上手くなって欲しいのですね。
限りある練習、限りある人生の大事な時間、
充実させて公演に望めば、限りない満足感と共に、
演奏したものにしか解らない達成感が待っているものです。
そこまで熱くなってくれるのだろうか?
みな心さらけ出して演奏してくれるだろうか?
私は、準備満タンなのです!
みなさん、もっともっと!もっともっと!、と。
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