壁崩壊25年 ― 2014/11/09 09:50
毎年11月になると思い出しましたが、
1989年11月9日は特別な日です。
ドイツに住み始めて半年後の秋、
それまでの生活が一変する歴史的な出来事。
所謂“ベルリンの壁崩壊”という日です。
今年は25年・・・。
渡独から5年、10年、と数えましたが、
四半世紀の時が流れ、
あの時が今の年齢の折り返しかと思うと、
感慨深さと巳の未熟さに呆れたりします。
11月9日に検問所の封鎖が解かれたのですが
市民として生活していた衝撃的な日は、
翌日10日の午後からです。
いつもなら昼にはフィルハーモニーに行って
音を出したりリハーサルを見るのですが、
この日はベルリンフィルの公演の2日目で
演奏会だけ行くつもりで家に居たら、
ブランデンブル久門から数キロ離れた
家の前の大通りでさえ慌しい雰囲気。
イベントやデモは日常的なので、
あまり気にも留めなかったのですが、
バスに乗ろうと家を出て友人に出くわす。
「こんな日が来るとは大変な日だ!」
と言って彼は頬を紅潮させ興奮していた。
数週間前からニュースになっていた東欧諸国、
特にハンガリーとオーストリア国境の出来事が
ベルリンの国境にも影響したことを知る。
でもまさか壁が開いたなんて信じ難かった。
しかしバスに数百m乗って街の中心に行くと、
歩道は溢れんばかりの人の数。
大変な事が起きていることが解った。
趣味が写真を撮ることだったので、
日常的に一眼レフを持ち歩いていたのですが、
まずは撮った衝撃的な写真がこれです。
1989年11月9日は特別な日です。
ドイツに住み始めて半年後の秋、
それまでの生活が一変する歴史的な出来事。
所謂“ベルリンの壁崩壊”という日です。
今年は25年・・・。
渡独から5年、10年、と数えましたが、
四半世紀の時が流れ、
あの時が今の年齢の折り返しかと思うと、
感慨深さと巳の未熟さに呆れたりします。
11月9日に検問所の封鎖が解かれたのですが
市民として生活していた衝撃的な日は、
翌日10日の午後からです。
いつもなら昼にはフィルハーモニーに行って
音を出したりリハーサルを見るのですが、
この日はベルリンフィルの公演の2日目で
演奏会だけ行くつもりで家に居たら、
ブランデンブル久門から数キロ離れた
家の前の大通りでさえ慌しい雰囲気。
イベントやデモは日常的なので、
あまり気にも留めなかったのですが、
バスに乗ろうと家を出て友人に出くわす。
「こんな日が来るとは大変な日だ!」
と言って彼は頬を紅潮させ興奮していた。
数週間前からニュースになっていた東欧諸国、
特にハンガリーとオーストリア国境の出来事が
ベルリンの国境にも影響したことを知る。
でもまさか壁が開いたなんて信じ難かった。
しかしバスに数百m乗って街の中心に行くと、
歩道は溢れんばかりの人の数。
大変な事が起きていることが解った。
趣味が写真を撮ることだったので、
日常的に一眼レフを持ち歩いていたのですが、
まずは撮った衝撃的な写真がこれです。
U-Bahn(地下鉄)の入り口によじ登って写しました。
(真似して登った記者が撮っていた同じアングルが
次の日の新聞一面になっていた・・・)
この無数の人は殆ど東ベルリンのドイツ人。
白黒フィルムを入れていたので解りにくいですが、
ほんの数百Mしか離れていない向こう側ドイツ人、
髪が栗色で写真で見ていた典型的ドイツ人の色。
(西の方がむしろドイツ離れしていたのです)
このあと早足で何枚も写真を撮ります。
これは有名な Cafe Krantzler
目抜き通りの交差点も人で溢れかえっています。
それから目指したのは Europa Center
Berlinのランドマークタワーのようなビルで
屋上に上がる事が出来ます。
この屋上からの写真がこれです。
横には第二次世界大戦の空爆で大破した
カイザーウィルヘルム教会が見えます。
日比谷から銀座の交差点と言った場所です。
もうこの光景は心臓バクバクさせながら
シャッターを切りましたが、
兎に角東ベルリンのドイツ人が、
西へ西へと歩いて行った光景なのです。
日本でブランデンブルク門の脇の
壁に登るドイツ人、壁を叩き壊すシーンが
壁の崩壊というイメージでしょうが、
最初はもっと厳かで粛々としたものでした。
もう少し解りやすい写真を入れておきましょう。
カラー写真、フィルムが替わっているから、
多分翌日かでも数日内の写真。
ブランデンブルク門脇に作られた
仮の検問所、、、いや国境です。
笑っているのは旧東ドイツの国境警備兵。
この数日前まで、マシンガンを方から掛け、
獰猛な犬を従えて硬い表情を崩さなかった
彼らがこのような表情ではなしているのです。
「ベルリンの壁崩壊」
というタイトルを目にしますが、
「ついに開かれたベルリンの壁」
と言う説明が必要ですよね。
この日を境にドイツは再統一という
現在の姿を目指していく事になりますが、
個人的には子供の頃から知っていた知識と、
東側諸国の“共産圏”と言う響きが
頭の中から崩壊し始めた日というわけです。
この日から25年・・・・。
信じたくないが自分の歴史でもあります。
もう少しベルリンの壁の事を続けましょう。
続く。
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