思い出の想いで2008/07/26 23:26

何十年経っても、思い出は想い出である。
私の出身高校、母校であるが、
赴任したばかりのH先生から要請。
「指揮を教えて見てほしい」ということである。

つい先日まで卒業して20年なんて思っていたのに、
正確に数えると、もう入学して30年の歳月。
昨日の事のように思い起こすことが出来る
高校時代なのだが、目を瞑りよく考えると、
思い出される同級生の声は、子供の声に感じ、
仲良かった悪童たちの顔は覚えているが、
輪郭が定かでなくなって、
教室の色は、大分カラーコントラストが低い・・・。
こうやって映像や音声の記憶は、滲んでいくものか。
なんて事考えながら、灼熱の太陽の下数年ぶりに来校。
数年ぶり、といっても前回もひょんな事から、
教えに行ったわけで、その時既に十数年振りだから、
この20年で数回しか行っていないのは、、当然か。

現代の様に少子化が進み、公立小中学校の統合、
廃校とまでなると、学校名が変わるとか、
廃校されると、校舎自体無くなってしまったりする。
これは、完全に幻の想い出になるわけで、
今を考える役人には、関係ないことだろうが、
卒業生にとっては仕方ないでは済まされない辛い事。
しかし、本当に幸いに奇跡的に、母校はそのまま。
今を生活する高校生には、この老朽化は辛いだろうが、
久し振りに踏む母校の廊下のホコリっぽい匂いも、
一瞬ですっぱい想い出アルバム500ページを、
捲ったほどに酔わせてくれるものである。

正面から入り、変型スパイラルな階段を昇って2階。
この横の部屋が、まさに義務教育から解き放たれた、
思春期成人の喜びを噛み締めた1年4組だった。
と、教室ドアの札を見上げれば、
「進路指導室」となっている・・・。
ううむ、時代の流れでしょう。
30年前は、そんな指導誰もしてくれず、
組合活動に没頭している先生が非常に多いため、
我がクラスは、毎日の自習パラダイスを堪能し、
私は、音楽家生活の基礎を確立した時期であった。

歩を進め3階へ行くと音楽室である。
足が重い・・・・。
最終的に音楽大学を目指す事になる私の、
決して良い思いでばかりではないことも思い出し、
大腿部の記憶装置が、階段を楽に昇らせないようだ。
高校生活の大半を過ごした音楽室も、そのまま。
窓から見える風景、隣の校舎に、前の学校(今は廃校)、
既に音を出して合奏をしている若き後輩の姿で、
薄ボンヤリだった想い出の輪郭が、
6Bの鉛筆でなぞられていくようです。
音楽室の壁に飾ってある、当時の演奏写真など見つけ、
私は、クラクラと目眩がするのであった。

皆さん、頑張っていました。
髪の茶色い子も、眉のほっそい子も、
スカートを浮き輪の様に巻いているミニの子も、
時代か変われど、高校生は高校生である。
先日も行って、今日は2回目の指導。
皆少しずつ進歩していますね。
懐かしい顔のOBも居ましたし、
レッスンしていた子が20代半ばと聞いてビックリ。
しっかりした大人になって居て少し安心。
これから合宿だそうです。
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