梱包の音 ― 2008/11/17 23:33
午前中早くから、保管しながら使用している、
楽器の貸し出しの為の点検と梱包。
楽器類を1つずつ丁寧に、確認すると、
当然の事ながら過年劣化も見つかるし、
また工夫しながら故障箇所を直した後も再発見。
何十回、何百回と叩き叩かれる楽器や撥は、
劣化して当然なのだが、
楽器に付いた小さな傷に、色褪せてきた皮、
打面がささくれてポロポロと乾き落ちそうな撥。
どれもこれもが愛おしいばかりか、
リストを見直しながら大切に梱包していると、
数十回演奏した、音楽劇のドラマと音楽が、
心のもっと奥、記憶と感情の隙間から掻き分け、
怒涛の様に噴出して鳴り響いた。
特別な感情を抱いて演奏を続けたこのドラマは、
指揮者も常に打楽器を演奏し、
時空の中に「音」の役で参加を実感するばかりか、
強烈な個性で、実際の役処の歌手達と対峙をするのだ。
負けんとばかりに、舞台上は躍動感に満ち、
十数年の間に工夫され、研ぎ澄まされた役は、
常に阿吽の呼吸で、的確なドラマポジションに立つ。
社会風刺は、兎角「教訓」という邪魔な副産物を創り、
ドラマの本質よりドラマ後の言い訳を成長させる。
しかしこの音楽劇は、社会的な刺激があっても、
必要な教訓しか呼び起こさず、
むしろ、人間の閉鎖的な感情を剥き出しにさせる事で、
知恵のある人間がどんなに愚かであるかを映し出す。
毎日公演しても、半年に1回公演しても、
毎回が楽しく、制御した感情を爆発寸前にする事を、
皆で楽しみながら、演劇である音楽を勉強しあった。
良い作品は、創りだす一人が作り上げるのではなく、
上演され血が通うことで、確実に鼓動を感じる。
紙の上の命は、舞台で揉まれて魂が宿るのだ。
既にこの世に産み落とした作曲家、作家は、
過去の作品として位置づけているかもしれない、
しかし、上演に携わるものは、一緒に並び、
歩き出し、ドラマと共に生きるのだ。
楽器を梱包していながらも、
留めることなく溢るる音楽を鼻歌の様に歌う。
どうしても寂しい気持ち・・。
電話では笑顔で質問に答え、全ての経験を預ける。
嫉妬?嫉み?そんなみっともないものは、
元来持ち合わせていないのに何故?
作品は、常に公平でリベラルなものであり、
新しい息吹を感じたい筈である。
ここに魂がまだ居るのか、背中を押すのか、
怒るのか、怒るのか、呆れるのか・・・。
泣いているのは、そいつかもしれない。
構わぬ、私は前に行く。
着いて来るなら、とことん来れば良い。
いつか振り返り、肩の荷を降ろす時が必ず来る。
まだ先。もう少しだけ先。でも確実に来る。
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