匂い立つ2008/06/12 08:35

臭い話になるかも知れませんが、
久し振りに“くさや”を食べました。
いつも思う事ですが、珍味と呼ばれる特別な食、
つまり、ウニ、キャビア、フォアグラなど、
到底人間の想像の範囲外のモノに対し、
食可(食の可能性)を確信するまでには、
毒に当たり、生命の危険もあったのでしょう。
また特殊な料理方で、素材を激変させる技を、
生活の知恵か、差し迫った環境なのか、
完成させる勇気にも、感服するのです。

多分、相当好みは分かれるでしょうし、
“くさや”を生涯口にする機会のない方も、
多数居るのではないでしょうか。
八丈島、新島といった伊豆諸島では、
昔から良く食べられる干物の類ですが、
この数時間つけるのであろう汁が、曲者。
しかし話によれば、くさやの漬け汁は、
何十年、いや家によっては数百年が経過し、
一朝一夕には出ない味なのだそうです。
嫁入りに持参の話は、現代では信じ難いですが、
あの特殊な香りも、病み付きになる味の原因も、
全てはこの漬け汁にあるのですね。

くさやだけではないのですが、
文章から匂い経つとか、音楽から香るとか、
そんな表現が出来る事は大事なのかもしれません。
その昔、イメージにあわせた芳香を劇場に流す映画、
また音楽界でも、意識的に館内に芳香をしたり、
またCDのプラケースに、
香を仕込んでいる場合もありますね。
絵でも、音楽でも、静止画でも動画でも、
残念な事は、香りが無いことです。
どんなにリアルな映像に感激しても、
美しい音楽に恍惚としても、
そこに香りだけは決して流れては来ず、
こればかりは、環境を演出せねばならないもの。

香りとは、面白いものです。
くさやなんて、匂いが無かったら、
他の鯵の干物と同じにしか見えませんし、
七輪で焼いている煙る焼き魚の映像を見ても、
コゲと脂の混じった香ばしい匂いしか、
想像できないでしょうね。
人や状態を、実は匂いで判別して事が多いのに、
直接会ったり、そこを体験しないと、
匂いは実感できないのですから。
より印象深いもの、鮮明な記憶とは、
匂いによる記憶が大部分であるのかもしれません。

しかし、くさや。
最近では、焼く環境が嫌われて、
あまり口にする機会が無いものですが、
こいつの印象は強烈であり、
一生忘れない記憶のひとつでもあります。
匂いそうなくさやの写真はやめて、
くさやを口にした実家より頂いた、
紫陽花が、地植えにして咲き始めた写真。
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